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「梟の城」に続く忍者モノ活劇エンターテイメント。テンポがいい。
『風神の門 (上) (新潮文庫)・(下)』(表紙絵:村上 豊)『風神の門 (春陽文庫)』〔'96年改版版〕
『風神の門 (1962年)』
『風神の門 (春陽文庫)』(新装版)
司馬遼太郎(1923‐1996)が『梟の城』に続いて、1961(昭和36)年から翌1962(昭和37)年4月まで「東京タイムズ」に連載発表した長編小説で、『梟の城』と同じく忍者小説ですが、『梟の城』が葛籠重蔵という豊臣秀吉の命を狙う創作上の伊賀忍者が主人公だったのに対し、『風神の城』は伊賀忍者・霧隠才蔵が主人公(ただし、この人も架空の人物らしいが)。
時代は関が原の合戦後から大阪夏の陣にかけてで、先に真田幸村の郎党となっている甲賀の猿飛佐助から仲間になるよう勧誘されるものの、才蔵は集団に属することを嫌いなかなか応じない。しかし、幸村の人柄に惚れ、やがて佐助とともに徳川家康の暗殺をはかることになります。
『梟』の葛籠重蔵がハードボイルドで"やや重"な雰囲気だったのに対し、『風神』の霧隠才蔵は、同じく伊賀者独特の孤高と哀愁を漂わせながらも、持て余すほどに女性にもてて、風魔忍者との術比べ、宮本武蔵との対決場面などもあれば、陥落する城から女を救い出したりもし、活劇エンターテイメントの要素が強い作品となっています。
才蔵が人生の目的が定まらず、自分で自分を持て余しているようなところは、今風に言えばモラトリアムでしょうか。結局、才蔵が与することとなった豊臣方は淀君と首脳部の愚昧さのために滅びるのですが、才蔵も佐助もそれに殉じることはしません。
才蔵は、忠義、義理、恩義などというものは"手に職のない武士どものうたい念仏"とし、ただ幸村に惚れて行動しただけで、臣下になったわけではありませんでした。だから、豊臣の滅亡に対しても、「徳川が勝ち、豊臣がほろびるのも天命であろう。(中略)腐れきった豊臣家が、もし戦いに勝って天下の主となれば、どのように愚かしい政道が行なわれぬともかぎらぬ。亡びるものは、亡ぶべくしてほろびる。そのことがわかっただけでも、存分に面白かった」といった割り切りよう。現代に置き換えるならば、会社が潰れても自分は自分として動じることのない実力派スペシャリストといったところです。
『梟の城』に比べて会話が多く、しかもテンポがいいです。作者は、この作品で忍者モノに見切りをつけたかのように以後は幕末に関心を移し、『竜馬がゆく』『燃えよ剣』といった傑作を発表していきますが、この軽快なリズム感はそれらに引き継がれていきます。
『風神の門 (春陽文庫)』〔'96年改版版〕
【1962年単行本・1967年改訂[新潮社]/1969年文庫化・1987年改訂[新潮文庫(上・下)]/1988年再文庫化・1996年改定[春陽文庫}】