「●採用・人材確保」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1636】 恩田 敏夫 『就活地獄の真相』
就活ゲームの中で形成される"即席アイデンティ"が、ミスマッチの原因との分析は興味深かったが...。
本書を読むまで「就活エリート」とは何を指すのか分からなかったのですが、本書における「就活エリート」とは、エントリーシートを綿密に作り込み、面接対策をぬかりなく講じて、まるで受験勉強に勤しむような努力をして、超優良企業へと入社していく若者のことを指していました。
著者によれば、こうした「就活エリート」が、会社に入社してから、多くの職場で戦力外の烙印を押されているという状況が今あるとのことです。
なぜ彼らは、肝心の社会生活のスタートで躓いてしまうのか、著者は、その原因が「就活」という画一化、パッケージ化したゲームにあるとし、このゲームの抜本的なルールを改変し、或いはゲームであることを中止しない限り、同様の犠牲者は生まれ続けると警告しています。
著者はリクルートワークス研究所の主任研究員であり、就職活動がいかにして「就活」というゲームになったのかを、データをもとに俯瞰的に分析している箇所は、採用担当者が読んで、頷かされる部分も多いのではないでしょうか。
そうした分析を通して、「自己分析」の流行や「エントリーシート」の普及が、就職活動の画一化、パッケージ化を促した背景要因としてあるとしています。
就活エリートたちは、「やりたいものは何ですか?」というエントリーシートの問いが求めるままに、「自己分析・やりたいこと探し」に熱中し、就職活動という短い期間に自身のアイデンティティを確立してしまうが、そのアイデンティティは本物ではなく"即席"のアイデンティにすぎず、その際に抱いた「スター願望」や、「ゴール志向」とでもいうべき偏狭なキャリア意識が、逆に、彼らが入社後に迷走する原因となっているとの分析は、興味深いものでした。
もう1つの原因として、「面接」重視の傾向を挙げていて、企業側が「面接」を極端に重視するあまり、その場で「自分」を作り上げてしまう就活エリートとの間で、同様の「ゲーム」が繰り返され、「面接」は形骸化し、その意義を失いつつあると。
更には、採用コミュニケーションの在り方についても問題提起しており、新入社員の中には、企業側の巧みなPRにより、入社した会社に「恋」をしてしまっているような人が多くいるが、その分、入社後の理想と現実のギャップは大きくなり、そのことも、就活エリートたちが入社後に迷走する原因になっていると。
前段の就職活動の変遷はデータに裏付けられており、中盤の就活の在り方と若者のメンタリティについて論じた部分も興味深く読めましたが、就活エリートたちの入社後の迷走についての実態は、城繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか』('06年/光文社新書)から引用するなどに止まっていて、あまり突っ込んだ解説がなされていないのがやや不満でした。
また、最終章では、こうした状況を打破するための「就活改革」のシナリオが示されていますが、「採用活動時期の分散化」「採用経路を多様化」「選考プロセスの多面化」といった提案の趣旨には概ね賛同できるものの(「採用活動時期の分散化」は、個人的には疑問符がつくが)、前段の分析部分に比べるとやはり具体性に乏しいように思われ、「分析に優れ、提案に弱い」というのは、研究所系の本に共通して見られる傾向なのかも。
むしろ、読んでいてずっと気になったのは、リクルートグループこそ、こうした就職活動の画一化、パッケージ化を促した就職関連企業の筆頭ではなかったかと思われることで、適性試験「SPI」や就職情報サイト「リクナビ」でどれだけ利益を上げたのかは知りませんが、例えば「インターネット就活」の促進というのも、著者は学生に広く機会を与えるものとしているようですが、結果として就職活動の画一化に「寄与」してしまっているのではないかと。
そうした想いは、本書を読む採用担当者の多くが抱くであろうことは想像に難くないところですが、本書では、学生ばかりが悪いのではなく、企業側もこれからの採用活動の在り方を見直さなければならないというスタンスをとりながら、自らが行ってきたことに関しては、「あとがき」で、「私にも就活エリートの迷走を生みだした責任の一端はあると思っている」との個人的感想一言で片付けられてしまっているのは、こりゃあんまりだという気がしなくもありませんでした。




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篠田 博之 氏 (月刊「創」編集長)
宮﨑勤の精神鑑定は、当初の「人格障害」だが「精神病」ではないというものに抗して弁護側が依頼した3人の鑑定人の見解が、「多重人格説」(2名)と「精神分裂病」(1名)に分かれ、本人の「ネズミ人間」供述と相俟って「多重人格説」の方が有名になりましたが、「人格障害」は免罪効を有さないという現在の法廷の潮流があるものの、個人的には一連の供述を見る限り、「人格障害」が昂じて「精神病様態」を示しているように思えました(但し、犯行時からそうであったのか、拘禁されてそうなったのは分からないが)。
小林薫については、殺害された被害者が少女1名であるにも関わらず死刑が確定しているわけですが、「死刑になりたい」という供述が先にあって、後から「少女が亡くなったのは事故だった」という矛盾する(しかし、可能性としては考えられなくも無い)供述があったのを、弁護側が、今更それを言っても却って裁判官の心証を悪くするとの判断から、その部分の検証を法廷で行うことを回避し、結局は死刑判決が下っているわけで、個人的には、死刑回避と言うより真相究明という点で、弁護の在り方に疑問を感じました。
宅間守については、ハナから本人が「早く死刑にしてくれ」と言っており、先の2人以上に人格的に崩壊している印象を表面上は受けますが、一方で、弁護人などに書いた手紙を読むと、極めて反社会的な内容でありながらもきっちり自己完結していて、著者が言うように彼の精神は最後まで崩壊していなかったわけで、そうなると、結果として、国家が本人の自殺幇助をしたともとれます。




川上弘美の作品を読むときには「川上弘美の美貌を想起せずにおれない」と書いていますが、そういう傾向は、男性読者に限らず女性読者でも同じではないかなあ。好き嫌いは別として、本書にも出てくる川上未映子も然り。エッセイとかを読むと、彼女自身も、自分でも「読まれる」と同じくらい「見られる」という"意識"はあると書いていますが。
週刊朝日 2009年12月4日増大号 (表紙:宮本笑里)



大内 伸哉 氏(略歴下記)


駒崎 弘樹 氏(略歴下記)


