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考え方はマットウ。「勝間」本などの啓発本批判は明快。どう若い世代に理解させるかが課題。

社畜のススメ.jpg  藤本 篤志 『社畜のススメ (新潮新書)断る力.jpg 勝間 和代『断る力 (文春新書)

 目立つなあ、このタイトルは―。著者は、USENの取締役などを経て独立して起業した人ですが、IT企業出身の人というと、華々しく転職を繰り返しているイメージがあるけれど、著者に関して言えば、一応USENだけで18年間勤めていて、スタート時はそれこそ、カラオケバーやスナックを廻る「有線」のルートセールスマンだったようです。

 本書では冒頭で、「個性を大切にしろ」「自分らしく生きろ」「自分で考えろ」「会社の歯車になるな」という、いわゆる"自己啓発本"などが若いサラリーマン(ビジネスパーソン)に対し、しばしば"檄"の如く発している4つの言葉を、サラリーマンの「四大タブー」としています。

 こうした自己啓発本が奨める「自分らしさ」を必要以上に求め、自己啓発本に書かれていることを鵜呑みにすることから生まれるのは、ずっと半人前のままでいるという悲劇であり、そこから抜け出す最適の手段は、敢えて意識的に組織の歯車になることであるとしています。したがって、これから社会に出る若者たちや、サラリーマンになったものの、どうもうまく立ち回れないという人に最初に何かを教えるとすれば、まずは「会社の歯車になれ」と、著者は言うとのことです。

守破離.jpg さらに、世阿弥の「守破離」の教えを引いて、サラリーマンの成長ステップを、最初は師に決められた通りのことを忠実に守る「守」のステージ、次に師の教えに自分なりの応用を加える「破」のステージ、そしてオリジナルなものを創造する「離」のステージに分け、この「守」→「破」→「離」の順番を守らない人は成長できないとしています(「守」が若手時代、「破」が中間管理職、「離」が経営側もしくは独立、というイメージのようです)。

 「守」なくして「破」や「離」がありえないと言うのは、ビジネスの世界で一定の経験年数を経た人にはスンナリ受け容れられる考えではないでしょうか。先に挙げたような"檄"を飛ばしている"自己啓発本"を書いている人たち自身が、若い頃に「守」の時期(組織の歯車であった時期)を経験していることを指摘している箇所は、なかなか小気味よいです。

 
 その冒頭に挙っているのが、勝間和代氏の『断る力』('09年/文春新書)で、これを機に勝間氏の本を初めて読みましたが(実はこのヒト、以前、自分と同じマンションの住人だった)、確かに書いてあるある、「断ること」をしないことが、私達の生産性向上を阻害してストレスをためるのだと書いてある。「断る」、すなわち、自分の考え方の軸で評価し選択することを恐れ、周りに同調している間は、「コモディティ(汎用品)を抜け出せないと。

 これからの時代は「コモディティ」ではなく「スペシャリティ」を目指さなければならず、それには「断る力」が必要だ、との勝間氏の主張に対し、著者は、こうした主張は「個性」を求めるサラリーマンの耳には心地よく響くだろうが、それは、本書で言う「四大タブー」路線に近いものであり、勝間氏のような人は「天才」型であって、それを「凡人」が鵜呑みにするのは危険だとしています。

 勝間氏は、自分が「断る力」が無かった時代、例えばマッキンゼーに在職していた頃、「究極の優等生」と揶揄されていたそうですが、「断る」ことをしないことと引き換えに得られたのは、同期よりも早い出世や大型クライアントの仕事だったとのこと、その仕事を守るために、何年間も自分のワークライフバランスや健康を犠牲にしたために、32歳の時にこんなことではいけないと方針転換して「コモディティ」の状態を脱したそうですが、藤本氏が言うように、「コモディティ」状態があったからこそ、今の仕事をバリバリこなす彼女があるわけであって、20代の早い内から「断る」ことばかりしていたら、今の彼女の姿はあり得ない(いい意味でも、悪い意味でも?)というのは、想像に難くないように思えます(そうした意味では自家撞着がある本。元外務省主任分析官の佐藤優氏が「私のイチオシ」新書に挙げていたが(『新書大賞2010』('10年/中央公論社))、この人も何考えているのかよく分からない...)。

 但し、『社畜のススメ』の方にも若干"難クセ"をつけるとすれば、日本のサラリーマンの場合、藤本氏の言う「歯車」の時代というのは、単に機械的に動き回る労働力としての歯車ではなく、個々人が自分で周囲の流れを読みながら、その都度その場に相応しい判断や対応を求められるのが通常であるため、「歯車」という表現がそぐわないのではないかとの見方もあるように思います(同趣のことを、労働経済学者の濱口桂一郎氏が自身のブログに書いていた)。そのあたりは、本書では、「守」の時代に漫然と経験年数だけを重ねるのではなく、知識検索力を向上させ、応用力へと繋げていくことを説いています(そうなると「社畜」というイメージからはちょっと離れるような気がする)。

 むしろ気になったのは、本書が中堅以上のサラリーマンに、やはり自分の考えは間違っていなかったと安心感を与える一方で、まだビジネ経験の浅い若い人に対しては、実感を伴って受けとめられにくいのではないかと思われる点であり、そうなると、本書は、キャリアの入り口にある人へのメッセージというより、単なる中高年層向けの癒しの書になってしまう恐れもあるかなと。

 前向きに捉えれば、中高年は、自分のやってきたことにもっと自信を持っていいし、それを若い人にどんどん言っていいということなのかもしれないけれど。例えば、「ハードワーカー」たれと(これ、バブルの時に流行った言葉か?)。


 第5章には、サラリーマンをダメにする「ウソ」というのが挙げられていて、その中に「公平な人事評価」のウソ、「成果主義」のウソ、「学歴神話崩壊」のウソ、「終身雇用崩壊」のウソといった人事に絡むテーマが幾つか取り上げられており、その表向きと実態の乖離に触れています。

 著者は、世間で言われていることと実態の違い、企業内の暗黙の了解などを理解したうえで行動せよという、言わば"処世術"というものを説いているわけですが、これなんかも人事部側から見ると、図らずも現状を容認されたような錯覚に陥る可能性が無きにしも非ずで、やや危ない面も感じられなくもありません。

 色々難点を挙げましたが、基本的にはマットウな本ですし、「自己啓発本」批判をはじめ、個人的には共感する部分も多かったです。でも、自分だけ納得していてもダメなんだろうなあ。
 
 「マズローの欲求五段階説」が分かり易く解説されていて、「社会的欲求」の段階を軽んじてしまい、いきなり「尊厳の欲求」と「自己実現の欲求」を満たそうとするサラリーマンが多くなっていることを著者は危惧しているとのことですが、それは同感。そうした若い人の心性とそれを苦々しく思っている中高年の心性のギャップをどう埋めるかということが、実際の課題のように思いました。

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企業理念・経営理念やビジョン・ミッション・バリューなどと微妙にニュアンスが異なるのが興味深い。

できる会社の社是・社訓.jpg 『できる会社の社是・社訓 (新潮新書)

 電通の「鬼十則」や日本電産、日清など有名企業の社是・社訓の成り立ちや、そこに込められた創業者や中興の祖の思いなどが、コンパクトに分かり易く紹介されていますが、各見出しには、社是・社訓に限らず、創業者の言葉などを引いているものもあり、併せて、創業者がどのようにして事業を起こし、どのようにしてそれを育て、現在の会社の礎を築いたかが書かれていて、ミニ社史を読んでいる感じも...(多分に各社の社史を参考にしているということもあるだろう)。

 大丸の「先義後理」など享保年間(18世紀初頭)に遡るものから。楽天の「スピード!! スピード!! スピード!!」など近年のものまであり(因みに、ライブドアには社訓が無かったそうな)、また、シャープ、松下電器(現パナソニック)、ホンダなどになると、創業者の立志伝の紹介みたいになってきますが、それらはそれで、自分が知らなかったことなどもあって面白く読めました。

 著者は、就職を切り口にした教育問題などの特集記事を担当する経済週刊誌記者だそうで、社是・社訓が実際にその企業に今どのような形で定着し、活かされているかといった組織・人事的な視点は殆どありませんが、さすがに大きな不祥事のあった会社については、その時の経営者が社訓に悖る行動をとったことを解説しています。

 大丸の「先義後理」などの古い社訓は、広い意味でのCSR、コンプライアンスに沿っているように思われ、一方、資生堂のエシックス(倫理)カードにある「その言動は、家族に知れても構いませんか?」などは、90年代の企業不祥事の多発を受けてのものなのだろうなあ。

 サントリーが、山口瞳、開高健らが執筆陣に加わった社史『サントリーの70年』で、創業者・鳥井信治郎「やってみなはれ」「「みとくんなはれ」を前面に押し出していたのに、100年史では「人と自然と響きあう」が企業理念となっていて、つまらなくなったようなことを著者は書いていますが、確かに。

 こうしてみると、創業者個人の強烈な思いが込められた「社是・社訓」は、「企業理念」「経営理念」や「ビジョン」、「ミッション」、「バリュー」などと呼ばれるものと重なる部分は多いものの、微妙にニュアンスが異なる部分もあり、もしかしたら、その部分に日本的経営の特性があるのかも―と思ったりもしました。

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「個」としての自分をしっかり持て―と。「自己啓発セミナー」を聴いているような感じも。

仕事で成長したい5%の日本人へ.jpg 『仕事で成長したい5%の日本人へ (新潮新書)

 欧州で生活して30年、現在パリに住み、グローバルビジネスのコンサルティングをしているという著者の、国際的な観点からの、日本人に向けた仕事論、ビジネス論、キャリア論といった感じの本でしょうか。

 前半部分は、自らのキャリアを通しての仕事論で、そのキャリアというのが、東大の応用物理学科、同大学院化学工学科卒後、国内メーカー(旭硝子)に勤務し、オックスフォード大学の招聘教官を経て、スイスのバッテル研究所、ルノー公団、エア・リキード社とヘッドハンティングされながら渡り歩いたというもので、あまりに"華麗"過ぎて、最初はちょっと引いてしまいました。

 しかしながら、読み進むうちに、「自分の仕事の相場観を持て」、「評論家ではなく実践家になれ」、「他人を手本にしても、憧れは抱くな」、「成長願望と上方志向を混同するな」といった著者のアドバイスが、欧米のビジネスの現場で様々な人々と会い、そうした外国人と交渉したり共に仕事してきた経験に裏打されているものであることが分かり、説得力を感じるようになりました。

 フランス人のバカンスの過ごし方に触れて、バカンスに仕事を持ち込むのは無能である証拠とみなす彼らの考え方を知ったり、ルノーの労組リーダーに、労組の理論家としての立場を放棄することとバーターでの昇給を申し出て断られたことから、自らの成長願望のために昇給を犠牲にするその生き方に爽やかさを覚えたりするなど、著者自身の異価値許容性の広さも感じました。

 後半部分は、そうした経験を通しての異文化コミュニケーションの在り方を、これも具体的な事例を通して解説しており、また、そしたことを通して、「夢」と「パッション」を持つことの大切さを説いています。

 読んでいて、「成功セオリー本」という感じを受けることは無く、むしろ「個」としての自分と言うものをしっかり持てという根本的なところを突いていて(日本人が弱い部分でもある)、自律的なキャリア形成を促す「自己啓発セミナー」を聴いている感じでしょうか。

 振り返ってみれば、著者自身、ルーティン化したサラリーマン生活に嵌ってしまうのが嫌で日本を飛び出したわけで、一見"華麗"に見えるキャリアも、最高学府を出ているとか頭の良さとかからくるものではなく、著者自身の、決して現状に充足しない成長願望の賜物なのでしょう。

 著者が親交のあるラグビーの平尾誠二氏、指揮者の佐渡裕氏、柔道の山下泰裕氏、将棋の羽生善治氏らのエピソードを挙げ、彼らのような天才と比べ自らを凡人であるとしつつも、そこから学ぼうと言う姿勢は謙虚且つ貪欲であるように思えました。
 但し、終盤にこれら著名人の逸話を多くもってきたことで、所謂「自己啓発セミナー」の観が、パターナルな方向で強まったかも知れません。

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人事部の代弁者的? 特に目新しさは無く、やや物足りない。

文系大卒30歳以上がクビになる.jpg 『「文系・大卒・30歳以上」がクビになる―大失業時代を生き抜く発想法 (新潮新書)』['09年]

 大手コンサルテリング会社勤務のコンサルタントによる本で、刊行時はよく売れた本だった記憶がありますが、当時社会問題化していた「派遣切り」の次に来るのは、かつてのエリート社員たち、つまり「文系・大卒・30歳以上」のホワイトカラーの大リストラであるとしています。

 なぜそうしたホワイトカラーがリストラ対象になるかというと、「ホワイトカラーの人数が多いから」であり、また、給料が高いため「リストラの効果が期待できるから」であるとしています。

 そのうえで(散々煽った上で?)、若手ビジネスパーソンに向けて、「大リストラ時代」に備え、常日頃から自分のやりたいこと、できることを意識しておくよう説いています。

 マクロ的な労働市場の動向や企業が抱えている余剰人員の問題については、概ね書かれている通りだと思われますが、ホワトカラー正社員リストラが進行するであろうという話はすでに報道、書籍等の多くが指摘しており、また実際にそのようなリストラ計画を巷に見聞するため、特に目新しさは感じられません。
 リストラに対する個々の対応策も、既に言い古されている(やや漠然とした)キャリア論に止まっているような。

 むしろ、本書が読まれた(支持された?)理由は、ホワイトカラーは、「本当は必要のない仕事」を自ら作り続けてきて水ぶくれし、企業組織内で「がん細胞」のようになってしまっているのであって、まず自らが「がん細胞」であることを自覚し、「万能細胞」に生まれ変われるよう努めなさいという、その言い方のわかりやすさゆえではないでしょうか。

 但し、"生産性の低い"ホワイトカラーを組織内にはびこらせてしまった企業側の責任については、触れられていないのが気になりました(人事部の代弁者?)。

 本書の中にある「人事部長M氏が見た」リストラの事例は、若手ビジネスパーソンには、「ああ、会社はこうやってリストラをするのだ」とリアルに感じられるのかもしれませんが、人事部的な視点から見ると、"事例"ではあっても、"モデル"と言えるものではないように思います。

 もし、本当に企業が雇用調整を行うのであれば、中期の経営計画に基づき、なぜ雇用調整を実施しなければならないのかをより明確に定義し、再構築後のビジョンと併せて社員に示す必要があるように思います。リ・ストラクチャリングなのですから。

 希望退職を3ヶ月間実施し、その結果目標の1割しか応募がなく、そこで追加募集を4ヶ月間実施し、更にその後でようやく退職勧奨をを行っているのも、随分と悠長な印象を受けます。
 企業にとどめておく人材と退職を勧奨する人材をあらかじめ区分し、希望退職の募集と併せてすぐさま後者に対し退職勧奨を行うのが、一般にとられている方法でしょう。
 本書のようなやり方では、半年以上にわたって希望退職を募ることになり、社員全般の士気に及ぼす影響もさることながら、場合によっては、応募者が、失業保険で優遇される「特定受給資格者」の資格要件を満たさないとされる恐れもあります。

 一般向けの本なのでこんなものかな、と思いますが、人事的な観点から見ると、煽り気味のタイトルの割には、かなり物足りないように思います。
 この本自体が、人事部の代弁者的視点で書かれているともとれなくはなく、人事に対して何か新しい視点や情報を提供するところまでは要求されていないとも言えますが。

 巻末に参考文献として、本書刊行年('09年)にこれまで刊行された労働問題に関する本が8冊挙げられていますが、「ホワイトカラー」の歴史と現況についてよりきちんと把握しようとするならば、『貧困化するホワイトカラー』(森岡孝二著・ちくま新書)がお奨めです。

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「ボランティアは石もて追われよ」。自分はまだそこまでの境地に達していないなあ。

人間の覚悟.jpg 『人間の覚悟 (新潮新書)』['08年]

 生きているということは、自分に関する事柄について1つ1つ不可能性を認識していくことではないかと思われ、そうした意味では、ある程度の年齢を経れば、一定の諦念のようなものは否応なく身についてしまうのではないでしょうか。

 但し、本書にあるように、「諦める」覚悟を持たなければならないとまで言われると、自分はまだまだそこまで達していないなあという気がします。

 著者は、「諦める」は「明らかに究める」に通じるとしていることから、「諦める」覚悟を持つということは「明らかに究める」覚悟を持つということにもなり、やはり、そうした努力は継続しなければならないのかなあ。

 但し、著者が言う「善意は伝わらないと覚悟する」「人生は不合理だと覚悟する」「国家や法律は守ってくれないと覚悟する」「統計などの数字よりも自分の実感を信じる」などといったことは、既に実感として身についてしまっている人の方が多いかも。

 もともと著者のエッセイには、それこそ初期の「風に吹かれて」の頃からある種ペシミズムのようなものが漂っていたように思いますが、「資本主義は終焉の時期が来ている」はともかく、「躁から鬱の時代(下降していく時代)に入った」とか言われると、自身の加齢とともに、終末論的な色合いが強くなってきているような気がしなくもありません。

 著者は昔、文化講演会などで話をさせられるのは苦手だと言っていましたが、本書などは、時事批評的な要素もあれば、お坊さんの法話的な雰囲気もあり、今ではこうした語り口がすっかり身についてしまった感じもします。

 全体を通しての自分自身の読後感は、分かったような、分からなかったような、と言う感じであり、まだ自分は「覚悟」に至るにはかなり遠いところにいるのかも知れません。

 但し、部分部分においては示唆に富む箇所もあり、とりわけ個人的には、「ボランティアは石もて追われよ」と書かれている箇所に共感しました(この部分についても、自らを振り返ってみれば、自分はまだそうした境地に達していないのだが)。

 文中に朝鮮からの引き揚げ時のエピソードがちらりちらりと出てくるのが著者の最近のエッセイの特徴ですが、その中に、モーパッサンの『脂肪の塊』を想起させるものがあったのが印象に残りました(占領した側に女性を人身御供として遣わせるところ。戦争のごとに歴史は繰り返されるなあ)。

《読書MEMO》
●「ボランティアは石もて追われよ」
 一九九五年に阪神淡路大震災が起きたとき、ボランティアとしてたくさんの人が被災地に向かいました。
 若い人たちの中には、骨を埋める覚悟で行くという人もいるほど熱気があったのに、地震から二、三年も経つと、その人たちが私にこぼすようになったのです。「はじめは涙を流して喜んでいた人たちが、そのうち慣れて小間使いのように自分たちをこき使う」、「やってくれるのが当然という態度で、ありがとうの一言もない」など。
 しかし私はこう思うのです。「それは君たちがまちがっている。そもそもボランティアというのは、最後は『石もて追われる』存在であるべきなのだから」。(中略)ほんとうに自らの身を投じて仕事をすれば、ついには追われるのが自然です。
 最後にみんなから大きな感謝とともに送り出される、などと考えてはならない。「もう帰っていいよ」と言われたら、「はいそうですか」と帰ってくればいい。いい体験をさせてもらいました、ありがとう、と心の中でつぶやきつつです。そう覚悟してこそボランティアなのだと思います。(中略)それでもしだれかが、「ありがとう」と言ってくれて、もし相手に思いがつうじたなら、狂喜乱舞すればいいのです。

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一見、気まぐれ、お手軽なようで、実は戦略的にこの言葉(「汚い」)を選んでいた?

「汚い」日本語講座.jpg 『「汚い」日本語講座 (新潮新書)』 ['08年]

 '06年から'07年にかけて、㈱パブリッシングリンクの電子書籍サイト「Timebook Town」('09年に終了)に連載されたもので、著者のゼミで「目くそ鼻くそを笑う」という言葉が話題に上るところから話は始まり、「汚い」とは何だろうか、というテーマでの学生との遣り取りが暫く続きます(取り敢えず、この言葉を選んでみたという感じに思えた)。

 Web本で、しかも学生との遣り取りをネタに書いていて、お手軽だなあとも思ったれども、「汚い」と「汚れている」「汚らしい」「小汚い」などとのそれぞれの違いなどの話は、辞書の上での意味の違いを超えて、感覚論、メタファー論へと拡がり、それなりに面白かったです。

 但し、前半は、著者自ら"ハウルの動く城"の如く、と言うように、話をどこへ持っていこうとしているのかよく分からず、(金田一先生がインタラクティブに授業を進めているのはよく分かったけど)ややじれったい感じも。

 それが、後半、「汚い」とは何かを更に突っ込んで、言語学から文化人類学、精神病理学、構造人類学へと話は転じて、仕舞いには人類の起源そのもの(考古人類学)へと遡って行くその過程は、もう話がどこへ行こうと、話のネタ自体が興味深かったというのが正直な感想でしょうか。
納豆.jpg
 例えば、著者は、粘り気のあるものを食べるのは日本人だけであると言っても過言ではないとし、ネバネバするものは毒であるというのがホモサピエンスにとっての生物学的常識であるが、日本人は例外的にその判断基準を捨てることに成功し、お陰で納豆など食していると。

 或いは、2人でケーキを食べる時に、互いにチーズケーキとチョコレートケーキを頼むと、2人は当然のように相手の分を少しずつ分けて食べるが、2人が同じケーキを頼んだ時はそうしないのは、「比べる」理由がないからと言うよりも、そこに「共有」と「所有」の違いがあるためで、「所有」という意識は「余剰」により生まれるのではないかと。
家でやろう1.jpg 電車の中で化粧をするのが嫌われるのは、車内の空間が「共有」されていて、個人の裁量権が無いというのが一般的了解であり、その掟を守っていないためとのことらしいです(車内が混んでいれば混んでいるほど、「余剰」が無いから、空間を「共有」せざるを得なくなり、そこでの個人の「所有」は認められないということか、ナルホド)。

 20万年前にアフリカのどこかで発生したホモサピエンスが、ネアンデルタール人を凌駕したのは、言語を獲得したことに因るところが大であり、それでも15万年間はアフリカ大陸に止まっていたのが、5万年前に「出アフリカ」を果たし、その後、様々な気候風土に適応して地球上に広がっていく(ネアンデルタール人もアフリカを出たが、せいぜい現在のヨーロッパの範囲内に止まっていた)、それはホモサピエンスが、寒い地で衣服を工夫し、棲家を作り変えるなどしたためですが、そうした文明の礎もまた、言葉によるコミュニケーションが出来たからこその成果であり、ホモサピエンスはもう何万年経とうが(適応し切っているため)進化しないだろうとまで、著者は言い切っています。

 「汚い」というのは人間の原初的な感覚であり(著者は「恐い」に近いとしている)、それを察知出来るか出来ないかは生命に関わることであって、その感覚や対象となる事象を文節化された複雑な言語によって精緻なレベルで共有化出来た点に、ホモサピエンスの繁栄の源があった―ということで、最後、きちんと「汚い」というテーマに戻ってきているわけで、顧みれば、著者は当初から戦略的にこの言葉を選んでいたように思えました。

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とりあえず1回目の予測は外した感があるが、警戒は必要ということか。

小林 照幸 パンデミック.jpg 『パンデミック―感染爆発から生き残るために (新潮新書)』 ['09年]

インフルエンザ.jpg パンデミック(感染爆発)の脅威と、それに対し国や医療機関、個人はどう対応すべきかについて書かれた本で、「新型インフルエンザ」を主として扱ってはいますが、デング熱、マラリア、成人はしかなど、その他の感染症についても言及されています。
 但し、その分、「新型インフルエンザ」についての解説がやや浅くなった感じがします(帯には「『新型インフルエンザ』の恐怖」と書かれているのだが)。

 本書の刊行は'09年2月で、'03年12月に国内で発生したH5N1型の「鳥インフルエンザウイルス」をベースに、「新型インルエンザ」について、その恐ろしさ、社会に及ぼす影響が近未来小説風の描写を交えて書かれていて(著者はノンフィクションライター兼作家)、"新たな"「新型インフルエンザ」がいつ発生してもおかしくない、或いはパンデミックはすでに始まっているかも知れないとしています。

 そして、実際に本書刊行の2カ月後に「新型インフルエンザ」がメキシコに発生し、その後日本にも上陸、冬季に限らず夏場でも感染拡大する可能性があること、タミフルが一定の治療効果を持つであろうことなど、本書に書かれている幾つかの「予想」も外れていませんでしたが、そもそも、この2009年型の「新型インフルエンザ」はH1N1亜型に属するもので、感染力は強いが致死率はH5型のものよりずっと低いタイプのものでした。

 この点は、WHOも当初は読み違えていたし、また、国や厚労省もそうした弱毒性のインフルエンザを想定していなかったために、却って余計な混乱を招いたという面があり、本書も「新型インフルエンザがH5N1型で発生するかどうかはわからない」と一応は書かれているものの、新型インフルエンザが発生すると「日本で約64万人が死ぬ!」などと帯にも書かれていたりして、こうした混乱を結果として助長した側面も無きにしも非ずか。

 後半部の「対応」の部分は取材源が限定的で、役所やマスコミの発表文書を引き写したような記述も多いように思えましたが、前半部のインフルエンザの特性や、「アウトブレイク」と「パンデミック」の違いなどの解説は分かり易かったです。

OUTBREAK.jpg 映画「アウトブレイク」('95年/米)でモチーフとなった架空のウィルスは、「エイズ」をモデルにしたのかどうかは知りませんが、映画自体はスリリングな娯楽作品であると共に大変恐ろしかったし、結果として'02年にアフリカで発生した「エボラ出血熱」を予見するような内容になっていて、「予言的中度」はかなり高かったと言えるのでは。

 因みに、前世紀初頭のスペイン風邪(H1N1型)で1年余りの間に4千万人が死亡し、これは中世(14世紀)ヨーロッパで大流行した黒死病(本書ではぺストとされているが腺ペストではなくエボラのような出血熱ウイルスだったという説も)の死者3千5百万人をも上回るものだったとのこと。
 地球上の人口が増え、交通機関が発達し、日常的に人々が行き来する現代、人類にとってパンデミックが脅威であることは、著者の指摘の通りだと思います。
                                                            「アウトブレイク [DVD]
「アウトブレイク.jpgapocalypse-outbreak-431.jpg 「アウトブレイク」●原題:OUTBREAK●制作年:1995年●制作国:アメリカ●監督:ウォルフガング・ペーターゼン●製作:ゲイル・カッツ/アーノルド・コペルソン●脚本:ローレンス・ドゥウォレット/ロバート・ロイ・プール●撮影:ミヒャエル・バルハウス●音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード●時間:127分●出演:ダスティン・ホフマン/レネ・ルッソ/モーガン・フリーマン/ケヴィン・スペイシー/キューバ・グッディング・ジュニア/ドナルド・サザーランド/パトリック・デンプシー●日本公開:1995/04●配給:ワーナー・ブラザース映画(評価:★★★★)
 
 
 

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文系出身の社会人が通勤電車内で楽しく(苦なく?)読み切れる内容。

アインシュタイン丸かじり.jpg 『アインシュタイン丸かじり―新書で入門 (新潮新書)』 ['07年] 志村史夫.jpg 志村 史夫 氏 (略歴下記)

 アインシュタインの業績や相対性理論に関する入門書で、「文系出身の社会人が通勤電車内で楽しく(苦なく?)読み切れる」内容とでも言ったらいいのでしょうか、新書(「新潮新書」)の性格を反映した大変読み易いものとなっています(著者は「ブルーバックス」の常連執筆者だったと思うが)。

 内容面の特徴として、アインシュタインの発表した理論のうち、特殊相対性理論と一般相対性理論の解説に各1章を割くのと併せて、光の粒子説を中心とした他の業績にも1章を割いていることが挙げられます。
 それらを挟んで、前段で、アインシュタインの業績がいかに凄いものであったのか、彼の"天才ぶり"、その偉業の"奇跡ぶり"を解り易く説くと共に、「アインシュタイン以前」をおさらいし、後段では「時空の歪み」という解りにくい概念を今一度解説するとと共に、最後にアインシュタインの言葉を紹介し、その発想の原点や思想を伝えています(盛りだくさん!)。

 文系でも読み易いと言いましたが、数式を使わないというわけではなく、一般相対論の理論式など一応は登場し、ローレンツ変換とかも出てきます。
 但し、それらを必ずしも解らなくてもいいとして、読者を追い詰める(?)ことなく、合間に適度にアインシュタインの"人となり"を伝える話やその他の学者やノーベル賞などに纏わる科学史上のエピソードが織り込まれていて、「読み物」的感覚で読み進めることができます。
 この辺りの、ちょっと脇道に行って(ムダ話をしているのではない)「閑話休題」として本筋に戻ってくるタイミングが絶妙。

 著者自身が、相対性理論を理解するうえで、どこで引っ掛かったか、それをどのような発想の転換で乗り越えたかなどが書かれている点も、親近感を覚えると共に、ああ、ここが一般の人と物理学者の思考方法の分岐点だなあと思わせるものがありました。

 紙数の関係上、結果的に、一般相対性理論の解説などがやや浅くなってしまったことは否めませんが、「最初に読む1冊」乃至「久しぶりに復習してみる1冊」としては、その要件を満たした好著だと思います。
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志村史夫(しむら・ふみお)
1948(昭和23)年東京・駒込生まれ。名古屋工業大学大学院修士課程修了。名古屋大学工学博士(応用物理)。2007年現在、静岡理工科大学教授、ノースカロライナ州立大学併任教授。『こわくない物理学』など著書多数。2002(平成14)年、日本工学教育協会賞・著作賞受賞。

《読書MEMO》
●章立て
第1章 アインシュタインは偉い
 「奇跡の年」から一〇〇年/二〇世紀のコペルニクス/週刊誌のトップ記事にも/日本との因縁/ハイテクの父/世紀の人
第2章 「アインシュタイン以前」をおさらい
 自然の理解/自然哲学の誕生/物質の構造/物体の運動/運動の相対性/空間とは何か/時間とは何か/光とは何か/ニュートンと光/重力とは何か/驚異の年
第3章 「奇跡の年」の奇跡ぶり
 不遇の時代/五篇の論文/光電効果/電気と磁気/マクスウェルの電磁理論/電磁波と光/生活に欠かせない電磁波/プランクの量子仮説/光の謎を解明/ハイテクを支える光量子
第4章 これで「特殊相対性理論」がわかる
 特殊相対性効果/原型は一六歳の空想/不思議な光/光速不変の原理/時間が遅れる/空間が縮む/光速より速いものはない/質量が増大する/同時性の否定/先人の無念
第5章 世界一有名な方程式E=mc2の誕生
 エネルギーはどこへ?/わずか三ページの革命/エネルギーから物質が生まれる/物質に潜む巨大なエネルギー/日常生活への応用
第6章 時空の歪みとは何か
 一般相対性理論/重力の源は「空間の曲がり」/「空間の曲がり」とは?/光が曲がった/ノーベル賞受賞の裏側
第7章 想像力は知識よりも重要である―アインシュタイン名言集
 タゴールとの対話/「才能」と「学問」について/「自然」「宇宙」「神」について/「科学」と「芸術」について/「人生」について

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 本を選んだのは新潮社。さらっと読める分物足りなさもありるが、個人的には楽しめた。

新潮文庫 20世紀の100冊.jpg 『新潮文庫20世紀の100冊 (新潮新書)』 ['09年]

 新潮社が2000年に、20世紀を代表する作品を各年1冊ずつ合計100冊選んだキャンペーンで、著者がそれに「解説」をしたものとのことですが、著者の前書きによれば、「100冊の選択におおむね異論はなかった。しかし素直にはうなずきにくいものもないではなかったし、読むにあたって苦労した作品もあった」とのこと。

 1冊1冊の著者による解説は実質10行足らずであるため、さらっと読める分物足りなさを感じる面もありますが、全体としてはよく吟味された文章と言えるのではないかと思われ、十分に(そこそこに?)楽しめました。
 
 個人的には、三島由紀夫の『春の雪』(1970年)の「人生のすべてをパンクチュアルに生きた人が、最後に破った約束」などは、内容に呼応した見出しのつけ方が旨いなあと。

 但し、前半・中盤・後半に分けるならば、とりわけ、前半部分の20世紀初頭の近代文学作品の解説が、作品の書かれた背景や他の同時代の作家との相関において、その作品の歴史的位置付けを象徴するような要素をピンポイントで拾っていて、文学史の潮流を俯瞰でき、作家の個人史に纏わる薀蓄などもあって、より楽しめました(著者の得意な時代ジャンルということもあるのか)。

 また、著者自身、これら100冊を「鑑賞」しようとはせず、むしろ「歴史」を読み取ろうとしたと述べているように、こうして様々な作風の作家の作品を暦年で並べて時代背景と照らしながら見ていくことには、それなりの意義があるように思えました(時折、海外の作品が入るのも悪くない)。

 でも最後の方(特に最後の10年ぐらい)になると、例えば「1993年は『とかげ』(吉本ばなな)の年、そういうことにしよう」とあるように、ちょっと評し切れないと言うか(選んだのは著者ではなく新潮社、2000年1月から毎月10冊ずつこの100冊を刊行する上での商業的思惑もあった?)、「歴史」に"定位"するスタイルでは論じ切れなくなっている感じもし、著者のこの作業が2000年に行われたことを考えれば、その点は無理もないことかも。

 「100冊」と言うより「100人」とみて読んだ方がすんなり受け容れられる面もあるかと思われますが、亡くなって年月を経た作家は、彼(彼女)の生き方はこうだった、みたいに言い切れるけれど、生きている作家については、そうした言い切りがしくいというのもあるしなあ。

《読書MEMO》
●取り上げている本
1901年 みだれ髪 与謝野晶子
1902年 クオーレ エドモンド・デ・アミーチス
1903年 トニオ・クレーゲル トーマス・マン
1904年 桜の園 アントン・チェーホフ
1905年 吾輩は猫である 夏目漱石
1906年 車輪の下 ヘルマン・ヘッセ
1907年 婦系図 泉鏡花
1908年 あめりか物語 永井荷風
1909年 ヰタ・セクスアリス 森鴎外
1910年 刺青 谷崎潤一郎
1911年 お目出たき人 武者小路実篤
1912年 悲しき玩具 石川啄木
1913年 赤光 斎藤茂吉
1914年 道程 高村光太郎
1915年 あらくれ 徳田秋声
1916年 精神分析入門 ジークムント・フロイト
和解.bmp1917年 和解 志賀直哉
1918年 田園の憂鬱 佐藤春夫
1919年 月と六ペンス サマセット・モーム
1920年 惜みなく愛は奪う 有島武郎
赤い蝋燭と人魚.jpg1921年 赤いろうそくと人魚 小川未明
1922年 荒地 T・S・エリオット
1923年 山椒魚 井伏鱒二
1924年 注文の多い料理店 宮沢賢治
檸檬.jpg1925年 檸檬 梶井基次郎
日はまた昇る.jpg1926年 日はまた昇る アーネスト・ヘミングウェイ
侏儒の言葉.jpg1927年 河童 芥川龍之介
1928年 放浪記 林芙美子
1929年 夜明け前 島崎藤村
1930年 測量船 三好達治
1931年 夜間飛行 サン=テグジュペリ
八月の光.jpg1932年 八月の光 ウィリアム・フォークナー
1933年 人生劇場 尾崎士郎 じんせいげきじょう おざきしろう
1934年 詩集 山羊の歌 中原中也
1935年 雪国 川端康成
1936年 風と共に去りぬ マーガレット・ミッチェル
1937年 若い人 石坂洋次郎
1938年 麦と兵隊 火野葦平
怒りの葡萄 ポスター.jpg1939年 怒りの葡萄 ジョン・スタインベック
1940年 夫婦善哉 織田作之助
1941年 人生論ノート 三木清
1942年 無常という事 小林秀雄
李陵・山月記.jpg1943年 李陵 中島敦
1944年 津軽 太宰治
1945年 夏の花 原民喜
堕落論 角川文庫.jpg1946年 堕落論 坂口安吾
1947年 ビルマの竪琴 竹山道雄
俘虜記.jpg1948年 俘虜記 大岡昇
1949年 てんやわんや 獅子文六
1950年 チャタレイ夫人の恋人 D・H・ローレンス
異邦人 1984.jpg1951年 異邦人 アルベール・カミュ
1952年 二十四の瞳 壺井栄
1953年 幽霊 北杜夫
1954年 樅ノ木は残った 山本周五郎
1955年 太陽の季節 石原慎太郎
1956年 楢山節考 深沢七郎
1957年 死者の奢り 大江健三郎
点と線.png1958年 点と線 松本清張
1959年 海辺の光景 安岡章太郎
1960年 忍ぶ川 三浦哲郎
1961年 フラニーとゾーイー サリンジャー
砂の女 1962.jpg1962年 砂の女 安部公房
飢餓海峡 上.jpg1963年 飢餓海峡 水上勉
1964年 沈黙の春 レイチェル・カーソン
1965年 国盗り物語 司馬遼太郎
1966年 沈黙 遠藤周作
アメリカひじき・火垂るの墓1.jpg1967年 火垂るの墓 野坂昭如
1968年 輝ける闇 開高健
1969年 孤高の人 新田次郎
豊饒の海.jpg1970年 豊饒の海 三島由紀夫
1971年 未来いそっぷ 星新一
1972年 恍惚の人 有吉佐和子
辻斬り.jpg1973年 剣客商売 池波正太郎
1974年 おれに関する噂 筒井康隆
1975年 火宅の人 檀一雄
1976年 戒厳令の夜 五木寛之
蛍川 筑摩.jpg1977年 泥の河 宮本輝
1978年 ガープの世界 ジョン・アーヴィング
1979年 さらば国分寺書店のオババ 椎名誠
1980年 二つの祖国 山崎豊子
1981年 吉里吉里人 井上ひさし
1982年 スタンド・バイ・ミー スティーヴン・キング
破獄  吉村昭.jpg1983年 破獄 吉村昭
1984年 愛のごとく 渡辺淳一
1985年 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 村上春樹
1986年 深夜特急 沢木耕太郎
1987年 本所しぐれ町物語 藤沢周平
1988年 ひざまずいて足をお舐め 山田詠美
1989年 孔子 井上靖
1990年 黄金を抱いて翔べ 高村薫
1991年 きらきらひかる 江國香織
火車.jpg1992年 火車 宮部みゆき
1993年 とかげ よしもとばなな
1994年 晏子 宮城谷昌光
1995年 黄落 佐江衆一
1996年 複雑系 M・ミッチェル・ワールドロップ
1997年 海峡の光 辻仁成
1998年 宿命 高沢皓司
1999年 ハンニバル トマス・ハリス
2000年 朗読者 ベルンハント・シュリンク

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「博報堂生活総研」×「人材コンサル」? サラッと読めて、新たな視点を提供してくれる。

ネコ型社員の時代.jpgネコ型社員の時代―自己実現幻想を超えて (新潮新書)』 ['09年] 山本直人.jpg 山本 直人 氏(略歴下記)

 かつて大手広告代理店・博報堂の人事部門に在籍し、現在は人材開発コンサルタントをしている人が書いた本で、新潮新書らしいサラッと読めてしまうビジネス本。
 著者の言う「ネコ型社員」とは、「『自己実現』に幻想を持たず、出世のためにあくせくせず、滅私奉公に背を向けつつも、得意分野では爪を磨ぐ」タイプとのことで、そんな「ネコ型社員」が増殖しているそうな。

 著者が挙げる「ネコ型社員」の特徴は、「1.滅私奉公より、自分を大切にする、2.アクセクするのは嫌だが、やる時はやる、3.自分のできることは徹底的に腕を磨く、4.隙あらば遊ぶつもりで暮らしている、5.大目標よりも毎日の幸せを大切にする」ということだそうで、ちょっぴり「犬型」的要素も入っているような気がしないでもないですが、本書では、名犬・忠犬・警察犬はいるけれど名猫・忠猫・警察猫はいないよねという話は冒頭あるものの、「犬型」の特徴を挙げて対比するようなやり方はしておらず、あくまで「ネコ型」について述べるのみ、これ、戦略的かも。

 ネコ型社員の信条は、「『忠誠』よりも『信義』、『上昇』よりも『向上』、『一人前』よりも『一流』」ということで、博報堂のR&D部門にもいた人らしく、こうした分類にはマーケティング的というか「博報堂生活総合研究所」的な匂いを感じなくもありません(「生活総研」×「人材コンサル」といったところか)。

 「ネコ型社員」であることを勧める共に、企業としての「ネコ型社員」の活かし方にも触れていて、「1.砂場を作る、2.見返りを求めない、3.自信を持って甘やかす」ということになるようで、それぞれについては中身を読んでいただければと思いますが、「ネコ型社員」になることよりこっちの方が難しいかも知れないとも思ったりしました。

 個人的に感性が一致したのは、転職支援の「あなたの可能性はまだまだそんなものじゃない」といった"眩しい"コピーを「自己実現熱」を煽るものとして批判している点で、元コピーライターが言うだけに説得力があったりして(「粘土上司」なども言い得て妙)。

 「ワーク・ライフ・バランス」という言葉の流行に対しても、経営側は「結局ワークを中心として、ライフとのバランスをとろうというように聞こえる」と言っているのには素直に共感しました。

 実践面でそんなに旨くいくかなという部分もありましたが、"目から鱗"とまでは行かないでも、働き方や物事への取り組み方、部下の扱い方などを少し違った角度から考察してみるには悪くない本でした。
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山本 直人 (やまもと なおと)
1964(昭和39)年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。博報堂に入社後、コピーライター、研究開発、人事局での若手育成などを経て、2004年退職、独立。著書に『売れないのは誰のせい?』など。青山学院大学講師。

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