【410】 ◎ 五木 寛之 『風に吹かれて (1968/07 読売新聞社) ★★★★★

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新装版は読みやすい。再読して感じた全編を貫くニヒリズム。

風に吹かれて 五木寛之.jpg 『風に吹かれて (1973年)』 読売新聞社 風に吹かれて.jpg 『風に吹かれて』 KKベストセラーズ['02年/単行本新装版]

風に吹かれて・五木寛之.jpg 1932(昭和7)年生まれの著者が、'66年に『さらばモスクワ愚連隊』、『蒼ざめた馬を見よ』を発表した後の処女エッセイ集(『蒼ざめた馬を見よ』は'67年1月に直木賞を受賞)。'67年1月から「週刊読売」に連載され、1年間の連載の後'68年に単行本化、その後、新潮文庫、講談社文庫、角川文庫などにおいて何度も文庫化され、総計400万部以上売れました。

 今読み返してみても、著者のエッセイストとしての筆力を窺わせるとともに、同時期に書いていた青春小説とは異なる味わいをも感じます。

<わが漂流のうた>五木寛之珠玉エッセイをよむ(1973(昭和48)年/中央公論社)

 このエッセイ集の中に、「五木さんの考え方は、ちょっと退廃的だと思います」と、女子学生の一人に言われて、「そうかもしれない。あまりにも自信に満ちた空しい演説が多すぎる時代のような気がしないでもない」(「自分だけの独り言」)とありますが、読み直して感じたのはむしろ、このエッセイを書いていた当時の年齢(35歳)にしては、老成とまでは言いませんが、達観したニヒリズムのようなものが全編を貫いているという印象でした。

 しかし、「遊べば遊ぶほどむなしく、集まれば集まるほど孤独になるのが現代だ、という気がする」と言いつつも、「そんな時代に、孤独から抜け出る道は、こういった共同の行為にしかあるまい」(「二十五メートルの砂漠」)と、何か他者との連帯に充実を見出そうとしていることを感じさせる部分もあります。

 「人間は、ある距離をおいて眺めている時がいちばん面白いようだ」としながらも(これは、現代若者気質にも通じるところだが)、「適当に離れて接する友人ほど長く続いている」(「光ったスカートの娘」)と書いています(因みにこの章で五木寛之がそのひたむきさを懐述している"光ったスカート"の女子高生というのは、デビュー当時の中尾ミエだった)。 

小立野.jpg 金沢という街をに対する愛着も随所に見られますが、「私はやはり基地を失ったジェット機でありたいと思う。港を持たぬヨット、故郷を失った根なし草でありたいと感じる」という言葉が最終回にあり、金沢を離れることを予感させています。

金沢・小立野付近

 '02年5月にKKベストセラーズから刊行された新装版で再読しましたが、装丁も綺麗でたいへん読みやすいものでした。また、巻末の立松和平氏との対談内容も、立松氏がこのエッセイを好きなことを知らなかったこともあり、これもたいへん興味深いものでした(作家というのは一般的には、存命している現代作家のエッセイに対して影響を受けたとかはあまり言わない傾向にあるのではないか)。

風に吹かれて2.jpg【1968年単行本・1973年愛蔵版[読売新聞社]/1972年文庫化[新潮文庫・講談社文庫]/1977年再文庫化[集英社文庫]/1984年再文庫化・1994年改訂[角川文庫]/2002年単行本新装版[KKベストセラーズ]】

風に吹かれて (角川文庫―五木寛之自選文庫 エッセイシリーズ)』 ['94年]

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