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屈折した人物像をリアリティをもって描き、自己疎外の1つの典型を示している。

『永遠の夫 (新潮文庫)』[旧装版(米川正夫:訳)/'06年新装版(千種堅:訳)]
岩波文庫(神西清:訳)
1870年、ドストエフスキーが40代後半で発表した小説で、『白痴』と『悪霊』の間に2ヶ月ぐらいで書き上げられた中篇ですが、男女の三角関係をモチーフに、人間の自尊心と情念の絡み合いを描いた"小説らしい小説"に仕上がって、平易な語り口でストーリー性も充分あり、面白く読めます。
かつて自分の妻を寝取られた中年男トルソーツキイが、妻の死後、その娘(実は彼の妻と不倫相手のヴェリチャーニノフとの間にできた子)を連れて、そのヴェリチャーニノフの住む町を訪れる―。
物語はヴェリチャーニノフの視点から書かれていて、帽子に喪章をつけて彼をつけまわす男(トルソーツキイ)の存在は不気味ですが、出会ってみると不倫相手の亭主だったということで、にも関わらず、その男が自分に対して友愛の情を示そうとしていることに困惑させられ、かえって疲弊する―。
「永遠の"寝取られ亭主"」トルーソツキイがヴェリチャーニノフに抱くはずの復讐の念は、彼自身の自尊心によって無意識に封じ込められ、過去の6年間の妻の不倫の間、彼にとってヴェリチャーニノフは "親友"であったという尊敬の念に近いものに置き換えられています。
自分のかなわないライバルが現れたとき、自尊心を否定してライバルを尊敬しそれに同一化しようとする行為を無意識にとる、しかし卑屈とも思えるその行為の底には、無理やり蓋を被せられた復讐心が渦巻いている、こうした屈折した心理構造を持つ人物像を、リアリティをもって描いていると思いました。
普通に見れば、"寝取られ亭主"という立場を甘受し、妻を寝取った相手を尊敬さえしてしまうトルソーツキイという男は、一種のマゾヒストでしょう。
しかし、その心理描写の妙だけでなく、それを通して、生身の人間の孕む自己矛盾を抉ってみせ、自己疎外の1つの典型を端的に示しているところが、巨匠の巨匠たる所以でしょうか。
トルソーツキイが"復讐"を意識していなくても結果としてヴェリチャーニノフにとっては"復讐"を被っているかたちになっており、また、ヴェリチャーニノフがずるずるとトルソーツキイとの関わりを深めていってしまうところが、この小説の面白いところではないかと思いました。
【1932年文庫化[岩波文庫(神西清:訳)]/1938年文庫化[新潮文庫(米川正夫:訳)]/1952年再文庫化[岩波文庫(原久一郎:訳)]/1979年再文庫化[新潮文庫(千種堅:訳)]】
