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迷宮「玉の井」を三重構造で描くことで、作品自体を迷宮化している。
『濹東綺譚』 新潮文庫
『濹東綺譚』 角川文庫
1937(昭和12)年に発表された永井荷風(1879‐1959)58歳の頃の作品で、向島玉の井の私娼街に取材に行った58歳の作家〈わたくし〉大江匡と、26歳の娼婦・お雪の出会いから別れまでの短い期間の出来事を描いています。
昭和初期の下町情緒たっぷりで、浅草から向島まで散策する主人公を(よく歩く!)、地図などで追いながら読むのもいいですが(「吉原」ではなく「玉の井」だから「濹東」なのです)、「玉の井」と名のつくものが地図上からほとんど抹消されているためわかりにくいかも知れません。
でも、土地勘が無くとも、流麗な筆致の描写を通して、梅雨から秋にかけての江戸名残りの季節風物が堪能できます。
〈わたくし〉は、種田という男を主人公に玉の井を舞台にした小説を書いているところ、という設定なっていて、その小説が劇中劇のような形で進行していき、では〈わたくし〉=〈作者(荷風)〉かと言うと必ずしもそうではなく、時に〈わたくし〉が小説論を述べたかと思うと、今度は〈作者〉が小説論的注釈をしたりと、〈作者(荷風)〉―〈わたくし(大江)〉―〈書きかけ小説の主人公(種田)〉という凝った三重構造になって、加えて、文末に「作者贅言(ぜいげん)」というエッセイ風の文章が付いているからややこしい。
荷風は外国語学校除籍という学歴しか無かったものの慶應義塾大学の教授を務めたりして、素養的にはインテリですが、この小説では衒学的記述は少なく、むしろ「玉の井」をラビラント(迷宮)として描くと同時に小説の構成も迷宮的にしているというアナロジイーにインテリジェンスを感じます。
高級官僚の子に生まれながらドロップアウトし、外遊先でも娼館に通ったというのも面白いですが、この"色街小説"は日華事変の年に新聞連載しているわけで、私小説批判で知られた中村光夫も、一見単なる私小説にも見えるこの作品を、「時勢の勢いに対する痛烈な批判者の立場を終始くずさぬ作者の姿勢が、圧政のなかで口を封じられた知識階級の読者に、一脈の清涼感を与えた」と評価しています。
「作者贅言」では、そうした全体主義的ムードを批判する反骨精神とともに、「玉の井」への〈江戸風情〉的愛着と急変する「銀座」界隈への文化的失望が直接的に表わされています。
「玉の井」も今はほとんどその痕跡がありませんが、荷風が中年期を過ごした麻布の家(『断腸亭日乗』に出てくる偏奇館)も、現在の六本木の「泉ガーデンタワー」裏手に当たり、当然のことながら家跡どころか当時の街の面影もまったくありません(一応、こじんまりとした石碑はあった)。
【1947年文庫化・1991年改版[岩波文庫]/1951年再文庫化・1978年改版[新潮文庫]/1959年再文庫化・1992年改版[角川文庫]/1977年再文庫化[旺文社文庫(『濹東綺譚・ひかげの花』)]/1991年・2001年復刻版[岩波書店]】
《読書MEMO》
●「濹東綺譚」...1937(昭和12)年発表
