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豊かな知識に裏打ちされながらも、知に走ることなく読者をキッチリ堪能させる。
『李陵・山月記 (新潮文庫)』
中島 敦 (1909-1942/享年33)
(表紙版画:原田維夫)
1943(昭和18)年発表の「李陵」は、中島敦(1909‐1942)のおそらく最後の作品と思われるもので、前漢・武帝の時代に匈奴と戦って敗れ虜囚となった李陵と、李陵を弁護して武帝の怒りを買い宮刑に処せられるも「史記」の編纂に情熱を注いだ司馬遷の生涯を併せて描いていて、淡々とした筆致の際にも、運命に翻弄された両者への作者の思い入れが切々と滲み出る作品。
とりわけ李陵について、同じく匈奴に囚われながらも祖国への忠節を貫いた武人・蘇武との対比において、最初は単于(匈奴の王)からの仕官の誘いを拒みつつも、誤報により祖国で裏切り者扱いにされて家族を殺され、やがて単于の娘を娶り左賢王となる彼の、蘇武のような傑人になれない自己に対する鬱屈が痛々しく、大方の人はこうした過酷な状況では蘇武のように生きるのは難しく、李陵のように中途半端な生き方をせざるを得ないのだろうけれど、これも紛れのない1つの人生なのだろうなあと思いました。

「山月記」は多分作者の最も有名な小説で、文体に無駄が無く美麗であることもあって国語教科書などでもよく採り上げられていますが、結構モチーフとしては幻想譚という感じで、作者はカフカの「変身」などを既に読んでいたそうですが、個人的には映画「キャットピープル」(リメイク版)などを思い出したりしました(詩人・李徴がトラに変身するところなどの描写は、簡潔だが生き生きしている)。
「弟子」は孔子と子路の交わりを人間臭く描いていて、一方「名人伝」も中国の古譚に材を得た作品ですが、名人同士が矢を放ってひじりがぶつかり合うなど、ここまでくるともうアニメの世界さえ超えている感じで(「HERO」('02年/中国・香港)など最近の特撮チャイニーズ・アクション映画みたい)、結末も含め少し笑えます。
新潮文庫版にはありませんが、この人には「文字禍」や「木乃伊」といった古代エジプトやアッシリアに材を得た作品もあり、特に「木乃伊」(かつて談社文庫版で読みましたが絶版になり、今はちくま文庫版などに所収)は、前世の自分のミイラと遭遇してそのミイラの生きていた時に転生し、さらにそれがまた前世の自分のミイラと遭遇し...というタイムトラベルSFみたいな話で、面白かったです。
豊かな知識に裏打ちされながらも、知に走ることなく読者をキッチリ堪能させる作品群であり、もっと長生きして欲しかったなあ、ホントに。
【1967年文庫化・1989年改版[旺文社文庫(『李陵・弟子・山月記』)]/1969年再文庫化[新潮文庫]/1973年再文庫化[講談社文庫(『山月記・弟子・李陵』)]/1989年再文庫化[角川文庫(『李陵・弟子・名人伝』)]/1993年再文庫化[集英社文庫(『山月記・李陵』)]/1994年再文庫化[岩波文庫(『李陵・山月記 他九篇』)]/1995年再文庫化・1999年改版[角川文庫(『李陵・山月記-弟子・名人伝』)]/2000年再文庫化[小学館文庫(『李陵・山月記』)]】
《読書MEMO》
●「山月記」「名人伝」...1942(昭和17)年発表
●「弟子」「李陵」...1943(昭和18)年発表
