【810】 ○ 氏家 幹人 『江戸藩邸物語―戦場から街角へ』 (1988/06 中公新書) ★★★★

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武士作法が、何のために、どのように形成され、武士社会にどんな影響をもたらしたかを探る。

江戸藩邸物語.jpg江戸藩邸物語―戦場から街角へ.jpg江戸藩邸物語―戦場から街角へ (中公新書)』〔'88年〕 増補版 江戸藩邸物語2.jpg 増補版 江戸藩邸物語 戦場から街角へ (角川ソフィア文庫)』['16年]

 "17世紀後半以降における武士社会の新しい作法"がどのように形成されたかを、福島・守山藩の江戸藩邸記録「守山御日記」や旗本・天野長重の教訓的備忘録「思忠志集」など多くの史料から辿っています。

江戸藩邸物語8.jpg 本書によれば、戦乱の時代が終わり徳川泰平の世を迎えても、自らの誇りが傷つけられれば恥辱を晴らすためには死をも厭わないという武士の意地は生きていて、ちょっとした揉め事や些細な喧嘩でも、斬り合いや切腹沙汰に発展してしまうことが多かったようです。

 しかし、例えば、道ですれ違いざまに刀鞘が触れたというだけで命の遣り取りになってしまう(所謂"鞘当て"の語源)というのではたまらないという訳で、そうしたトラブル防止策として江戸藩邸では、"辻で他藩の者とぶつかった場合の作法"など、武士としての礼儀作法のプロトコルを定め、藩士を教化したようです。

 それは、他藩や幕府との無用のトラブルを避けたいという藩邸の思惑でもあったわけですが、遅刻・欠勤の規約や水撒きの作法から(今で言えば"就業規則"か)、駆け込み人の断り方まで(いったん中に這入られてしまえば徹底して匿うというのはどこかの国の大使館と似ている)、何やかや仔細にわたり、そうした手続きやルールを遵守することが武士の武士たる所以のようになってきたようで、これは武士の官僚化と言ってもいいのかも(今の我々が職場マナーとか礼儀作法と呼んでいるもののルーツが窺えて興味深い)。

増補版 江戸藩邸物語.jpg 後半では、江戸の町に頻発した「火事」や悲喜劇の源であった「生類」憐れみの令が藩邸の閉鎖性・独立性を切り崩す契機になったという考察や、著者が造詣の深い当時の「男色」の流行とその衰退、また、当時「死(死体)」がどのように扱われていたのかなどの興味深い話があり、ただし、個別的エピソードを出来るだけ並べた本書の手法は、世相を鮮明に浮かび上がらせる効果を出す一方で、途中ちょっと食傷きみにも(もともと、多くのジャンルの話を1冊の新書に盛り込み過ぎ?)。

 天野長重の「武士道とは長生きすることと見つけたり」的な人生観が、マイナーでその後においても注目されることはなかったにせよ、江戸前期にこんな人もいたのだと思うと、少しほっとした気持ちになります。長重の時代には未だ、つまらない事で命の遣り取りをする―つまり「街角に戦場を持ち込んでいる」武士がそれだけ多くいたということだともとれますが。

増補版 江戸藩邸物語 戦場から街角へ (角川ソフィア文庫)』['16年]

【2016年文庫化[角川ソフィア文庫(『増補版 江戸藩邸物語―戦場から街角へ』)]】

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