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「●写真集」の インデックッスへ
フィールドリサーチの視点とともに、"肉体"に対する舐めつくすような視線を感じた。
『ヌバ―遠い星の人びと』〔'86年/新潮文庫〕/Leni Riefenstahl/『The Last of the Nuba』(邦訳タイトル『Nuba (1981年)』(30.8 x 23 x 2 cm))
'03年に101歳で亡くなった映画監督で写真家でもあったレニ・リーフェンシュタール(独:Leni Riefenstahl、1902-2003)は、還暦を過ぎてから突如アフリカに赴き、スーダンの山岳地帯に住む、ヌバ族の中で最も文明の影響を受けていない部族を何年にもわたって取材し、'71年にそれを写真集として刊行、それは世界的なベストセラーになりました。
本書はその写真を収めた新潮文庫の1冊で、ヌバ族の「無文字」文明の生活が、人類学的なフィールドリサーチの視点から文章でも記録されていますが、日本でもこの文庫に先行して、パルコの広告で知られる石岡瑛子(1938-2012/享年73)氏のアートディレクションのもと、写真集『NUBA』('80年/PARCO出版)として刊行されていて、ヌバの男女の肉体美や躍動美を捉えたショットの数々は、大いに話題になりました。
西武美術館『ヌバ』展(1980)
リーフェンシュタールはその後も71歳でダイビング・ライセンスを取得し、100歳まで潜り続けて水中写真集を出すなど超人的な活動をしましたが、この人には、かつてヒトラーの援助のもと戦意高揚映画を撮り、また、ベルリン五輪の記録映画として撮った「オリンピア(民族の祭典/美の祭典)」('38年)も、芸術的水準は高いながらも、結果的にはナチ思想に国民を傾倒させるメッセージとなったという過去があり、結局、ナチ協力者という烙印は亡くなるまで消えなかったように思われます。「オリンピア」で、アメリカの黒人陸上競技選手ジェシー・オーエンス(この五輪で四冠達成)の活躍ぶりを記録したシーンをナチスからカットするように言われ、それを拒んだという逸話もあり、その自伝においても「オリンピア」撮影中に、彼女を好ましく思わないヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相によって執拗に妨害されたと記していますが、公式記録にこうした妨害をうかがわせる記録は一切残っていないそうです(戦後、アメリカ軍とフランス軍によって逮捕されたが、非ナチ化裁判においては「ナチス同調者だが、戦争犯罪への責任はない」との無罪判決を得ている)。
本書の中で紹介されているヌバ族の、一夫多妻の婚姻形態や独特の死生観が色濃く滲む葬儀の模様は興味深いものでしたが、そうした彼らの習俗の中でも、男たちがその強さ競うレスリング大会のことが詳細に記されていて、また関連する写真も多く、未開の部族の人々の、生きることを通して鍛えられた"肉体"に対する彼女の舐めつくすような視線を感じました。
これらの写真を見ると、彼女は本当にこうした"肉体"の美を撮ることに執着し、また、その部分においてその才能は最も発揮されたように思え、彼女が「オリンピア」を撮った際に自分の政治的立場を自覚していたかについて、それを疑問視する見方があるのも頷ける気がします(ただ純粋に美しい肉体を撮りたかった?)。但し、欧州では、そうした"無自覚"こそが批判の対象となるのも確かです。
石岡瑛子(いしおか・えいこ)2012年1月21日、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内で死去。73歳