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「入門書」としてお薦めで、「参考書」的にも使える。殆ど、「実用書」のように読んでしまった。
『パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)』 ['04年]
米国精神医学会の診断基準「DSM-IV-TR」に沿った形で、10タイプのパーソナリティ障害を、境界性、自己愛性、演技性、反社会性、妄想性、失調型(スキゾタイパル)、シゾイド、回避性、依存性、強迫性の順に解説していますが、それぞれ「特徴と背景」「接し方のコツ」「克服のポイント」にわけて整理しているので、入門書としてもお薦めですが、後々も参考書的に使えるメリットがあります。
必要に応じて、有名人の例なども挙げているのがわかりやすく、こうした説明方法は、特定人物に対するイメージに引っぱられる恐れもあるのですが、その前に各パーソナリティ障害の説明にそれなりに頁を割いているので、全体的にバランスがとれているように思えました。
また、同じタイプの説明でも、例えば、「演技性パーソナリティ障害」では、チャップリン、ココ・シャネル、マーロン・ブランドの例を紹介していますが、この内、チャップリンが、他の2人と異なり、若いウーナとの結婚が相互補完的な作用をもたらし、実人生においても安寧を得たことから、人との出会いによって、パーソナリティ障害であっても人生の充実を得られることを示すなど、示唆に富む点も多かったです。
個人的には、職場で見ている「問題社員」が、本書の「自己愛性パーソナリティ障害」の記述にピッタリ当て嵌まるので、その部分を"貪るように"読んでしまいました。
こうした性格の人が上司や同僚であった場合の対処法としては、「賞賛する側に回る」ということが1つ示されていて、これが一番ラクなのかも(余計な仕事が増えたみたいな感じにもなるが)。
その内、上司もかわるかも知れないし(性格ではなく部署が)。
但し、同僚や年下の場合、ここまでやらなければならないの?という思いはあります(その点では、自分にとって満足のいくものではなかった。その「問題社員」は、職場の管理職ではなく、スタッフだったから)。
殆ど、実用書を読むように読んでしまいました。
《読書MEMO》
●「自己愛性パーソナリティ障害の人は非難に弱い。あるいは、非難を全く受け付けない。ごく小さな過ちであれ、欠点を指摘されることは、彼にとっては、すべてを否定されるように思えるのだ。(中略)自己愛性パーソナリティ障害の人は、非難されると、耳を貸さずに怒り出す。なかなか自分の非を受け入れようとはしない」
「自己愛性パーソナリティ障害の人は、人に教えられることが苦手である。彼はあまりにも自分を特別な存在だと思って、自分を教えることができる存在など、そもそも存在しないと思っている。ましてや、他人に、新米扱いされたり、叱られることは、彼の尊大なプライドが許さないのである」
「過剰な自信とプライドとは裏腹に、現実生活においては子供のように無能」(104‐105p)
● 「自己愛性パーソナリティの人が、上司や同僚である場合、部下や周囲の者は何かと苦労することになる。自己愛性パーソナリティの人は、仕事の中身よりも、それが個人の手柄として、どう評価されるかばかり気にしているので、本当に改善を図っていこうと努力している人とは、ギャップが生じてしまう。自己愛性パーソナリティの人は、自分の手柄にならないことには無関心だし、得点にならない雑用は、できるだけ他人に押し付けて知らん顔している。おいしいところだけ取って、面倒な仕事や特にならない仕事には近寄ろうともしない」
「ベラベラと調子のいい長口下を振るうが、機嫌が悪いと、些細なことでも、ヒステリニックに怒鳴り声を上げ、耳を疑うような言葉で罵ったり、見当はずれな説教をしたりするのである」
「自己愛性パーソナリティの人にとっては、自分の都合が何よりも優先されて当然だと思っているので、周りの迷惑などお構いなし...」(119p)
●「自己愛性パーソナリティ障害の人には、二面性があり、日向と日陰の部分で、全く態度が違う。うまくやっていく秘訣の一つは、その人の日向側に身を置くということである。それは、つまり、相手の厭な側面のことは、いったん問題にせず、賞賛する側に回るということである。そうすると、彼は自分の中の、すばらしい部分をわかる人物として、あなたも、その二段階下くらいには、列せられるだろう。こうして、あなたが、すばらしい自分を映し出す、賞賛の鏡のような存在になると、あなたの言葉は、次第に特別な重みをなすようになる。あなたが、たまに彼の意志とは、多少異なる進言を付け加えても、彼は反発せずに耳を貸すだろう。ただ常に当人の偉大さを傷つけないように、言葉と態度を用いる必要がある」(120‐121p)








後半は、同じくピンホールの特徴を生かして、東京などの都市の風景やそこに行きかう人々の姿をルポルタージュ風にとった"シティスケープス(Cityscapes)"というシリーズ写真が掲載されていて、背景は一転して殺風景な都会のものであるのに、スナップ風に撮られた(実際には、相当の露出時間がある)それらの写真には、前半からの流れで何となく"ホッと"させられるものもあれば、不思議な既視感や余韻を残すものあります。
前半部分は、日本人の郷愁に訴えかけるものがあり、レビンソン特有の「光と影の対話」「時間と存在」といったテーマを内在しながらも、レビンソンだけでなく多くのピンホール写真家が指向している「癒す風景」であるように思えます。


雑誌に連載され、映画('64年)にもなり、彼女の詩をもとにした「おかあさんのばか」という合唱曲まで出来ましたが、写真集としては、'65年に英語版("Why, Mother, Why?")で海外で刊行されました。
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木村伊兵衛(1901‐1974)
さらにそれらを、同じ時期に、都心部の街中を撮ったものと比べると、逆にこちらの方が時代の流れを感じ(高層ビルの陰に隠れたり土台になったりして、今は見えなくなっているスポットもある)、東北地方や下町の写真は、むしろ時間の流れが緩やかであるように感じられた面もありました(さすがに、戦前の下町のスナップなどは、古色蒼然としているが)。
昭和40年前後に各地で撮った地方の土着の人の写真の中には、漫画家つげ義春が自作(「ねじ式」)に用いているものもあります。
「母と子」 秋田・大曲 1959年.jpg)


『セクシー・ロボット』('88年)という画集で国内外に知られるようになった空山基(多くの人が、彼の描くメタリックな女性ロボットの絵、またはそのマネモノを見ているはず)ですが、「ガイノイド」とは、SF的発想に基づく機械人間系ロボット、つまりサイボーグの女性版とのことです。



有吉佐和子が亡くなる2カ月前に「笑っていいとも」の「テレフォンショッキング」に出演し、ハイテンションで喋りまくって番組ジャックしたのは有名ですが(橋本治氏によると番組側からの提案だったそうだが)、当時、本書にあるような箍(たが)が外れたような空想小説を大真面目に書いていたとは...。
著者によれば、躁の世界は光があっても影のない世界、騒がしく休むことを知らない世界で、最近では老年期にさしかかった途端にこうした状態を呈する人が増えているとのこと、タイプとしてある特定の妄想に囚われるものや、所謂「躁状態」になるものがあり、後者で言えば、(名前は伏せているが)黒川紀章が都知事選に立候補し、着ぐるみを着て選挙活動をした例を挙げていて、その人の経歴にそぐわないような俗悪・キッチュな振る舞いが見られるのも、躁の特徴だと(個人的に気になるのは、有吉佐和子、黒川紀章とも、テレビ出演、都知事選後の参院選立候補の、それぞれ2カ月後に亡くなっていること。躁状態が続くと、生のエネルギー調整が出来なくなるのではないか)。
岩波 明 氏(精神科医/略歴下記)

自殺したヘミングウェイが晩年うつ病でひどい被害妄想を呈していたとは知らなかったし、近親者にうつ病が多くいて、彼の父も拳銃自殺しているほか、弟妹もそれぞれ自殺し、孫娘のマーゴ・ヘミングウェイ(映画「リップスティック」に主演)までも薬物死(自殺だったとされてる)しているなど、強いうつ病気質の家系だったことを本書で知りましたが、うつ病を「心のかぜ」などというのは、臨床を知らない人のたわごとだと著者は述べています。
因みに、冒頭で取り上げられているマーゴ・ヘミングウェイが主演した映画「リップスティック」は、レイプ被害に遭った女性モデル(マーゴ・ヘミングウェイ)が犯人の男を訴えるも敗訴し、やがて今度は妹(マリエル・ヘミングウェイ)も同じ男レイプされるという事件が起きたために、自分と妹の復讐のためにそのレイプ犯を射殺し、裁判で今度は彼女の方が無罪になるというもの。
あまり演技力を要しないようなB級映画でしたが(マーゴ・ヘミングウェイが演じている主人公は、うつ気味というよりはむしろ神経症気味)、大柄でアグレッシブな印象のマーゴ・ヘミングウェイを襲うレイプ犯を演じていたのが、ヤサ男の音楽教師ということで(「狼たちの午後」('75年/米)でオカマ男性を演じてアカデミー助演男優賞にノミネートされたクリス・サランドンが演じてている)、このキャラクター造型は、今風のストーカーのイメージを先取りしていたように思います。
マーゴ・ヘミングウェイは、この後「キラーフィッシュ」(別題「謎の人喰い魚群」または「恐怖の人食い魚群」、'78年/伊・ブラジル)とかにも出ていますが(劇場未公開、'07年にテレビ放映)、B級映画専門で終わった女優だったなあ。

貝谷久宣 (かいや ひさのり)赤坂クリニック理事長(略歴下記)
著者は、パニック障害をはじめ不安障害を専門とする精神科医で、パニック障害の治療で知られるクリニックの理事長を務めるなど、社会不安障害の研究・治療の第一人者ですが、その著者が書いた「非定型うつ病」(かつて「神経症性うつ病」と呼ばれたタイプ)の本です。
但し、掲げられている13の症例の読み解きは、自分にはかなり難しく思え、それぞれ共通項も多いものの、症候の現れ方や治り方が多様で、他の病気や人格障害と重なる症状もあり、実際、医者に境界性人格障害などの診断を下されることもあるというのは、ありそうなことだなあと(こうなると、患者にすればもう、クリニックの選び方にかかってきて、そこで誤ると、症状を増幅しかねないということか)。



野村 総一郎 氏(防衛医科大学教授) NHK教育テレビ「福祉ネットワーク」 '05.05.28 放映 「ETVワイド-"うつに負けないで"」より
「うつ病」の入門書であり、「うつ病」を「うつ病性障害」、「双極性障害(躁うつ病)」、「気分変調症」の3タイプに分け、代表的症状をわかり易く解説していますが、この内「うつ病性障害」が「大うつ病」と訳されているのに対し、このタイプを「うつ病」と呼び、いろいろなタイプを総括した呼び名を「気分障害」とした方が良いのでは、といった著者なりの考えも随所に織り込まれています。

Dr. Theodore Millon






本書の前半部分は、「人格障害」の入門書として読み易いものでした。
引き続き、3群10タイプの人格障害を、妄想性、統合失調型(スキゾタイパル)、統合失調質(シゾイド)、自己愛性、演技性、境界性、反社会性、回避性、依存性、強迫性の順に、それぞれ典型的な臨床例を挙げて解説していますが、症例とは別に、ヴィトゲンシュタイン(シゾイド)、ワーグナー(自己愛性)、マドンナ(演技性)、ゲイリー・ギルモア死刑囚(反社会性)といった有名人に見られる人格障害の傾向を解説に織り込んでいたりして、興味深く読めます。
特にマドンナの"演技性人格障害"に関しては、「診断概念より、マドンナの方が、ずっと先をいっている」としています(『マドンナの真実』という本をもとにしているのだが)。
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笠原 嘉 氏(名大名誉教授)

Henri Cartier-Bresson (1908‐2004/享年95)
世界的な写真家アンリ・カルティエ=ブレッソン(1908‐2004)が亡くなる前月に刊行された作品集で、同じ岩波書店からその後も、彼の写真集『ポートレイト 内なる静寂』('06年)や『こころの眼』('07年)などが刊行されていますが、本書は「集成」と呼ぶにふさわしく、質・量とも圧巻で、30年代のスペイン・メキシコ旅行の際の写真から、第二次世界大戦中のフランス、大戦後のヨーロッパ各地、アメリカ、インド、中国、ソ連、インドネシアなどの撮影旅行の成果まで(この中には、欧米の大手ニュース雑誌の表紙を飾ったものも幾つかある)、幅広い作品が収められています(定価1万1千円。但し、増刷しないので、プレミアがついている)。

更には、文化人・有名人の肖像写真や(マルローやサルトル、ベケット、ジャコメッティ、マティスらを撮った写真は有名)、70年代以降、写真を離れて没頭したデッサン画(何となくドラクロア風)なども多く収められています。
これらの写真を見て、見ているうちに、必ずしも歴史的に知られたシークエンスでなくとも、その時代やそこに生きた人々への想いが湧いてくるのですが、どこまでが計算されているのか、よくわからない。きっと、充分に計算されているのだろうけども、普通の人間ならば、計算している間に"決定的瞬間"は過ぎ去っていってしまうわけで...。
と言うより、自らの名声にも過去の作品にも背を向け(「自分はフォ・トジャーナリストであったことは一度も無い」とも言っている)、プロヴァンスに引き籠って、画家になっているのです。
カルティエ=ブレッソンも木村伊兵衛もストリート写真からスタートした人ですが、こうした風貌の人の方が、対象にすっと受け入れられ易いのかも。
シテ島
赤ちゃんを流産・死産・新生児死で亡くした親たちの手記が紹介されている本で、'02年に刊行された際に反響を呼びましたが、特に同じ経験をした人から強い共感が寄せられたそうで、それだけ、同じ体験をし、独り悩んだり葛藤したりしている人が多いと言うことでしょうか。
死産や新生児死の場合、哀しみを受け入れ、それを乗り越える手立てとして、ささやかながらでも"葬送のセレモニー"を行うということが1つあるのではと、本書を読んで思いました。

