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サイコメトラーという際どいモチーフを上手く作品に織り込んでいるが、冗長さは否めない。strong>
『楽園 上』 『楽園 下
』 ['07年]
『楽園 上 (文春文庫)』 『楽園 下 (文春文庫)
』 ['10年]
「模倣犯」の事件から9年が経ったフリーライター・前畑滋子のもとに、一人息子を交通事故で失った荻谷敏子という中年女性が現れ、12歳で死んだその息子には特殊能力があったのかもしれない、少年は16年前に殺された少女の遺体が最近になって自宅の床下から発見されたという事件の前に、それを絵に描いていたという―。
『模倣犯』('01年)の続編という形をとっていますが、『理由』('98年)など、現代社会における家族の在り方をテーマにした作品の流れに近いように思いました。
仏教で、親が子より先に亡くなることを「順縁」と呼び、子が親に先立って亡くなることを「逆縁」と呼びますが、「逆縁」にめぐり逢った人は、何かしら宗教的なもの、超常的なものに惹かれ、時にそれが生きる支えになりことがあるといいます。
本作では、「サイコメトラー」という、現代推理モノとしては少し"際どい"とも思えるモチーフを、こうした人間の心理・心情に自然に呼応する形で上手く作品の中に織り込んでいるように思います。
但し、クライマックスに至るまでがあまりに冗長で、第4コーナーを回ったところぐらいからやっと"息もつかせぬ"展開になり、それまで焦らされた分だけカタルシス効果が大きいとも言えるのですが、そのクライマックス部分を手紙形式にしたことが、果たして効果的であったどうかも疑問が残りました。
文章自体は相変わらず読み易く、「冗長さ」を「きめ細かさ」ととればそれ自体は決して苦になるものではないけれども、新聞連載小説という枠組みの中で作品の「長さ」が予め既定され、それに合わせてやや引き伸ばし気味に書いているような感じがしたなあ、比較的単純なプロットの割には。
【2010年文庫化[文春文庫(上・下)]】









河合隼雄(1928-2007)がファンタジー系を中心とする多くの児童文学の名作を紹介・解説したもので、『「うさぎ穴」からの発信-子どもとファンタジー』('90年/マガジンハウス)として刊行したものを、「講談社+α文庫」に収めるにあたり改題・再編集したものです。














安部 公房 (1924-1993/享年68)

インド人に魔術を教えてもらう青年を通して、人間の欲深さと弱さを描いた作品で、童話のミッションである定型的な寓意を含んでいるものですが、宮本順子氏は、「この『魔術』という話は、誰しもが潜在意識の中に持ちうるデジャブ、すなわち、既視感そのもののように思えます。遠いどこかの私が、主人公といつの間にか重なってゆくのです」と述べています。
先に原作を読んでいると、絵本になった時に、どれだけ絵が良くても自分の作品イメージとの食い違いが大きくて気に入らないことがありますが、この宮本順子氏の絵は比較的しっくりきました。
池田亀鑑 

中村真一郎 (1918-1997/享年79)

前半、第1章で、なぜアメリカの貧困児童に「肥満」児が多いかという問題を取材していて、公立小学校の給食のメニューが出ていますが、これは肥って当然だなあと言う中身。貧困地域ほど学校給食の普及率は高いとのことで、これを供給しているのは巨大ファーストフード・チェーンであり、同じく成人に関しても、貧困家庭へ配給される「フードスタンプ」はマクドナルドの食事チケットであったりして、結果として、肥満の人が州人口に占める比率が高いのは、ルイジアナ、ミシシッピなど低所得者の多い州ということになっているらしいです。



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最後に、「おすすめ工場コンテンツ」というのがあり、工場を知るための入門書や、工場のイメージを効果的に使った映像作品、工場に親しめる小説などが紹介されていて、その中にはリドリー・スコット監督の映画「ブレードランナー」('82年/米)や笙野頼子氏の『タイムスリップ・コンビナート』('94年/文藝春秋)(これ、芥川賞作品の中ではかなり異色ではないか)などがあったりして、"系譜"と言えるかどうかは別として、「コンビナート」的な「構造美」に惹かれる部分は意外と多くの人が持っていて、ただそれが、無機的であるとか、大気汚染とイメージリンクしてしまうとかで、隠蔽されてきた面もあるかも。

また、映画「ブレードランナー」に関して言えば、'82年の公開時は大ヒット作「E.T.」の陰に隠れて興業成績は全く振るわなかったのが、後になってジワジワと人気が出てきたという経緯があり、当初カルトムービー的に扱われてたものが、やがてSF映画のメジャー作品としての市民権を得たという点や、ファンの多くが、映画のストーリーだけでなく、或いはそれ以上に、視覚的な背景などの細部に関心を持ったという点で、「工場萌え」ブームに共通するものを感じなくもありません。
但し、あの映画の妙は、未来都市にもダウンタウンがあり、ネオン塔や筆字体の看板などがあって、そこに様々な人種が入り乱れて生活したり商売したりしている"生活感"みたいなものがあった点なのだが...(80年代にシンガポールで見た高層ビルの谷間の屋台群を思い出した)、「工場」にはそうしたものが全くない―その、"純粋"機能美が受けるのかも知れませんが。


この「11 動物」はかなり読み込み(眺め尽くし)、他の動物図鑑などを読む契機にもなりましたが、今時の"図鑑"だったら多分、単独で1巻となるであろう「昆虫」も、この百科事典では「動物」の中に組み込まれていて、但し、これがなかなか詳しいです。
思えば、この事典の編集委員の中に昆虫学の大家・故古川晴男博士(1907-1988)がいたわけで、古川博士のポケット版の昆虫図鑑も愛用しました。.jpg)
ソフトバンククリエイティブの"サイエンス・アイ新書"の1冊で、ただ「宇宙の新常識」を100項目並べるのではなく、宇宙の生成、ダークマターとダークエネルギー、素粒子論と宇宙、最近の観測技術の進歩、太陽系について、宇宙飛行・宇宙開発のなど、テーマを大括りにして、それぞれについて、今までにわかっていることから、今後究明していく課題まで体系的に書かれているため、単なる「100問100答」というより1冊の入門書として読め、更に、直近の研究成果がふんだんに盛り込まれているほか、写真やグラフィックが各ページにあって、見た目にも充実しているという本。
でも、宇宙がどんなものでできているのかというのは、今のところ宇宙全体の4%ぐらいしかわからなくて、あとはダークマターが23%、ダークエネルギーが73%を占めるという―、ダークマターの構造などは推論されていますが、宇宙の4分の3近くを占めるダークエネルギーについては、質量を持っていないということぐらいしか判っておらず、人間は宇宙に関して、まだほんの一部しか知りえていないということを痛感させられます。
畑中 武夫 (1914-1963/享年49).jpg)


それにしても、夏目漱石、国木田独歩、島崎藤村、これに限らず多くの文豪たちは、俗字・宛字を実にふんだんに使っているなあと感心させられます。
'04年12月の1億2780万人をもって日本の人口はピークを迎え、'05年から減少に転じているわけですが、著者は「少子・高齢化で人口が減る」「子供が減り、老人が増える」「出生率が上がればベビーの数は増加する」といった、国内人口の減少に対する"通説"に論駁を加えるとともに、人口減少の理由として、生物学において動物の個体数減少の理由として提唱されている「キャリング・キャパシティー」(環境許容量が一杯になれば個体数は抑制される)という考え方を人類に敷衍し、但し、人間の「キャリング・キャパシティー」は動物と異なり人為的な文化的・文明的な容量であるため、そうした要素を勘案した「人口容量」として再定義したうえで、少子化の真因はこの「人口容量」の飽和化にあるとしています。
それぞれについてどういった種類のものがあるのか、「第1種疑似科学」を信じる人間の心理作用や「第2種疑似科学」が世の中にはびこる理由(これ、"健康"と"カネ"が結びついたものが多い)は何かを考察的に整理していますが、まあ、自分に関しては大丈夫かな、という感じで、「水の記憶」なんてバカバカしい"水ビジネス"もあるんだといった野次馬感覚で読み進み、著者の言っているそのワナに嵌まらないための"処方箋"というのも、真っ当過ぎてインパクトが弱いような気がしつつ読んでいました。
著者の新書版『マリリン・モンロー』('87年/岩波新書)は、著者自身によれば、モンローをめぐる「文化」についての本であって「伝記」を目指したものではなかったとしていますが、本書では、Ⅰ・Ⅱ章でモンローの生涯を前著より掘り下げ、多くの伝記や評論を参照しつつ、写真も豊富に交えて(表紙の"ジャンプするマリリン"もいい)より評伝風に記す一方、Ⅲ・Ⅳ章で、モンローの人間性と女優としての系譜を探るとともに、死後、彼女が「愛の女神」としてイコン(偶像)化される過程を、アンディ・ウォーホルの作品に代表されるようなアメリカ文化の展開と合わせて論じています。
文学者との関係において、前著ではノーマン・メイラーが重点的にとりあげられていましたが、本書ではその他に、アーサー・ミラー(モンローの最後の夫でモンロー主演の遺作「荒馬と女」のシナリオを書いている)、トルーマン・カポーティ(自作「ティファニーで朝食を」の主演にモンローを推したがハリウッドはオードリー・ヘップバーンを選んだ)なども取り上げています(アーサー・ミラーは大男、トルーマン・カポーティは小男だったのは初めて知った。モンローの好みは長身の男? 「荒馬と女」の撮影ではクラーク・ゲーブルに好意を寄せたようだし。もっとも、もう1人の共演者、モンゴメリー・クリフトはホモセクシュアルだったが)。
上のモンローとアーサー・ミラーの写真は、アーサー・ミラーが「荒馬の女」の撮影現場を訪れた時のものですが、この時はもう既に夫婦仲は冷え切っていたものになっていたようです。
映画自体はいかにも劇作家らしい脚本、砂漠で繰り広げられる心理劇という感じで、個人的にはイマイチでしたが、モンローの遺作となっただけでなく(1962年没(享年36))、クラーク・ゲーブル(1960年没(享年59))にとっても遺作となった作品で(ゲーブルはこの作品の公開前に亡くなっている)、モンゴメリー・クリフト(1966年没(享年45))もこの作品の公開後5年ほどで亡くなっていることに因縁めいたものを感じます。
「荒馬と女」●原題:THE MISFITS●制作年:1961年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・ヒューストン●製作:フランク・E・テイラー●脚本:アーサー・ミラー●撮影:ラッセル・メティ●音楽:アレックス・ノース●時間:124分●出演:マリリン・モンロー/クラーク・ゲーブル/モンゴメリー・クリフト/イーライ・ウォラック/セルマ・リッター/ジェームズ・バートン/エステル・ウィンウッド●日本公開:1961/06●配給:セントラル●最初に観た場所:大井ロマン (85-09-22) (評価:★★★)●併映:「白鯨」(ジョン・ヒューストン)
著者の最も言わんとしていることは、「マリリンの前にマリリンなく、マリリンの後にマリリンなし」ということであるように思えました。


著者によれば、美術評論の世界では70年代の「古色蒼然たる作品論・作家論が未だ幅を利かせて情報の更新を怠っている」とのことで、「誰もが知っている名画」ほど、ある意味「誰にも顧みられない名画」になっているとのこと、本書では、名画の背後にある歴史を紐解き、その絵が描かれた動機や意図を新たな視点から探っています。
更には、マネの「草上の朝食」は、写真技術の開発と一般への広まりに先駆けて撮影者の視点からスキャンダラスな要素を含ませながら計算づくで描いたもの、同じくマネの描いた「オランピア」に至っては、資本主義の台頭により社会も文化も偽善的な性倫理の上に成り立つようになっていく風潮を、娼館の女性を描くことでスキャンダラスに告発した確信犯的作品と言うことになるらしいです(著者の論を端的に解釈すれば)。
「古色蒼然たる作品論」にアンチテーゼを投げかける著者の意気込みはわかりますが、そうした周辺や背後の状況を知らねばこの絵は理解できないとなると、また新たな知識的権威主義に陥ってしまうので、そうしたことを知ることで、名画の違った側面が見えてくるという程度の捉え方でもいいのではないでしょうか。

サブプライム破綻の影響が最も大きかったのが、シティなど大手銀行に加えてメリルリンチなどの大手証券だったように、住宅ローンの証券化が背景にあったわけですが、問題が深刻化した原因は、それらに「モノライン保険会社」というもの(更には「格付け機関」)が噛んだ住宅ローンの「再証券化」によるものであった―。



亀井俊介・東大名誉教授
著者によれば、マリリン・モンロー(1926-1962/享年36)は、生きている間は「白痴美の女」と見られることが多かったのが、その死を契機として同情をもって見られるようになり、謀殺説などもあってハリウッドに殺された犠牲者とされる傾向があったとのこと。著者は、こうした、彼女を弱者に仕立て上げるあまり、彼女が自分を向上させていった力や、積極的に果たした役割を十分に認めない考えに与せず、確かにハリウッドの強制によって肉体美を発揮したが、それだけではなく、アメリカ娘の心の精華のようなものを兼備していて、それらが溶け合わさったものが彼女の永続的で普遍的な魅力であるとしています。 Mailer (1923-2007).jpg)
更に本書の特徴を挙げるならば、マリリン・モンローに強い関心を抱きながらも彼女に逃げられ続けたノーマン・メイラー(1923 -2007/享年84)のことが、少し偏っていると言ってもいいぐらい大きく扱われていて、これは、モンローとメイラーに"精神的な双生児"的共通点があるとしている論評があるのに対し、両者の共通点と相反部分を著者なりに解き明かしたもので、この部分はこの部分で興味深いものでした(メイラーは結局、モンローに会えないまま、モンローの死後、彼女の伝記を書いているが、モンローはメイラーに会うことで自分が何らかの者として規定されてしまうことを避けたらしい)。
本書の中で再三にわたり明かされているのが、モンローの頭の良さと天才的かつ自然な自己アピール力。
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トーマス・エドワード・ロレンス(1888-1935)がが第1次大戦後に書いた自伝『知恵の七柱(全3巻)』('68年/平凡社東洋文庫)の新訳の刊行が'08年8月からスタートしており、今もって根強い人気があるのかなあと。
英文学者・中野好夫(1903-1985)による本書は、ロレンスの死後5年を経た'40年に初版刊行、'63年に同名の映画の公開に合わせ23年ぶりに改訂・補筆されています(自分が読んだのは改訂版の方で、著者が改訂版を書いた時点でも、『知恵の七柱』の日本語訳は未刊だった)。
ロレンスを神格化しているという批判もあって(彼は実は英国の国益ためだけに行動したという説もある)、そうだったのかなと思って読み返しましたが、政治的動機はともかく、軍事的な天才であったことは確かで、とりわけ、アラブ人を組織化して戦闘ゲリラ部隊を創り上げてしまう才能は卓越しています。.jpg)

「アラビアのロレンス」●原題:LAWRENCE OF ARABIA●制作年:1962年●制作国:イギリス●監督:デヴィッド・リーン●製作:サム・スピーゲル●脚本:ロバート・ボルト●撮影:フレデリック・A・ヤング/ニコラス・ローグ ●音楽:モーリス・ジャール●原作:T・E・ロレンス 「知恵の七柱」●時間:207分●出演:ピーター・オトゥール/アレック・ギネス/アンソニー・クイン/オマー・シャリフ/ジャック・ホーキンス●日本公開:1963/12●配給:コロムビア映画 ●最初に観た場所:高田馬場ACTミニシアター(84-01-14)(評価:★★★★)●併映:「七年目の浮気」(ビリー・ワイルダー)/「フロント・ページ」(ビリー・ワイルダー) 映画チラシ (1970年/1971年/1980年 各リヴァイバル公開時)

