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事件にも女性たちにも人生の虚無を感じさせられるが、それが"悪くない"。
『カインの娘たち (ハヤカワ・ミステリ文庫)』 ['00年]
『カインの娘たち (ハヤカワ ポケット ミステリ)』 ['95年]
オクスフォード大学ウールジー・カレッジの元特別研究員が何者かに刺殺された事件の捜査をモース主任警部は同僚から引き継ぐが、行方不明になっていた最大の容疑者である博物館の係員が、同じく刺殺体となってテムズ河畔で発見され、この係員を殺す動機のあると思われる3人の女性には、堅牢なアリバイがあった―。
1994年末に発表されたコリン・デクスターの「主任警部モース」シリーズ11作目で(原題は"The Daughters of Cains")、"犯人探し"より"アリバイ崩し"をメインにもってきたような展開が斬新と言えるかも知れません。
13作シリーズの終わりから3作目で、アルコールとニコチンでモースの体調はますます良くないみたいですが、持ち前の頭脳と勘で、途中大きく方針転換することもなく、時間とともに事件の核心へ近づいていく感じ。
"The Daughters of Cain" (1994)
謎解きが好きな人には物足りないかも知れませんが、むしろ波乱が少ない分、随所にある作者特有のペダンティックな味付けや、モースと魅惑的な女性とのやりとりが楽しめます。
このシリーズ、後のものになればなるほど本格推理一本から人間(人情)ドラマ的な要素が加味されたのに推移していくため、本格推理ファンには初期作品の方が人気があるようですが、個人的には後期のものも好きです。
女性に感情移入しやすいところは相変わらずですが、女性からもモテるなあ、このオジさんは。
でも、結局最後は、事件に対しても女性たちに対しても、何か人生の虚しさのようなものを感じさせられる印象が残って、この虚無感みたいなものが、実は意外と"悪くない虚無感"というか、人生ってそうなんだよなあ、みたいにしみじみ共感してしまい、その点ではシリーズの後半の持ち味が出ている作品だと思いました。

テレビ版も観ましたが、娼婦役の女性は自分が抱いていたイメージと違って、原作より知的で洗練されているような感じがし(モースの気持ちが傾くのがわかる気がした)、終わり方も、原作の趣意は変えないまでも、モースがわざと未解決事件にしてしまったみたいな感じでしたが、それはそれで必ずしも悪い後味ではなかったように思えます。
テレビ版「主任警部モース」(カインの娘たち)
大学内での麻薬使用がモチーフに使われていますが、オクスフォードを舞台に実在の建物や施設を作品に織り込みながらも、オクスフォード大学に「ウールジー・カレッジ」というのは実在しないそうで、やはり、「麻薬」事件の舞台にするのに実名ではマズイと思ったのでしょうか(因みに作者はケンブリッジ大卒)。イギリスでは、大学って昔から麻薬売買の場だったのでしょうかね。
「主任警部モース/カインの娘たち」●原題:INSPECTOR MORSE:THE DAUGHTERS OF CAIN●制作年:1996年●制作国:イギリス●監督:ハーバート・ワイズ●脚本:ジュリアン・ミッチェル●原作:コリン・デクスター●時間:104分●出演:ジョン・ソウ/ケヴィン・ウェイトリー/ジェームズ・グラウト/クレア・ホルマン/ガブリエル・ロイド/フィリス・ローガン/アマンダ・ライアン●日本放映:2001/05 (NHK-BS2)(評価:★★★☆)

「主任警部モース」Inspector Morth (英ITV 1987~2000)○日本での放映チャネル:NHK-BS2(2001)/ミステリチャンネル(2003~2004)
【2000年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫]】




本作は、プロットだけではなく、英国風のペダンティシズムや気の利いた会話表現が楽しめるもので、他の殆どの主要作品と同じくテレビドラマ化('95年)もされています。



川上未映子 氏





パリ郊外の飛行クラブでインストラクターをしているパイロットのマヌー(アラン・ドロン)と新型エンジンの開発に熱中する元エンジニアのローラン(リノ・ヴァンチュラ)のもとに、芸術家の卵である前衛彫刻家レティシア(ジョアンナ・シムカス)が現れ、2人とも彼女に恋心を抱くが、やがて3人はアフリカの海底に5億フランの財宝が眠っているとの話を聞き、共にコンゴの海に旅立つことに―。
やはり、ちょっと胴長のジョアンナ・シムカス(当時24歳)の明るさが効いていて、周囲を巻き込んでしまう―それだけに、彼女が演じるレティシアが亡くなってしまうのが哀しく、そこから本来のリノ・ヴァンチュラとアラン・ドロン(当時32歳)の哀愁を帯びたギャング映画みたいなトーンになるといったところでしょうか。
リノ・ヴァンチュラ(1919-1987)は、俳優になる前はレスリングのヨーロッパ・チャンピオンだったそうですが、この映画での彼は、最近の俳優で言うと、ジャン・レノなどに通じるものがあるなあと勝手に思ったりしました。
「冒険者たち」●原題:LES AVENTURIERS●制作年:1967年●制作国:フランス●監督:ロベール・アンリコ●脚本:ロベール・アンリコほか●撮影:ジャン・ボフティ●音楽:フランソワ・ド・ルーベ●原作:ジョゼ・ジョヴァンニ「生き残った者の掟」●時間:112分●出演:アラン・ドロン/リノ・ヴァンチュラ/ジョアンナ・シムカス●日本公開:1967/05●配給:大映●最初に観た場所:有楽町・ニュー東宝シネマ1(77-11-24)●2回目:テアトル池袋(84-11-11) (評価:★★★★) ●併映(2回目):「カリブの熱い夜」(テイラー・ハックフォード)





私の夢に現われる母。それは、40数年前に私が生まれた祖父の家。うっそうと茂る立木に囲まれた家の中で、母は、盥に水を入れ、髪を洗っている。鏡に映った、水に滴る母の長い髪が揺れている。あれは1935年田舎の干し草置場で火事があった日のこと。その年から父は家からいなくなった―。(「タルコフスキー映画祭」チラシより)
'75年に作られたこの作品は、アンドレイ・タルコフスキー監督(1932‐1986)の自伝的映像詩と言えるもので、映画は作者である"私"自身の語りと共に進行し、作者が胸に秘めた母への思いや、別れた妻や息子との間に織りなされる感情の綾を意織下の過去と現実を交錯させながら浮かびあがらせています(実際のナレーションは名優インノケンティ・スモクトゥノフスキーが担当している)。 
夢のシーンが多くあるため映像が神秘的であり、それでいて、現実にあった出来事も含まれ、それらが自然に溶け合い、母親や別れた家族への想いが作者の悔恨の情と共に切々と伝わってきます。
少年(子供の頃の作者)が見る夢などの超常的なシーンは「惑星ソラリス」('72年)を想起させ、水を映したが映像が多い点では「ストーカー」('79年)を、火事のシーンは「サクリファイス」('86年)を想起させますが、それらの作品が、そのテーマが大きさのため観る者に相当の想像力を要求しているようにも思えるのに対し(特に「ストーカー」と「サクリファイス」は状況設定と実際の映像にギャップがあり、個人的には観ていて疲れた)、この「鏡」は、作者の母親や妻をモチーフにしていることもあって、しっくりと、また、しみじみと心に響きました。

Movie Poster of Sunset Boulevard (1950)
売れないハリウッドの脚本家ジョーは借金取りから逃れる途中サンセット大通りの荒れた邸宅に迷い込むが、そこには、サイレント時代の大物ハリウッド女優ノーマが執事と2人で住んでいた。映画界へのカムバックを図るノーマは、自ら書いた脚本の手直しをジョーに依頼し、彼を住み込ませて仕事をさせるが、2人の関係はやがて仕事を超えたものとなり、自分を独占しようとするノーマに嫌気がさしたジョーは屋敷を出て行こうとする―。
グロリア・スワンソンに限らず、サイレント時代の名優が多く出ているのがこの作品の特徴で、執事役のエーリッヒ・フォン・シュトロハイムもそうだし、更にはノーマ邸でトランプゲームに興じる「かつての大物俳優達」も、喜劇王バスター・キートンをはじめ皆サイレント映画時代のスター達がカメオ出演しています。
この映画のオープニングは、最初はモルグ(死体置き場)で死体同士が、自分が死んだ経緯を語り合うというシュールなものが用意されていたそうですが、プールにうつ伏せに浮かんだ主人公ジョーの死体のモノローグから始まるというのもやはり奇抜だと思いました。

米国公開示ポスター 
カリブ海にある仏領マルチニック群島のある島で観光用チャーター・ボートの船長をしているハリー(ハンフリー・ボガード)は、ホテル歌手のマリー(ローレン・バコール)に彼女がアメリカへ帰るための金を渡すため、レジスタンスのリーダーを逃がす仕事を請け負うが、ハリーが密航を幇助したと考えた島の警察が彼の仲間を拉致して拷問したことを知り、怒りを爆発させる―。
アーネスト・ヘミングウェイが1937年に発表した小説『持つことと持たざること(To Have & Have Not)』が原作で(脚本は、同じくノーベル賞作家のウィリアム・フォークナー)、ヘミングウェイは1926年発表の『日はまた昇る』以降、より正確には1927年刊行の『男だけの世界』から、その短編集のタイトル通りマチズムの傾向を強めていますが、この作品もその例に漏れるものではなく、一方で、この『持つことと持たざること』というタイトルは主に「貧富の差」のことを言っており、彼の作品に社会的傾向が最も見られた時期のものでもあります。
原作の舞台はキーウエストやキューバになっており、それが仏領マルチニックに変えられたとしても、第2次世界大戦(ビシー政権下)の話なので仏領の島にドイツ傀儡政府の手先がいてもおかしくないのですが(この映画の制作年は1944年)、原作の社会的色合いは後退し、ハンフリー・ボガードの男気、乃至は、ローレン・バコールとのロマンスが前面に出ています。
この映画での共演を機に2人は結婚し、その結婚生活はボギーの死まで続きますが、考えてみれば、雑誌のカバーガールからスカウトされたローレン・バコールは、この作品がメジャー作品初出演だった(公開示のポスターでは下隅に小さく名前があるだけ)―それにしては、スクリーン上の彼女は貫禄充分と言うか、25歳年上のボギーと堂々と渡り合っているように見えました。
『ローレン・バコール/私一人』によれば、ボギーが亡くなるその朝、出かける妻ローレン・バコールに声をかけた「バイバイ、キッド」が彼からの最後の"別れの言葉"になったそうですが、これは「脱出」でバコールが演じた歌手マリーの愛称だったとか。

「
ポスター
サーカス小屋の小人のハンスは、空中ブランコ乗りのクレオパトラに夢中だが、彼女は気のある振りをして彼を弄んでいるだけで、ところがある日ハンスが莫大な遺産を相続したことがわかると、今度は、強欲な彼女は怪力男ヘラクレスと謀ってハンスを騙して結婚し、彼を殺して財産を奪おうと毒を盛る。しかし、ハンスの仲間達がそれを見破り、ハンスは仲間達と共に2人への復讐に立ち上がる―。
フリーク(畸形)のオンパレードで、シャム双生児、ガリガリの「生きる屍」男、髭女、半陰陽(ふたなり)、鳥のような顔をした男、小頭症の姉妹、下半身のない男、手足がない男...etc.と次から次へと出てきて、この作品はアートシアター新宿(ジュク)の定番プログラムだったのですが、近所の花園神社の大酉祭の見世物小屋の(ここで"牛女"と"蛇女"なるものを見たことがあるが)レベルどころではない。

デヴィッド・リンチの「エレファント・マン」('80年/英)を観た時も、最後は大いに感動しました。

「
Erich von Stroheim
最後の男2人の死の谷での死闘は、モノクロ画面のお陰で却って灼熱感があり壮絶で、その後の「莫大な金はあっても一杯の水が無い」という "落ち"は確かに皮肉が効いていますが、映画全体としてはむしろ、大金を手にしたトリーナが、それを無駄遣いしてはならない思いから、いつの間にか常軌を逸した吝嗇家になっていく様の方が印象的で、こっちの方が人間心理の怖さを表しているかも知れないと感じました(この監督は女性をシニカルに描く傾向にある?)。
「
南北戦争を舞台にした機関車追跡劇で、キートンが機関士を務める蒸気機関車の名前が「将軍(General)」。愛する機関車を北軍に奪われ、彼は別の機関車で追走するが、その奪われた機関車には彼の恋人も乗っていた―。

キートン演じる破産寸前の青年実業家のもとにある日見知らぬ弁護士が訪れ、27歳の誕生日の午後7時までに結婚すれば700万ドルの遺産が彼に与えられるという親戚の遺言書を示すが、その誕生日というのは何と今日だった! 彼の"想い娘"は金目当ての結婚は嫌だと言い、仕方なく新聞にその旨の「花嫁募集」広告を出したところ、7000人もの花嫁候補に追われる羽目になる―。
キートンがウェディング・ドレスを着た大勢の花嫁候補に追いかけられるシーンは、彼のスラップスティック・コメディの真骨頂ですが、それ以上にスゴイのが、丘陵地に差し掛かったところで、花嫁が岩に転じたのかどうかよくわからないけれども、ゴロゴロ転がり落ちてくる無数の巨大岩石(全部で1500個)を彼がよけるシーンで、コメディとしてもそうですが、それ以上にアクション映画としてスゴイ!
「
岩波ホール公開時ポスター・パンフレット (1975) 
川端康成や横光利一ら、当時「新感覚派」と呼ばれた若い才人たちが脚本に参加して生みだした実験的無声映画。
主人公の小間使いは宝くじで一等賞を獲った空想し、また、娘の結婚式を空想する。そして、最後に患者たちがオタフクのお面をつけることを空想する―(これは、主人公の空想だと思うが...。公開時には徳川無声などが弁士としてついて、この辺りの解説をしたらしい。別録りされていないのかなあ)。
精神病院という限定された状況設定は、ピーター・ブルック監督の「マラー/サド」('67年/英)とちょっと似ているなあと思いました(正式邦題は「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」という長いもの。原題もギネスに世界最長大映画タイトルとして登録されている)。
その劇を檻の外から観る観客がいて、劇中劇の様相を呈していますが、演じているのは皆役者だったんだなあ(半分ぐらい、本当の患者が混ざっているのかと一瞬思ったが、そんなわけないか)。
「マラー/サド」(「「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントレ精神病院の患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」」)●原題:MARAT/SADE(The Persecution and Assassination of Jean-paul Marat as Performed by the Inmates of the Asylum of Charenton Under the Direction of the Marquis De Sade)●制作年:1967年●制作国:イギリス●監督:ピーター・ブルック●脚本:ペーター・ヴァイス/エイドリアン・ミッチェル/ジェフリー・スケルトン●撮影:デヴィッド・ワトキン●音楽:リチャード・ピアスリー●原作:ペーター・ヴァイス●時間:119分●出演:パトリック・マギー/グレンダ・ジャクソン/マイケル・ウィリアムズ/クリフォード・ローズ/フレディ・ジョーンズ/ヒュー・サリバン ●日本公開:1968/11●配給:ユナイト=ATG●最初に観た場所:三鷹オスカー(79-04-08)(評価:★★★?)●併映:「叫びとささやき」(イングマル・ベルイマン)
映画パンフ
「無人の野」
「岩波ホール」公開時ポスター (1982.08)
舞台はベトナム戦争後期の1972年のメコンデルタ。葦の茂る水上家屋に住む若い家族(夫婦は解放戦線の連絡員をしている)の愛情溢れる暮らしと、命の危険に晒されながらも連絡員としての任務を果たそうとするしたたかな様を、リアルに描いています。
ああ、こうしてアメリカ軍の侵攻を阻んだのだなあと思わせる"戦術解き明かし"のような内容ですが、最後に夫がヘリに囲まれて悲劇が―。
「兵士トーマス」チラシ
クライテリオン版DVD
シナリオ付パンフレット (「シネ・フロント」別冊)
第二次世界大戦中、イギリスに住むごく普通の二十歳の青年の元に召集令状が届く。彼が両親に別れを告げて戦地に赴き、ノルマンディ上陸作戦において戦死するまでを、ドキュメンタリーフィルムを交えて淡々と描いた佳作。
モノクロですが、膨大な量を誇る大英帝国戦争博物館の未公開フィルムがふんだんに使われていて、ラストのノルマンディの戦闘シーンは、実際の空爆の映像なども交え、兵士の視点からの臨場感にあふれたものとなっています。.jpg)
パンフレット/ポスター
「アルジェの戦い」とは、フランスの支配に対するアルジェリアの独立戦争(「アルジェリア戦争」)を指しており、1954年11月、首都アルジェのカスバでアルジェリア民族解放戦線が蜂起したことから始まったアルジェリア人民の抵抗運動の火は、アルジェリア全土からヨーロッパの街頭にまで及んで至る所で爆弾闘争へと発展していき、1962年にアルジェリアは独立を果たします。
爆弾闘争のシーンが多く、最初観たときは戦時中のニュース映像ではないかとも思いましたが(その外にも記録フィルムなのか演出なのか判別がつかない部分が多くあったが)、建物の爆破シーンなどは、撮影用に家を新築し、それを1件1件爆破していったとのこと。