2009年1月 Archives

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「○外国映画 【制作年順】」の インデックッスへ 「○都内の主な閉館映画館」の インデックッスへ(飯田橋佳作座)

構成はシンプルだが(登場人物3人)、ポランスキーの最高傑作ではないか。

水の中のナイフ.jpg  NOZ W WODZIE poster.jpg  水の中のナイフ ビデオ.jpg   水の中のナイフ1.jpg 
ポランスキースペシャルDVDコレクション 「水の中のナイフ」 「反發」 「袋小路」」/「水の中のナイフ [DVD]

NOZ W WODZIE.jpg ワルシャワでスポーツ記者をしている男が、美しい妻と週末をヨット・クルージングで過ごすため、妻の運転するクルマで湖に向かっていたが、森道でヒッチハイクの若者に出会い、妻に言われて渋々彼をクルマに乗せることに。
 若者の強気な態度が気に入らない夫は、挑発するかのように若者をヨットに誘い、ヨットの船上で3人は、一旦はうち解けてクルージングを楽しむかのようにみえたものの、次第に妻を間に挟んで張り合う2人の男の心の均衡が崩れていく―。

 夫は36歳という設定ですが、裕福な知識階層に属するとみていいでしょう。クルージングは、夫婦の恒例の週末の過ごし方になっているが、ある意味、惰性的に続いているもので、彼らの日常の延長に過ぎない―、そこに闖入してきた若者の方は、しがないヒッチハイカー。
 女性を巡っての男2人の心理的対峙が、貧富の差、世代の違いを背景に、ヨット上という密室の中で緊張感を持って展開されていきます。

NOZ W WODZIE1.jpg 夫が敢えて若者をヨットに誘ったのは、自らが「持てる者」であることを見せつけるためであり、ヨットに乗り込んで「船長」となることで、彼の自我は一層肥大する―、しかし、夫との倦怠期にある妻は、自慢話をする夫より、むしろ心情的には若者の方へと気持ちが靡いていっているように見え(彼女は努めてそのことを表面には出さないようにしているが)、そうした妻にやけに優しい若者を見て、夫は雑用を言いつけるなどして彼を使役する―。

 若者が持つ愛用のナイフは彼のアイデンティの象徴であるとも言えますが、それを夫が隠したことから2人の男は争いとなり、激昂した夫は若者をハズミで船外へ突き落としてしまい、"泳げない"彼は浮か上がってこない―、しかし、そこには若者の"芝居"があり、夫が妻との口論の末に助けを呼びにいくため湖に飛び込むのと入れ替わりで、彼はヨットに戻ってきて、その若者を妻はなじるが、やがて受け容れる―。
NOZ W WODZIE2.jpg
 夫婦の日常の心理的な隔たりが、第三者の闖入という特殊な状況下で露呈するという展開であるとともに、この出来事が夫婦の破局ではなく、こんなこともあったりして、それでも夫婦生活は続いていくのだなあ、みたいな終わり方になっている点にリアリティがあり、見方によっては、将来の破局を暗示しているというより、両者の絆を強めるという結末に繋がっているように思われるところがこの作品のミソかも。

 ヨットに戻ってからの若者からそれまでの尖がっていた感じが消えて、母親に甘える子供のようになってしまう点も、結末に納得感を持たせることに寄与しているように思えました(要するに、妻の眼から見ればこの若者は"子供"のようなものであり、"伴侶"たり得ないと)。

NOZ W WODZIE3.jpg ロマン・ポランスキーの実質的な長編デビュー作で、ポーランドで撮った最後の作品ですが(以後「戦場のピアニスト」('02年)までの40年間、祖国で映画を撮ることはなかった)、彼の名を世に知らしめたもので、脚本・演出が見事なだけでなく(妻役のヨランタ・ウメッカは女優ではなく美術学校の学生だった)、森の中や湖上を撮ったモノクロームの映像がどれをとっても美しくて絵になっており(カメラのイエジー・リップマンはアンジェイ・ワイダ監督の「地下水道」('56年/ポーランド)でも撮影を担当しており、あの映画もカメラワークが素晴らしかった)、構成はシンプルですが(登場人物3人だから...)トータル的に見てポランスキーの最高傑作と言ってもいいのではないでしょうか。
Jolanta Umecka

飯田橋佳作座.jpg「水の中のナイフ」●原題:NOZ W WODZIE(A KNIFE IN THE WATER)●制作年:1962年●制作国:ポーランド●監督:ロマン・ポランスキー●製作:ジュゼッペ・アマト/アンジェロ・リッツォーリ●脚本:ロマン・ポランスキー/イエジー・スコリモフスキー/ヤクブ・ゴールドベルク●撮影:イエジー・リップマン●音楽:クリシトフ・コメダ●時間:94分●出演:レオン・ニエムチック/ヨランタ・ウメッカ/ジグムント・マラノウッツ●日本公開:1965/06●配給:東和●最初に観た場所:飯田橋佳作座(81-05-24)(評価:★★★★☆)●併映:「大理石の男」(アンジェイ・ワイダ)
 飯田橋佳作座 (神楽坂下外堀通り沿い) 1988(昭和63)年4月21日閉館

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「○外国映画 【制作年順】」の インデックッスへ

ラストの鮮烈なコントラストによる象徴表現には充分な説得力と余韻がある。

甘い生活.jpg甘い生活 デジタルリマスター版 [DVD]」 甘い生活 ポスター.jpg 「甘い生活」 チラシ

甘い生活 1シーン.jpg 作家志望の夢を抱いてローマに出てきたマルチェロだったが、夢破れて今はしがないゴシップ記者に。エンマ(イヴォンヌ・フルノー)という娘と同棲しながらも、ナイトクラブで富豪娘(アヌーク・エーメ)と出会ってホテルで一夜を明かしたり、ハリウッドのグラマー女優(アニタ・エクバーグ)を取材がてら、彼女と野外で狂騒したりし、エンマは彼の言動を嘆く―。

 マルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Mastroianni、1924-1996/享年72)の名声を一気に高めた作品で、主人公の"マルチェロ"をその名の通り演じているけれども、まさにハマリ役。

 "マルチェロ"の仕事は要するに"パパラッチ"と呼ばれるもので、乱痴気と頽廃に支配された街ローマを象徴するような仕事であり、同時に爛熟したローマの現況の「語り部」的役割も果たしているようです。

Anita Ekberg
Anita Ekberg.jpg 冒頭にある、キリスト像をヘリコプターで吊るして低空飛行するというカトリック主催のイベント(このシーン、ローマカトリックの猛抗議に遭ったそうだ)の取材から始まり、場末の村で子供が「聖母を見た」という"現代の奇蹟"話があれば、多くのマスコミ取材陣と共に現場へ駆けつける、という何か騒がしいばかりで中身のない日々。

 主人公のマルチェロは元々プレイボーイなのですが、虚しい仕事ばかりで心身は疲れきっている―。それでも、仕事絡みで深夜にアニタ・エクバーグみたいな女優とトレビの泉で戯れたりすることが出来るのであれば、結構"役得"ではないかとも、そのような僥倖に巡り合ったことの無い自分などは傍目に思ったりするのですが、マルチェロの場合はそれでもどこか満たされない思いがあるようで、実際、彼の周囲の人も幸せになる人は少なくなり、彼自身も"甘い生活"に浸れば浸るほど不幸になっていきます。

アラン・キュニー.jpg マルチェロにもメンター的存在であった友人(アラン・キュニー)がいて、マルチェロもいつかは彼らのような安寧の生活を送りたいと思っていたのですが、その友人夫婦がある日突然に自分達の子供を道連れに一家心中したという事件があり、このことが彼にとってあまりにショックであったために、自らの人生を見直させる契機にはならず、むしろ虚無感を増幅させたと言えるかと思います。

少女.jpgei.jpg マルチェロが海辺の別荘で仲間らと遊び耽り、翌朝、享楽に疲れ果てた体のほてりを醒ますために出かけた浜辺に、醜悪な怪魚(エイ?)が打ち上げられていて悪臭を放っている。
 小さな浅干潟を隔てたその向こうに、顔見知りの可憐な少女がいて、マルチェロは声かけるが潮風にかき消されて彼女には届かない―。

Marcello Mastroianni
Marcello Mastroianni in La dolce vita.jpg 腐りつつある「醜悪な怪魚」はマルチェロ自身の今の姿であり、少女がいる「静謐な世界」は、自分がそこに行くことを望んでももはや達し得なくなってしまった場所であるという、ラストシーンの、鮮烈なコントラストを以って示した象徴表現には充分な説得力と余韻があり、自分自身もマスコミ業界にいたことがありますが、そうした"ギョーカイ"の人がこのラストを観たら、なおのことグッと迫るものがあるのかも知れません。

 逆に言えば、干潟を渡って少女の所へは行かず、また仲間達の所へ戻ってしまうであろう(戻っていくしかない)マルチェロだからこそ、我々俗人の目から見て、その哀しみに共鳴できるのかも。
 

「甘い生活」 パンフレット (2001年リバイバル公開時)/輸入版ポスター
甘い生活 .png甘い生活 輸入版ポスター.jpg「甘い生活」●原題:LA DOLCE VITA●制作年:1959年●制作国:イタリア・フランス●監督:フェデリコ・フェリーニ●製作:ジュゼッペ・アマト/アンジェロ・リッツォーリ●脚本:フェデリコ・フェリーニ/エンニオ・フライアーノ/トゥリオ・ピネッリ/ブルネッロ・ロンディ●撮影:オテッロ・マルテッリ●音楽:ニーノ・ロータ●時間:174分●出演:マルチェロ・マストロヤンニ/アニタ・エクバーグ/アヌーク・エーメ/バーバラ・スティール/ナディア・グレイ/ラウラ・ベッティ/イヴォンヌ・フルノー/マガリ・ノエル/アラン・キュニー●日本公開:1960/09●配給:イタリフィルム●最初に観た場所:カトル・ド・シネマ (81-06-06)(評価:★★★★☆)

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「○存続中の映画館」の インデックッスへ(俳優座シネマテン(俳優座劇場))

トランティニャンの未亡人相手の2作。ロッシ・ドラゴが"凄い"「激しい季節」とCFを観ているような「男と女」。

Estate Violenta2.jpg 「ESTATE VIOLENTA(激しい季節)」 ビデオ(海外版) 男と女 DVD.jpg 「男と女 [DVD]

Jean-Louis Trintignant & Eleonora Rossi Drago
rEstate Violenta.jpg 「激しい季節」(Estate Violenta、'59年/伊)の舞台は1943年のアドリア海に面した高級避暑地。別荘に滞在する上流階級の娘(ジャクリーヌ・ササール)が、パーティーの場に現れたファシスト党高官の息子(ジャン・ルイ・トランティニャン)に恋をするが、彼の方は浜辺で知り合った海軍将校の未亡人(エレオノラ・ロッシ・ドラゴ)に惹かれ、2人は深い関係に―。

 それを知った娘ジャクリーヌ・ササールは泣きながら去り、後半は、ムッソリーニ政権の崩壊、新政権の誕生、イタリアの降伏という動乱の戦局の下、刹那的な恋に激しく燃える高官の息子トランティニャンと未亡人ロッシ・ドラゴの愛と別離が描かれています。

 とにかく、未亡人役のエレオノラ・ロッシ・ドラゴの魅力(色香)がその眼差しからボディに至るまで凄く、それまであまり脱がない女優だったそうですが、この映画に関しては、検閲でカットされている部分もあるぐらいで、彼女は'07年12月に82歳で亡くなっており、考えてみれば相当旧い映画なのですが、何か"今風"のセクシーさを醸す女優でした(この映画に出演した時は33、4歳ぐらい)。

Valerio Zurlini Estate violenta 2.jpgValerio Zurlini Estate violenta.jpg 2人の「出会い」は海岸で、独軍機の威嚇飛行に人々が怯え逃げる際に、転んで泣いていた幼子をトランティニャンが助けたのが、ロッシ・ドラゴの娘だったというもの、「別れ」は、トランティニャンが兵役逃れを図りロッシ・ドラゴと逃避行を図る際に、列車が米軍機の爆撃を受け大勢の死者が出て、その中にその娘の亡骸を見つけて、彼女が現実に(乃至"罪の意識"に)目覚めるという、「出会い」も「別れ」も共に「爆撃機」と「娘」が絡んだものです。

 戦時下の恋の物語ですが、当時のイタリアの上流階級の一部は、そうした戦局の最中に合コンみたいなパーティーをやったり、海水浴に興じたりしていたというのは、実際の話なのだろうなあと(集団的な"刹那主義"的傾向?)。
 この作品は日本ではDVD化されていないし、元々ビデオにもなっていないけれど、なぜだろう。

「男と女」 ポスター/パンフレット
男と女 ポスター.bmp男と女 パンフレット.png 「男と女」(Un homme et une femme、'66年/仏)もジャン・ルイ・トランティニャンが未亡人(スタントマンの夫を目の前で失った女アヌーク・エーメ)に絡むもので、こちらはトランティニャン自身も妻に自殺された男寡のカーレーサーという設定で、2人が知り合ったのは互いの子供が通う寄宿学校の送り迎えの場という、「激しい季節」同様に子供絡みです。

 ストーリー的には結構俗っぽく、トランティニャンが鬱々として煮えたぎらずしょぼい恋愛モノという印象しか受けないのですが、例の「ダ〜バ〜ダ、ダバダバダ、ダバダバダ」というフランシス・レイのボサノバ調のテーマ曲と共に間に挿入されるイメージフィルムのような映像が美しく、クロード・ルルーシュはコマーシャルフィルムのカメラマンから映画監督に転身した人ですが、この作品自体がプロモーションフィルムまたはコマーシャルフィルムであるような印象もしました(でもやっぱり、音楽はいいよね)。

 共にジャン・ルイ・トランティニャン主演の作品ですが、トランティニャン自身は、繊細な演技が出来る、日本人が感情移入しやすい俳優であるとは思うものの、この2作については、片や相方のエレオノラ・ロッシ・ドラゴの突き刺すような魅力が圧倒的で、片や映像美と音楽だけが取り柄の作品であるような気がしました。

激しい季節 パンフ.jpg俳優座劇場.jpg「激しい季節」●原題:ESTATE VIOLENTA●制作年:1959年●制作国:イタリア●監督:ヴァレリオ・ズルリーニ●製作:シルヴィオ・クレメンテッリ●脚本:ヴァレリオ・ズルリーニ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ/ジョルジョ・プロスペリ●撮影:ティノ・サントーニ●音楽:マリオ・ナシンベーネ●時間:93分●出演:ジャン・ルイ・トランティニャン/エレオノラ・ロッシ・ドラゴ/ジャクリーヌ・ササール/ラフ・マッティオーリ/フェデリカ・ランキ●日本公開:1960/04●配給:イタリフィルム●最初に観た場所:六本木・俳優座シネマテン(84-11-17)(評価:★★★★)
 六本木・俳優座シネマテン

「男と女」 予告 Un homme et une femme (1966)...男と女  66仏.jpg
「男と女」●原題:UN HOMME ET UNE FEMME●制作年:1966年●制作国:フランス●監督・製作:クロード・ルルーシュ●脚本:クロード・ルルーシュ/ピエール・ユイッテルヘーヴェン●撮影:クロード・ルルーシュ●音楽: フランシス・レイ●時間:103分●出演:ジャン・ルイ・トランティニャン/アヌーク・エーメ●日本公開:1966/10●配給:UA●最初に観た場所:高田馬場パール座(78-10-02)(評価:★★★)●併映:「さよならの微笑」(ジャン・シャルル・タッシェラ)

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女に捨てられた男の放浪と悲劇的結末を描く。男の孤独と絶望がひしひしと伝わってきた。

IL GRIDO.jpgさすらい2.jpg さすらい.jpg 「さすらい [DVD]」  

 北イタリア、ポー河流域の工場労働者アルド(スティーヴ・コクラン)は、夫が外国に行ったきりのイルマ(アリダ・ヴァリ)と同棲し、2人の間には6歳になる娘のロジナまでいたが、その夫が死んだとの知らせがあり、これでイルマ正式に結婚できるかと思いきや、彼女から愛は冷めた、別に好きな人がいると言われてしまい、娘を連れてあてのない旅に出る―。

 内縁の妻に捨てられた男の放浪と悲劇的結末を淡々と描いた作品で、主人公の男が独白するでもなく説明的な描写があるわけでもないのに、ポー平野の荒涼たる風景と重なるかのように、男の孤独と絶望がひしひしと伝わってきました。

Il_grido2.jpg 元々一工場労働者に過ぎない彼がそんなに金を持っているわけではなく、時には親切な他人から毛布をあてがわれて、娘のロジナ(可愛い!)と野外で添い寝するような、そんな旅を続けます。

 そうしながらも、行く先で土地の女と接し、一旦は同棲のような状態にもなったりし、しかし、結局は自分を捨てたイルマのことが忘れず、心の空洞は埋まらない―。

 娘をイルマの元に戻してからは更に孤独を募らせ、結局、満たされぬ想いを抱いたまま元の町に舞い戻ってきてしまうが、家の窓から覗き見えたのは、夫と幸せそうに暮らすイルマと、新たに生まれたらしい赤ん坊のオムツを変えるロジナの姿だった―。

IL GRIDO3.jpg 工場内の高い鉄塔に登り投身自殺を図ろうとするアルドと、それに気づき下から不安げに見守るイルマ。力なくイルマに手を振る男。ふらふら揺れる男の身体はやがてスローモーションのように前傾し、叫び声を上げるイルマ―。
 この一場面に7分間を費やしているそうですが、時間をかけている分リアルな緊張が続き、こんなに釘付けにされた映画シーンはそれまでもその後も殆ど無いです。

Il Grido4.jpg 鉄塔を巡る螺旋階段を登り始めた時、もう既に男の心は空っぽになっていて、あとは、この苦しい「さすらい」の旅を終わらせるべく、自分をこの世から消滅させる手続きが残っているだけに過ぎない―、夢遊病者のようになった彼を見てそんな印象を持ち、結末自体は悲劇的ではあるものの、ある種のカタルシスさえ覚えました(元来、「悲劇」と「カタルシス」はセットのようなものとも言えるが)。

 ミケランジェロ・アントニオーニ(1912‐2007)の作品で日本に最初に紹介されたものであるとのことですが(彼自身の監督作品としては6作目)、ストーリーが単純なだけに却ってストレートに心に響き、個人的にはアントニオーニの作品で最も好きなものとなっています。

新宿アートビレッジ3.png「さすらい」●原題:IL GRIDO●制作年:1957年●制作国:イタリア●監督:ミケランジェロ・アントニオーニ●脚本:エンニオ・デ・コンチーニ/エリオ・バルトリーニ/ミケランジェロ・アントニオーニ●撮影:ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ●音楽:ジョヴァンニ・フスコ●時間:102分●出演:スティーヴ・コクラン/アリダ・ヴァリ/ドリアン・グレイ/ベッツィ・ブレア/リン・ショウ●日本公開:1959/04●配給:イタリフィルム=新外映●最初に観た場所:新宿アートビレッジ (79-02-03)(評価:★★★★★)●併映「欲望」(ミケランジェロ・アントニオーニ)

新宿アートビレッジ (歌舞伎町ジャズ喫茶「タロー」3F、16ミリ専門の上映館・席数40) 1980(昭和55)年に活動停止

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リアルで気迫のこもった演出。モノクロ映画の特性を充分に生かしている。

ROCCO E I SUOI FRATELLI1.jpg若者のすべて DVD.jpg 若者のすべて パンフレット2.jpg Rocco e i suoi fratelli2.jpg 
若者のすべて [DVD]」/パンフレット/「Rocco and His Brothers [DVD] [Import]

 ルキノ・ヴィスコンティ(1906‐1976)監督というと"貴族"映画みたいなイメージがすぐ浮かびますが、イタリア南部から北部ミラノへ移住した家族の崩壊を4人兄弟(一番下の幼い弟も含めると5人兄弟)の確執を通して描いたこの映画は、イタリアの南北の格差問題を背景とした社会派作品とも言え、グラムシに共感するという彼の思想を映し出すものでもあります。

 原題は「ロッコとその兄弟たち」(原作はジョヴァンニ・テストーリの『ギゾルファ橋』)。近親相互間の人間臭い葛藤が凄まじく、三男のロッコ(アラン・ドロン)がボクサー志望の次男(レナート・サルヴァトーリ)の恋人ナディア(アニー・ジラルド)に横恋慕したとして、兄一味が彼女を強姦するのを目の当たりにさせられ絶叫するシーンなどは心底痛々しく感じられ、ジュゼッペ・ロトゥンノのカメラワークも含め、ヴィスコンティのリアルで気迫のこもった演出に改めて驚嘆させられます。

若者のすべて.jpg 兄のために、自分に求婚するナディアを振り切って身を引き、家族を経済的苦境から救うために好きではないのにボクサーなるロッコ―、どこまで純粋なキャラクターなのだろうか。
 リアリティが欠如しているとすれば、アラン・ドロンがボクサーとしてはあまりに美男過ぎる点はともかくとして、旧恋人を殺めてしまった兄さえも暖かく迎えるこのロッコの善人ぶりぐらいかなと。
 でも、そのロッコがいなければ全く救いの無いような映画であり、貧しいがゆえに兄は弟を妬み、同じ貧しさのゆえに弟は兄への兄弟愛に飢えるという―ということになるのでしょうか。

"ドゥオーモ"に登ったロッコ(A・ドロン)とナディア(A・ジラルド)
rocco e i suoi fratelli.jpg 最初に、ロッコとその一家が列車から降り立ったのは「ミラノ中央駅」で、これは、後にヴィットリオ・デ・シーカ監督の「ひまわり」('70年/伊)でも別れのシーンのロケ場所になっていますが、絵になる駅だなあと。

 他にも、ミラノのドゥオーモ(大聖堂)など、映像美溢れるシークエンスが少なからずあり、モノクロ映画の特性を充分に生かしている感じがしました(北イタリアの寒村風景やロッコの心象風景にはモノクロ―ムが合っている)。

 作中では、アニー・ジラルドは元カレのレナート・サルヴァトーリに殺されてしまうのですが(R・サルヴァトーリは「スキャンドール」('80年/伊)でも、母娘の両方と寝る男を演じていたが)、実生活ではこの 「若者のすべて」での共演を機に2人は結婚し、アニー・ジラルドはサルヴァトーリが亡くなるまで添い遂げています。

若者のすべて パンフレット.jpg 「若者のすべて」パンフレット

「若者のすべて」●原題:ROCCO E I SUOI FRATELLI●制作年:1960年●制作国:イタリア・フランス●監督:ルキノ・ヴィスコンティ●脚本:ルキノ・ヴィスコンティ/パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ/マッシモ・フランチオーザ/エンリコ・メディオーリ●撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ●音楽:ニーノ・ロータ●原作:ジョヴァンニ・テストーリ「ギゾルファ橋」●時間:168分●出演:アラン・ドロン/アニー・ジラルド/レナート・サルヴァトーリ/クラウディア・カルディナーレ/カティーナ・パクシヌー/ロジェ・アンナ/パオロ・ストッパ/スピロス・フォーカス/マックス・カルティエール/ロッコ・ヴィドラッツィ/コラド・パーニ/アレッサンドラ・パナーロ/アドリアーナ・アスティ/シュジー・ドレール/クラウディア・モーリ●日本公開:1960/12●配給:イタリフィルム●最初に観た場所:カトル・ド・シネマ上映会(81-06-20)(評価:★★★★)

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「○外国映画 【制作年順】」の インデックッスへ 「○存続中の映画館」の インデックッスへ(目黒シネマ)

戦争の犠牲者に対する国を超えたレクイエムが込められていた「ひまわり」。

ひまわり パンフレット.jpg ひまわり ポスター.bmp ひまわり.jpg       シェルブールの雨傘.jpg 
「ひまわり」映画パンフレット/「ひまわり」チラシ/「ひまわり [DVD]」/「シェルブールの雨傘 [DVD]」 

「ひまわり」(I Girasoli 、'70年/伊・仏・ソ連)は、最初に観たときは、ジョヴァンニ(ソフィア・ローレン)が戦地で消息を絶った夫アントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)を訪ねウクライナに行き、彼に再会し全てを知ったところで終わっても良かったかなと、その方がラストのひまわり畑のシーンにすんなり繋がるのではないかという気もしました。

 後半、今度はマルチェロ・マストロヤンニがソフィア・ローレンを訪ね再会を果たすも、既に彼女は結婚もしていて子供もいることがわかり(自分にもロシア人妻リュドミラ・サヴェーリエワとの間に子供がいることも改めて想起し)、失意のうちにウクライナへ帰っていく部分は、かなり地味だし、「子は鎹(かすがい)」ということ(?)なんて思ったりしたのですが、しかしながら、後で観直してみると、後半も悪くないなあと。

 愛の"記憶"に生きると決めているジョヴァンニ。ガックリくるマストロヤンニに対し、共に痛みを感じながらも彼を包み込むような感じがラストのソフィア・ローレンにはあり、母は強しといった感じも。
 2つの別れのシーン(出征と最後の別れ)に「ミラノ中央駅」が効果的に使われていて、ひまわりが咲き誇る畑も良かったです。

 Sophia Loren Marcello Mastroianni in I Girasoli
I GIRASOLI(SUNFLOWER).jpg このひまわりの下に、ロシア兵もイタリア兵も戦場の屍となって埋まっているという、戦争の犠牲者に対する国を超えたレクイエムが込められていて、冷戦下でソ連側が国内でのロケを許可したのもわかります(ソフィア・ローレンはソ連のどこのロケ地へ行っても大歓迎を受けたとのこと)。

目黒シネマ.jpg 「ひまわり」●原題:I GIRASOLI(SUNFLOWER)●制作年:1970年●制作国:イタリア・フランス・ソ連●監督:ヴィットリオ・デ・シーカ●製作:カルロ・ポンティ/アーサー・コーン●脚本:チェザーレ・ザバッティーニ/アントニオ・グエラ/ゲオルギス・ムディバニ●撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ●音楽:ヘンリー・マンシーニ●時間:107分●出演:マルチェロ・マストロヤンニ/ソフィア・ローレン/リュドミラ・サベーリエワ●日本公開:1970/09●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:目黒シネマ(83-05-01)(評価:★★★★)●併映:「ワン・フロム・ザ・ハート」(フランシス・フォード・コッポラ)
目黒シネマ (目黒金龍座→ライオン座→目黒大蔵を経て1975年オープン)

映画チラシ(1989)Catherine Deneuve in Les Parapluies De Cherbourg
シェルブールの雨傘1989チラシ.jpgシェルブールの雨傘2.jpg 同じく、戦争で運命を狂わされた男女を描いたものに、ジャック・ドゥミ(1931‐1990)監督の「シェルブールの雨傘」(Les Parapluies De Cherbourg、'64年/仏)がありますが、のっけから全ての台詞にメロディがついていて、やや面食らいました(それが最後まで続く)。

シェルブールの雨傘1.jpg 石畳の舗道に雨が落ちてきて、やがて色とりどりの美しい傘の花が咲くという俯瞰のファースト・ショットはいかにもお洒落なフランス映画らしく('09年にシネセゾン渋谷で"デジタルリマスター版"が特別上映予定とのこと。自分が劇場で観た頃にはもう色が滲んでいた感じがした)、監督のジャック・ドゥミも若かったですが(当時31歳)、傘屋の娘を演じたカトリーヌ・ドヌーヴは当時20歳。

「シェルブールの雨傘」 仏語版ポスター/日本語パンフレット
シェルブールの雨傘 ポスター.jpgシェルブールの雨傘 パンフレット.jpg 恋人が出征する戦争は、第2次世界大戦ではなくアルジェリア戦争で(この映画からは残念ながらアルジェリア側の視点は感じられない。戦争終結直後に作られたということもあるのだろう)、「ひまわり」みたいに一方がもう一方を訪ねて再会するのではなく、ラスト別々の家族を持つようになった2人は、母の葬儀のためシェルブールに里帰りしたカトリーヌ・ドヌーヴが、クルマの給油に寄った先が、彼が将来経営したいと言っていたガソリンスタンドだったという、偶然により再会します。

 2人は将来子供が出来たら付けようと恋人時代に話していた「フランソワ」「フランソワーズ」という名をそれぞれの男の子と女の子につけていたのですが、「ひまわり」のソフィア・ローレンは、自分の子に「アントニオ」という前夫の名をつけていた―何れにせよこういうの、知らされた側の未練を増幅しそうな気がするなあ。

「シェルブールの雨傘」●原題:LES PARA PLUIES DE CHERBOURG●制作年:1964年●制作国:フランス●監督・脚本:ジャック・ドゥミー●製作:マグ・ボダール●脚本:チェザーレ・ザバッティーニ/アントニオ・グエラ/ゲオルギス・ムディバニ●撮影: ジャン・ラビエ●音楽:ミシェル・ルグラン●時間:91分●出演:カトリーヌ・ドヌーヴ/ニーノ・カステルヌオーボ/マルク・ミシェル/アンヌ・ヴェルノン/エレン・ファルナー●日本公開:1964/10●配給:東和●最初に観た場所:高田馬場パール座(78-05-27)(評価:★★★)●併映:「巴里のアメリカ人」(ヴィンセント・ミネリ)

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人間の原罪を抉った作品であるとともに、旅芸人たちに対する共感が込められている。

道.jpg道 [DVD]道1.jpg道 [DVD]道 ポスター.jpg パンフレット(1965)

道2.jpg「道」●原題:LA STRADA●制作年:1954年●制作国:イタリア●監督:フェデリコ・フェリーニ●製作:カルロ・ポンティ/ディノ・デ・ラウレンティス●脚本:フェデリコ・フェリーニ/エンニオ・フライアーノ/トゥリオ・ピネッリ●撮影:オテッロ・マルテッリ●音楽:ニーノ・ロータ●時間:115分●出演:ジュリエッタ・マシーナ/アンソニー・クイン/リチャード・ベースハート●日本公開:1957/05●配給:イタリフィルム=NCC●最初に観た場所:新宿アートビレッジ(79-05-01)(評価:★★★★★

 旅芸人のザンパノ(アンソニー・クイン)は芸の手伝いをする女が死んでしまったため、その妹のジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)を幾ばくかのお金で買い取った。粗野で暴力を振るうザンパノと、頭が弱いが心の素直なジェルソミーナは一緒に旅に出る旅に出る―。

アンソニー・クイン.jpg フェデリコ・フェリーニ(1920‐1993/享年73)監督のあまりも有名な作品ですが、本国と日本での公開の間に3年の歳月があり、旅芸人という地味なモチーフ、美男美女が出てくるわけでもなく、当初は日本では受けないと思われたのかな? 
 さほど宣伝もされず、口コミで人気が拡がり、やがて映画ファンのみでなく、広く一般に知られる作品に。
 アンソニー・クイン(1915‐2001)が亡くなった際にも、新聞ではこの作品のスチールと共に報じられていました。
 彼の出演作品の中でも代表作になるのでしょうが、監督の奥さんであるジェルソミーナ役のジュリエッタ・マシーナ(1921‐1994)の演技が、これまた素晴らしいと思いました。
 フェリーニの作品の中でも一番好きな映画で、初めて観た時は、次の日また観にいってしまった...。

 この映画には幾つかの謎があり、例えばジェルソミーナがいつも口ずさむ歌(音楽の教科書に「ジェルソミーナ」というタイトルで出ていた)は、物語の中では一体誰が作曲したことになっているのか、ザンパノと彼が殺した綱渡り芸人は以前にはどういう関係にあったのか、といったものから、ジェルソミーナが家族と別れる時、実は絶望よりも希望の方が勝っていたのか、何故ジェルソミーナは修道尼の誘いを断り修道院を後にしてザンパノについていったのか等々。

道4.jpg この映画でのジェルソミーナの表情は、1つの場面においてもめまぐるしく変化し、一般に彼女は「頭が弱い」とされていますが、必ずしもそうとは言えないような気もし、例えば、「頭が弱い」からザンパノに虐げられても彼についていってしまう("ストックホルム症候群"説?)のではなく、一見粗暴に見える彼の弱さと優しさを見抜き、また、綱渡り芸人からも言われたように、自分しかザンパノを支える人間はいないということがわかっていたのでしょう。

 ザンパノ自身の方はそのことに気づかずに、彼が綱渡り芸人を殺したことを知って泣き続け心を閉ざしたままの彼女を置いていってしまい、何年か経た後に、彼女の死を聞いて号泣する自分を通して、自分が彼女を愛していたことをやっと知り、また、その彼女を見捨てた過ちに気づく―、そして今、自分は彼女に何もしてやれなかったという思いを抱いて残りの人生を送らなければならないという、これが彼にとっての"罰"になっていて、その罰を通して、かつて自分が犯した数々の罪をも知る―という構造になっているように思いました。
道3.jpg
 綱渡り芸人が殺されてジェルソミーナが泣いたのは、優しかった彼が死んだということもありますが、むしろ、ザンパノの犯した罪に対する慄きからのものでしょう。
 人間の原罪を抉った作品であり、バックにキリスト教的な宗教観の影響も見てとれなくもないですが、但し、あまりそのことに引き寄せて解釈すると、ジェルソミーナが単なる"聖性"のシンボルになってしまうような気もしなくもありません。

 旅芸人たちの笑顔の底にある生身の人間としての悲哀-それに対する洞察と共感が込められていることは、「フェリーニの道化師」('70年)などの作品と併せて観るとよく解るかと思います。
 

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"熟年女優"ぶりが印象的だったリザ・ガストーニとヴィルナ・リージ。

スキャンダル.jpg 「スキャンダル [DVD]」 スキャンダル ポスター.jpg 「スキャンダル」ポスター スキャンドール ポスター.jpg 「スキャンドール」ポスター

Lisa Gastoni & Franco Nero in Lo Scandalo
Lisa Gastoni & Franco Nero in Lo Scandalo.jpg「スキャンダル」●原題:LO SCANDALO(SCANDAL/SUBMISSION)●制作年:1976年●制作国:イタリア●監督:サルヴァトーレ・サンペリ●製作:シルヴィオ・クレメンテッリ●脚本:オッタヴィオ・ジェンマ/サルヴァトーレ・サンペリ●撮影:ヴィットリオ・ストラーロ●音楽:リズ・オルトラーニ●時間:107分●出演:リザ・ガストーニ/フランコ・ネロ/レイモン・ペルグラン/クラウディオ・マルサーニ●日本公開:1977/06●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:三鷹東映(78-02-04)(評価:★★★★)●併映「ラストタンゴ・イン・パリ」(ベルナルド・ベルトリッチ)/「O嬢の物語」(ジュスト・ジャキャン)
Lisa Gastoni LO SCANDALO.jpg
 「スキャンダル」('76年/伊)は(イタリア映画なのだが)第2次大戦下の南フランス・プロヴァンスが舞台で、大学教授の妻(リザ・ガストーニ)が、自らが営む薬局で働く雑役夫(フランコ・ネロ)に、女店員と間違えられて抱きつかれたことを契機に、彼と性交渉を持つようになり、上流階級への怨念を抱く雑役夫のもと、彼の肉体の奴隷となっていくというもの。雑役夫は、女店主の娘(クラウディオ・マルサーニ、「家族の肖像」に出ていた)にも手を出すが、大学教授の妻はむしろそれに嫉妬する有様で、雑役夫の命令でどんな辱めも受けるという完全な主従逆転状態に―。

リザ・ガストーニ Lisa Gastoni
Lisa Gastoni2.jpgLisa Gastoni.jpg サルヴァトーレ・サンペリの演出とヴィットリオ・ストラーロのカメラは「青い体験」('73年/伊)と同じコンビで、主演のリザ・ガストーニ(Lisa Gastoni 、1935年生まれ)が美しく高貴な人妻が堕ちていく様を身体を張って演じており、マカロニ・ウェスタンの俳優というイメージがあったフランコ・ネロもネクラかつサディステックな雑役夫をしっかり演じていて、"イタリアン・エロス"とか言われるけども、ある種、家族の崩壊を描いた文芸作品と言えるかも知れません(充分にエロチックでもあるが)。

 女店主リザ・ガストーニは最後には絶望の淵に追い込まれるわけですが、雑役夫フランコ・ネロとの関係がスキャンダルになろうとも性愛の道を突き進むその姿は、一時のこととは言え自らの解放を果たしたというふうにもとれるかと思います。

 サルヴァトーレ・サンペリは"ネオ・レジスタ"グループの代表格ともされており、この作品には上流階級の脆弱・崩壊というものがバックテーマとしてあるようで、妻のすべての告白を聞いてもただ涙を流すしかない大学教授の夫(そのくせ、自分のコレクションを妻が誤って壊すと怒る)には、"知識人階級"への批判も込められているように思えました。

C.Goldsmith 「スキャンドール(LA CICALA)」
LA CICALA 2.jpgLa Cicala2.jpgLA CICALA.jpg "イタリアン・エロス"系では、少し似たようなタイトルで「スキャンドール」('80年/伊)というものもあり、行きずりの少女チカラ(クリオ・ゴールドスミス)と共に旅していた歌手(ヴィルナ・リージ)が、旅先で知り合ったレストラン経営者と結婚しガソリンスタンドを切り盛りするようになり、そこに呼び寄せた娘(バーバラ・デ・ロッシ)と共に男1人女3人の生活を始めるが、やがて男を巡って娘と骨肉の争いをするというもので、「スキャンダル」と少し似ているかも(この映画も、エロチックだが演出はしっかりしている)。

 原題"チカラ"はイタリア語で「蝉」の意。ガソリンスタンドの住み込み店員となって、こうした出来事の推移を目の当たりにする少女チカラは、この映画に出てくる「男1人女3人」の中で唯一ノーマルと言えるかも(最後は、蝉が木から飛び立つように、店から逃げ出すところで終わる)。

ヴィルナ・リージ Virna Lisi
Virna Lisi2.jpgVirna Lisi 1937.jpg 主演のヴィルナ・リージ(Virna Lisi、1937年生まれ)は、若い頃はジャック・レモン主演の「女房の殺し方教えます」('64年/米)などにも出たりしましたが、演技派指向なのに英語の話せないイタリア人の役をあてがわれ、結局、自分をセクシー女優としてしか見ないハリウッドに見切りをつけ、主にヨーロッパで"演技派"兼"セクシー女優"として活躍した人。

 「スキャンドール」にはノーメークで出ていますが、当時43歳だったけれども(役柄上、少し怖さもあったが)美貌は健在で、「スキャンダル」に出た時41歳だったリザ・ガストーニと並び、強烈な印象を抱かされた、イタリアの"熟年"女優でした。

LA CICALA 1.jpg「スキャンドール 禁じられた体験」●原題:LA CICALA●制作年:1980年●制作国:イタリア●監督・脚本:アルベルト・ラットゥアーダ●製作:イブラヒム・ムーサ●撮影:フレッド・ボンガスト●音楽:ダニロ・デジデリ●原作:ナターレ・プリネット/マリナ・デ・レオ●時間:99分●出演:アンソニー・フランシオーサ/ヴィルナ・リージ/レナート・サルヴァトーリ/クリオ・ゴールドスミス/バーバラ・デ・ロッシ●日本公開:1982/02●配給:ジョイパックフィルム●最初に観た場所:池袋・日勝地下(82-05-03)●2回目:新橋文化劇場(83-09-17)(評価:★★★☆)●併映(2回目):「ホテル」(カルロ・リッツァーニ)
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池袋スカラ座・日勝文化・日勝地下 現・池袋東口ビックカメラ池袋本店付近、1995年閉館



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新橋文化劇場 1957年オープン、新橋駅烏森口JR浜松町方向ガード下

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最後まで枯れることのなかったヴィスコンティ。
イノセント ポスター.jpg
イノセント.jpg 「イノセント 無修正版 デジタル・ニューマスター [DVD]」   

 1976年のイタリア・フランス合作映画で、ルキノ・ヴィスコンティ(1906‐1976)の最後の監督作品(公開されたのは没後)。

イノセント パンフ.jpgヴィスコンティ生誕百年祭特集.jpg 2006年に新宿のテアトルタイムズスクエアで開催された「ヴィスコンティ生誕100年祭」で、「山猫」、「ルートヴィヒ」と共にその完全版が上映されましたが、「祭」と言いつつ、たった3作しか上映しないのか(以前は、名画座などでもっと気軽に観られたのに)という思いもあるものの、3作に限るならばこのラインアップはかなりいい線いってるように思いました。

 「イノセント」は、19世紀ローマの貴族男性(ジャンカルロ・ジャンニーニ)が主人公で、彼が妻と愛人の間で揺れ動く様が描かれているのですが、〈妻〉が「青い体験」(Malizia、'73年/伊)ラウラ・アントネッリで、〈愛人〉が「おもいでの夏」(Summer of '42、'71年/米)ジェニファー・オニールなので、初めて見に行った時は、この2人を老ヴィスコンティがどう撮ったのかという興味もありました。

 貴族男性が愛人のもとへ行く際、妻に「君は昔から可愛い妹だった」などと言い訳して、それを妻ラウラ・アントネッリが許すというそのそれぞれのお気楽ぶりと従順ぶりにやや呆れるものの、実は女性の心と肉体なんて、男が思っているほど単純なものではなかったということか。

インノセント2.jpg  ラウラ・アントネッリ(あの「青い体験」の...)が妻でいながら、浮気などするなんて何というヤツかと思わせる部分も無きにしもあらずですが、浮気相手はジェニファー・オニール(あの「おもいでの夏」の...)だし...。
 ジャンカルロ・ジャンニーニが演じる貴族は、自分の気持ちに純粋に従い過ぎるのかも(何となく憎めないキャラクター)。

 結局妻ラウラ・アントネッリの方も、義弟から紹介された作家に惚れられて、自らも浮気に走り、そのことで夫は今さらのように自身の妻への愛着を再認識する―。

Laura Antonelli Giancarlo Giannini in L'Innocente
          
 でもやはり気持ちはふらふらしていて、最後には作家の子を身籠った妻からの反撃を食い、愛人にも逃げられ、(自業自得とも言えるが)かなり惨めなことに...という、没落過程にある貴族層に個人のデカダン指向を重ね合わせたような、ヴィスコンティらしい結末へと繋がっていきます。

LINNOCENTE2.jpg 冒頭の「赤」を基調とした絢爛たる舞踏会シーンから映像美で魅せ、話の筋を追っていけば"貴族モノ"とは言え結構俗っぽい展開なのに、それでいて、ラウラ・アントネッリやジェニファー・オニールが、ヴィスコンティ映画の登場人物として"貴族然"として見えるのは、やはりヴィスコンティの演出のなせる業でしょうか(大河ドラマに出る女優が皆同じように見えるのと似てなくもないが)。

 その上で、抑圧されることで更にその魅力を強めていくラウラ・アントネッリが、(期待に反することなく?)充分エロチックに描かれていました(この〈妻〉役は、人物造形的にもかなり複雑なキャラクターのように思える)。

 この映画の撮影の時ヴィスコンティは既に車椅子での演出でしたが、う〜ん、70歳、死期を悟りながらも、随分こってりした作品を作っていたんだなあと(そこがまたいい)。

タカシマヤタイムズスクエア.jpg「イノセント」●原題:L'INNOCENTE●制作年:1976年●制作国:イタリア・フランス●監督:ルキノ・ヴィスコンティ●製作:ジョヴァンニ・ベルトルッチ●脚本:本 スーゾ・チェッキ・ダミーコ/エンリコ・メディオーリ/ルキノ・ヴィスコンティ●撮影:パスクァリーノ・デ・サンティス●音楽:フランコ・マンニーノ●原作:ガブリエレ・ダヌンツィオ「罪なき者」●時間:129分●出演:ジャンカルロ・ジャンニーニ/ラウラ・アントネッリ/ジェニファー・オニール/マッシモ・ジロッティ/ディディエ・オードパン/マルク・ポレル/リーナ・モレッリ/マリー・デュボア●日本公開:1979/03●最初に観た場所:池袋文芸坐 (79-07-13)●2回目:新宿・テアトルタイムズスクエア (06-10-13) (評価★★★★☆)●併映(1回目):「仮面」(ジャック・ルーフィオ)
テアトルタイムズスクエア 新宿タカシマヤタイムズスクエア12Fに2002年4月27日オープン 2009年8月30日閉館

青い体験〈無修正版〉 [DVD]
青い体験(無修正版).jpgラウラ・アントネッリ.jpg「青い体験」●原題:MALIZIA●制作年:1973年●制作国:イタリア●監督:サルヴァトーレ・サンペリ●製作:シルヴィオ・クレメンテッリ●脚本:オッタヴィオ・ジェンマ/アレッサンドロ・パレンゾ/サルヴァトーレ・サンペリ●撮影:ヴィットリオ・ストラーロ●音楽:フレッド・ボンガスト●時間:98分●出演:ラウラ・アントネッリ/アレッサンドロ・モモ/テューリ・フェッロ/アンジェラ・ルース/ピノ・カルーソ/ルチアナ ティナ・オーモン/ジャン・ルイギ・チリッジ●日本公開:1974/10●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:三鷹オスカー(80-04-05) (評価★★★★)●併映:「続・青い体験」(サルヴァトーレ・サンペリ)

おもいでの夏 dvd.bmpおもいでの夏.png「おもいでの夏」●原題:THE SUMMER OF '42●制作年:1971年●制作国:アメリカ●監督:ロバート・マリガン●製作:リチャード・ロス●脚本:ハーマン・ローチャー●撮影:ロバート・サーティース●音楽:ミシェル・ルグラン●時間:105分●出演:ジェニファー・オニール/ゲイリー・グライムス/ジェリー・ハウザー/オリヴァー・コナント/キャサリン・アレンタック/クリストファー・ノリス/ルー・フリッゼル●日本公開:1971/08●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:三鷹オスカー(80-11-03)(評価:★★★)●併映:「フォロー・ミー」(キャロル・リード)/「ある愛の詩」(アーサー・ヒラー)

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食べ過ぎによる自殺を図る4人の男たちを描いた怪作。インパクトあった。

最後の晩餐.jpg 最後の晩餐1.jpg 「最後の晩餐 [DVD]」 最後の晩餐 パンフレット.jpg パンフレット

最後の晩餐.bmp「最後の晩餐」●原題:LA GRANDE BOUFFE●制作年:1973年●制作国:イタリア・フランス●監督・脚本:マルコ・フェレーリ●撮影:マリオ・ヴルピアーニ●音楽:フィリップ・サルド●時間:130分●出演:マルチェロ・マストロヤンニ/ウーゴ・トニャッツィ/フィリップ・ノワレ/ミシェル・ピッコリ●日本公開:1974/11●最初に観た場所:大塚名画座 (78-11-07) (評価★★★★)●併映:「糧なき土地」(ルイス・ブニュエル)/「自由の幻想」(ルイス・ブニュエル)

 もしも、美味しいものを食べられるだけ食べて、食べられなくなってもとにかく食べ続け、食べ過ぎによる自殺を図る人がいたとしたら、その所為はかなり狂気に近いと言わざるを得ないだろうけれど、この映画に登場する4人の男たちはそれをやってのける―。
最後の晩餐4.bmp
 パリの郊外の邸宅に、料理家(ウーゴ・トニャッツィ)、国際線パイロット(マルチェロ・マストロヤンニ)、裁判官(フィリップ・ノワレ)、俳優(ミシェル・ピッコリ)の4人の食通仲間が集い、贅沢を極めた料理を食べ続け、ついでに性欲もフルに満たしながらの饗宴(狂宴?)を繰り広げ、1人ずつ順番に、最後は4人とも、目的通り"食べ過ぎ"により死んでいくというもの。

 この映画はイタリア・フランス合作映画で、主演の4人も伊・仏混成となっていますが、監督はイタリア人のマルコ・フェレーリ(1928 ‐1997)
 そう言えば、同じイタリア人監督フェデリコ・フェリーニの「サテリコン」('70年/伊)にも、ローマ貴族の酒池肉林の宴を描いたシーンがあり、スケールの大きさでは「サテリコン」の方が上だったかも。

最後の晩餐3.jpg 但し、「最後の饗宴」は、この4人の宴の部分のみを延々と追って1本の作品として撮り切っていて、そうした意味では、他に類を見ないものと言え、何れにせよ、日本人の発想からはとても作られないだろうと思われる作品です。

 この映画の中での4人は明るい―、しかし、そこには何か底知れない虚無も感じられ(自殺しようとしているわけだから当然か)、生きることの最終目的は食欲と性欲の充足であるとの割り切りも感じられます。
 考えてみれば、ヒトは端的に言えばこの4人と似たような生き方をしているのかも知れず、但し、"次の機会"を期待して今死なないだけで、そうこうしながら緩慢に死に向かっていると言えなくもありません。

 「ひきしお」('71年/仏・伊)の監督でもありますが、面白い映画を撮る人だと思いました。
 この作品以降の代表作では「ありきたりな狂気の物語」('81年/伊・仏)「未来は女のものである」('84年/伊・仏・西独)などがあったけれども、「ありきたりな狂気の物語」などはつまらない私小説といった感じで、「未来は女のものである」も、妊婦役のオルネッラ・ムーティが詰め物なし(実際に妊娠中だった)で出ていたのにはちょっと驚きましたが、結局のところ何れもこの作品を超えるほどのインパクトは無かったように思います。

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子供の想像力を刺激するような楽しい内容。ファンタージーのツボを押さえている。

かいじゅうたちのいるところ.jpg 『かいじゅうたちのいるところ』 ['75年/冨山房] Maurice Sendak.jpg Maurice Sendak

 1963年に米国の絵本作家モーリス・センダック(Maurice Sendak)が30代半ばで発表した絵本で(原題:Where the Wild Things are)、彼の出世作であり(コールデコット賞受賞)、代表作でもある作品。

 狼のぬいぐるみを着ていたずら遊びをしていたマックスは、おかあさんに叱られ食事抜きで寝室に閉じ込められるが、寝室の床からにょきにょき木が生えてきて、そこからマックスの怪獣たちのいる島への不思議な旅が始まる―。

 子供の想像力を刺激するような楽しい内容ですが、現実とファンタージーの繋ぎの部分が滑らかで、細密画のような独特のタッチも、怪獣たちや森の木々を描くのにぴったり合っているように思えます。
 布地のような質感や、カラフルだけれどもどぎつさの無い色使いは、怪獣たちのユーモラスな表情とともに、見る者の心に温かく沁み渡ってきます。

 当初は内容が教育的ではないという批判もあったそうですが、教育的かどうかということを超えて画風が芸術的であるだけでなく、マックスの航海を通じてのファンタージーにおける時間の概念の超越や、怪獣たちの王となったマックスが怪獣たちの食事を抜いて彼らをおとなしくさせるというストーリーの対照・反復性は、ファンタージーのツボを押さえているように思え、しかも最後は何だかほっとさせられます。

 センダックの両親はポーランドからのユダヤ系移民で、彼自身はブルックリンのユダヤ人街で生まれ育ちましたが、英国の古典的イラストレーションの影響を受けていて、それでいて子供の時からディズニー・アニメのファンだったそうで(ミッキーマウスと同じ1928年生まれ)、ヨーロッパ的であると同時にアメリカ的でもあるというか、結果的に普遍性とオリジナリティを兼ね備えた作風になっているように思えました。

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死、悲しみ、再生といったものが子供にわかりやすく伝わるとともに、「時間」というもう1つのテーマが。

くまとやまねこ.jpg 『くまとやまねこ』 (2008/04 河出書房新社)  湯本香樹実.jpg 湯本 香樹実 氏

 仲良しの小鳥に死なれた熊は、悲しみにうちしおれ、小鳥の遺骸を木箱に入れて持ち歩くが、周囲からの慰めにもかかわらずその心は癒されること無く、やがて家に閉じこもるようになる。しかし、何日もそうしていた後のある日、外の風景を見るといつもと違って見え、ふと出かけた先で楽器を携えた山猫に出会って―。

 2008(平成20)年に刊行されたこの絵本の作者・湯本香樹実(ゆもと・かずみ)氏は、脚本家であり小説家でもある人で、小説『夏の庭 --The Friends--』('01年/徳間書店)で第26回日本児童文学者協会新人賞、ボストン・グローブ=ホーン・ブック賞を受賞し、翌年には『西日の町』('02年/文藝春秋)が芥川賞候補になっていて、一方の酒井駒子(さかい・こまこ)氏も絵本『金曜日の砂糖ちゃん』('03年/偕成社)でブラティスラヴァ世界絵本原画展(BIB)金牌を受賞しており、内外で注目されている2人の初取り合わせということになります。

 この作品で湯本氏は、親しい人が亡くなった時の、自分の一部が欠けたような喪失感と、葬送と悲しみを経てのそこからの再生を、短いストーリーの中に見事に凝縮してみせています。

 そして、酒井駒子氏のモノトーン主体で時折赤の彩色を部分的に使っただけの絵。小川未明原作の『赤い蝋燭と人魚』の絵本化('02年)で個人的には注目したのですが、「死」や「悲しみ」といったものが子供にわかりやすく伝わる画風のような気がします。

 同時にこの絵本には、熊が小鳥が亡くなる前日に小鳥と交わした「時間」についての会話があり、「時間」というものがもう1つのテーマとしてあることがわかります。
 毎朝が"きょうの朝"である、しかし《きのうの"きょうの朝"》はもう二度と来ない―親しい人が亡くなった時ほど、時間の遡及不可能性を強く感じることはないのだなあと、改めて思わせられるものがありました。

 そして、親しい人を失ったばかりの人には、この絵本の熊のように、そこで一旦時間の停止状態が生じる、しかし、それはその人にとって必要な"葬送"の時なのでしょう。その後には、熊が山猫と出会ったように、他者との新たな出会いが待っているのかも知れません。

 これ、結構、大人向きでもあるかも。

くまとやまねこ2.jpg

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絵だけで言えば大人向けと言えるかも。鬼が島から姫まで連れて帰った桃太郎。

ももたろう.jpg 『ももたろう (日本傑作絵本シリーズ)』  桃太郎・海の神兵.gif 「桃太郎・海の神兵 [VHS]

ももたろう 赤羽.jpgももたろう 赤羽末吉.jpg 1965(昭和40)年に刊行された子供向け絵本(読み聞かせなら5歳から、自分で読むなら小学校中級向き)ですが、赤羽末吉(1910-1990)の絵に水墨画のような味わいがあります。
 これと比べると、"100円ショップ"などで売っている絵本はもとより、他の「桃太郎絵本」が霞んでしまうかも。むしろ、絵だけで言えば、大人向けと言えるかも知れません。

 ところで、桃太郎伝説に出てくる鬼が島というのは、室町か江戸の時代に日本近海の島に外国人が漂着したのが起源だと思っていましたが、古代の大和政権が吉備国に攻め込んだ時に活躍した人物をモデルにしたものであるとの説が有力らしく、ルーツを辿ると結構ヤマトタケル並みに古い話のようです。

桃太郎 海の神兵.jpg 太平洋戦争中は、軍神的キャラクターとして「桃太郎 海の神兵(しんぺい)」('45年公開)などの国策アニメ映画の主人公になっていますが、内容はともかく、日本初の長編アニメーション映画にしてそのアニメ技術はなかなかのもので、今見ると北朝鮮のアニメみたいだけれど、手塚治虫が昔見てそのレベルの高さに感動したという話があります。

 しかし「軍神」扱いするというのは、、明治時代にすでに福沢諭吉などが、桃太郎が鬼が島から宝を獲って帰ったのは「略奪行為」にほかならないと言っていたことを思うと、当時としてもやはりアナクロではないでしょうか(戦争は時代を逆行させるのか)。

 各地に様々なバリエーションの桃太郎伝説があるようで、実は桃太郎は家の事を手伝わない怠け者だったのが、家が鬼に襲われて鬼退治に目覚めたとか。
 芥川龍之介によるパロディは、ちょうどこの怠け者説と福沢諭吉の考えをミックスしたようなものになっています。
                                              

 本書の松居直(まつい・ただし)氏の文による桃太郎は、最後に鬼が島から宝物だけでなく、鬼たちに囚われていたお姫様まで連れて帰って、桃太郎は姫と結婚する!

 松居氏は児童文学者であるとともに、福音館書店の社長も長く務め、多くの絵本作家を発掘した人ですが、最後の部分は松居氏のオリジナルなのでしょうか、それとも実際、そうしたバリエーションも伝承としてあるのでしょうか(版元による内容紹介には、「桃太郎の原型、あるべき姿を追求して作りあげた"桃太郎絵本」の決定版"とあるが)。

 
桃太郎の海鷲桃.jpg「桃太郎 海の神兵」●制作年:1945年●監督・脚本・撮影:瀬尾光世●製作:松竹動画研究所●後援:海軍省●動画:桑田良太郎/高木一郎/小幡俊治/木村一郎●影絵:政岡憲三●音楽:古関裕而●作詞:サトウハチロー●公開:1945/04●配給:松竹映画(評価:★★★)

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あの福田和也氏も推奨する単巻での発行部数累計が400万部を超えた名作。

ぐりとぐら.jpg 『ぐりとぐら [ぐりとぐらの絵本] (こどものとも傑作集)

たまご.jpg 1967(昭和42)年刊行の「ぐりとぐら」シリーズの第1作で、双子の野ねずみ"ぐり"と"ぐら"が森で見つけた巨大な卵で巨大なカステラを作り、友達とわけ合うという話は、絵本界の名作としてよく知られています(この絵本の原型として「たまご」('63年発表)という読み聞かせ物語がある)。

 辛口(?)の文芸評論家・福田和也氏が、『悪の読書術』('03年/講談社現代新書)の中で、「福音館書店が出版する絵本は、他社のそれとは格が違う」と書いていて、優れた絵本として、この「ぐりとぐら」シリーズと林明子氏のものを挙げていました。

 また、朝日新聞夕刊連載の「ニッポン人・脈・記」で、'08年夏に「絵本きらめく」というシリーズがあり、その中で、この『ぐりとぐら』が、松谷みよ子氏の『いないいないばあ』('67年/童心社)と並んで、日本で、単巻での発行部数累計が400万部を超えるたった2冊しかない絵本の内の1冊であること、中川李枝子氏と山脇百合子氏が実の姉妹であること、「ぐりとぐら」の創作にあたっては、石井桃子(1907‐2008/享年101)の指導を仰いだことなどを知り、大変興味深かったです。
ぐりとぐらのかいすいよく.jpg
 これだけの大ヒット商品なのに、『ぐりとぐらのおおそうじ』('02年)まで基本シリーズは35年間で7冊の刊行しかなく、この辺り、商業主義に走らず、絵本作りの質を落さないようにしていることが窺えます。
 個人的には、'70年代に唯一刊行された第3作『ぐりとぐらのかいすいよく』('77年)や同じく'80年代唯一の刊行である第4作『ぐりとぐらのえんそく』('83年)などもいいなあと(特に、『ぐりとぐらのかいすいよく』のユルい感じがいい)。

 これら基本シリーズの他に、『ぐりとぐらの1ねんかん』('97年)、『ぐりとぐらのうたうた12つき』('03年)などの大判本があり、これらもお奨めです。
ぐりとぐらとぐふ.jpg
 最近、ネットで『ぐりとぐらとぐふ』というパロディ画像が出回っていますが(ガンダム・ヴァージョン?)、パロディにされるぐらい有名であるということ?

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大人の郷愁を掻き立てる要素も。ミュージカルになっている理由がわかるような。

ふたりはともだち.gif    Frog and Toad Are Friends (Hardcover).jpg     Arnold Lobel.jpg Arnold Lobel (1933‐1987/享年54)
ふたりはともだち (ミセスこどもの本)』文化出版局 (1972) /『Frog and Toad Are Friends (I Can Read Book 2)』HarperCollins; Library.版 (1970)

 1970年にアメリカの絵本作家アーノルド・ローベル Arnold Lobel (1933‐1987/享年54)が発表した「かえる君とがま君」シリーズの第1作で(原題:Frog and Toad Are Friends)、「はるがきた」「おはなし」「なくしたボタン」「すいえい」「おてがみ」の5話を収録、タイトルを聞いただけで懐かしくなる人もいるのでは?("がま"とはヒキガエルのことだが、欧米ではヒキガエル(toad)とカエルは(frog)は別概念みたい)。

 このシリーズ、『ふたりはいっしょ(Frog and Toad Together)』('71年)、『ふたりはいつも(Frog and Toad All Year)』('76年)、『ふたりはきょうも(Days with Frog and Toad)』('79年)と続き(各冊とも5話ずつ収録)、それぞれ国際的な賞を受賞しているほか、日本でも芥川賞作家・三木卓氏の翻訳により知られていて、『ふたりはともだち』の第5話「おてがみ」は、教科書でも採り上げられています。
Frog and Toad Are Friends.jpg
 「おてがみ」は、手紙をもらったことが無い「がま君」のために、かえる君が手紙を書いてあげるのですが、その手紙を届けることを頼んだ相手がカタツムリであるという―。2人で手紙を待ちくたびれて、かえる君はがま君に「君のことを好きだ」と書いたのだよと、とうとう手紙の内容を話してまうが、それでも手紙がやっと届いたとき、がま君はもう一度歓びを新たにする―。

 どちらかと言うと、がま君の方がちょっと"もっさり"した感じだけれど、実は寂しがり屋の繊細な性格で、それをかえる君が元気づけようとして、逆に思惑と異なることになりそうになる―そのかえる君のがま君への思い遣りと、両者の引き起こすちょっとしたトラブルが微笑ましく、また、時にしんみりさせられるといった感じ。
 こういう友達づきあいって昔はあったなあと、大人に郷愁を掻き立てさせる点では、大人向けの要素がかなりあるようにも思います。

石丸謙二郎、川平慈英.jpgFrog and Toad2.jpgFROG AND TOAD2.jpg 米国ではミュージカル化されていて、原作にある幾つかの話を組み合わせて脚本化しているようですが、そのため、子供向け劇場で上演するものやブロードウェイで上演するものなど、幾つものパターンがあるようです(両親がブロードウェイ・ミュージカルに出かける時、子供は家で留守番というスタイルは、今でもあまり変わっていないみたい)。

 ブロードウェイ版は、着ぐるみなしのスーツ姿で演じるヴォードヴィル・ショーのようなもので、日本でも同様のスタイルで「フロッグとトード〜がま君とかえる君の春夏秋冬」として上演されています(出演:石丸謙二郎、川平慈英)。

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佐々木倫子の部分が星3.5で、綾辻行人の部分が星2.5。

月館の殺人.jpg 『月館の殺人 上 IKKI COMICS』 『月館の殺人 (下)

 沖縄育ちの雁ヶ谷空海は、鉄道嫌いの母の影響もあり、未だかつて電車に乗ったことがなかったが、母の死後、弁護士に「母方の祖父が生きていて、財産相続の件でぜひ北海道まで来てほしい」と伝えられ、祖父の待つ月館へ列車で向かうことになり、そのSL《幻夜号》には、祖父の招待客らしい6人の鉄道マニアも乗っていたが、そこで密室殺人事件が―。

 '04(平成16)年12月から翌年にかけて「月刊IKKI」('05年2月号〜'06年6月号)に連載された、『おたんこナース』の佐々木倫子の作画による本格ミステリの漫画化作品(原作・綾辻行人)で、上巻を読んでから下巻にいく間に随分間が空いてしまい(下巻は上巻刊行の約1年後の'06年7月刊行)、そうしたら、下巻に入って状況が随分違っているではないかとやや唖然とさせられました(雑誌連載は読んでないんで)。

 鉄道ミステリと言えば、本書にも出てくる『オリエント急行殺人事件』や『Xの悲劇』が有名ですが、「オリエント急行」とは車両だけ同じでストーリーは違うだろうことは予想に難くないのですが、『Xの悲劇』と似たようなことになるのかなと、一瞬思ったりもして...。

 結局それなりにオリジナリティはあったけれども、前提状況にかなり無理があり、相当「空海」という主人公がボケっとしていないと成り立たないような話にも思えました(雪の中で停止している列車というのは、クリスティの『オリエント急行殺人事件』へのオマージュだろうが)。

 むしろ、鉄道マニアの類型が鉄道に関するマニアックな薀蓄に絡めて面白く描き分けられていて、その部分では最後まで楽しめた感じです。

 Amzon.comかどこかの評で、佐々木倫子の部分が星3.5で、綾辻行人の部分が星2.5という評価があったように思いますが、個人的には全く同感で、装丁などは立派ですが、内容的には、息抜き程度には悪くないといったところでしょうか(『おたんこナース』の単行本同様、大判で読み易いし)。

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最後まで楽しめる法廷劇。個人的評価は、短編:70点、戯曲:80点、映画:90点。

検察側の証人1.bmp 『検察側の証人 (ハヤカワ・ミステリ文庫(クリスティー戯曲集 2)』 ['80年] 検察側の証人2.bmp 『検察側の証人(クリスティ文庫)』 ['04年(戯曲)]

金持ちの老婦人がある晩撲殺され、彼女と親しくし金銭的事務を任されていたことから嫌疑をかけられた青年レナードを腕利きの老弁護士ウィルフリッドロバーツ卿は弁護することになるが、金目当てだとすれば動機も充分な上に状況証拠は青年に不利なものばかり。しかも、彼を救えるはずの外国人妻ローマインが、あろうことか"検察側の証人"として出廷し、夫の犯行を裏付ける証言を―。

情婦.jpg情婦 パンフ.jpg 1953年初演の戯曲『検察側の証人 (Witness for the Prosecution)』は、1933年に刊行された短編集『死の猟犬』の中にある同名の短編小説を、アガサ・クリスティ(1890‐1976/享年85)自身が戯曲化したもので、1957年にビリー・ワイルダー監督によって映画化もされています(邦題「情婦」)。

 自分自身が接した順番は、映画→戯曲→短編という逆時系列であり、戯曲と短編ではトリックそのものは同じなのですが、戯曲の方が法廷劇としてのテンポの良さや愛憎劇としての深みに勝っていて面白く、何よりも短編の最後のドンデン返しに加えて、もう1回どんでん返しがあるのが戯曲の方(短編を訳している茅野美ど里氏は、「クリスティ作品で原作以上に映画の方が面白いと思ったのはこれひとつ」と述べている)。

 映画は戯曲にほぼ忠実に作られており、初めて観たときにはすっかりトリックに騙されましたが、短編→映画と進んだ人の中には、2回目のドンデン返しは、ストリーテラーであるビリー・ワイルダー監督の創意であると思った人もいたようです(実はクリスティ自身のアイデア)。

Marlene Dietrich.jpg 映画では、弁護士役の舞台出身俳優チャルールズ・ロートンの演技が高く評価されたようですが、外国人妻ローマイン役のマレーネ・デートリッヒも良かったと思います(演技もさることながら、当時56歳ですから、あの美貌と脚線美には脱帽)。
 Marlene Dietrich (1901‐1992)

 短編と戯曲と映画をそれぞれ比べると、短編では外国人妻はオーストリア人になっているのに、戯曲と映画ではドイツ人になっている(デートリッヒを想定した?)といった細かい違いもさることながら、戯曲では老弁護士はあまり事の急進展に疑問を感じておらず、裁判に勝つことしか眼中に無いのに対し、映画でのチャルールズ・ロートンは、「何だかおかしい」感を抱き続けているように見え、短編では具体的に、外国人妻の仕草の癖から老弁護士がある時出会った女性を想起するまでに至っています。

WITNESS FOR THE PROSECUTION.jpg 映画の圧巻の1つは、デートリッヒが老弁護士チャルールズ・ロートンに(かなり高飛車に)謎解きをする場面で、あの太っちょのチャルールズ・ロートンが冷や汗を流して縮み上がる―にも関わらず、第2のドンデン返しの後で、彼女のためにこの老弁護士はある決心をするのですが、この"決意表明"は短編にも戯曲にも無いため、ビリー・ワイルダーの創意なのではないかと思います。

「情婦」●原題:WITNESS FOR THE PROSECUTION●制作年:1957年●制作国:アメリカ●監督:ビリー・ワイルダー●製作:アーサー・ホーンブロウ・ジュニア●脚本:ビリー・ワイルダー/ハリー・カーニッツ●撮影:ラッセル・ハーラン●音楽:マティ・マルネック/ラルフ・アーサー・ロバーツ●原作戯曲:アガサ・クリスティ●時間:116分●出演:タイロン・パワー/マルレーネ・ディートリッヒ/チャールズ・ロートン/エルザ・ランチェスター/ジョン・ウィリアムス●日本公開:1958/03●配給:松竹=ユナイト●最初に観た場所:新宿シアターアプル(85-10-20)(評価:★★★★☆)

情婦 角川文庫.jpgクリスティ短編集1.jpg 戯曲...1969年文庫化[角川文庫(『情婦』)]/1980年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(『検察側の証人(クリスティー戯曲集2)』)〕/2004年再文庫化[ハヤカワ文庫〕/短編...1960年文庫化[新潮文庫(『クリスティ短編集1』)〕/1966年再文庫化・1992年改版[創元推理文庫(『検察側の証人(クリスティ短編全集1)』)]/1971年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ(『死の猟犬』)〕/1979年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ(『死の猟犬(クリスティ短編集7』)〕/1997年再文庫化[偕成社文庫(『検察側の証人(アガサ・クリスティ推理コレクション5)』)〕/2004年再文庫化[早川書房・クリスティー文庫(『死の猟犬』)]】

 『情婦 (1969年) (角川文庫)』 『クリスティ短編集 (1) (新潮文庫)

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文豪が大衆や子供たちに向けて贈ったクリスマス・ストーリー(寓話)。意外とコミカル。

クリスマス・カロル 新潮文庫.jpgクリスマス・カロル 新潮文庫.bmp 『クリスマス・カロル (新潮文庫)』 A Christmas Carol.jpg "A Christmas Carol " (洋書ハードカバー)

 1843年12月17日に出版された英国の文豪チャールズ・ディケンズ(1812‐1970/享年58)の中編小説。ロンドンの下町近くに事務所を構える商人で、偏屈で人間嫌い、金の亡者であるスクルージは、クリスマス・イブの夜もクリスマスなど自分には関係ないとして、甥のパーティへの誘いも断り事務所にいたが、そこへかつての共同経営者であり7年前故人となっていたマーレイの亡霊が現れ、更に3晩続けて3人の幽霊が現れると告げる―。

 物語は吝嗇家のスクルージが3人の幽霊に導かれて自らの過去・現在・未来を見せられるという超自然的な体験を軸に展開し、その描写が、ディケンズらしい社会派リアリズムと、この寓話の特性としてのシュールさが相俟って面白かったです(もともと、マーレイの亡霊が現れるところからシュールであるとともに、時にリアルなホラーになっていて不気味だったりするのだが)。
Scrooge & Scrooge
scrooge2.jpgSCROOGE.jpg また、スクルージと幽霊のやりとりはかなりコミカルであり、頑固で神経質なスクルージのキャラクターは、個人的には、ディズニーのドナルドダックの伯父さんであるスクルージのキャラクターとよく符合したように思います。

 超常体験を通してスクルージは改悛し、自らの価値観が誤っていたことを悟って貧者への思いやりに目覚めるというのも予定調和ですが、この結末から窺えるように、もともとスクルージは悪人ではないわけで、こうしたスクルージという人物の本質を突いたディズニーのキャラクター造型というのもなかなかのものだと思ったりもします(この作品に対しては、スクルージの描き方が漫画的であるという批判もあるようだが、もともと文学というより寓話に近いのでは)。

 文豪が大衆や子供たちに向けて贈ったクリスマス・ストーリーということになるのでしょうが(新潮文庫版の翻訳は『赤毛のアン』シリーズの翻訳で知られる村岡花子(1893-1968))、クリスマス・ストーリーの中では最も有名なもので、何度か映画化やミュージカル化もされていています。

Scrooged (1988)
SCROOGED2.bmp3人のゴースト.jpg 自分が観たのは、話を現代に置き換えたリチャード・ドナー監督、ビル・マーレイ主演の「3人のゴースト」(Scrooged、'88年/米)で(ビル・マーレイは「ゴーストバスターズ」('84 年/米)にも主演していて、幽霊繋がり?)、映画では主人公は"金の亡者"ならぬ"視聴率の亡者"であるテレビ局の若社長になっていて、登場する"ゴースト"がタクシー運転手だったり女妖精だったりとバラエティ豊かですが、一応、原作のストーリーは押さえている感じでした。

 但し、こうした古典的寓話を複雑な現代社会に置き換えても、なかなかヒューマンな部分は伝わりにくいという感じもし(主人公が最後に自分の局の番組の中で慈善演説をぶつのも、ややわざとらしい)、マイルス・ディヴィスなど有名人が顔見せ的に画面に登場するなどしていて、映画を作る側も感動させるというより、ひたすら楽しんで(やや開き直って?)作っている感じがしました。

「3人のゴースト」●原題:SCROOGED●制作年:1988年●制作国:アメリカ●監督:リチャード・ドナー●製作:アート・リンソン/リチャード・ドナー●製作総指揮:ステファン・J・ロス/●脚本:ミッチ・グレイザー/マイケル・オドノヒュー●撮影:マイケル・チャップマン●音楽:ダニー・エルフマン●原作:チャールス・ディッケンス「A Christmas Carol」●時間:101分●出演:ビル・マーレイ/カレン・アレン/ジョン・フォーサイス/ボブキャット・ゴールスウェイト/デビッド・ヨハンセン/キャロル・ケイン/ロバート・ミッチャム●日本公開:1988/12●配給:パラマウント映画●最初に観た場所:名古屋毎日ホール(88-12-30)(評価:★★☆)●併映:「星の王子ニューヨークへ行く」(ジョン・ランディス)

 【1950年文庫化[岩波文庫〕/1950年再文庫化[角川文庫〕/1952年再文庫化[新潮文庫〕/1969年再文庫化[旺文社文庫〕/1984年再文庫化[講談社青い鳥文庫(『クリスマス・キャロル』)〕/1991年再文庫化[集英社文庫(『クリスマス・キャロル』)〕/2001年再文庫化[岩波少年文庫(『クリスマス・キャロル』)〕/2006年再文庫化[光文社古典新訳文庫(『クリスマス・キャロル』)〕】

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"quick read but strong "。スタインベックに「文学の神様」が宿った時期の作品。

ハツカネズミと人間.jpg 二十日鼠と人間 新潮文庫.jpgハツカネズミと人間 (新潮文庫)』 ['94年/'53年] 二十日鼠と人間.jpg 「二十日鼠と人間 [DVD]

Of Mice and Men.jpg 小さな家と農場を持ち、そこでウサギを飼い、土地のくれる一番いいものを食べて暮らすこと夢見るジョージとレニーは、共に農場を渡り歩く期間労働者で、ジョージは小柄ながら知恵者、一方のレニーは巨漢だがちょっと頭が鈍いという具合に対照的ながらも、いつも助け合って生きてきた―この2人がある日また新たな農場にたどり着くが、そこには思わぬ悲劇が待ち受けていた―。

 1937年に出版された米国人作家ジョン・スタインベック(John Steinbeck、1902‐1968/享年66)の中編小説で、以前読んだ大門一男訳に対し、入れ替わりで新潮文庫に入った大浦暁生訳は題名の「二十日鼠」の表記がカタカナになっているなどの違いはありますが、文庫で約150ページと再読するにも手頃で、それでいて、初読の際の時の衝撃が甦ってくるものでした(洋書の書評に"quick read but strong "とあったが、まさにその通り)。

 1930年代の大恐慌時代のカリフォルニア州が舞台なのですが、スタインベック自身の季節労働者としての経験がベースになっており、寓話的でありながらも細部にリアリティがあるし、ラマ使いの名人で農場労働者のリーダー格のスリムや厩に住む黒人クルックスなど、短い物語の中に、極めて印象に残る人物が見事に配置されているように思いました(特にスリム、このキャラクターは渋い!)。

 ラストのジョージの苦渋の行動は、知恵遅れのレニーがいつも問題を起こすための2人で農場を転々としてきた過去の経緯があり、その上で、今度こそはもう手の打ちようがないという判断の末でのことでしょう。
 キャンディという老人が、自らが可愛がっていた老犬の処分を他人に委ね、後で「あの犬は自分で撃てばよかった」と悔いるエピソードが、伏線として効いています。

怒りの葡萄 ポスター.jpg怒りの葡萄.gif スタインベックはこの作品でその名を知られるようなり、2年後に発表した、旱魃と耕作機械によって土地を奪われた農民たちのカリフォルニアへの旅を描いた『怒りの葡萄』('39年)でピューリツァー賞を受賞しますが、共に映画化されており、「二十日鼠と人間」は'39年と'92年に映画化されているものの未見、ジョン・フォード監督の「怒りの葡萄」('40年/米)は吉祥寺の「ジャヴ50」で深夜に観ましたが、電車の座席みたいな長椅子の客席に集った客の半分が外国人でした(同劇場でその少し前に「わが谷は緑なりき」('41年/米)を観た時もそうだった)。

 刑務所帰りの貧農の息子をヘンリー・フォンダが好演しており(彼はこの作品で"もの静かに不正に向かって闘う男"というイメージを確立)、母親とまた別れなければならないという結末のやるせなさが「Red River Valley」のテーマと共に心に残りましたが、アメリカ人は、こうした作品に日本人以上に郷愁を感じるのでしょう(個人的には、小津安二郎や山田洋次の家族モノに通じるものを感じたりもしたのだが)。

エデンの東ポスター.jpgEast of Eden.jpg ジェームズ・ディーンがその演技への評価を確立したとされるエリア・カザン監督の「エデンの東」('55年)も、スタインベックの『エデンの東』('50年)がベースになっているのですが、原作が南北戦争から第1次世界大戦までの60年間の2つの家族の3代にわたる歴史を綴った4巻56章から成る膨大な物語であるのに対し、映画の中で描かれているのは最後のほんの一時期のみで1家族2世代の話に圧縮されており、実質的には、父に好かれたいがそれが叶わないケイレブ(キャル)・トラスク (ジェームズ・ディーン)の苦悩の物語となっています。

 「エデンの東」の原作は読んでいませんが、スタインベックは後期作品ほど大味の嫌いがあるらしく(エリア・カザンの翻案は当然の選択だったのだろう)、そうした意味では『二十日鼠と人間』は、彼に「文学の神様」が宿った時期の作品であると言えるかと思います。
「エデンの東」 1977年公開時チラシ
エデンの東 1977年公開時チラシ.bmp「怒りの葡萄」●原題:THE GRAPES OF WRATH●制作年:1940年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・フォード●製作:ダリル・F・ザナック●脚本:ナナリー・ジョンソン●撮影:グレッグ・トーランド●音楽:アルフレッド・ニューマン●原作:ジョン・スタインベック●時間:128分●出演:ヘンリー・フォンダ/ジェーン・ダーウェル/ジョン・キャラダイン/チャーリー・グレイプウィン/ドリス・ボードン●日本公開:1963/01●配給:昭映フィルム●最初に観た場所:吉祥寺ジャヴ50(84-07-14)(評価:★★★★)

「エデンの東」●原題:EAST OF EDEN●制作年:1955年●制作国:アメリカ●監督・製作:エリア・カザン●脚本:ポール・オスボーン●撮影:テッド・マッコード●音楽:レナード・ローゼンマン●原作:ジョン・スタインベック●時間:115分●出演:ジェームズ・ディーン/ジュリー・ハリス/レイモンド・マッセイ/バール・アイヴス●日本公開:1955/10●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:池袋文芸坐(79-02-18)(評価:★★★☆)●併映:「理由なき反抗」(ニコラス・レイ)

"Of Mice and Men" from Iron Age Theatre
Of Mice and Men 1.jpg Of Mice and Men 3.jpg

 【1953年文庫化[新潮文庫(大門一男訳)]/1994年再文庫化[新潮文庫(『ハツカネズミと人間』大浦暁生訳)]】

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従来の文学作品の類型の何れにも属さず、かつ小説的濃密さを持つムルソーの人物造型。

異邦人 単行本(1951).jpg  異邦人 1984.jpg 異邦人 1999.jpg 異邦人1.jpg
単行本 ['51年/新潮社] 『異邦人 (新潮文庫)』 ['84年]    ['99年]

 1942年6月に刊行されたアルベール・カミュ(Albert Camus、1913‐1960/享年46)の人間社会の不条理を描いたとされる作品で、「きょう、ママンが死んだ」で始まる窪田啓作訳(新潮文庫版)は読み易く、経年疲労しない名訳と言えるかも(新潮社が仏・ガリマール社の版権を独占しているため、他社から新訳が出ないという状況はあるが)。

 養老院に預けていた母の葬式に参加した主人公の「私」は、涙を流すことも特に感情を露わにすることもしなかった―そのことが、彼が後に起こす、殆ど出会い頭の事故のような殺人事件の裁判での彼の立場を悪くし、加えて、葬式の次の日の休みに、遊びに出た先で出会った旧知の女性と情事にふけるなどしたことが判事の心証を悪くして、彼は断頭台による死刑を宣告される―。
                                    
Gallimard版(1982)
L'Etranger.png 仏・ガリマール社からの刊行時カミュは29歳でしたが、この小説が実際に執筆されたのは26歳から27歳にかけてであり(若い!)、アルジェリアで育ちパリ中央文壇から遠い所にいたために認知されるまでに若干タイムラグがあったということでしょうか。
 但し、この作品がフランスで刊行されるや大きな反響を呼び、確かに、自分の生死が懸かった裁判を他人事のように感じ、最後には、「私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけ」を望むようになるムルソーという人物の造型は、それまでの文学作品の登場人物の類型の何れにも属さないものだと言えるのでは。

 カフカ的不条理とも異なり、第一ムルソーは自らの欲望に逆らわず行動する男であり(ムルソーにはモデルがいるそうだが、この小説の執筆期間中、カミュ自身が2人の女性と共同生活を送っていたというのは、小説と似たシチュエーション)、また、公判中に自分がインテリであると思われていることに彼自身は違和感を覚えており(カミュ自身、自らが実存主義者と見られることを拒んだ)、最後の自らの死に向けての"積極"姿勢などは、むしろカフカの"不安感"などとは真逆とも言えます。

 サルトルは「不条理の光に照らしてみても、その光の及ばない固有の曖昧さをムルソーは保っている」とし、これがムルソーの人物造型において小説的濃密さを高めているとしていますが、自分にはこのことは、『嘔吐』でマロニエの樹を見て気分が悪くなるロカンタンという主人公の、"小説的濃密さ"の欠如を認めているようにも思えなくもないのです。

異邦人ポスター.jpg異邦人パンフレット.jpg ルキノ・ヴィスコンティがマルチェロ・マストロヤンニを使ってこの『異邦人』を映画にしていますが('67年)、テーマがテーマである上に、小説の殆どはムルソーの内的独白(それも、だらだらしたものでなく、ハードボイルドチックな)とでも言うべきもので占められていて、情景描写などはかなり削ぎ落とされており(アルジェリアの養老院ってどんなのだろうか、殆ど情景描写がない)、映画にするには土台無理がある作品である気がしなくもありません。(映画「異邦人」 パンフレット/ポスター

 松岡正剛氏はこの映画を観て、ヴィスコンティはムルソーを「ゲームに参加しない男」として描ききったなという感想を持ったそうで、これは言い得ているのではないかという気がします。
 自分としては、ラストのムルソーの司祭とのやりとりを通して感じられる彼の「抵抗」とその根拠みたいなものは伝わってきにくかったように思われ、映像化することで抜け落ちてしまう部分はどうしてもあるような気がしました。

異邦人 .jpg この世の全てのものを虚しく感じるムルソーは、自らが処刑されることにそうした虚しさからの自己の解放を見出したともとれますが、映画で断頭台が地べたに置いてあるのが何だか生々しく、ああ、やっぱり死刑はイヤだなあとか、単純に思ったりして...(小説の中でもよく読むと、ムルソーが、断頭台が「台」になっていない事をちょっと意外に思う記述があったのだが、小説は獄中での主人公の決意にも似た思いで終わっていて、彼が断頭台に連れて行かれる場面は無い)。(映画「異邦人(Lo straniero)」より

 ただ、ムルソー(この名前も小説の最後にちょこっと出てくるだけなのだが)が母親の葬儀の翌日に女友達と海へ水遊びに行ったのは、彼が養老院の遺体安置所の「死」の雰囲気から抜け出し、自らの心身に「生」の息吹を獲り込もうとした所為であるという見方があり、映画ではそれを裏付けるような作りにはなっていたなあと思いました。

lo_straniero1.jpg ママンの出棺を見るムルソー(マルチェロ・マストロヤンニ)
lo_straniero2.jpg 葬儀の翌日、海辺で女友達(アンナ・カリーナ)に声かけ
lo_straniero3.jpg アラブ人達と共同房にて(死刑確定後は独房に移される)

「異邦人」●原題:THE STRANGER (LO STRANIERO/L'ÉTRANGER)●制作年:1967年●制作国:イタリア・フランス・アルジェリア●監督:ルキノ・ヴィスコンティ●製作:ディノ・デ・ラウレンティス●脚本:スーゾ・チェッキ・ダミーコ/エマニュエル・ロブレー/ジョルジュ・コンション●撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ●音楽:ピエロ・ピッチオーニ●原作:アルベール・カミュ「異邦人」●時間:104分●出演:マルチェロ・マストロヤンニ/アンナ・カリーナ/ルナール・ブリエ●日本公開:1968/09●配給:パラマウント●最初に観た場所:岩波シネサロン(80-07-13)(評価:★★★)
岩波ホールビル.jpg 岩波シネサロン(岩波ホール9F)


 【1954年文庫化[新潮文庫〕】

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