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主人公よりも詐欺師の"タムキン博士"と父親の"アドラー博士"が印象に残った。
『この日をつかめ (新潮文庫)』 ['71年]
Saul Bellow (1915-2005/享年89)
First edition cover (1956)
44歳になるトミー・ウィルヘルムは、かつて役者志望の道を絶たれ、今は職も無く妻子とも別れ、名士の父親と同じホテルで生活しているが、部屋代の支払いにも窮し、投資につぎ込んだなけなしの金もどうなるかわからない―。
1956年に米国の作家ソール・ベロー(Saul Bellow、1976年にノーベル文学賞受賞)が発表した小説で、主人公の危機的な一日を追いながら、人間存在の意味を問うた作品(原題は"Seize the Day")。
踏んだり蹴ったりの主人公ですが、やっぱり中年で自活出来ないというのは、経済生活面だけでなく、精神面でキツイなあと思いつつも、あまり主人公に同情心が沸かないのは何故だろう。
社会(俗世間)からの疎外を感じる主人公が、最後には、「この日をつかめ」という言葉をキーワードに、過去に捉われることなく、また、未来に不安を抱くことなく、"今を生きる"ことの大切さを悟るのですが、ついつい、明日は大丈夫なの?と思ってしまうのは、自分が俗っぽいからでしょうか。
主人公のラード等への投資を仲介する"タムキン博士"という人物が大変印象に残り、「この日をつかめ」も彼の言葉なのですが、彼は実は詐欺師であり(読者にはかなり早い段階でそれがわかると思うが、主人公は疑念を抱きながらも彼に振り回される)、いかにも資本主義社会に徘徊していそうなクセモノ。
彼の言う「この日をつかめ」は"投機"上の意味合いなのですが、主人公は詐欺師の言葉から哲学を引き出し(確かにこの詐欺師は哲学者っぽい弁を垂れる)、一方で、詐欺師になけなしの金を持っていかれたということか。
主人公の父親の"アドラー博士"というのも、息子を世の中の敗北者と決めつけ、全く構ってやらないという、ちょっと日本にはいないタイプの父親で、志賀直哉の父親との間での葛藤などとも違って、こちらは「和解」の余地すら無い。
この父親も俗世間の代表格であるけども、アーサー・ミラーの『セールスマンの死』に出てくる、アメリカンドリームを子供に託す期待過剰の父親とも全然違い、その個人主義は凄まじく、息子さえも他人レベルと変わらない「一個人」に過ぎないという感じでしょうか(ユダヤ系ということも関係しているのか?)。
小説として今一つ感動は出来なかったですが、"タムキン博士"と"アドラー博士"は印象に残りました(主人公よりも)。
【1971年文庫化・1993年改版[新潮文庫]/1978年再文庫化[集英社文庫(『その日をつかめ』)]】
