「●死刑制度」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1260】 篠田 博之 『ドキュメント 死刑囚』
死刑廃止論者に転じた弁護士作家の省察。考えさせられる部分もあったが...。
『極刑 死刑をめぐる一法律家の思索』 ['05年]
"Ultimate Punishment: A Lawyers Reflections on Dealing With the Death Penalty" ['04年/ペーパーバック版]
'90年代の米国のサスペンス小説界で最も人気を得た作家と言えば、弁護士出身のジョン・グリシャムで、『評決のとき』、『法律事務所』、『ペリカン文書』などのリーガル・サスペンスは映画化作品としても知られていますが、弁護士としての実績では、『推定無罪』、『立証責任』などの著者であり、また本書(原題:Ultimate Punishment: A Lawyer's Reflections on Dealing With the Death Penalty )の著者でもあるスコット・トゥロー(Scott Turow)の方が上のようです。
本書にも取り上げられている、トゥローが作家活動をしながら手掛けた2件の事件の内1つは、死刑囚の冤罪を立証して無罪に導いたもので(この事件をベースに『死刑判決』というリーガル・サスペンスを書いている)、もう1つは、一旦は死刑が確定した被告について、量刑の不均衡を訴え再審に持ち込み、懲役刑に減刑したというもの―まさに「やり手」と言うしかありません。
本書は、著者が、当初は、死刑制度に敢えて反対はしないものの、死刑制度が必要であるとも明言しかねるという曖昧な態度であったものが、次第と死刑廃止論に傾いていく過程を、上記2つの事件を巡る経験や、イリノイ州の「死刑査問委員会」のメンバーに指名されてからの見聞と考察を交えて記したもの。
日本の死刑反対論者が書いたものに比べると、「正義はきちんと行われているか」「量刑に不均衡はないか」ということにウェイトが置かれているように思われ、これは「犯罪大国」であり「死刑大国」であるアメリカであるからこそ、より問題視されるのでしょう(特にイリノイ州では数多くの冤罪や量刑不当があった)。要するに著者は、その点に確信が持てないことから、死刑廃止論者になっていったことが窺えます。
本書に幾つかその例が出てくるように、アメリカでは、何十人もの人間を残忍な方法で殺害した殺人鬼のような犯罪者が時折現われますが、そうした矯正不能と思われる人間を処刑せずに生かしておくことになっても、「無辜の民を殺してしまう誤り」を選ぶぐらいならば、「生かしておく誤り」の方を選ぶと。
一方で、死刑から懲役刑に減刑された囚人の改心が目覚しいものであったことを例にあげ、罪者の改心の可能性を奪ってしまうことになる死刑制度には反対であるという論じ方もしていて、この点は、日本の一部の死刑反対論者の論と通じる処があります。
但し、アメリカは州によって死刑制度があったり無かったりし、またイリノイ州のように制度があっても執行が停止された州などもあるわけで、そうなると大量殺人を犯しても生かされている犯罪者もいれば、偶発的な殺人で死刑に処せられた犯罪者もいたりし、この辺りの矛盾については、著者自身が州内での量刑不均衡の次に考えなければならない問題なのでしょう。
翻訳者も解説において、9.11同時多発テロ以降の当局の司法審査を経ない長期の身柄拘束への批判がされていないことなどへの不満を漏らしていますが、自己の経験に近いところでの内省である分、視野は限定的だったかも。
個人的には、ケーススタディとして考えさせられる部分はあり、遺族の報復・仕返しの観点から死刑を選択するのではなく、それは副次的に考えられなければならないとする論などには頷かされる面もありましたが、犯罪や司法などのそもそものバックグラウンドが日本とは随分違うなあという印象も受けました。
