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聖書の中のエピソードを、当時のイスラエル人の暮らしぶりも踏まえて分かり易く解説。
『新約聖書入門―心の糧を求める人へ (カッパ・ブックス)』['77年]
『新約聖書入門―心の糧を求める人へ (知恵の森文庫)』 ['84年]

映画やドラマにもなった『氷点』で知られる作家・三浦綾子(1922‐1999/享年77)による聖書入門で、同じカッパ・ブックスの『旧約聖書入門-光と愛を求めて』('74年/光文社)の姉妹本でもあり(現在は共に光文社文庫に収められれいる)、カッパ・ブックスのカバー折り返しに佐古純一郎氏が書いているように、「自分自身の生き様を引っ提げて新約聖書にぶつかっている」本です。
テレビ朝日系「氷点」('06年)
『旧約聖書入門―光と愛を求めて (カッパ・ブックス)』 ['74年/'95年復刻版]
ノン・ブックスにあった(現在は、ノン・ポシェット)遠藤周作(1923‐1996/享年73)の『私のイエス-日本人のための聖書入門』('76年/祥伝社)が、イエスを裏切った者や"転びバテレン"に対する著者独自の見解で賛否両論を引き起こしたのに対し、こちらはオーソドックスと言えばオーソドックスと言えるかも。
自分自身がキリストの愛によって泥沼から救われたとの思いを持つ著者は、聖書を自らの良心のバロメーターとしていると言うように、聖書と真正面から向かい合い、それを自分自身の信仰生活の糧にしようとする姿勢が前面に出ていて、両方ともそれぞれに、遠藤文学、三浦文学と呼応しているように見えるのが興味深いです。
一般向けの「聖書入門」と言うよりは、すでに信仰生活に入って聖書を一通り読んでいる人のための「再入門」に近い面もありますが、聖書の中のエピソードを極めて分かり易く再現し、その背景にある意味を、当時のイスラエルの人々の暮らしや風俗をも踏まえて解説しているのは親切だと思いました。
例えば、芥川龍之介が短編小説の極地だと激賞した「放蕩息子の帰還」(ルカによる福音書)のエピソードの解説などは、素人的視点に立ち返って息子を迎えた父親の行動の謎を解き明かすと共に、息子が豚を飼って暮らしていた、その"豚を飼う"ということが、ユダヤ人にとっては遊女を買うよりも堕落した行為であった、つまり、そこまで息子は落ちぶれていたということを表すと解説しています。
1日働いた者も1時間しか働かなかった者も同じ賃金だったという葡萄園の労働者の話(マタイによる福音書)の背景には、当時イスラエルは不況で、結果として1時間しか働かなかった者も、実はその日は朝から職を求めて「立ちんぼ」していたという事情があり、一方で、雨季の前に葡萄を収穫する必要があったという逼迫した状況が農園主にはあったとか、イエスがなぜ盲人に泥をこね、シロアムに池へ行って洗うように言ったのか(ヨハネによる福音書)、シロアムの池は神殿からどのぐらいの距離があったのか、などといった話は、なかなか興味深かったです。
三浦文学で、こうした著者の信仰に端的に呼応した作品としては、大勢の乗客を乗せた客車が暴走した際に、自らの命を犠牲にしてそれを止めた青年の実話を基にした『塩狩峠』('68年/新潮社)がありますが、子供の頃に家にあったその本を読み、単純に主人公はカッコいいなあと思っていました。
でも、大人になって、そんなことする人って今の世の中に果たしているだろうかという現実的な想いでいたところ、'01年にJR新大久保駅でホームから転落した男性を助けようとした韓国人男子留学生が命を落とす事件があり、その時、真っ先にこの小説を思い出しました。
『塩狩峠』 ['68年/新潮社]
【1984年文庫化[知恵の森文庫)]】
