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大胆に翻案し、原作以上のもの(現代的なもの)を生み出す黒澤スタイルの典型作。
「羅生門 [DVD]」
ポスター
『藪の中 (講談社文庫)』 ['09年]
平安末期、侍(森雅之)が妻(京まち子)を伴っての旅の途中で、多襄丸という盗賊(三船敏郎)とすれ違うが、妻に惹かれた盗賊は、藪の中に財宝があると言って侍を誘い込み、不意に組みついて侍を木に縄で縛りつけ、その目の前で女を手込めにする。
翌朝、侍は死骸となって木樵り(志村喬) に発見されるが、女は行方不明に。後に、一体何が起こり何があったのかを3人の当事者達は語るが、それぞれの言い分に食い違いがあり、真実は杳として知れない―。
1922(大正11)年1月に雑誌「新潮」に発表の芥川龍之介の短編小説「藪の中」が実質的な原作で、1915(大正4)年発表の「羅生門」は、映画では、冒頭の背景など、題材として一部が使われているだけです。
原作は、事件関係者の証言のみで成り立っていて、木樵、旅法師、放免(警官)、媼(女の母)の順に証言しますが、この部分が事件の説明になっている一方で、彼らは状況証拠ばかりを述べて事件の核心には触れません。
続いて当事者3人の証言が続き、多襄丸こと盗人が、侍を殺すつもりは無かったが、女に2人が決闘するように言われ、武士の縄を解いて斬り結んだ末に武士を刺し、その間に女は逃げたと証言、一方の女は、清水寺での懺悔において、無念の夫の自害を自分が幇助し、自分も死のうとしたが死に切れなかったと言います。
そして最後に、侍の霊が巫女の口を借りて、妻が盗人を唆して自分を殺させたと―。
原作はこれだけで終わってしまっているので、誰の言うことが真実なのかわからないわけですが、霊が語っているだけに、何となく侍の言い分が真実味があるような...(作者は、犯人が誰かを示唆したのではなく、それが不可知であることを意図したというのが、通説らしいが)。
映画では、原作と同様、盗人、女、侍の証言が再現映像と共に続きますが、女の証言が原作とやや異なり、侍の証言はもっと異なり、しかも最後に、杣売(そまふ)、つまり木樵(志村喬)が、実は自分は始終を見ていたと言って証言します。
その証言がまた、それまでの3人の証言と異なる(それらをごちゃ混ぜにした感じもあるが、とにかく女性が強くなっている)という大胆な設定で、杣売の語ったのが真実だとすれば、黒澤明はこの作品に、現代的だが相当キツイ「解」を与えたことになるなあと思います(その重いムードを救うような、原作には無いラストが用意されてはいるが)。
ストーリーの巧みさもさることながら、それはいつも観終わった後で思うことであって、観ている間は、森の樹々の葉を貫くように射す眩い陽光に代表されるような、白黒のコントラストの強い映像が陶酔的というか、眩暈を催させるような効果があって(宮川一夫のカメラがいい)、あまり自分の思考力の方は働かないというのが実際のところですが、高田馬場のACTミニシアターでは、そうした自分のような人のためを思ってか、上映後にスタッフが、ドナルド・リチーによる読み解きを解説してくれました(親切だったなあ、ここ。毎回、五円玉とミルキー飴をくれたし)。


「羅生門」●制作年:1950年●監督:黒澤明●製作:箕浦甚吾●脚本:黒澤明/橋本忍●撮影:宮川一夫●音楽:早坂文雄●原作:芥川龍之介「藪の中」●時間:88分●出演:三船敏郎/森雅之/京マチ子/志村喬/千秋実/上田吉ニ郎/加東大介/本間文子●公開:1950/08●配給:大映●最初に観た場所:高田馬場ACTミニシアター(84-12-09)(評価:★★★★☆)●併映:「デルス・ウザーラ」(黒澤明)
高田馬場(西早稲田)ACTミニシアター 1970年代開館。2000(平成12)年頃 閉館(活動休止)
芥川の「藪の中」と「羅生門」は、岩波文庫、新潮文庫、角川文庫、ちくま文庫などで、それぞれ別の本(短編集)に収められていますが("やのまん"の『芥川龍之介 羅生門―デカい活字の千円文学!』 ('09年)という単行本に両方が収められていた)、'09年に講談社文庫で両方が1冊入ったもの(タイトルは『藪の中』)が出ました(映画「TAJOMARU(多襄丸)」の公開に合わせてか)。
ACTミニシアターのチラシ http://d.hatena.ne.jp/oyama_noboruko/20070519/p1 大山昇子氏「女おいどん日記」より
