「●海外文学・随筆など」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【666】 ジョルジュ・ベルナノス 『少女ムーシェット』
「○海外文学・随筆など 【発表・刊行順】」の インデックッスへ
「●海外サスペンス・読み物」の インデックッスへ 「○海外サスペンス・読み物 【発表・刊行順】」の インデックッスへ
裕福な家庭の人々の「罪」を暴いた「警部」は、「超自然の存在」という解釈が妥当では。
『夜の来訪者 (岩波文庫)』 ['07年]
「夜の来訪者」('57年/ガイ・ハミルトン監督)
裕福な実業家の家庭で、娘の婚約を祝う晩餐会の夜に警部を名乗る男が訪れて、ある貧しく若い女性が自殺したことを告げ、その家の人々(主人夫妻、娘、息子、娘の婚約者)全員が自殺した女性との接点を持っており、彼女に少なからず打撃を与えたことを暴いていく―。
1946年10月初演の、英国のジャーナリスト・小説家・劇作家・批評家ジョン・ボイントン・プリーストリー(J.B. Priestley、1894-1984)の戯曲で(原題は"An Inspector Calls")、文庫で160ページほどであるうえに、安藤貞雄氏の新訳であり、たいへん読みやすかったです(初訳は1951年の内村直也)。
娘の死に自分たちは関与していないという実業家の家族たちの言い分を、「警部」が1人1人論破していく様は実に手際よく、娘や息子が自らの「罪」が招いた悲劇であることを認めたのに対し、それでも抗う主人夫婦などに、上流(中産)階級のエゴイズムや傲慢、他罰的な姿勢が窺えるのが興味深いです(最初は自罰的な態度をとっていた娘が、親に対して今度は他罰的な態度をとり始めるのも、やや皮肉っぽくもとれ、作者は家族ひっくるめて、風刺の俎上に上げているのでは)。
作品の時代背景は1912年ということですが、人間心理を突いた文学的作品であると同時に、1946年の英国にまだ残る旧社会的な考え方を照射した、社会批評的な要素もあるのではないかと思います。
プリーストリーは当時、「左翼的ジャーナリスト」と見做されていたようだし、キリスト教精神の影響もみられるようです。
但し、このお話、それだけで終わるのではなく、終盤、大いなる「謎」が家族の間に生じる―つまり、家族の団欒を台無しにして帰っていったあの訪問者は、本当に警部だったのかという...。
その疑念に自分らなりの解釈を加えて、また一喜一憂する実業家夫婦。そして、何も無かったことにしようといった雰囲気になる中、ラストにシュールな「どんでん返し」―と、結末までの持って行き方が鮮やかで、「推理劇」ではありませんが(どこかで「推理小説」のジャンルに入っていたのを見た記憶があるが)確かにスリラー的な楽しみがあり、最後には読者(観客)に対しても、大いなる「謎(ミステリ)」を残しています(作品自体は、"サスペンス"とでも言うべきものか)。
その「謎」、つまり「警部」とは何者だったのかについては、2度の映画化作品での描かれ方においても、「超自然の存在」という解釈と、"予知夢"などで「先に事件を知った別の人間」という解釈とに分かれているそうですが、やはり男の存在自体を「超自然の存在」とみるのが妥当だろうなあ。
ガイ・ハミルトン版('57年)はそのような解釈らしいけれど、段田さんはどう扱ったのかなあ(解釈抜きでも演劇としては成立するが...)。
【1952年文庫化[三笠文庫]/2007年再文庫化[岩波文庫]】

シス・カンパニー公演「夜の来訪者」 2009年2月14日~3月15日 新宿 紀伊國屋ホール
出演・演出:段田安則/出演:高橋克実、渡辺えり、八嶋智人、岡本健一、坂井真紀、梅沢昌代


中野武蔵野ホール(「出撃!!アド街ック天国」2003年8月16日放送より)
平凡なサラリーマンである"男"がある朝目覚めると、頬に金属のトゲのようなニキビが生じ、やがて彼の身体は時間とともに鉄に蝕まれていくが、それは、それは数日前に男が車で轢いてしまい、山林に捨てた"やつ"の復讐によるものだった―。



光文社文庫版の表題作「屋根裏の散歩者」(1925(大正14)年8月に「新青年」に発表)は、'70、'76、'94、'07年の4度映画化されており、田中登監督、石橋蓮司・宮下順子主演の映画化作品(「江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者」'76年/日活)を観ましたが、映画がエロチックな作りになっているのに対し、原作は、女の自慢話する男を嫌った主人公が、単に犯罪の愉しみのために、天井裏から毒薬をたらして男の殺害を謀るもので、エロチックな要素はありません(この作品の事件も明智小五郎が解決するが、その行動にも、どこか剽軽で乾いたところがある)。



コロンビア出身のノーベル文学賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスが'04年に発表した「わが悲しき娼婦たちの思い出」はこの作品にインスパイアされたものであり、また、'05年には、ドイツのヴァディム・グロウナ監督が映画化するなど、国際的にも注目された作品。でも、ドイツなんかには、こんな秘密クラブが実際にありそうな気がしないでもない...。
Das Haus Der Schlafenden Schonen(House of the Sleeping Beauties)ヴァディム・グロウナ監督 2005年/ドイツ




この作品は映画化されていて('54年/東宝)、個人的にはCS放送で部分的にしか観ていないので、十分な評価は出来ないのですが、監督は小津ではなく成瀬巳喜男ということもあってか、それなりにどろっとしていました。

「
'90年に英国BBCでドラマ版が制作され、'91年に日本でビデオ発売(邦題「100万ドルをとり返せ!」)、'92年にNHK教育テレビで放映され、最近でもCS放送などで放送されることがあります。
「
南洋・サモアの島を舞台に、魔窟を流れ歩く娼婦サディ・トンプソンと、彼女を宗教的救いの世界に導こうとする宣教師デヴィッドソンの確執を描いた英国の作家ウィリアム・サマセット・モーム(William Somerset Maugham 1874‐1965)の中篇を、米国のルイス・マイルストン(Lewis Milestone 1895‐1980)が監督した作品。
宣教師役のウォルター・ヒューストンの常にチン・アップして喋る演技は、確かに原作テーマに沿ってアイロニーが効いているように思えましたが(宣教師と言うよりナチの将校にも見える)、 そのワンパターン的演技よりも、娼婦役のジョーン・クロフォードの、めまぐるしく変容する主人公の心理を表す多彩な演技が素晴しく(一度は心底改心したように見え、それだけにラストの衝撃が大きい)、27歳にして大女優の風格を漂わせています。
「雨」(「雨の欲情」)●原題:RAIN●制作年:1932年●制作国:アメリカ●監督:ルイス・マイルストン●脚本:ウィリアム・サマセット・モーム/ジョン・コルトン/クレメンス・ランドルフ/マクスウェル・アンダーソン●撮影:オリヴァー・T・マーシュ●音楽:アルフレッド・ニューマン●原作:ウィリアム・サマセット・モーム「雨」●時間:94分●出演:ジョーン・クロフォード/ウォルター・ヒューストン/ウィリアム・ガーガン/ガイ・キビー/ウォルター・キャトレット/ボーラ・ボンディ●日本公開:1933/09●配給:ユナイテッド・アーティスツ(評価:★★★☆)



新潮文庫旧版 


吉永小百合・高橋英樹版は、宇野重吉扮する大学教授が過去を回想するという形で始まります(つまり、高橋英樹が齢を重ねて宇野重吉になったということか。ラストでこの教授の教え子役で、吉永小百合が二役演じている)。
「伊豆の踊子」●制作年:1963年●監督:西河克己●脚本:三木克己/西河克己●撮影:横山実●音楽:池田正義●原作:川端康成●時間:87分●出演:高橋英樹/吉永小百合/大坂志郎/堀恭子/浪花千栄子/茂手木かすみ/十朱幸代/南田洋子/宇野重吉/浜田光夫●公開:1963/06●配給:日活●最初に観た場所:池袋・文芸地下(85-01-19)(評価:★★★☆)●併映:「潮騒」(森永健次郎)

1958(昭和33)年・第12回「毎日出版文化賞」(文学・芸術部門)並びに1959(昭和34)年・第5回「新潮社文学賞」受賞作。

ブザーにしないで「ノックの音が」とすることで、却って「作品は風俗の部分から、まず古びていくのである」との轍を踏まずに済んでいるように思いました。



先月('10年7月)肺がんで亡くなった、つかこうへい(1948‐2010/享年62)の直木賞受賞作で、同じ初期の代表作『小説熱海殺人事件』もそうですが、舞台の方が先行していて('80年11月初演)、その舞台作品を小説化したものです。
「蒲田行進曲」●制作年:1982年●監督:深作欣二●製作:角川春樹●脚本:つかこうへい●音楽:甲斐正人●原作:つかこうへい「蒲田行進曲」●時間:106分●出演:風間杜夫/松坂慶子/平田満/高見知佳/原田大二郎/蟹江敬三/清水昭博/岡本麗/汐路章/榎木兵衛/清川虹子●公開:1982/10●配給:松竹●最初に観た場所:池袋・文芸地下(83-01-08)(評価:★★★)●併映:「この子の七つのお祝いに」(増村保造) 


パリコレのモデルに転身したとのことで、やはり役者には向かないのだろうと思いましたが、その後日本に戻り、30代になってから、女優としてもモデルとしても活躍している―映画「キッチン」に出ていた頃の、牛蒡(ごぼう)が服着て歩いていうような面影は今や微塵も無く、いい意味での変身を遂げたなあ、この人。







表題作「ミハスの落日」('98年発表)ほか、世界5都市を舞台にしたミステリ短編集で、地理的バラエティだけでそこそこ楽しめますが、それぞれが短編である分、ミステリとしては仕掛けが軽いというか、いかにも作り物という感じが拭えませんでいた(「ミハスの落日」については、作者自身も後書きで、このトリックは「まともに書いていたら噴飯もの」と認めている)。










