2011年4月 Archives

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読み易く読後感もそう悪くない。でも、読み終えた途端に印象が薄くなり始めるような...。

シャドウ 道尾秀介.jpg  シャドウ 道尾秀介 文庫.jpg               向日葵の咲かない夏.jpg
シャドウ (ミステリ・フロンティア)』['06年]/『シャドウ (創元推理文庫)』/『向日葵の咲かない夏』['05年]

 2007(平成19)年・第7回「本格ミステリ大賞」〈小説部門〉受賞作。

 小学5年生の我茂凰介は、進行性の癌で母・咲江を亡くす。それから間もなくして、幼馴染みの亜紀の母親で咲江とも親友だった恵が、夫の勤める病院の屋上から飛び下り自殺、亜紀は交通事故に遭い、凰介の父親・洋一郎もまた異常を来していく。家族の幸せを願う鳳介が行き着く結末とは―。

 文芸が主なのか、ミステリが主なのかよく分からなかったりする著者の作風ではありますが、この作品は、'06年「本格ミステリベスト10」で第6位、「週刊文春ミステリーベスト10」で第10位、'07年の「このミステリーがすごい!」で第3位、と幅広くランクインおり、何よりも「本格ミステリ大賞」受賞作ということで、何となく安心した気分で読みました。

 『向日葵の咲かない夏』('05年/新潮社)が、作者本人は救いの物語のつもりで書いたのが、多くの読者から暗いとか、トリックは斬新だが重た過ぎる、主人公が可哀想過ぎるといった声があり、『向日葵の咲かない夏』で伝えられなかったことを伝えるつもりで本作を書いたとのこと、確かに、主人公の小学5年生の凰介の生き方が、『向日葵の咲かない夏』の小学4年生の僕(ミチオ)よりはベクトルが前向きになっているかも。

 上手いことは上手いなあと思いました。テンポが良くて、ミステリとして読み易いし、今回は掟(おきて)破りの"叙述トリック"もないし、その上読後感も(必ずしも明るいものではないが)凰介の成長が窺えるためにそう悪くない―ただ、プロットがややいじくり過ぎのような気がし、偶然に依拠している部分も多いようにも思いました(たまたま"その時"屋上に駆けつけたとか、ご都合主義的なB級ドラマになっていないか)。

 細部にいろんな符牒を鏤めており、作者の中では辻褄が合っているのだろうけれども(何せ「本格ミステリ大賞」だし)、それでも最後は何となく釈然としないというか、例えば、犯人の犯人たる伏線ってあったのかなあ、単なるプロット上のどんでん返しで終わってしまっているのではないでしょうか。
 
 その結果、読んでいる時はそこそこに面白いけれども、読み終えた途端に印象が薄くなり始めるような、そんな感触を受けました。自分の読み方に問題があるのかなあ。
 
【2009年文庫化[創元推理文庫]】

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シリーズ中でもかなり手強い犯人像を演じたレナード・ニモイ。アン・フランシスも懐かしい。

溶ける糸 vhs.jpg 刑事コロンボ 溶ける糸.jpg スタートレック 1979 dvd.jpg  刑事コロンボ38 ルーサン警部の犯罪.jpg
特選「刑事コロンボ」完全版~溶ける糸~【日本語吹替版】 [VHS]」「刑事コロンボ 完全版 Vol.8 [DVD]」「スター・トレック ディレクターズ・エディション 特別完全版 (本編ディスクのみ) [DVD]」「刑事コロンボDVDコレクション~第38話~ルーサン警部の犯罪」

溶ける糸 タイトル.jpg溶ける糸 2.jpg 胸部外科医のメイフィールド(レナード・ニモイ)は、上司のハイデマン博士(ウィル・ギア)との心臓移植の拒絶反応を抑える新技術の共同研究の成果を、他の研究グループが発表する前に先手を打って発表すべきだと考えていたが、ハイデマン博士はもっと治験が必要だとして発表を認めない。そんな折、博士が心臓の病に倒れ、博士の主治医でもあるメイフィールドが手術をすることになるが、手術を補佐した看護婦のシャロン(アン・フランシス)は、メイフィールドが縫合糸に何か細工をしたことに気づく。真面目な彼女は自分の疑問を確認しようとするが、その最中にメイフィールドに殺されてしまう―。

溶ける糸2.jpg 「刑事コロンボ」第15話で、レナード・ニモイの冷静な犯人役が際立っている作品。むしろ、コロンボの方がメイフィールドのデスクを叩いて激昂するという珍しい場面(台詞上は「ハイデマン博士の面倒をよくみることだ。もし死んだら、当然われわれは検死解剖を要求する。そして、単なる心臓発作による死亡なのか、糸のためなのかを確認するからな」―言葉使いも荒い)があったりするので、ますますメイフィールドの冷静さが浮き彫りにされるわけですが、この「冷静さ」がコロンボによる事件解決の伏線になっていたわけだなあ。

ニモイ.bmpニモイ2.jpg 犯人だとは分かっているけれど、証拠が出ない―それが最後の最後で閃いた、土壇場の逆転劇であるとするならば、その直前にコロンボがメイフィールドに対し表向きは負けを認めて一旦引き下がったのは、まだ逆転の可能性はあるという思いを裡に秘めた演技半分、悔しいという本音半分だったのでしょうか。とにかく、それぐらい手強い相手だったということなのでしょう。それにしても、ミスター・スポックことレナード・ニモイ、昔からああいう独特のマスクだったんだなあ。

startrek-1.gif 但し、TV版「宇宙大作戦/スタートレック」は1966年から1969年に全米で放映されており、このコロンボ出演('73年)の前のこと、映画「スタートレック」になったのが'79年で、その後、「スタートレックⅥ」まで作られましたが(新シリーズを含めると2009年までに11作映画化されている)、「Ⅲ・Ⅳ」をレナード・ニモイ、「Ⅴ」をカーク船長ことウィリアム・シャトナーが監督しています。

刑事コロンボ ルーサン警部の犯罪1.bmp 因みにウィリアム・シャトナーも、'76年に「刑事コロンボ」の第38話「ルーサン警部の犯罪」に犯人役で出演しています(第63話「4時02分の銃声」でも再び犯人役を演じている)。

刑事コロンボ ルーサン警部の犯罪2.jpg その「ルーサン警部の犯罪」は、本物の警部が犯罪を犯すわけではなく、テレビの人気ミステリ・シリーズで名警部役を演じている俳優が犯人であるという、あたかも「刑事コロンボ」を意識したかのような背景で、ウィリアム・シャトナー演じるところの犯人が「ルーサン警部」の立場からコロンボと一緒に事件の謎を解いていくという凝った設定ですが、事件そのものは余りに状況証拠が多すぎて、コロンボにとってはあまり難事件とは言えなかったかも。

ウィリアム・シャトナー2.jpg 最後に決め手となる物的証拠も、犯人の指紋の拭き忘れという凡ミスに拠るもので、強いて言えば、犯人が殺人を犯した自分自身とルーサン警部という架空のキャラクターとの区別がつかなくなっている(?)のが、犯罪心理面での見所でしょうか。そうしたことも含め、レナード・ニモイの冷静な犯人像に比べると、ウィリアム・シャトナーのこのエピソードにおける犯人像はかなり弱々しく思えました(それにしても、ウィリアム・シャトナー、若いなあ)。


 個人的には、「スタートレック」シリーズを劇場で観たのは「Ⅲ」くらいまでかなあ。「新スタートレック」 「スタートレック:ディープ・スペース・ナイン」といったTV版も一部ビデオで観たので、もう、どれがどれだか分らなくなってしまいましたが、作品の出来不出来はともかく、やはり最初に観たのが印象に残りました(「ヴィジャー」って何かと思ったら、そういうことだったのか)。

Anne Francis
Anne Francis.jpg溶ける糸 アン・フランシス.jpg 因みに、「溶ける糸」でメイフィールドに殺されてしまう優しく真面目な看護婦役のアン・フランシス(1930-2011)は、ロープウェイでのラストシーンが印象的な第8話「死の方程式」にも秘書役で出ていました。
 TV番組「ハニーにおまかせ」で人気を得た女優ですが、こちらも「禁断の惑星」('56年)という"宇宙モノ"SF映画に出演していました('11年1月に死去、享年80)。「禁断の惑星」での共演は、「裸の銃(ガン)を持つ男」シリーズでコメディ俳優になる前のレスリー・ニールセン('10年11月に死去、享年84)、レスリー・ニールセン.bmpレスリー・ニールセンは「コロンボ」シリーズ第7話の「もう一つの鍵」で、犯人である広告会社役員役のスーザン・クラークの恋人役で、第34話「仮面の男」で、元同僚のスパイに殺害される被害者役ででも出ています。

 アン・フランシスはレナード・ニモイより半年早い生まれですが、"宇宙モノ"では10年先輩だったのか。

禁断の惑星 20 アン.jpg 禁断の惑星 04 アン・レスリー.jpg アン・フランシス&レスリー・ニールセン 「禁断の惑星」(1956)

「刑事コロンボ(第15話)/溶ける糸」●原題:A STITCH IN CRIME●制作年:1973年●制作国:アメリカ●監督:ハイ・アヴァバック●製作:ディーン・ハーグローヴ●脚本:シャール・ヘンドリックス●ストーリー監修:ジャクソン・ギリス●時間:73分●出演:ピーター・フォーク/レナード・ニモイ/ウィル・ギア/アン・フランシス/ニナ・タルボット/ジャレッド・マーティ/ヴィクター・ミラン/アニタ・コルシオ●日本公開:1973/10●放送:NHK-UHF(評価:★★★★)

刑事コロンボ ルーサン警部の犯罪 vhs.jpg「刑事コロンボ(第38話)/ルーサン警部の犯罪」●原題:FADE IN TO MURDER●制作年:1976年●制作国:アメリカ●監督:バーナード・コワルスキー●製作:エヴァレット・チェンバース●脚本:ルー・ショウ/ピーター・フィーブルマン●ストーリー監修:ウィリアム・ドリスキル●原案:ヘンリー・ガルソン●音楽:バーナード・セイガル●時間:73分●出演:ピーター・フォーク/ウィリアム・シャトナー/ローラ・オルブライト/バート・レムゼン/アラン・マンソン/ウォルター・ケーニッグ/ティモシー・ケリー/シェラ・デニス/フランク・エメット・バクスター/ダニー・デイトン/ヴィクター・イザイ/ジョン・フィネガン/フレッド・ドレイパー●日本公開:1977/12●放送:NHK総合(評価:★★★)

特選 刑事コロンボ 完全版「ルーサン警部の犯罪」【日本語吹替版】 [VHS]


startrek 1979.bmp「スタートレック」●原題:STAR TRECK●制作年:1979年●制作国:アメリカ●監督:ロバート・ワイズ●製作:ジーン・ロッデンベリー●脚本:ハロルド・リヴィングストン/レナード・ニモイ●撮影:影 リチャード・H・クライン●音楽: ジェリー・ゴールドスミス●時間:132分●出演:ウィリアム・シャトナー/レナード・ニモイ/デフォレスト・ケリー/ジェームズ・ドゥーハン/ウォルター・ ケーニッグ/ジョージ・タケイ/パーシス・カンバータ/スティーブン・コリンズ●日本公開:1980/07●配給:パラマウント映画=CIC●最初に観た場所:渋谷パンテオン(80-07-14)(評価:★★★☆)

宇宙大作戦/スタートレック.jpg「宇宙大作戦/スタートレック」Star Trek (NBC 1966~1969)○日本での放映チャネル:日本テレビ(1969~70)/フジテレビ(1972~74)

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ロンドン情緒満点、ラストも印象に残った「ロンドンの傘」。アン・バクスター再見の「偶像のレクイエム」。

刑事コロンボ ロンドンの傘 vhs.jpg 偶像のレクイエム vhs.jpg 刑事コロンボ 偶像のレクイエム.jpg アン・バクスター
特選「刑事コロンボ」完全版~ロンドンの傘~【日本語吹替版】 [VHS]」/「特選「刑事コロンボ」完全版~偶像のレクイエム~【日本語吹替版】 [VHS]」「刑事コロンボ 完全版 Vol.7 [DVD]

ロンドンの傘 タイトル.jpg ロンドンの有名劇場でシェークスピアの『マクベス』のマクベス夫妻を演じる俳優のニコラウス・フレイム(リチャード・ベースハート)と妻リリー(オナー・ブラックマン)は、舞台プロデューサーのサー・ロジャー・ハビシャム(ジョン・ウィリアムズ)を色仕掛けで説得して公演をスポンサードさせていたが、2人に利用されたと知ったロジャーは、リリーの楽屋まで来て、公演を中止し2人を再び舞台には立てないようにしてやると言う。これに驚いたフレイムがロジャーと揉み合いになり、それを見たリリーがクリームの瓶を夢中で投げつけるとロジャーの頭に命中し、彼は死ぬ―。

ロンドンの傘3.jpg 「ロンドンの傘」は「刑事コロンボ」第13話で、コロンボがロンドン警察に視察出張に行った際に事件に遭遇し、最初は横から口を挟むような感じだったのが、殺人の線が濃厚になると本格的に事件にのめり込み、結局自分が解決するという趣向。プライドが高く、コロンボをお客様扱いにしかしないロンドン警察の警部の鼻を明かすといったところでしょうか。

ロンドンの傘1.jpg タイトル通り、楽屋係が誤って持ち帰ったロジャーの傘に犯行の痕跡があると思われ、その傘がどこにあるかが焦点となりますが、ラストは鮮やか。コロンボが仕掛けた逆トリックに、犯人たちはまんまと嵌る―。コロンボが警部にネタを明かした途端にタイトルバックとなるエンディングが強く印象に残りました。

ロンドンの傘2.bmp 犯行そのものは結構雑というか、殺人(故殺)ではなく傷害致死ではないかと思われますが、2人は犯行の隠蔽のために第2の殺人を犯し、自分たちでどんどん墓穴を掘っているような感じで、それでいて、ちょっとコトがうまく運ぶとはしゃいだりして子供っぽいところがあります。
 
オナー・ブラックマン3.jpg ラストも考えてみれば自信満々のコロンボの方がむしろ不自然なわけで、そのくせ"状況証拠"を見せられた夫の方が舞いあがってしまい(それまではどちらかと言うと妻の方が舞いあがっていて夫の方が冷静だったのに)、「マクベス」の台詞を延々と語り出す―あ~あ、残念でした、という感じ。

オナー・ブラックマン2.jpg 役者陣を英国の俳優で固めていて、「マクベス」からの引用が犯人夫婦の台詞に多々あったり、コロンボがロンドンの名所をおノボリさんらしく観て廻る場面があったりするのが楽しいです。英国情緒は満点。印象に残るラストと併せて犯行の雑さをリカバリーしており、個人的にはシリーズの中でも好きな作品です。

リチャード・ベイスハート.jpgオナー・ブラックマン.jpg 夫役のリチャード・ベイスハート(1914-1984)はフェリーニ監督の映画「道」('54/伊)で、ザンパノ(アンソニー・クイン)に殺されてしまう綱渡り芸人を演じた俳優で、妻役のオナー・ブラックマン(1927-)は「007/ゴールドフィンガー」('64/英)のボンドガール(3代目)・プッシー・ガロアを演じた女優でした。


偶像のレクイエム タイトル.jpg 続く第14話「偶像のレクイエム」は、犯人の「女優」役をアン・バクスター(1923-1985)が演じていますが(かつての銀幕スターで、ハリウッド映画の斜陽に伴ってTV界に転身したという実生活さながらの設定)、これは、第1話(パイロット版)の「死者の身代金」の弁護士役のリー・グラント、第7話の「もう一つの鍵」の広告会社役員役のスーザン・クラークに続く、女性単独犯でした。

偶像のレクイエム シーン1.jpg 犯行はクルマに爆弾を仕掛けた爆殺ですが、計画が"狂い"、殺したい相手ではなく、"たまたま"その車に乗った自分の秘書が犯行の犠牲になってしまう。しかし、実は―。最初に犯人が明かされる倒叙型には違いないのですが、そこに視聴者に対しても伏せられている事実があり、推理小説で言う"叙述トリック"が施されています。

偶像のレクイエム2.jpg 凝った作りの割にはイマイチな部分もありましたが(わざわざ自分の出演したクライム・サスペンスから犯行トリックを選ぶかなあ)、「コロンボ」の撮影現場がそのままロケで使われていてるのが興味深いです。
 
 アン・バクスター3.jpg第2話「死者の身代金」でリー・グラントが操縦する小型機に乗り合わせたコロンボが冷や冷やするという一幕がありましたが、この作品ではアン・バクスターがクルマを運転するシーンのスタジオ内でのTV収録場面で、そうしたシーン専用のセットが登場するなどのトリビアな見所もありました(第16話「断たれた音」で、犯人であるチェスの世界チャンピオンを、コロンボが無理やり自分のクルマに乗せて話を訊き出そうとする場面にも、このセットが使われたのだろうなあ)。

 また、第7話「もう一つの鍵」でのスーザン・クラークの相方はレスリー・ニールセン(1926-2010)でしたが、「偶像のレクイエム」でのアン・バクスターの相方はメル・ファーラー(1917-2008)と、どちらも最近亡くなった大物俳優でした。

 アン・バクスターはアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた「イヴの総て」('50年)が代表作で、こちらも女優役、田舎出の駆け出しから、先輩や周囲を踏み台にしてスターにのし上がり、(アン・バクスター本人は、アカデミー賞主演女優賞の受賞は成らなかったが)作中では主演女優賞を獲ったところからの振り返りで話が始まります。

アン・バクスター1.JPGアン・バクスター.jpg 個人的には、「十戒」('57年)で、エジプトの"世襲王女"(彼女と結婚した者がエジプト王になる)のネフレテリを演じていたのも懐かしく、モーゼ(チャールトン・ヘストン)にアタックするも袖にされ、更にモーゼの神に息子に命を奪われて復讐の鬼と化し、入り婿のファラオ(エジプト王)・ラメシス(ユル・ブリンナー)にモーゼとその民を討つようけしかける―という―「禍の元」となる女性を演じて巧みでした。

十戒」(1957)

 
「刑事コロンボ(第13話)/ロンドンの傘」●原題:DAGGER OF THE MIND●制作年:1972年●制作国:アメリカ●監督:リチャード・クワイン●製作:ディーン・ハーグローヴ●脚本:ジャクソン・ギリス●ストーリー監修:ジャクソン・ギリス●音楽:ディック・デ・ベネデ刑事コロンボ ロンドンの傘 二見文庫.jpgィクティス●時間:97分●出演:ピーター・フォーク/リチャード・ベイスハート/オナー・ブラックマン/ウィルフリッド・ハイド・ホワイト/バーナード・フォックス/アーサー・マレット/ジョン・フレイザー/ジョン・ウィリアムズ/ロナルド・ロング/ハーベイ・ジェイソン/ヘドレー・マッティングリー/ペーター・チャーチ/ジョン・オーチャード/ケネス・ダンズィガー●日本公開:1973/07●放送:NHK-UHF(評価:★★★★)
刑事コロンボ―ロンドンの傘 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

「刑事コロンボ(第14話)/偶像のレクイエム」●原題:REQUIEM FOR A FALLING STAR●制作年:1973年●制作国:アメリカ●監督:リチャード・クワイン●製作:ディーン・ハーグローヴ●脚本:ジャクソン・ギリス●ストーリー監修:ジャクソン・ギリス●時間:74分●出演:ピーター・フォーク/アン・バクスター/メル・ファーラー/ケヴィン・マッカーシー/ウィリアム・ブライアント/ピッパ・スコット/フランク・コンヴァース/ジャック・グリフィン/シドニー・ミラー●日本公開:1973/08●放送:NHK-UHF(評価:★★★☆)

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レイ・ミランドが出ているのが嬉しいが、もう少し直接対決の場面が欲しかった。

刑事コロンボ 悪の温室 vhs.jpg刑事コロンボ 悪の温室.jpg 失われた週末 dvd.jpg 指輪の爪あと vhs.jpg
特選 刑事コロンボ 完全版「悪の温室」 [VHS]」「刑事コロンボ 完全版 Vol.6 [DVD]」「失われた週末 [DVD]」「特選 刑事コロンボ 完全版「指輪の爪あと」【日本語吹替版】 [VHS]

悪の温室 1.jpg悪の温室 タイトル.jpg ラン愛好家のジャービス・グッドイン(レイ・ミランド)は、資産家の遺児である甥のトニー(ブラッドフォード・ディルマン)の信託財産の共同管理人になっていたが、それは、トニーの父が、息子が浪費できないように遺産を信託の形で遺したものだった。ジャービスはトニーと謀って狂言誘拐を演出し、2人は信託財産から30万ドルを引き出させることに成功するが、ジャービスの本当の狙いは、その後でトニーを殺害し、金を独り占めすることだった―。

 「刑事コロンボ」が第2シーズンに入ってからの作品で、通算では第11話(パイロット版である「殺人処方箋」と「死者の身代金」を含めてカウントして)。ビリーワイルダー監督の「失われた週末」('45年)に主演したレイ・ミランド(1905-1986)が犯人役で出ているのが個人的には嬉しい作品ですが、もう少しコロンボとの直接対決の場面があっても良かったのではないかという気もします。

レイ・ミランド.jpg 「失われた週末」は、ブレイク・エドワーズ監督の「酒とバラの日々」('62年)と並んで、アルコール依存症患者を描いた映画の傑作とされていますが、「酒とバラの日々」が依存症の苦しみから立ち直ったジャック・レモン演じる主人公が過去の苦しかった日々を振り返るという形をとっている(ヘンリー・マンシーニの甘い音楽がそのことを象徴している)のに対し、「失われた週末」のレイ・ミランド演じる主人公の方は、リアルタイムでどんどんアル中の深みに嵌っていくのが描かれていて怖い面もありました。

失われた週末 1シーン.jpg 売れない作家である主人公の依存症は相当なもので、作家なのに酒を買うためにタイプライターを売ってしまうし、アル中治療病棟に入院してからもそれは治まらず、医師の白衣か何かを盗んで病院を抜け出て、それを換金して酒を買おうとする―最後は恋人の愛によって救われるのですが、プロセスにおいては次第に恐怖映画のようになっていくところが凄く、酒造業界から「500万ドル払うから作品を処分してくれ」 との申し出もあったということです。

 1945年度アカデミー受賞作品。監督賞、脚本賞も受賞し、更にレイ・ミランドも主演男優賞を受賞していますが、彼がその後、サスペンス映画やSFホラー映画に多く出演するようになることを暗示するような作品でもありました。

悪の温室2.jpg 「悪の温室」のレイ・ミランドは、あの作品から四半世紀以上を経ていますが、傲慢で自信に満ちた犯人像をしゃきっと演じています。でも、目元とか変わっていないなあ、この人(アル中役ではないのだから当たり前だが、眼光が鋭くなった?)。

 コロンボは、犯行に使われた拳銃から、犯人の牙城を切り崩していきますが、その拳銃は過去にも使われたことがあって、コロンボの単独推理+ロス市警のデータベースの力で事件を解決していくという感じでしょうか。

悪の温室3.jpg その時に若手刑事に触発されて金属探知機を使うというのがコロンボにしては珍しく、そもそも誘拐事件でコロンボが出動して、実際に殺人事件が起こるのはドラマの真ん中あたりというのも珍しいパターンです。

 シリーズの中では面白かった部類ですが、ただ、犯人の計画が事前においては周到であるのに対し、事後においては(過去の事件を語って自分から事件解決の糸口をコロンボに与えてしまったり、動機の薄い人物に犯行を押し付けようとしたり)かなり雑なのが気になりました。

指輪の爪あと ロバート・カルプ.jpg指輪の爪あと レイ・ミランド.jpg 実はレイ・ミランドは、これに先立つシリーズ第4話「指輪の爪あと」にも出演していて、こちらは妻を殺される新聞社社長の大富豪という被害者側の役。この事件の犯人は、大富豪が妻の浮気調査のために雇った私立探偵で、浮気の証拠を掴むものの依頼主に報告せず、妻の方を恐喝するも、妻が交渉に応じず、逆に夫に恐喝されたことを伝えると言ったため、発作的に妻を殺してしまうというもので、第12話「アリバイのダイヤル」、第21話「意識の下の映像」でも犯人役を好演したロバート・カルプ(1930-2010)が探偵を演じており、彼のシリーズ初登場でもありましたが、過去の事件について容疑者が語ったことが仮にいい加減なものであったとしたら元も子も無い「悪の温室」よりは、ミステリとしての出来はこちらの方がやや上でしょうか。

指輪の爪あと1.jpg指輪の爪あと タイトル.jpg 殺人現場に被害者のコンタクトレンズが落ちている可能性があることをコロンボが容疑者に示唆し、逆トリックを仕掛けるというもので、犯人逮捕後に「妻がコンタクトレンズを落としておいてくれて良かった」というレイ・ミランドに対して、実はそれがコロンボの仕掛けたトリックであることを示し、彼は目を白黒。更に、「それにしても車が偶然...」というレイ・ミランドに対し、それもまたコロンボの仕掛けであったことを示唆し、もはや茫然としているレイ・ミランドを残して、コロンボは去っていくというエンディングのシナリオは、エミー賞の最優秀ドラマ脚本賞を受賞しています。


失われた週末 ポスター.jpg「刑事コロンボ(第11話)/悪の温室」●原題:THE GREENHOUSE JUNGLE●制作年:1972年●制作国:アメリカ●監督:ボリス・セイガル●製作:ディーン・ハーグローヴ●脚本:ジョナサン・ラティマー●刑事コロンボ 悪の温室 二見文庫.jpgストーリー監修:ジャクソン・ギリス●音楽:オリヴァー・ネルソン●時間:74分●出演:ピーター・フォーク/レイ・ミランド/サンドラ・スミス/ボブ・ディシー/ブラッドフォード・ディルマン/アーレン・マーテル/ウィリアム・スミス/ロバート・カーネス●日本公開:1973/05●放送:NHK-UHF(評価:★★★☆)
刑事コロンボ 悪の温室 (二見文庫)

The Lost Weekend (1945).jpg「失われた週末」●原題:THE LOST WEEKEND●制作年:1945年●制作国:アメリカ●監督:ビリー・ワイルダー●製作:チャールズ・ブラケット●脚本:チャールズ・ブラケット/ビリー・ワイルダー●撮影:ジョン・サイツ●音楽:ミクロス・ロージャ●時間:101分●出演:レイ・ミランド/ジェーン・ワイマン/フィリップ・テリー/ハワード・ダ・シルヴァ/ドリス・ダウリング●日本公開:1947/12●配給:パラマウント映画●最初に観た場所:高田馬場・ACTミニシアター (85-04-27) (評価★★★★)●併映:「麗しのサブリナ」(ビリー・ワイルダー)
"The Lost Weekend (1945)"

刑事コロンボ 完全版2.jpg刑事コロンボ完全版 DVD-SET 2 【ユニバーサルTVシリーズ スペシャル・プライス】
Disc6 (11) 悪の温室:約74分 (12) アリバイのダイヤル:約74分
Disc7 (13) ロンドンの傘:約97分 (14) 偶像のレクイエム:約74分
Disc8 (15) 溶ける糸:約73分 (16) 断たれた音:約74分
Disc9 (17) 二つの顔:約74分 (18) 毒のある花:約73分
Disc10 (19) 別れのワイン:約95分 (20) 野望の果て:約98分
Disc11 (21) 意識の下の映像:約73分 (22) 第三の終章:約74分


「刑事コロンボ(第4話)/指輪の爪あと」●原題:DEATH LENDS A HAND●制作年:1971年●制作国:アメリカ●監督:バーナード・コワルスキー●製作・脚本:リチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンク●ストーリー監修:スティーブン・ボッコ●音楽:ギル・メレ●時間:76分●出演:ピーター・フォーク/ロバート・カルプ/レイ・ミランド/パトリシア・クローリィ/ブレット・ハルゼー/エリック・ジェイムズ●日本公開:1973/01●放送:NHK-UHF(評価:★★★★)

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「外套」「鼻」ともに先駆的。「外套」はロシアでは映画やアニメに。

外套・鼻 岩波文庫.gif外套 岩波文庫 2.jpg外套・鼻 (岩波文庫)』 外套 ポスター.png ソ連映画「外套」チラシ

 下級官吏アカーキイ・アカーキエヴィッチ・バシマチキンは、出世栄達に無関係の世界で、周囲から蔑まれながらも役所仕事(文書の清書)に精を出す男で、傍から見れば冴えないその服装や外見も自身は気にとめていない。そんな彼がある日、着古した外套を新調せざるを得なくなり、最初は面倒に思った彼だったが、一念発起して新しい外套を手に入れた時からその人生観は変わり、それまで関心のなかった役所以外の世界も、外套と同様にきらきら輝いたものに見えてきたのだった。ところがその矢先―。

ニコラーイ・ヴァシーリヴィチ・ゴーゴリ(Nikolai Gogol).jpg 「外套」はニコライ・ゴーゴリ(1809- 1852)の中編小説で、1840年に書かれ1842年に発表された作品。ある種"怪奇譚"でもあるこの作品の結末を知る人は多いと思います。

ニコラーイ・ヴァシーリヴィチ・ゴーゴリ(Nikolai Gogol)

 うだつの上がらない九等書記官を主人公に、疎外された人間の哀しみをペーソスたっぷりに、時にユーモアと怪奇を交えて描いていますが、やはり、それまで貴族社会を舞台にした小説が多かったロシアで、既存の小説の主人公のイメージとは程遠い、平々凡々たる下級官吏を主人公に据えたところが画期的だと思います。

 ドストエフスキーがこの作品に大きな影響を受けたとされており、処女作「貧しき人々」の発表は1846年、主人公のマカールは同じく九等書記官の小役人ですが、「外套」発表時、ドストエフスキーは既に「貧しき人々」に着手しており、「貧しき人々」の直後に発表した「二重人格」(「分身」)の方が、より強くゴーゴリの「外套」の影響を受けているように思えます(「二重人格」の主人公は九等文官、人間疎外から狂気に陥る)。

 また、トルストイも影響を受けているように思います。黒澤明監督が映画「生きる」の着想を得たとされている「イワン・イリッチの死」の主人公は、比較的裕福な出自のロシアの裁判官で、順調に出世していた中で突然の病に臥すという、設定はやや異なりますが、アカーキイと同じく公務員であることには違いありません。

 この「イワン・イリッチ」という名前は、「イワン・イリイチ」と呼ぶのが原語の発音に近いらしく(光文社古典新訳文庫の望月哲男氏の訳はそうなっている)、韻を踏んでいるのは役人のルーティン・ワークを象徴しているとされていますが、ならば、それを先にやったのは、この作品の主人公に「アカーキイ・アカーキエヴィッチ」と名付けたゴーゴリではなかったか。

 併録の「鼻」(1836年発表)のシュール且つナンセンスな感覚も面白く、今で言えば安部公房や筒井康隆がやっていたようなことを、150年も前にやってしまっているというのは、考えてみればスゴイことかも。

外套 バターロフ 1シーン.jpg 「外套」の方は、本国で何度か映画化されていて、「小犬を連れた貴婦人」('59年/ソ連)に俳優として出演していたアレクセイ・バターロフ(1928年生まれ)監督の作品('60年/ソ連)を観ましたが、原作に沿ってきっちり作られていて、作品全体としては悪くない出来だと思いましたが一方で、バシマチキン(アカーキイ)の人物造型はやや"戯画的"に描かれていてるようにも思いました(一番劇画チックなのは、幽霊になってからだが)。

 まあ、原作がそもそも"戯画的"な性格を持っているというのはあるのですが、ペーソスより滑稽と怪奇の方が勝ち過ぎている気もしました(主演のロラン・ブイコフの演技の評価は高いが、個人的には怪演に思えた。ウェット感を拭い去ることによって、逆にペーソスを引き出そうという狙いだったのかもしれないが)。

外套(制作中)2.jpg外套(制作中)1.jpg この作品はまた、アレクセイ・バターロフとも親交のあるアニメーション作家ユーリー・ノルシュテイン(1941年生まれ)によってアニメ化もされています。

外套 ノルシュテイン 作業風景.jpg この人は「老人と海」のアニメーションでアカデミー賞を受賞したアレクサンドル・ペトロフ(1957年生まれ)とは師弟関係にあり、気が遠くなるような手作業で原画を描くことで両者は共通しています(「外套」は30年かけて未だ制作中!)。

 ユーリー・ノルシュテインのアニメ「外套」もアレクサンドル・ペトロフのアニメ「老人の海」も共にウェブで視聴可能です。ノルシュテインの「外套」は出来上がっているところまでですが、日本語字幕がついています。アカーキイが文書を清書するところを、書いている文字まで丹念に描いており、これを手作りでやっていれば確かに時間がかかるだろうなあ。

外套 ノルシュテイン 原画展ポスター 2009年10月 .jpgユーリー・ノルシュテイン「外套」原画展ポスター(2009年10月)

 「鼻」の方は映画化されているのかなあ。教会で"鼻"が何食わぬ様子でお祈りしているというぶっ飛んだ場面などは、少なくとも実写では無理だと思うけれど。

「外套」(実写版)●原題:SHINELI●制作年:1960年●制作国:ソ連●監督:アレクセイ・バターロフ●脚本:L・ソロヴィヨフ●撮影:ゲンリフ・マランジャン●音楽:ニコライ・シレリニコフ●原作:ニコライ・ゴーゴリ「外套」●時間:75分●出演:ロラン・ブイコフ/ユーリー・トルベーエフ/A・エジキナ●日本公開:1974/03●配給:日本海映画●最初に観た場所:池袋・文芸坐 (79-11-14)(評価:★★★☆)●併映:「開かれた処女地」(アレクサンドル・イワノフ)

【1933年文庫化[岩波文庫(『外套―他二篇』)]/1938年再文庫化・1965年・2006年改版[岩波文庫(平井肇:訳)]/1999年再文庫化[講談社文芸文庫(吉川宏人:訳)]/2006年再文庫化[光文社古典新訳文庫(『鼻/外套/検察官』浦雅春:訳)]】

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説明を排した映画作りによって、14歳の少女の自死の意味を切実に問う。

少女ムシェット.jpg少女ムシェット」DVD 少女ムシェット ポスター.jpg ポスター 少女ムシェット・映画.jpg 少女ムシェット・パンフ裏.jpg 映画チラシ

少女ムーシェット.jpg 原作は、1926年に発表されたフランスのカトリック作家ジョルジュ・ベルナノス(1888‐1948)の『悪魔の陽の下に』の第1部にあたる「少女ムーシェット」を元に、ベルナノス自身が単独の物語として翻案したもの。病気の母、乱暴な父のいる貧しい家庭で、同年代の少年や少女たちからも侮蔑され、身勝手な大人たちには弄ばれ、生の暗闇の中で喘ぐ孤独な少女を描いたものです。
 すべてに絶望した少女は最後に自殺しますが、カトリックは自殺を容認しないはずで、カトリック作家がこうした作品を書いていること自体がある意味驚きと言えるかもしれません。

少女ムシェット2.jpg これを映画化したロベール・ブレッソン(1901‐1999)監督は、主演のムシェット役のナディーヌ・ノルティエをはじめ殆ど素人の俳優だけを使って、貧困と孤独、更に大人たちの偽善と無慈悲に晒され、「絶望」が日常と化している14歳の少女の境遇と、彼女が自死に至るまでを、モノクロームの映像で淡々と描いています。

 ラストで少女が池のそばの草の上を何度か転がるシーンがあり、一体何をしているのかと思ったら、その後で水音が聞こえて波打つ水面が映り、そしてそのまま暗転しエンドマークという流れで終わり、「えっ、そうなの」という感じで、初めて観た時はショックを受けました。

The trailer is characteristically arranged by Jean-Luc Godard for Robert Bresson's film Mouchette (1967) based on Georges Bernanos' novel.
 彼女が「死」というものをどこまで認識し、またそれなりの覚悟があっての所為なのか(彼女が纏った美しい布は、彼女の死への憧憬の象徴ともとれる)。
 但し、ベルナノスの原作のコンテクストからすれば、自らの命を絶つことに彼女なりの1つの、唯一の救いがあり、それを神も受容するであろうということになるのでしょう。この映画は、それだけの説得力を持った作品です。

 ムシェットが遊園地のバンピング・カーで遊ぶ場面では、少女らしい歓びが奔出しているように見えましたが、それだけにラストとの対比で、そのシーンも切なく甦ってきます。
 
 この映画の中で、少女は多くを語りませんし、そもそも、語る相手もいません(殆ど無言の演技が延々と続くシーンが多い)。とにかくブレッソンは、こうした、いわゆる物語的説明を徹底的にそぎ落とした映画の作り方をよくする監督で、そのお陰でこの映画も通俗的な"薄幸少女物語"に堕することなく、原作の本題である、「死」は14歳の少女にとって唯一の救いであったと言えるのでないかという問いを、観る者に切実に突きつけてきます。 

 多分10年以上の上映権切れの期間があったはずで、まさか復活してDVDになるとは思ってもみませんでしたが、「子供の自死」というのは、ある意味で今日的テーマでもあるかも知れません。
 

ロベール・ブレッソン(Robert Bresson).jpg「少女ムシェット」●原題:MOUCHETTE●制作年:1967年●制作国:フランス●監督:ロベール・ブレッソン●撮影:ギスラン・クロケ●音楽:クラウディオ・モンテヴェルディ/ジャン・ウィエネル●原作:ジョルジュ・ベルナノス 「少女ムーシェット」●時間:80分●出演:ナディーヌ・ノルティエ/ポール・エベール/マリア・カルディナール/ジャン=クロード・ギルベール/ジャン・ヴィムネ●日本公開:1974/09●配給:エキプ・ド・シネマ●最初に観た場所:池袋文芸坐 (78-06-22) (評価★★★★★)●併映:「白夜」(ロベール・ブレッソン)

ロベール・ブレッソン(Robert Bresson)


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読み始めてしばらくした時の予測よりは、ラストは楽しめた。「ライト感覚」。

ソロモンの犬.jpgソロモンの犬』['07年] ソロモンの犬 文庫.jpgソロモンの犬 (文春文庫)』['10年]

 ある雨の日、少し奇妙な雰囲気の喫茶店で顔を合わせた4人の男女。重苦しい空気の中、秋内静は切り出した。「一度、ちゃんと話し合うべきなのかもしれない」「この中に、人殺しがいるのかいないのか」―2週間前、彼らの目の前で、大学教授の息子である小学生の陽介が、散歩中の愛犬に引きずられるような形で車道に出されて大型トラックに轢かれて亡くなった。秋内の心の中には、 一体なぜ犬は急に走り出したのか、3人は自分に何か隠し事をしているのではないかとの疑念があった―。

 秋内および秋内と同じ大学の友人3人(京也、彼の恋人のひろ子、秋内が想いを寄せる智佳)の4人の関係の中で話は進んでいきますが、巷で「青春ミステリ」と言われた如く、学生同士の友達付き合いや恋愛における遣り取りが、ごく自然に、時にコミカルに描かれていて、比較的上手に作られた青春ドラマを見ているような感じでしょうか。

 その分、ミステリの謎解きの方は遅々として進まず、読んでいてややイライラしてくるのですが、もうあんまり期待しなくていいやと思った終盤頃になって急速な展開を見せ、謎を解くのは主人公の秋内ではなく、動物が専門の大学の先生―この先生のちょっと変わったキャラや、犬の習性を織り込んだ謎解き自体も楽しめました(謎解きについては、リアリティとしてどうかというのはあるが、まあ「純粋推理」と見れば許される範囲か)。

 全体としては若者の日常を描いた青春小説という印象の方が強く、人は死ぬし、結構ウエットな部分もありながらも、どことなく軽くて明るい感じで最後までいく―文芸的な要素(この作品はジュブナイルっぽい感じもするが)と推理小説的な要素を併せ持つ作者の作品の1つタイプがここにも表れているように思いました。

 叙述トリックとでも言える点が2つあり、1つは、何かを知っている人間が知らないふりをして(登場人物や「読者」と共に)謎解きに参加していることですが、もう1つは完全に「読者」に向けたトラップで、但しこれに犯人もひっかかるというのがかなり不自然で無理があり、こちらはちょっと作り込み過ぎかなあという感じも。

 でも、いろんなことを軽々とやってみせる才能は感じるなあ。結局、すべてにおいて軽くなってしまうんだけれども、お話自体が大学生のライト感覚の青春物語なので、この作品について言えば、フィットしている(してしまっている)ように思いました。

 【2010年文庫化[文春文庫]】

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才能が浪費され気味というか、作者が意図するテーマにまで昇華し切れていない。

向日葵の咲かない夏.jpg向日葵の咲かない夏』['05年]向日葵の咲かない夏 文庫1.jpg 向日葵の咲かない夏 文庫2.jpg向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)』['08年]

 夏休みを迎える終業式の日、欠席した級友のS君の家を訪ねた僕(ミチオ)は、S君が首を吊って死んでいるのを見つけ、教師に連絡する。しかし、通報を受けた警察が駆けつけると、S君の遺体は忽然と消えており、そのS君は、1週間後、あるものに姿を変えて僕の前に現れる―。

 作者の、ホラーサスペンス大賞受賞作『背の眼』に続く長編第2作で、主人公が小学4年生、彼とやりとりをする妹が3歳ということで、ジュブナイルっぽいミステリかと思って読んでいたら、いきなり死者の甦りがあって、しかも途中から児童性愛の話が出てきたり動物殺しがあったりで、やっぱりホラーサスペンスだったのかと...。

 ところが更に読み進むと、かなり突飛な枠組み状況ではありながらも本格ミステリのスタイルを維持し、ミステリとして「禁じ手」に近い手法をいっぱい使いながらではあるものの、ちゃんと最後は辻褄を合わせて完結させていて、この辺りはなかなかの才能ではないかと思わせるものがありました。

 その「禁じ手」とは、語り手の主観が小説の謎解きの枠組み内に入り込んでいることで、所謂"叙述トリック"の中でもかなりアンフェアな類と見る向きもあるようですが、作者はこの作品を書いている時、ミステリにフェアとかアンフェアといったものがあるということを意識しなかったし、また"叙述トリック"などという言葉も知らなかったそうです。

 同じような手法を用いているものは、夢野久作の『ドグラ・マグラ』以来(あれはミステリではないか)、近年もありますが(京極夏彦(『姑獲鳥の夏』や歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』もそれに該当するのでは)、本格ミステリでこうしたことをやることについては賛否があるかも知れないし、この作品のように文芸的な要素もそれなりにあると尚更かも。

 個人的にむしろ引っ掛かったのは、作者はこの作品を"救いの物語"として書いたつもりだそうですが、それが、プロットにおける作者の巧みさが目立つがゆえに、ストーリー的には単に"後味の悪い怪奇譚"ととられる危うさも孕んでいるのではないかということです。
 
 勿論、作者が"後味のいい"作品を書こうとしているのでないことは明らかですが、実際に読み終えて"後味の悪さ"が逆説的効果をもたらすというよりは、ただ単に何に釈然としない印象だけが残りました。

 この作者が書きたいのは、単なるホラーサスペンスやミステリである前に、読後に何かが残る「小説」なのでしょう。でも、器用さばかり目立って、作品としての厚みがあまり感じられないのはなぜ?
 才能が浪費され気味というか、作者が意図する作品のテーマにまで昇華し切れていないのではないかなあ。

 文庫本帯の「このミステリーがすごい!」第1位というのは、'09年の総合得票数作家ということだったのか(『カラスの親指』と『ラットマン』の2作がそれぞれ6位と10位に入っているため)。紛らわしいなあ。

 【2008年文庫化[新潮文庫]】

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藤田敏八監督の創作活動において、象徴的なポジショニングにある作品と言えるかも。

八月の濡れた砂 dvd.jpg八月の濡れた砂 [DVD]」  八月の濡れた砂 タイトル.jpg

八月の濡れた1.jpg 夏の朝の海岸で、西本清(広瀬昌助)は、大学生らに襲われ置き去りにされた少女・三原早苗(テレサ野田)を救い出すが、少女の姉の三原真紀(藤田みどり)に自分が妹を襲ったと疑われてカッとなり、真紀を襲う。一方、西本の同級生の友人で、高校がいやで退学した野上健一郎(村野武範)は、秀才の川村修司(中沢治夫)がプラトニックな交際をしていた稲垣和子(隅田和世)に悪戯をしたことを言い、川村はその悔しさから和子を呼び出して襲い、それによって和子は自殺する―。

八月4.bmp 西本、野上、早苗らはつるんで行動するようになり、身勝手な大人たちに反逆していきますが、それは苛立ちや焦燥感からくるものであって、何か自分たちに確たる目的があっての反抗ではない―。
藤田敏八(1932-1997)監督の'71年作品で、'71年と言えば大学紛争が後退を余儀なくされた直後であり、目標を失った当時の若者のシラけた雰囲気をよく伝えている作品とされています。

 但し、その時代にその世代に達していないと、観てもぴんとこない部分もあるかも。散文詩的な作り方を織り交ぜたりしているので、随所に見られる抒情的な映像イメージは印象に残りましたがストーリーが繋がりにくく、湘南を舞台にした青春映画なのに何だか暗いなあとか、どうしてこの若者たちはこんなことばかりしているのかとか、初めて観たときはそんな感じで、後で観直してみて、あぁ、70年代の閉塞感ってこんな感じかという印象を改めて受けました。
hatigatu.jpg
 今観るとレトロ感に溢れた作品であり、藤田みどり、テレサ野田、隅田和世といった女優陣そのものにノスタルジーを感じますが、広瀬昌助(この人、亡くなったなあ)はともかく、村野武範などはデビューしたてでこの時すでに26歳、高校生にも不良にも見えないのが難点で、翌年にはNTV系の青春ドラマ「飛び出せ!青春」の教師役におさまっています。

八月3.jpg 音楽にメイン・テーマと主題歌があって、BGMのようなムーディ・ポップス調のメイン・テーマに対して、当時19歳の「石川セリ」が歌う主題歌「八月の濡れた砂」(この曲がデビュー曲で、レコード・デビューは翌年)の方は演歌みたいだなあと思っていたら、後に「石川さゆり」がカバーしています(テーマと主題歌のどちらも映画に合っている。要するにそういう映画なのかも)。

八月5.bmp 日活がロマンポルノに路線変更する前の青春映画路線の最後の作品ですが、石原慎太郎原作・石原裕次郎主演の往年の青春映画「狂った果実」('56年/日活)を意識してたようなカメラ撮りがあったりする一方で、内容的にはもうこの頃はヤクザが出てきたりレイプシーンがあったりして、かなりB級色が強くなっているように思います。

 藤田敏八監督はその後も、原田芳雄・桃井かおり主演の「赤い鳥逃げた?」('73年)などを撮っていますが、これは東宝映画。同じ年に日活では、桃井かおり主演で「エロスは甘き香り」('73年)を撮っており、秋吉久美子主演の「赤ちょうちん」('74年)や「妹」('74年)も日活映画、更には江藤潤、永島敏行主演の「帰らざる日々」('78年)も日活です。 
 「エロスは甘き香り」などは日活ロマンポルノ作品ということになっているみたいですが、これも中身は青春映画であり、ポルノ映画と言えるものは撮っていないのではないかと思います。

ツィゴイネルワイゼン1.jpg この監督の映画人としてのデビューは、三島由紀夫原作・蔵原惟繕監督「愛の渇き」('67年)における脚本担当でしたが、この人は結局、70年安保の挫折感とその後の虚無感を描いた映画を10年近く撮り続けたという感じがします(鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」('80年)に出演してからは、役者として活躍していた記憶の方が強い)。
 
 藤田敏八監督の創作活動において、この「八月の濡れた砂」という作品は、象徴的なポジショニングにある作品と言えるかもしれません。


八月1.jpg「八月の濡れた砂」●制作年:1971年●監督:藤田敏八●脚本:藤田敏八/峰尾基三/大和屋竺●撮影:萩原憲治●音楽:むつひろし●時間:91分●出演:広瀬昌助/村野武範/剛たつひと/赤沢直人/隅田和世/藤田みどり/テレサ野田/三田村元/八木昌子/奈良あけみ/渡辺文雄/地井武男/新井麗子/牧まさみ/原田芳雄/山谷初男●公開:1971/08●配給:ダイニチ映配●最初に観た場所:飯田橋ギンレイホール(79-05-23)(評価:★★★☆)●併映:「赤い鳥逃げた?」(藤田敏八)/「帰らざる日々」(藤田敏八)

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一家族のロードムービー。家族を1つの有機体のように捉えた作品。倍賞千恵子の演技がいい。

家族 dvd.jpg家族 [DVD]家族2.jpg「家族」1シーン(大阪→東京間移動車中)

家族 プレスシート.png 長崎沖・伊王島の炭鉱労働者・風見精一(井川比佐志)は、炭鉱閉山で転職を余儀なくされ、自らの夢であった北海道での牧場経営に乗り出したいと願う。妻の民子(倍賞千恵子)は当初反対するが、子供2人を連れて一緒に入植することに。精一の父である源蔵(笠智衆)を広島県福山市に住む次男の力(前田吟)と同居させる予定だったが、訪ねてみると力の家は源蔵を同居させる状態になく、民子が精一と源蔵を説得し一緒に北海道へ向かうことに。家族5人はまず大阪へ向かい、そこで開催直後の大阪万博を見物に出かけ、その日の内に新幹線に乗り込み東京へ。

 東京駅から上野駅に移動し、更に青森行きの夜行に乗る予定だったが、子2人のうち赤ん坊の方の様子が急変、上野の旅館に入り病院を探すが手遅れで死んでしまう。荼毘に付すために東京に2泊し、精一と民子が夫婦喧嘩をする険悪なムードの中、家族は夜行で青森に向かい、青函連絡船で函館に、それからまた長い列車の旅を経てやっと中標津に辿り着く。翌日、近所の人達が歓迎会を開いてくれたとき、「炭坑節」を気持ちよく歌った源蔵は、その夜布団の中で静かに息を引き取る―。

 万博会場での家族5人を実写で撮っているので1970年の作品ということが分かり易いですが、正確には同年4月6日から1週間足らずの間に伊王島→長崎→福山→大阪→上野→函館→中標津と家族ごと移動するロードムービーのような作りになっています(途中、船旅が2回あるほかは殆ど列車移動ではあるが)。

 その過程で家族5人の内2人が亡くなるわけで、学校の映画の時間に観に行った作品ですが、通常の授業が休みなのはいいけれど、何でこんなに悲しい映画を見なきゃならないのかと―。最後に民子のお腹の中に新たな生命が宿っていることがわかり、家族の死と再生というか、家族を1つの有機体のように捉え、その中で消えていく命もあれば新たに生まれる命もあるという、今思えばそういう作品だったのだなあと(年齢がいって観ると、段々いい作品に思えてくる...)。

家族 1シーン.jpg 福山で弟夫婦から老父の預かりを拒否されるところに旧来型の「家族」の崩壊の予兆が見て取れる一方、万博会場の雑踏に会場入口に来ただけで疲れ果ててしまう家族に、高度成長経済に取り残された一家というものが象徴的に被っているように思えましたが、それは最近観て思ったことで、撮影当時39歳だった山田洋次監督がそこまで見通していたとしたらかなりスゴイことかも(見通していたのだろうなあ)。

 全体にドキュメンタリータッチで撮られていて、演技陣は難しい演技を強いられていたのではないかと思いましたが、この夫婦は旅程でしばしば険悪な雰囲気になる(これだけツライ目に合えば愚痴も出るか)その加減にリアリティがあり、その中でも倍賞千恵子の演技は秀逸。

 所々にユーモラスな描写もあってアクセントが効いていますが、青函連絡船の中で、険悪な雰囲気になる家族を行きずりの男が笑わせてくれる、この男を演じているのが渥美清です。

 この作品の前年('69年)に同監督の「男がつらいよ」シリーズがスタートし、それがヒットして、松竹からから3作撮ったところで好きな映画作りをしてもいいと言われて撮ったのがこの作品。シリーズの面々が他にもカメオ出演していました。

 この作品を見ていると、倍賞千恵子は「男がつらいよ」シリーズがあんなに長く続かなければ、もっと違った作品に出る機会もあったのではないかという気もしましたが、「故郷(ふるさと)」('72年)、「同胞」('75年)、「遙かなる山の呼び声」('80年)などシリーズの合間に撮られた山田洋次作品に主演しており、この内「故郷」と「遙かなる山の呼び声」での役名は、本作品と同じ"民子"です。

 「家族」「故郷」「遙かなる山の呼び声」で民子三部作と言われており(「遙かなる山の呼び声」の舞台は"家族"が目指した中標津)、それだけ「家族」での彼女の演技にインパクトがあったということかも。

「家族」●制作年:1970年●監督:山田洋次○脚本:山田洋次/宮崎晃●撮影:高羽哲夫●音楽:佐藤勝●時間:106分●出演:井川比佐志/倍賞千恵子/木下剛志/瀬尾千亜紀/笠智衆/前田吟/富山真沙子/竹田一博/池田秀一/塚本信夫/松田友絵/花沢徳衛/森川信/ハナ肇とクレージーキャッツ/渥美清/●公開:1970/10●配給:松竹●最初に観た場所(再見):京橋・フィルムセンター(10-01-21)(評価:★★★★)


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サスペンス・ドラマ風作品(寓話っぽい話?)。加賀まりこより他の女優らの方が印象に残る。

悦楽 dvd.jpg悦楽 [DVD]」  悦楽4.jpg  悦楽3.jpg
 
 脇坂篤(中村賀津雄)は貧乏学生の頃に家庭教師として教えていた金持ちの娘匠子(加賀まりこ)を密かに愛していたが、実は彼女がまだ小学生の頃、彼女を暴行しその後も彼女の両親を脅迫し続けていた青年(小林昭二)を列車のデッキから突き落として殺してしまったという秘めた過去があった。そんな脇坂のもとへ、脇坂の犯行現場を見たと言う元官僚・速水(小沢昭一)が現れ、速水は横領した公金3千万円の入ったトランクを脇坂に渡し、脇坂の秘密を守ることと引き換えに、5年後に刑期を終え出所するまでその金を預かって欲しいと言う。

悦楽 カラー1.jpg それから4年後、匠子が有名化粧品会社社長と結婚してしまったことを知った脇坂は絶望し、速水から預かった金を1年で使い切って後は自殺をしようと考え、月百万円で女を次々と買うという彼の生活が始まる―。

悦楽1.bmp 原作は山田風太郎の『棺の中の悦楽』で、大島渚監督にしては珍しく("巨匠"とか言われる以前の作品ということもあるためか)ストーリー性が前面に出たサスペンス・ドラマ風作品であり、導入部は面白かったです(カラー作品なのだが、80年代に映画館で観た時は、すでにかなりフィルムが色褪せていた)。

悦楽 カラー2.jpg 脇坂が最初に愛人契約をしたのが、どことなく翳のあるバーホステス眸(野川由美子)、次が夫との不幸な家庭生活から逃れられないアルサロの女・志津子(八木昌子)、3人目は研究医のインテリ女圭子(樋口年子)、そして最後が唖で知的障害のある娼婦マリ(清水宏子)―何れも女優らがそれぞれの持ち味を出しているという感じがしましたが(演技自体は野川由美子がいいが、じっくり描かれているのは樋口年子、役柄的には清水宏子がいい)、それらが必ずしも全体のオムニバス効果に繋がっておらず、時間の経過とともに平板な印象を受けるようになってしまうのはどうしてかなあ。

悦楽2.bmp 1年の間に大金を女に注ぎ込み「悦楽」を汲み上げるという脇坂のプランに、自分だったらこんなことはしないだろうなあとマトモに考えてしまったのも、今1つノリきれなかった原因かも―。結局、脇坂は女性たちに「悦楽」ではなく、匠子の面影を求めていたように思え、女性の肉体を得られても心が得られなければ気持ちは満たされず、女性遍歴を辿っていくと次第に"本来目的"に近づきつつあったようにも思えますが、色々ごたごたもあって、いずれの女性の前からも彼の方から去っていくことになります。

 「女性の肉体を得られても心は得られない」その原因はそもそも脇坂の「金で女性の気持ちが買える」という傲慢さにあり(そう考えると何だか寓話っぽい話かも)、トランクの中の大金が底をついた時に彼は死ぬ―トランクは棺桶のメタファーだったのか―但し、それは彼の意に反し、充足感に満たされたものではなく虚無感に包まれたものだった(ますます寓話的。結末にはドンデン返しがあって、この通りにはならないのだが)。

 4人の女を演じた女優達に比べると、加賀まりこはやや影が薄いと言うか、最後にもう一度出てきて、ああ、そういうことだったのかと思わせる部分はありますが、ミステリとしてもイマイチだし、再登場によって凄味が増すとかいったことはありません。

 女性の強さと弱さ、優しさと怖さ、それと対比的に男の哀しさを描いた作品ともとれますが、むしろ、出自が貧乏であることを割り引いても、脇坂の子供っぽさの方が目立った作品のように思えました(懐かしい作品ではあるが)。

「悦楽」●制作年:1965年●監督・脚本:大島渚●撮影:高田昭●音楽:湯浅謙二●原作:山田風太郎「棺の中の悦楽」●時間:96分●出演:中村賀津雄/加賀まりこ/野川由美子/清水宏子/樋口年子/八木昌子/小沢昭一/戸浦六宏/小松方正/渡辺文雄/草野大悟/佐藤慶●公開:1965/08●配給:松竹●最初に観た場所:池袋・文芸地下(82-11-03)(評価:★★☆)●併映:「儀式」(大島渚)

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面白かった。第三者的な冷静な視点が常にどこかにある。映画作品の方は懐かしさはあるが凡作。

太平洋ひとりぼっち 舵.jpg  太平洋ひとりぼっち 文藝春秋新社.jpg 太平洋ひとりぼっち 角川文庫.jpg   太平洋ひとりぼっち dvd.jpg 太平洋ひとりぼっち dvd2.jpg
太平洋ひとりぼっち』/『太平洋ひとりぼっち (1962年) (ポケット文春)』/角川文庫版/「DVN-159 太平洋ひとりぼっち(DVD)」/「太平洋ひとりぼっち [DVD]

堀江謙一 1962.bmp 『太平洋ひとりぼっち』の40年ぶりの復刻(2004年刊)ということですが、帯にある「『挑戦』を忘れた日本人へ...」云々はともかくとして、今読んでもとにかく面白い!

 堀江謙一氏が23歳で西宮市―サンフランシスコ間の太平洋単独横断を成し遂げたのは1962(昭和37)年8月12日で(右写真:UPI=共同)、米国から帰国して"時の人"となった中2ヵ月で航海記を書き上げ、その年の12月に「ポケット文春」の1冊として刊行されていますが、比較的短期間で書き上げることが出来たのは、航海の間につけていた航海日誌があったからでしょう。

 「ポケット文春」の後も何度か加筆して同タイトルで刊行されていて、今回の復刻版はその加筆版をベースにしていると思われますが、加筆されている部分の文章も簡潔で生き生きとした筆致であり、ある種ドキュメント文学のような感じで、ベースが航海日記なので、虚構が入り込む余地は少ないと思われます。

 「こうこう報道されたが、実はこうだだった」的な記述が、後から書き加えられたものであることを窺わせるのと、自らの生い立ちからヨットをやるようになったきっかけ、出航までの道のり、どのようなものを携帯したかなどが詳しく書かれているのが、「ポケット文春」との違いでしょうか(今「ポケット文春」が手元に無いので断言できないが)。

 ヨットマンの多くが憧憬を抱きながらも実現は不可能と思われてきたことに対し、緻密な計画と5年がかりの準備をもって臨む―完璧を期すれば可能性は無くもないかのようにも思えますが、そもそもヨットでの海外渡航は当時認められておらず、犯罪者として強制送還になる覚悟で決行したわけです(実際、偉業達成時の日本での扱いは「密出国の大阪青年」。それが、サンフランシスコ市長が「コロンブスもパスポートは省略した」として名誉市民として受け入れるや、日本でも一転して"快挙"として報道された)。

 「緻密な計画」を立てたにしても、小さなヨットにとって太平洋はまさに不確実性の世界であり、渡航日数は2ヵ月から4ヵ月という大きな幅の中で見込まざるを得ず、こうなると、水や食料をどの程度もっていけばいいのかということが大きな問題になるわけですが、そうした蓋然性の中でも、冷静かつ大胆に思考を巡らせていることがよく分かりました(この他にも、ヨットを造る資金をどうするか、反対する周囲をどう抑えるかなど様々な問題があり、同様に、1つ1つ戦略的に問題解決していくことで、壁を乗り越えていく様が窺えた)。

 結局、航海は94日に及んだわけですが、日本では、90日を過ぎたところで送り出した側から捜索願が出ていたことを、後に知ったとのこと、捜索機(日本に限らず米国のものも含まれる)に見つかれば、そこで夢が断たれてしまう可能性があるというジレンマもあったわけです。

太平洋ひとりぼっち ポスター.jpg  "原作"刊行の翌年には、石原裕次郎(1934-1987)主演で映画化され、これは石原プロの設立第1作作品でもありますが、 同じヨットマンの石原裕次郎がこの作品に執着したのは理解できる気がします(自分のヨットを手に入れるまでの苦労は、慶応出のお坊ちゃんと、高卒の一青年の間には雲泥の差があるが...)。

 個人的には大変懐かしい作品ではありますが、今観ると、海に出てからは1人芝居だし、独り言もナレーションも関西弁、裕次郎にとっては意外と難しい演技になってしまったのではないかと(彼は黙っている方がいい。なぜか、ヨットから海に立ち小便する場面が印象に残っていた)。

和田夏十.jpg 嵐の場面は市川崑(1915-2008)監督の演出と円谷プロの特撮で迫力あるものでしたが、全体としては必ずしも良い出来であるとは言い難く、市川昆監督自身が後に失敗作であることを認めています(「(和田夏十(本名:市川由美子、1920-1983)の)あんなにいいシナリオがあの程度にしかできなかったという意味で失敗。裕ちゃんはよくやってくれたけれど、ヨットが思うように動いてくれなかった。わからないようにモーターをつければ良かった。そうすればもっと自由に撮れた」というような言い方をしていたように思う)。
 それでも、快挙を成し遂げサンフランシスコ港で温かく現地の米国人に迎えられる場面は感動させられます。

 但し"原作"では、この最後の部分も、ゴールデン・ゲートブリッジが見えて感動する本人と、たまたまシスコの湾内で出会ったクルージング中のオッサンとのチグハグなやりとりなどがユーモラスに描かれていて、感動物語に仕立て上げようとはしておらず、却ってリアリティを感じました(この人の文章には、第三者的な冷静な視点が常にどこかにある)。

 作品ではなく「堀江謙一」という人物に対する賞として1963年・第10回「菊池寛賞」が贈られていますが、作品の方は、最初は"手記"的な扱いだったのではないかと思われます。オリジナルを特定しにくいということもありますが、実質「菊池寛賞」受賞"作"とみていいのでは。

「太平洋ひとりぼっち」●制作年:1963年●監督:市川昆●脚本:和田夏十●撮影:山崎善弘●音楽:芥川也寸志/武満徹●原作:堀江謙一「太平洋ひとりぼっち」●時間:96分●出演:石原裕次郎/森雅之/田中絹代/浅丘ルリ子/大坂志郎/ハナ肇/芦屋雁之助/神山勝●公開:1963/10●配給:石原プロ=日活 (評価:★★★)

 【1962年新書化[文春ポケット] /1973年文庫化[角川文庫]/1977年文庫化[ちくま少年文庫]/1994年文庫化[福武文庫]/2004年復刻版[舵社]】

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日本的な風土を背景にギリシャ神話的な世界を再現? 5回の映画化。次は―。

潮騒 昭和29 新潮社.jpg潮騒 昭和29 新潮社2.jpg 潮騒 新潮文庫.jpg 潮騒 1964 dvd.jpg 潮騒 1964年 吉永.jpg
潮騒 (1954年)』『潮騒 (新潮文庫)』「潮騒(新潮文庫連動DVD)」「潮騒」1964年/日活(吉永小百合・浜田光夫)

 三島由紀夫が1954(昭和29)年6月に発表した書き下ろし作品で、最初に読んだ時は、三島作品にありがちな翳のようなものが殆ど無い、あまりに純朴な漁師の海女の恋の物語にやや違和感を覚えましたが、後に、三島がこの作品の発表の数年前のヨーロッパ旅行の際にエーゲ海やアドリア海を旅していること、古代ギリシャの散文作品『ダフニスとクロエ』に着想を得ていることなどを知り、ナルホドねという感じがしました。

 風光明媚な「歌島」の華麗な描写もさることながら(三重県の神島がモデル、三島は当作品発表の前年に2回―おそらく取材のため―旅している)、日本的な家族の繋がりや民俗的風習、青年団などの地域コミュニティのようなものも描かれていて、日本的なものとギリシャ的なものの融合を目指したのか、或いは、日本的な風土を背景にしても、三島の力量をもってすれば、そこにギリシャ神話的な世界の再現は可能であることを示してみせたのか。

 「ギリシャ的」と言えば、"女性の健康美とエロス"(「エロ」ではない)、"男性の鍛えられた逞しい肉体"などといった付随するイメージがありますが、三島がボディビルを始めたのはこの作品発表の後ぐらいからで、当時はまだ三島自身は"文弱の徒"であり、この健康美礼讃ともとれる作品に評論家もやや戸惑ったのかすぐには反応しなかったものの(ぴんとこなかった?)、巷には好評でたちまちベストセラーとなり(結果的に第1回「新潮社文学賞」受賞作にもなった)、同年に映画化もされ10月に公開されました(素早い!)。

 それを含め、昭和の時代を通して映画化された回数が5回というのは、三島作品の中で最多であり、川端康成の『伊豆の踊子』の映画化回数6回に迫ります。
 
 因みに、映画された「伊豆の踊子」の制作年・制作会社と監督・主演は、
  1933(昭和8)年 松竹・五所平之助 監督/田中絹代・大日方伝
  1954(昭和29)年 松竹・野村芳太郎 監督/美空ひばり・石浜朗
  1960(昭和35)年 松竹・川頭義郎 監督/鰐淵晴子・津川雅彦
  1963(昭和38)年 日活・西河克己 監督/吉永小百合・高橋英樹
  1967(昭和42)年 東宝・恩地日出夫 監督/内藤洋子・黒沢年男
  1974(昭和49)年 東宝・西河克己 監督/山口百恵・三浦友和
 
潮騒 1964 日活.bmp 一方、映画された「潮騒」の制作年・制作会社と監督・主演は、
  1954(昭和29)年 東宝・谷口千吉 監督/青山京子・久保明
  1964(昭和39)年 日活・森永健次郎 監督/吉永小百合・浜田光夫
  1971(昭和46)年 東宝・森谷司郎 監督/小野里みどり・朝比奈逸人
  1975(昭和50)年 東宝・西河克己 監督/山口百恵・三浦友和
  1985(昭和60)年 東宝・小谷承靖 監督/堀ちえみ・鶴見辰吾 
となっており、戦後だけでみると同じ5回であり、女優では吉永小百合と山口百恵が両方に出ています(2人とも「伊豆の踊子」の翌年に「潮騒」に出ている)。
 また、「潮騒」は何れの作品も神島でロケが行われており、これは、三島のこの原作における島の描写が極めて精緻かつ正確であることも関係しているのではないかと思います。

潮騒 1964 vhs.jpg 映画化作品「潮騒」のうち、映画館できっちり観たのは'64年の吉永小百合版(森永健次郎監督)ですが、日活がアクション映画路線から青春映画路線に舵を切った初期の段階で作られた作品。
 当時19歳の吉永小百合は明るく娘々していて、三島は彼女に「生活のかがやきにみちた美しさ」を見たとか(個人的には、映画そのものが原作のイメージと随分雰囲気が異なる気がしたのだが、作品ではなく女優を褒めた三島の本心はどうだったのか)。

潮騒 1975年 山口 dvd.jpg 確かに田舎娘らしい親近感はありますが、これは'75年の山口百恵(映画出演時は16歳)にも言えることですが、「海女」には見えないのが難点です。

 原作では、主人公の若い2人が裸で炎を挟んで対峙するところの描写にたいへん力が込められているように思えましたが(かと言って、三島文学にありがちな修飾過剰には陥っていない)、映画でのこの場面では、当然のことながら国民的スター・吉永小百合は脱がないし、その後の映画化作品では、アイドルを使ってそこをどう撮るかが、監督の腕の見せどころになってしまっているような感じがしなくもありません。

森谷司郎:監督 1971年日活版(小野里みどり・朝比奈逸人)/西河克己:監督 1975年東宝版 (山口百恵・三浦友和)
潮騒 小野里みどり・朝比奈逸人.jpg潮騒 1971.jpg潮騒  山口百恵.jpg 三島自決の翌年に、主役2人を一般公募して作られた'71年の森谷司郎監督作品(小野里みどり・朝比奈逸人主演)がこの場面を割と大胆に撮っているようですが未見、山口百恵版は、あの程度で激怒したファンもいたとのことですから、何だかヌードを撮ってはいけない作品みたいになっているなあ。いや、むしろ、アイドル路線の中でリメイクされることの方が要因でしょう。

 しばらく再映画化されていませんが、仮に、今後また映画化されることがあったらどうなるんだろう。

「潮騒」●制作年:1964年●監督:森永健次郎●製作:日活●脚本:棚田吾郎/須藤勝人●撮影:松橋梅夫●音楽:中林淳誠●原作:三島由紀夫「潮騒」●時間:82分●出演:浜田光夫/吉永小百合/石山健二郎/清川虹子/清水将夫/原恵子/鴨田喜由/松尾嘉代/平田大三郎/菅井一郎/前野霜一郎/衣笠真寿男/榎木兵衛/高橋とよ●公開:1964/04●配給:日活●最初に観た場所:池袋・文芸地下(85-01-19)(評価:★★☆)●併映:「伊豆の踊子」(西河克己)

 【1955年文庫化[新潮文庫]】

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谷啓の「しばたき」と石原慎太郎の「しばたき」。

空想天国 dvd.jpg 空想天国2.jpg     スパルタ教育 石原慎太郎.jpg 
松森 健 監督・谷 啓 主演(酒井和歌子 共演)「空想天国 [DVD]」['68年]/石原慎太郎『スパルタ教育』['69年]

空想天国1.jpg 建設会社に勤める田丸(谷啓)は大変な空想家で、空想の中ではいつも大活躍するが、現実の仕事は失敗ばかりで、守衛に格下げされ、更には機密書類を盗まれさらには産業スパイの疑いを掛けられてしまう―。

 昨年('10年)9月に亡くなった谷啓(1932 - 2010/享年78、自宅階段から転落し、脳挫傷により急逝。但し、最晩年は認知症状態だったようだ)の主演映画で、12月の「銀座シネパトス」での追悼上映ラインナップにもあった作品ですが、ほぼ同時期に日本映画専門チャンネルでも放映されました。
 クレージー・キャッツ(故人はハナ肇、植木等、安田伸、石橋エータロー、そして谷啓。存命は2011年4月現在、犬塚弘、桜井センリの2人)らが総出演するシリーズ映画は、60年代を中心に撮られたものだけで25,6本ありますが、一方で、こうした谷啓主演の番外編的な映画も何本かあったのだなあと。

空想天国 酒井和歌子.jpg 監督は「これが青春だ!」('66年/東宝)の松森健で、共演は酒井和歌子。ガマラという着ぐるみっぽい怪獣が出てきて主人公の空想の手助けをしますが、その空想の中で出てくる理想の女性役が酒井和歌子で、それが現実世界では、産業スパイの一味に誘拐された守衛長の娘であり、最後は、主人公が彼女を救出し、2人は結ばれるというノホホンとしたコメディです。

 この映画、公開時は、三船敏郎主演の「連合艦隊司令長官 山本五十六」('68年/東宝)との併映で、こちらも観た記憶はありますが、ちょっと結びつかないけれど(酒井和歌子は両方の作品に出ている)、当時のサラリーマンは、「山本五十六」で男の生き方を学び、谷啓のコメディで息抜きしたのかなあ。

 「空想天国」のはラストシーンは明治記念館ロケ。庭池の飛び石を2人がぴょんぴょん飛び跳ねるところで終わるのに対し、三船敏郎演じる山本五十六は、視察移動中の戦闘機の機中で敵の機銃を受けてもじっと動かない(すでに1発の銃弾が命中し、墜落前に絶命していることになっている)―対象的な作品だなあ。

「空想天国」●制作年:1968年●監督:松森健●製作:渡辺晋●脚本:田波靖男●撮影:西垣六郎●音楽:萩原哲晶●時間:84分●出演:谷啓/京塚昌子/奈加英夫/酒井和歌子/宝田明/北あけみ/藤岡琢也/佐田豊/藤木悠/権藤幸彦/田中浩/木村博人/西岡慶子/中川さかゆ/矢野陽子/矢野間啓治/沢村いき雄/藤田まこと/頭師孝雄/中山豊/ハナ肇/桜井センリ/田崎潤/荒木保夫/ハンス・ホルネフ/小松政夫/豊浦美子/田辺和佳子●日本公開:1968/08●配給:東宝(評価:★★★)●併映:「連合艦隊司令長官 山本五十六」(丸山誠治) 

 谷啓には、高速まばたき(所謂「しばたき」)の癖がありましたが、同じ癖の持ち主に石原慎太郎がいます。

 ある心理学の先生が、石原慎太郎・裕次郎の兄弟を比較して、兄貴の慎太郎の「しばたき」の癖は、芸術家的繊細さの1つの現れであり(このことは、名トロンボーン奏者でもあった谷啓にも通じるかも)、兄の慎太郎よりは弟の裕次郎の方が精神的には図太いとしていましたが、「しばたき」が繊細さの現れであるとすれば、谷啓は、そのことによって他人を緊張させないように、自らをほんわかした、或いはトボケた雰囲気で包むようにしていて、一方、慎太郎氏は、それを周囲に悟られないように、努めて自分を豪胆に見せようとしている感じも受けます。

 その慎太郎氏は、'69年に『スパルタ教育―強い子どもに育てる本』(カッパ・ホームズ)を著していて、その中には「ヌード画を隠すな」「いじめっ子に育てよ」「子どもに酒を禁じるな」「子どもの不良性の芽をつむな」とかいろいろ激しいフレーズがありますけれど、これで「強い子ども」が育つのかなあ。
 実際に育った3人の息子達は、そんな図太い感じはしないけど、この偽悪的とも思えるポーズは、弟の裕次郎を意識したのではないかと(実際、裕次郎主演で映画化されている―と言っても、元が小説ではないので、脚本は書き下ろしだが)。

 この本、当時はベストセラーになりましたが、「本を、読んで良いものと悪いものに分けるな」とか、今主張している漫画規制の強化などとは言っていることが真逆のようにも思えるフレーズもあり(マンガは本ではないということか)、今読むと突っ込みどころ満載と言えるかも(昔は結構この人の小説も読んだのだが、今何故かあまり読み返す気がしない)。

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石原慎太郎の脚本監修。意外と素直な高校生よりは、併映の"エビラ"の方がインパクトあった?

これが青春だ.jpg これが青春だ! vhs.jpg これが青春だ! 1シーン.jpg  これが青春だ! シネマヴェーラ渋谷.jpg
「これが青春だ!」ポスター/VHS(絶版)['66年/カラ―]/2009年「シネマヴェーラ渋谷」再映時チラシ

 森山高校に赴任してきた由木は型破りの熱血漢。授業では教科書を使わず、職員室では歯に衣着せぬ物言いで教師たちを驚かせる。生徒からの人気はうなぎ上りで、女生徒達は次々と由木に熱を上げる始末。そんな中、部員の成績悪化で廃部寸前のラグビー部を救う為、由木は奮闘するのだが―。(「シネマヴェーラ渋谷」2009年再映時のチラシより)

青春とはなんだ 1.jpg青春とはなんだ2.jpg 日本テレビ系で1965年10月から翌年11月まで放送されていたテレビドラマ「青春とはなんだ」を映画化したもので(テレビドラマ版は当時まだ白黒、映画「これが青春だ!」はカラー)、ドラマの監督をしていた松森健(1928-)の初映画監督作品(主演もドラマと同じく夏木陽介)。
 因みに、ドラマの原作は石原慎太郎の同名小説であり、映画脚本はドラマのメインライターだった須崎勝弥、映画では石原慎太郎は"脚本監修"となっています。

これが青春だ tv.jpgこれが青春だ 竜雷太.jpg 1966年11月からは、学園ドラマシリーズの第2弾として竜雷太主演(夏木陽介が映画出演でテレビの方に出られなくなったための抜擢)の「これが青春だ」がスタートしており(「竜雷太」の芸名は、このドラマの役名「大岩雷太」から付けた)、何だかややこしいですが、こっちは"ラグビー部"ではなくて"サッカー部"が舞台になっています。
 "ラグビー部"が舞台の映画のタイトルは「これが青春だ!」と最後に"!"がつきますが、"サッカー部"が舞台の竜雷太主演のテレビ版「これが青春だ」には"!"がつきません。

 映画の内容としては、森山高校の生徒と隣町との高校の番長(黒沢年男)グループとの争いが、「学ランのボタン狩り」というのが時代を感じさせ(まるでイヴ・ロベールの「わんぱく戦争」('61年/仏)か)、結局最後は由木が間にはいって両校のラグビー試合で決着をつけさせることにしたというのが、話が旨く出来過ぎているような気もしますが...。

これが青春だ! 酒井和歌子.bmp 無理やりスナック勤めをさせられている相手高校の女生徒を酒井和歌子が演じていて、実年齢も17歳と初々しく、この映画の第2弾とも言える「でっかい太陽」('67年/東宝)でも、相手高校の女子高生役で出ています(今度は"サッカー"対決。鉄壁のワンパターン)。

 布施明の歌う主題歌もヒットしましたが、映画公開時の併映が「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」('66年/東宝)というのが凄いなあ。意外と素直な高校生らよりは、南海の暴れん坊"エビラ"の方がインパクトあった?

「これが青春だ!」(映画)●制作年:1966年●監督:松森健●製作:森田信●脚本:須崎勝弥●脚本監修:石原慎太郎●撮影:西垣六郎●音楽:いずみたく●時間:92分●出演:夏木陽介/藤山陽子/団令子/佐藤允/黒沢年男/三木のり平/藤木悠/十朱久雄/田中春男/南都雄二/早崎文司/豊浦美子/岡田可愛/土田早苗/酒井和歌子/矢野間啓治/木村豊幸/関戸純方/柴田昌宏/大沢健三郎/井上博之/馬場添良一 /布施明●公開:1966/12●配給:東宝 (評価:★★☆)●併映:「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」(本多猪四郎)

青春とはなんだ.jpg「青春とはなんだ」(テレビドラマ)●演出:松森健/出目昌伸/児玉進/高瀬昌弘●制作:岡田晋吉/中根敏雄/酒井知信●脚本:井手俊郎/須崎勝弥/浅川清道/田波靖男/倉本聰●音楽:いずみたく●原作:石原慎太郎●出演:夏木陽介/藤山陽子/藤岡琢也/三遊亭金馬/名古屋章/加東大介/久保菜穂子/平田昭彦/十朱久雄/有島一郎/三井弘次/寺田農/豊浦美子/土田早苗/岡田可愛/杉本哲章/藤木悠/十朱久雄/田崎潤/藤原釜足●放映:1965/10~1966/11(全41回)●放送局:日本テレビ

これが青春だ tvテーマ.jpg「これが青春だ」(テレビドラマ)●演出:松森健/児玉進/小松幹雄/竹林進/土屋統吾郎●制作:大木亀雄/岡田晋吉●脚本:須崎勝弥/田波靖男/倉本聰/井手俊郎●音楽:いずみたく(主題歌:布施明「これが青春だ」(作詞・岩谷 時子、作編曲・いずみたく))●出演:竜雷太/岡田可愛/松本めぐみ/木村豊幸/矢野間啓治/藤山陽子/結城美栄子/寺田農/沢村貞子/藤木悠/三井弘次/西村晃/弓恵子/北島マヤ/堺駿二/渚健二/柏木由紀子/名古屋章/十朱久雄●放映:1966/11~1967/10(全39回)●放送局:日本テレビ
これが青春だ~青春ドラマ テーマソング大全

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ストーリーが良く、特撮水準も高かった「サンダ対ガイラ」。マジ恐かった「海底大戦争」。

サンダ対ガイラ.jpg サンダ対ガイラ dvd縦.jpg  海底大戦争.jpg 海底大戦争2.jpgキイハンター dvd.jpg
フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ [DVD]」/「海底大戦争 [DVD]」(千葉真一/ペギー・ニール)/「キイハンター BEST SELECTION BOX [DVD]

サンダ対ガイラ4.jpg 嵐の夜、三浦半島沖を航行する漁船が大ダコに襲撃され、ただ1人生き残った操舵手は「仲間は全員、タコに続いて海から現れたフランケンシュタインらしき怪物に襲われ、喰われてしまった」と言い、引き上げた乗組員の衣服は噛み砕かれて吐きだしたかのような状態だった―。

 山に住む優しいフランケンシュタイン「サンダ」と、海に住む凶暴なフランケンシュタイン「ガイラ」の兄弟対決で(実際には"兄弟"ではなく同じ遺伝子を持つ"分身"。今で言うところの「クローン」)、古事記の海幸彦・山幸彦神話がベースになっていることはすぐに分かるのですが、それでも観ていてぐっとのめり込むぐらいストーリーはよく出来ています。
 
サンダ対ガイラ3.jpg 兄サンダが弟ガイラを"叱る"(?)のは、ガイラが人間を喰ってしまったからで、小さい頃に人間に育てられたサンダには、人間への恩義があるのか。とは言え、兄弟の情もあったりして...不肖の弟を持ったサンダは悩ましいところ。

水野久美1.jpg 個人的には、田舎の小学校に転校した頃、学校の体育館で観せられたのがこの作品だった記憶がありますが、当時はストーリー展開よりも、山からぬっと現われた巨大フランケンシュタインの迫力や、羽田空港の滑走路をゴム毬が弾むように駆けていく2匹の躍動感が印象に残りました。

 今顧みても、特撮の水準は歴代怪獣映画の中ではなかなかのものではなかった思われ、この日米合作映画はアメリカでは今でもカルト的な人気があるそうです(古事記神話のことは彼らは知らないだろうが、水野久美はアメリカにもファンがいるそうな)。
 
海底大戦争3.jpgペギー・二ール.jpg 同じ頃、「海底大戦争」('66年)というのも"観せられ"、これは東宝ではなく東映映画。これも日米合作映画であり、出演者は外国人の方が多いのですが、主演は千葉真一でした。
 
 これはマジ恐かったあ。特にマッドサイエンティストに捕まったペギー・ニール演じるヒロインの外国人女性記者が半魚人にされかけるところ。皮膚が半分ウロコ状になってもうだめかと...。

千葉真一/ペギー・ニール

 ちょっとこの作品を観せられトラウマ気味になった生徒もいたみたいで、自分自身もあまり再見する気にならないのは、その1人だからかも。

ミツバチのささやき.jpg その後、同年代の人と昔学校で課外授業の一環として観た映画の話になったことがあり、同じころには「サウンド・オブ・ミュージック」とかを、ちゃんとした映画館で観たとのこと。
 同じ"課外授業"としての映画鑑賞でありながら、内容は随分違うなあと思い、田舎の学校の先生の教育的意図は何だったのかなあと不思議に思ったりしましたが、ビクトル・エリセ「ミツバチのささやき」('73年/スペイン)でも、子供らが集まる公民館で「フランケンシュタイン」を上映する場面があったから、あれはあれで、日本の一田舎に限ったものではなく、"世界標準"だったのか。


キ―ハンター 2.jpgキーハンター 千葉真一.bmp 因みに、千葉真一は、この「海底大戦争」に出ていた頃まではアクション映画への出演が主で、一般にはそれほど知名度の高い俳優ではありませんでしたが、「海底大戦争」出演の2年後の'68(昭和43)年からスタートしたテレビドラマ「キイハンター」に主演、一躍人気スター俳優となり、番組自体も視聴率は30パーセントを超え、当初1年の放送予定だったのが5年も続き、放映回数は262回にまで達しました(これ、丹波哲郎の代表的な作品でもあると思うのだが)。

 野際陽子の歌うテーマ曲「非常のライセンス」が懐かしいですが、この曲、千葉真一も歌っていなかったかなあ。


ウフン ラムール(愛)
アー ラモール(死)
ああ あの日愛した人の
墓に花をたむける明日
ああ 昨日恋して燃えて
今日は敵と味方の二人
恋も夢も希望も捨てて
命かける非情の掟
ああ だから 
ああ もっと
もっと愛して
(作詞:佐藤純彌/作曲:菊池俊輔)

「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」 ●制作年:1966年●監督:本多猪四郎●特撮監督:円谷英二●製作:田中友幸/角田健一郎●脚本:馬淵薫/本多猪四郎●撮影:小泉一●音楽:伊福部昭●時間:88分●出演:ラス・タンブリン/佐原健二/水野久美/伊藤久哉/田島義文/田崎潤/中村伸郎 ●公開:1966/07●配給:東宝 (評価:★★★☆)

海底大戦争 ビデオ.jpg「海底大戦争」 ●制作年:1966年●監督:佐藤肇●企画:亀田耕司/吉野誠一
●脚本:大津皓一●撮影:下村和夫●音楽:菊池俊輔 ●原案:福島正実●時間:84分●出演:千葉真一/ペギー・ニール/フランツ・グルーバー/アンドリュー・ヒューズ/エリック・ニールセン/マイク・ダーニン/ビバリー・ケラー/三重街恒二●公開:1966/07●配給:東映 (評価:★★★?)

キーハンター.jpg「KEY HUNTER キイハンター」●監督:井上昭/堀長文/深作欣二/佐藤肇ほか●制作:小野耕人/近藤照男●脚本:深作欣二/池内金男/小山内美江子ほか●音楽:菊池俊輔(主題歌:野際陽子「キイハンター 非情のライセンス」●原作:都筑道夫●出演:千葉真一/野際陽子/丹波哲郎/谷隼人/大川栄子/川口浩/安岡力也/松岡きっこ/川地民夫/野添ひとみ●放映:1968/04~1973/04(全262回)●放送局:TBS

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地上で繰り広げられるドタバタ劇はともかく、宇宙怪獣ドゴラはなかなかいい。

宇宙大怪獣ドゴラ.jpg ドゴラ vhs.jpg 宇宙大怪獣ドゴラ dvd.jpg 宇宙大怪獣ドゴラ  サントラ.jpg
「宇宙大怪獣ドゴラ」ポスター/「宇宙大怪獣 ドゴラ [VHS]」/「宇宙大怪獣ドゴラ [DVD]」/「宇宙大怪獣ドゴラ」サントラ

宇宙大怪獣 ドゴラ ポスター.jpg 日本上空を周回中のテレビ中継衛星が突然消え、時を同じくして世界各国の宝石店が襲われて多量のダイヤモンドが盗まれる事件が頻発し、警視庁は宝石強盗団一味の仕業として捜査を開始、警視庁の駒井刑事(夏木陽介)は、ダイヤの研究を行なっている宗方博士(中村伸郎)のもとを訪れるが、マークという謎の外国人(ダン・ユマ)に襲撃されてダイヤを奪われ、そのマークも強盗団にダイヤを奪われる。一方の強盗団も、盗んだダイヤを積んだトラックが突如浮遊して落下するという異常事態に見舞われる―。

 1960年代半ばの東宝映画は、「ゴジラ」シリーズの全盛期でしたが、この頃東宝はゴジラを主役にした映画ばかりではなく、こんなのも撮っていました。こんなのと言ってもどう言えば良いのか。クラゲのお化けみたいな巨大宇宙生物が出てくる作品ですが。

 この巨大クラゲ、エネルギー補給のために炭素を必要とし、そのためダイヤや石炭を地上から吸い上げるようにして補給するということで、この「ドゴラ」と命名された巨大クラゲが、炭田(ボタ山)から石炭を吸い上げるシーンはなかなか見応えがあります(今観れば、水槽に落とした黒い粉末の塊が拡散していく様を、逆モーションで撮っていたのが分かるが、それにしても大した創意工夫)。

 クラゲの全体像がなかなか見えないのもイマジネーションを駆りたてるし、実はこのクラゲ、ビニール製だそうですが、CGの無い時代にジェームズ・キャメロンの「アビス」('89年/米)顔負けの映像作りをしているなあと感心しました(「ドゴラ」の原案イメージは小松崎茂)。

ドゴラ 若林.jpg若林映子.jpg 映画公開の前年に完成したばかりの「東洋一の吊り橋」若戸大橋を破壊するなど、その"活躍"は派手ですが、ちょっとしか画面に出てこないのがやや残念。
 映画の大部分は、地上で繰り広げられる警察と強盗団のダイヤ争奪・奪回戦に費やされ、盗んだのがダイヤだと思ったら氷砂糖だったとか、ドタバタ喜劇調でもあります(勿論、主演の夏木陽介や、後にボンドガールとなる若林映子などの演技陣は真剣に演じているのだが)。

 ストーリー映画としては星3つに届くか届かないですが、ドゴラだけはなかなかいいと思いました。
 今観ると、特撮映画としてもユニークだし、実際に筑豊産炭地区でロケをしているため、石炭産業華やかなりし頃の当地の様子や石炭積出港であった若松港の様子を収めた貴重な記録映像としても鑑賞できるかと思います。


ドゴラ 夏木.jpg「宇宙大怪獣ドゴラ」●制作年:1964年●監督:本多猪四郎●特撮監督:円谷英二●製作:田中友幸/田実泰良●脚本:関沢新一●撮影:小泉一●音楽:伊福部昭●時間:81分●出演:夏木陽介/ダン・ユマ/中村伸郎/小泉博/藤山陽子/若林映子/藤田進/河津清三郎/田島義文/天本英世/田崎潤●公開:1964/08●配給:東宝 (評価:★★★☆)

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状況設定自体にかなり無理がある。『告白』のインパクトを超えるのは難しい?

往復書簡 湊.png 『往復書簡』(2010/09 幻冬舎)

 高校卒業以来10年ぶりに放送部の同級生が集まった地元での結婚式で、女子4人のうち千秋は行方不明であり、そこには5年前の「事故」が影を落としていたが、それが本当に事故だったのか、真実を知りたい悦子は、式の後日、事故現場にいたというあずみと静香に手紙を送る―。(「十年後の卒業文集」)

 「十年後の卒業文集」「二十年後の宿題」「十五年後の補習」の3作の連作ミステリで(それぞれの内容の繋がりは無い)、いずれも高校時代からその後にかけて起きた事故や事件について、その真相を探るためにかつての同級生同士や生徒と担任の教師が連絡を取り合う書簡形式になっており、そうした意味では、計算された構成となっているように思えました。

 ただ、ラストでそれぞれにひねりは効かせているものの、状況設定自体にかなり無理があるような気もしました。
 例えば、「十年後の卒業文集」ですが、手紙を受け取った側もハナから違和感を覚えているし、そもそも複数の視線が集まる同窓会で、そんなに上手く全員を欺き通せるものかと。
 「二十年後の宿題」なども、わざわざここまでして過去をほじくり返すかなという気もして、それにしてもこの連作の登場人物達は、皆"告白"好きだなあと。

 『告白』('08年/双葉社)を読んだ時もそうでしたが、登場人物があまり好きになれない―但し、『告白』の場合は、「読後感が良くない」こと自体が1つの"ウリ"であるような、登場人物に対する読者の感情移入も誘発しつつ、作者自身は登場人物達と一定距離を置いているような計算があったように思いますが、この連作は、(とりわけ「十五年後の補習」がそうだが)感動ストーリーにしようとしているのか、どうしようとしているのか、個人的にはよく分かりませんでした。

 書簡体でありながらも、書簡体の中で過去の出来事を会話体で再現している箇所がいくつもあり、普通に手紙を書く人が、こんな小説家のような書き方をするかなあという違和感もありました。

 ミステリとしても読んでいて何となく先が読めてしまうという難点があり、すべてにおいて物足りない印象。やはり、『告白』のインパクトを超えるのは難しいのか(いつかは超えて欲しいと思うが)。

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「手軽に楽しめる」と言えなくもない作品だが、東野作品としては物足りない。

プラチナデータ.jpg 『プラチナデータ』(2010/07 幻冬舎)

 犯罪防止のため国民のDNA情報の管理が可能となる法案が可決され、警察庁はDNA捜査システムを導入、警察庁特殊解析研究所の神楽龍平が操るこのシステムは、現場の刑事を驚愕させるほどの精度で犯人を特定するが、そうした中、ある連続殺人事件が発生し、警視庁捜査一課の浅間は、神楽のもとへ訪れ遺留品のDNA解析を依頼するも、解析の結果は「Not Found」と出る―犯人はこの世に存在しないのか?

 まずは、前提となるDNA解析から犯人の詳細なプロファイルを割り出すということが、静的なDNA情報と各々の遺伝子モジュールがいつどのような形で作用するかという動的な実態は別物であるため、科学的には考えにくい"漫画チック"な話であり、このあたりはあまりこだわらず読むしかないのかと。

 システムの開発に携わった天才数学者・蓼科早樹とその兄・耕作が殺され、システムが割り出した犯人像が神楽自身であったというのは、スティーヴン・スピルバーグ監督の「マイノリティ・リポート」('02年/米)で、犯罪予測システムの使い手(トム・クルーズ)自身が、システム側から"将来の犯人"とされ、逃避行をしながら真相を探ろうとするのと似ているように思いました。

 神楽の「多重人格」性は、ダニエル・キイスの『24人のビリー・ミリガン』(小説的とも言える作品だが、ベースはあくまでもノンフィクション)を想起させましたが、神楽のもう一方の人格であるリュウと謎の少女スズランの関係などは読めてしまう部分もあるし、安易にいろんなものを鏤め過ぎて(しかも、その元ネタが割れていたりして)、もともと"軽い"系統の作品ではあるものの、それがますます軽くなってしまった感じがしました。

 情報統制に対する風刺ともとれますが、"プラチナデータ"に込められた国家的陰謀というものの影が薄く、結末も、やや拍子抜けするような犯人と犯行動機で、作者自身、国家的陰謀とか犯人のことはどうでもよくて、一番書きたかったのは「多重人格」についてではなかったのかと思えるような作品でした(同じ作者の『秘密』('98年)も憑依現象(多重人格)を扱った作品だった。確かに、興味深いモチーフではあるが)。

 意外と"萌え"系だった? 「手軽に楽しめる」と言えなくもない作品でしたが、もともと力量がある作家だけに、書き過ぎで、あくまでこの作家の力量水準に照らすとですが、「粗製濫造」気味ではないかなあという気も。
 その結果、手抜きと言うより、構想が中途半端なまま着手している印象を受け、出版社によって作品の質にムラがあるような気もします。

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最後は、「さて、誰を犯人にしようかな」みたいな感じで決まったような終わり方?

カッコウの卵は誰のもの.jpg 『カッコウの卵は誰のもの』(2010/01 光文社)

 かつてスキー選手であり、オリンピックに何度も出たことがある緋田宏昌は、同じくスキー選手である娘の風美を、オリンピックでメダルを獲れるような、自分を超えるトップスキーヤーにすることを目指しており、一方、風美の所属チームの研究者は、2人の遺伝子パターンを調べてスポーツ選手の育成・強化に繋げたいと考えていたが、緋田には、19年前の娘の出生に纏わる誰にも言えない秘密があり、そのため、遺伝子研究チームの申し出を断り続けてきた―。

 相変わらずスラスラ読めてしまう東野作品ですが、それにしても、途中まではややダラダラした印象を受け、それが終盤に入って、やっとギアが入ったかなという感じでした。

 そのため、一時(いっとき)は「さすが」と期待したのですが、結局、終盤バタバタした感じで事件は落着、その後、"お約束"のもう一捻りがあって、これがこの人の作品にしては期待外れ。
 結局、2時間ドラマみたいなプロットをここまで引っぱるだけ引っぱって、最後は、「さて、誰を犯人にしようかな」みたいな感じで決まったような終わり方だったなあと。

 通して振り返れば、テーマは最初からミエミエのありきたりなものだし、骨髄移植などのモチーフも使い古されているものだし、人物の描き方も浅いし―と、今回はあまり振るわなかったように思いました。

 細部を見ても、事件の契機となった事故の詳細が描かれていなかったり、同一人物の呼称が途中で変わったりと、不満な点やおかしな点はあるけれども、何よりも、犯人の犯行動機の論拠があまりに脆弱。こんな理由で、そこまでやるかねえ(そのため、「とってつけたような」という印象が拭いきれない)。

 それでも一応は最後まで一気に読ませてくれたので、評価は△としますが、但し、東野作品の中での相対評価だと×に近いかも。
 一時(いちどき)に何本も書き過ぎているんじゃないかなあ。

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