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ストーリーよりも演出が光る作品。岡田嘉子は好演。子役もみな良かった。
「東京の宿 [VHS]」
坂本武/岡田嘉子
失業し、妻にも逃げられた喜八(坂本武)は、善公(突貫小僧)と正公(末松孝行)の2人の子供を連れ、職を求めて東京・下町の工業地帯を彷徨うが、どの工場でも門前払いばかり。何とか夜のねぐらとして確保した木賃宿・万盛館で、同じく宿無しの女・おたか(岡田嘉子)に出会うが、おたかも娘の君子(小嶋和子)を連れて職を探していた―。
小津安二郎の1935(昭和10)年の作品で、「出来ごころ」('33年)、「浮草物語」('34年)などと同じ坂本武主演の"喜八もの"ですが、サイレント版(音響のみ収録のサイレント・サウンド版)で観ました。
原作のウィンザード・モネとは、小津安二郎、池田忠雄、荒田正男の合体ペンネーム(without moneyをもじったもの)ですが、冒頭部分の父親と子供らが殺伐とした工業地帯をとぼとぼと行く様はイタリア・ネオリスモを彷彿させます(その代表作「自転車泥棒」より13年早い作品だが)。細かいカット割りを繋げる特有の手法ながらも、何となくゆったり感があるのは小津ならでは(個人的には、「生まれてはみたけれど」('32年)の冒頭とだぶったが、やや冗長感もあった)。
全体としては、同じく不況を作品背景とした「大学は出たけれど」('29年)、「東京の合唱(コーラス)」('31年)よりも暗く、前2作は大卒である主人公の就職難或いは再就職難ということで、世相に対する皮肉も込められていましたが、こちらは、主人公がしがない旋盤工ということもあって、より社会的底辺にある人間の追い詰められた状況を描いていることもあるのでしょう。
おたかは娘が疫痢になったため、入院費を稼ぐために呑み屋に酌婦として働きに出ますが、喜八はそんな金で病気が治っても娘は喜ばないから娘の傍にいてやれと言い、では自分に金も当てがあるのかというと、世話になっている叔母さん(飯田蝶子)に金を借りようとして断られ、茫然自失の中、とうとう盗みを働く―。
呑み屋で働くのが悪くて盗みは許されるのか、元は他人である親子を助けるために自分は犯罪者となり、自首してわが子と離れ離れになるというのは、自分の子供にとってどうなのか、など理屈で言えば突っ込み所はありますが、そうした理屈を超えたところが人情なのでしょう。
ストーリーよりも演出(カメラワークを含む)が光る作品。岡田嘉子(1902 - 1992)は坂本武を凌ぐ好演で(やはり父性愛よりも母性愛か)、当時33歳ぐらいでしょうか(35歳でソ連に亡命し日本に帰ったのは35年後)。宿無しの失業者の割には綺麗過ぎ、やつれ感が足りない気もしますが、喜八の犠牲的精神の根底にはおたかへの思慕があり、その思いの対象たるに相応しい外見的要件を持たせることがストーリー上必要なため、やむをえないのかも(寅さんとマドンナの関係とおんなじだからなあ。これ)。
子役の演技は、突貫小僧だけでなく、末松孝行(弟)、小嶋和子(おたかの娘)も良くて、べーっと舌を出すシーンのリフレインなど、"人情喜劇"としてのユーモアの部分は殆ど子役達が担っていたという感じの作品でした。
「東京の宿」●制作年:1935年●監督:小津安二郎●脚本:池田忠雄/荒田正男●撮影:茂原英朗●原作:ウィンザード・モネ(小津安二郎/池田忠雄/荒田正男)●時間:83分●出演:坂本武/岡田嘉子/突貫小僧/末松孝行/小嶋和子/飯田蝶子/高橋貞二/笠智衆●公開:1935/11●配給:松竹鎌田(評価:★★★)
![東京の合唱(吹替・活弁版) [VHS].jpg](http://hurec.bz/mt/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%81%AE%E5%90%88%E5%94%B1%28%E5%90%B9%E6%9B%BF%EF%BD%A5%E6%B4%BB%E5%BC%81%E7%89%88%29%20%5BVHS%5D.jpg)
1931(昭和6)年
先輩社員の不当解雇(勧誘したお客が保険に入った翌日に事故死し、会社が損失を被ったというのが解雇理由)に敢然と立ちあがる主人公はなかなかの正義漢。社長との遣り取りはユーモラスに描かれていますが、クビになった後がたいへん。子供に約束の自転車を買ってやれず詰(なじ)られ、かっときて子供を叱ってしまうし、娘が疫痢に罹って医者代も発生し、妻の着物を売り払ったことにより妻ともぎくしゃくする―。
主人公の失業サラリーマンを演じた岡田時彦は女優・岡田茉莉子の父。但し、茉莉子1歳の時、30歳の若さで亡くなっているため、娘は父を映画の中でしか知らないとのことです。

信州のとある田舎町に、旅役者・市川喜八(坂本武)の一座がやってくるが、実はこの町には、喜八の昔の女(飯田蝶子)と、2人の間にできた息子・信吉(三井秀男)がいる。喜八は自分が父とは名乗らず、毎日のように女の家を訪ねて行くが、喜八の今の世話女房(情婦)のおたか(八雲理恵子)はこのことを知って嫉妬し、当てつけに妹分の女優おとき(坪内美子)に信吉を誘惑させるよう仕向ける。ところが、おときと信吉は本当に好き合うようになってしまう―。
小津安二郎監督の1934(昭和9)年の無声映画作品で、小津安二郎はこの作品で、「生れてはみたけれど」「出来ごころ」に続き3年連続で「キネマ旬報ベスト・テン」の1位に輝きました。
暗くてじめじめした話かと思ったら、ユーモラスなギャグが絡むことで救われて、喜八の情婦が妹分の女優を使って喜八の息子を籠絡しようとするところで、いやあホントに嫌な話になってきたなあと思ったら、予想外の展開(「蛙の子は蛙、学があっても女には手が早い」とか、深刻な場面なのに、ここでも笑わせる)、結局、この坪内美子演じる妹分女優のおときというのが、一番可哀想だったなあ(「寅さん」における浅丘ルリ子のリリーか)。
八雲理恵子が演じる一見毒婦が如く見えたおたかにも、最後には観る者の同情を引く話の運びが旨く、そうした人間像の多面的な描き方は、一座の長老格などの脇役にまで及んでいます。
坂本武/伏見信子
ビール工場に勤めながら小学生の息子・富夫(突貫小僧)と貧乏長屋に暮らしをする喜八(坂本武)は、寄席帰りのある日、失業して行くあてのない若い娘(伏見信子)と出会い、行きつけの食堂の女主人(飯田蝶子)に頼んで、娘に食堂での住み込みの働き口を世話する。喜八は、その娘に惚れるが、年の差を考えて口には出せず、一方、娘は喜八の隣に住むビール工場の同僚の青年(大日方傳)に気があり、しかし、青年は喜八への義理立てから娘に冷たく当たり、3人はギクシャクした関係になる―。
話の方は、喜八は娘の想いの相手が同僚の青年と知って気落ちするが、複雑な心境ながらも娘と青年の結婚話を進めるために一肌脱ごうとし、逆に青年と意地を張り合うことに。事が旨く運ばず、ヤケ酒に浸って仕事にも行かない喜八を、息子は父の顔を何度も叩いてなじるが、そんな中その息子が病気になり、回復したものの医者代が工面できない。その窮状を知った青年が、北海道に行って"蟹工船"に乗り込み金を工面しようと考えるが、そのことを知った喜八は青年を殴り倒して、代わりに北海道行きの船に乗り込む―。
新文芸坐で、澤登翠氏門下の片岡一郎氏の活弁で上映していましたが行けず、松田春翠の活弁付きビデオで鑑賞(片岡一郎氏は春翠の孫弟子ということになる)、
娘役の伏見信子はいかにも戦前の清楚な美人スターという感じで、ちょっと阿部寛に似た大日方傳の一見ニヒルだが内に熱いものを秘めた青年も良かったですが、何よりも突貫小僧(青木富夫)の天才子役ぶりが発揮された作品であるように思いました。

良一(菅原秀雄)、啓二(突貫小僧)兄弟のサラリーマンの父(斎藤達雄)は、会社の重役・岩崎(坂本武)の家の近くに引っ越して出世のチャンスを窺うようなヒラメ男だが、兄弟の前では厳格に振舞っている。一方、兄弟は転校するなり地元の悪ガキグループと喧嘩し、憂鬱になって学校をサボるが、父にばれて大目玉を喰う。悪ガキグループと和解した兄弟は、やがてグループ内で台頭し、岩崎の息子も子分にしてしまう。ある日、「うちの父ちゃんが一番偉い」という自慢話が出るが、兄弟も自分の父親が一番偉いと信じて疑わなかった。ところが、岩崎の家で観た16ミリフィルムの中に写っていた父は、重役の前でモノマネをしてご機嫌伺いをしていた―。
それが重役宅での映写会を契機に、父親に幻滅した兄弟らの父親に対する抵抗が始まり、「なぜ重役は偉いのか」「父ちゃんはなぜ重役になれないのか」と父親を問い詰めますが、これには父親の方もキレて怒りを爆発させ、母親(吉川満子)は部屋に籠ってウィスキーを煽る夫を諫める―(う~ん、一気に重たいムードになるなあ)。
大人の社会と子供の世界は別であって、子供の自由な世界観が大人の不自由な世界観によって歪められてはならない―といったテーマ解説までしてしまっているものだからそれ以上突っ込みようがなく、小津の後期作品に比べて取り上げられることが少ないのかな。
「大人の繪本 生れてはみたけれど」●制作年:1932年●監督:小津安二郎●脚本:伏見晁●撮影:茂原英朗●原作:ジェームス槇(小津安二郎)●活弁:松田春翠●時間:90分●出演:斎藤達雄/吉川満子/菅原秀雄/突貫小僧/坂本武/早見照代/加藤清一/小藤田正一/西村青児/笠智衆

高田 稔/田中絹代
大学を卒業した時に許婚(田中絹代が初々しい)がいて、それで就職が決まらないというのは結構キツイなあと思ってしまいましたが、母親と許婚の手前、会社に行くふりをして弁当を持って出かける主人公にとっての"仕事の場"は公園であり、"仕事" は公園に来ている子供らとボール遊びをすること、子供らとすっかり仲良くなるが、雨が降った日は"仕事"が休みになる―といった具合に、ユーモラスに描くことで救われています。
途中、客として訪れたカフェで、夫に内緒で働いている奥さんを見てしまったりするハプニングもあったりして(カフェの先客で、その奥さんに「君は最近新しく入った子か」などと声掛けしているのは笠智衆)、最後は、女房の健気さに勇気づけられて主人公は発奮、「受付ならば」と言われて頭にきて辞去した会社を再訪し、「受付でも何でもやります」と―(それまで"雨天休業"だった主人公がどしや降りの日に出掛けていくところもミソ。見送る田中絹代が可憐)。
松竹ホームビデオ版
田中 絹代



映画「悲しみよこんにちは」(1957)
フランソワーズ・サガン(1935-2004)が1954年、18歳で発表したデビュー作で、父親と聡明で魅力的な女性との再婚を、父の愛人と自分の恋人を使って妨害し、最後はその相手の女性を死に追いやってしまうという、何だか陰湿な話であるようにも思えますが、ドロドロした恋愛小説と言うより、しゃれた青春小説のように読めた印象があります。











「サガン―悲しみよこんにちは」(2008)





JR錦糸町駅前にある人形焼きの「山田家」の包装紙にある「本所七不思議」に材を得たとのことで、タイトル的には「七不思議」をそのままなぞっていて、物語自体は当然のことながら作者の創作ですが、「七不思議」のロマンを壊さないように仕上げているのが巧み。備忘録的に他の6篇の内容を記すと―。

「風の又三郎」1940年 日活 
最初、教師が詰襟っぽい洋服で出てきたので、時代設定を映画制作時の昭和15年に置き換えたのかと思いましたが、そうではなく原作通りでした(学校も藁ぶき屋根! 但し「分校」なのだが)。
賢治が教え子(沢里武治)に作曲を頼んだが成らなかったという「どっどどどどうど」の唄(ピアニスト・杉原泰蔵による作曲)が聴けます。三郎少年を演じた片山明彦は島耕二監督の実子、子供達のリーダーで学校で唯一の6年生の一郎を演じているのは大泉滉(1925‐1998)、そのほか、嘉助の姉(原作には出てこない)役で風見章子(1921‐)が出演しています。


