2006年9月 Archives

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伝わる時代の雰囲気、キャラクターやイカサマ対決の面白さ。

麻雀放浪記1.bmp 麻雀放浪記2.bmp 麻雀放浪記3.bmp 麻雀放浪記.bmp 麻雀放浪記.jpg 阿佐田哲也.jpg
 『麻雀放浪記』 (全4巻)/『麻雀放浪記』 角川文庫(全4巻) (表紙イラスト:黒鉄ヒロシ)/阿佐田哲也

麻雀放浪記  .jpg '69年に「週刊大衆」で連載が始まった阿佐田哲也(1929‐1989/享年60)のギャンブル小説ですが、「青春編」「風雲編」「激闘編」「番外編」と続き、彼の代表作となりました。この作品のヒットのお陰で、当時倒産の危機にあった双葉社は経営が持ち直して新社屋を建てたというから、昭和40年代って麻雀ブームだったんだなあと、改めて思いました。

 しかしこの小説で描かれているのは昭和40年代ではなく、終戦後まもなくの時代。上野のドヤ街をはじめ、その時代の情景やそこに生きた人々の息吹が、麻雀という勝負事を通して、圧倒的シズル感をもって伝わってきます。さすが、後に「色川武大」の本名で直木賞をとることだけはある筆力!

 ギャンブル小説なのでほとんど全編ヤクザな世界を描いたものなのですが、同時に、(明らかに阿佐田哲也がモデルであるところの)〈坊や哲〉の子どもから大人への成長物語にもなっていまダブル役満(小四喜・字一色).jpgす。坊や哲以外にも、ドサ健、上州虎、出目徳といった魅力的なキャラが多く登場し、随所で紹介されるイカサマ技も面白かったです。最初から、お互いにイカサマで最高の手で上がるこ32000 (○ 人和)IMG_3960.JPGとしか考えていない麻雀とか、自分の情婦から果ては自宅の権利書まで賭けて、何と死人が出ても続けている麻雀って、「ちょっとスゴ過ぎ」という感じでした(個人的には、麻雀ゲームで「ダブル役満」とか「人和」は上がった経験はあるが、この小説の登場人物が狙う最高の手「天和」で上がる確率は、まともにやった場合およそ33万分の1で、毎日半荘5回ずつ打ったとしても61年に一度しか和了できない計算になるそうだ。因みに天和は、役満の複合を認めるルールで親なら96000点、子なら64000点で、点数的にはダブル役満と同じ)。

麻雀.bmp麻雀放浪記2.jpg麻雀放浪記3.jpg イラストレーターの和田誠氏の監督により'84年に映画化されましたが、配役がまずまずハマっていて、白黒で撮影したのも成功していたと思います(和田誠氏の初監督作品とよく言われるが、和田氏は60年代に「殺人 MURDER!」('64年)という短篇アニメーション映画を自主制作・監督している)。
映画「麻雀放浪記」('84年/東映)(映画パンフ :和田誠

高品格.jpg 〈ドサ健〉の鹿賀丈史も悪くなかったのですが、〈出目徳〉の高品格が特に良かったです(麻雀をしていて九蓮宝燈を和了ったまま死んでしまうのはこの〈出目徳〉)。「大都会」などのドラマに刑事役で多く出演した俳優で、俳優になる前はプロボクサーを目指していたらしいですが、味のあるバイプレーヤーでした(1984年・第6回「ヨコハマ映画祭」作品賞受賞作)。

『麻雀放浪記』(1984)2.jpg『麻雀放浪記』(1984).jpg「麻雀放浪記」●制作年:1984年●製作:角川春樹事務所●監督:和田誠●脚本:和田誠/澤井信一郎●撮影:安藤庄平●原作:阿佐田哲也(色川武麻雀放浪記06.jpg大)●時間:109分●出演麻雀放浪記49.jpg:真田広之/鹿賀丈史/高品格/加藤健一/名古屋章/大竹しのぶ/加賀まりこ/内藤陳/天本英世/笹野高史/篠原勝之/城春樹/佐川二郎/村添豊徳/木村修/鹿内孝/山田光一/逗子とんぼ/宮城健太郎●劇場公開:1984/10●配給:東映(評価★★★★)

加賀まりこ(オックスクラブのママ・八代ゆき)/加藤健一(女衒の達)
麻雀放浪記 kaga.jpg麻雀放浪記 加藤.jpg麻雀放浪記1 青春篇.jpg
麻雀放浪記 1 青春篇 (1) (文春文庫)』['07年]

田中小実昌・色川武大(阿佐田哲也)・殿山泰司
田中小実昌 色川武大 殿山泰司 .jpg田中小実昌(1925-2000/74歳没)
色川武大(1929-1989.4.10/60歳没)
殿山泰司(1915-1989.4.30/73歳没)

【1979年文庫化[角川文庫(全4巻)]/2007年再文庫化[文春文庫(全4巻)]】

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面白く読めることは読めるが、"オヤジ泣かせ"のあざとさがミエミエではないかと...。
浅田次郎 『壬生義士伝 (上)』.bmp 壬生義士伝  2.jpg  壬生義士伝 上.jpg 壬生義士伝 下.jpg  壬生義士伝m2.jpg
壬生義士伝〈上〉〈下〉』(題字:榊莫山)/文春文庫(上・下) 2003年映画化(松竹/監督: 滝田洋二郎)

 2000(平成12)年度・第13回「柴田錬三郎賞」受賞作。

 貧しさゆえ盛岡の南部藩を脱藩し、壬生浪(みぶろ)と蔑称された新撰組隊士となった吉村貫一郎は、鳥羽伏見の戦に破れ、傷だらけのまま大坂・南部藩蔵屋敷にたどり着き、妻子のいる故郷盛岡への帰還を望むが、大坂屋敷の差配で貫一郎のかつての幼馴染である大野次郎右衛門は、彼に今すぐに腹を切るよう命じる―。

 明治維新からから半世紀を経た頃、記者らしき人物が貫一郎ゆかりの人たちを訪ねて回り、貫一郎をめぐる彼らの思い出話を聞き書きするという"取材記"スタイルをベースに、今まさに切腹に追い込まれた貫一郎の南部弁の独白が挿入されているという構成です。

 そうした回想スタイルが最初はまどろっこしいけれど、極度の倹約のため守銭奴と蔑まれた貫一郎が、実は"人斬り貫一"と怖れられる剣の使い手であったというこのギャップがアクセントになっており、新撰組の近藤、土方、沖田といった隊士たちの作者なりの描き方も興味深く、どんどんハマっていく感じでしょうか。中でも中盤の、新撰組随一の剣豪として知られた斎藤一の、自身と貫一郎をめぐる回想が、剣豪小説として面白く読めました(斎藤一による竜馬暗殺説にはビックリ)。

 しかし個人的に良かったのは中盤までで、なぜ旧友の大野が貫一郎に切腹を命じたのかという謎で一応は後半に引っぱっていくものの、その答えはまあ大方予想がつくものであり、また何よりも、貫一郎の南部弁の独白がベタで、これが"浅田調"なのだろうけれども、泣ける前に少し白けてしまいました。後に五稜郭に馳せ参じた貫一郎の息子の生き方も、果たしてこれが父の望むところだったか、疑問を抱いてしまいます。

 この小説は、普段は時代小説を読まない人にも多く読まれた一方で、時代小説ファンの間でも評価が高いようですが、"オヤジ泣かせ"のテクニックのあざとさがミエミエではないかと...。

 「もう一つの武士道」って言っても、結局はフツーの家族愛のことになってしまっているような気がしました(その"フツー"さが普遍性となって読者に受けるのかも)。

 史実では吉村貫一郎は鳥羽伏見の戦で行方不明になっていて、うまいところに虚構の糸口を見つけたなあという感じはしますが、子母澤寛の『新選組物語-新選組三部作』(「隊士絶命記」)を参照していることは本人も認めており、そうすると、この聞き書きの主の職業は新聞記者ということなのだろうか(子母澤寛は新聞記者として新選組ゆかりの人たちを取材してまわり、昭和3年に「新選組三部作」の第1部『新選組始末記』を書いている)。

 '03年に滝田洋二郎監督によって映画化されましたが(貫一郎役は中井貴一)、この監督、比較的原作に忠実に作るタイプなのか、主人公の語りが冗長になった感は否めませんでした。
 これは、原作を読んでクドイと思った自分の感性の問題で(中井貴一は日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞受賞)、映画化される前の'02年に、テレビ東京の「新春ワイド10時間ドラマ」として放映されているのですが(貫一郎役は渡辺謙)、こちらも概ね好評だったようです。好きな人は好きなのだろうし、正月なので腰を落ち着けて観るというのもあるんだろうなあ。

2003年映画化(松竹/監督: 滝田洋二郎)
壬生義士伝(DVD).jpg壬生義士伝m.jpg「壬生義士伝」●制作年:2003年●監督:滝田洋二郎●製作:松竹/テレビ東京/テレビ大阪/電通/衛星劇場●脚本:中島丈博●撮影:浜田毅●音楽:久石譲●時間:137分●出演:中井貴一/佐藤浩市/夏川結衣/中谷美紀/山田辰夫/三宅裕司/塩見三省/野村祐人/堺雅人/斎藤歩/比留間由哲/神田山陽/堀部圭亮/津田寛治/加瀬亮/木下ほうか/村田雄浩/伊藤淳史/藤間宇宙/大平奈津美●公開:2003/01●配給:東宝 (評価:★★☆)

 【2002年文庫化[文春文庫(上・下)]】

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遺棄され埋められた経験を持つ主人公。読後感は悪くないが、無難な起承転結に収まった?

土の中の子供.jpg  『土の中の子供』 (2005/07 新潮社)

 2005(平成17)年上半期・第133回「芥川賞」受賞作。

 幼い頃に養父母に虐待され、遺棄されて土に埋められた経験を持つ主人公の青年は、わざと暴走族に袋叩きになる状況に身を置いたり、執拗に高い所から落ちるイメージに固執し、それを実行しようとしたりする―。

 読み始めは『ハリガネムシ』や『蛇にピアス』を思い出し、「また"自虐"か」という感じも。芥川賞って何か選択式の「お題」でもあるのだろうか? まさか。

 ただ読み進むと、文章が特に修飾的なわけではないけれど、均質の緊張感が維持されていて、AC(アダルトチルドレン)を素材とした通俗的センセーショナリズムの作為は感じられず、著者が真摯に主人公の内面世界を描こうとしているのが感じられました("純文学"感、あります)。

 虐待を受けた子が大人になったときの心象風景や自らの存在の希薄感がどのようなものなのか、自分に本当のところはわかりませんが、一般に言う「高い所の恐怖」というのは、サルトル流に言えば、「高い所に上ると自ら飛び降りるのではないかという不安」であり、主人公の志向も、「落ちる」こと自体より、それを「確認する」ことに重きがあるような気がしました。
 ただし、ここまで心象を「言語化」しているということは、既に「対象化」しているということでもあり、リアルタイムな感じがあまりしないのです。

 偶然の出来事がその「確認」と「再生」の契機となりますが、精神分析でいう「対面法」によるトラウマの克服と同じサイコ・ダイナミックスに見えました。
 カウチ(長椅子)の上でのイメージ想起によってではなく、現実体験(もっと現実的には、これも小説家によるイメージなのですが)を通してそれが起きたというだけでは。
 結果、読後感は悪くないのですが、無難な、どこかで見たことあるような起承転結に収まった気もして、"芥川賞作品"としてどうなんだろうかとも。

 【2007年文庫化[新潮文庫]】

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別に「家族介護」の問題を社会提起しようとしたのではなく...。

介護入門.jpg 『介護入門』 (2004/08 文藝春秋)       モブ・ノリオ.jpg モブ・ノリオ氏

 2004(平成16)年度上期・第98回「文學界新人賞」、2004(平成16)年上半期・第131回「芥川賞」受賞作。

 「家族介護」の現場をリアルに描いていて、加えて主人公が元マリファナ中毒だったり、文体が"ラップ調"だったりする取り合わせでも話題になった作品ですが、読み始めてすぐに町田康の"パンク調"とか"ビート調"と言われる文体の小説を連想しました。
 著者が語っているのをどこかで読んだ記憶がありますが、影響を受けた作家に町田氏の名も挙げていて、バンド活動をしていた点でも通じるせいか、町田氏のことを「町田町蔵さん」と呼んでいました。

 この小説の主人公が世間に悪態をつきながらも、自身は経済力のある親にパラサイト的に保護されている点も、町田氏の芥川賞受賞作『きれぎれ』の主人公と似ている。
 別に「家族介護」の問題を社会に提起しようとしたのが狙いではなく、『きれぎれ』と同じく、閉塞状況の中で何とか自分自身を取り戻そうとしている1個の人間の思念を描いているのだと思いましたが、それとは別に、主人公の祖母に対する愛情みたいなものが逆説的にじわ〜と伝わってくるのが、この作品の妙でしょうか。

 確かにリズムをつけて読んだ方が読みやすい感じもしますが、非常に計算してと言うかむしろ苦心して文体を作っているぎこちなさも感じました。
 "ラップ調"と言っても必ずしも韻を踏んでいるわけではないので、 読んでいて単なる「棒読み」みたくなってしまう。"YO、朋輩(ニガー)"とか出てくるたびに、「そうそう、ラップ調だった、ラップ調」と我に返るのですが...。

 さほど長くない作品なのに途中で横滑りしていてような中だるみ感もありましたが、一定の力量とひたむきさのようなものが感じられ、この作品は自分の体験に近いところで書いているようですが、今後どういう方向にいくのかなあという点での関心は持てました。

 【2007年文庫化[文春文庫]】

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初めは「アンダルシアの犬」と同じ狙いかと...。後半がっかり。

金原 ひとみ 『蛇にピアス』1.JPG蛇にピアス.jpg 0映画「蛇にピアス」.jpg  アンダルシアの犬.jpg
蛇にピアス』['04年/集英社]映画「蛇にピアス」(2008)監督:蜷川幸雄アンダルシアの犬 [DVD]

 2003(平成15)年・第27回「すばる文学賞」、2003(平成15)年下半期・第130回「芥川賞」受賞作。

 主人公の19歳のルイは、刺青やピアス、更には少しずつ舌を裂いていくスプリットタンなどの身体改造に興味を示し、自分の舌にもピアスを入れる―。

 著者はお酒を飲みながらこの小説を書いたそうですが、それは、この小説の全編に漂う現実からの浮遊感みたいなものと関係しているでしょうか。ただし文章はうまいのではないかと思いました。かなり刺激的な場面を抑制の効いた、というか他人事のような冷静な筆致で綴ることで、逆に舌にピアスの穴を空ける痛みとかがよく伝わってきます。

 芥川賞の選考委員で最も強くこの作品を推したのは村上龍氏と宮本輝氏で、村上龍氏は「推そうと思い、反対意見が多くあるはずだと、良いところを箇条書きにして選考会に臨んだが、あっさりと受賞が決まってしまった」とのこと。宮本輝氏の推挙はやや意外に思えますが、「作品全体がある哀しみを抽象化している。そのような小説を書けるのは才能というしかない。私はそう思って(中略)受賞作に推した」とのことです。因みに、最も強く反発したのは石原慎太郎氏でした(「私には現代の若もののピアスや入れ墨といった肉体に付着する装飾への執着の意味合いが本質的に理解出来ない。選者の誰かは、肉体の毀損による家族への反逆などと説明していたが、私にはただ浅薄な表現衝動としか感じられない」と)。

Buñuel.jpgアンダルシアの犬s.jpg 読んでいて初めのうちは、目玉を剃刀で切るシーンで有名なルイス・ブニュエル監督の「アンダルシアの犬」('28年/仏)と同じ狙いかと思いました(選考委員の池澤夏樹氏も「なにしろ痛そうな話なので、ちょっとひるんだ」と言っている)。

The opening scene, just before Buñuel slits the woman's eye with a razor.

アンダルシアの犬(1928 仏).jpgアンダルシアの犬」 ['90年/大陸書房](絶版)

アンダルシアの犬4.jpg 「アンダルシアの犬」は、ルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリの共同脚本からなるシュールレアリズムの世界を端的に描いた実験映画ですが、女性が目を切られるシーンの他にも掌を蟻が食い破るシーンや子供が人間の手首を転がしているシーンなどショッキングな場面が続き(目を切るシーンはブニュエルの見た夢が、掌を食い破る蟻のシーンはダリの夢がもとになっているらしい)、ストーリーや表現自体に意味があるかと言えば、意味があるとも思えず(シュールレアリズムってそんなものかも)、むしろ、たかがスクリーンに映し出されているに過ぎないものに、人間の心理アンダルシアの犬3.jpgがどこまで感応するかを試しているような作品に思えました(イングマール・ベルイマン監督の「野いちご」('57年)で主人公の老教授が見る悪夢のシーンにこの映画の影響が見られる)。因みに目玉が切られ水晶体が流れ出すシーンは、、死んだ牛の目玉を使ったとのこと。これが女性のシーンと繋がって観る者を驚かせるというのは、まさにモンタージュ技法の典型効果と言えます。

 『蛇にピアス』の場合、映像ではなく活字でどこまで感覚を伝えることが可能かという実験のようにも思えたのですが、勝手な解釈ながらも仮にそうであるとするならば、この作品は途中までは成功しているのではないかと思いました。

 ただ、「アンダルシアの犬」が、モンタージュなどの技法により最後まで実験的姿勢を保持しているのに対し、この小説は、後半は何だかショボくれた恋愛ドラマみたいになってしまい(選考委員の山田詠美氏も「ラストが甘いようにも思う」と言っている)、少しがっかりしました(後半はお酒を飲まずシラフで書いた?)。作者は以前、父親に「もっと恥ずかしいものを書け」と言われたそうですが(これってある種の英才教育なのか)、父親に言われている間はこのあたりが限界ではないかと思います。

アンダルシアの犬ges.jpg「アンダルシアの犬」●原題:UN CHIEN ANDALOU●制作年:1928年●制作国:フランス●監督・製作:ルイス・ブニュエル●脚本:ルイス・ブニュエル/サルバドール・ダリ●時間:17分●出演:ピエール・バチェフ/シモーヌ・マルイヌ/ルイス・ブニュエル/サルバドール・ダリ●公開(パリ):1929/06●最初に観た場所:アートビレッジ新宿 (79-03-02)●2回目:カトル・ド・シネマ上映会 (81-05-23)●3回目:カトル・ド・シネマ上映会 (81-09-05) (評価:★★★?)●併映:(1回目)「詩人の血」(ジャン・コクトー)/「忘れられた人々」(ルイス・ブニュエル)/(2回目):「去年マリエンバートで」(アラン・ㇾネ)/(3回目):「ワン・プラス・ワン」(ジャン=リュック・ゴダール)

2008年映画化「蛇にピアス」
蛇にピアス  吉高由里子V.jpg監督:蜷川幸雄
原作:金原ひとみ
脚本:宮脇卓也 蜷川幸雄
音楽:茂野雅道
出演:吉高由里子/高良健吾/ ARATA(井浦新) /あびる優
あらすじ:
蛇にピアス  吉高由里子/高良健吾.jpg 生きている実感もなく、あてもなく渋谷をふらつく19歳のルイ。ある日の訪れたクラブで赤毛のモヒカン、眉と唇にピアス、背中に龍の刺青、蛇のようなスプリット・タンを持つ「アマ」と出会い人生が一変する。アマの刺青とスプリット・タンに興味を持ったルイは、シバと呼ばれる男が施術を行なっている怪しげな店を訪ね、舌にピアスを開けた。その時感じた痛み、ピアスを拡張していく過程に恍惚を感じるルイは次第に人体改造へとのめり込んでいくことになる。「女の方が痛みに強い」「粘膜に穴を開けると失神する奴がいる」という店長のシバも全身に刺青、顔中にピアスという特異な風貌の彫り師で、自らを他人が苦しむ顔に興奮するサディストだと語った。舌にピアスを開けて数日後、ルイとルイの友人は夜道で暴力団風の男に絡まれる。それに激昂したアマは相手の男に激しく暴力を振るい、男から二本の歯を奪い取って「愛の証」だと言ってルイに手渡す。アマやシバと出会う中でルイは自身にも刺青を刻みたいという思いが強くなり、シバに依頼して背中一面に龍と麒麟の絡み合うデザインの刺青を彫ることを決めた。画竜点睛の諺に従って、「キリンと龍が飛んでいかないように」という願いを込め、ルイはシバに二匹の瞳を入れないでおいて欲しいと頼む。刺青の代償としてシバはルイに体を求め、二人は刺青を入れていくたびに体を重ねるようになる―。

 【2006年文庫化[集英社文庫]】

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女子高生のオタク少年への関心と攻撃性。作品としては纏まっているのでは。

蹴りたい背中.jpg蹴りたい背中2.jpg    蹴りたい背中 文庫.jpg
蹴りたい背中』 (2003/08 河出書房新社)蹴りたい背中 (河出文庫)』['07年]

 2003(平成15)年下半期・第130回「芥川賞」受賞作。

 クラス仲間のグループになんとなく溶け込めない高校1年生の〈ハツ〉は、同じくクラスの"余り者"である〈にな川〉に関心を持つが、彼はファッション雑誌モデル〈オリチャン〉のオタク的なファンだった―。

 執筆時19歳の著者が高校1年生の主人公を一人称で描いていて、その中に中学時代の出来事の話なども出てきて、その"適度な時間間隔"のせいか違和感なく読め、文章はウマいともヘタとも言えないような文章ですが、作品としては纏まっているのでないかと思いました(ただし、ストーリー的な期待しすぎた読者は肩透かしを食った気分になるかも知れませんが)。

 いろいろな読み方はあるでしょうが、〈ハツ〉が〈にな川〉に関心を持った理由は、自分と同じ"余り者"的存在であるということが1つあるでしょう。
 そうした〈にな川〉に対して、その背中を蹴りたいという攻撃性に駆られるというのも、何となくわかるような気がしました。
 〈にな川〉が特段に異常なオタクではなく、どこにでもいそうな現代の若者であり、読み進むにつれて、大人びた面もそれなりに見せてくる―、そのことに対して主人公が、またさらに蹴りたいという攻撃性に駆られているように思えました。

 主人公のその時々の意識を主としたやや軽めの心理描写で、さらに背景としての女子高校生の日常やその中にある仲間意識、連帯感,のようなもの、あるいはそれらと一定の距離を置こうとする主人公の気持ちなどをさらっと描いていて、その辺りで関心を持つ人、懐かしさのようなものを覚える人もいれば、希薄感のようなものを感じる人、ついていけないと思う人もいるのかも。

 【2007年文庫化[河出文庫]】

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フツーの人にとっても堕ちていくのは難しいことではないと思った。

ハリガネムシ.jpg  『ハリガネムシ』 ['03年]  ハリガネムシ2.jpg 『ハリガネムシ (文春文庫)』 ['06年]

 2003(平成15)年上半期・第129回「芥川賞」受賞作。

 平凡な中流階級出身の主人公は、新任教師として赴任した高校で不良少女などに手を焼きながらも単調な生活を送っていたが、ある日ソープランドでサチコという暴力と貧困の中で暮らし堕落しきったような女性と出会ったことから、生活が急に堕落の道へ転がり出す―。

 この小説に描かれている暴力シーン自体は、さほど刺激はありませんでした。
 芥川賞選考委員の村上龍氏は、「まるでスラップスティックムービーを見ているようで、切実さがなかった。ソープ嬢の手首の傷を主人公が縫うシーンがあるが、痛みが伝わってこなかった」と評しています。
 しかし、一般にはそうした暴力シーンやちょっと気色悪い場面が話題になり、読者の嫌悪の分かれ目にもなっているきらいはありました。

 ただ、主人公にちらちらと表れる反社会的な意識や猥雑な心理などを丁寧に描いていると思いました。
 フツーの人の誰にでもこうした心のゆらぎはあるのでは。
 
 彼が一定の冷静さと思考力を持ちながら、こうした心のゆらぎを増幅させ、自らの欲求に無抵抗になり、結果として社会的立場をどんどん失っていく過程には何か被虐的な嗜好を思わせるものがあり、そちらの方がむしろ人間の心の闇を照射していると感じました。

 トータルの人格として意志的に堕落への道を選択しているのではなく、小市民的臆病さを持ちながら、堕落を絵に描いたような女性に引きずられるように堕ちていくため、気づいてみたらソートーなどん底状況になっているという...。
 
 村上氏と同じく芥川賞選考委員である山田詠美氏は、この作品を読んで、「ぐれるって難しいよね」と頷いてしまったとのことですが、個人的には逆の感想を抱きました。
 人はこの主人公を"異常者"とか"妖怪"とか呼ぶかもしれませんが、彼にとって堕ちていくことはそれほど難しいことではなく、それは彼に限ったことではないのだろうと...。

 【2006年文庫化[文春文庫]】

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30代女性と60代男性の恋愛? リアリティはあったように思うが、何を書きたかったのか?

しょっぱいドライブ.jpg『しょっぱいドライブ』 .JPGしょっぱいドライブ 文庫.jpg      単行本しょっぱいドライブ.jpg
しょっぱいドライブ (文春文庫 (た58-2))』〔'06年〕 『しょっぱいドライブ』〔'03年〕

 2002(平成14)年下半期・第128回「芥川賞」受賞作。

 港町に暮らす34歳の独身女性「わたし」が、既婚60代男性の「九十九さん」とデートして同棲に至るまでの話に、「わたし」が以前に30歳にして初めて付き合った男性である小劇団を主宰する「遊さん」の話が挿入されています。

  "へなちょこ"の痩せ老人「九十九さん」を筆頭に登場人物が地味で、なりゆきに任せているような生き方にもメリハリが無く、物語としても、クライマックスが意図的に回避されているかのようにだらだらと流れていく感じがしました。

 村上龍に「私の元気を奪った」と評されたのも無理からぬところかと思いましたが、普通は小説の主人公などになり得ないような人たちを描いて、叙述を簡素化した性描写や男女の会話などにはかえってリアリティがあったように思えます(それなりに筆力はあるということか)。

 30代女性と60代男性の恋愛?ということで、川上弘美の『センセイの鞄』('01年/平凡社)の裏バージョンみたいですが、この小説の主人公の方が覚めている感じ。
 個人的には、冒頭のわたしと九十九さんの海辺のデート(ドライブ)から、ずっと昔の芥川賞作品『三匹の蟹』(大庭みな子)などを連想しました(舞台となった土地も状況設定も全然異なるが)。
 
 でも、『センセイの鞄』ほどの「癒し感」も『三匹の蟹』ほどの「閉塞感」も、この小説は無いのではないだろうか。
 「しょっぱい」と言うより「しょぼい」感じがしないでもない...。作品自体が。

 何を書きたかったのかよくわからないまま、 九十九さんの「幻想」とわたしの「打算」のギャップだけが結構心に引っ掛かる...。
 登場人物に対する作者の悪意のようなものさえ感じられその中に「わたし」も含まれている、しいて言えばそれが「しょっぱい」感じかなあ。

 【2006年文庫化[文春文庫]】

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相手に立ち入り過ぎない"やさしさ"? "何も起こらない小説"なりの物足りない読後感。

パーク・ライフ.jpg  『パーク・ライフ (文春文庫)』  〔'04年〕
日比谷公園.bmp
 2002(平成14)年上半期・第127回「芥川賞」受賞作。

 主人公の「ぼく」は日比谷線の中で、間違って話しかけた見知らぬ女性と知り合うが、2人が会うのは平日に共に立ち寄ることが多い日比谷公園においてだった。「ぼく」とその名も知らない年上の女性は、特別に親密になることも遠ざかることもなく、言葉のみを交わす―。

 TVドラマの恋愛の始まりみたいなシチュエーションですが、結局、出来事らしい出来事は起きず、これって所謂"何も起こらない小説"ってやつかなと。

 文章に飾り気が無く、淡々と日常ふと見たり感じたり、思ったり考えたりしたことを描写していて、人間って生きている時間の大部分はこうして流れていくのかなというようなリアリティがあります。
 ただし「ぼく」と女性の会話は(村上春樹の初期作品っぽい感じ)、そこだけ少し世離れした感じを受けました。

 相手に対してこうした一定の距離を置く関係性というのは、他者に立ち入り過ぎないことが"やさしさ"であるみたいなものが横溢する時代のムードを反映しているのかもしれないとも思い、そうした人間の微妙な面白さを描こうとしているのかもしれませんが、小説というよりエッセイを読んでいるようでした。(★★★)

 表題作に比べると、同録の「flowers」の方がより小説的で、かなり変わった人物、つまり今度は、人と距離を保つタイプの逆で、人との距離感がよく分からないような人物が登場し、事件もいろいろ起きる分面白いけれども、これだと事件が起きた上でそこそこに面白いのであって、まあフツーの小説という感じ。(★★★)

 一方の"何も起こらない"小説である表題作に、三浦哲郎の評したような「隅々にまで小説のうまみが詰まっている」という印象は、残念ながら持てませんでした。

 【2004年文庫化[文春文庫]】

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「●「芥川賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「文學界新人賞」受賞作」の インデックッスへ(「サイドカーに犬」)

表題作よりは、併録の「サイドカーに犬」の方が若干好みだが...。

猛スピードで母は 単行本.jpg 猛スピードで母は.jpg  サイドカーに犬.jpg サイドカーに犬  文學界.jpg
猛スピードで母は』〔'02年〕『猛スピードで母は (文春文庫)』〔'05年〕 「サイドカーに犬 [DVD]竹内結子

 2001(平成13)年下半期・第126回「芥川賞」受賞作。併録の「サイドカーに犬」は、2001(平成13)年度上期・第92回「文學界新人賞」受賞作。

 表題作「猛スピードで母は」は、北海道M市に暮らす母子家庭の話で、母親は結婚に失敗して地元に戻り、市の貸与金の返済督促の仕事をしていますが、過去に恋人のような男は何人かいたものの再婚には至っていない、そうした母親を小学校高学年の息子の目線で、息子自身の学校生活のことなども交えながら淡々と描いています。

 母親の粗野な口ぶりや態度と、息子の醒めた感情を通して、逆に両者の家族的"絆"のようなものが感じられ、センチメンタルと言うか時にパセティックだけど、子どもの内面的成長と平衡を保っているため暗くならないでいる。(★★★☆)
 芥川賞の選評で、村上龍が「家族の求心力が失われている時代に、勇気を与えてくれる重要な作品」(褒め過ぎ?,)としたのに対し、石原慎太郎は「文学の魅力の絶対条件としてのカタルシスがいっこうにありはしない」(身も蓋も無い?)と否定的でした。

 併録の「サイドカーに犬」は、それまでコラム活動などもしていた著者の文壇デビュー作(文學界新人賞・芥川賞候補作)で、父親の無節操のため母親が家出し、代わりに、残された小学4年の姉とその弟のもとに父の愛人がやって来た際の話を、大人になった姉の振り返り視点から描いていますが、飾り気のない文章で、その分描かれる状況にどんどん吸い込まれるように読めました。(★★★★)

 「猛スピードで...」が母親の逞しさを描いているとすれば、「サイドカー...」は、愛人も母親も併せた女性の強さのようなものが感じられ、小説の終わり方もより締まっている感じがしました(これをカタルシスと言って良いのかどうか、わかりませんが)。

サイドカーに犬 2.jpgサイドカーに犬 1シーン.jpg 表題作よりは「サイドカーに犬」の方が若干好みですが(と思ったら、表題作ではなく「サイドカーに犬」の方が2007年に根岸吉太郎監督、竹内結子・ミムラ主演で映画化された)、両方の作品とも力量を感じる一方で(特に、「サイドカー...」の女性目線へのなり切りぶりは秀逸)、芥川賞とは少し合わないような気もしました。

 【2005年文庫化[文春文庫]】

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野坂昭如ばりの文体と諧謔ぶり? 読んで何が残るか? 何れも今ひとつ。

きれぎれ.gifきれぎれ』 ['00年] きれぎれ.jpg  『きれぎれ』 文春文庫  町田康.png  町田 康 氏

 2000(平成12)年上半期・第123回「芥川賞」受賞作。

 さっぱり仕事をしない万年金欠男の日常を描いています。
 肉親や名ばかりの友人に金策に回らざるを得ない屈折した心理、元ランパブ嬢の妻への屈折した愛情などが、現実と妄想の中で展開していく―。

 芥川賞の選考では、宮本輝が猛反対し、石原慎太郎が強く推したようですが、わかる気がします。
 文体がユニークなことで「ビート派」とか言われる作家ですが、「きれぎれ」について言えば、かなり「メロディ」も重視し、計算して書いたように見えます。
 しかし文体も諧謔ぶりも、例えば、野坂昭如ばりとでも言うか、ただし、野坂昭如の初期作品などの強烈さには及ばないという気がします。

 日常生活における人間心理の闇の部分、常識化されていない部分を描くのが文学の役割の一つであるという「定式」があるのか、芥川賞受賞作にはいろいろな意味で極端な人物が登場したりしていて、その受け入れやすさで好きな人嫌いな人に分かれがちです(自分自身も、多分に登場人物の好き嫌いで作品を見ている部分はあります)。

 その点「きれぎれ」の主人公は、バブル崩壊後の世相を反映したキャラクターに思え、「勝ち組・負け組」で言えば「負け組」とわかりやすい方だと思います。
 攻撃的であるが屈折していて、そのくせ青空のように突き抜けたところがあるため、作品としては読み手に適度に受け入れられやすいのではないでしょうか。
 ただ読んで何が残るかというと、この作品については個人的には今ひとつでした。

 作者自身はパンクロックを「あらゆる現実を否認しながらその果てに現れる虚無と戯れるがごとき音楽」(『群像』'01年5月号「人生の野坂昭如」)と定義していて、この小説もむしろ「音楽」や「詩」に近いのかも―と思ったりもしました。
 
 【2004年文庫化[文春文庫]】

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文学より家族心理学に話題を提供しそうな作品だと思った。

柳 美里 『家族シネマ』.jpg 家族シネマ.jpg 柳 美里  『家族シネマ』.jpg 家族シネマ movie.jpg 「家族シネマ」2.jpg
家族シネマ』['97年]『家族シネマ (講談社文庫)』['99年]「家族シネマ [DVD]

 1996(平成8)年下半期・第116回「芥川賞」受賞作。

 両親の離婚でバラバラになった家族の再会を、"映画に撮る"という話―。"家族"を単に戯画化して描いているだけならばまた違った印象を持てたような気がしますが、その中に醒めた主人公が居ることで、"家族"の愚劣さみたいなものがどっと前面に出た感じでした。その主人公にしても、新しい関係性を求めてか、老芸術家と付き合うのですが、その内容も含め全体にかなり自虐的な匂いがします。結末で作者は逆説的に"家族"を肯定しているのかとも思いましたが、自分にはよく伝わってきませんでした。この辺りは好みの問題もあると思います。

 "映画に撮る"という設定は、今村昌平監督の「人間蒸発」などを想起させ、新鮮味はありませんでした。「書くしかなかった私」みたいな捉えられ方をされるのが作者にとっていいのかどうか分かりませんが、文学としてよりも、作者も含めたケーススタディとして家族心理学とかに話題を提供しそうな作品という印象。

文学の徴候.jpg 精神科臨床医の斎藤環氏は『文学の徴候』('04年/文藝春秋)の中で、デビュー作『石に泳ぐ魚』('94年発表)以降、「柳のほとんどの小説は、常に私小説として読まれるほかはなくなってしまった」ようであり、その後も「自らの生の物語化」を押し進めている傾向にあるとし、そこに境界例(境界性人格障害)の「病因論的ドライブ」がかかっていると見ています。今どき「病跡学」でもなないでしょうけれど(「病跡学」って昔は結構流行ったのではないか)、この作家については斎藤氏の指摘があてはまるような気もします。
斎藤 環 『文学の徴候』 〔'04年/文藝春秋〕

家族シネマ  .jpg ちなみにこの作品は韓国で映画化されていて、DVDでも見ることができ、監督は韓国の朴哲洙 (パク・チョルス)、出演は、梁石日(ヤン・ソルギ、映画「月はどっちに出ている」('93年)、「血と骨」('04年)の原作者)、伊佐山ひろ子、柳美里の妹の柳愛里(ユウ・エリ)などです。

 柳愛里は、"AV女優をしている(主人公の)妹"の役ではなく、姉の"主人公"の役で出ていますが、この映画での彼女の演技はぱっとしないように思いました(他作品で見た彼女の演技は悪くなかったが...)。映画そのものがぱっとしないのかもしれませんが、通しできちんと観ていないので評価は保留します。

映画「家族シネマ」 (1998年/韓国)
「家族シネマ」dvd.jpg

【1999年文庫化[講談社文庫]】 

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漱石の『夢十夜』に通じる雰囲気。深読みするよりは、表現のオリジナリティを買うべきか。

蛇を踏む.jpg 『蛇を踏む』 (1996/08 文芸春秋)  蛇を踏む 文庫.jpg 『蛇を踏む (文春文庫)』 ['99年]

 1996(平成8)年上半期・第115回「芥川賞」受賞作。

 教師を辞め、今は数珠屋に勤めるヒワ子は、ある日、藪の中で蛇を踏む。 
 「踏まれたので仕方ありません」と、人間の形になった蛇は、その日から部屋に住み着き、「ヒワ子ちゃんのお母さんよ」と言って毎日食事の用意をして待っている―。 

 芥川賞の選考では、宮本輝と石原慎太郎が反対したそうですが(この2人は、いつもは意見が割れることの方が多い)、宮本輝の「しょせん寓話に過ぎない」、石原慎太郎の「蛇がいったい何のメタファなのかさっぱりわからない」という批判は、ともにわかる気がします。

 第一義的には「蛇」は子を手放したくない母親であり、「蛇の世界はいいわよ」と言われて何となく自分からも親離れできない成人した子を描いているのだと思いました。
 その描き方がファンタジックで、同じく文学でメタファを駆使する村上春樹などと違って、サイエンス・ファンタジーっぽい感じがこの頃からあります。今あちらの世界にワープしました...といちいち説明しているような。

 では「蛇の世界」とは何なのか。やはり石原慎太郎氏が言うように「さっぱりわからない」のです(初めからソンナモノハナイということか)。
 
 「蛇」の幻想は、太宰治の『斜陽』などの有名文学作品にも登場しますが、ムード的には、この作品は夏目漱石の『夢十夜』に通じるものがあると思いました。
 「でも、死ぬんですもの、仕方がないわ」(「夢十夜」)の不条理性やトーン(文調)は、「踏まれたので仕方ありません」とほぼ同じような印象を受けますが、作者なりに自分のものにしているという感じはあります。    
  
 芥川賞受賞作家の中で、受賞後も継続的に一定の読者層を掴んでいる"実力派"だと思いますが、この作品に関して言えば、訴求力はあまり感じられず、表現のオリジナリティの方を買うべきだったのかなと思いました。

 【1999年文庫化[文春文庫]】

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ホステスたちと南の島へ厄払いに。楽天的なパワーを感じる"亜熱帯"小説。

豚の報い.jpg 『豚の報い』 (1996/02 文芸春秋)  豚の報い movie.jpg 1999年映画化 (監督:崔洋一)

 1995(平成7)年下半期・第114回「芥川賞」受賞作。

 大学生の正吉(しょうきち)は、沖縄・浦添のスナックのホステスたち3人と、生まれ故郷の真謝島にウガン(御願=祈祷)にいくことになる。
 それは、ある日スナックに闖入した豚のためにホステスの1人が失神してしまい、マブイ(魂)を落としたために、ユタ(霊能者)のことに詳しい正吉を伴って、島のウタキ(御獄=霊場)でその厄払いをしようというものだ。
 他の女たちもそれぞれに過去の問題を抱えて、まとめて皆で厄落としをしようというのだ。
 しかし、正吉にとってそれは、12年前に漁で亡くなり、島の風習で風葬された父の骨を拾いにいく旅でもあった―。

 ホステスたちがケバケバしくかつ騒々しく、そのうえ負っているものが重くて、読み始めはちょっと引いてしまいます。
 しかも、現地で豚の内臓料理を食べて全員下痢状態になってしまう―猥雑さに、さらに汚辱がプラスされる。
 でも逆に、このあたりから女たちの弱さや強さが見えてきて、みんな一生懸命生きているのだという健気さのようなものを感じるようになってきました。
 
 一方、正吉は父の遺骨と対面し、12年間海を見てきた骨を見て、父は神になったと感じ、ここを御獄(霊場)にしようとする―。その心理、なんとなく感覚的にわかりました。
 ホステスらに、行こうとしている霊場が父の遺骨の場所であることをつい正直に話してしまうが、彼女らもそれでいいという...。みんないい人たちなのだなあ。 
 ラストのユーモラスな掛け合いは、お祓いがうまくいくことを予感させます。

 著者のこの作品に限って言えば、沖縄文学というより、楽天的なパワーを感じる"亜熱帯"小説という印象を受けました。
 崔洋一監督・脚本、小澤征悦主演で映画化もされていますが、ビデオ化された後DVD化された途端に廃盤になったのは、評判の方が今一つだったためか?

 【1999年文庫化[文春文庫]】

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その後10年間隔で繰り返される日経新聞連載の"脱力"小説。
化身 上.jpg 化身 下.jpg    
化身〈上・下〉 (集英社文庫)』〔'89年〕 東陽一監督「化身」(1986)藤竜也/黒木瞳/阿木曜子
単行本(上・下)
化身 (上・下).jpg 妻と別れ独り身である中年の文芸評論家・秋葉は、銀座のクラブに勤める若いホステス・霧子を知ってから、次第に彼女を自分の好みの女に変身させることに夢中になっていく―。

 一種のピグマリオン小説で、田舎臭さが消えすっかり女に磨きがかかった霧子は、キャリア意識にも目覚め、当然の帰結として秋葉のもとを去っていくのですが、その結末に至るまでが、主人公の前の愛人・史子という女性をキーパーソンとして噛ませてミステリ調にしているものの、結構だらだらしていて、著者の初期作品のような緊張感が感じられませんでした。

 東京在住の主人公は、京都の大学の講師もしていて、月に何度か霧子を伴って京都に行ったり、仕舞いには文化評論の取材にかこつけて 彼女とヨーロッパを旅行する―。しゃれた宿に泊まって旨いもの食って...、合間に主人公の専門分野である世阿弥の話やフランス文学の講釈が入って、この"小洒落た"雰囲気は、中年男性向けハーレクインロマンスなのだろうか。霧子が鯖の味噌煮が好きだからと言って、それを銀座や赤坂で食べるということになると、「通」を気取っているようにしか思えない、と突っ込みを入れるとキリがなくなります。

0映画「化身」.jpg東陽一監督、藤竜也、黒木瞳主演「化身」ド.jpg 「やさしいにっぽん人」('71年)、「サード」('78年)の東陽一監督、「愛のコリーダ」('76年)の藤竜也、宝塚を退団した黒木瞳主演で「化身」('86年/東映)として映画化されています。テレビで観たため印象が薄く、昼メロが映画になったようなイメージしかないのですが、黒木瞳(「黒木瞳」という芸名は同郷の五木寛之が命名した)は宝塚退団後の最初の映画出演で、この主演デビュー作で同年の日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しています。映画評論家の水野晴郎氏(1931-2008/76歳没)が「熟年、実年、男なら誰しもどこかで心にふれる映画。東陽一監督、風俗描写をひと波こえて、これは男心を語ったいい映画です。東映の女優裸シリーズの中ではいちばんいい出来」などと評し、興行的にも当初の予想を上回る大ヒット作となったようですが、個人的には原作がイマイチに思えるので...(黒木瞳はともかく、どうして阿木燿子までベッドシーンを演じなければならなのか)。

 原作小説は'85年に日本経済新聞に連載されたもので、'95年連載の『失楽園』、'05年連載の『愛の流刑地』に先行するパターンです(ちょうど10年間隔)。そして、『失楽園』も森田芳光監、役所広司、黒木瞳(11年を経て再登場)主演で映画化されています('97年/東映)。(『愛の流刑地』も、鶴橋康夫監督、豊川悦司、寺島しのぶ主演で映画化された('07年/東宝)。)

 日経の朝刊の最終面に「愛ルケ」(と略すらしい)が掲載されているのを見て、毎朝いつも軽い脱力感を覚えていた自分としては、読者の年齢層は同じでも、20年の歳月の間に読者そのものは入れ替わっているはずなのに何れもベストセラーになっていることを思うと、こうした小説に惹かれる男性の精神構造というのはあまり変わっていないのだなあという気がしました。

「化身」●制作年:1986年●監督:東陽一●●脚本:那須真知子●撮影:川上皓市●音楽:加古隆(主題歌:髙橋真梨子「黄昏人」)●原作:渡辺淳一●時間:105分●出演:藤竜也/黒木瞳/梅宮辰夫/淡島千景/三田佳子/阿木燿子/青田浩子/永井秀和/加茂さくら/小倉一郎●公開:1986/10●配給:東映(評価:★★)

 【1989年文庫化[集英社文庫(上・下)]/1996年再文庫化[講談社文庫(上・下)]/1996年単行本[角川書店]/2009年再文庫化[集英社文庫(上・下)]】

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生と芸術、生と性の一体化した姿を鮮烈に描いた作品。

冬の花火 (1975年).jpg冬の花火.jpg
 冬の花火2.jpg  冬の花火2.jpg
冬の花火 (集英社文庫)』『冬の花火』文春文庫

冬の花火 (角川文庫)
冬の花火 (1975年)
冬の花火 (1975年) - obi.jpg 渡辺淳一と言えば最近は男女の性愛を描いた作品が目立ちますが、医師の目から見た人間の生死を描いた作品群があるほかに、日本で最初の新劇女優・松井須磨子をモデルとした長編『女優』('83年/集英社)などの伝記小説もあります。

中城ふみ子.jpg この作品も伝記小説の系譜で、「乳房喪失」の女性歌人で知られ、31歳で夭逝した中城ふみ子(1923-1954)をモデルにしたものです。

 乳がんに冒されながらも病床で、自らの命を削るかのように次々と、当時としてはセンセーショナルな愛の歌を詠んで世間に発表し続ける主人公...というと、何か悲劇的な話かとも思われますが、様々な男性遍歴を経てきたこの女主人公が、入院後も歌人や病院の医師を愛人とし、病室に連れ込んで交情する様はいささか呆れるほどで、それを描く作家の筆致は、最近の官能小説に通じるものもあります。しかし主人公の生き方は凄絶なものには違いなく、生と芸術、生と性の一体化した姿を鮮烈に描いた小説とも言えます。

 中条ふみ子が入院し亡くなったのは渡辺淳一氏の将来の職場となる札幌医大病院であり、当時渡辺氏は医学生でしたが、彼女が入院していた時にその病室を見たことはあるそうです。また、小説にも登場する彼女の恩師であり敬慕の対象であった歌人は中井英夫です(日本3大推理小説の1つ『虚無への供物』の作者としても知られている)。

 渡辺淳一は、初期作品で芥川賞候補になりながら最終的には直木賞をとりますが、初期作品で直木賞候補になりながら最終的には芥川賞をとった作家に松本清張がいます。松本清張の初期作品にも、「菊枕」('53年発表)という女流俳人の杉田久女をモデルにしたものがあったのを思い出しました。

 【1979年文庫化[角川文庫]/1983年再文庫化[集英社文庫]/1993年再文庫化[文春文庫]】

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医師という立場から人間の生と死を見つめた珠玉の名篇集。芥川賞候補作と直木賞候補作を収める。

死化粧.jpg死化粧』角川文庫['71年]死化粧 光と影.jpg死化粧 光と影』渡辺淳一全集 第1巻(角川書店)

渡辺 淳一 『死化粧』文春文庫.jpg角川文庫渡辺 淳一 『死化粧』.jpg 渡辺淳一の初期短編4篇を収めたもので、いずれも主人公は医師ですが、今でこそ"不倫小説の大御所"のように見られているこの作家が、医師という立場から人間の肉体や死を冷静に見ながらも、それだけでは割り切れない精神の問題を真摯に描くところからスタートした作家であることがわかります。

死化粧 (文春文庫)』['86年]/『死化粧 (角川文庫)』['18年]

 「死化粧」は、医師の母親の病気と死、それを巡る親戚たちなどを描いた作品で、「新潮新人賞」の前身である「同人雑誌賞」(1966年・第12回)を受賞しています(選考委員は伊藤整、井伏鱒二、大岡昇平、尾崎一雄、永井龍男、中山義秀、三島由紀夫、安岡章太郎)。主人公の医師が、絶望的な病状を呈す母親の、すでに除去不能となった脳腫瘍に思わずメスを入れようとする場面が印象的で、フォルマリン漬けの母親の脳を見ながら母を想う場面もこの作家ならではのものでした(芥川賞選考委員だった川端康成は、「刺戟の強い作品であった」「脳の手術など詳細に書き過ぎ」と評している)。

 「訪れ」では、末期ガンの小学校長が主人公に告知を迫る場面や、自らの死を悟った後の絶望がリアルに描かれていました。「死化粧」に比べると読者寄りで書いている感じもしますが、直木賞の選考で、源氏鶏太、海音寺潮五郎、水上勉といった選考委員らが、「直木賞より芥川賞向きではないか」と評しています。

 「ダブル・ハート」は、作者が作家を志す転機になったと言われる札幌医科大で行われた日本初の心臓移植手術に材を得たものですが、ドナーの配偶者の屈折した心理に焦点を当てている点では"小説的"ながらも、一方で医局の体質的問題などを浮き彫りにしていて、氏が自分の勤務している大学病院で行われた心臓移植手術に、当初から懐疑的であったことを窺わせます。

 「霙」は重症身障児病院に勤務する医師と看護婦や障害児の親を巡る話ですが、親にとって、また社会にとって重症身障児とはどういう存在なのかを、小説という手法で鋭く問題提起しているように思えました。

 「死化粧」が芥川賞候補作、「霙」「訪れ」が直木賞候補作と何れも珠玉の名篇ですが、個人的にはやはり、この頃の渡辺作品は芥川賞っぽい感じがします。結局、作者は、後に発表した「光と影」で直木賞を受賞し、芥川賞ではなく直木賞作家となり、更に直木賞選考委員となります(第91回(昭和59年/1984年上半期)から選考委員に。最終的には、第149回(平成25年/2013年上半期)まで通算30年・60回にわたり委員を務めた)。

 【1971年文庫化[角川文庫]/1986年再文庫化[文春文庫]/1996年単行本改編〔角川書店(『死化粧・光と影』)〕/2018年再文庫化[角川文庫]】

「●よ 吉行 淳之介」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●よ 米澤 穂信」【2352】 米澤 穂信 『満願

本人なら自著にこんな大仰なタイトルはつけない(つけたのは宮城さん)。

失敗を恐れないのが若さの特権である.gif宮城まり子/吉行淳之介.jpg  吉行淳之介文学館 .jpg
吉行淳之介/宮城まり子 吉行淳之介文学館(宮城まり子が運営するねむの木学園の傍にある)
失敗を恐れないのが若さの特権である―愛・結婚・人生 言葉の花束』(2000/03 海竜社)

「暗室」のなかで.jpg淳之介さんのこと.jpg淳之介の背中.jpg 吉行淳之介が没したのが'94年。まず愛人だったという大塚英子氏が『「暗室」のなかで』('95年)を、続いて同居人(パートナー?)だった宮城まり子氏が『淳之介さんのこと』('01年)、を、さらに本妻・吉行文枝氏が『淳之介の背中』('04年)を発表し、没後も賑やかです。

大塚英子『「暗室」のなかで―吉行淳之介と私が隠れた深い穴 (河出文庫)』 ['97年]/宮城まり子『淳之介さんのこと (文春文庫)』/吉行文枝『淳之介の背中

 本書は吉行淳之介のエッセイなどから愛・結婚・人生についての言葉を選んだ詞華集で、選んだのは上の3人のひとり、宮城まり子氏。彼女の『淳之介さんのこと』に先駆けて'00年出版されています。彼女が全面的に編集していて、彼女の筆による作家との思い出話もあるので、"共著"に近いくらいです(但し、相手の承諾は得てないわけだが)。

 吉行淳之介のエッセイの味わいが凝縮されていて、彼女が作家のよき理解者であったことが窺えるとともに、やはり彼女のフィルターがかかって、ちょっと"濾過"されちゃったかなと感じる面も多々ありました(少なくとも本人なら自著にこんな大仰なタイトルはつけないでしょう)。また、一部ですが、前後の脈絡のなかで捉えないと誤解を招きそうな文章もあります。

 ただ、吉行淳之介という人は、フェニミズムが台頭する中で誤解されることも多い作家なので、こうしてその言葉を残していくということ自体はいいことかなと思います(本書の場合、"編集者"の作家との関係における立場の微妙さはありますが)。

《読書MEMO》
●本当の才能というものは必ず開花する(青春放浪記)
●ゴシップも選択さえ良ければ、人間性の核心に達する十分な手がかりになる(人間教室)
●権威に弱いというのは教養・教育とは関係ない
●僕は雑踏を愛し、都会を愛している。死ぬまで、花鳥風月の心境にはなれそうもない(軽薄派の発想)
●女の神経が材木だとすると男は絹糸である(無作法戦士)
●結婚とは忍耐ですよ(軽薄のすすめ)
●女は自分が世界の中心にいると考えている(女をめぐる断想)
●持病というものは飼いならして趣味にする...

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「重厚コワモテ」に対する「軽薄さ」。軽妙でみずみずしい語り口。

吉行 淳之介 『軽薄派の発想』.jpg軽薄派の発想.jpg   軽薄のすすめ.jpg 軽薄のすすめ2.jpg
軽薄派の発想 (1966年)』芳賀書店 『軽薄のすすめ』角川文庫〔'73年〕(表紙イラスト:和田 誠/松野のぼる)
角川文庫版/新装セミハードカバー版(角川書店)
吉行淳之介.jpg吉行 淳之介 『軽薄のすすめ』.jpg吉行 淳之介 『軽薄のすすめ』sh.jpg エッセイ・対談の名手でもあった吉行淳之介(1924‐1994)ですが、本書は'66(昭和41)年刊行の単行本『軽薄派の発想』(芳賀書店)を元本として、'73(昭和48)年に角川文庫として刊行されたもので、さらにこの角川文庫版は、新装セミハードカバー版として'04(平成6)年に角川書店から刊行されています(山口瞳の解説を含む)。

 新装版の冒頭に著者により書き加えられた前書きがあり(これを書いた翌月に著者は70歳でその生涯を終えるのですが)、「軽薄短小」の時代が来たなどと言われるなかで、著者の言う「軽薄」は、硬直・滑稽・愚直、さらには"軽薄"という要素も含む(戦時中からの)「重厚」に対する対立概念であることが示されています。ただし、単にユーモアと解してもらってもよいと...。

 久しぶりに読み直してみて、このあたりのニュアンスがよくわかりました。「重厚コワモテ」に対し「軽薄さ」が批判力、破壊力を持ち得ることを、ダダイズムなどを引き合いに説き、"戦中少数派"としての 戦死者に対する独自の"犬死論"を展開する部分もあります。自伝的要素もかなりあり、父エイスケ氏(NHKの朝の連ドラ「あぐり」で野村萬斎が演じたのが印象的だった)との関係などに触れた部分は興味深いものでした。

 もちろんユーモラスな話も多く、冒頭の、俳句の下の句に「根岸の里の侘住い」とつければ上の句は何がきてもOKという話や、遠藤周作ら「第三の新人」仲間とのエピソードなどはおかしい。さらには十八番の男女の機微についての話や、創作に関する話、スポーツ観戦記など内容は盛りだくさんで、軽妙で、今もってみずみずしい語り口でいずれも飽きさせません。

 因みに'73(昭和48)年は、吉行のエッセイ・対談集の文庫化ブームの年で、1月に角川文庫で『軽薄のすすめ』が出たのを皮切りに、3月に 『不作法のすすめ』、8月に 『面白半分のすすめ』...といった具合に立て続けに刊行されていて、対談集も7月に『軽薄対談』が、同じ月に講談社文庫でも『面白半分対談』が刊行されるなど、それまでの彼の文学ファン以外の読者からも多く注目を集めた年だったわけです。

 【1966年単行本[芳賀書店]/1973年文庫化[角川文庫]/1994年ソフトカバー新装版[角川書店]】

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「●「新潮社文学賞」受賞作」の インデックッスへ(「不意の出来事」)

短篇には、同時代の他の作家の追随を許さない透明感と深みがある。

『娼婦の部屋・不意の出来事』3.jpg娼婦の部屋・不意の出来事.jpg  娼婦の部屋.jpg 吉行 『不意の出来事』.jpg
娼婦の部屋・不意の出来事 (新潮文庫)』〔改訂版〕『娼婦の部屋 (1959年)』『不意の出来事 (1965年)

吉行淳之介 .jpg 「短篇の名手」と言われ、まさに短編でその力を発揮するのが吉行淳之介(1924‐1994)で、この短篇集は、表題作をはじめ13篇を収めていますが、うまいなあと思わせる部分、あるいは奥深いと思わせる部分が多々あり、また、読む側に一定の緊張感や感受する集中力を求めている感じもします。

 「娼婦の部屋」('58年発表、'59年単行本(文藝春秋新社)刊行)は、会社の仕事で精神的に疲弊した25歳の主人公が娼街の特定の女の下へ通う話で、女の側から見て毎度「毛をむしられた鶏のようになって」来るが男が、帰るときには「人間」に近くなっているというのが面白かったです。

吉行淳之介(1924~94)。68年、東京都墨田区【朝日デジタルより】

 娼婦はパトロンによって堅気の仕事に就いたりしますが、結局うまくいかずに元の街に舞い戻り、一方男の方は会社が隆盛となり(高度成長期の入り口の頃の話か)、社内の雰囲気も良くなる...そうなると、2人の男女の関係は(娼婦とその客という関係だが)変容していく、そうした "精神的"な関係性のダイナミズムを描いてうまいと思いました(いろいろなケースで、これ、当て嵌まるなあと思った)。

 第12回「新潮社文学賞」受賞作の「不意の出来事」('65年)は、主人公のサラリーマン(三流週刊誌の記者)が、自分が付き合っている女にヤクザの情夫がいたことがわかり、そのヤクザに脅される話ですが、このヤクザ、会って話してみるとどこか気の弱さが窺えるという...。女との交情なども描いているわりには乾いた感じで、ヤクザが主人公の勤め先に押しかけた際に〈応接室もない会社〉に勤めているのかと同情されたりして、3者関係の歪みの中にも何だかユーモアも漂う作品。

 そのほか、幻想的な作品や童話のような作品などもありますが、作中人物の心理などを比較的さらっとした描写で、それでいて深く抉りなながらも、基本的には作者は対象に一定の距離を置いている感じがします(病気した人でないと書けないような作品などもあるが、それらにしてもそう)。

吉行淳之介『娼婦の部屋』.gif そうした中、「鳥獣虫魚」という身体に異形を持つ女性との交わりを描いた作品は、女優のM・Mがモデルとなっているではないかと思われますが、作家自身の優しさや生への肯定感が比較的すんなり出ていてる感じがします。

 娼婦を多く描いていることもあり、好みで評価が割れる作家ですが、このころの短篇作品には、同時代の他の作家の追随を許さない透明感と深みがあると個人的には思っています。

娼婦の部屋 (1963年)』 講談社ロマン・ブックス

短編集『娼婦の部屋』...【1959年単行本[文藝春秋新社]・1963年単行本[講談社ロマン・ブックス]】
短編集『不意の出来事』...【1965年単行本[新潮社]】
短編集『娼婦の部屋・不意の出来事』...【1966年文庫化・2002年改訂版[新潮文庫]】

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主テーマは性の探求とその先の虚無か。

砂の上の植物群 1964.jpg砂の上の植物群2.jpg 砂の上の植物群.jpg    砂の上の植物群 p0ster.jpg 砂の上の植物群5.jpg
砂の上の植物群 (1964年)』『砂の上の植物群 (1965年) (ポケット文春)』『砂の上の植物群 (新潮文庫)』/中平 康 監督「砂の上の植物群」('64年/日活)

 伊木一郎は一つの推理小説を構想している。死病にかかった男が、自分の死後、貞淑な若い妻が別の男のものになることを考えて嫉妬にかられる。男は妻の体に一定の条件反射が起きるよう仕向けておき、自分の死後に妻の相手となる男を殺そうとする、という筋書きだが、肝心のトリックが思いつかないままでいた。伊木の父親は画家で、放蕩のあげく34歳で早世したが、死後も伊木の運命を操っているかのようであった。伊木には妻と小学生の息子がいる。妻の江美子はかつて父の絵のモデルをしていた女である(伊木は父との関係を疑ってもいる)。伊木は以前定時制高校の教師をしていたが、教え子の女生徒が働く酒場へ何度か通ったことが人の噂になり、高校を辞めることになった。そして亡父の友人、山田の紹介で化粧品のセールスマンになっていた。仕事帰りのある夜、港近くの公園にある展望塔で、伊木は真っ赤な口紅を付けた少女・津上明子に声をかける。明子は酒を飲もうと誘ってきた。スタンドバーで飲んだ後、二人は旅館へ行き関係を持つが、明子は処女だった。二度目に会ったとき、明子は伊木に奇妙な依頼をする。姉の京子を誘惑して、ひどい目に遭わせてほしいという。親はすでに亡くなっており、京子は酒場で働いて明子を高校に通わせている。明子には純潔を守るようにやかましく言う京子だが、店の客と旅館へ入っていくのを見てしまったのだという。伊木は津上京子のいる酒場に通いはじめ、3日目にホテルに誘った。関係を重ねるうちに京子の被虐的な性癖がわかってくる。寝巻の紐で腕を強く縛ると、京子は歓びの声を上げた。伊木は性の荒廃への斜面をすべり落ちてゆく。ある日、父が死ぬ前になじみの芸者に産ませた子がいることを山田から聞かされる。名前は「京子」で、今の消息はわからないという。年齢や出身地などの符合から、伊木は近親相姦の可能性を疑う。まさか、津上京子は父が死の直前に遺した凶器なのだろうか―。(「Wikipedia」より)

 吉行淳之介(1924‐1994)のベストセラー小説と言えば、後半期のもので『夕暮まで』('78年/新潮社)がありますが、前半期のものでは、'63年を通して雑誌「文学界」に連載され、'64年3月に単行本刊行された、この作品でしょう。

 既婚中年男性の伊木は、ある姉妹を通して性への(複数相姦)への傾斜を強めていきますが、それはほとんど実験に対する科学者の情熱のようなものさえ感じるほどです。

砂の上の植物群m.jpg 根本的には心理小説というべきものであると思うのですが、表面的には、今で言えば、3P、SM、コスプレ、援助交際などの言葉に置き換えられる状況設定が描かれていて、発表当時としては、かなり際どい風俗を描いたものとして大いにセンセーショナルだったと思われます。単行本刊行の年には中平康監督、中谷昇主演で映画化されていることを見ても(「砂の上の植物群」('64年/日活))、その頃に話題を呼んだことが窺えますが、作者も後に「その辺りの"受け"をある程度予め計算に入れた」と語っています。
中平 康 (原作:吉行淳之介) 「砂の上の植物群」 (1964/08 日活) ★★★★

 この小説について、作家の父・吉行エイスケ(ダダイズムの作家。もの凄く遊び人で、34歳で亡くなった)に対するコンプレックスがひとつの執筆動機になっていて、文庫版に併録の「樹々は緑か」(表題作の習作とされている)にもその気配はあり、また作家自身も、この作品には、「亡父からの卒業論文のような気持ちも含まれている」と述べています。また、この作品を書いて、「私は完全にふっきれた」とエッセイにも書いています。

 しかし、この作品にみえる父親の影は作品の厚みを増す効果は果たしているものの、父を超えるという動機だけでここまで書くだろうかという気もします。作家の池澤夏樹氏(彼の父は福永武彦)も以前どこかで似たような疑問を表していましたが、やはりこの作品は性に対する探求とその先の虚無を(あるいは虚無を見据えたうえでも性を探求する人間の哀しさを)描いたものではないかと思います。

映画「砂の上の植物群」('64年/日活)監督:中平康/出演:仲谷昇・稲野和子・西尾三枝子・島崎雪子
砂の上の植物群 稲野.jpg西尾三枝子 砂の上の植物群9.png「砂の上の植物群」
西尾三枝子/中谷昇


 【1964年単行本[文芸春秋新社]/1966年文庫化[新潮文庫]

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女性の心理と生理の複雑さ、不思議を前に驚き困惑する男性。

原色の街2.jpg驟雨.jpg原色の街・驟雨.jpg 吉行 淳之介.jpg 吉行 淳之介(1924--1994/享年70)
原色の街 (1956年)』『驟雨 (1954年)』『原色の街・驟雨 (新潮文庫)』〔'65年〕

『原色の街・驟雨』3.jpg 汽船会社に勤める元木英夫(30)は同僚の望月と娼家「ヴィナス」を訪れる。娼婦あけみ(25)は、空襲で家族を失い、社交喫茶のホステスを経て娼婦になったという身の上話をする。元木はあけみの体を愛撫するが、酔っていると言って途中で寝てしまう。そのことがきっかけになって、あけみの身体に異変が生じる。あけみは元木を憎む一方で、もう一度会ってみたいと考える。元木は見合いをした瑠璃子と交際を始める。瑠璃子が戦死した初恋の男のことを繰り返し語るのに、元木はかえって刺激を覚える。やがて瑠璃子は男の話をしなくなった。望月はなじみの女、「ヴィナス」の春子をモデルに写真を撮ることになる。業界誌の表紙に使うというのは嘘で、望月はカメラにフィルムを入れず、いい加減にごまかすつもりである。それを知った元木はその情景の残酷さに耐えられない思いをする。元木はその場に同席し、ポーズを取る春子をすばやく写真に納める。元木は再びあけみのもとを訪れ、春子に渡してほしいと言って写真を渡す。事情を知っていたあけみは元木のやさしさに涙を浮かべる。元木に抱かれたあけみは全身に確かな感覚を覚える。元木の汽船会社では新しい貨物船が竣工し、レセプションを開催することになった。望月のおしゃべりを聞いて、「ヴィナス」の主人や娼婦たちも会場(竣工した船の甲板)にやってくる。瑠璃子も来ており、元木に大きく手を振るが、その様子を見ていたあけみは、嫉妬のため心のバランスを失って、体を元木にぶつける。2人は船の手すりを越え、水面に落下する―。(「原色の街」初出のあらすじ(「Wikipedia」より))

 「原色の街」('56年1月、新潮社より単行本刊行)は、娼婦でありながら精神性を捨てきれないあけみという女性を、彼女が想いを寄せる元木英夫という男性を通して、その婚約者で良家の令嬢だが娼婦的な瑠璃子という女性や、彼女と同じ"職場"の様々なタイプの女たちとの対比で描いています。

 '51年に同人誌「世代」に発表したものを大幅に加筆修正したものですが、読み直してみると意外に長編で、作中の出来事も多かった...。娼家での殺人事件や最後に破局的な無理心中の未遂事件などがありますが、基本的には娼婦となったあけみの精神構造の変化を描くための計算されたつくした舞台装置という感じで、加えて、随所にみられる男女の心の襞の描写には、この作家ならでの巧みさと情感があります。


 大学を出てサラリーマン生活3年目で独身の山村英夫にとって、愛することは煩わしいことである。娼婦の町(赤線)に通い、遊戯の段階に留まることは、精神衛生にかなうと考えている。しかし、なじみになった道子という娼婦のもとへ通ううち、愛情を抱き始めた山村はその感情に戸惑う。ある日、道子の部屋から赤線の町を見下ろしていると、にわか雨が降り出し、男たちを呼びとめる娼婦たちの嬌声が町に交錯する。その様子から山村は情緒を感じ取る。翌朝、喫茶店に入った山村と道子は窓越しに、一本のニセアカシアから緑色の葉が一斉に落ちるという異様な光景を目にする。まるで緑色の驟雨であった。その日は同僚・古田五郎の結婚披露宴だった。披露宴の後、再び山村は道子を訪ねるが、先客がいたため、縄のれんの店に入り、酒とゆでた蟹を注文する。道子を所有する数多くの男たちのことを想い、嫉妬の情を覚えるも、今度はその感情を飼い慣らそうとする。ふと箸先に手応えの無いのに気づいて見下ろすと、杉箸が二つに折れかかっていた―。(「驟雨」(「Wikipedia」より))

 「驟雨」('54年2月「文学界」発表、同年10月、新潮社より単行本刊行)は主人公の名前が山村英夫ということからも察せられるとおり「原色の街」を'51年に同人誌に発表済みであったものを加筆修正する際にその原型となった作品で、最初は捌け口として捉えていた娼婦に恋愛をしてしまった男の切なさを描いた散文的な心理小説です。'54(昭和29)年の第31回芥川賞受賞作ですが、もう100回以上(つまり50年以上)も前のことか...。「原色の街」に比べ短い分、文章はカミソリのように鋭いように思われます。

 この作品に登場する道子という娼婦は、「原色の街」のあけみと同じタイプ。つまり、娼婦でありながら精神性を捨てきれない女性ということになるかと思います。一見、性風俗を描いているようで、実はかなり精神的なものがメインにあり、これも、ほぼ心理小説と言っていいのでは。

 一方、同録の「薔薇販売人」('50年)は作家の同人誌時代の作品ですが、人妻だが娼婦性を持つ瑠璃子と同じタイプの女性が出てきます。
 
 「夏の休暇」('55年)は、少年が父とその愛人と海に遊ぶ話で、このモチーフは他の作品にもあり、作家の実体験に基づくものと推察され、父とのライバル心にも似た確執が窺えて興味深かったです。

 これら初期作品は、いずれも女性の心理と生理の複雑さ、不思議さを描いていて、男性はその前で驚き逡巡し困惑するしかない存在であり(それは著者自身とも重なり)、この作家に付与されがちな性の探求者、オーソリティという"勇ましい"イメージがないのが特徴でしょうか。 
 
向島百花園から吾妻橋.jpg 因みに「原色の街」の舞台となる娼家は「隅田川東北の街」にあるとなっていて、〈吉原〉ではなく〈玉の井〉付近であることが窺え、永井荷風の『濹東綺譚』に通じるところがありますが、厳密には、空襲で焼け出された〈玉の井〉の娼館が現在の鳩の街商店街.gif鳩の街通り商店街」(東向島1丁目)に移転してきた、その辺りが舞台のようです。 
 小説の冒頭に出てくる「隅田川に架けられた長い橋」は〈吾妻橋〉で、向島百花園から吾妻橋に向けての散策途中で偶然商店街の入り口を見つけて透り抜けてみましたが、何となく昭和レトロ風の懐かしさを覚える商店街であるものの、娼街の面影は無かったです(観察力不足?)。

向島・鳩の街通り商店街
向島・鳩の街通り商店街.jpg 向島・鳩の街通り商店街2.jpg

 【『驟雨』1954年・『原色の街』1956年単行本[新潮社]/1965年文庫化[新潮文庫]】

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「ある意味では神様っていいな、と思うこともある」と言っているのが一番のホンネかも。

死の壁.jpg 死の壁2.jpg死の壁 (新潮新書)』〔'04年〕 バカの壁1.jpg 『バカの壁』新潮新書

 テーマが拡散的だった『バカの壁』('03年/新潮新書)に比べると、テーマを「死」に絞っているだけわかりやすく、"語り下ろし"形態からくる論理飛躍みたいな部分は依然あるものの、前著より良かったと思います。ただし本書で主に扱っているのは、著者が言うところの「一人称」「二人称」「三人称」の死のうち、解剖死体に代表される「三人称」の死と、身近な人の死に代表される「二人称」の死ということになるでしょう。

 情報化社会における「人間は変わらない」という錯覚や、死というものが隠蔽される都市化のシステムについての言及は、本書が『バカの壁』の続編であることを示しています(そんなこと、タイトルを見れば一目瞭然か)。

 日本人の死生観に見られる「死んだら皆、神様」のような意識を「村の共同体」原理で説明しています。このことから、靖国問題や死刑制度へ言及するところが著者らしいと思いました。確かに中国の故事には、墓を暴いて死者に鞭打ったという話があります(戦国時代に呉の伍子胥が平王の墓を暴いて死体を粉々になるまで鞭打った)。日本の場合、生死がコミュニティへの入会・脱会にあたり、全員が「あんな奴はいない方がいい」となれば村八分は成立しやすく、死刑廃止論者は少数派となると。大学なども、こうしたコミュニティの相似形で、入るのが難しいのに出るのは簡単。それでも○○卒という学歴が生涯つきまといます。

 人体の細胞の新陳代謝を、毎年新入生が入って卒業生が出て行く「学校」に喩えているのがしっくりきました。「私」というのも、こうしたシステムの表象に過ぎず、移ろっていくのだ...と思い読み進むうちに、著者自身の幼年時の父の死に対する心情推移の精神分析的解釈があり(ここで精神分析が出てくるのがそれまでの流れから見て唐突な印象でしたが)、自身にとっての「二人称」の死に対する思いが吐露されています。「ある意味では神様っていいな、と思うこともある」と言っているのが一番のホンネかも。

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自らの人生の節目となった経験と併せて語る分、わかりやすい。

運のつき.jpg 『運のつき 死からはじめる逆向き人生論』['04年/マガジンハウス] 運のつき 新潮文庫.jpg運のつき』新潮文庫['07年]

 『死の壁』('03年/新潮新書)とほぼ同時期に刊行された人生論的エッセイですが、個人史を現在から遡りつつ、「死」や「世間」について語っていています。自らの思考方法の形成過程を、人生の節目となった経験と併せて述べているのがわかりやすく("内容"より"人物"がわかったということかも知れませんが)、『バカの壁』『死の壁』を読み解く上で参考になる部分もありました。

 東大助手時代に起きた大学紛争に戦争中の雰囲気を感じ、全共闘の闘士のその後の変遷に対して、紛争後も自分なりに総括しようとした立場から、厳しい批判をしています。戦争(非日常)か飯(日常)か、という選択で、著者は「飯」を選ぶ。それは、「死体の引き取り」ということに象徴される、平凡な方法を積み重ねることを重視する考え方でもあります。

 科学者がデカルトの心身二元論を批判するのに対し、自分も二元論者であるとして一元論の危うさを説き、「我思う、ゆえに我あり」とは、自己意識そのものを指していているのだと。自分の考え方が仏教の唯識論に近いと認めています。

 自らの人生を「所の得ない」人生だったとしています。氏は、本書刊行後のあるインタビューでは、「自分が宇宙人みたいでね」と言って『火星の人類学者』という本の自閉症者に自分を準えていました。
 
 哲学者サルトルは、子どもの頃から世の中が"借り物"のような気がいつもしていたそうで、それは父親を2歳で失ったことに起因するのではと自己分析していますが、氏の「世間」というものに対する感受性も、同じようなところに起因するのではないかと思ったりしました。

 【2007年文庫化[新潮文庫〕】

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「バカの壁」のベースにある著者のスタンスのようなものは窺えるが、「哲学」と言うより「エッセイ」か。
まともな人.jpg 『まともな人 (中公新書)』〔'03年〕こまった人.jpgこまった人 (中公新書)』〔'05年〕
イラスト:南伸坊
0 『まともな人』イラスト.jpg 雑誌「中央公論」に連載された養老氏の時評エッセイ「鎌倉傘張り日記」の2001年1月号〜2003年9月号の掲載文を収録したものです。氏の好きな昆虫標本作りを浪人の「傘張り」に喩え、こうした「日記」の先達として兼好法師を挙げていますが、半分隠居した身で、世評風の日記を"諦念"を滲ませながら書いているところは通じるところがあるかも知れません。

 「時評」と言っても、世の中で「あたりまえ」とされている固定観念の根拠の脆弱さを具体的に解き明かすために、三題噺のネタのような感じで世事をとりあげているので、批評の対象は「社会」ではなく、むしろ「社会」を受け入れている現代人のものの考え方にあるようです。ですから「社会批評」を期待して読むと肩透かしを食いますが、ベストセラーとなった『バカの壁』('03年/新潮新書)のベースにある著者のスタンスのようなものは窺えるかと思います。
  
 本書自体は『バカの壁』より後の刊行ですが、掲載文の大半は『バカの壁』の爆発的ヒットの前に書かれたものです。本書の続編『こまった人』('05年/中公新書)が「中央公論」2003年6月号〜2005年10月号掲載文を収録しているということで、こちらはほぼ"『バカの壁』以後"という見方ができるかと思いますが、その『こまった人』においても特に著者のスタンスに変化はなく、しいて言えば『こまった人』の方が、自分が過去に受けた処遇に対する恨み節や、世間に対するシニカルな見方、老境における諦念のようなものが強くなってきていて、「そんなことはどうだっていいか」みたいな締めで終わる文書も多く、より"自分寄り"な感じがします。

 そのためか、本書は最初、中公新書のジャンル分けで「哲学・思想」に入っていたのに、『こまった人』が刊行されると、"好評「養老哲学」第2弾"と銘打ちながらも、両方とも「エッセイ」にジャンル分けされているようです(確かに「哲学」と言うより「エッセイ」か)。

 『まともな人』...【2007年文庫化[中公文庫〕】/『こまった人』...【2009年文庫化[中公文庫〕】

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わかったような、わからないようなという印象。だから、次々と"続編"に手をだしてしまうのか?

バカの壁1.jpg バカの壁2.jpgバカの壁 (新潮新書)』〔'03年〕唯脳論 (ちくま学芸文庫).jpg唯脳論 (ちくま学芸文庫)』〔'98年〕

 2003(平成15)年・第57回「毎日出版文化賞」(特別賞)受賞作。

 まえがきで数学という学問を引き合いに、誰もが最後にはこれ以上はわからないという壁にぶつかり、それが言わば「自分の脳」であると。つまり「バカの壁」は万人の頭の中にあるということを述べています(フムフム)。一方、本文は、これに呼応するように、「話せばわかる」というのは大嘘であるという話で始まりますが(もう諦めろ、放っておけ、ってことか?)、こうした切り口の鮮やかさが、上司など自分の身近にいる人とのコミュニケーションの齟齬にイライラしている人に受けたのかも知れません。でも、このまえがきと本文の繋げ方は、所謂 over-generalization(過度の一般化)気味のような気がし、この本は、こうした切り口の鮮やかさで論理を韜晦させているのではないかと思われる部分も、結構あるように思いました。
 
 話題は認知心理学や脳科学、教育論や日本人論と駆け巡り、個々の論点はまあまあ面白かったのですが、著者の他のエッセイなどで既に述べられていることも多いです。最後は再び、「話せばわかる」といった姿勢は一元論にはまり、強固な壁の中に住むことになるという警句で終っています。

 認知心理学的な話から「唯識論」的な話へいくのかと思いきや、途中から、一種の「教養論」を展開しているようにも思え、論旨が掴みにくいのですが、簡単に言ってしまえば、この「バカの壁」を意識するということは、ソクラテスの「無知の知」とほぼ同じではないかという気もしました。そう考えると、特に目新しい『唯脳論』.JPGことを言ってるわけではないと..。特に、以前に著者の『唯脳論』を読んだ経験からすると(硬軟の差はあるが、話の展開自体はやや似ている)。本書の結語的に著者が批判している一元論や原理主義というのは、「無知の知」の「知」が欠落し、要するに「無知」の状態にあるということ。ただし自分たちはそのことに気付かないということなのでしょう。

 著者の『唯脳論』では、この世界を理解しようとする際には、必ず"自分の脳"というものが介在するのであって、相対性理論のような科学的理論でさえも脳が作ったものであり、「脳はそれを世界に押しつけようと試みる。脳はその法則を自然から引き出すのではなく、その脳の法則を自然に押しつけるのである」といったことが説かれていて、なるほどなあと思わされました。つまり、真理は外部にあるのではなく、脳の中にあるということであって、「われわれの外部にはある規則性がある。その規則性をわれわれに理解できる言葉、すなわち脳の規則性に合致した表現で表したものを真理と呼ぶ」と。

 心は脳の構造作用であり機能なのであるが、人間が「構造」と「機能」を分けて考えること自体が、我々の脳がそのような見方をとるように構築されているからである、という見方はなかなか面白かったですが、なぜ脳という"構造"から"意識"という機能が生まれるのか、ということよりも、脳が脳について考えるということはどういうことなのか、を考察した本と言えたかも。但し、個人的には、そのあたりが若干もやっとしたまま、後半の文明について触れている箇所に読み進むことになってしまいました。そして最後は、文明とは脳化であり、脳化した社会は身体を禁忌とするが、脳も身体の一部であるのに、脳から身体性を排除するという極端なことが現在の日本では起きているという結語に至って、やや社会批評風の結末だったかなあと。

 本書については、「語り下ろし」であるということでの、そのあたりのもやもや感をある程度スッキリさせてくれるかと期待しましたが、読みやすさほどには、内容そのものはわかりやすくはないという感じがしました。個人的には『唯脳論』の前半から中盤にかけてのテーマを掘り下げないうちに、社会批評に行ってしまっている感じがするとともに、『唯脳論』を読んだ際に感じた論理の飛躍のようなものが、本書では「語り下ろし」というスタイルを取ったがために、より甚だしくなっている印象も。結果的に、正直、本書についても、わかったような、わからなかったような、という部分が多く心に残ったという感じ。だから、次々と出される"続編"に手をだしてしまうのか? 或いは、『唯脳論』が完全に理解できないと、あとは著者のこの手の本を何冊読んでも、完全な理解はできないということなのか(本書自体も『唯脳論』の続編乃至は解説編と言えるかも)。
 
 『唯脳論』...【1998年文庫化[ちくま学芸文庫]】

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読後の感動はあった。モデルはモデル、小説は小説として読むべきか。

不毛地帯 1.jpg 不毛地帯 2.jpg 不毛地帯 3.jpg 不毛地帯 4.jpg 不毛地帯12f9.jpg
『不毛地帯』 新潮文庫[旧版](全4巻)   映画「不毛地帯」('76年/東宝) 仲代達矢・丹波哲郎

不毛地帯 映画.jpg 『白い巨塔』('65年/新潮社)、『華麗なる一族』(73年/新潮社)が、それぞれ映画も含め力作だったのに対し、この『不毛地帯』の仲代達矢主演の"映画"の方は、配役は豪華だけれど個人的には今ひとつでした(テレビで観たため、平幹二朗主演のテレビ版と記憶がごっちゃになっている)。そもそも、181分という長尺でありながらも、原作の4分の1程度しか扱っておらず、原作が連載中であった事もありますが次期戦闘機決定をめぐる攻防部分だけを映像化したと言ってもよく、結果として壱岐正という主人公の生き方に深みが出てこない...。

不毛地帯ー.png「仲代達矢 不毛地帯.jpg ただし"原作"だけでみると、自分が最初に読んだ当時の読後の感動はこれが一番で、もともと映画に納まり切らない部分が多すぎたか? それと、こうした複雑な話が映画化された時によくありがちな傾向で、愛憎劇中心になってしまった感じもしました。

 この原作の方は、以前は商社マンを目指す人はみなこぞって読んで、そして感動したという話も聞きます。しかし今改めて読むと、作品に描かれる総合商社の体質は今も変わらないのかもしれませんが、産業構造の変化などで商社の仕事自体はずいぶん変わっているのではないかという気がします(その点、一番変わっていないのは『白い巨塔』で描かれた大学附属病院かもしれない)。

 国の二次防主力戦闘機の受注をめぐって、交渉相手の防衛庁の部長に戦時中の命の恩人である元陸軍中佐・壱岐正をぶつけるという商社の戦略が凄いと思いましたが、戦後60年以上を経た今現在、こうした"命の恩人"みたいな関係がどれだけあるのか、またそれがビジネスで成り立つかと考えると、かなり特異な状況を描いているようにも思えました。

 そうしたこともあり、良くも悪くも、モデルとされている瀬島龍三氏のイメージとどうしても切り離せません。
 小説の主人公はラストの身の引き方は美しいが、瀬島氏は商社マンとして一線を退いた後も中曽根内閣の臨調委員として政治"参謀"ぶりを発揮し(結局こういう「ひとかどの人物」は在野にいても声がかかる?)、90歳を超えてなお中曽根氏の個人的ブレーンの1人となっている...。

 著者は「これは架空の物語である。実在する人物、出来事と類似していても偶然に過ぎない」と言っています。
 『白い巨塔』と並ぶ著者の代表作であり傑作であることには違いなく、モデルはモデル、小説は小説として読むべきなのかも知れません(同一作者の後の作品『沈まぬ太陽』では、同一モデルであるはずのこの人物の描き方が、「国士」から単なる「策士」へと変化している)。

瀬島龍三(せじま・りゅうぞう)
瀬島龍三.jpg伊藤忠商事元会長。富山県松沢村(現小矢部市)出身。1938年12月陸軍大学校卒、大本営陸軍参謀として太平洋戦争を中枢部で指揮をとる。満州で終戦を迎えたが、旧ソ連軍の捕虜となり、11年間シベリアに抑留され、1956年に帰国。1958年、伊藤忠に入社し、主に航空機畑を歩いた。1968年専務に就き、いすゞ自動車と米ゼネラル・モーターズ(GM)との提携を仲介。戦前、戦中、戦後を通じて政、財界の参謀としての道を歩んだ。(2007年9月4日死去/享年95)

不毛地帯 映画.jpg不毛地帯 丹波哲郎2.jpg「不毛地帯」●制作年:1976年●監督:山本薩夫●製作:佐藤一郎/市川喜一/宮古とく子●脚本:山田信夫●音楽:佐藤勝●原作:山崎豊子●時間:181分●出演:仲代達矢/丹波哲郎/山形勲/神山繁/滝田裕介/山口崇/日下武史/仲谷昇/山本圭/北大路欣也/小沢栄太郎/田宮二郎/久米明/大滝秀治/高橋悦史/井川比佐志/中谷一郎/八千草薫/秋吉久美子/藤村志保/志村喬/高城淳一/秋本羊介/岩崎信忠/石浜朗/内田朝雄/小松方正/加藤嘉/中津川衛/辻萬長/高杉哲平/杉田俊也/神田隆/永井智不毛地帯 dvd.jpg不毛地帯相関図.jpg不毛地帯久松経済企画庁長官  1.jpg雄/嵯峨善兵/伊沢一郎/青木義朗/アンドリュー・ヒューズ/デヴィット・シャピロ/●劇場公開:1976/08●配給:東宝(評価★★★) 
不毛地帯 [DVD]
不毛地帯 金脈図.jpg丹波哲郎(防衛庁・川又空将補)/加藤嘉(防衛庁・原田空幕長)/大滝秀治(経済企画庁長官・久松清蔵)
川又空将補 - 丹波哲郎.jpg 原田空幕長 - 加藤嘉.jpg 久松経済企画庁長官 - 大滝秀治.jpg
小沢栄太郎(貝塚官房長)
不毛地帯b-b014d3c5e38d.jpg「不毛地帯」 小沢栄太郎.jpg 
    
山形勲(近鉄商事社長・大門一三――壱岐をスカウトする)
山形勲 不毛地帯.jpg不毛地帯 山形.jpg

秋吉久美子(壱岐直子)
「不毛地帯」秋吉久美子.jpg

 【1983年文庫化[新潮文庫(全4巻)]・2009年改訂[新潮文庫(全5巻)]】

不毛地帯〔'76年/東宝〕監督:山本薩夫/製作:佐藤一郎/脚本:山田信夫/出演:仲代達矢/丹波哲郎/山形勲
不毛地帯 映画.jpg

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「華麗なる一族」1974年.jpg 古さを感じさせない。政財界にわたっての丹念な取材の跡が窺える。

山崎豊子 華麗なる一族.jpg  華麗なる一族 上巻.jpg 華麗なる一族 中巻.jpg 華麗なる一族 下巻.jpg 
華麗なる一族 (1980年) (新潮文庫)』 /新潮文庫(上・中・下)〔改訂版〕/映画「華麗なる一族」('74年/東宝)

華麗なる一族 dvd.jpg華麗なる一族.jpg 万俵財閥の当主で阪神銀行頭取の万俵大介の野望を軸に、それに翻弄される一族の姿を金融業界の内幕に絡めて描いた作品で、'73(昭和48)年の発表ですが、「金融再編」に伴う「銀行の合併問題」がモチーフになっているため、あまり古さを感じさせません。

 小説の冒頭は、志摩半島の英虞湾を望む一流ホテルでの主人公一族の豪奢な正月晩餐会から始まりますが、作者は舞台のモデルにした「志摩観光ホテル」のレストランから夕陽がどう見えるかまで取材しに行ったそうで、そうした丹念な取材は、銀行内部のみでなく、政治家や大蔵省など政財界に広く及んでいて、物語にリアルな厚みを増しています。 
華麗なる一族 [DVD]」/映画パンフレット                  

 大介の野望は、上位銀行の専務と結託してその銀行を併呑する、所謂「小が大を呑む」というもので(かつて神戸銀行が太陽銀行を吸収合併し、"名"前だけ「太陽神戸」として"実"の方をとった出来事がベースになっている)、大介の政財界への働きかけは、「政財癒着は良くない」という綺麗事のレベルを遥かに凌駕する凄まじさで、目的のためには親友も、長男さえも切り捨てる―。

 タイトルの「華麗なる一族」という言葉が、政界との癒着強化のための閨閥づくりを指すとともに、長男・鉄平の暗い過去の出生の秘密を表す反語にもなっています。

華麗なる一族 佐分利信.jpg華麗なる一族 仲代.png 同じ山崎豊子原作の映画化作品「白い巨塔」が大ヒットした華麗なる一族 仲代.jpgためか、この作品は豪華キャストで映画化されましたが('74年・山本薩夫((1910-1983))監督)、オールキャストとは言え、その中で圧倒的に存在感を際立たせているのは華麗なる一族 田宮二郎.jpg佐分利信であり、その佐分利信が演じる万俵大介と仲代達矢が演じる鉄平の"暗い血"にまつわる確執に重きが置かれていたような感じもしました。また、鉄平の最期が、大介の女婿を演じた田宮二郎の実人生での自殺方法と同じだったことに思い当たりますが、鉄平役は実は田宮二郎がやりたかった役だったそうです。

華麗なる一族 目黒.jpg華麗なる一族 佐分利.jpg どうしても、こういう複雑なストーリーの話が映画化されると、情緒的な方向に重きがいってしまったりセンセーショナルな部分が強調されるのは仕方がありませんが(大介の「妻妾同衾」シーンなども当時話題になった)、それなりの力作でした。"いい人"がとにかく苛められる(相手方銀行の頭取の二谷英明とか)点で「白い巨塔」に共通するものを改めて感じたのと、農家の預金獲得のために、ワイシャツ姿で終日稲刈りまでする銀行員なども描いていて「銀行員って意外と泥臭いなあ」と思わされたりもしました。
                    映画「華麗なる一族 [VHS]」 ビデオ(上・下)
華麗なる一族2.gif華麗なる一族 ビデオ.jpg「華麗なる一族」●制作年:1974年●製作:芸苑社●監督:山本薩夫●製作:佐藤一郎/市川喜一/森岡道夫●脚本:山田信夫●音楽:佐藤勝●原作:山崎豊子●時間:210分●出演:佐分利信仲代達矢/月丘夢路/京マチ子/酒井和歌子/目黒祐樹/田宮二郎/二谷英明/香川京子/山本陽子/中山麻里/小沢栄太郎滝沢修/河津清三郎/大空真弓/北大路欣也/志村喬中村伸郎加藤嘉/神山繁/平田昭彦/細川俊夫/大滝秀治/北林谷栄/西村晃/金田龍之介/小林昭二/花沢徳衛/鈴木瑞穂(ナレーション華麗なる一族 京マチ子 .pngも担当)/嵯峨善兵/荒木道子/小夜福子/中村哲/武内亨/梅野泰靖/浜田寅彦/花布辰男/下川辰平/伊東光一/田武謙三/若宮大祐/青木富夫/五藤雅博/生井健夫/白井鋭/夏木章/笠井一彦/守田比呂也/華麗なる一族 京マチ子.jpg鳥居功靖/堺美紀子/横田楊子/川口節子/森三平太/千田隼生/金親保雄/南治/麻里とも恵/木島一郎/坂巻祥子/隅田一男/久遠利三/鈴木昭生/記平佳枝/東静子/加納桂●劇場公開:1974/01●配給:東宝●最初に観た場所:渋谷・東急名画座(山本薩夫監督追悼特集) (84-01-08) (評価★★★☆) 京マチ子(万俵大介の愛人・高須相子)
華麗なる一族 saburi.jpg滝沢修 華麗なる一族.jpg 大滝秀治 華麗なる一族.jpg 中村 伸郎 華麗なる一族.jpg 華麗なる一族 志村.jpg
佐分利信(阪神銀行頭取・万俵大介)/滝沢修(長期開発銀行頭取・宮本之三)/大滝秀治(社民党代議士・荒尾留七)/中村伸郎(日銀総裁・松平公之)/志村喬(大華麗なる一族 小沢栄太郎.jpg華麗なる一族 (1974東宝)katou .jpg阪重工社長・安田太左衛門)/小沢栄太郎(永田大蔵大臣)/仲代達矢(阪神特殊鋼専務・万俵鉄平)/加藤嘉(阪神特殊鋼常務・銭高)
西村晃(大同銀行専務・綿貫千太郎)/二谷英明(大同銀行頭取・三雲祥一)/北大路欣也(一之瀬(阪神特殊鋼:工場長)の息子・一之瀬四々彦)
華麗なる一族 西村・二谷.jpg 華麗なる一族 西村.jpg 「華麗なる一族」きたおうじ.jpg

華麗なる一族3.jpg月丘夢路(万俵大介の妻・万俵寧子)/香川京子(長女・美馬一子)/京マチ子(家庭教師・高須相子)/山本陽子(長男鉄平の妻・万俵早苗)/中山麻理(次男銀平の妻)/酒井和歌子(次女・万俵二子)


 【1973年単行本・1979年改訂[新潮社(上・中・下)]/1980年文庫化・2003年改訂[新潮文庫(上・中・下)]】

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医学界の権力構造の図式を鮮やかに浮かびあがらせた傑作。もとは財前の勝利で終わる話だった。
白い巨塔 1965.jpg 白い巨塔 1.jpg 白い巨塔 2.jpg 白い巨塔 3.jpg kyotou2.jpg 白い巨塔 1シーン.jpg
白い巨塔 (1965年)』 『新潮文庫「白い巨塔 全5巻セット」』  映画「白い巨塔 [DVD]」['66年]
映画「白い巨塔」('66年/大映) 田宮二郎・田村高廣
映画「白い巨塔」('66年/大映).jpg この作品は何度かテレビドラマ化ざれ、佐藤慶('67年/テレビ朝日系/全26回)、田宮二郎('78年/フジテレビ系/全31回)、村上弘明(90年/テレビ朝日系/全2回)などが主役の財前五郎を演じています。更に最近では、'03年にフジテレビ系で唐沢寿明主演のもの(全21回)がありましたが、断トツの視聴率だったのは記憶に新しいところ(唐沢寿明版の最終回の視聴率32.1%で、'78年の田宮二郎版の最終回31.4%を上回る数字だった)。
                   
白い巨塔 66.jpg銀座シネパトス.jpg しかしながら個人的には、やっぱりテレビ版よりは、原作を読む前に観た山本薩夫(1910-1983)監督による映画化作品(田宮二郎主演)が鮮烈な印象として残っており、また観たいと思っていたら、'04年にニュープリント版が銀座シネパトス(東銀座・三原橋の地下にあるこの映画館は、しばしば昔の貴重な作品を上映する。2013年3月31日閉館)で公開されたため、約20年ぶりに劇場で観ることができました。これも全て今回の唐沢寿明版のヒットのお蔭でしょうか。

映画 「白い巨塔」('66年/モノクロ)

白い巨塔」(テレビ 1978.jpg田宮二郎自殺.jpg田宮二郎.jpg 田宮二郎(1935-1978/享年43)は、31歳の時にこの小説と巡り会って主人公・財前五郎に惚れ込み、作者の山崎豊子氏に懇願してその役を得たとのこと。その演技が原作者に認められ、それがテレビでも財前医師を演じることに繋がっていますが、テレビドラマの方も好評を博し、撮影終盤の頃、ドラマでの愛人役の太地喜和子(1943‐1992/享年48)との対談が週刊誌に掲載されていた記憶があります。それがまさか、ヘミングウェイと同じ方法でライフル自殺するとは思わなかった...。クイズ番組「タイム・ショック」の司会とかもやっていたのに(司会者は自殺しないなどという法則はないのだが)。

テレビドラマ版 「白い巨塔」('78~'79年/カラー)
 田宮二郎は30代前半の頃から躁うつ病を発症したらしく、テレビ版の撮影当初は躁状態で自らロケ地を探したりも田宮二郎 .jpgしていたそうです。それが終盤に入ってうつ状態になり、リハーサル中に泣き出すこともあったりしたのを、周囲が励ましながら撮影を進めたそうで、彼が自殺したのはテレビドラマの全収録が終わった日でした(実現が困難な事業に多額の投資をし、借金に追われて「俺はマフィアに命を狙われている」とか、あり得ない妄想を抱くようになっていた)。当時週刊誌で見た大地喜和子とのにこやかな対談は、実際に行われたものなのだろうか。

『続・白い巨塔』('69年/新潮社 )/『白い巨塔(全)』('94年/新潮社改版版)/映画「白い巨塔」('66年/大映)
白い巨塔 ラスト.jpg続白い巨塔.jpg白い巨塔1994.jpg
 もともとの『白い巨塔』('65年/新潮社)は、'63年から'65年にかけて「サンデー毎日」に連載されたもので、熾烈な教授選挙戦を征して教授になった財前五郎が、権力者の後ろ盾のもとに、彼の医療ミスを告発する里見医師らを駆逐するところで終わっています。映画('66年)も教授選をクライマックスに、主人公の財前が第一外科教授に昇進するまでを描いていて、原作・映画ともに、医学界の権威主義に対する強烈な風刺や批判となっていますが、権力志向の強い男のピカレスク・ロマンとしてもみることができます。しかしながら、こうした「悪が勝つ」終わり方に世間から批判があり、そのため『続・白い巨塔』('69年)が書かかれたということです('94年新装版では、正・続が2段組全1冊に収められている)。

白い巨塔 新潮文庫.jpg 文庫の方は、当初は正(上下2巻)・続に分かれていましたが、'93年の改定で「続」も含め『白い巨塔』として全3巻になり、更に'02年の改定で全5巻になっています(「続」という概念がある時期から消されているともとれる)。最近のテレビドラマもそれに準拠し、財前が亡くなるところまで撮り切っていますが、文庫で読むときは、もともとは今ある全5巻のうち、第3巻までで終わる話だったことを意識してみるのも良いのではないでしょうか。

 因みに、いくつかあるテレビ版で、原作の正編に相当する部分のみで終わっているのは、「続」が書かれる前にドラマ化された佐藤慶版('67年/テレビ朝日系/全26回)のみです。田宮二郎の主演のものも、テレビ版の方は唐沢寿明版と同じく、主人公が癌で亡くなるところまで撮っています。田宮二郎テレビ版では、田宮二郎自身が台本に自分で書いた遺書を挿入し、末期がんのがん患者になり切ったとのこと、ストレッチャーに乗る遺体役での演技をラッシュで確認して、本人は満足していたそうです(その場面が放送される前に自殺したわけだが)。

白い巨塔 .jpgkyotou1.jpg この小説は、続編も含め、単純な勧善懲悪物語にしていないところがこの著者の凄いところです。財前はむしろ、周囲に翻弄されるあやつり人形のような存在で(苦学生上がりで医師になったのに、才能を上司に認められないというのは辛いだろうなあ)、彼をとりまく人々の中に、医学界の権力構造の図式を鮮やかに浮かびあがらせている(読んでると、権力を持たなければ何も出来ないではないかという気にさえさせられる)一方、個々に「白い巨塔」小沢.jpgは、権力に憧れる気持ちと真実を追究し正義を全うしようという気持ちが入り混じっているような"普通の人"も多く出てきて、この辺りがこの小説の充実したリアリティに繋がっていると思います。 

山崎豊子(1924-2013
山崎豊子.png白い巨塔 東野.jpg白い巨塔 加藤嘉.jpg「白い巨塔」●制作年:1966年●製作:永田雅一(大映)●監督:山本薩夫●脚本:橋本忍●音楽:池野成●原作:山崎白い巨塔 船越 英二.jpg白い巨塔 滝沢修.jpg豊子●時間:150分●出演:田宮二郎/東野英治郎小沢栄太郎小川真由美/岸輝子/加藤嘉田村高廣船越英ニ滝沢修藤村志保/下条正巳/石山健二郎/加藤武/里見明凡太朗/鈴木瑞穂/清水将夫/下條正巳/須賀不二男/早白い巨塔 小川真由美.jpg白い巨塔 藤村志保  .jpg川雄三/高原駿雄/杉田康/夏木章/潮万太郎/北原義郎/長谷川待子/瀧花久子/平井岐代子/村田扶実子/竹村洋介/小山内淳/伊東光一/南方伸夫/河原侃二/山根圭一郎/浜世津子/白井玲子/天池仁美/岡崎夏子/赤沢未知子/福原真理子●劇場公開:1966/10●配給:大映●最初に観た場所:渋谷・東急名画座(山甦れ!東急名画座3.jpg甦れ!東急名画座1.jpg東急文化会館.jpg東急名画座 1.jpg本薩夫監督追悼特集) (83-12-05)●2回目:銀座シネパトス (04-05-02) (評価★★★★)
東急名画座 (東急文化会館6F、1956年12月1日オープン、1986年〜渋谷東急2) 2003(平成15)年6月30日閉館

銀座シネパトス.jpg銀座東映.jpg銀座シネパトス.jpg銀座シネパトス 1952(昭和27)年、ニュース映画の専門館「テアトルニュース」開館、1954(昭和29)年「銀座東映」開館、1967(昭和42)年10月3日「テアトルニュース」跡地に「銀座地球座」開館、1968(昭和43)年9銀座シネパトスs.jpg月1日「銀座東映」跡地に「銀座名画座」開館、1988(昭和63)年7月1日「銀座地球座」→「銀座シネパトス1」、「銀座名画座」→「銀座シネパトス2」「銀座シネパトス3」に改装。2013(平成25)年3月31日閉館

  
白い巨塔」(テレビ 1978.jpgテレビドラマ 白い巨塔 田宮二郎  dvd.jpg白い巨塔 ドラマ 1.jpg「白い巨塔」(テレビ・田宮二郎版)●演出:小林俊一●制作:小林俊一●脚本:鈴木尚之●音楽:渡辺岳夫●原作:山崎豊子「白い巨塔」「続・白い巨塔」●出演:田宮二郎/生田悦子/太地白い巨塔 大滝秀治2.jpgTV版「白い巨塔」中村伸郎.jpg喜和子/島田陽子/藤村志保/上村香子/高橋長英/中村伸郎/小沢栄太郎/河原崎長一郎/山本學/金子信雄/清水章吾/大滝秀治佐分利信加藤嘉/渡辺文雄/戸浦六宏/関川慎二/東恵美子/中村玉緒/井上孝雄/小松方正/西村晃/曽我廼家明蝶/渡辺文雄/米倉斉加年/岡田英次/中北千枝子/児玉清/北村和夫/小林昭二●放映:1978/06~1979/01(全31回)●放送局:フジテレビ
白い巨塔 佐分利 信.jpg白い巨塔 (1978年のテレビドラマ) 大河内 加藤.jpg白い巨塔 戸浦六宏.jpg中村伸郎(浪速大学医学部第一外科教授→近畿労災病院院長・東貞蔵)/大滝秀治(大阪地方裁判所裁判長)/佐分利信(東都大学医学部第一外科教授教授・船尾悟)/加藤嘉(浪速大学医学部病理学教授・大河内清作)/戸浦六宏(浪速大学医学部産婦人科教授・葉山優夫)/小沢栄太郎(浪速大学医学部第一内科教授、浪速大学医学部長・鵜飼雅一)/渡辺文雄(真鍋外科病院院長・真鍋貫治)/岡田英次(里見清一(里見脩二の兄、洛北大学医学部第二内科講師→開業医))
「白い巨塔」小沢渡辺.jpg「白い巨塔」岡田.jpg『白い巨塔_1331.jpeg
    
白い巨塔 ドラマ 2003.jpg「白い巨塔」ドラマ  .jpg「白い巨塔」(テレビ・唐沢寿明版)●演出:西谷弘/河野圭太/村上正典/岩田和行●制作:大多亮●脚本:井上由美子●音楽:加古隆●原作:山崎豊子「白い巨塔」「続・白い巨塔」●出演:唐沢寿明/江口洋介/西田敏行/佐々木蔵之介/上川隆也/伊藤英明/及川光博/石坂浩二/伊武雅刀/黒木瞳/矢田亜希子/水野真紀/高畑淳子/沢村一樹/片岡孝太郎/若村麻由美●放映:2003/10~2004/03(全21回)●放送局:フジテレビ

 【1965年単行本・1969年続編・1973年改訂・1994年新装版[新潮社]/1978年文庫化(上・下・続)・1993年改訂(全3巻)・2002年再改定(全5巻)[新潮文庫]】

《読書MEMO》
白い巨塔 岡田准一版.jpg白い巨塔 2019.jpg●2019年再ドラマ化【感想】'78年の田宮二郎版の全31回、'03年の唐沢寿明版の全21回に対して今回の岡田准一版は全5回とドラマ版としては短く、盛り上がる間もなくあっという間に終わってしまった感じで、岡田准一は大役を演じ切れてない印象を持った。最終回の視聴率が15.2%というのはそう悪い数字ではないが、この原作ならば本来はもっと高い数字になって然るべきで、やはり内容的に...。田宮二郎版の31.4%、唐沢寿明版の32.1%と比べると平凡な数字に終わったのもむべなるかなと。

白い巨塔 キャスト.jpg白い巨塔 2019  01.jpg「白い巨塔(テレビ・岡田准一版)~テレビ朝日開局60周年記念5夜連続ドラマスペシャル」●監督:鶴橋康夫/常廣丈太●脚本:羽原大介/本村拓哉/小円真●音楽/兼松衆●原作:山崎豊子「白い巨塔」「続・白い巨塔」●出演:岡田准一/松山ケンイチ/寺尾聰/小林薫/松重豊/岸部一徳/沢尻エリカ/椎名桔平/夏帆/飯豊まりえ/斎藤工/向井康「白い巨塔」小林.jpg白い巨塔 ドラマ 小林薫.jpg「白い巨塔」岸部.jpg二/岸本加世子/柳葉敏郎/満島真之介/八嶋智人/山崎育三郎/高島礼子/市川実日子/美村里江/市毛良枝/小林稔侍●放映:2019/05/22-26(全5回)●放送局:テレビ朝日
小林稔侍(浪速大学医学部名誉教授・滝村恭輔)/小林薫(財前の義父・財前産婦人科医院院長・財前又一)/岸部一徳(浪速大学医学部病理学科教授・次期第一外科教授選選考委員会委員長・大河内恒夫)
 

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未刊エッセイ2シリーズだが、期待したほどでもなかった。

会社の渡世.jpg 『会社の渡世』 (2005/07 河出書房新社)

山口瞳2.jpg 山口瞳(1926‐1995)の没後10周年企画として、単行本未収録エッセイを集めたもので、「山口瞳氏の生活と意見」と「山口瞳氏の一日社員」から成っています。

 「山口瞳氏の生活と意見」は'65(昭和40)年から翌年にかけて『漫画読本』に断続連載されたもので、'63(昭和38)年から連載がスタートした「男性自身」と雰囲気が似ていますが、漫画よりも野球に関するコメントが多いのが興味深かったです。著者はもともと野球少年でしたが、生涯スポーツマインドを持ち続けた人だったなあと。

 「山口瞳氏の一日社員」は、'64(昭和39)年に『オール讀物』に連載された氏の企業訪問記で、高度成長期の企業人や経営者のここまで来たことへの感慨と現在の自信、これからの夢と希望が感じられます。

 ただ、旅行記風に面白くしようとしていたりはしますが、本質部分ではPR記事のライターがよく書く文章に似ている感じがして(著者の出自のせいかも。「習い癖となる」...)、企業のことはよくわかっていいのだけれども、期待したほど面白いとは思いませんでした。

 村上春樹に『日出る国の工場』('87年/平凡社)という"工場"訪問記がありますが、この手のものはそういった"素"の人が書いたものの方が、雑誌のパブリシティなどを見慣れている読者には意外性があって面白いものになるのかも。
 
 全体として、単行本で購入するほどのものでもなかったかなと(文庫化されるかどうか知らないけれど)。

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「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(山口 瞳)

作者の「母を恋うる記」であり、封印された一族の秘密を探る物語。

山口 瞳 『血族』.jpg血族.jpg  P+D BOOKS 血族.jpg 山口瞳.jpg 山口瞳 (1926‐1995/享年68)
血族』〔'79年〕『血族 (文春文庫 や 3-4)』〔'82年〕血族 (P+D BOOKS)』['16年]

山口 瞳 『血族』nhkおび.jpg 1979(昭和54)年・第27回「菊池寛賞」受賞作(「菊池寛賞」は作品ではなく個人や団体に対して授与されるものだが、この作品が受賞の契機となっており、実質的に本作が"受賞作"であると見ていいのではないか)

 山口瞳(1926‐1995)のこの小説は、野坂昭如が評したように作者の「母を恋うる記」であると言えます。その母は山口瞳に自らの出自を何ひとつ語らず、彼が33歳のときに亡くなってしまう...。母は一体どこで生まれ、どんな環境でどう育ったのか。

 自らの生年月日に対する疑念から始まるこの物語は、ミステリーのように読み手を惹きつけながら進行していきます。ただしその過程において、母親の気性や立ち振る舞いなどから多くのヒントを仄めかしています。これは、山口瞳自身がずっと感じていたある予感をも表していると言えるのではないでしょうか。
 
 前半部分で、複雑な血族関係にある様々な親類縁者が、母に関する思い出とともに重層的に描かれていて、こうしたクドイともとれる説明的な面が、家計図モノが苦手な自分にはちょうど読みやすいぐらいでしたです。

 それにしても、どうしても素性のよく分からない"縁者"たちがいる...、それらを含め、意図的に封印されたと思われる一族の秘密を解き明かす旅が、後半の主要な部分です。そして一族の深い哀しみの歴史と、「血縁以上に濃い血の塊」に行きつく...。

 山口瞳が『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞したのは30代半ば。この『血族』を書いたのは53歳。それまでにも間接的に母親について触れたものはありましたが、やはり作家としてどうしても、56歳で亡くなった自分の母のことを書き記しておきたかったのでしょう。

 【1982年文庫化[文春文庫]/2016年[小学館・P+D BOOKS]】

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時代のギャップも感じる反面、賞与や福利厚生に関しては先進的な考えが見られる。

新入社員諸君8.jpg新入社員諸君 文春.jpg 新入社員諸君 角川.jpg 新入社員諸君.jpg
ポケット文春 ['66年]/角川文庫 ['73年]
(表紙イラスト:柳原良平)/ソフトカバー新装版

新入社員諸君 文春.jpg

 本書を久しぶりに再読してみると、冒頭の「新入社員に関する12章」には「社会を甘くみるな」「学者になるな」「無意味に見える仕事も厭がるな」「出入りの商人に威張るな」「タダ酒を飲むな」「仕事の手順は自分で考えろ」「重役は馬鹿ではない」...etc.結構いいことが書いてありました。でも今になって思うに、こうしたことは、実際にしばらく仕事をしてみないと、実感としてはなかなかわからないかもなあとも。

新入社員諸君N.jpg 今回読んだのは、角川文庫版('73年)の復刻新装版。実際に書かれたのは、昭和39('64)年の東京オリンピックの後ぐらいで、'66年に単行本(ポケット版)刊行されています。意外と古かった...。'73(昭和53) 年から'95(平成7) 年まで、毎年1月15日(成人の日)と4月1日に掲載されたサントリーの新聞広告に書いていた新成人・新入社員向けエッセイと、印象がダブっている部分もあったかも知れません。自分が在籍した広告代理店では、入社式の日にこの広告を読んだか新入社員に訊き、読んでいないと雷を落とす役員がいました(ある種、教育的効果を狙ったパフォーマンスなのだが)。山口瞳が亡くなったのは'95年8月で、今は同じく作家の伊集院静氏が書いています。

 まだ、終身雇用が当然の時代で、長期雇用を前提にしているから、人間関係の大事さを力説することになるのではとも感じました(今も大事ですが)。一方で、BG(今のOL)に対しては厳しくなるのです。これは、結婚退社するから長期戦力にならないという、著者の不信感の表れともとれます。

 社員が上司などに対する不平不満を言いながらも会社に守られていた時代のもので、今は会社が自分たちの雇用を守ってくれるのか、社員の方が会社そのものに対して不安を抱く時代なので、その辺りに多少(テーマによっては「かなり」)ギャップがあるのではと思います。それでも、不況という言葉が何度も出てきて、「会社は潰れぬと考えるな」とかあるのは、東京オリンピック後にあった短期間の不況と、執筆時期が重なるからではないかと思いますが、新卒入社した河出書房が倒産して寿屋(現・サントリー)へ転職したという、著者自身の経験からもくるものかも。

 忘年会・新年会、社員旅行、社員割引きを会社の三大愚挙としていたり、賞与が実質生活給になっているのはおかしいとするなど、福利厚生や賃金・賞与制度については、かなり先進的な考えが展開されていたのが新たな発見でした。

 【1966年単行本[文藝春秋新社]/1973年文庫化[角川文庫]/1996年ソフトカバー新装版[角川書店]】

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北の大地を流転した異能の持ち主と身寄りの無い少女の見えない心の絆。読後感がいい。

『白眼子』.JPG白眼子.jpg  白眼子2.jpg
白眼子』(2000/11 潮出版社) 『白眼子 (潮漫画文庫)』 ['06年]

 '00(平成12)年5月から9月に「月刊コミックトムプラス」に連載された作品で、昭和21年の北海道・小樽が舞台。戦災孤児となった少女・光子は、ある姉弟に拾われ一緒に暮らすことになるが、その弟の方は「白眼子」と呼ばれる「運命観相」を生業とする盲目の霊能者だった―。

 で、タイトルからしてホラー物かオカルト物という感じですが、ホラーではないですが確かにオカルティックなモチーフではあります。しかし、そうしたオカルト的関心を超えて、北の大地を転々とした異能の持ち主と、身寄りの無い少女の見えない心の絆を描いた、読後感の良い作品と言えるかと思います。

白眼子3.jpg ストイックで一見とっつきにくそうな「白眼子」に光子が徐々に信頼を寄せるようになる過程が、戦後間もない時代の北海道という背景とともに、うまく描かれていると思いました。途中で新聞記事が出てきて、「えっ、これ、実話?」と一瞬思わせますが、このような霊能力者は、作品の中にもあるように、戦地から帰らぬ出征者の行方を案ずる人や新たな商売や投機を始める人の需要に沿って、当時結構いたのではないだろうか。

 「人の幸・不幸は等しく同じ量」という達観したかのような「白眼子」の言葉が、この作品を読む過程では自然に受け容れることが出来、盲目の「白眼子」から光子がどう"見えた"かということが明かされるラストは、何かグッと心に沁み渡るものがありました。

 光子というコンプレックスの固まりみたいだった少女の成長物語にもなっていて、利己的で世俗的に見えた「白眼子」の姉も、本当のところはいい人だったみたいで、こうしたことも、読後感の良さに繋がっているのでしょう。

 【2006年文庫化[潮漫画文庫]】

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かなり自由に「卑弥呼」像を描いている。ヒミコと諸国の関係が掴め、勉強になる?

青青(あお)の時代 コミック 全4巻.jpg青青の時代0_.jpg青青(あお)の時代.jpg 『青青の時代』潮漫画文庫(全3巻)['04年]
青青(あお)の時代 コミック 全4巻完結(希望コミックス ) [マーケットプレイスコミックセット]

 '98(平成10)年に雑誌『comicトムプラス』(潮出版社)で連載がスタートした作品(1998年5月号~2000年2月号)。南の島で気のふれた祖母を世話しながら暮らす10歳の少女・壱与(イヨ)のもとへ、ある日伊都国から四の王子・狗智日子(クチヒコ)がやってきて、祖母と少女を伊都国へ連れて帰る。伊都国には、「聞こえさま」と呼ばれる大和(ヤマタイ)の巫女王・日女子(ヒミコ)がいて神託で国を治めていたが、少女の祖母は日女(ヒルメ)といい、ヒミコの姉にあたるらしいことがわかる―。

 『日出処の天子』などと同じく古代史ものですが、この作品のヒミコは凋落期にあり、伊都国の方も、男王の死没で王位継承争いが起きていて(この人、こうした血肉の争いをわかりやすく面白く描くのは本当にうまい)、ヒミコは権力抗争の道具になっており、ヒミコはヒミコで、自らの巫女王としての座を守ることに汲々としているという感じ。

 かなり自由に「卑弥呼」像を描いているという感じですが、人間臭い分、『日出処の天子』の厩戸王子(聖徳太子)ほどの清澄な凄みは感じられず、ストーリー的にも、壱与がやがてその後継者となって国を治めるはずですが、壱与を(特殊な能力を持ちながらも)普通の少女のように描いていて、巫女王になるところまでは描かれていないので、やや物足りない感じもしました。

 ラストで壱与は13歳になっていますが、これは壱与が巫女王になった年齢ではないでしょうか。(「卑弥呼以て死す。(中略)更に男王を立てしも、國中服せず。更更相誅殺し、当時千余人を殺す。また卑弥呼の宗女壱与年十三なるを立てて王となし、國中遂に定まる」―『魏志倭人伝』より)。島(沖縄?)に帰っている場合じゃないのでは...。

 でも壱与を助けるクロヲトコ(死体埋葬人)のシビや、王位を狙う狗智日子などのキャラクターの描き方はなかなかよく、最後まで飽きさせず、それなりに厚みのあるストーリーにはなっているように思いました。
 
 一般に「邪馬台国の女王・卑弥呼」という言われ方をしますが、ヒミコは大和連合共通の巫女王であるものの、連合と言っても、統一されておらず、国同士で覇権争いしている、その中の1国である伊都国に居て、伊都国には男王もいるのですが、巫女であるヒミコが次第に権威を増し、伊都国の政治の決定権を握ってしまっているという構図になっています。ヒミコと諸国の関係が掴めるので勉強になる?

 【2004年文庫化[潮漫画文庫(全3巻)]】

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「スーパー歌舞伎」でお馴染みの原作のマンガ化。面白い。「古事記」が身近に。

ミラクルマスター7つの大冒険 パンフレット - コピー.jpg2コナン・ザ・グレート.jpgヤマトタケル1.jpgヤマトタケル2.jpg ヤマトタケル.jpg

ヤマトタケル』(1987/12 角川書店)/コミック版[あすかコミックス(上・下)]「コナン DVDスペシャルBOX」「映画パンフレット「ミラクルマスター-七つの大冒険-」

ス-パ-歌舞伎.jpg '86(昭和61)年12月号から翌年7月号にかけて雑誌「ASUKA」に連載された、ヤマトタケルを主人公とした作者の古代史モノ作品の1つで、原作は、梅原猛が三代目市川猿之助の「スーパー歌舞伎」のために書き下ろしたものです。

スーパー歌舞伎 ―ものづくりノート (集英社新書)

 兄の大碓命(おおうすのみこと)を偶然殺してしまった小碓命(おうすのみこと)は、父天皇に疎まれ、熊襲(くまそ)討伐を命じられる。叔母から貰った「草薙の剣」を携え、熊襲を征した彼は、ヤマトタケルと呼ばれるようになる。さらに今度は蝦夷(えみし)討伐を命じられ、弟橘(おとたちばな)を妻としたタケルは、「草薙の剣」をもって蝦夷を征するが、途中で弟橘を失い、伊吹山で天皇の配下に追い詰められる―。

梅原 猛.jpg これぞまさに日本最古の悲劇的英雄を描く壮大な叙事詩といったところ。こうして見ると、ヤマトタケルの辿った運命はちょっと源義経と似たところがあるあなとか思いつつ、一気に最後まで読みました。ハードカバーに相応しい内容。面白いし、日本神話の勉強にもなります(梅原猛氏の歴史解釈は多分に恣意的であると思われるが)。

梅原 猛(1925-2019

ヤマトタケル (山岸凉子スペシャルセレクション 10) _.jpg この作者にしては珍しく、主人公のタケルがマッチョに描かれてる点が目を引きますが、アーノルド・シュワルツェネッガーとかシルヴェスター・スタローンの写真やビデオを参考にしたとのことです。アーノルド・シュワルツェネッガーの「コナン・ザ・グレート」('82/米)は絶対に参照しているなあ。

 ストーリーの方は、一応は梅原猛の原作を踏襲しながらも、タケルが女装して熊襲の頭領を欺く場面では、タケルの代わりに従者のタケヒコに女装させたりして(タケルをマッチョにしてしまった関係もあるのだろうが)、かなり柔軟に翻案されています。

ヤマトタケル (山岸凉子スペシャルセレクション 10)

 ヤマトタケルには戦争における軍神としてのイメージがあるし、弟橘を初めこの物語における女性の描き方が、男社会における男にとって都合のいい女性像ではないかとの指摘もあります。 弟橘は共同体のために犠牲になる個人、つまり人柱(ひとばしら)の象徴ともとれます。

 いろいろな見方はでき、個人的には梅原猛氏の歴史観そのものにも多々疑念を持っていますが(歴史家ではなく作家と見るべき)、こうして「古事記」を身近に感じることができるメリットというのはそれなりあると思いました。

アーノルド・シュワルツェネッガー コナン.jpgサンダール・バーグマン.png 「コナン・ザ・グレート」('82/米)は、アーノルド・シュワルツェネッガーの映画本格的デビュー作で(映画初出演作は「SF超人ヘラクレス」('69年)のヘラクレス役で、アーノルド・ストロングという名義でクレジットされている)、ジョン・ミリアスとオリバー・ストーンの共同脚本ですが、シュワちゃんは肉体は大いに披露するものの、まともなセリフは少ないです(似たような体格のスタントマンがいなかったため、スタントも自らこなすなどして頑張ったが、ラジー賞の"最低男優賞"になってしまった。一方、共演のサンダール・バーグマンは、ゴールデングローブ賞の年間最優秀新人賞に)。

アーノルド・シュワルツェネッガー(ジョン・ミリアス監督)「コナン・ザ・グレート」(1982)

 なぜ、あのアーノルド・シュワルツェネッガーの本格デビュー作がこのような作品になってしまったかというと、おそらく当時は演技力に関しては全く未知数であったということと(肉体美の方は確かだったが)、そもそも当時この手の古代冒険活劇譚とでも呼ぶべき映画が流行っていたということもあったのではないかと思われBeastmaster [Soundtrack].jpgBEASTMASTER.jpgます。「ジョーイ」('77年)のマーク・シンガー、「カリフォルニア・ドリーミング」('79年)のタニア・ロバーツ主演の「ミラクルマスター 七つの大冒険」('82年/米・伊)などもその類でした。コレ、「桃太郎の鬼退治」みたいな話だったなあ。最初のお供は雉ならぬ鷲と愛犬、途中からフェレットとか加わったりしたけれど。過去にビデオ化はされましたが、その後'06年現在DVD化されていないため、ある種カルト・ムービー化している作品かもしれません。

Beastmaster」[Soundtrack]

コナン DVDスペシャルBOX
コナン・ザ・グレート2.jpgコナン・ザ・グレート3.jpg「コナン・ザ・グレート」●原題:CONAN THE BARBARIAN●制作年:1982年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・ミリアス●製作:バズ・フェイシャンズ/ラファエラ・デ・ラウレンティス●脚本:ジョン・ミリアス/オリバー・ストーン●撮影:キャロル・ティモシー・オミーラ●音楽:ベイジル・ポールドゥリス●原作:ロバート・E・ハワード「英雄コナン」●時間:128分●出CONAN THE BARBARIAN 1982.jpg演:アーノルド・シュワルツェネッガー/ジェームズ・アール・ジコナン・ザ・グレート マックス・フォン・シドー.jpgョーンズ/サンダール・バーグマン/マックス・フォン・シドー/ベン・デイヴィッドスン/カサンドラ・ギャヴァ/ジェリー・ロペス/マコ岩松●日本公開:1982/07●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:新宿ローヤル(83-04-30)(評価:★★☆)
マックス・フォン・シドー(オズリック王)

ミラクルマスター 七つの大冒険2.jpg「ミラクルマスター 七つの大冒険」●原題:BEASTMASTER●制作年:1982年●制作国:アメリカ・イタリア●監督・脚本:ドン・コスカレリ●製作:バズ・フェイミラクルマスター7つの大冒険 パンフレット.jpgシャンズ/ラファエラ・デ・ラウレンティス●脚本:ポール・ペパーマン/ シルヴィオ・タベット●撮影:ポール・ペパーマンTanya Roberts BEASTMASTER.jpg●音楽:リー・ホールドリッジ●原作:ロバート・E・ハワード「英雄コナン」●時間:118分●出演:マーク・シンガータニア・ロバーツ/リップ・トーン/ジョン・エイモス/ジョシュア・ミルラッド/ロッド・ルーミス/ベン・ハマー●日本公開:1983/10●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:新宿東急(83-10-16)(評価:★★☆)
映画パンフレット 「ミラクルマスター-七つの大冒険-」 出演 マーク・シンガー/タニア・ロバーツ

タニア・ロバーツ in「カリフォルニア・ドリーミング」('79年)「シーナ」('84年)「007 美しき獲物たち」('85年)
カリフォルニア・ドリーミング タニア・ロバーツ.jpg シーナ タニア・ロバーツ.jpg 007 タニア・ロバーツ.jpg 

昭和31年完成の東急文化会館.jpg新宿東急 ミラノビル -2.jpg新宿東急.jpg新宿東急 1956年(昭和31年)12月、歌舞伎町「東急文化会館」(現・東急ミラノビル)地階にオープン(右写真:1960年ミラノ座新館開業時)→「新宿ミラノ2」2014(平成26)年12月31日閉館。

新宿東急ミラノビル4館(シネマミラノ・ミラノ座・新宿東急・シネマスクエアとうきゅう)2005年8月
新宿ミラノ会館4館 20051.08.jpg

 【1991年コミック版[あすかコミックス(上・下)]/2011年潮出版社[山岸凉子スペシャルセレクション 10]】

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歴史小説ファンで、少女漫画(家)を軽く見ている人に是非読んでもらいたい作品。

日出処の天子 (全8巻).jpg日出処の天子 第1巻.jpg 日出処の天子7.jpg 『日出処の天子 全7巻 (漫画文庫)
日出処の天子/全巻全話1-8完結:山岸涼子全集(あすかコミックスペシャル)角川書店〔マーケットプレイスコミックセット〕

 '80(昭和55)年から'84(昭和59)年まで雑誌「LaLa」連載、'86年に全集に収められ、'94年に文庫化された著者の最大のベストセラーで、'83(昭和58)年度・第7回「講談社漫画賞」受賞作。

 聖徳太子=厩戸王子(うまやどのおうじ)は超能力者で、しょっちゅう体外離脱し、離れたところにいる者の心を操ったり、旱魃の時に高気圧を動かして!雨を降らせたりした。また彼には強烈なマザーコンプレックスがあって女性を愛することができず、蘇我馬子(そがのうまこ)の息子・蘇我毛人(そがのえみし)を同性愛的に愛していたが、毛人が布都姫(ふつひめ)という女性を愛したためにその愛は報われず、厩戸王子は虚無感から狂女を妻に娶る―というスゴイ設定の話。

 漫画史に残ると言われる厩戸王子の漂白されたような透明感のある線描も含め、よくぞ聖徳太子をここまで妖麗な中性的存在(見た目むしろ女性に近い)に描いて"山岸流"に料理したなあという感じです。

 しかし一方、政治ドラマとしてのストーリー展開の方は、政権に絡む複雑な家系の人々を緻密に網羅し、彼らが入り乱れての男社会の権力抗争、権謀術数を史実にほぼ忠実に描いいて、そんじょそこらの歴史時代小説を圧倒する重厚さです。この辺りが、厩戸王子のかなりキワドイ人物像の設定にもかかわらず、この漫画が男性も含め多くの愛読者を得ている所以でしょう。ホントこの作者は、歴史大河小説を書ける力量が充分にあるのではと思わせます。

日出処の天子 完全版 コミックセット_.jpg 厩戸王子のキャラ設定で好悪は分かれるかもしれませんし、池田理代子氏などはこの作品に対する反発から『聖徳太子』(全7巻)を手掛けたともされているようですが(まだそちらは読んでいない)、歴史小説ファンでありながら少女漫画というものを軽く見ている人などには読んでもらいたい作品です。

メディアファクトリー完全版 コミックセット(MFコミックス)

 【1994年文庫化[白泉社文庫(全7巻)]/2003年白泉社ムック版(全7巻)]/2011年メディアファクトリー完全版 コミックセット(MFコミックス)】

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著者の『濹東綺譚』への思い入れが伝わってくる文芸評論的エッセイ。

安岡 章太郎 『私の濹東綺譚』.jpg私の 東綺譚.jpg  ぼく東綺譚.jpg
『私の濹東綺譚』(1999/06 新潮社)/『私の濹東綺譚』新潮文庫〔'03年〕/永井荷風『濹東綺譚』新潮文庫

 安岡章太郎が永井荷風の『濹東綺譚』への想いを込めて書き綴った文芸評論的エッセイで、'97年から'98年にかけて「Web新潮」に連載されたものを単行本化したもの。

「墨東綺譚」の挿画(木村荘八).jpg 横光利一の『旅愁』の毎日新聞での連載がスタートしたのが昭和12年4月13日で、永井荷風の『濹東綺譚』は、その3日後に朝日新聞での連載が始まったのですが(作者自身は前年に脱稿していた)、鳴り物入りで連載スタートしたヨーロッパ紀行小説『旅愁』(挿画は藤田嗣治)が、玉の井の私娼屈を舞台にした『濹東綺譚』(挿画は木村荘八)の連載が始まるや立場が逆転し、読者も評論家も『濹東綺譚』の方を支持したというのが面白かったです(荷風にしても、欧米滞在経験があり、この作品以前に『ふらんす物語』『あめりか物語』を書いているわけですが)。横光は新聞社に『旅愁』の連載中断を申し入れたそうですが、これは事実上の敗北宣言でしょう。

朝日新聞連載の『濹東綺譚』の挿画(木村荘八).

 『濹東綺譚』連載時、安岡章太郎はまだ中学生で、初めてこの作品を読んだのが二十歳の時だったそうですが、安岡の資質から来るこの作品への親近感とは別に、安岡にとってこの作品が浅からぬ因縁のあるものであることがわかりました。

 『濹東綺譚』の〈お雪〉のモデル実在説に真っ向から反駁しているのが作家らしく(モデルがいたから書けたという、小説とはそんな単純なものではないということか)、なぜ玉の井を舞台にした作品は書いたのに吉原を舞台にした作品は書かなかったのか(荷風は吉原の"取材"は精力的にしていた)、『濹東綺譚』の最後にある「作者贅言」の成り立ちやその意味は?といった考察は興味深いものでした。

 挿入されている新聞連載時の木村荘八の挿画や当時の玉の井界隈の写真などが、何か懐かしさのようなものを誘うのもいいです。

 【2003年文庫化[新潮文庫]】

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吉行淳之介、遠藤周作に先立たれた77歳の作家の"生と死"を見つめる心境。

死との対面.jpg  『死との対面―瞬間を生きる』(1998/03 光文社) 安岡 章太郎.jpg 安岡 章太郎 氏

 安岡章太郎が編集者との何年かにわたる談話筆記に手を入れたもので、死生観、文学観から社会批評まで話題は広いのですが、平易な文語体のエッセイとして読みやすくまとまっていています。平成10年の出版ですが、77歳の作家の"生と死"を見つめる心境とみていいのではないでしょうか。

 前半部分では、南満州の戦地でのこと、復員後にカリエスという大病をし、その中で小説を書いたこと、最近亡くなった仲間たちのことなどが書かれていて、人の生死は「運」というものに左右されることを、経験的に述べています。彼は戦地で肺結核に罹り、やがて本国に送還されてしまうのですが、そのため南方戦線へ行かずに済んだわけです。とは言え、戦地の病院に入院したときに同室で亡くなった兵士もいたわけですが、憐憫の情が湧かなかったと言っています。戦場や病院では、自分のことを考えるのが精一杯で、退院していく人間に対して強い嫉妬を抱くこともあるというのは、戦争に行った人間の実感でしょう。

遠藤周作.bmp吉行 淳之介.jpg 平成6年に亡くなった吉行淳之介、平成8年に亡くなった遠藤周作の、亡くなる直前の様子などが、淡々と、時にユーモアを交え書かれていますが、やはり友人を失った寂しさのようなものが伝わってきます。著者を含め3人とも"病気のデパート"みたいな人たちだったわけですが、生き残った者の中にこそ「死」はあるという気がしました。

 安岡は66歳のときにカトリックの信者となっていて、その辺りの経緯が後半に書かれていますが、宗教というものを文化的に分析していて、自身は特に悟ったフリをするでもなく、むしろ自らの残りの人生の課題を見つめようとする真摯な姿勢が窺えました。

 '00年に『戦後文学放浪記』(岩波新書)という文壇遍歴を書いていますが、内容的には、全集の後書き的な『戦後文学放浪記』よりも、この『死との対面』の方がいい(『戦後文学放浪記』で一番面白かったのはやはり吉行淳之介について書いているところ)。岩波よりも光文社の方が、編集者が上手だったのか、よくわからないけれど...。ただし、この2冊を読むことで、戦中派文学の佳作とされる『海辺(かいへん)の光景』を再読してみる気になりました(アルツハイマーの母を看取るというかなり重いモチーフの作品です)。

【2012年文庫化[知恵の森文庫]】

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「なまけもの」とは何に対するアンチテーゼなのか考えながら読む。

ななけものの思想角川.png (表紙イラスト:山藤章二) 軟骨の精神 単行本.jpg 軟骨の精神.jpg(表紙装丁:田村義也)
なまけものの思想』 (1973/05 角川文庫)/ 『軟骨の精神 (1968年)』/ 講談社文庫

 同じ「第三の新人」のエッセイで、遠藤周作の"ユーモア"に対し、安岡章太郎のものには"エスプリ(機知)"があると言われますが、〈河盛好蔵〉流に言えば、"ユーモア"は自虐的な性格を持ち、"エスプリ"には軽い攻撃的要素があるとのこと。
 その"攻撃"するはずの安岡自身が、自らを「劣等生」「なまけもの」というように位置づけているので、構造的にやや複雑な感じがしますが、軽い読み物としても楽しく読めます。

 実際に安岡は、高校時代から不良学生で、大学受験にも何度か失敗し、「劣等生」としての生き方を早々と身につけてしまったような感じもしますが、軍隊でも落ちこぼれ、さらに脊椎カリエスという大病をしたことが、やはり彼の「なまけもの」思想を決定づけたのではないかと思います。

 安岡の言う「なまけもの」とは単に何もしない人間のことを言うのではなく、また、動かざること山のごとく、何があってもビクともしない自信家でもなく、では何かとなると、「それは心に期するところあって働きたがらぬ者、或いは、心に悩みつつも動かぬ者のことである」と。
 これって"ひきこもり"じゃないの? とも思われそうですが、吉行淳之介の「軽薄のすすめ」が"重厚"に対するアンチテーゼなら、安岡の「なまけものの思想」は何に対するアンチテーゼなのか、考えながら本書を読むと面白いと思います。

 遠藤、吉行、阿川弘之といった同世代の"悪友"たちとの交流をはじめ、他の作家の話も面白く描かれています。
 佐藤春夫や井伏鱒二が大先輩、五味康祐や柴田連三郎がやや先輩、安部公房がやや後輩、江藤淳、大江健三郎がだいぶ後輩になるといったところでしょうか。文壇での年季を感じます。

 本書は'73(昭和48)年に角川文庫で刊行され、同じ年に講談社文庫に収められた『軟骨の精神』('68年単行本初版)などと併せて楽しく読みました。'94年には文庫版を元本とした復刻新装版も出ていますが、このエッセイが実際に書かれたのは昭和30年代なので、男女のことや世相のことについて触れた部分に時代の隔たりを感じる面があるのは否めないかと思います。

 『なまけものの思想』...【1978年文庫化[角川文庫]/1994年ソフトカバー新装版[角川書店]】

「●む 村上 龍」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●も ギ・ド・モーパッサン」 【1517】 ギ・ド・モーパッサン 『脂肪の塊

いろなものを詰め込みすぎて、ワイドショー的な皮相のレベルに止まる。

希望の国のエクソダス.jpg  『希望の国のエクソダス』 (2000/07 講談社) 希望の国のエクソダス2.jpg 文春文庫 〔'02年〕

 2002年、失業率は7%を超え、円が150円まで下落した日本経済を背景に、パキスタンで地雷処理に従事する16歳の少年「ナマムギ」の存在を引き金にして、日本の中学生80万人がいっせいに不登校を始める―。

 '98年から'00年にかけて「文藝春秋」に連載されたもので、「近未来小説」ということになるのでしょうが、中学生たちのネットワークのリーダーが国会に参考人として招致され大人たちと渡り合ったり、ネットビジネスで巨万の富を得たり、自分たちの独立国に近いコミュニティを築き上げたりするところは、「近未来ファンタジー」といった感じではないでしょうか。

 自らのサイトで「今すぐに数十万を越える集団不登校が起これば、教育改革は実現する」と述べていた著者が、その考えを小説化したものともとれ、確かに導入部はかなり引き込まれ、単行本刊行時の評価も高かったように思います。

 しかし、フリージャーナリストの「おれ」を通して描かれる中学生たちは何か異星人のようで、各地で起こる騒動もニュース報道として描かれており、彼らがどうやって組織化されたのかもよくわからない。

 「おれ」が自分の彼女と懐石料理を食べる場面で、「おれ」に料理の蘊蓄を語らせ、彼女の口を借りて新聞記事から引き写してきたような経済解説をさせている場面には、少しシラけてしまいました(以下、様々な登場人物が、新聞やインターネットの様々な記事を模写的に語っているという感じの描写が多い)。

 作者は本当に教育の現状を憂えてはいるのでしょうけれど、金融・経済、IT、メディアといろいろなものを詰め込みすぎて、何れもワイドショー的な皮相のレベルに留まり(小説の中で語られる経済予測は、その後外れているものの方が多い)、小説としても、この国にとって「希望」とは何かを描いたものだとすれば、消化不良のまま終わっているような気がしました。

 【2002年文庫化[文春文庫]】

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「●「谷崎潤一郎賞」受賞作」の インデックッスへ

予言的? 社会問題的モチーフを並べて、無理矢理くっつけた?

共生虫.jpg 『共生虫』 (2000/03 講談社) 共生虫2.jpg 『共生虫 (講談社文庫)』 ['03年]

 2000(平成12)年度・第36回「谷崎潤一郎賞」受賞作。 

 ある"長期ひきこもり"の青年が、インターネットにより偶然知った、女性ニュースキャスターのHPの裏サイト「インターバイオ」を通じて、絶滅をプログラミングされた「共生虫」というものを自らが宿しているという確信を持ち、凄惨な殺人へと駆り立てられていく―。

 '98年「群像」で連載開始、翌'99年10月に連載終了しましたが、その直後、"ひきこもり"的生活を送っていた青年による「京都"てるくはのる"児童殺害事件('99年12月)」や「新潟幼児長期監禁事件('00年1月)」が起き、精神科医・斎藤環氏の『社会的ひきこもり-終わらない思春期』('98年/PHP新書)とともに、"ひきこもり"事件やその社会問題化を予言したかのように注目を浴びました。

 本当にタイミング的には予言者みたいだと感心してしまいますが、「ひきこもり・インターネット・バイオレンス」の三題噺にテーマが後から付いて来る感じで、小説的には何が言いたいのか今ひとつ伝わってきませんでした(あとがきで、最終章を書いているときに「希望」について考えたとありますが、最初は何を考えていたのか?)。

 前半部分の第1の殺人は、神経症・統合失調的なシュールな描写が作者らしいのですが、マインド・コントロール的な組織「インターバイオ」とのやりとりは『電車男』('04年/新潮社)の裏バージョンみたいで(その点でも予言的?)、第2のリベンジ(?)的な殺人は、お話のために設定した殺人で、むしろこっちの方がリアリティが無いように思えました。

 社会問題的モチーフを並べて、無理矢理くっつけたという感じがする...。
 専門家である斎藤環氏は、「ひきこもり」と「インターネット」の結びつき相関が実は低いことを指摘していますが、これは作者にとって結構キツイ指摘ではないでしょうか。
 ただ、一般的なイメージは斎藤氏の言うのとは逆に、「ひきこもり」と「インターネット」を結びつける方向で形成されているように思われ、この小説もそのことに"貢献"したのかも。

 【2003年文庫化[講談社文庫]】

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「●「読売文学賞」受賞作」の インデックッスへ

"外部者の侵入"に耐えない脆弱な日本人? サイコミステリーっぽく、一気に読ませる。

イン ザ・ミソスープ.jpg  『イン ザ・ミソスープ』 (1997/09 読売新聞社) 村上龍.png 村上 龍 氏

 1997(平成9)年度・第49回「読売文学賞」受賞作。

 外国人向けの性風俗ガイドをしている20歳のケンジは、フランクと名乗るアメリカ人の依頼で、年末の夜の新宿の街を3晩、彼にアテンドすることになるが、フランクの人工皮膚を貼ったような顔は、なぜかケンジに、歌舞伎町で売春をしていた女子高生が惨殺されゴミ処理場に捨てられたという事件を思い起こさせた―。

 歌舞伎町の風俗産業の実態がよく取材されているようですが、そうしたものはこの作品の前後にも世に腐るほどあり、この作品でむしろ引き込まれるのは、フランクの異常性がちらちらと見え隠れして恐ろしい事件の勃発を予感させる、サイコミステリーっぽい仕立てにあることは間違いないでしょう。
 事件後もフランクと一緒にいるケンジの思考や行動にもリアリティがあり、最後のフランクの独白も重いものでした。
 
 "異常者"フランクの口から、自我の曖昧な日本人やぬるま湯のような日本社会に対する"まともな"批判がなされる、そのコントラストがひとつの妙と言えると思いますが、やや彼の口から語られ過ぎの感じも。
 ケンジの思考の中にも変に"オジさん"(作者自身?)っぽいものが入っていたりし、話題になった残虐な事件場面はややスプラッタ・ムービー調であるなど、瑕疵もそれなりに多い作品だという気がしますが、全体としてはフランク個人の眼を通して、日本人というものの脆弱さ、甘え、もたれあいといった精神性を投射していることが成功していると思いました。
 ぬるま湯状況の日本社会が"外部者の侵入"に晒されたら...という仮定において、後の、『半島を出よ』('05年/幻冬舎)などにも通じるところがありますが、話を広げ過ぎないことで、こっちの方がリアリティが保てていて怖い感じ。

 この小説で個人的に一番"買う"のは、「テンポ」の良さです。
 最近の著者の小説(『半島を出よ(上・下)』('05年/幻冬舎)など)のようなインターネットから引き写した如くの経済解説や時事ネタの挿入が少なく、3晩の出来事を筆一本で一気に押していくという感じで、これは新聞連載でちびちび読むタイプの小説ではないような気がしました(この小説は読売新聞に連載されたもので、連載終盤に神戸での児童連続殺傷事件('97年5月)が起きたことでも、予言的?であると話題になりましたが)。

 【1998年文庫化[幻冬舎文庫]】

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自伝的青春小説。エネルギッシュ・自己分裂的・反抗的・純情な青春の特質が描けている。

69 (sixty nine).jpg  『新装版 69 Sixty nine』 2004年新装版  69 文春文庫.jpg 文春文庫 〔'07年〕

 '69年の地方の高校を舞台に、17歳の"僕"を主人公にその周囲の仲間、大人たちを描いた著者の自伝的青春小説で、'84年から'85年にかけて女性誌「MORE」に連載。

 その直前に男性誌「BRUTUS」に連載していた『テニスボーイの憂鬱』('85年/集英社)が今ひとつ肌に合わず、そのイメージがあって本書にも長らく手をつけずにいたところ(長すぎ?)、本書は村上龍のファンにもとりわけ好評で映画化もされたということで、今回初めて読んでみたらなかなか良かったです。

 著者が30代前半で振り返った自らの高校時代ということになりますが、作中においては、著者は地方のやや田舎臭い地平にスンナリ降り切って17歳の主人公の目線になっています。
 一方で、自分の分身である"僕"を戯画化している部分もありますが、これが生き生きしていて、かつ著者の愛着がこもっている感じのものになっているように思えました。
 混沌とした時代の息吹と、自己矛盾に満ちた青春の葛藤がコミカルに描けていて、明るくてパワーがあり、青春小説に欠かせない甘さと切なさも、大人たちへの反抗もあります。

 "特大文字"の使用も効果的で、「というのは嘘で」という表現も、前段を全否定するのではなく、前段と後段がそれぞれに、考えることと出来ることの落差になっていているような感じで、同じく効果的。
 ギャップを抱えたまま存在する、自己分裂的な"青春"時代の特質を表していると言え、全体を通して、それをエンターテインメントに仕上げている。
 最後に登場人物のその後を記した、映画「アメリカン・グラフィティ」('73年/米)のエンディングのような終わり方にも、しみじみさせられます。、

 70年安保の時代の佐世保、進学校ながら多彩な生徒や教師のいる地方高校といった時間的・地域的特殊性があるのに、団塊世代だけでなく若い読者にも受けるのは、エネルギッシュで自己分裂的、反抗的で純情ひたむきな青春の普遍性が描けているからだと思いました。

 【1990年文庫化[集英社文庫]/2004年単行本新装版[集英社]/2007年再文庫化[文春文庫]】

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ファンでも人によって作品ごとに好き嫌いがかなり割れそうなラインナップでは?

村上 春樹 『東京奇譚集』.jpg東京奇譚集.jpg 東京奇譚集2.jpg 表紙絵:榎俊幸
東京奇譚集』(2005/09 新潮社)/新潮文庫['07年]

 編集者で辛口批評家でもあった安原顕(1939-2003)が、『ダンス・ダンス・ダンス』('88年/講談社)以降の村上春樹の小説を認めず、『ねじまき鳥クロニクル』('94年/新潮社)なども初期作品に比べまったく駄目だと酷評していたのに、連作スタイルの『神の子どもたちはみな踊る』('00年/新潮社)が出た途端に、「どえらい傑作」「十数年ぶりの感動!」と、その書評集『「乱読」の極意』('00年/双葉社)において絶賛していました。『羊をめぐる冒険』('82年/講談社)以降の著者の著者の小説(長編)に馴染めないでいる自分も、本書を読み始めて、その時の安原氏と同じような状況になるかなと一瞬期待感を持ったりしました(本書は長編小説ではなく、表題どおりアンソロジーですが...)。

 「偶然の旅人」、「ハナレイ・ベイ」、「どこであれそれが見つかりそうな場所で」、「日々移動する腎臓のかたちをした石」、「品川猿」の5編を収録していますが、エッセイ風の書き出しで始まる冒頭の「偶然の旅人」が良かったです。

 知人のピアノ調律士から聞いた話というスタイルで、ゲイである彼が1冊の海外小説を通して偶然知り会った女性がきっかけで、過去に 断ち切れたある絆を回復するのですが、ミステリアスで且つ味わいがあります。最後に著者の視点に戻って(つまりエッセイ風の視点で)「神様」という言葉が出てきますが、志賀直哉の「小僧の神様」について、作者こそ「神様」であることを示したのではないかという見方があることを思い出しました。

 「どこであれ...」はタイトルやスタイルに翻訳モノ(探偵小説)の味わいがあり、最後の「品川猿」も悪くない(「地下鉄銀座線における大猿の呪い」という著者のエッセイを思い出した)。

 '06年にオコナー賞を受賞した著者ですが、その対象となった英訳短編集にも収録されていたこの「品川猿」などを筆頭に、村上春樹のファンでも人によって作品ごとに好き嫌いがかなり割れそうなラインアップという感じがして、個人的にも、「日々移動する腎臓...」などは、全然イイとは思わなかったのですが、まだ短篇の方が長編小説よりも自分の肌に合うのか、アンソロジーを読むと、その中に幾つかアタリが確実にあるという感じでしょうか。

 【2007年文庫化[新潮文庫]】

《読書MEMO》
榎俊幸(画家)
榎俊幸162.jpg

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物語が物語として成立していないような気がした。

海辺のカフカ 上.gif 海辺のカフカ下.gif 海辺のカフカ 全2巻 完結セット _.jpg  アフターダーク.gif アフターダーク 文庫.jpg
『海辺のカフカ』 単行本(上・下) 『海辺のカフカ 全2巻 完結セット (新潮文庫)』  『アフターダーク』('04年/講談社) 『アフターダーク (講談社文庫)』(装丁:和田 誠/写真:稲越功一)

 15歳の少年カフカと猫と話ができる老人ナカタさんの話が並行して進んでいくあたりでは期待感を持って読んでいたのですが、ジョニー・ウォーカーやカーネル・サンダースが出てくると、これはステーブン・キングの本かと思ってしまうような雰囲気になり、空から魚が降ってくる場面に至っては、メタファーというより、ただ唐突な印象を受けました。

 大島さんという捉えどころの無い女性の対極に、ホシノさんという気のいいリアリティのある人物を配していたり、そのあたりがまた『源氏物語』に登場する生霊や夏目漱石の『坑夫』などのイメージとパラレルになっていたりする複雑な文学的伏線があるようで、"力作"という印象さえ受けるのですが、個人的には、まず物語(少年が大人になる話?)が物語として充分に成立していないのではないかという気がしました(大人になれたのかよくわからない)。

 本書出版直後に公式ホームページで読者とやりとりをした往復メールをネットで閲覧しましたが、自分なりに深読みして納得してくれる読者は大勢いるようです(この内容は『少年カフカ』('03年/新潮社)という本になって出版されています)。

となりのカフカ.jpg 一般読者だでけでなく、関川夏央、川上弘美といった読書子が'02年の文芸小説ベスト3に挙げていて、海外でも、今までのムラカミの小説同様、一般の読者の高い評価を得ているようです。一方で、「これを最後まで読むのは正直辛かった」とういう日本の評論家(川本三郎)もいますが、自分の感想もそれに近いものでした。

 『となりのカフカ』(池内紀著/'04年/光文社新書)という本に"海辺のカフカ"の写真があり、要するにフランツ・カフカが海水浴場にいるスナップ写真ですが、意外とこんなものがタイトル・モチーフになっていたりして...。
池内紀 『となりのカフカ (光文社新書)』 ['04年]

 
 本作の次の長編『アフターダーク』('04年/講談社)も読みましたが、こちらの方はメタファーを排して、カメラ目線で東京の夜を追った物語でしたが、こうなると今度は翻訳調の会話文以外は著者らしさも無くなってしまい、通俗(風俗?)小説のようになってしまう...(評価★★☆)。毎回、果敢に〈文学的実験〉を試みているのは立派かも知れませんが、それにファンもよくついていくなあと感心。自分としては、著者のエッセイは好きですが、「長編小説」に関してはある時期からずーっと、「村上春樹よ、どこに行く?」という感じがしています。

 『海辺のカフカ』...【2005年文庫化[新潮文庫(上・下)]】/『アフターダーク』...【2006年文庫化[講談社文庫]】

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「●スポーツ」の インデックッスへ

楽しい珍道中もあり、熱い感動もあるシドニー・オリンピック取材記。

シドニー.gif  シドニー0.jpg シドニー1.jpg
シドニー!』('01年/文芸春秋)  講談社文庫 ()〔'04年〕

 雑誌「ナンバー」に連載した'00年のシドニー・オリンピックの取材記ですが、オリンピックというもの自体に懐疑的で、競技としては最初から〈マラソン〉と〈トライアスロン〉にしか興味が無い著者は、むしろ競技場の外で見聞きしたものに対する記述に余念がありません。

 わざわざシドニーから1,000キロも離れたブリスベンまで見に行ったサッカーにしても、試合そのものより往復の"珍道中"とでも言うエピソードを楽しく書いています。しかし、やはりこれだけの質と量のものを短期間に書き上げる筆力はさすがだと思いました(著者自身も初めてのことだったようですが)。

 オリンピック取材に行って、地元紙のオリンピックに全然関係ない三面記事に言及したり、コアラの生態のことを事細かく書く人もあまりいないと思いますが、オーストラリアという国の歴史や先住民族アボリジニーについて丹念に書いた人もあまりいなかったのではないでしょうか。

シドニー!0609.jpg 高橋尚子が優勝した女子マラソンの描写にはさすがに熱が入っていますが、アボリジニー出身の陸上選手キャシー・フリーマンの女子4百メートル決勝の描写では、それ以上に筆致が冴えわたり、読む者を感動させます。

 結果的には、スポーツ雑誌「ナンバー」のコンセプトに沿ったかたちになりましたが、むしろ著者自身のスポーツマインドから来る感動が熱い言葉となってほとばしったと見るべきでしょうか。この著者にしては珍しいと思いました。

 【2004年文庫化[文春文庫(「コアラ純情篇」・「ワラビー熱血篇」全2巻)]】

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「●あ 安西 水丸」の インデックッスへ

のんびり読めるアメリカ学園都市滞在"絵日記"。

うずまき猫のみつけかた4.jpg うずまき猫のみつけかた 安西水丸.jpg  村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた (新潮文庫).jpg 
うずまき猫のみつけかた―村上朝日堂ジャーナル』['96年/新潮社]/新潮文庫
表紙絵・挿画/安西水丸

MA.gif 前作『やがて哀しき外国語』('94年/講談社)に続く著者の〈アメリカ滞在記〉ですが、居所をプリンストンからマサチューセッツ州ケンブリッジ(人口10万ほどの都市で、学園都市として知られている)に移しています。

Tufts University.jpg 著者は'93年から2年間この地に滞在していて、タフツ大学での講義に際して漱石など日本の近代小説を読み直したり、英文小説を読んだり翻訳したり、また、自らの小説を書いたり、ボストンマラソンに出たりといろいろ精力的に活動しているのが窺えますが、滞在記としての文体そのものは、「村上朝日堂ジャーナル」と冠している通り、適度に軽いタッチ("ハルキ調")となっています。 Tufts University

うずまき猫のみつけかた0598.jpg エッセイとしては前々作である『遠い太鼓』('90年/講談社)でもそうですが、このあたりの軽妙さは同じ時期に書いていた長編小説と補完関係にあるようです(『ねじまき鳥クロニクル』の後半部を書いている時期だと思うのですが)。

mizumaruart2.jpg 村上氏の奥さん(村上陽子氏)撮影のケンブリッジ界隈や街のノラ猫を撮った写真(見ていると何だかのんびりした気分になる)と、安西水丸氏のイラストと、その両方を文章と合わせて楽しめます。
 奥さんとのコラボレーションは、大江健三郎氏のエッセイ(大江ゆかり氏の挿画が入ったもの)を想起させました。

 途中、中国モンゴルと千葉の千倉海岸を旅行していて、いきなり千倉海岸の海の家の写真が出てくるかと思えば、滞在中に足を伸ばしたジャマイカの海辺の写真があったりしますが、不思議と違和感がありません。

 初版本には"専用しおり"がついていましたが、そこにある水丸氏の絵は子どもの絵日記によくある絵のようにも見え、本全体のコンセプトも"絵日記"といったところでしょうか
 「車盗難事件」など小事件はあったものの、ケンブリッジは静けさに満たされた、本当に「学園都市」という感じで、著者も「のんびり読んで」とあとがきで言っています。
 こういうのを読んでいると、一方で長編小説と格闘している作家の姿は見えないし、見せないのがこの作家の基本スタイルなのでしょう。

うずまき猫のみつけかた3.bmp 村上朝日堂シリーズの1冊であるのに、安西水丸氏の名前が表紙にないのは何故? 2008年の単行本新装版では「村上朝日堂ジャーナル」という冠も外しているところからすると、前作『やがて哀しき外国語』('94年/講談社)の系譜に連なるものとして再整理されたのではないでしょうか。

単行本新装版(2008年)

 【1999年文庫化[新潮文庫]/2008年単行本新装版】

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吉行淳之介作品の"再翻訳"作業に見る「面白うて、やがて哀しき...」。

やがて哀しき外国語.jpg やがて哀しき外国語 2.jpgやがて哀しき外国語』〔'94年〕 やがて哀しき外国語2.jpgやがて哀しき外国語(講談社文庫)』〔'97年〕(表紙イラスト:安西水丸
NJ.gif
 前作『遠い太鼓』('90年/講談社)が旅行滞在記であったのに対し、このエッセイはニュージャージー州プリンストンに'91年から2年半腰を落ち着け(後半の1年はプリンストン大学で日本文学を教えるのですが)、アメリカの社会と文化の中での生活を描き、それらを通して、日本および日本人、さらには日本文学や日本語について考察したものになっています。と言っても基調にあるのは生活者の視点で、日々の出来事などが独特の文体で軽妙に綴られている部分も多く、楽しく読めます。

Princeton University.jpg プリンストン大学で日本文学を教えるにあたり"第三の新人"を選んだことに興味を持ちました(因みにプリンストン大学は、かつて江藤淳が留学して後に教鞭をを執った大学であり、また、村上春樹の後は大江健三郎も同大学の客員講師として招かれている)。

Princeton University

 吉行淳之介の「樹々は緑か」(「砂の上の植物群」の習作)の英訳版を読んで「クラシック音楽の古楽器演奏にも似た」面白みがあるとしています。さらにその英訳版を日本語に、「帰国子女的」に再翻訳して(ここでも面白がっている)、自らの訳文を原文と比較をしていますが、この作業を通して日本語と外国語の埋めようもない溝を浮き彫りにしています(やがて哀しき...か)。

 プリンストン滞在中に書かれた小説が『国境の南、太陽の西』('92年/講談社)『ねじまき鳥クロニクル』('94年/新潮社)などであり、プリンストン大学での講義内容は、『若い読者のための短編小説案内』('97年/文藝春秋)に反映されています。

 小説書きながらエッセイもしたため、大学で講義もし、またその内容を本にする...精力的かつ効率的だなあと感心させられます。こうしたペースを維持する場合、日本の大学で教えるよりは海外の大学で教えるのがいいのでしょう。夏目漱石が、早く小説書きに専念したくて、大学に何度も辞職願を出しながら、なかなか辞めさせてもらえなかったという話を思い出しました。春樹氏の方は、'05年から米国のハーバード大学で教えていますが、今度も同様、(講義をしながら執筆活動もする)「ライター・イン・レジデンス」という立場のようです(そう言えば、江藤淳もプリンストン大学で教鞭をとりつつ文筆活動を続けていた)。

 【1997年文庫化[講談社文庫]】

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「●地誌・紀行」の インデックッスへ

ギリシャの鄙びた島々での暮らし、人々と触れ合いが楽しい。

遠い太鼓.jpg遠い太鼓1.jpg遠い太鼓』〔'90年〕遠い太鼓2.jpg遠い太鼓 (講談社文庫)』〔'93年〕

 村上春樹が37歳から40歳までの3年間を、イタリア、ギリシャの各所で過ごした際の旅行滞在記で、時期的にはちょうど『ノルウェイの森』('87年/講談社)などを書いていた頃と重なります。

 著者のエッセイの中で、個人的には特に良いと思った作品です。この旅行記における自らの立場を、観光的旅行者でも恒久的生活者でもなく、「常駐的旅行者」だったとしています。イタリア、ギリシャの各所を旅してそこで暮らすことで、当然様々な不便やトラブルに遭遇するわけですが、それらと向き合い対処していく様には、求道者的な姿勢さえ感じます。

遠い太鼓0602.jpg しかし全体としては軽妙な"ハルキ調"が随所に見られ、「地球の歩き方」の上級編、ユーモア版のようにも読めてしまうのです。とりわけ、ギリシャの鄙びた島々での暮らしや人々との著者なりの触れ合いなどが読んでいて楽しかったです。クレタの"酒盛りバス"の話とかは、結構、と言うかムチャクチャ笑えました。一見気儘に書いているように見えて、それらが巧まずして(或いは"巧みに")地に足の着いた異文化論にもなっています。

 作家が海外で暮らすということはそれなりに理由があるはずですが、著者はあえて「ある日突然、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。それは旅に出る理由としては理想的であるように僕には思える」としています。このあたりに、著者のスタイルを感じました。

 【1993年文庫化[講談社文庫]】

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だらだらと気楽に読め、ときどきニンマリさせられるシリーズ。

『村上朝日堂はいほー!』.JPG村上朝日堂はいほー 文庫.jpg     村上朝日堂はいほー.jpg
新潮文庫(イラスト:安西水丸)『村上朝日堂はいほー!』['89年/文化出版局]

 著者のエッセイシリーズ「村上朝日堂」は、だらだらと(?)気楽に読め、ときどきニンマリさせられるようなことが書かれている点が好きなのですが、本書も、「白子さんと黒子さんはどこに行ったのか?」とか、「村上春樹のクールでワイルドな白日夢」など、まずタイトルからして引きつけられます。

 「村上朝日堂」シリーズを初期のものから刊行順に並べると、ざっと次のようになります(『日出る国の工場』('87年/平凡社)も「新潮文庫」では一応このシリーズに入っているようです)。

 ◆『村上朝日堂』('84年/若林出版企画)'82〜'84年「日刊アルバイトニュース」連載
 ◆『村上朝日堂の逆襲』('86年/朝日新聞社)'85〜'86年「週刊朝日」連載
 ◆『村上朝日堂はいほー!』('89年/文化出版局)「ハイファッション」連載のエッセイが中心('83〜'88年)
 ◆『うずまき猫のみつけかた-村上朝日堂ジャーナル』('96年/新潮社)'94〜'95年「SINRA」連載
 ◆『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』('97年/朝日新聞社)'95〜'96年「週刊朝日」連載

 これを見ると、「週刊朝日」の「週刊村上朝日堂」の連載には著者の海外移住のため約10年のブランクがあり、本書『はいほー!』は、最後に日本で書いたエッセイ集というところでしょうか。雑誌掲載の35編から23編を選んでそれに他誌に書いたものなど8編を加えた31編で構成されていますが、連載の途中から「海外生活」に入ることになり、出発前の"一挙7本書き"というのもやったらしいです。

 「『うさぎ亭』主人」のような、行きつけの定食屋さんでぜんまいの煮物を食べた話のすぐ後に、ビリー・ホリデーの話や「チャールストンの幽霊」みたいな話がくるのが、この時期らしく、また著者らしいです。

The scrap.jpg シリーズの他の本が最初から安西水丸氏とのタッグなのに対し、本書単行本のイラストは高橋常政氏で(新潮文庫版では安西水丸氏)、これだけでも他と雰囲気が違ってくるのが面白いですが、体裁も 『'THE SCRAP'―懐かしの1980年代』('87年/文藝春秋)などと同じペーパーバックス(B6縦長変形)サイズで、エッセイの中に英文タイトルのものもあり、多少、『THE SCRAP』の雰囲気的に重なる部分もあります。

'THE SCRAP'―懐かしの1980年代

 このシリーズ、『村上朝日堂 夢のサーフシティー』('97年/朝日新聞社)以降、自らのホームページのコンテンツをまとめたスタイルになって、あまりにファンクラブ的になりすぎたような気もします。

 【1992年文庫化[新潮文庫]】

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村上・安西コンビの「工場」見学記。楽しく気軽に読める。

日出(いず)る国の工場 大.jpg日出(いず)る国の工場.jpg         日出(いず)る国の工場.jpg  『日出る国の工場 (新潮文庫)
日出(いず)る国の工場』 単行本 ['87年]  

小岩井農場IMG_0597.jpg '86(昭和61)年に、村上春樹がイラストレーターの安西水丸を伴って行った工場見学の記録。

 訪問先として選んでいる「工場」というのが、人体標本を作る会社だったり結婚式場だったり消しゴム工場だったりするのが面白く、ほのぼのとした中にも意外性や素直な驚きがあり、それは多分読者も共感するところで、そういうのを引き出す点が実にうまいのですが、このころからこの人にはインタビュアーとしての才があったのかもしれないと思わせるものです。

日出(いず)る国の工場 irasuto.jpg その「素直な驚き」とは、ある種の合理性に対する驚きのようなもので、カツラだって流行のモードだって経済合理性のなかで作られているというのだという村上氏の醒めた目線が窺えた気もします。

 一番印象に残ったのは、「経済動物たちの午後」と題された「小岩井農場」見小岩井農場IMG_0595.jpg学記で、ホルンスタインというのは、生まれた仔牛が牡(オス)であれば一部種牛になるものを除いて生後20ヶ月ぐらいで加工肉となり、牝(メス)牛も乳の出が悪くなればすぐに加工肉となるので、寿命を全うすることは無く、まさに"経済動物"であるという...なんだか侘しいなあ。

 とは言え、安西水丸氏のどこかのんびりした挿画も楽しく、全体として気軽に読め、笑えるところも多いです。
 この本の前向きなタイトルからも察せられるとおり、この"明るさ"は、本書がバブル期の"いい時代"に出版されたものであるということもあるのでしょうけれど。
 さらに穿った見方をすれば、その中で著者は、"経済動物"に象徴される"消費される者の哀しさ"のようなものを見据えていたということでしょうか。

 【1990年文庫化[新潮文庫]】

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「●あ 安西 水丸」の インデックッスへ

バーチャルな読書空間を提供している安西水丸氏のイラスト。
ランゲルハンス島の午後(村上春樹・安西水丸).jpgランゲルハンス島の午後2.jpg  『ランゲルハンス島の午後』.JPG ランゲルハンス島の午後.jpg
単行本['86年/光文社] 『ランゲルハンス島の午後 (新潮文庫)』 (イラスト:安西水丸) 

ランゲルハンス島の午後(村上春樹・安西水丸)1.jpg '84(昭和59)年6月より、雑誌「CLASSY.」の創刊号から2年間、イラストレーターの安西水丸氏とともに連載した「村上朝日堂画報」に、表題作を加えたもの。

 海外のポップカルチャーから日本の街角で見かけたことや学生時代の思い出まで話題の範囲は広いのですが、肩のこらないショートエッセイが'60年代に対する郷愁を滲ませたような安西水丸のイラストと相俟って、心地良い読後感を与えるものとなっています。

『ランゲルハンス島の午後』3.jpg エッセイのタイトルのつけ方も、「洗面所の中の悪夢」とか「地下鉄銀座線における大猿の呪い」といったものまで、ググッと惹きつけるうまさを感じます。
 著者の有名な?造語である「小確幸」というタイトルの一文もあります(ただしこの言葉は、レイモンド・カーヴァーの"A Small, Good Thing"というの小説のタイトルに由来しているのだろうと思いますが)。 

ランゲルハンス島の午後0604.jpg 因みに「ランゲルハンス島」というのは、海に浮かぶ島の名前ではなく、すい臓の中にある"島"なので、地理の教科書ではなく、生物の教科書に出てきます。 
 美学における美的要素の1つとして「異質なものの組み合わせ」というのがあるそうで、シュールレアリズム絵画などはその典型ですが、著者はそういったことをさりげなくやってみせているという感じがします。

 安西水丸氏の見開きイラストの多くは、「机の上の静物」をカラフルに描いたものですが、これが読者に、ハルキ氏のエッセイを読むのにマッチした「バーチャルな読書空間」を提供しているのではないか、と思ったりしたのですがどうでしょうか。

 【1990年文庫化[新潮文庫]】

「●む 村上 春樹」の インデックッスへ  Prev|NEXT ⇒ 【1323】 村上 春樹/安西 水丸 『村上朝日堂

過ぎ去った"時"を思い遣る。不思議と印象に残る「午後の最後の芝生」。

中国行きのスロウ・ボート obi.jpg中国行きのスロウ・ボート 文庫.jpg中国行きのスロウ・ボート.jpg中国行きのスロウ・ボート』['83年](表紙イラスト:安西水丸
中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)』['86年]

 '80(昭和55)年〜'82(昭和57)年発表の7つの短篇からなる著者の最初のアンソロジーで、この間に、長編の方は『羊をめぐる冒険』('82年/講談社)が発表されています。

 表題作の「中国行きのスロウ・ボート」は、今まで出会った3人の中国人のことが想い出話として語られているややエッセイ風の短篇ですが、2人目のアルバイト先で知り合った中国人の女の子を、送り際に誤って山手線の反対回りの電車に乗せてしまったことから、修復できない溝が2人の間に露わになる話が、何だか誰にでもありそうな話だけに、切ないノスタルジーが感じられます。しかしノスタルジックでありながらも、"誤謬"は逆説的な欲望なのかと今も自問していたりする「僕」がいる―。

 1人目の中国人小学校の先生の話は、著者が神戸で体験したカルチャーショックのようなものがモチーフになっているような気がしましたが、最後の百科事典を売り歩く中国人の旧友の話まで読んで、中国人というより"他者"とのコミュニケーションの難しさを感じさせる話だなあと、しみじみした気分にも。

 自分の背中に"貧乏な叔母さん"が貼りついたというシュールな展開の「貧乏な叔母さんの話」や、ホテルで知り合った女性から、以前に飼い犬を埋葬し、また掘り起こしたという"トラウマ"話を聞くことになる「土の中の彼女の小さな犬」など、後の作品にも繋がる独特のメタファーや"死"の雰囲気が感じられますが、さほど大仰に思惟的でなく、むしろ、さらっと叙情的なのがいい。

Lawn.jpg 表題作よりも印象の残った作品が「午後の最後の芝生」で、主人公が学生時代に"芝刈り"のアルバイトで、ある中年女性宅を訪れた際のことを、30代になって振り返る話ですが、娘の部屋や衣装棚を見せてどんな女の子なのかを「僕」に想像させるというアル中気味の女性が謎深いです。結局その中年女性とは大して出来事らしい出来事も無く、それでいて確かに不思議と印象に残る作品、過ぎ去った"時"というものへの想いが感じられる作品でした(逆算すると昭和40年代前半という時期設定ということになりますが、"芝刈り"のアルバイトというのがアメリカの小説っぽいかも)。
   
小川洋子.jpg 作家の小川洋子氏が、「自分が敬愛する作家の、もっとも好きな作品が短編である場合(中略)、短編ならばふと思い立った時、最初から最後までいつでも通して読み返せる」としたうえで、「村上春樹作品の中で、私がそういう読み方をしているのは『中国行きのスロウ・ボート』に収められた、『午後の最後の芝生』である」と述べていますが、個人的にもいい作品だと思います(村上作品で最初にこの短編種を取り上げたのも、この作品があるため)。

『中国行きのスロウ・ボート』.JPG

 【1986年文庫化[中公文庫]】

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『ぼんくら2』。江戸市井の人情や風俗が楽しめるが、弓之助が少し活躍し過ぎでは。

1日暮らし.png日暮らし 上.jpg 日暮らし 下.jpg  
『日暮らし(上・下)』講談社文庫/『日暮らし 上』/『ぼんくら』('00年/講談社)(表紙絵:村上 豊(1936-2022/86歳没))

ぼんくら.jpg 同心・井筒平四郎が事件の解決にあたるぼんくら』('00年/講談社)の続編で、最初の方は前作同様、小事件を人情譚に絡めて描く連作短編のスタイルですが、それが途中から展開していくメインの事件の背景にもなっています。

 『ぼんくら』のストーリーをも受け継いでいるし、『ぼんくら』では長屋のシステムなどの説明もキッチリされていたので、やはり『ぼんくら』から読んだ方が楽しめるには違いないと思います。

 最初は、家庭内での夫婦の心の行き違いやストーカーを懲らしめる話など、事件としては小粒ながらもホロリとする話が続き、このまま人情譚でいくのかと思うと、メインとなる事件では犯人探しに焦点が集まるようになっていて、人の心に棲む鬼のような情念をしみじみと描くうまさは、やはり著者ならではのものです。

 おどろおどろしい事件ですが、その解決を通して人の心の温かさが伝わってくるのは『ぼんくら』や『あかんべえ』('02年/PHP研究所)と同様で、随所に描かれる江戸市井の人々の暮らしぶりや食べ物にまつわる話などの江戸風俗も楽しめました。

 楽しいし読みやすいけれども、どちらかと言えば上巻の方が面白い。本当は下巻にいくにつれて盛り上がるべきなのだろうけれど、オチもやや唐突な気がしましたし、天才美少年・弓之助少年が少し活躍し過ぎて、ここまでくるとジュブナイル小説のノリではないかと...。「名探偵コナン」とダブりました。前作と併せてラジオドラマ化もされましたが、弓之助の声は高山みなみさん(コナンの声優)が担当していたし...。

 【2008年文庫化[講談社文庫(上・中・下)]/2011年文庫新装版[講談社文庫(上・下)]】

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サクサク読めるが、登場人物、プロットとも、平凡な"2時間ドラマ"級という感じも。

『誰か Somebody』.JPG誰か2.jpg 誰か.jpg 誰か 3.jpg
カッパ・ノベルズ〔'05年〕『誰か ----Somebody』(2003/11 実業之日本社)

 ある企業の広報室に勤める私こと杉村三郎は、義父で自分が勤める企業グループの会長である今多から、自分の専属運転手だった梶田の2人の娘が、父親についての本を書きたいという話の相談にのってやってくれと頼まれる―。

 梶田はこの夏のある日、自宅から遠く離れた町のマンションの前で、何者かに自転車に跳ねられ亡くなったのだが、梶田の娘たちは、亡き父親についての本を書くことが、捕まらない轢き逃げ犯への呼びかけになると考えているようだった。しかし、父親の過去を探ることに対する2人の娘姉妹の考えにはギャップが―。

 ノベルズ版の帯に「宮部みゆきが丹念に描き上げた。現代ミステリーの佳作」とありますが、う〜ん、どうなんだろうか、サクサク読めてそれほど気にはならないけれど、やはり余分な描写が多すぎて、皮ばかり厚くて餡子の少ない饅頭みたいでした。

 何よりも、作者の現代ミステリーに特徴的な、現代社会の闇を抉るような社会性というものが希薄で、登場人物、プロットとも、平凡な"2時間ドラマ"級という感じ。

 一応、手馴れた筆の運びで、突っ掛かることなく最後まで読めてしまいますが、この作家は、同じ時期に書いている作品では、時代モノの方が面白くなってきているのではないかという気がしました。

 【2005年ノベルズ版[カッパ・ノベルズ]/2007年文庫化[文春文庫]】

《読書MEMO》
名もなき毒 tv.jpg・TBS系列「月曜ミステリーシアター」2013年TVドラマ化「名もなき毒」
 小泉孝太郎主演
 第1話~第5話「誰か Somebody」共演:深田恭子
 第6話~第11「名もなき毒」共演:真矢みき

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少女と幽霊たちの交流。「ファンタジー系」時代ミステリーの傑作。

宮部 みゆき 『あかんべえ』.jpg あかんべえ.jpg     あかんべえ 上.jpg あかんべえ下.jpg
あかんべえ』 単行本〔'02年〕(単行本カバー画:熊田正男)/『あかんべえ〈上〉 (新潮文庫)』『あかんべえ〈下〉 (新潮文庫)』〔'06年〕

 本所の賄い屋の庖丁人・太一郎と妻・多恵は、海辺大工町に料理屋を開くことになり、その準備に追われるある日、一人娘おりんが、高熱を出して生死の境を彷徨うことになった。おりんはなんとか三途の川から引き返してきたが、両親が開いた料理屋「ふね屋」のその宴席に、おどろ髪の幽霊が現れて刀を振り回す。しかしその姿はおりんにしか見えず、他の客には刀が宙を舞っていうようにしか見えない。おりんは、以後家の中で子どもや大人のお化けを目にし、彼らと話もできるようになる―。

 この作品は著者の「霊験お初シリーズ」から進化したものかなとも思いましたが、同じ超能力時代モノでも「お初シリーズ」が「ジュブナイル系」とすれば、主人公の年齢がお初17歳からおりん12歳に低年齢化したこちらは、言わば「ファンタジー系」でしょうか。

 ラストにミステリーとしての結末は用意されていますが、物語の白眉はおりんと5人の幽霊の秘密の交流です。子供と「異界」、子供と「秘密」といったテーマはファンタジーでよく扱われるテーマですが、この作品では子供の目から見た大人の世界というものが、"お化けさん"たちを通してよあかんべえ (PHP文芸文庫).jpgく描かれていて、大人が読んで深く味わえるものになっていると思います。

 ある意味、"やさしさ"や"思いやり"などといったテーマは、ファンタジーっぽい設定の方が描きやすい時代なのかも。時代ミステリーでそれをやってみせる作者の力量はすばらしいと思いました。

 また、賄い屋(弁当屋)の日常を通して、江戸の下町の情緒や料理の蘊蓄が楽しめるのも、大人の読者を満足させるポイント。海辺大工町は深川北部辺りで、江戸地誌に詳しい作者が最も得意とするテリトリーであるということもあります(この辺りは今でも昔風の割烹屋、仕出し屋が多い)。

あかんべえ (PHP文芸文庫)

 【2006年文庫化[新潮文庫(上・下)]/2014年再文庫化[PHP文芸文庫]】

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クライマックスがやや弱い、それと、少し長すぎる気もするが、それでもそこそこの力作。

模倣犯 上.jpg 模倣犯 The copy cat 下.jpg  模倣犯 上下.jpg   模倣犯.jpg
模倣犯〈上〉模倣犯〈下〉 style=』(単行本カバー画:大橋 歩)/新潮文庫(全5巻) 〔'05年〕

「模倣犯」.jpg 2001(平成13)年・第55回「毎日出版文化賞」(特別賞)並びに2002(平成14)年・第52回「芸術選奨」受賞作。2001 (平成13) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。2002 (平成14) 年「このミステリーがすごい!」(国内編)第1位。併せて、2002(平成14)年・第5回「司馬遼太郎賞」も受賞。

 ある日、公園のゴミ箱から女性の右腕が発見されるが、それは猟奇的な残虐さと比類なき知能を併せ持つ犯人からの宣戦布告であり、連続女性殺人事件のプロローグだった―。

模倣犯 ラスト.jpg模倣犯 movie.jpg SMAPの中居正広が初主演した映画で荒筋を知る人は多いと思いますが、映画でのあの「自爆シーン」の結末は何だったのでしょうか? 映画を観て原作の方は未読であるという人に、"正しい理解"のために原作を読むことをお勧めしたいようにも思います。とにかく大長編作品であるためにやや読むのに躊躇しますが、でも、やっぱり原作を読んで正しく評価していただきたいと思うぐらいに、映画の方は勝手に原作を改変して、しかもダメにしてしまっているように思えます(原作者が試写会の途中で席を立ってしまったというのもわかる)。

 小説そのものについては、『火車』('92年/双葉社)の素晴らしいラストや『理由』('98年/朝日新聞社)の冒頭の意外な展開に比べると、本書のクライマックスにおける犯人を激昂させるキー―この鍵で扉が簡単にバタンと開いてしまうところは、やはり今ひとつでしたが(今まで極めて冷静だった犯人が、あまりに脆く瓦解する)、でも読んでいる間はやはりハマりました。

 個人的には『火車』が星5つで、『理由』も星5つに近く、この作品もそれらに及ばずともそこそこの評価になってしまうのです。さすが宮部みゆき。それだけに、この作品ももっとまともに映像化されれば良かったのにと思ってしまいます(『火車』は'94年にテレビ朝日で"2時間ドラマ"化され、『理由』は'04年に大林宣彦監督により映画化されている)。

 全部読むのにかなり時間かかりました。それだけ長時間、宮部ワールドに浸れたということでもありますが、少し長すぎる気もします。けっこう残忍な場面とかがあったわりには、登場キャラの多いRPGゲームをやり終えたような読後感であるのは、この作家の作品の特徴と言うか、"作家体質"的なものではないかと思います(本人、RPGゲーム大好き人間らしいですが)。

模倣犯 2002.jpg「模倣犯」●制作年:2002年●製作:「模倣犯」製作委員会(東宝・小学館・博報堂DYメディアパートナーズ・毎日新聞社・日本テレビ放送網ほか)●監督:森田芳光●撮影:北信康●音楽:大島ミチル●原作:宮部 みゆき●時間:124分●出演:中居正広/山崎努/伊東美咲/木村佳乃/寺脇康文/藤井隆/津田寛治/田口淳之介/藤田陽子/小池栄子/平泉成/城戸真亜子/モロ模倣犯 文庫.jpg師岡/村井克行/角田ともみ/中村久美/小木茂光/由紀さおり/太田光/田中裕二/吉村由美/大貫亜美●劇場公開:2002/06●配給:東宝 (評価★☆)

 【2005年文庫化[新潮文庫(全5巻)]】

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「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「ぼんくら」)

時代人情モノとして堪能できるミステリー。

宮部 みゆき 『ぼんくら』.jpg ぼんくら.jpg      ぼんくら〈上〉.jpg ぼんくら〈下〉.jpg 
ぼんくら』['00年/講談社](装画・題字:村上 豊)/講談社文庫 (上・下) ['04年] 

 江戸・深川の長屋を舞台に繰り広げられる時代ミステリーです。主人公の「ぼんくら」と綽名される同心・平四郎と甥の超美少年・弓之介が、長屋で起きた殺人事件を、岡引や市井の人の助けを借りて解いていく―。

 幾つかの短編を併せて長編ミステリーを構成しているのですが、その短編を個々に見ると、ミステリーの1章というより、独立した江戸人情噺としての色合いが強いものがいくつもあります。

 長屋のシステムやルールなどが「霊験お初シリーズ」などの同じ時代推理に比べ丁寧に書き込んであり、そこに住む人々の生活や交わりなどもよく描かれていると思います。こうした長屋モノを得意としたのは山本周五郎ですが、作者は「山本周五郎賞」の方は、現代のカードローン地獄を描いた火車』('92年/双葉社)で早々と取っています。山本周五郎に"恩返し"というわけでもないでしょうが、この『ぼんくら』という作品には、山本周五郎オへのマージュ的なものも個人的には感じました。

 テープレコーダー少年?"おでこ"などの個性的な人物も多く登場しますが、事件に全くと言っていいほど関与しない人物も多く、途中で事件を忘れてしまいそうになります。そのあたりがミステリーファンにとってどうなのだろう、と思いながらも、自分自身は"時代人情モノ"として充分堪能しました。

 作者自身、この構成をどう自己評価したのか、続編日暮らしで答えを探ることにしたいと思いました。

 【2004年文庫化[講談社文庫(上・下)]】

《読書MEMO》
映画 蒲田行進曲.jpgNHK ぼんくら_0003.jpg●2014年ドラマ化 【感想】 岸谷五朗はまずまずだが、久しぶりに見た松坂慶子って昔より演技が下手になってしまったのではないかと思った。でも、昔は演技してなかったけれど、今は頑張って演技しているともとれる。昔は映っているだけで絵になる美人だったので、あとは監督の言う通りにしていればよかったが、年季が行くとそうもいかない。好意的に解すれば、美人姐さん風からおばさん風に芸風をチェンジしたということか。これはこれで、女優としての生き残り戦略ととれなくもないが、映画「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」('81年)、「道頓堀川」('82年)、「蒲田行進曲」('82年)の頃の彼女をリアルタイムで知る者としてはやや複雑な思いもあった。

NHK ぼんくら1.jpg
NHK ぼんくら2.jpg
NHK木曜時代劇「ぼんくら」(2014年10月~12月[全10回])
演出:吉川一義/酒井信行/真鍋斎 脚本:尾西兼一 ほか
出演:岸谷五朗/奥貫薫/風間俊介/六平直政/志賀廣太郎/鶴見辰吾/大杉漣/松坂慶子/勝野雅奈恵ほか


                  

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「●地誌・紀行」の インデックッスへ

ためになって、かつ明るく楽しい、時代物の背景となった土地巡り。

平成お徒歩日記.jpg平成お徒歩日記』 ['98年/新潮社] (表紙:松本 哉) 平成お徒歩日記2.jpg 『平成お徒歩日記 (新潮文庫)』 〔'01年〕 (カバー挿画:石丸千里)

 著者の初めてのエッセイで、時代小説の舞台となった地を歩いて巡るという雑誌の連載企画を本にまとめたもの([下右]2008年単行本新装版[新潮社])。

小塚原刑場跡.jpg平成お徒歩日記〈新装版〉.jpg 赤穂浪士が吉良邸(現在の両国・回向院付近)に討ち入りを果たした後、高輪・泉岳寺まで歩いた道のりを辿ったり(真夏に10キロ踏破!)、いわゆる江戸市中引き回しコースを、自らを"毒婦みゆき"と罪人になぞらえて巡り、鈴ヶ森(現在の南大井)・小塚原(現在の南千住)の各刑場跡を訪れたり、最後の方は「早駕籠」(=タクシー)を使ったりしていますが、歩く歩く...。 各章の冒頭に地図もあり、読むだけでも昔の人もそれだけ歩いたのだなあと実感できます。

小塚原刑場跡

 時代考証を交えながらも酔狂なノリで、あくまでも弾けるように明るく(同行のスタッフやカメラマンとのやりとりが滅茶苦茶コミカル)、「ためになる」というより「楽しい」という感じです(もちろん「ためにもなる」)。

 流人の足跡を辿って八丈島に行ったり、果てはお伊勢様参りまでしていますが、連載企画の前に池波正太郎の「剣客商売」の『浮沈』の舞台・深川を歩いていて、やはりこの辺りがこの人のルーツになるのだなあと思いました。

  【2001年文庫化[新潮文庫]/2008年単行本 新装版[新潮社]】

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多くの読者を得る"理由"の1つは、社会への問題提起にあるのでは。

理由 単行本.jpg 理由2.jpg 理由.jpg   映画 理由 大林ード.jpg 理由3.jpg
単行本『理由』['98年]『理由 (朝日文庫)』〔'02年〕『理由 (新潮文庫)』〔'04年〕映画「理由」(2004) 岸部一徳
宮部 みゆき 『理由』.JPG 1998(平成10)年下半期・第120回「直木賞」受賞作で、1998 (平成10) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。「日本冒険小説協会大賞」も併せて受賞。  

 東京・荒川区の超高層マンション「ヴァンダール千住北ニューシティー」で起きた殺人事件は、一家3人が殺され1人が飛び降り自殺するという奇怪なものだったが、被害者たちの身元を探っていくとそこには―。

 直木賞受賞作ですが、事件状況とその意外な展開という着想が素晴らしいと思いました。事件の解明を通して住宅ローン地獄や家族の崩壊という現代的テーマが浮き彫りになってきますが、そこにルポルタージュ的手法が効いています。

火車.jpg 『火車』('92年/双葉社)において、戸籍が本人であることを詐称することで簡単に書き換えられることをプロットに盛り込んだ著者は、この作品では「占有権」という一般の目には不可思議な面もある法的権利と、それを利用する「占有屋」という商売に注目していて、こうした着眼とその生かし方にも、著者の巧さを感じます。

カバチタレ!3.jpg (「占有屋」は、後に『カバチタレ!』(青木雄二(監修)・田島隆(原作)・東風孝広(漫画))というコミックでもとりあげられ、テレビドラマ化された中でも紹介された、法の網目を潜った奇妙な商売。)

 作品の冒頭の特異な事件展開にはグンと引き込まれましたが、それに対し、事実がわかってしまえばそれほど驚くべき結末でもなかったのでは...みたいな感じもあります。

 しかし、ミステリーとしての面白さもさることながら、それ以上に、現代社会に対する鋭い問題提起が、この多才な作家の真骨頂の1つであり、幅広い世代にわたり多くの読者を獲得している"理由"は、そのあたりにあるのではないかと思いました(とりわけそれは、社会派推理の色合いが強い『火車』と『理由』の2作品に最も言えることではないか)。

宮部みゆき『理由』新潮文庫.jpg映画「理由」.jpg '04年に大林宣彦監督が映画化していますが、元々はWOWOWのドラマとして145分版がその年のゴールデンウィーク中の4月29日に放映されています。12月劇場公開版は160分となります。

 関係者の証言を積み重ねていくドキュメンタリー的なアプローチは原作と同じで、出演者107人全員を主役と見做し("主要"登場人物に絞っても約40名!)、全員ノーメークで出演と頑張っているのですが、「キネマ旬報」に載った大林宣彦監督のインタビュー記事で、こうした作り方の意図するところを知りました。

 個人的には、原作に忠実である言うより(登場人物のウェイトのかけ方は若干原作と異なる)、原作のスタイルを損なわずにそのまま映像化したら(つまり、この作品における膨大な関係者証言の部分を、一切削らずに、「証言」のままの形で映像化したら)どのようになるかとという推理小説の映像化に際しての1つの実験のようにも思えました。

新潮文庫 映画タイアップカバー版

アクロシティタワーズ.jpg 但し、実際映像化されてみるとやや散漫な印象も受けました。森田芳光監督の「模倣犯」('02年/東宝)みたいな"原作ぶち壊し"まではいかなくとも(あれはひどかった)、もっと違ったアプローチもあってよかったのではないかとも思いました。因みに、この小説の舞台となった荒川区の超高層マンション「ヴァンダール千住北ニューシティー」のモデルは「シティヌーブ北千住30」(足立区)だと思っていたけれど、どうやら南千住の「アクロシティタワーズ」(荒川区)みたいです(「千住北」という地名は存在せず、北千住は足立区になる)。[参照:大腸亭氏「宮部みゆき『理由』の舞台を歩く」/「宮部みゆき作品の舞台を散策する」(「私の宮部みゆき論」)]
   
理由 岸部2.jpg「理由」●制作年:2004年●製作:WOWOW●監督・脚本:大林宣彦●音楽:山下康介/學草太郎●原作:宮部 みゆき●時間:160分(TVドラマ版144分)●出演:岸部一徳/柄本明/古手川祐子/風吹ジュン/久本雅美/立川談志/永六輔/片岡鶴太郎/小林稔侍/高橋かおり/小林聡美/渡多部未華子 映画 理由 篠田いずみ23.jpg辺えり子/菅井きん/石橋蓮司/南田洋子/赤座美代子/麿赤兒/峰岸徹/宝生舞/松田洋治/根岸季衣/伊藤歩/宮崎あおい/宮崎将/裕木奈江/村田雄浩/山田辰夫/大和田伸也/松田美由紀/ベンガル/左時枝/入江若葉/山本晋也/渡辺裕之/嶋田久作/柳沢慎吾/島崎和歌子/中江有里/加瀬亮/勝野洋/多部未華子●劇場公開:2004/12(TVドラマ版放映 2004/04/29)●配給:アスミック・エース (評価★★★☆)
多部未華子(810号室住人 篠田いずみ)
多部未華子/宮崎あおい・宮崎将/裕木奈江
理由 多部未華子13.jpg 理由 宮崎あおい23.jpg 理由 裕木奈江33.jpg

「理由」dj.jpg

 【2002年文庫化[朝日文庫]/2004年再文庫化[新潮文庫]】

●大林宣彦監督インタビュー(「キネマ旬報」(2004.1.下)
 「今回の『理由』は、WOWOWの企画で出発してるんですけど、実はその枠にははまらない。というのは、WOWOWの番組としての予算も枠も決まったシリーズの中の一本なんですけど、宮部みゆきさんの原作は、その枠に合わせて作るのが不可能な小説なんですよ。これまでも多くの人が映画化やテレビドラマ化を試みたんだけど、宮部さんは一度も首を縦に振らなかった。その理由は、ひとつの殺人事件にいかに多くの人が絡み合っているかという、ぼく流に言えば人間や家族の絆が失われた時代に、殺人事件がむしろ哀しき絆となったような人間群像の物語なので、ぼくのシナリオの中でも主要な人物だけで107人もいるんですよ。強引にまとめていけば、10人くらいの物語にはできる。普通の映画やテレビの場合では、そうやって作るんです。しかし、それでは宮部さんが試みた集団劇としての現代の人間の絆のありようが描ききれないんですね。つまりこれをやる以上は、107人総てを画面に出さなければいけない。
 宮部さんは、ぼくに監督をお願いしたとWOWOWから知らされた時点で、すべてぼくにお任せしますとおっしゃったんです。任された以上、ぼくは原作者が意図したものを映画にするのが礼節だと思います。ぼくはいつも原作ものを映画にするときは、作者がはじめからこの物語を映画に作ったら、どういうものになるだろうと考えるんですね。だから紙背にこめられた作者の願いを文学的にではなく映画的に表現したらこうなるよというものを作ろうという意味で、決して原作どおりではないんだけど、原作者の狙いや願いを映画にしようと」

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時代小説における新境地確立を思わせる一方、何かと既知感が...。

『天狗風.jpg天狗風.jpg  天狗風 霊験お初捕物控【二】[講談社文庫].png
天狗風―霊験お初捕物控 2』〔'97年〕(カバー画:熊田正男) 『天狗風―霊験お初捕物控〈2〉 (講談社文庫)』〔'01年〕

 『震える岩』('93年/新人物往来社)に続く「霊験お初捕物控」の第2弾で、今回は、嫁入り前の娘が次々と神隠しに遭ったかのように失踪する事件の謎を、前作同様、17歳のエスパー少女・お初が追うというもの。

 "死んでも消えない"女の怨念(この作家の典型的モチーフの1つ?)が描かれていますが、怖さよりも、「小袋」に妄念が宿ったという設定などに時代ものらしい風情を感じ、ミステリーとしてもそれなりに引き込まれました。

 同じ女の怨念を描いても、松本清張作品のようなリアルな湿り気のようなものがあまり感じられないのは、この作家の特質なのか、時代ものという枠組みのためか(『火車』などの現代ものの主人公には清張作品を想起させるものがありましたが)。

じゃりん子チエ 小鉄.jpg ジュブナイル系というか、ヤングアダルト系というか...、セリフを喋る猫の登場には(お初に猫とコミュニケートする能力があるということですが)、「じゃりん子チエ」という漫画の「小鉄」を思い出しました。

 作者の時代小説における新境地の確立を思わせる一方で、天狗との最終対決シーンなども含め、スティーブン・キングの小説やRPGゲームの時代ものへの翻案かなと思わせる感じもあり、小説が醸し出す雰囲気に何かと既知感がつきまとったというのが正直なところ。

 とは言え、テンポのいい快作であることには違いなく、江戸風情もよく描かれていて、読後感も心温まるものでした。

 【2001年文庫化[講談社文庫]】

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作者の現代推理小説の中では、「理由」「模倣犯」を凌ぐ傑作。

宮部 みゆき 『火車』.jpg火車.jpg 火車Jul.'92 双葉社.jpg 火車 All she was worth.jpg火車 カード破産の女!1.jpg
火車 (新潮文庫)』 『火車』 ['92年/双葉社] ペーパーバック版 "火車―All she was worth"  テレビ朝日「火車 カード破産の女!」(1994)

 1992(平成4) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。1993(平成5)年度・第6回「山本周五郎賞」受賞作。(2008(平成20)年に、「このミステリーがすごい!」の賞創設から20年間のランキングでベスト20に入った作品のトータルで第1位にも輝いた。因みに、発表当時の1993(平成5)年の「このミステリーがすごい!」では『砂のクロニクル』(船戸与一)に次いで第2位だった。)

 休職中の刑事が遠縁の男に頼まれて、失踪した婚約者の女性を探すことになるが、彼女の過去は調べれば調べるほど闇に包まれている。なぜこの主人公の女性は「自分を消す」ということにこれだけ執着し、またそこにどんな落とし穴があったのか―。カード社会の犠牲ともいうべき自己破産者の凄惨な人生を描いた傑作です。

 宮部みゆき作品の中ではとりわけ社会派的色彩が濃いものですが、この作品で衝撃を受けたのは、主人公が最後の最後にしか現れず、セリフも一言もないという凝った造りであることです。それでいて、主人公の情念がじわ〜っと伝わってきます。著者の現代推理小説の中では『理由』('98年)、『模倣犯』('01年)と並ぶ傑作の部類で、むしろ『理由』も『模倣犯』もこの作品を超えていないかも知れないという気もします。

 ところがこの作品は直木賞をとっていないのです。『理由』で直木賞をとる前に、『龍は眠る』('91年)、『返事はいらない』('91年)、『火車』('92年)、『人質カノン』('96年)、『蒲生邸事件』('96年)と候補になりながら選にもれたものがありますが、個人的には、『火車』でとるべきだったと思います。『火車』の直木賞落選の「選評」で、「重要人物が描けていない」という批評にはガックリきたという感じ。明らかに主人公のことを指していますが、"自分を消した"女性が主人公なのだから...。

火車 last 1994.jpg '94年に"2時間ドラマ"化されていて、「火車 カード破産の女!」というタイトルで『土曜ワイド劇場』のテレビ朝日開局35周年特別企画として放映されていますが、主人公の新城喬子(関根彰子)役の財前直見は原作同様、ラストシーンを除いてほとんど出て来ず、それでいてドラマ全体を支配していました。原作の優れた点をよく生かしたドラマ化だったと思います。

 作家の倉橋由美子は、この小説を絶賛したうえで、ラストは「太陽がいっぱい」(パトリシア・ハイスミスの原作でなく、映画の方)に似ていると書いていますが(『偏愛文学館』('05年/講談社))、確かに。

「火車-カード破産の女!」 ラストシーン

財前直見  .jpg火車 1994.png「火車 カード破産の女!」●演出:池広一夫●制作:塙淳一●脚本:吉田剛●出演:三田村邦彦/財前直見/沢向要士/船越栄一郎(船越英一郎)/山口果林/角野卓造/森口瑤子/山下規介/大畑俊/吉野真弓/菅原あき/畠山久/奥野匡/小沢 象/たうみあきこ/加地健太郎/飯島洋美/舟戸敦子/沢向要士/角野卓造●放映:1994/02(全1回)●放送局:テレビ朝日   

「火車-カード破産の女!」 新城喬子(財前直見)
 
 【1998年文庫化[新潮文庫]】

「このミステリーがすごい!」ベスト・オブ・ベスト(2008年版までの20年間分のランキングでベスト20に入った作品が対象。アンケート結果は2008年2月刊行の『もっとすごい!! このミステリーがすごい!』で発表された。)
第1位 火車(宮部みゆき 1993年版 2位)
第2位 生ける屍の死(山口雅也 1989年版 8位)
第3位 魍魎の匣(京極夏彦 1996年版 4位)
第4位 私が殺した少女(原尞 1989年版 1位)
第5位 新宿鮫(大沢在昌 1991年版 1位)
第6位 ダック・コール(稲見一良 1992年版 3位)
第7位 空飛ぶ馬(北村薫 1989年版 2位)
第8位 双頭の悪魔(有栖川有栖 1993年版 6位)
第9位 レディ・ジョーカー(髙村薫 1999年版 1位)
第10位 白夜行(東野圭吾 2000年版 2位)
第11位 毒猿 新宿鮫II(大沢在昌 1992年版 2位)
第12位 男たちは北へ(風間一輝 1989年版 6位)
第13位 エトロフ発緊急電(佐々木譲 1989年版 4位)
第14位 不夜城(馳星周 1997年版 1位)
第15位 煙か土か食い物(舞城王太郎 2002年版 8位)
第16位 ガダラの豚(中島らも 1994年版 5位)
第17位 絡新婦の理(京極夏彦 1998年版 4位)
第18位 時計館の殺人(綾辻行人 1992年版 11位)
第19位 三月は深き紅の淵を(恩田陸 1998年版 9位)
第20位 模倣犯(宮部みゆき 2002年版 1位)

2022年・第70回「菊池寛賞」受賞(同時受賞の三谷幸喜氏と)
2022菊池寛賞.jpg

《読書MEMO》
火車 ドラマ   ド.jpg宮部みゆき原作 ドラマスペシャル 火車 上川 terawaki .jpg●2011年再ドラマ化 【感想】 本間(上川達也)は新城喬子(佐々木希)より本物の関根彰子(田畑智子)を追っているような印象にもなってしまったが、佐々木希のセリフが最後まで一言も無かったのは正攻法と言える。原作の良さにも助けられているものの、やはり'94年の財前直美版には及ばない(特にラストシーンは'94年版の素晴らしさには遠く及ばない)。
   

火車 ドラマ00.jpg火車 ドラマ03.jpg「宮部みゆき原作 ドラマスペシャル 火車」●演出:橋本一●脚本:森下直●原作:宮部みゆき●出演:上川隆也/佐々木希/寺脇康文/田畑火車 ドラマ5b.jpg火車 ドラマ5e.jpg火車 ドラマc03.jpg智子/ゴリ(ガレッジセール)/渡辺大/鈴木浩介/高橋一生/井上和香/前田亜季/藤真利子/美保純/金田明夫/笹野高史/茅島成美/山崎竜太郎/ちすん/上間美緒/長谷川朝晴/谷口高史●放映:2011/11/05(全1回)●放送局:テレビ朝日

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「物語」そのものになろうとする三島の意志を感じた。

三島由紀夫 豊饒の海1 春の雪.jpg奔馬 豊饒の海2.jpg『豊饒の海』/三島由紀夫1.jpg春の雪.jpg 『豊饒の海』/三島由紀夫2.jpg奔馬.jpg
春の雪 (新潮文庫―豊饒の海)』『奔馬 (新潮文庫―豊饒の海)
「豊饒の海」(全4巻)第1部 『春の雪 (1969年)』 「豊饒の海」(全4巻)第2部 『奔馬 (1969年)
装幀:村上芳正
IMG0豊饒の海.jpgIMG1春の雪.jpg 維新の功臣を祖父にもつ侯爵家の若き嫡子松枝清顕と、伯爵家の美貌の令嬢綾倉聡子のついに結ばれることのない恋。矜り高い青年が、〈禁じられた恋〉に生命を賭して求めたものは何であったか?―大正初期の貴族社会を舞台に、破滅へと運命づけられた悲劇的な愛を優雅絢爛たる筆に描く―。(『春の雪』―「豊饒の海」第1部)

IMG2奔馬.jpg 今や控訴院判事となった本多繁邦の前に、松枝清顕の生まれ変わりである飯沼勲が現れる。昭和の神風連を志す彼は、腐敗した政治・疲弊した社会を改革せんと蹶起を計画する。しかしその企ては密告によってあえなく潰える... 。彼が目指し、青春の情熱を滾らせたものは幻に過ぎなかったのか?若者の純粋な〈行動〉を描く―。(『奔馬』―「豊饒の海」第2部)

 「豊饒の海」は'65(昭和40)年9月から『新潮』に連載された三島由紀夫の長編小説で、'69~'71年新潮社刊。「豊饒の海」4部作の中では、思弁的な後半2部「暁の寺」「天人五衰」より、より小説らしい「春の雪」「奔馬」の方が親しみやすかったです。三島自身が述べているように、「春の雪」は「たわやめぶり」を、「奔馬」は「ますらをぶり」を描いた作品と言えますが、「春の雪」の完成度が高く、これだけ読んでも充分堪能できます。ただし、ここで終ってしまうと、「今、夢を見てゐた。又、会うぜ。きつと会う。滝の下で」という松枝清顕の言葉が、単なる謎で終ってしまいます。

 「奔馬」に読み進むことで、初めて「転生」というテーマが見えてきますが、同時に、本多繁邦の「見る者」としての視点が「春の雪」に遡及して意識され、更に、両作を通しての作者の視座(感情移入・登場人物との自己同化)の推移が窺える気がしました。

春の雪・奔馬.jpg つまり、「春の雪」では作者は、理知的な本多繁邦(観察者)の視座にいて、「奔馬」では飯沼勲(行為者)に同化しようとしているように思われます。ただし「春の雪」での聡子と一体になる前までの清顕は三島自身でもあり、その後の清顕は、三島がなりたかったけれどもなれなかった「物語」の人物だと思います。

春の雪 新潮文庫  .jpg 傍目には強引とも思える飯沼勲と松枝清顕の繋がりは、三島自身が転生を信じていたわけではなく(三島が「三島由紀夫」以外の者になることを果たして望むだろうか)、むしろそこに、二重の意味で時間を超越し(つまり、過去の欠落を補償し、限られた生を超えて)「完璧な物語」そのものになろうとする三島の意志を感じました。別な言い方をすれば、結局、三島はこの作品で、自分(「作品化された自分」)のことしか書いていないとも言えるかと思います。

 「春の雪」は'05年に行定勲監督によって映画化されており、翌'06年には、「ベルサイユのばら」の池田理代子女史の脚本・構成で劇画化されています。

「春の雪」(2005年)監督:行定勲/主演:妻夫木聡/竹内結子
春の雪 映画.jpg春の雪 映画2.jpg 「春の雪」だけ映画化しても、「原作もさぞかし耽美主義の美しい作品なんだろうなあ」で終わってしまって、四部作を通しての思想的なものは伝わらないのではないかと思いましたが、それまでも何度か「春の雪」単独で舞台化されています。実際、映画を観てみるとまずまずの出来栄えだったように思「春の雪」(2005年).jpgいます(行定勲監督は、三島由紀夫と縁深かった美輪明宏による評価を恐れていたが、美輪明宏に完成した映画を見せたところ絶賛され、何よりもそれが一番嬉しかったと述べている)。勿論、美文調の三島の文体は映画では再現できませんが、李屏賓(リー・ピンビン)のカメラが情感溢れる映像美を演出しています。それと、妻夫木聡や竹内結子は華族を演じるには弱いけれども、若尾文子、岸田今日子、大楠道代といったベテラン女優が脇を固めていたのも効いていたように思います。ただし、150分の長尺でも話を全て収めるのはきつかったようで、松枝家の書生・飯沼を登場させていません(飯沼のキャラを本多に吸収させてしまっている)。

春の雪 (中公文庫)
春の雪 池田.jpg春の雪 20.JPG 劇画版('08年文庫化[中公文庫])の方は、池田理代子氏が「劇画では、清顕や親友の本多などの登場人物の心理描写に文字を使うことができるので、その点においては映画よりわかりやすいかもしれません」と述べていて、確かにそうした利点を生かした構成になっていました。第二部「奔馬」のことを考慮し、飯沼を「けっこう気合を入れて」描いたとのことで、映画公開の直後ということもあってか、映画に対する対抗意識が見られます。三島の美文を高く評価する人の中には映像化されたものに悉くダメ出しする人もいるようですが、個人的には、原作、映画、劇画を比べてみるのも面白いように思います。

 因みに「奔馬」は、「ザ・ヤクザ」('74年/米)、「タクシードライバー」('76年/米)の脚本家ポール・シュレイダーの監督作「MISHIMA:A LIFE IN FOUR CHAPTERS」('85年/米・日)の中の1話として映像化されていますが、この作品そのものが三島家側から日本での公開許諾が得られていないため、現時点['06年]ではなかなか観るのが難しい状況にあります。
Mishima honmaU.jpgMishima honma.jpgポール・シュレイダー (原作:三島由紀夫) 「奔馬」―「MISHIMA:A LIFE IN FOUR CHAPTERS<」 (85年/米・日) ★★★★(美術:石岡瑛子/「奔馬」主演:永島敏行)


春の雪 2005.jpg春の雪1.png「春の雪」●制作年:2005年●監督:行定勲●脚本:伊藤ちひろ/佐藤信介●撮影:李屏賓/福本淳●音楽:岩代太郎(主題歌:宇多田ヒカル「Be My Last」)●原作:三島由紀夫「豊饒の海 第一巻・春の雪」●時間:150分●出演:妻夫木聡/竹内結子/高岡蒼佑/及川光博/榎木孝明/真野響子/石丸謙二郎/宮崎美子/大楠道代/岸田今日子/田口トモロヲ/山本圭/高畑淳子/中原丈雄/石橋蓮司/若尾文子●公開:2005/10●配給:東宝(評価:★★★☆)
竹内結子(綾倉聡子)/若尾文子(月修寺門跡)/岸田今日子(松枝清顕の祖母)/大楠道代(綾倉家侍女・蓼科)
harunoyuki7.jpg 25日春の雪1.png 30日春の雪 .png 40春の雪 .png

Mishima: A Life in Four Chapters (1985)
Mishima A Life in Four Chapters (1985).jpg「MISHIMA:A LIFE IN FOUR CHAPTERS」●制作年:1985年●制作国:アメリカ・日本●監督:ポール・シュレイダー●製作:山本又一朗/トム・ラディ●脚本:ポール・シュレイダー/レナード・シュレイダー/チエコ・シュレイダー●撮影:ジョン・ベイリー/栗田豊通●音楽:フィリップ・グラス●美術:石岡瑛子●原作:三島由紀夫●120分●出演:●[フラッシュバック(回想)]緒形拳/利重剛/大谷直子/加藤治子/小林久三/北詰友樹/新井康弘/細川俊夫/水野洋介/福原秀雄 [1970年11月25日]緒形拳/塩野谷正幸/三上博史/立原繁人(徳井優)/織本順吉/江角英明/穂高稔 [第1章・金閣寺]坂東八十助/佐藤浩市/萬田久子/沖直美/高倉美貴/辻伊万里/笠智衆<(米国版のみ) [第2章・鏡子の家]沢田研二/左幸子/烏丸せつこ/倉田保昭/横尾忠則/李麗仙/平田満 [第3章・奔馬]永島敏行/池部良/誠直也/勝野洋/根上淳/井田弘樹●米国公開:1985/10●DVD発売:2010/11●発売元:鹿砦社(『三島由紀夫と一九七〇年』附録)(評価:★★★★)

 【1968年単行本・1990年単行本改訂[新潮社]/1973年全集・2001年全集決定版〔新潮社〕/1977年文庫化・2002年改版[新潮文庫]】

IMG3暁の寺.jpg IMG4天人五衰.jpg

《読書MEMO》
決定版 三島由紀夫全集〈13〉長編小説(13)』(「春の雪」「奔馬」所収)
豊饒の海.jpg〈全集巻末付録・執筆過程における新聞インタビューより〉
『豊饒の海』/三島由紀夫.jpg●「〈春の雪〉の第一巻は僕の依然の傾向と同じ作品だ。貴族のみやびやかな恋愛...そういうものが主題だが、第二巻では昭和七年の神風連ともいうべき青年が登場し、(中略)筋はつぶれてもこれだけは入れたいと思う。」(昭和41年8月)
●「一巻ごとに主人公が、違う人物に生まれ変わるんですよ。転生によって時間がジャンプできるから、年代記的な手法を使わなくて済みますしね」(昭和42年7月)
●「...〈春の雪〉は絵巻き物風の王朝文学の再現ですから、初期の〈花ざかりの森〉や〈盗賊〉の系列の延長線上にあるものです。そのあとの〈奔馬〉はいわゆる行動文学で〈英霊の声〉や〈剣〉の集大成。...」(昭和43年12月)
●「私は「豊饒の海」四巻を構成し、第一巻「春の雪」は王朝風の恋愛小説で、いはば「たわやめぶり」あるいは「和魂」の小説、第二巻「奔馬」は激越な行動小説で、「ますらをぶり」あるいは「荒魂」の小説、第三巻「暁の寺」はエキゾティックな色彩的な心理小説で、いはば「奇魂」、第四巻(題未定)は、それの書かれるべき時点の事象をふんだんに取り込んだ追跡小説で、「幸魂」へみちびかれゆきもの、という風に配列し...(昭和44年2月)  

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午後の曳航 dvd.jpg午後の曳航3.jpg
しっかりした心理・情景描写で、「通俗」を描いて飽きさせない。

午後の曳航0.jpg    午後の曳航 (新潮文庫) 新カバー.jpg午後の曳航 本.jpg  
単行本 〔'63年〕  『午後の曳航』新潮文庫(新旧カバー) 映画「午後の曳航」パンフレット「午後の曳航 [DVD]」 

 三島由紀夫が30代に書いた作品には、それぞれに三島独自の美意識や世界観が反映されているものの、外枠は「通俗」的に見えるメロドラマ風の作品が結構あるように思うのですが、 '63(昭和38)年(三島38歳)発表のこの作品は、そうした"メロドラマ風"作品群の中でも完成度の高い傑作とされているようです。

 前半部分の、少年の母で「陸(おか)の女」である横浜のブティックの女主人・房子と、少年が憧れる「海の男」二等航海士・竜二の、〈フランス・レストラン〉や〈港の見える丘公園〉などを舞台にした恋の描写に、「通俗」を描いて飽きさせない技術の高さを感じました。

 心理描写だけでなく、例えば房子が竜二の乗る船〈洛陽丸〉を初めて訪れた場面なども、船の内部の描写などが専門用語を交えしっかりしていて、「名詞を知らないことは描写において致命的である」というようなことを三島がどこかに書いていたのを思い出しました。

 13歳の少年の「大人」に対する屈折した感情を描いた青春小説という読み方も出来て(むしろそれがスジかも)、実際、少年とその仲間たちが為す、「海を捨てた船乗り」に対する"制裁"が後半のヤマですが、その前段としてある少年グループによる"猫殺し"は、猫を殺して次に人間をと...神戸の少年犯罪を連想させるものがありました(事象の類似もさることながら、その特異な加虐的心理の描写において)。

 そうした予見的?な面もある作品ですが、やはり全体としては、圧倒的な描写力そのものに、最も三島らしさを感じました。それと、横浜というちょっとハイカラーなバックグランド、これは谷崎潤一郎に通じるものがあるかも。

午後の曳航1.jpg この作品が海外でも評価を得たというのは、ジョン・ネイスンの名訳によって海外に紹介されたというのも大きいと思われますが、ギリシャ神話と重なるモチーフ(エディプス・コンプレックス)であるため、比較的分かり易かったというのもあるのではないでしょうか。

 ルイス・ジョン・カリーノ監督により映画化された「午後の曳航」('76年)は、原作に忠実に作られており、原作へのリスペクトが感じられました。一応イギリス映画ですが、日米英3か国の合作で、舞台は英国、主演のサラ・マイルズ(「ライアンの娘」('70年))は英国人でクリス・クリストファーソン(「アリスの恋」('74年)、「スター誕生」('76年))は米国人です(日本人は出てこない)。エディプス・コンプレックスがモチーフだと思って観ると、むしろこのように海外に舞台を置き換えた方が、われわれ日本人にとってもすんなり受け入れられ易いものに感じられるのかも。

 サラ・マイルズは好演。クリス・クリストファーソンは原作の船乗り・竜二よりやや線が細い感じでしょうか。クリス・クリストファーソンとサラ・マイルズが浜辺を歩く場面が印象的でしたが、作中の船乗り・竜二は身長165cmぐらいのがっしりした男で(三島自身は身長163cm)、この辺りはちょっとイメージが違うような感じがしました。「午後の曳航」 パンフレット

午後の曳航 チラシ.jpg062z.jpg「午後の曳航」 チラシ/サントラ盤(廃盤)
午後の曳航 サントラ盤.jpg

「午後の曳航」●原題:THE SAILOR WHO FELL FROM GRACE WITH THE SEA●制作年:1976年●制作国:イギリス●監督・脚本:ルイス・ジョン・カリーノ●製作:マーティン・ポール●撮影:ダグラス・スローカム●音楽:ジョン・マンデル●原作:三島由紀夫「午後の曳航」●時間:105分●出演:サラ・マイルズ/クリス・クリストファーソン/ジョナサン・カーン/マルゴ・カニンガム/アール・ローデス/ ポール・トロピア/ ゲイリー・ロック●日本公松竹セントトラル 銀座ロキシー.jpg松竹シネサロン.jpg開:1976/08●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:銀座ロキシー(79-12-16)(評価:★★★☆)●併映:「候補者ビル・マッケイ」(マイケル・リッチー)
松竹セントラル・銀座松竹・銀座ロキシ-(→松竹セントラル・銀座松竹・松竹シネサロン→松竹セントラル1・2・) 1952年9月、築地・松竹会館にオープン。1999年2月11日閉館。

 【1963年単行本[講談社]/1968年文庫化[新潮文庫]】

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自分の4つの「ペルソナ」を通して描いた自らの「ニヒリズム研究」。

三島 由紀夫 『鏡子の家 (全2巻)』.jpg    鏡子の家 文庫2.jpg鏡子の家.jpg 
鏡子の家 第一部・第二部 (1959年)』/『鏡子の家 (新潮文庫)』 (全1巻) 〔'64年〕

 鏡子という巫女的な女性を軸に、そのサロンに集うサラリーマンの清一郎、ボクサーの峻吉、俳優の収、画家の夏雄という4人の青年の虚無を描いた、30代前半の作者初の長編書下ろし小説。

 '58(昭和33)年3月に起稿し、翌年6月に脱稿していますが、物語は'54年に彼らが勝鬨橋を見に行くところから始まる2年間の出来事で、ほとんど東京とニューヨークだけを舞台とした"現代"小説であるとともに、「芸術的完成度を捨てて、できるだけラフなものにした」と作者自身が述べたように、読みやすいものになっています。

 4人は何れも徹頭徹尾、人生の虚無や世界の破滅の予感に囚われていて、物語の中盤までにおいて、清一郎は恵まれた結婚と将来の嘱望を、俊吉はボクシング王座を、収はボディビルによる鋼の肉体を、夏雄は画壇での名声を手に入れます。
 しかし彼らのニヒリズムには信念に近いものがあり、そうした彼らのうち誰がどういった破滅への道を辿るのかという小説的な関心も引きますが、作者自身は、この小説を自らの「ニヒリズム研究」だとしており(『裸体と衣装』)、まさにそうだと思います。

 発表当時は批評家から酷評され、三島ファンの中でも好き嫌いが極端に割れる作品ですが、個人的には好きな作品です。
 エリート清一郎の何も信じないシニカルぶりや、収の肉体改造による変化、夏雄が神秘主義にはまったのちに芸術に回帰する一方、峻吉は最後は制服に身を包む右翼結社の一員になっていることなどから、4人が作者の分身であることは明らかで、「人工小説」であると割り切って読むと、「三島」という人物を探る上で大変興味深く読めるのです。
 このことが自分がこの小説が好きな理由の1つかも知れず、三島に興味が無い人は、この小説にも関心が湧かないかも知れない。

 「鏡子の家」のモデルはあるそうで(故ロイ・ジェームス夫人のサロン)、実際そこには、文化芸能人から野球選手、ゲイボーイ、寿司屋の店主までいろいろな人が出入りしてたらしく、この小説を読むと、その中にいる三島が何となく思い浮かびます。
 
 今回再読して思ったのは、気高くかつ退廃的で時に母性的な「鏡子」は、魅力的というよりは実在し得ない人物像に近く、自己愛型の三島が真に描きたかったのは、自分の4つの「ペルソナ」であるということで(4人ともナルシストだし)、そう考えると「鏡子」には、その取り纏め的な狂言回しの役割を負わせているようにも思えてきました。

 因みに「鏡子の家」は、「ザ・ヤクザ」('74年/米)、「タクシードライバー」('76年/米)の脚本家ポール・シュレイダーの監督作「MISHIMA:A LIFE IN FOUR CHAPTERS」('85年/米・日)の中の1話として映像化されていますが、この作品そのものが三島家側から日本での公開許諾が得られていないため、現時点['06年]ではなかなか観るのが難しい状況にあります。
MISHIMA:4X1.jpgMishima kyoko no ie2.jpgMishima 21 Kenji Sawada Osamu.gifポール・シュレイダー (原作:三島由紀夫) 「鏡子の家」―「MISHIMA:A LIFE IN FOUR CHAPTERS」 (85年/米・日) ★★★★(美術:石岡瑛子/「鏡子の家」主演:沢田研二)
Mishima: A Life in Four Chapters (1985)
Mishima A Life in Four Chapters (1985).jpg「MISHIMA:A LIFE IN FOUR CHAPTERS」●制作年:1985年●制作国:アメリカ・日本●監督:ポール・シュレイダー●製作:山本又一朗/トム・ラディ●脚本:ポール・シュレイダー/レナード・シュレイダー/チエコ・シュレイダー●撮影:ジョン・ベイリー/栗田豊通●音楽:フィリップ・グラス●美術:石岡瑛子●原作:三島由紀夫●120分●出演:●[フラッシュバック(回想)]緒形拳/利重剛/大谷直子/加藤治子/小林久三/北詰友樹/新井康弘/細川俊夫/水野洋介/福原秀雄 [1970年11月25日]緒形拳/塩野谷正幸/三上博史/立原繁人(徳井優)/織本順吉/江角英明/穂高稔 [第1章・金閣寺]坂東八十助/佐藤浩市/萬田久子/沖直美/高倉美貴/辻伊万里/笠智衆<(米国版のみ) [第2章・鏡子の家]沢田研二/左幸子/烏丸せつこ/倉田保昭/横尾忠則/李麗仙/平田満 [第3章・奔馬]永島敏行/池部良/誠直也/勝野洋/根上淳/井田弘樹●米国公開:1985/10●DVD発売:2010/11●発売元:鹿砦社(『三島由紀夫と一九七〇年』附録)(評価:★★★★)

 【1959年単行本[新潮社(全2巻)]/1964年文庫化[新潮文庫]】

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「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(挿画:横山 泰三)

30代前半で既に「遊ぶ」余裕をみせる三島の洒脱なエッセイ。

不道徳教育講座 三島由紀夫.png  『不道徳教育講座』.jpg   不道徳教育講座2.jpg  不道徳教育講座.jpg
不道徳教育講座』['69年/中央公論社](表紙デザイン:横尾忠則/撮影:篠山紀信、本文イラスト:横山泰三)/['67年/角川文庫(旧版)](表紙イラスト:横山泰三)/『不道徳教育講座』 角川文庫(改訂版)

 その小説において優雅かつ華麗で、時に高邁、貴族的な"近寄り難さ"さえ見せる三島由紀夫(1925‐1970)ですが、より幅広い読者に向けた"近寄りやすい"洒脱なエッセイも書いていて、本書はその代表的なものです。

 '59(昭和33)年に「週刊明星」に連載されたものですが、『仮面の告白』や『禁色』など"特殊"な性愛を描いていた時代を経て、『潮騒』『永すぎた春』『美徳のよろめき』など"普通"の恋愛小説で流行作家となる一方、ボディビルで新たな肉体を獲得し、心身ともに自信を得た30代前半の彼の筆は、既に「遊ぶ」余裕を見せています。

 時代を経て、対象として描かれている風俗などの毒気は薄くなりましたが、世間の薄っぺらな道徳観や倫理観を、鋭い人間観察と精巧な論理で以って覆していく鮮やかさは、今読んでも卓越しているなあと思います。

 「醜聞を利用すべし」「痴漢を歓迎すべし」「うんとお節介を焼くべし」「できるだけ己惚れよ」「「殺っちゃえ」と叫ぶべし」「スープは音を立てて吸うべし」「人の不幸を喜ぶべし」等々、ユーモア満載です。

ジャネット・リン.jpg 「桃色の定義」などは、「舞台に転倒したバレリーナのむきだしになったお尻に、突然ワイセツがあらわれるのです」といった表現で、サルトルの『存在と無』の肝に当たる部分を分かりやすく説いています。フィギアスケーターなんてどうなんだろう、しょっちゅう転ぶけれども。札幌五輪のジャネット・リンみたいに、転んだことで"妖精"になった選手もいたし(勿論、その転んだ後も笑顔で滑って、メダルを獲得したということが好感を得た要因ではあるのだろうが)。

 他にも、この論駁法ってどっかにあったような、と思うとソクラテスだったり...。この人、ある意味、教養や倫理を大事にしている。勿論、肉体も。

不道徳教育講座3.jpg不道徳教育2.jpg 単行本の初版は'59(昭和34)年で、ハードカバー2段組み。角川から、文庫版に準拠したソフトカバー新装版が出ています。横山泰三.jpg単行本の装填デザインは最初は佐野繁次郎で、'69(昭和44)年版で横尾忠則(撮影:篠山紀信)に。本文の挿画は朝日新聞の「社会戯評」でお馴染みの横山泰三(1917-2007、「フクちゃん」の横山隆一の弟。1950年から毎日新聞で漫画「プーサン」を描いて注目され、'54年に菊池寛賞受賞。朝日の「社会戯評」は'54年から'92年末まで1万3561回、ほとんど休みなく連載を続けた)。
横山泰三

 横尾忠則氏の毒気のある装丁も悪くないですが、「プーサン」の漫画家・横山泰三の人を喰ったような軽妙な挿画が文書とうまくマッチしているような気がします(横尾忠則の表紙デザイン、横山泰三の挿画とも、1995年刊行の角川書店ソフトカバー新装版にはないのが残念)。

 【1959年単行本・1969年改装版[中央公論社]/1967年文庫化[角川文庫]/1995年ソフトカバー新装版[角川書店]】

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自らのシニシズムをモデルを介することで、より"自由に"書いている。

青の時代0.jpg青の時代 (1950年)青の時代 (新潮文庫) 新カバー.jpg青の時代.jpg青の時代 (新潮文庫)』新旧カバー

昭和24年11月26日付 朝日新聞記事
光クラブ事件.jpg 東大生起業家・山崎晃嗣による"アプレゲール犯罪"と呼ばれた「光クラブ事件」に材を得て、'51(昭和25)年、三島由紀夫が25歳のときに発表した長編小説で、同じく東大在籍時に起業した堀江貴文氏の「ライブドア事件」の際に、この事件がよく引き合いにされました。

 この小説が発表されたのは、『仮面の告白』('49年)、『愛の渇き』('50年)の発表の後、『禁色』('51年)の発表前の時期にあたりますが、その割には三島独特の文学的修辞や哲学的思弁が少なく、読みやすい作品ではあります。

 光クラブは金融業でしたが、ライブドアも主に利益を得ていたのはIT事業ではなくファイナンス事業だったこと、光クラブは直接ファンドですがライブドアも株主ファンド的性格であったこと、一方は蛸足配当、もう一方は粉飾決算...と、確かに通じる点は多いかも。
 実際に山崎晃嗣がどういう人物だったのか、自著はあるものの、自分の本質を人に見せないようにしていたという面もあってよくわかりませんが、東大法学部でも成績優秀で、徹底した合理主義者でもあったようです。
 育った家庭は裕福でしたが、子供の頃いじめられて、軍隊でもいじめられ、人間不信、人間性悪説論者になり、更に、自身が闇金融の詐欺に遭って、但し、その時は、その詐欺の手法に感心したらしく、自ら「闇金」を起こしたら、一時的には大成功を収めました。
 何しろ、契約しか信じないという人間だったから、取立ては厳しかったらしく、返せない人が苦しむのを見ても、もともと人間性悪説だから、彼自身はこたえなかったようです(そのように振舞っていただけかも知れないが)。
 でも、資金繰りに行き詰って、結局、返済期限の前日に服毒自殺しますが、青酸カリによるこの自殺は、「貸借(カリ)を清算する」というシャレらしいです。

 三島にとっては事件そのものよりも、その自死による事件の幕の引き方も含めた「山崎」の人物イメージが、自らのシニシズム、つまり、「それが嘘であることを知っているからこそ、それを信じるふりを止められない」 という機械的な観念を投射するのにお誂え向きだったではないでしょうか。

 前半分の山崎の子供時代から大学入学の頃までを描いた部分は、まさにそのシニシズムの形成過程が「仮面の告白」的に描かれていて、主人公にとって友情も恋愛も演技であり、友の前で見せる演技は太宰治の「人間失格」を髣髴させるものであり、それが恋愛においては「女が自分を愛したときに女を捨てる」ことに喜びを見出すという屈折した感情になり、社会に対しては「目的のない金儲け」へ向かわせる―。
 子供時代の父親への反発なども含め、"フィクション"という枠の中で「仮面の告白」よりも"自由に"書いているのが興味深いです。

 その分、三島自身が「尻すぼまりの失敗作」であると言うように、金融業者としての主人公を描いた後半部分は、金融業者や闇金のシステムに関する取材は一応はされているものの、三島らしい文学性があまり発揮されておらず、物足りない感じがします。

 【1950年単行本[新潮社]/1971年文庫化[新潮文庫]】

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「素面」は察するしかないという精緻かつ巧妙なレトリック。

假面の告白 単行本.jpg『仮面の告白』.JPG仮面の告白.jpg  仮面の告白  初版本完全復刻版.jpg
単行本初版['49年7月5日刊行/河出書房]『仮面の告白』 新潮文庫/初版本完全復刻版 〔'96年]

 「人の目に私の演技と映るものが私にとっては本質に還ろうという要求の表れであり、人の目に自然な私と映るものこそ私の演技であるというメカニズムを、このころからおぼろげに私は理解しはじめていた」-本文中のこの文章の「このころ」というのが何時なのか、前後の文脈から探ると、何と7歳ごろであることがわかり驚かされます。

 しかし、何というレトリックなんだろう。芸術とはすべて仮面の告白であり、自分自身を「詩(芸術)そのもの」と規定する三島の考えに符合し、三島の「素面」を示す文章です。

 それが「小説」の中で(つまりフィクションとして)語られることにより、それすらも「仮面」に収斂していく仕組み。「このころ」とは三島が創作した自己年譜ともとれるのではないでしょうか。こうしたことは、この作品に描かれていることのすべてについて言えるわけで...。

yukio mishima.jpg 三島由紀夫(1925‐1970)の写真集の中には、この作品でも触れられている「聖セバスチャン」を模して裸で縛られているものがあります。

 「ああ、やっぱり真性のホモセクシュアルだ」と思っても、この文章に照らすと、「演技だ」ということになり、さらに「芸術そのものになろうとする」意志の表れであり、「素面」は察するしかないということになるのです。

澁澤龍彦編集『血と薔薇』創刊号('68年) 「聖セバスチャンの殉教」(篠山紀信撮影)

 この「自己」を「創作」し、創造されたものが自分になるという指向は、三島が「あなたは嫌いです」と言った太宰治の作品にも通じるもので、『人間失格』('48年)が発表された翌年にこの作品が発表されていることと考えあわせると興味深いです。

 '96年に河出書房新社から〈初版本完全復刻版〉というのが出ましたが、'49年刊行の初版本を本文・カバー・表紙・扉・帯まで完全復刻したもので、表紙タイトルも旧字ならば本文も旧字旧かな、奥付も再現されていて「三島」の検印があって「定價 貳百圓」となっており、河出書房の月報(三島自身の「『假面の告白』ノート」という短文を掲載)まで添付されている凝りようです。

 三島の本を旧字旧かなで読むと、よりロマン主義的な香りが強く感じられますが、如何せん少し読みにくい。最近の全集などは、新字旧かなで統一しているようです。

 【1949年単行本・1996年完全復刻版[河出書房新社]/1950年文庫化・1967年改訂・1987年改訂[新潮文庫]】

《読書MEMO》
●「私は自分が戦死したり殺されたりしている状態を空想することに喜びを持った」(28p、文庫'67年版23p)
●「人の目に私の演技と映るものが私にとっては本質に還ろうという欲求の表れであり、人の目に自然な私と映るものこそ私の演技であるというメカニズムを、このころからおぼろげに私は理解はじめていた」(31p、文庫'67年版26p)
●新潮文庫2019年プレミアムカバー
2019 プレミアカバー.jpg

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「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「松本清張スペシャル・共犯者」「松本清張スペシャル・地方紙を買う女」

宮部みゆきの読書ガイドが親切。拾いものがかなりあった。

宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短篇コレクション (上).jpg松本清張傑作短篇コレクション 上.jpg 宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短篇コレクション (中).jpg松本清張傑作短篇コレクション 中.jpg 宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短篇コレクション (下).jpg松本清張傑作短篇コレクション 下.jpg  『松本清張傑作短篇コレクション〈上〉 (文春文庫)』 『松本清張傑作短篇コレクション〈中〉 (文春文庫)』 『松本清張傑作短篇コレクション〈下〉 (文春文庫)』 〔'04年〕

 「宮部みゆき責任編集」となっていますが、「責任編集」とはまさにこういうことを指すのだなあという感じです。8つのテーマというか視点別に数作ずつ、全部で26作品を選んでいますが、テーマごとの冒頭に宮部氏の口上があり、これが適切な読書ガイドになっています。いろいろな年代の作品から万遍なく選ぶような配慮もされているようです。個人的には、拾い物が結構ありました。

【1.巨匠の出発点】
 ◆『或る「小倉日記」伝』...名作!
 ◆『恐喝者』...今で言えばストーカー
【2.マイ・フェイバリット】
 ◆『一年半待て』...夫殺しと「一事不再理」
 ◆『地方紙を買う女』...巻末に横山秀夫の翻案
 ◆『理外の理』...喰違門での首縊り
 ◆『削除の復元』...森鴎外の隠し子疑惑?
【3.歌が聴こえる、絵が見える】
 ◆『捜査圏外の条件』...上海帰りのリルが好きだった妹
 ◆『真贋の森』...贋作作戦?
【4.「日本の黒い霧」は晴れたか】                   
 ◆『昭和史発掘-二・二六事件』                    
 ◆『追放』
【5.淋しい女たちの肖像】
 ◆『遠くからの声』...姉婿から離れていく妹
 ◆『巻頭句の女』...死期が近い俳人を引き取って...
 ◆『書道教授』...(中篇)スケベ男の勘違いと顛末       
 ◆『式場の微笑』...ラブホテルでの着付けのアルバイト
カルネアデスの舟板 角川.jpg【6.不機嫌な男たちの肖像】                      
 ◆『共犯者』...自分を追ってくる共犯者と思いきや、共犯者の調査を依頼した男が...。    
 ◆『カルネアデスの舟板』...大学教授間の覇権争い
 ◆『空白の意匠』...地方紙の広告部長の焦燥と憤り、奔走の末の安心と急転直下の悲哀。巧い。
【7.タイトルの妙】
 ◆『支払い過ぎた縁談』...結婚詐欺の話。ショートショートみたい!
 ◆『生けるパスカル』(中篇)...挿入話『死せるパスカル』(フロイト『ヒステリー研究』の引用の仕方が巧い)
 ◆『骨壺の風景』
【8.権力は敵か】
 ◆『帝銀事件の謎-「日本の黒い霧」より』...S.23年の帝銀事件の幕引きの黒幕は元731部隊員を使っていたGHQ?
 ◆『鴉(からす)』...組合の委員長を殺した男の話、鴉で...
【9.松本清張賞受賞作家に聞きました】  

カッパ・ノベルス『松本清張短編全集』〈全11巻〉『松本清張短編全集〈第11〉共犯者 (1965年) (カッパ・ノベルス)』『共犯者 (新潮文庫)
カッパブックス 松本清張短編全集.jpg共犯者 kappa.jpg『共犯者』.jpg 「共犯者」は今年['06年]になって日本テレビの「DRAMA COMPLEX(ドラマ・コンプレックス)」枠('05年9月に終了した「火曜サスペンス劇場」の後継枠)で「松本清張スペシャル・共犯者」としてドラマ化されていました。

 ストーリーは、ある男が別の男と共謀して強盗に押し入った際に、侵入先の相手を死なせてしまい、その場は逃げ延びるものの、何年か後にど松本清張スペシャル・共犯者s.jpgスペシャル 共犯者.jpgうやらその共犯の男につけ狙われているのを感じ、そこで探偵にその共犯者の調査を依頼する―という流れですが、ドラマでは犯人、共犯者、探スペシャル 共犯者 室井.jpg偵の3人の主要登場人物が全て女性に置き換えられていました。調べてみたら23年ぶり5度目のドラマ化ということで、今までと違った特色を出したかったのでしょう。賀来千香子、とよた真帆、室井滋の女優陣の演技は安定感がありました(ただし、室井滋の役の役回り(探偵事務所所長・若杉千香子)の原作からの改変は微妙なところか)。
 
共犯者 賀来千香子4.jpg松本清張スペシャル 共犯者.jpg共犯者 賀来千香子・とよた真帆.jpg•日本テレビ系「松本清張スペシャル・共犯者」2006年5月9日放送(賀来千香子・とよた真帆)

松本清張スペシャル 共犯者 [DVD]['06年]「松本清張スペシャル・共犯者」●監督:上川伸廣●プロデューサー:小泉守/前田伸一郎/佐藤敦)●脚本:西荻弓絵/大河明日香●音楽:(オープニング)布袋寅泰「PHOENIX」/(エンディング)ゴスペラッツ「リンダ」●出演:賀来千香子 (内堀江梨子:現在は和食レストランチ松本清張スペシャル・共犯者 muroi4.jpgェーン「TAKUMI」 の女性社長。36歳)/室井滋 (若杉千香子:探偵事務所所長。45歳)/とよた真帆 (町田夏松本清張スペシャル・共犯者.jpg海:8年前、神戸で江梨子と同じ卸売市場で働いていた。36歳)/小橋賢児 (松本健:千香子の助手。30歳)/加藤治子 (内堀佳代子:江梨子の母。70歳)/細川茂樹(横山剛:江梨子の部下)/佐野史郎 (倭誠一:IT会社社長。38歳)/あいはら友子(お好み焼き屋のママ)●放映:2006/05(全1回)●放送局:日本テレビ
賀来千香子・とよた真帆 
 
《読書MEMO》
5松本清張スペシャル・地方紙を買う女-s.jpg●'07年「地方紙を買う女」が「火曜ドラマゴールド」枠('06年9月に終了した「DRAMA COMPLEX(ドラマ・コンプレックス)」の後継枠)で「松本清張スペシャル・地方紙を買う女」としてドラマ化(脚本は橋本忍の娘・橋本綾)。
l松本清張スペシャル 地方紙を買う女.jpg 宮城県の山中で、男女2人を心中に見せかけて殺害した潮田芳子(内田有紀)は、地元で発行されている地方紙を東京で定期購読して、事件のその後を見守っていた。間もなく、死体を発見した警察が、事件性のない心中だと断定して安心した芳子だったが、今度は彼女が新たに働き始めた銀座のクラブに、問題の地方紙に小説を連載している杉本孝志(高嶋政伸)という作家が現れたことから、事件は思わぬ方向に転がり始める―。
【感想】
 事件の舞台を山梨県から宮城県に移し、それに伴い女が買う新聞は「甲信新聞」から「仙台新報」になっていた(山梨日日新聞から河北新報になったということか)。内田有紀は、主人公を演じるには影の部分がやや弱いが、それなりに頑張ってはいた。高嶋政伸演じる小説家は、最初から事『顔・白い闇』.JPG日本テレビ 地方紙を買う女 utida.jpg件の裏側も分かって犯人の見当もついているみたいで、ちょっと「刑事コロンボ」みたなスタイルになっていた。ただし、犯人を逮捕に導くのではなく、「事件のことを小説にするためにそのことを調べている」という点が特徴的で、しかも、女に結婚を迫るという...。ラストは、原作の結末が高嶋政伸演じる小説家の書くドラマ内小説「地方紙を買う女」の結末になっていて、ドラマとしての結末は別のものが用意されていた。この結末って、"内田有紀向き"だったかもしれない。

松本清張スペシャル 地方紙を買う女2.jpg顔・白い闇 (角川文庫)』(顔/張込み/声/地方紙を買う女/白い闇)

「松本清張スペシャル・地方紙を買う女」●演出:雨宮望●プロデュー庄田昭夫/千原ジュニア.jpgサー:小林紀子(日本テレビ)/森雅弘/前田伸一郎(日本テレビ)●脚本:橋本綾●音楽:(エンディング)竹内まりや「告白」●原作:松本清張「地方紙を買う女」●出演:内田有紀/国分佐智子/千原ジュニア/井澤健/白川ゆり/温水洋一/あめくみちこ/左時枝/秋野暢子/高嶋政伸●放映:2007/01/30(全1回)●放送局:日本テレビ
千原ジュニア(ヒモ男・庄田昭夫)

 ●「一年半待て」のテレビドラマ化
「一年半待て」koyanagi.jpg •1960年「黒い断層~一年半待て(KR)」淡島千景・南原宏治・土屋嘉男
 •1961年「一年半待て(ABC)」斎藤美和、久松保夫・溝田繁
 •1962年「一年半待て(NHK)」斎藤美和・大滝秀治・南美江
 •1965年「一年半待て(CX)」三國連太郎・桜井良子・佐野浅夫
 •1968年「一年半待て(CX)」森光子・根上淳・稲野和子
 •1976年「一年半待て(NTV)」市原悦子・唐沢英二・緑魔子
 •1978年「一年半待て(NHK)」香山美子・早川保・南風洋子
一年半待て 多岐川.jpg •1984年「一年半待て(NTV)」小柳ルミ子勝野洋・樹木希林
 •1991年「一年半待て(ANB)」 多岐川裕美・小川真由美・篠田三郎
 •2002年「一年半待て(NTV)」浅野ゆう子・布施博・東幹久・丘みつ子
火曜サスペンス 一年半待て 浅野.jpg
 •2010年「一年半待て(BS-TBS)」夏川結衣・清水美沙・市原悦子
 •2016年「一年半待て(CX)」菊川怜 ・石田ひかり・雛形あきこ

一年半待て BSTBS.jpg一年半待て(CX)菊川怜.jpg松本清張スペシャル 一年半待て kikulkawa.jpg•BS-TBS「松本清張特別企画~一年半待て」2010年12月8日放映(夏川結衣・清水美沙・市原悦子)第48回ギャラクシー賞奨励賞受賞作品
•フジテレビ「松本清張スペシャル 一年半待て」2016年4月15日放映(菊川怜 ・石田ひかり・雛形あきこ)

 
 
(第6話)/地方紙を買う女30.png●「地方紙を買う女」のテレビドラマ化
 •1957年「地方紙を買う女(NHK)」大森義夫・藤野節子・千秋みつる
 •1960年「地方紙を買う女~松本清張シリーズ・黒い断層(KR)」堀雄二・池内淳子・杉裕之
 •1962年「地方紙を買う女~松本清張シリーズ・黒の組曲(NHK)」筑紫あけみ・野々村潔
 •1966年「地方紙を買う女(KTV)」岡田茉莉子・高松英郎・戸浦六宏
 •1973年「恐怖劇場アンバランス(第6話)地方紙を買う女(CX)」井川比佐志夏圭子・山本圭
「地方紙を買う女(CX)」小柳ルミ子.jpg •1981年「地方紙を買う女 昇仙峡囮心中(ANB)」安奈淳・田村高廣・室田日出男
 •1987年「地方紙を買う女(CX)」小柳ルミ子・篠田三郎・露口茂
 •2007年「松本清張スペシャル・地方紙を買う女(NTV)」内田有紀・高嶋政伸・秋野暢子
 •2016年「地方紙を買う女〜作家・杉本隆治の推理(ANB)」田村正和・広末涼子・水川あさみ

地方紙を買う女.jpg松本清張ドラマスペシャル・地方紙を買う女.jpg•日本テレビ系「火曜ドラマゴールド〜地方紙を買う女」2007年1月30日放映(内田有紀・高嶋政伸)
•テレビ朝日系「松本清張ドラマスペシャル・地方紙を買う女〜作家・杉本隆治の推理」2016年3月12日放映(田村正和・広末涼子)

 

●「書道教授」のテレビドラマ化
•1982年「書道教授(ANB)」近藤正臣・生田悦子
•1995年「書道教授(ANB)」風間杜夫・多岐川裕美
•2010年3月23日「書道教授(NTV)」船越英一郎・杉本彩
松本清張の「書道教授」.jpg書道教授.jpg•日本テレビ系「火曜サスペンス劇場〜書道教授」2010年3月23日放映(船越英一郎・杉本彩)
    
 
     
     
•テレビ朝日系「土曜ワイド劇場 松本清張の書道教授・消えた死体」1982年1月16日放送(近藤正臣・生田悦子)

 
  
●「共犯者」のテレビドラマ化
 •1960年「共犯者(フジテレビ)」岩井半四郎・藤波洸子
 •1962年「共犯者(NHK)」加藤嘉・浜村純・西村晃
 •1968年「共犯者(日本テレビ)」渡辺文雄・藤田佳共犯者 賀来千香子・とよた真帆3.jpg子・高松英郎
 •1983年「松本清張の共犯者(TBS)」平幹二朗・尾藤イサオ・畑中葉子
 •2006年「松本清張スペシャル・共犯者(日本テレビ)」賀来千香子・室井滋・とよた真帆
 •2015年「共犯者(テレビ東京)」観月ありさ・山本耕史・仲里依紗


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映画を見てドラマを見て再読して、"本格派" 推理小説だったと...。

砂の器 カッパ.jpg 砂の器 (カッパ・ノベルス 11-9).jpg 砂の器.jpg 砂の器 下.jpg  砂の器 dvd.jpg 砂の器 unnmei.jpg
砂の器 (カッパ・ノベルス 11-9)』『砂の器〈上〉 (新潮文庫)』 『砂の器〈下〉 (新潮文庫)』〔'06年改版版〕「砂の器 デジタルリマスター版 [DVD]

sunanoutuwa12.jpg この作品は、'60(昭和35)年5月から翌年4月にかけて「読売新聞」夕刊に掲載され、カッパ・ノベルスで'61(昭和36)年7月刊行、'74年に映画化されたほか、'04年には中居正広主演でTVドラマ化されているので、ストーリーを知る人は多いと思います。

 映画館で映画を観て、「宿命」という言葉(または"曲の演奏")が頭にこびりついてしまい、パセティックな作品とのイメージを持っていましたが、もう一度原作にあたってみると、刑事たちに視点を置いて犯人を地道に追う"本格派" 推理小説の色合いが強いという印象を受けました(中居正広主演のテレビ版は最初から犯人を明かす倒叙型だったので、ミステリとしての面白さは半減。脇役陣は手堅いが、主演の中居正広の演技下手が目立つのも痛い)。

 好みは人それぞれだと思いますが、小説における、推理を通して徐々に、間接的に"犯人像"を浮き彫りにして行く描き方の方が、主人公の"業"のようなものがじわ〜っと感じられる気もします(元々テレビ版の配役で「人間の業」のようなものの描出を期待する方が無理がある?)。

映画「砂の器」.jpg 野村芳太郎(1919‐2005)監督、橋本忍・山田洋次脚本による映画化作品('74年/松竹)は、他の野村監督作品と比較しても、また同じ時期に映画化された他の松本清張原作のものと比べても比較的良い出来だったと思います(個人的には同監督の「鬼畜」('78年/松竹)の方が若干上かなという気がするが、松本清張自身はこの映画化作品を気に入っていたらしい。世間的な評価も「砂の器」の方が上か)。

「砂の器」3.jpg 加藤剛が演じた〈和賀英良〉は、「飢餓海峡」('64年/東映)で三國連太郎が演じた〈犬飼多吉(樽見京一郎)〉や「白い巨塔」('66年/大映)で田宮二郎が演じた〈財前五郎〉と並んで、恵まれない境遇から「成り上がる男」を体現していたと思われ、また、刑事役の丹波哲郎の演技も光るものがありました(その部下役を森田健作が演じている)。

『砂の器』(1974).jpg ただし、幼児期の暗い記憶や、自分をいじめた社会に対しての見返してやるという登場人物のリベンジ・ファクターが清張作品ならではのものだと思うのですが、どこまで映像で表現されていただろうかという気もします。テレビ版では「ハンセン病」というファクターを抜いてしまっているので、なおさらに原作とのギャップを感じざるを得ませんでした。

砂の器 チラシ.bmp『砂の器』(1974)21.jpg  個人的には、この小説が今まで読んだ清張作品の中で一番だとは思わないし、「ハンセン病」に対する偏見を助長したという批判までありますが、作者の代表的な傑作作品であることに異存はなく、結末を知ったうえでも原作を読む価値はあると思います。

映画「砂の器」チラシ
Suna no utsuwa (1974)         
Suna no utsuwa (1974).jpg砂の器  1.jpg「砂の器」●制作年:1974年●製作:橋本忍/佐藤正之/三嶋与四治●監督:野村芳太郎●脚本:橋本忍/山田洋次●音楽:芥川也寸志●原作:松本清張●時間:143分●出演:丹波哲郎/森田健作/加藤剛/加藤嘉/緒形拳/山口果林/島田陽子/佐分利信渥美清笠智衆/夏純子/松山省二/内藤武敏/春川ますみ/花沢徳衛/浜村純/穂積隆信/山谷初男/菅井砂の器sunanoutuwa 1.jpg砂の器 丹波哲郎s.jpgきん/殿山泰司/加藤健一/春田和秀/稲葉義男/信欣三/松本克平/ふじたあさや/野村昭子/今井和子/猪俣光世/高瀬ゆり/後藤陽吉/森三平太/今橋恒/櫻片達雄/瀬良明/久保砂の器 (映画) 丹波 .jpg砂の器 丹波.jpg晶/中本維年/松田明/西島悌四郎/土田桂司/丹古母鬼馬二●劇場公開:1974/10●配給:松竹●最丹波哲郎 .jpg初に観た場所:池袋文芸地下(84-02-19) (評価★★★★)●併映:「球形の荒野」(貞永方久)
丹波哲郎 2006年9月24日没

加藤嘉(本浦千代吉(和賀英良(本名・本浦秀夫)の父))
砂の器 (映画) 加藤嘉 .jpg 砂の器 加藤嘉.jpg
緒形拳(亀嵩駐在所巡査・三木謙一)/佐分利信(前大蔵大臣・田所重喜)
緒方拳 砂の器.jpg 佐分利信 砂の器.jpg

渥美清(伊勢の映画館「ひかり座」支配人)/笠智衆(亀嵩算盤・桐原小十郎)
渥美清 砂の器.jpg 笠智衆 砂の器.jpg

殿山泰司(通天閣前の商店街の飲食店組合長)/丹波哲郎(警視庁捜査一課警部補・今西栄太郎)
砂の器 殿山泰司.jpg

池袋文芸地下 地図.jpg文芸坐.jpg


 
 
 
池袋・文芸地下 1955(昭和30)年12月27日オープン、1997(平成9)年3月6日閉館。

砂の器 DVD-BOX
砂の器 DVD-BOX.jpg「砂の器」 2004 2.jpeg砂の器 中居版.jpg「砂の器」(TVドラマ版)●演出:福澤克雄/金子文紀●脚本:龍居由佳里●音楽:千住明●出演:中居正広/松雪泰子/渡辺謙/武田真治/砂の器 原田芳雄.jpg京野ことみ/永井大/夏八木勲/赤井英和/原田芳雄/市村正親/かとうかずこ/佐藤仁美/佐藤二朗/森口瑤子/松岡俊介●放映:2004/01~03(全11回)●放送局:TBS

 
  【1961年ノベルズ版[光文社]/1973年文庫化・2006年改版版[新潮文庫]】

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「●さ行の日本映画の監督」の インデックッスへ「●斎藤 一郎 音楽作品」の インデックッスへ「●池部 良 出演作品」の インデックッスへ 「●新珠 三千代 出演作品」の インデックッスへ 「●平田 昭彦 出演作品」の インデックッスへ 「●志村 喬 出演作品」の インデックッスへ「●中村 伸郎 出演作品」の インデックッスへ「●宮口 精二 出演作品」の インデックッスへ「●丹波 哲郎 出演作品」の インデックッスへ「○日本映画 【制作年順】」の インデックッスへ 「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「天城越え」「黒い画集~紐」「黒い画集・証言(TBS)」「黒い画集~証言~(NHK-BSプレミアム)」)

黒い画集  寒流                 .jpg "映画化率・ドラマ化率"の高い短編集。映像と比べるのも面白い。

黒い画集 松本 清張.jpg 黒い画集 新潮文庫.jpg 黒い画集.jpg 黒い画集 あるサラリーマンの証言 dvd.jpg証言32.bmp
黒い画集―全一冊決定版 (1960年) (カッパ・ノベルス)』 『黒い画集 (新潮文庫)』 「黒い画集 あるサラリーマンの証言 [DVD]」(出演:小林桂樹/原佐和子) 映画「黒い画集 第二話 寒流」(出演:池部良/新珠三千代)
黒い画集 全三集』(2005年12月刊行(1959年刊行の復刻版))
黒い画集 00_.jpg黒い画集2.png黒い画集3.png『黒い画集』 .JPG 光文社カッパ・ノベルズの「全一冊決定版」は、'59(昭和34)年4月から翌年7月にかけて光文社から刊行された『黒い画集』第1巻から第3巻の中からの抜粋であり、珠玉の名編集と言えるかと思います(新潮文庫版『黒い画集』に同じラインアップで移植されている)。「遭難」「証言」「天城越え」「寒流」「凶器」「紐」「坂道の家」の所収7作中、自分の知る限りでは「証言」などの4作が黒い画集 あるサラリーマンの証言 ポスター.jpg証言1.bmp黒い画集 あるサラリーマンの証言.jpg映画化されており、"映画化率"の高い短編集ではないでしょうか。また、この短編集の中には何度もテレビドラマ化されているものもいくつもあります。
映画黒い画集 あるサラリーマンの証言('60年/東宝)主演:小林桂樹 

映画黒い画集 ある遭難('61年/東宝)出演:伊藤久哉/児玉清/香川京子/土屋嘉男
黒い画集 ある遭難 ポスタード.jpg黒い画集%20ある遭難3_033.jpg黒い画集%20ある遭難.jpg黒い画集 ある遭難0_.jpg 「遭難」の映画化作品('61年映画化・杉江敏男監督「黒い画集 ある遭難」)は脚本は石井輝男で、児玉清が被害者役、伊藤久哉が犯人役、土屋嘉男が犯人の犯罪を暴く役でしたが、最後だけ「悪」(ワル)」が勝利するかたちで終わってしまう原作を少し変えています。「証言」の映画化作品('60年映画化・堀川弘通監督「黒い画集 あるサラリーマンの証言」)は小林桂樹が好演、黒い画集 第二話 寒流.jpg黒い画集 第二話 寒流 ps1.jpg黒い画集 第二話 寒流 ps2.jpgこちらも、原作の後日譚を膨らませ、映画オリジナルの話が付け加わっています。「寒流」の映画化作品('61年映画化・鈴木英夫監督黒い画集 第二話 寒流)は池部良と新珠三千代の共演で、銀行員である主人公(池部良)が仕事上のきっかけで美人女将(新珠三千代)と知り合い、いい関係になったまではともかく、そこに主人公の上司である好色の常務(平田昭彦)が割り込んできて、主人公の仕事人生をも狂わせてしまうというものですが、主人公は原作と異なって、踏んだり蹴ったりの散々な目に遭うだけ遭って、ただそれだけで終わってしまう結末になっています。


映画「黒い画集 第二章 寒流」('61年/東宝)出演:池部良/新珠三千代
黒い画集 寒流01.jpg黒い画集 寒流03.jpg 「寒流」の原作でも主人公は踏んだり蹴ったりの目に遭いますが、ラストで主人公を陥れた常務に対して主人公が逆転劇を演じるのに対し、映画ではその逆転劇が企図されたこと(結局うまくいかない)の続きがあって、そこから二転三転して最終的には主人公が更なる絶望的な状況鈴木英夫監督.jpgに陥るところで終わります。映画化する際に原作の毒を薄めることはよくありますが、最後「悪」が勝利するように原作を改変しているのが和製フィルム・ノワールの名手と言われた鈴木英夫(1916-2002/享年85)監督なら松本清張作品「黒い画集 第二話 寒流」.jpgではという気もします。銀行本店には昭和27年までGHQが総司令部を置いていた旧第一生命ビルが使われていて、いかにも大銀行の本店という感じがします。池部良演じる銀行員は原作黒い画集 第二話 寒流 miyaguti.png以上に真面目そうに描かれていて、新珠三千代演じる女将に対しても最初は銀行員らしくかなり慎重に接しています。2人に割って入る平田明彦演じる常務のほかに、その常務の行内でのライバルの副頭取に中村伸郎、主人公が常務と女将の密偵を依頼する探偵社の男に宮口精二、味方かと思ったらとんでもない食わせ者だった総会屋に志村喬、常務が自分を陥れようとする主人公を脅すため差し向けたヤクザの親分に丹波哲郎―、探偵に宮口精二といった配役も楽しめました。
寒流 志村.jpg 寒流 丹波.jpg
「寒流」の過去のテレビドラマ化
「愛の断層」112.jpg •1960年「寒流 (日本テレビ)」山根寿子・細川俊夫・安部徹
 •1962年「寒流 (NHK)」原保美・春日俊二・環三千世
 •1975年「松本清張シリーズ・愛の断層 (NHK)」平幹二朗・香山美子・中谷一郎
 •1983年「松本清張の寒流 (テレビ朝日)」:露口茂・山口崇・近石真介
 •2013年「松本清張没後20年スペシャル・寒流 (TBS)」椎名桔平・芦名星・石黒賢

「松本清張シリーズ・愛の断層」 (1975/11 NHK) ★★★☆(平幹二朗・香山美子・中谷一郎)

「黒い画集・証言」('92年/TBS)渡瀬恒彦・有森也実・岡江久美子
黒い画集・証言289e.jpg 上記のように「寒流」は映画だけでなく何度かテレビドラマ化もされていますが、同じく「証言」も何度かテレビドラマ化されていて、'84年にはテレビ朝日の「土曜ワイド劇場」で柳生博主演で、'94年にはTBSの「月曜ドラマスペシャル」で渡瀬恒彦主演でドラマ化されており、'92年の渡瀬恒彦版の方を観ました。渡瀬恒彦は刑事ドラマにおける犯人を追いつめる「刑事」役のイメージが強いですが、こうしたドラマの追いつめられる側の「犯人」役をやらせてもうまいと思いました(その後、2020年にNHKで「黒い画集~証言~」として再度ドラマ化され、谷原章介演じる主人公の浮気相手が男性に改変されていた)

 「天城越え」の映画化作品('83年/松竹)は田中裕子の演技が高く評価された作品です(「天城越え」は'78年にNHKで大谷直子主演で、'98年にTBSで田中美佐子主演でテレビドラマ化もされている)。「天城越え」は、川端康成の『伊豆の踊子』に対する清張流の挑戦だという説もありますが(「踊り子を自分より下の弱い存在と見る東大生」vs.「旅の女性を憧憬のまなざしで見上げる少年」という対照的構図)、個人的にはこの説がある程度の説得力を持って感じられました。

天城越え [DVD]」 ('83年/松竹)
天城越え05.jpgamagigoe.jpg 映画化作品は、テレビで途中から観ることになってしまったため評価を避けますが、田中裕子演じる件(くだん)の酌婦・大塚ハナが派出所で少年の弁明をするという、小説には無い場面があったのではなかったかと(これが先駆けとなってか、以降の映像化作品ではこうしたハナが尋問を受ける場面NHK天城越え.jpgが必ずあるように思う)。'78年のNHK「土曜ドラマ」版(大谷直子、佐藤慶主演)ともしかしたら記憶がごっちゃになっているかもしれませんが(映画をテレビで観て、しかも別にあるテレビ版作品も観てしまうとこういうことになりがち)、警官の尋問中にハナがこらえ切れず失禁するシーンを、田中裕子が自らの申し出により仕掛け無しの体当たり演技でやったという逸話が知られているから、やっぱり映画の方をテレビで観たのでしょう。田中裕子はこの作品でモントリオール世界映画祭主演女優賞を受賞しています。

天城越え 田中美佐子版 01.jpg「天城越え」●.jpg  更に、'98 年の田中美佐子主演のNHKテレビ版では、少年(二宮和也)が大人(長塚京三)になってから大塚ハナと再会天城越え 田中美佐子版 dvd.jpgするという、原作にも他の映像化作品にはない独自の創作部分がありましたが、全体の出来としては悪くなく、ギャラクシー賞優秀賞などを受賞していることから一般の評価も高かったようです。この作品の翌年に「嵐」としてデビューした二宮和也のドラマ初出演作であり(当時、作中の「少年」と同じ14歳だった)、その演技が後々も話題になりますが、個人的には、田島刑事役を演じた蟹江敬三が(彼だけが同一人物の過去と現在の両方を演じているわけだが)渋みがあって良かったと思いました。 「天城越え [DVD]」('98年/TBS)

「ヒッチコック劇場(第84話)/兇器」('58年/米)/「ロアルド・ダール劇場 予期せぬ出来事(第4話)/おとなしい凶器」 ('79年/英)
Alfred Hitchcock Presents - Lamb to the Slaughter.jpgLamb to the Slaughter 1979 2.jpgあなたに似た人 (ミステリ文庫.jpg 「凶器」は、映画化されておらず、ドラマ化も60年代に1度あったきりのようでが、刑事が凶器として使われた"餅"を、そうとは気づかず犯人にご馳走になってしまう話であり、味があって好きです。この作品は、ロアルド・ダールの「おとなしい凶器」(『あなたに似た人』('76年/ハヤカワ・ミステリ文庫)に所収)を作者・松本清張が日本風にアレンジしたもので、オリジナルで凶器に使われるのは仔羊の冷凍腿肉です。「おとなしい凶器」はあちらでは「ヒッチコック劇場」でも「ロアルド・ダール劇場」でもドラマ化されています。

黒い画集・紐1.jpg紐.jpg 「紐」は過去に、酒井和歌子、浅丘ルリ子、名取裕子などの主演でドラマ化されていますが、昨年['05年]テレビ東京で余貴美子主演のものが放映されました。絞殺死体を巡って保険金殺人の疑いがあるものの、容疑者には完璧なアリバイがあるという話で、「サスペンス劇場」とか「愛と女のミステリー」で今も清張作品をとりあげているというのは、「清張」というネームバリューだけでなく、面白さに時代を超えた普遍性があるということだと思います。
松本清張スペシャル「黒い画集・紐」 ('05年/BSジャパン・テレビ東京)
松本清張傑作選 第二弾 紐dvd1.jpg松本清張傑作選 第二弾DVD-BOX」「紐」(1996年) 主演:名取裕子/「危険な斜面」(2000年) 主演:田中美佐子/「死んだ馬」(2002年) 主演:かたせ梨乃
「紐」の過去のテレビドラマ化
 •1960年「紐(KR)」(全3回)芦田伸介・北村和夫・千石規子
 •1962年「紐(NHK)」(全2回)岸田今日子・片山明彦・近藤準・内田稔
 •1979年「紐(ANB)」酒井和歌子・宇津宮雅代(宇都宮雅代)・中山仁
 •1985年「松本清張の黒い画集 紐(CX)」浅丘ルリ子・近藤正臣・佐藤允
 •1996年「紐(TBS)」名取裕子・内藤剛志・風間杜夫
 •2005年「黒い画集~紐(BSジャパン)」余貴美子・大地康雄・内藤剛志

 「坂道の家」は、文庫旧版で150ページ以上あり、短編と言うより中編で、小間物店を営み質素に生活を切りつめ、46歳の現在まで痩せた女房以外に女性を知らなかった寺島吉太郎という男が、ある日店を訪れた22,3歳の今まで見かけない女性に妙な魅力を感じ、次第に杉田りえ子というその女性にのめり込んでいくところから、吉太郎の蟻地獄が始まるというもの。こちらも何度かドラマ化されています。この作品も含め、原作と、映画やテレビドラマなどで映像化されたものとを比べてみるのも面白いかと思います。

「坂道の家」の過去のテレビドラマ化
 •1960年「坂道の家(KR)」(全10回)市川中車・水谷良重・千石規子・梅若正二・芦田伸介
 •1962年「坂道の家(NHK)」(全2回)織田政雄・友部光子・菅井きん・堀勝之祐
 •1965年「坂道の家(KTV)」三國連太郎(30分番組)
 •1983年「松本清張の坂道の家(NTV)」坂口良子・長門裕之・石田純一・正司歌江
 •1991年「松本清張作家活動40年記念・黒い画集 坂道の家(TBS)」黒木瞳・いかりや長介・沖田浩之
 •2014年「松本清張〜坂道の家(EX)」尾野真千子・柄本明・小澤征悦・渡辺えり

1983年「松本清張の坂道の家(NTV)」坂口良子・長門裕之・石田純一・正司歌江  「松本清張の坂道の家」 (1983/02 日本テレビ) ★★★★
「坂道の家」00.jpg
1991年「松本清張作家活動40年記念・黒い画集 坂道の家(TBS)」黒木瞳・いかりや長介
黒い画集 坂道の家 [VHS].jpg
2014年「松本清張〜坂道の家(EX)」尾野真千子・柄本明・小澤征悦
「松本清張〜坂道の家(EX)」.jpg
 
 


証言0.bmp証言1.bmp「黒い画集 あるサラリーマンの証言」 (1960/03 東宝) ★★★☆


   


 
黒い画集 ある遭難 title.jpg黒い画集 ある遭難40.jpg「黒い画集 ある遭難」 (1961/06 東宝) ★★★☆

    

黒い画集 寒流 ド.jpg黒い画集 寒流02.jpg
       
「黒い画集 第二話 寒流」 (1961/11 東宝) ★★★☆    

   
  


 
黒い画集 あるサラリーマンの証言.jpg「黒い画集 あるサラリーマンの証言」(映画)●制作年:1960年●監督:堀川弘通●製作:大塚和/高島幸夫●脚本:橋本忍●証言2.jpg撮影:中井朝一●原作:松本清張黒い画集 あるサラリーマンの証言      .jpg「証言」●時間:95分●出演:小林桂樹/中北千枝子/平山瑛子/依田宣/原佐和子/江原達治/中丸忠雄/西村晃/平田昭彦/小池朝雄/織田政雄/菅井きん/小西瑠美/児玉清/中村伸郎/小栗一也/佐田豊/三津田健●公開:1960/03●配給:東宝●最初に観た場所:池袋文芸地下 (88-01-23)(評価★★★☆)
小林桂樹/原佐和子

黒い画集 ある遭難m.jpg黒い画集 ある遭難55.jpg黒い画集 ある遭難15.jpg「黒い画集 ある遭難」(映画)●制作年:1961年●監督:杉江敏男●製作:永島一朗●脚本:石井輝男●撮影:黒田徳三●音楽:神津黒い画集 ある遭難43.jpg善行●原作:松本清志「遭難」●時間:87分●出演:伊藤久哉/和田孝/児玉清/香川京子/土屋嘉男/松下砂稚子/天津敏/那智恵美子/塚田美子●公開:1961/06●配給:東宝(評価:★★★☆) 
香川京子/伊藤久哉/土屋嘉男
  
池部良/新珠三千代/平田昭彦
黒い画集 寒流 title.jpg黒い画集 寒流00.jpg「黒い画集 第二話 寒流(黒い画集 寒流)」(映画)●制作年:1961年●監督:鈴木英夫●製作:三輪礼二●脚本:若尾徳平●撮影:逢沢譲●音楽:斎藤一郎●原作:松本清志「寒流」●時間:96分●出演:池部良(沖野一郎)/荒木道子(沖野淳子)/吉岡恵子(沖野美佐子)/多田道男(沖野明黒い画集 寒流_0.jpg)/新珠三千代(前川奈美)/平田昭彦(桑山英己常務)/小川虎之助(安井銀行頭取)/中村伸郎(小西副頭取)/小栗一也(田島宇都宮支店長)/松本染升(渡辺重役)/宮口精二(伊牟田博助・探偵)/志村喬(福光喜太郎・総会屋)/北川町子(喜太郎の情婦)/丹波哲黒い画集 第二話 寒流12.jpg郎(山本甚造)/田島義文(久保田謙治)/中山豊(榎本正吉)/広瀬正一(鍛冶久一)/梅野公子(女中頭・お時)/池田正二(宇都宮支店次長)/宇野晃司(山崎池袋支店長代理)/西条康彦(探偵社事務員)/堤康久(比良野の板前)/加代キミ子(桑山の情婦A)/飛鳥みさ子(桑山の情婦B)/上村幸之(本店行員A)/浜村純(医師)/西條竜介(組幹部A)/坂本晴哉(桜井忠助)/岡部正(パトカーの警官)/草川直也(本店行員B)/大前亘(宇都宮支店行員A)/由起卓也(比良野の従業員)/山田圭介(銀行重役A)/吉頂寺晃(銀行重役B)/伊藤実(比良野の得意先)/勝本圭一郎/松本光男/加藤茂雄(宇都宮支店行員B)/細川隆一/大川秀子/山本青位●公開:1961/11●配給:東宝(評価:★★★☆)

松本清張シリーズ・愛の断層  20.jpg「愛の断層」t.jpg「松本清張シリーズ・愛の断層」(TV)●演出:岡田勝●脚本:中島丈博●音楽:眞鍋理一郎●原作:松本清張「寒流」●出演:平幹二朗/香山美子/中谷一郎/殿山泰司/高田敏江/森幹太/鈴木ヒロミツ/山崎亮一/松村彦次郎/鶴賀二郎/望月太郎/テレサ野田/桂木梨江/石黒正男/戸塚孝/小林テル/本田悠美子/風戸拳/西川洋子/松本清張(クレジット無し)●放送日:1975/11/01●放送局:NHK(評価:★★★)

黒い画集・証言119eb.jpg松本清張サスペンス「黒い画集・証言」.jpg「黒い画集・証言」(TV)●演出:松原信吾●制作:斎藤守恒/浜井誠/林悦子●脚本:大藪郁子●音楽:茶畑三男●原作:松本清張「証言―黒い画集」●出演:渡瀬恒彦/岡江久美子/有森也実/佐藤B作/段田安則/高樹澪/山口健次/高松いく/志水季里子/渡辺いっけい/須藤雅宏/高山千草/住若博之/宮崎達也/小林勝彦/布施木昌之/梶周平/太田敦之/中江沙樹/児玉頼信/森富士夫/三上剛仙/安威宗治/桝田徳寿/武田俊彦/岩永茂/小林賢二/下川真理子/黒田国彦●放映:1992/10(全1回)●放送局:TBS

008005001360.jpg天城越え03.png「天城越え」(TV)●演出:大岡進●脚本:金子成人●原作:松本清張「天城越え」●出演: 田中美佐子/蟹江敬三/二宮和也/風間杜夫/室天城越え ドラマ 田中美佐子5.jpg田日出男/柳沢慎吾/余貴美子/斉藤洋介/寺島しのぶ/長塚京三/松金よね子/六平直政/遠藤憲一/不破万作/松蔭晴香/中丸新将/佐戸井けん太/温水洋一/河原さぶ/佐久間哲/都家歌六●放映:1998/1(全1回)●放送局:TBS

黒い画集・紐2.png黒い画集 紐.jpg「黒い画集~紐」(TV)●演出:松原信吾●制作:小川治彦●脚本:田中晶子●音楽:川崎真弘●出演:余貴美子/大地康雄/内藤剛志/真野響子/石橋蓮司/萩原流行/山田純大/小沢真珠/田中隆三/根岸季衣●放映:2005/01(全1回)●放送局:BSジャパン/テレビ東京

「坂道の家」01.jpg「坂道の家」0.jpg「松本清張の坂道の家」(TV)●監督:松尾昭典●プロデュース:嶋村正敏(日本テレビ)/田中浩三(松竹)/樋口清(松竹)子●脚本:宮川一郎●音楽:三枝成章●原作:松本清張「坂道の家―黒い画集」●出演:坂口良子 /長門裕之/石田純一/正司歌江/永島暎子/梅津栄/大地常雄/唐沢民賢/佐藤英夫/大場順/杉江廣太郎/中村竜三郎 /森章二/成田次穂●放映:1983/02(全1回)●放送局:日本テレビ

松本清張映画化作品集 1.jpg鬼畜 (双葉文庫  松本清張映画化作品集 2).jpg松本清張映画化作品集〈3〉遭難.jpg証言 (双葉文庫 ま 3-7 松本清張映画化作品集 1)』['08年]
鬼畜 (双葉文庫 ま 3-8 松本清張映画化作品集 2)』['08年]
松本清張映画化作品集〈3〉遭難 (双葉文庫)』['08年]

 【1959年単行本・2005年新装版[光文社]/1960年ノベルズ版[光文社]/1971年文庫化・2003年改版[新潮文庫]】

《読書MEMO》
黒い画集 00_.jpg黒い画集2.png黒い画集3.png  『黒い画集』 .JPG
『黒い画集1』
・遭難(「黒い画集」第1話)→『黒い画集』第1話
・坂道の家 (「黒い画集」第3話)→『黒い画集』第7話
『黒い画集2』
・紐 (「黒い画集」第5話)→『黒い画集』第6話
・天城越え (「黒い画集」第4話)→『黒い画集』第3話
・証言 (「黒い画集」第2話)→『黒い画集』第2話
・寒流 (「黒い画集」第6話)→『黒い画集』第4話
『黒い画集3』
・凶器 (「黒い画集」第7話)→『黒い画集』第5話
・濁った陽 (「黒い画集」第8話)
・草 (「黒い画集」第9話)

松本清張ドラマ 黒い画集~証言~01.jpg松本清張ドラマ 黒い画集~証言~02.jpg●2020年ドラマ化(「黒い画集~証言~」)【感想】 2020年5月にNHK-BSプレミアムにおいてテレビドラマ化(全1回)。主演は谷原章介。舞台を東京から金沢に変え、主人公の職業は医師で、3年前から妻(西田尚美)に隠れて密会を重ねている相手は、美大生の青年(浅香航大)になっている。放映前は、バイセクシャルや偽装結婚といった現代的世相を取り入れたことが話題になっていたが、実際に観てみると、終盤大きく原作を改変していた。調べてみると、番組ホームページに「ささやかな快楽を求め、思わず"偽証"をしてしまった男。その真実が明らかになる時、家族も仕事も失う恐怖から逃れようと、男はある決断をする。だが、その前に妻が夫に下した非情な審判とは?」とまで書かれていた。もう何回もドラマ化されているので、これまでとは違ったものにしたかったということか。ただ、この最後の改変部分はアガサ・クリスティの『鏡は横にひ松本清張ドラマ 黒い画集~証言~ 2020.jpgび割れて』などにもみられるタイプのもので、個人的には斬新さを感じなかったし、何よりも清張作品である『点と線』のラストにも近いとも言えるものだった。

「黒い画集~証言~」(TV)●演出:朝原雄三●制作統括:原克子(松竹)/後藤高久(NHKエンタープライズ)/髙橋練(NHK)●脚本:朝原雄三/石川勝己●音楽:沢田完●出演:谷原章介/西田尚美/浅香航大/宮崎美子/堀部圭亮/吉村界人/山田佳奈実/高月彩良●放映:2020/05/09(全1回)●放送局:NHK-BSプレミアム

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「●野村 芳太郎 監督作品」の インデックッスへ 「●橋本 忍 脚本作品」の インデックッスへ 「●芥川 也寸志 音楽作品」の インデックッスへ  「●久我 美子 出演作品」の インデックッスへ 「●有馬 稲子 出演作品」の インデックッスへ 「●加藤 嘉 出演作品」の インデックッスへ 「●西村 晃 出演作品」の インデックッスへ 「○日本映画 【制作年順】」の インデックッスへ 「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「ゼロの焦点」) ○あの頃映画 松竹DVDコレクション

社会ドラマとしての人間がしっかり描かれている初期代表作。

松本清張「ゼロの焦点」.jpg ゼロの焦点.jpg ゼロの焦点2.jpg 『ゼロの焦点』(1961)3.jpg 『ゼロの焦点』(1961).jpg 「ゼロの焦点」真野あずさ・林隆三 vhs - コピー.jpg
ゼロの焦点―長編推理小説 (カッパ・ノベルス)』['59年]/『ゼロの焦点 (新潮文庫)』/野村芳太郎 監督「ゼロの焦点 [DVD]」(1961年)/新藤兼人脚本/真野あずさ・林隆三主演「ゼロの焦点 [VHS]」(1991年)
『ゼロの焦点』昭和34年初版.jpgカッパ・ノベルス『ゼロの焦点』昭和34年初版
『ゼロの焦点』昭和34年初版2.jpg 板根禎子は、広告代理店に勤める鵜原憲一と見合い結婚、信州から木曾を巡る新婚旅行を終えた。その7日後、東京へ転勤になったばかりだった憲一は、仕事の引継ぎをしてくると言い前勤務地の金沢へ出張へ旅立つが、予定を過ぎても帰京しない―。やがて禎子のもとに、憲一が北陸で行方不明になったという勤務先からの知らせがある。禎子は単身捜査に乗り出すが、その過程で夫の知られざる過去が浮かび上がる―。

点と線.png 『ゼロの焦点』('58年発表)は、松本清張(1909‐1992)が点と線の翌年に発表したものですが(『ゼロの焦点』は1959年刊行のカッパ・ノベルスの創刊ラインアップの1冊となり、『点と線』はその翌年にカッパ・ノベルスに加わった)、最初読んだ時は、時刻表トリックにハマって『点と線』の方が面白く感じたものの、時間が経つにつれ、『ゼロの焦点』も好きな作品になってきました(『点と線』のトリックは時代を経ても色褪せたという印象は無く、むしろ、見合いだけで相手のことをよく知らないで結婚する―という設定においては、『ゼロの焦点』の方がよりクラシカルな雰囲気の背景設定とも言えるかも)。
点と線―長編推理小説 (カッパ・ノベルス (11-4))』['60年]

松本清張1.jpg この『ゼロの焦点』が書かれた時点で"社会派"推理小説というジャンル分けは確立していなかったと思いますが、この辺りがその始まりではないでしょうか。ミステリーとしては瑕疵が多いとの指摘もありますが、社会ドラマとしての人間がしっかり描かれて、これがこの作家の大きな魅力でしょう。また、清張の推理小説作品の中でも、風景の描写などに文学的な細やかさがあり、『点と線』と並んで"旅情ミステリー"のハシリとも言えるのではないでしょうか。冒頭部分だったかが国語の試験問題に出されたのを覚えています。

『ゼロの焦点』1.jpgzero1b.jpg 映画化された「点と線」('58年・カラー)「ゼロの焦点」('61年・モノクロ)をそれぞれ観ましたが、「ゼロの焦点」の方が、白黒の画面が"裏日本"北陸の寒々とした気候風土に合っゼロの焦点0.jpgた感じがして良かったです(●2009年に犬童一心監督、広末涼子・中谷美紀・木村多江主演で再映画化され、時代設定を安易に現代にせず、原作通り1957年から1958年頃の設定をにして頑張っていたが、どうしても雰囲気的にイマイチだった。1960年から1961年に撮影しているこの野村芳太郎版の時代的シズル感を今に再現するのはやはり難しいのか)

映画「ゼロの焦点 [DVD]」(1961年/松竹)      
「ゼロの焦点」●vhs.jpgゼロの焦点 1961.jpg 多くのサスペンスドラマの典型モデルとなった、日本海の荒波を背に崖っぷちで犯人が告白するというラストシーンなど、橋本忍の脚本の運びを原作と比べてみるもの面白いかと思います。橋本忍脚本の犯人の長台詞は、込み入った原作の背景を1時ゼロの焦点9.jpg間半の映画に収めようとした結果の「苦肉の策」とだったともとれるのですが...(因みに、山田洋次監督も共同脚本として名を連ねている)。

沢村貞子/久我美子
 
zero-focus-snowy-houses-kanazawa.jpg この映画作品が発表された後、作品の舞台周辺への観光客が増加し、一方、能登金剛・ヤセの断崖(映画の舞台)での投身自殺が急増したとのことです。自分も行ったことがありますが、「早まるな」と書いた立て札があったように思います。金沢ロケで雪がかなり積もっているのは、昭和35年末から36年初めの北陸地方の豪雪によるもの。「昭和38年1月豪雪」はよく知られていますが、この時も結構積もったようです。

[ゼロの焦点 有馬稲子.jpg(●2020年にシネマブルースタジオの「戦争の傷跡」特集で再見した。原作の鵜原憲一が勤める「A広告社」は「博報社」になっていたのだなあ。ラストの謎解きは、主人公の推理と犯人の告白が交互に映像化されるスタイルになっていたことを改めて確認した。'91年にビデオで観たのが初有馬稲子3.jpgめてで、その時点で映画が作られてから30年で、今またそこから30年経とうとしているのかと思うと何か感慨深い。1931年生まれの久我美子も1932年生まれの有馬稲子も2020年時点で健在である。)
有馬稲子/高千穂ひづる

 因みに、「ゼロの焦点」は、調べた限りでは60年代から90年代にかけて6回テレビドラマ化されていますが、「点と線」は1回もドラマ化されていないようです。(「点と線」はその後、2007年にビートたけし主演でドラマ化された。)
ゼロの焦点 1991.jpg •1961年「ゼロの焦点(CX)」野沢雅子・河内桃子
 •1971年「ゼロの焦点(NHK)」十朱幸代・露口茂
 •1976年「ゼロの焦点(NTV)」土田早苗・北村総一朗
 •1983年「松本清張のゼロの焦点(TBS)」星野知子・竹下景子
 •1991年「ゼロの焦点(NTV)」真野あずさ林隆三
 •1994年「ゼロの焦点(NHK BS-2)」斉藤由貴・萩尾みどり

「ゼロの焦点」真野あずさ・林隆三.jpg この中で印象に残っているのは'91年の鷹森立一監督による日本テレビ版(「火曜サスペンス劇場」)で、眞野あずさ (板根禎子)、林隆三(北村警部補新藤兼人.png)、芦川よしみ(田沼久子)、増田恵子(室田佐知子)といった布陣ですが、原作者・松本清張の指名を受けた新藤兼人(1912‐2012/享年100)が脚本を手掛けています。個人的には、主役の真野あずさ、林隆三(1943‐2014/享年70)とも良かったように思います。眞野あずさ 演じる板根禎子が、パンパン上がりのふりをして増田恵子(元ピンク・レディー!)演じる室田佐知子に探りを入れるというのが素人にそこまで演技が出来るかと思「ゼロの焦点」真野あずさ.jpgうとちょっとどうだったか。ラストの犯人が海上に小舟を漕ぎ出すシーン火曜サスペンス劇場「ゼロの焦点」.jpgの撮影に関しては新藤兼人の発案ではなく、原作者である松本清張の希望により脚本に導入され、むしろ新藤兼人は難色を示したものの、その方向で撮影が行われたとのこと(原作も一応そうなっているのだが)。おそらく松本清張は、このTV版のロケの時期が初夏になったことで、部分的に趣向を変えてみてもいいかなと考えたのではないでしょうか。すでに5回目のTVドラマ化であったというのもあるかと思います和倉温泉「銀水閣」[左下写真]2007年の能登半島地震の風評被害、東日本大震災による予約キャンセルなどで経営が行き詰まり、2011年4月25日閉館)

Zero no shôten (1961)
Zero no shôten (1961) .jpg「ゼロの焦点」●制作年:1961年●監督:野村芳太郎●脚本:橋本忍山田洋次●撮影:川又昂●音楽:芥川 也寸志●原作:松本清張●時間:95分●出演:久我美子/高千穂ひづる/『ゼロの焦点』2.jpg有馬稲子/南原宏治/西村ゼロの焦点 加藤嘉.jpg晃/加藤嘉/穂積隆信/野々浩介/十朱久雄/高橋とよ/沢村貞子/磯野秋雄/織田政雄/永井達郎/桜むつゼロの焦点 1961(1).jpg子/北龍二(本編では佐々木孝丸がキャストされている)/稲川善一/山田修吾/山本幸栄/高木信夫/今井健太郎/遠山文雄●劇場公開:1961/03●配給:松竹●最初に観た場所:銀座・東劇(野村芳太郎特集)(05-08-13)●2回目:北千住・シネマブルースタジオ(20-08-24)(評価★★★★)
[ゼロの焦点].jpg
ゼロの焦点 1961年 1.jpg ゼロの焦点 1961年 2.jpg
ゼロの焦点 1961年 4.jpg ゼロの焦点 1961年 5.jpg
「野村芳太郎特集」00.jpg
「野村芳太郎特集」.jpg
南原宏治 in「ゼロの焦点」('61年/松竹)/「網走番外地」('65年/東映)
鵜原憲一:南原宏治.jpg 網走番外地 南原宏治 高倉健4.jpg


ゼロの焦点 真野あずさ・林隆三1.jpgゼロの焦点 真野あずさ・林隆三2.jpg「ゼロの焦点―松本清張作家活動40年記念スペシャル(松本清張スペシャル・ゼロの焦点)」●監督:鷹森立一● プロデュー増田恵子.jpgサー:嶋村正敏(日本テレビ)/赤司学文(近代映画協会)/坂梨港●脚本:新藤兼人●音楽:大谷和夫●原作:松本清張●出演:眞野あずさ/林隆三/増田恵子(元ピンク・レディー)/芦川よしみ/藤堂新二/並木史朗/岸部一徳/神山繁/音無真喜子/乙羽信子/平野稔/金田明夫●放映:1991/07/09(全1回)●放送局:日本テレビ(「火曜サスペンス劇場」枠)

ゼロの焦点 [VHS]」(眞野あずさ主演) 
真野あずさ(板根(鵜原)禎子)/林隆三(金沢署・北村警部補)/増田恵子(室田儀作の後妻・室田佐知子)/神山繁(室田煉瓦社長・室田儀作)/岸部一徳(憲一の兄・鵜原宗太郎)
ゼロの焦点―作家活動40年記念.jpg

 
 
 

ゼロの焦点 ブルーレイ.jpg映画「ゼロの焦点」(1961) vhs.jpg ゼロの焦点 新潮文庫.jpg『あの頃映画 the BEST 松竹ブルーレイ・コレクション ゼロの焦点』 [Blu-ray]ゼロの焦点 [VHS]/(2009年再映画化)新潮文庫・映画タイアップカバー 

   
ゼロの焦点0.jpgゼロの焦点 2009.jpgゼロの焦点 2009 03.jpg犬童 一心 「ゼロの焦点」 (2009/11 東宝) ★★★

【1959年ノベルズ版・2009年カッパ・ノベルス創刊50周年特別版[光文社]/1971年文庫改版[新潮文庫]】 

《読書MEMO》
●加賀屋
野村芳太郎監督「ゼロの焦点」('61年) のロケで使われた(原作執筆時の松本清張も宿泊)。
加賀屋 .jpg ゼロの焦点 1961年.jpg
  
 

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芥川賞作家としての松本清張の作品。「火の記憶」もよかった。

或る「小倉日記」伝 65.jpg或る「小倉日記」伝.jpg  『或る「小倉日記」傳』.jpg    「或る『小倉日記』伝」.jpg
或る「小倉日記」伝』 新潮文庫['65年/旧版]['97年/改版]/『或る「小倉日記」伝―他五篇 (1958年) (角川文庫)』/松本清張一周忌特別企画「或る『小倉日記』伝」('93年TBS/出演:松坂慶子、筒井道隆、国生さゆり)

 松本清張(1909‐1992)の初期12作を所収。表題作「或る『小倉日記』伝」は'52(昭和27)年下半期・第28回「芥川賞」受賞作で、同じ期の直木賞候補作品にもなっています(まず直木賞候補となり、その後直木賞選考委員会から芥川賞選考委員会へ廻された)。結果的に芥川賞の方を受賞しましたが、歴代の「芥川賞作家」で最も多くの読者を獲得したのは松本清張だと言われています(歴代の「直木賞作家」で最も多くの読者を獲得したのは司馬遼太郎だと言われている。「菊池寛賞」を、司馬遼太郎は『竜馬がゆく』『国盗り物語』などの功績により'66年に、松本清張は『昭和史発掘』などの功績により'70年にそれぞれ受賞している)。

 「或る『小倉日記』伝」の主人公である脳性麻痺の郷土史家・田上耕作は実在の人物ですが、作者は見事な創作に昇華しています。失われたとされる鷗外の「小倉日記」を再構築しようとする主人公の熱意。何が彼をそこまで駆きたて、また、その追跡努力に意義はあったのか?という大きな問いかけが主テーマだと思いますが、主人公に限らず、何らかの形で自らがこの世に存在したことの証を示したいという思いは誰にでも共通にあるものであり、それゆえに主人公のひたむきさが胸を打ちます。伝記的なスタイルをとりながらも、叙情溢れる表現が随所に見られ、また、主人公の母親の子に対する愛情の深さには胸が熱くなりました(確かに、「芥川賞」と「直木賞」の両方の要件を満たすものをこの作品は持っているかも)。

 '93(平成5)年に「松本清張一周忌特別企画」としてTBSでドラマ化されましたが(制作は「松本清張の作家活動40周年記念・西郷札」('91年/TBS)と同じく堀川とんこう(1937-2020)で、今回は演出も兼ねている)、主演の筒井道隆はドラマ初主演にして頑張っていたという感じ(「あすなろ白書」('93年/フジテレビ)で主役の掛居保、「君といた夏」('93年/フジテレビ)で同じく主役の入江耕平を演じて「トレンディドラマを代表する俳優の1人」としてブレイクする前のこと。この俳優は映画デビュー作の「バタアシ金魚」('90年/シネセゾン)から観ている)。多くの賞を受賞しましたが、原作はミステリと言うより文芸作品に近いものだからなあ。原作の微妙な情感がどこまで表現されていたかと言うと微妙なところでした。

 同録のものでは、同じく純文学的色彩の濃い「火の記憶」が好きです。この作品の"ボタ山の炎の記憶"と『或る「小倉日記」伝』の"鈴の音の記憶"は、ともに作品の重要なファクターとなっていますが、登場人物の幼い頃の記憶であるにも関わらず、読む側にも不思議な郷愁、幼児期の記憶を呼び起こさせるものがありました。


5ドラマ『或る「小倉日記伝」』.jpg「松本清張一周忌特別企画・或る「小倉日記」伝」●演出:堀川とんこう●制作:堀川とんこう●脚本:金子成人●原作:松本清張●出演:松坂慶子/筒井道隆/蟹江敬三/国生さゆり/大森嘉之/佐戸井けん太/今福将雄/松村達雄/西村淳二●放映:1993/08(全1回)●放送局:TBS
「或る「小倉日記」伝」ドラマ.jpg
筒井道隆(耕造)・国生さゆり(看護婦・てる子)/松坂慶子(母・ふじ)/蟹江敬三(白川病院院長・白川慶一郎)

《読書MEMO》 
「新潮文庫」版 収録順
●或る「小倉日記」伝★★★★★.
●菊枕...狂った女流俳人ぬい(杉田久女がモデル、遺族の訴えで名誉毀損に)
●火の記憶★★★★★...ボタ山の炎の記憶、警官と母の不倫
●断牌...代用教員上がりの異端考古学者・木村卓司(森本六爾がモデル)
●壺笛...女で身を滅ぼした考古学者
●赤いくじ...朝鮮での軍医と参謀長の女性を巡る確執
●父系の指...自伝的要素の強い作品だが、清張は創作だと言っていた
●その他に「石の骨」「青のある断層」「喪失」「弱味」「箱根心中」を収録

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「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「西郷札」)

松本清張の短編集に手をつけてみたい人には最もオススメできる1冊。

西郷札―松本清張短編全集〈1〉.jpg西郷札.jpg  松本 清張 『西郷札』.jpg 「西郷札」.jpg
西郷札-松本清張短編全集〈1〉 (カッパ・ノベルス)』〔'63年〕/『西郷札―松本清張短編全集〈01〉 (光文社文庫)』/「松本清張作家活動四十年記念ドラマスペシャル「西郷札」【TBSオンデマンド】」('91年TBS/出演:緒形直人、仙道敦子)

 表題作の「西郷札(さつ)」とは、西南戦争中に薩軍が発行した軍票(兌換紙幣)のこと。薩軍にいた主人公・樋村雄吾はその造幣に携わるが、敗戦後は人力車夫となる。そしてある日、かつて思いを寄せていた義妹と偶然に再会するが、彼女は政府要人・塚村圭太郎の妻になっていた。ふたりは逢引を重ねるが、雄吾はふとしたことから西郷札の政府買い上げ運動の協力をある人物から要請され、義妹を通して塚村に会う。塚村の「充分(政府が西郷札を買い上げる)見込みがある」という言葉に、雄吾は自分自身のために西郷札の買占めに奔走するが―。

 『週刊朝日』が'50(昭和25)年に募集した小説コンクールに松本清張(1909‐1992)が応募し、「3等」に入選したデビュー作ですが、ホントは実力的には「1等」の評価だったようです。しかしながら、作者が朝日新聞の校正部に勤めていることが判明し、慌てて「3等」にしたわけで、現にこの作品は直木賞候補になっています。

 それにしても歴史から題材を得るのがうまい(このうまさに三島由紀夫が嫉妬して、文学全集編纂のとき松本清張を外したという話もある)。多分、明治初期のキャリア官僚で、出世コースび乗りながら後世に名を残していない人物がいることから、こうした物語を構想したのではないかと言われています。

 '91(平成3)年に松本清張の作家活動40周年記念としてTBSでドラマ化され(NHKに次いで2回目)、緒形直人、仙道敦子が主演、この2人は共演の2年後に結婚しました。

西郷札―松本清張短編全集1.jpgカッパブックス松本清張短編全集.jpg カッパ・ノベルズの松本清張短編全集は'63(昭和38)年に刊行されましたが、'77年と'02年に改訂が行われていて、02年改訂は「没後10周年企画」として行われました。全11巻あり、この第1巻には初期の作品が8作収められて、「くるま宿」「或る『小倉日記』伝」「火の記憶」などの名作が並び、「啾々吟」「戦国権謀」「白梅の香」といった歴史小説もあります。個人的には最後の、阿蘇で自殺しそこなった人を助けるという変わったことをしている親父から聞いた話を裏返して書いた「情死傍観」が拾い物でした。清張の短編集に手をつけてみたい人には最もオススメできる1冊です。

カッパ・ノベルズ「松本清張短編全集」

 
「西郷札」ドラマ vhs.jpg西郷札 5.jpg西郷札520.jpg「西郷札」●演出:大岡進●制作:堀川とんこう●脚本:金子成人●音楽:奥慶一●原作:松本清張「西郷札」●出演:緒形直人/仙道敦子/蟹江敬三/川谷拓三/中田喜子/柳沢慎吾/前田吟/大滝秀治/風間杜夫●放映:1991/04/08(全1回)●放送局:TBS


 【1963年ノベルズ版・2002年第3版[光文社]/1965年文庫化[新潮文庫]/2008年再文庫化[光文社文庫]】

東京高山書院版(1955/11)
松本清張『 西郷札 』高山書院 - コピー.jpg 松本清張『 西郷札 』高山書院.jpg

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隠れた剣客というだけではなく、自分なりの価値観を持つ男たち。

たそがれ清兵衛 映画タイアップカバー.jpgたそがれ清兵衛2.jpg たそがれ清兵衛 dvd.jpg m020937a.jpg
たそがれ清兵衛』 単行本新装改訂版 ['02年] 「たそがれ清兵衛 [DVD]」 (松竹/監督:山田 洋次/出演:真田広之, 宮沢りえ)
たそがれ清兵衛 (新潮文庫)』(カバー:村上 豊)  Tasogare Seibei (2002)
Tasogare Seibei (2002).JPG

 表題作「たそがれ清兵衛」のほか、「うらなり与右衛門」「ごますり甚内」「ど忘れ万六」「だんまり弥助」「かが泣き半平」「日和見与次郎」「祝い人助八」の全8編を収録。

 一見すると情けないほど貧相だったり頼りなさげだったりするため普段は侮られているのだけれど、いざという時には毅然とした行動をとる男たちの話。彼らは何れも、しがない宮仕えの下級武士なのですが、実は知られざる(知る人ぞ知る)凄腕の剣客なのである―こうした「スーパーヒーロー」と言うよりむしろ「アンチヒーロー」達による剣豪小説は、サラリーマンの心をくすぐるものがあるのかも知れません。

 表題作「たそがれ清兵衛」のように、意図せずに上意討ちの討ち手に選ばれてしまうといった話が多いのですが、命令には従い、そしてやり遂げる。しかし、そのことを足掛かりに出世しようなどという気は毛頭ない―。 "逆刺客"を倒した直後も番所へ届けず、とっとと家路を急ぐ主人公の姿に、夫婦愛というより、自分なりの価値観を持った人間が描かれていると思いました。

 「うらなり与右衛門」「日和見与次郎」などは義憤による敵討ちの話で、外見や日頃の立ち振る舞いでは窺えない主人公の心意気が伝わってきます。風呂敷包みに隠されていた"うらなり"与右衛門のしたたかさ、黒幕を絶対に許さない"日和見"与次郎の徹底ぶりが、"うらなり"や"日和見"といった外見とは対照的であり、強く印象に残りました。 

たそがれ清兵衛 0.jpg 「たそがれ清兵衛」は2002年に山田洋次監督によって映画化され、同監督初の時代劇でしたが、第76回キネマ旬報ベスト・テンの第1位に選ばれるなど多くの賞を受賞しました(「毎日映画コンクール 日本映画大賞」「ブルーリボン賞 作品賞」「報知映画賞 作品賞」「山路ふみ子映画賞」「日刊スポーツ映画大賞 作品賞」など作品賞を総嘗めした)。

宮沢りえ(朋江)/真田広之(清兵衛)

 元が短編であるだけに、他と短編と組み合わせて話を膨らませている部分があり、真田広之演じる清兵衛は、最近妻に死なれ、認知症の母と幼い娘2人を抱えており、残業しないのも無理はないという感じで(しようと思っても出来ない)、 宮沢りえ演じるヒロインの朋江は、夫の家庭内暴力で出戻りとなった親友の妹という設定になっています(何だか現代的)。

田中泯(一刀流の使い手・余吾善右衛門)/真田広之
たそがれ清兵衛 殺陣.jpg 清兵衛と朋江の相互の切ない想いの描き方は感動的でしたが、原作はもっと軽い感じだったという印象。但し、意図せずに上意討ちの討ち手に選ばれてしまうというのは原作通りで、真田広之と田中泯の殺陣シーンはなかなかリアリティがありました。こうした、テレビ時代劇などにある従来のお決まりの殺陣シーンとは違った演出ばかりでなく、時代考証も細部に行き届いているようで、山田洋次監督の初時代劇作品への意気込みが感じられ、真田広之、宮沢りえの演技も悪くなかったです(真田広之、宮沢りえそれぞれ日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞・女優賞を受賞。映画デビュー作の田中泯は最優秀助演男優賞、新人俳優賞のW受賞)。
   
丹波哲郎(清兵衛の本家の叔父・井口藤左衛門)/岸恵子(清兵衛の娘・井口以登(壮齢期))
たそがれ清兵衛 丹波哲郎2.pngたそがれ清兵衛 岸恵子2.jpg でも、恋愛を描いたことで、完全に原作とは別物の作品になった印象もありました。話の枠組みを岸恵子(壮齢となった清兵衛の娘)の語りにする必要もなかったし(岸恵子は「男はつらいよ 私の寅さん」('73年/松竹)以来の山田洋次監督作品への出演)、その語りによるエピローグで清兵衛を戊辰戦争で死なせる必要も無かった―更に言えば、どうせここまで改変するならば、2人を結婚させず悲恋物語にしても良かったように思います。
     
たそがれ清兵衛 01.jpg「たそがれ清兵衛」●制作年:2002年●製作:大谷信義/萩原敏雄/岡素之/宮川たそがれ清兵衛 丹波哲郎.jpg智雄/菅徹夫/石川富康●監督:山田洋次●脚本:山田洋次/朝間義隆●撮影:長沼六男●音楽:冨田勲●原作:藤沢周平「たそがれ清兵衛」「竹光始末」「祝い人助八」●時間:129分●出演:真田広之/宮沢りえ/田中泯/小林稔侍/大杉漣/吹越満/深浦加奈子/神戸浩/伊藤未希/橋口恵莉奈/草村礼子/嵐圭たそがれ清兵衛   .jpg史/岸惠子/中村梅雀/赤塚真人/佐藤正宏/桜井センリ/北山雅康/尾美としのり/中村信二郎/丹波哲郎たそがれ清兵衛   .jpg/佐藤正宏/水野貴以●劇場公開:2002/11●配給:松竹(評価★★★☆)
[右写真]小林稔侍/宮沢りえ/山田洋次監督/真田広之/丹波哲郎

 【1988年単行本・2002年新装版[新潮社]/1991年文庫化・2006年改版[新潮文庫]】

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恋するキャリアウーマン。職探しの侘しさとユーモア。人物の描き方の幅。

刺客 単行本.jpg 『刺客―用心棒日月抄』(1983年) 刺客.jpg刺客 用心棒日月抄.jpg 『刺客―用心棒日月抄(じつげつしょう) (新潮文庫)』(カバー:村上 豊) 

 藤沢周平(1927‐1997)の時代小説シリーズ「用心棒日月抄」の第3弾で、「小説新潮」に'81年から'83年にかけて断続連載された作品。
 主人公の青江又八郎は、お家乗っ取りを画策する黒幕から、陰の組織「嗅足組」を壊滅するため江戸に放たれた5人の刺客を倒すべく、3度目の脱藩をし用心棒稼業をしながらその機を窺う―。

 藩士の非違を探る「嗅足組」の女首領・佐知は、本シリーズの第2の弾「孤剣」では又八郎と対決したこともありましたが、最後には又八郎の危機を救った女性。
 本作では、又八郎の陰となり活躍しつつ、又三郎に想いを寄せる姿が切ない。職場の男性に恋したキャリアウーマンといったところでしょうか。

 又八郎の用心棒暮らしの侘しさや、用心棒仲間の浪人・細谷とのユーモラスなやりとりが、親近感を抱かせます。
 2人は"口入れ屋"を通して用心棒の仕事を探しますが、今で言う人材派遣業者への登録か(ただし、又三郎も細谷も腕が立つので口入れ屋の二枚看板になっている)。

 又八郎は基本的にはストイックなのですが、妻子持ちでありながら佐知と交情するなど、決して聖人君主ではありません。この辺りに作者の人物の描き方の幅を感じました。

 「用心棒日月抄」「孤剣」「刺客」、そして少し後に書かれた「凶刀」と進むにつれて、一話完結スタイルから長編小説のような構成に推移していますが、この「刺客」あたりが、既に説明的な記述はあまり要しなくなっていて、又八郎のキャラクターも確立されていて、一番切れ味鋭いというか無駄がないように感じました。

 「用心棒日月抄」が「腕におぼえあり」(村上弘明・渡辺徹主演)としてNHKでドラマ化されて人気を博し、2003年にシリーズ4冊とも単行本が新装改訂されています。

腕におぼえあり DVD.jpg腕におぼえあり nhk.jpg「腕におぼえあり(1)~(3)」●演出:大原誠ほか●制作:一柳邦久●脚本:中島丈博/金子成人●音楽:近藤等則●原作:藤沢周平「用心棒日月抄」●出演:村上弘明/渡邊徹/清水美沙/坂上二郎/北林谷栄/香取慎吾/刺客―用心棒日月抄―.jpg小田茜●放映:1992/04~19993/03(全35回)[(1)1992/04~06(全12回)/(2)1992/09~11(全13回)/(3)1993/01~03(全10回)]●放送局:NHK        村上弘明/渡邊徹

刺客―用心棒日月抄』 単行本新装改訂版 ['03年] 

 【1983年単行本・2003年新装改訂〔新潮社〕/1987年文庫化[新潮文庫]】

「●ふ 藤沢 周平」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【482】 藤沢 周平 『刺客

彫師伊之助のキャラクターを確立した快作時代推理(時代人情)物。

漆黒の霧の中で 単行本.jpg  『漆黒の霧の中で―彫師伊之助捕物覚え』.JPG  漆黒の霧の中で bunko.jpg
漆黒の霧の中で―彫師伊之助捕物覚え』(1982年) 『漆黒の霧の中で―彫師伊之助捕物覚え (新潮文庫)』(カバー:蓬田やすひろ)

 藤沢周平(1927‐1997)の時代小説のシリーズものでは、「用心棒日月抄」「獄医立花登手控え」「隠し剣」などと並ぶのがこの「彫師伊之助捕物覚え」です。
 主人公の伊之助は、元は凄腕の岡っ引でしたが、妻が他の男と無理心中したことから岡っ引を辞め、今は木彫り職人としてある意味むしろ気ままに働いています。
 しかしかつての彼の実力を知る同心からなんやかやで要請を受け、昔とった杵柄で難事件を解決する―。

 本作はシリーズの第1弾「消えた女」に続く第2弾で、連続殺人事件を扱っているものの、ミステリーとしての色合いよりも江戸の市井の人々の人情話的要素がふんだんに盛り込またものとなっています。
 「彫師伊之助」は過去を引きずった翳のある人物ですが、職人としての一見平凡な日常、事故死に見せかけた殺人を見抜く鋭さ、女性に対するやさしい一面などを含め、そのハードボイルド風のキャラが本作において確立したとも言えます。
 
 職場では自分の過去や事件捜査をしていることを隠して"定時退社"しているところなど、サラリーマンの「俺には皆に言えない別の顔があるのだ」みたいな、何かそんなものが自分にもあればカッコいいかなというイマジネーションを刺激するのかも知れません。
 
 推理小説としてどうかという部分は多少ありますが(むしろ人情物?)、全編通して会話が多く、テンポよく読める快作です。

 【1986年文庫化[新潮文庫]】

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秀吉vs.家康、兼続vs.三成、忍者の世界の3階層にわたり楽しめる。

密謀 上巻 [単行本].jpg 密謀 上下.png  『密謀 (上)』.JPG  密謀下.jpg
密謀 上巻』『密謀 下巻』['82年/毎日新聞社]/『密謀 (上巻) (新潮文庫)』『密謀 (下) (新潮文庫 (ふ-11-13))

直江兼続.jpg 時代小説、時代推理作家というイメージが強い著者ですが、これは豊臣から徳川にかけての時代の転換期を描いた「歴史小説」です(と言っても時代小説と歴史小説を区別することに藤沢周平は疑念があったようですが)。
 主人公は、上杉景勝の若き参謀・直江兼続(かねつぐ)ですが、物語は兼続と豊臣方の石田三成との参謀同士の駆け引きを軸に、その「上部構造」として秀吉と家康の駆け引き、「下部構造」として兼続が擁する草(忍びの者)の活躍を描いています。
直江兼続 (なおえ かねつぐ)

 当然「上部構造」は史実に則りつつ、秀吉と家康のそれぞれの智略家ぶりを、司馬遼太郎などとはまた違ったタッチで描いていて、著者が歴史小説家としても充分な力量があったことを表しています。

 中核となる兼続と三成の関係においては、両者の間に果たされなかった〈密約〉があったのではないかという著者の考察を含め、互いを認め合った両者の友情にも似た感情と、上杉に仕える身である兼続の立場や心情がよく描けています。

密謀.jpg 「下部構造」の忍びの者の世界の話は創作的要素が大きいわけですが、静四郎という兼続に拾われた青年を軸に、"時代小説っぽく"描かれています。

 ある意味、3階層にわたり楽しめる長編作品。1982年の刊行ですが、1997年に単行本の新装版(全1巻)が出たことでもその人気が窺える作品です。

密謀』 '97年新装版[毎日新聞社(全1巻)]

  '09年に直江兼続を主人公としたNHK大河ドラマ「天地人」が放映されたけれども(原作は火坂雅志)、妻夫木聡の演じる直江兼続、ちょっと若すぎるのでは...。全然、貫禄ないなあ。

2009(平成21)年度・NHK大河ドラマ「天地人」(原作:火坂雅志)直江兼続役:妻夫木 聡
天地人1.jpg天地人2.jpg天地人3.jpg「天地人」●演出:片岡敬司/高橋陽一郎/一木正恵/野田雄介●制作:内藤愼介●脚本:小松江里●音楽:大島ミチル●原作:火坂雅志●出演:妻夫木聡/常盤貴子/北村一輝/阿部寛/松方弘樹/吉川晃司/小栗旬/高嶋政伸/相武紗季/玉山鉄二/長澤まさみ/宍戸錠/萬田久子/笹野高史/山本圭/加藤武/高島礼子/鶴見辰吾/深田恭子●放映:2009/01~12(全47回)●放送局:NHK
常盤貴子(お船)・妻夫木聡(直江兼続)/松田龍平(伊達政宗)・松方弘樹(徳川家康)/石原良純(福島正則)・小栗旬(石田三成)/富司純子(秀吉の正室・高台院(おね))
「天地人」3.jpg 「天地人」富司.jpg

 【1982年単行本[毎日新聞社(上・下)]/1985年文庫化[新潮文庫(上・下)]/1997年新装版[毎日新聞社(全1巻)]】 

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青春・恋愛小説的要素もあり、犯罪が生活と隣合わせの暗部も描く。

風雪の檻.jpg 風雪の檻2.jpg     獄医立花登手控え1.jpg 獄医立花登手控え3.jpg 獄医立花登手控え4.jpg
新装版 風雪の檻―獄医立花登手控え〈2〉 (講談社文庫)』 〔文庫新版/旧版〕 『新装版 春秋の檻 獄医立花登手控え(一) (講談社文庫)』『新装版 愛憎の檻 獄医立花登手控え(三) (講談社文庫)』『新装版 人間の檻 獄医立花登手控え(四) (講談社文庫)
文春文庫TVドラマタイアップ帯['17年]
Eo8lHKbUcAE31iG.jpg 藤沢周平(1927‐1997)の時代小説シリーズ「獄医立花登手控え」の第2弾。このシリーズは若き医師・立花登が主人公ですが、この主人公は希望に燃えて上京したもの居候先の叔父の家で叔母と娘にアゴで使われて、少し可哀想な感じ。医師である叔父に手伝わされて牢医者もやることになるが、それをきっかけに色々な事件に巻き込まれる―。

 本シリーズは「春秋の檻」「風雪の檻」「愛憎の檻」「人間の檻」の4作で完結していて、それぞれが著者得意の捕り物短編集になっています(昭和54年から昭和58年まで「小説現代」に断続的に連載。最初は「青年医立花登」というシリーズ名だった)。
  
風雪の檻―獄医立花登手控え.jpg 主人公が若いせいか、青春小説、恋愛小説的要素もありますが、ストレートなそれではなく、翳があるというわけではないけれど立場上少し屈折している主人公の心理描写に、著者らしさを感じます。

 このシリーズ作品で描かれている江戸時代の刑罰の制度なども興味深いものです。そうしたことも含め、市井の生活の情緒的な部分だけでなく、犯罪が生活と隣合わせにある暗部も描いています。

 主人公が柔術を得意とするところは、「彫師伊之助捕物覚え」の主人公と同じ。市井の職人であるために剣を使わない伊之助と異なり、この主人公は下級藩士の息子だけれども、剣術の方は苦手だったというのが何となく面白く、親近感を覚えます。

(1981年 単行本)

立花登・青春手控え.jpg この「獄医立花登手控え」シリーズは'82(昭和57)年にNHKで「立花登・青春手控え」としてTVドラマ化され、4月から9月まで23話が放送されています。立花登を演じた中井貴一(1961年生まれ)は初の時代劇でしかも主演、しかし、佐田啓二の息子であるわりには評判になった記憶は個人的には薄く、その名が広く知られるようになったのは翌'83年にTBS系列で放送された山田太一脚本の「ふぞろいの林檎たち」以降ではないかと思われます。 

立花登・青春手控え dvd.jpg「立花登・青春手控え」●演出:宮沢俊樹/加藤郁雄/佐藤幹夫/松橋隆/吉村文孝/若園昌己/竹内豊/田島照●脚本:福田善之/石松愛弘/神波史男/武末勝/大久保昌一良/丸山昇一/富田康明/奥田成二/市川靖/松島利昭/長田紀生/金子成人●音楽:坂田晃一●原作:藤沢周平●出演:中井貴一/宮崎美子/中原ひとみ/高松英郎/篠田三郎/地井武男/ケーシー高峰/山咲千里/宮下順子●放映:1982/04~09(全23回)●放送局:NHK

立花登 青春手控え 選集 BOX [DVD]

 【1983年文庫化・2002年改訂[講談社文庫]/2017年再文庫化[文春文庫]】
 
 

《読書MEMO》
tieup 立花登・青春手控え2.jpg立花登青春手控えド.jpg「立花登青春手控え」NHK BSプレミアム「BS時代劇」(2016年5月13日から7月1日)出演:溝端淳平/平祐奈/宮崎美子/マキタスポーツ/正名僕蔵/高畑裕太/波岡一喜/鷲尾真知子/石黒賢/古谷一行

「立花登青春手控え」 2016年5月13日 - 7月1日
「立花登青春手控え2」 2017年4月7日 - 5月26日
「立花登青春手控え3」 2018年11月9日 - 12月21日
「立花登青春手控えスペシャル」 2020年1月3日

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少年法と復讐殺人。テーマのための人物造形とプロットになった?

さまよう刃.jpg さまよう刃 文庫ド.jpg   ロサンゼルス.jpg チャールズ・ブロンソン「ロサンゼルス」.jpg
さまよう刃』(2004/12 集英社) 『さまよう刃 (角川文庫)』 映画「ロサンゼルス」('82年/米) チャールズ・ブロンソン
【映画 さまよう刃】.jpg新潮文庫 映画タイアップカバー(2009年映画化)
さまよう刃 映画.jpg 花火大会の夜、長峰は一人娘の絵摩の帰りを待っていた。同じ頃、中井誠はアツヤとカイジの命令で父の車を運転していたが、浴衣姿で独り歩いている娘に目をつけた2人は、娘にクロロホルムを嗅がせて車に引き摺り込む。中井は、車を返せという父からの電話で自宅へ帰る。数日後、長峰の元に刑事が来て荒川に浮かんでいた死体を確認してくれと言われ、それは娘の無惨な姿だった。悶絶する長峰の元に、「絵摩さんはトモザキアツヤとスガノカイジの2人に殺されました」という密告電話が入り、アツヤの住所と合鍵の場所も教える。長峰はそのマンションに向かい、部屋に忍び込みアツヤにレイプされた絵摩の映像を見つける。絵摩はレイプ後、覚醒剤の大量摂取で死んだのだ。長峰は、マンションに帰ってきたアツヤを近くにあった包丁で泣きながら何度も刺し、彼の死に際に、相棒のカイジが長野のペンションに逃げていると聞き出すと、今度はカイジの行方を追うために長野に向かう。自分が逮捕されることを厭わない長峰は、警察に思いの丈をぶつけた手紙を送り、それはニュースでも報道され、世間と警察を大きく揺るがすことになった―。

  娘をレイプされ殺された父親が、犯人の1人の少年を殺害し、残りの1人を追う―。「少年法」の保護により重い裁きを免れるだろう彼を生かしてはおけないという父親の行動と、「復讐殺人」に対する世間やマスコミの賛否のなかで、逃亡する少年と父親の双方を追う刑事たち―という構図です。以前読んだ同作者の『手紙』('03年/毎日新聞社)が犯罪加害者の家族の視点から書かれたものであったのに対し、こちらは犯罪被害者の家族を中心に据えたものと言えます。

DeathWish2198.jpgロサンゼルス ポスター.jpg 昔、チャールズ・ブロンソン主演の映画で「ロサンゼルス」('82年/米)という、愚連隊(ちょっと言葉が旧いか)に娘をレイプされ殺された父親が、単独で犯人達に復讐を図るというものがありましたが、彼こそ「自衛市民」だと世間の評判が高まり警察が苦慮するところなども少し似ていて、つい思い出しました。

 本書もテーマは重いのですが、登場人物の描き方にやや厚みがなく、テーマを浮き立たせるために単純化しちゃったのかなあという感じでした。長編ですが、何のひっかかりもなくスラスラ読めるのは、文体が平易簡潔なだけでなく、先の行動が読めてしまうということもあったかも。

 それでも終盤で緊迫した見せ場をつくりところは、やはり東野作品であり、また密告電話の主は誰なのかということでも関心を引きます。しかしラストは、読者のカタルシスよりもテーマを重視したという感じで、総じて「少年法」「復讐殺人」というテーマのために用意された登場人物とプロットだったという印象です。

DEATH WISH 2.jpg 因みに映画「ロサンゼルス」の方は、犯人が次々とブロンソンおやじに殺されていきますが、1人だけは警察によって逮捕され精神鑑定で無罪になります。しかしブロンソンは諦めず、医者に化けて精神病院に潜入し、最後の1人を射殺するというものでした(カタルシス重視でいくならば、ここまでやっちゃっていいのかも)。同じ「復讐に憑かれた男」でも、肉食動物と草食動物ぐらい違いますが、途中で警官が犯人に殺られて、死に際にブロンソンに「必ずお前が奴を殺れ」みたいなことを言っており、ここが『さまよう刃』と一番違う点だったかも知れません(強いて言えば、密告電話の主がこれに近いか。映画自体は、冒頭の娘が殺される場面があまりに残虐で、評価△)。
 
 この映画「ロサンゼルス」('81年、原題:Death Wish Ⅱ)は「狼よさらば」('74年、原題:Death Wish)の続編にあたり、前作でもブロンソン演じる主人公の平凡な開発技師ポール・カージーは、妻を殺害され、娘を凌辱されたことで、犯罪者を見つけ次第自らの手で処刑する「一人自警団」に変貌しています。この主人公が愛する家族をチンピラに殺されたことをきっかけに、街をうろつくダニどもを容赦なく射殺する死刑執行人となったという"デス・ウィッシュ"シリーズは、その後「スーパー・マグナム」('85年、原題:Death Wish Ⅲ)、「バトルガンM-16」('87年、原題:Death Wish Ⅳ: The Crackdown)、「DEATHWISH/キング・オブ・リベンジ」('93年、原題:DEATH WISH V: THE FACE OF DEATH)と第5作まで作られ、ブロンソン=ポール・カージーのダニ射殺数は計100を超えており、チャールズ・ブロンソンの総劇中「"殺し"数の25%を稼ぐ」と言われる代表作となっています。

Charles Bronson
Charles Bronson.jpg チャールズ・ブロンソン(Charles Bronson、1921‐2003/享年81)はリトアニア系移民の子として生まれ、タタール人のチャールズ・ブロンソン/マンダム.jpg血をひく俳優であり(確かにアジア系っぽい感じも少しある)、家庭は貧しくて、少年の頃から炭鉱夫として働いていたこともある苦労人でした。

 ジョン・スタージェス監督の「荒野の七人」(60年/米)の7人のガンマンの1人として売り出し、日本では映画の他に、男性用化粧品「マンダム」のCM(1970年)でも知名度が上がりました。「う〜ん、マンダム」というのが決め台詞のこのCMのディレクターは、現在は映大林宣彦.jpg画監督として活躍している大林宣彦で、日本で初めてハリウッドスターを起用した丹頂チック.jpgCMだっとのこと。CM並びに商品のヒットにより、「丹頂」という社名だった化粧品会社(代表的商品に「丹頂チック」があり、今もレトロ商品として販売されている)が、自社名を一商品名にすぎなかった「マンダム」に改めた(1972年)という経緯もありました。
      
DeathWish2_B2-1-500x693.jpg「ロサンゼルス」●原題:DEATH WISH 2●制作年:1981年●制作国:アメリカ●監督:マイケル・ウィナー●製作:メナハム・ゴーラン/ヨーラン・グローバス●脚本:デヴィッド・エンゲルバック/マイケル・ウィナー●撮影:リチャード・H・クライン●音楽:Jill Ireland DEATH WISH 2.gifジミ-・ペイジ●時間:92分●出演:チャールズ・ブロンソン/ジル・アイランド/ビンセント・ガーディア/マイケル・プリンス/ベン・フランク/ロビン・シャーウッド/アンソニー・フランシオサ/J・D・キャノン/ケヴィン・メイジャー・ハワード/新宿西口パレス3.jpgラリー・フィッシュバーン(ローレンス・フィッシュバーン)●日本公開:1982/03●配給:コロムビア映画●最初に観た場所:新宿西口パレス新宿三葉ビル.bmp(82-09-18)(評価★★★)●併映「シャーキーズマシーン」(バート・レイノルズ)
新宿(西口)パレス 新宿西口小田急ハルクそば「新宿三葉ビル(三葉興行ビル〈現・三葉興業本社ビル〉)」内。1951年12月28日オープン。1986(昭和61)年11月14日閉館。

 【2008年文庫化[角川文庫]】

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殺人犯を兄に持つ弟が受ける偏見を描く。読者ツボは心得ている感じ。
手紙.jpg   手紙2.jpg    
手紙』 (2003/03 毎日新聞社)『手紙 (文春文庫)』 〔'06年〕 映画「手紙」(2006 『手紙』 製作委員会) 監督:生野慈朗 出演:山田孝之/玉山鉄二/沢尻エリカ/吹石一恵

 弟の大学進学のための金欲しさに空き巣に入った武島剛志は、思いがけず老婦人を殺してしまい懲役15年の刑に服することになる。突然独りぼっちになり、途方に暮れる高校生の武島直貴だったが、謝罪するつもりで訪れた被害者の家の前で、遺族の姿を見かけただけで逃げ出してしまう。高校の卒業式の2日前の直貴の元に、獄中の兄から初めての手紙が届く。それから月に一度、手紙が届くことになる。 獄中の兄の平穏な日々とは裏腹に、進学、就職、音楽、恋愛、結婚と、直貴が幸せをつかもうとするたびに、彼の前には「強盗殺人犯の弟」というレッテルが立ちはだかる。それでも、理解してくれる由実子と結婚して一時期、幸せが訪れるが、娘の実紀が仲間はずれにされ、正々堂々と生きて行く意味を考えてしまう。そして―。

繋がれた明日.jpg 犯罪者の肉親の立場から、兄が殺人犯であるということで社会的偏見を受ける苦しみを描いていて、犯罪者が仮釈放されたときに受ける社会的偏見を描いた真保裕一の『繫がれた明日』('03年/朝日新聞社)と同時期に、ともに直木賞候補になりましたが、テーマがダブったせいか?どちらも受賞を逃しました(受賞は石田衣良と村山由佳)。

 テーマがダブると言っても、犯罪者自身とその肉親とでは描く視点が大いに違ってく来るので、あまり比較しても仕方がないかなという感じですが...。ただし、『繋がれた明日』の方がシリアスな状況を描いてリアリズムに徹しようとして、逆に個々のキャラクターはどこかで見た映画の登場人物のような人物造詣になっているのに対し、『手紙』の方は、自分の場合は最初から"ストーリーテラー・東野圭吾"という文脈で読んでしまうせいなのか、「ウソ臭い」のに作品としては違和感がないという、ある意味皮肉な結果になりました。

映画版「手紙」.jpg エンターテインメントとしての手順をきっちり踏んでいて、読者を主人公の味方にし、考えさせながら感動もさせる...技巧派というか手馴れているなあという感じで、このあたりが逆に、直木賞選考委員にはアザトいと見られたのかなという気もします。それでも、作者なりにひとつの考え方を、"手紙"という小説における小道具を使って示していて、それはある意味逆説的で意表を突くものであり、すべてのケースでこの考え方が当てはまるなどと安易には言えないでしょうが、なるほどなあと思わせる部分はありました。
映画「手紙」(2006 『手紙』 製作委員会) 監督:生野慈朗 出演:山田孝之/玉山鉄二/沢尻エリカ/吹石一恵

 【2006年文庫化[文春文庫]】

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「●「週刊文春ミステリー ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ 「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「白夜行」)

ラストは一方で哀しく、一方でさらに惹かれるような魔性を帯びて見える。

白夜行 単行本.gif白夜行(東野圭吾).gif 白夜行2.jpg白夜行.jpg 野圭吾 白夜行 文庫.jpg
白夜行』['99年]『白夜行 (集英社文庫)』['02年〕映画タイアップカバー['11年]

 1999(平成11)年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。

 1973年、大阪の建設途中で放置された廃ビルで、質屋の主人・桐原の刺殺死体を、そこを遊び場にしていた小学生で桐原の息子・亮司が発見。捜査にあたった刑事・笹垣は、当日の桐原の足取りを追うが、容疑者は、桐原の年齢に釣り合わない派手な妻、一癖ありそうな店長の松浦と次々に変わり、やがて、桐原の客の西本文代に疑いの目が向けられ、小学生の娘・雪穂と貧しい暮らしをしていた彼女には、桐原の愛人として彼と最後に会っていた疑いがあった。しかしアリバイが認められ、代わりにその文代の勤めるうどん屋にしばしば顔を見せていた寺崎という男が容疑者として浮上するが、寺崎は交通事故で死亡、文代も自宅のアパートでガス中毒死を遂げ、事件は迷宮入りに―。

 文代の娘・雪穂は母の死の後、裕福な親戚の養女となり、大学のダンス部で知り合った東西電装株式会社のエリート社員と結婚し、離婚後は自分で高級ブティックを経営して大成功させ、大金持ちの後妻に、一方、桐原の息子・亮司は、高校生時代に売春斡旋まがいのことをし、海賊版パソコンソフトで荒稼ぎをし、人を騙し、殺し、金を稼ぐ、雪穂とは対照的な裏街道を歩いていた。美しく品のある雪穂は男性を操りながら自分の才を発揮していき、亮司もその特異な才能を生かしつつ、しかし徐々に世間の表舞台から姿を隠すようになる。しかし、亮司と雪穂が成長していく過程で、様々な犯罪が起きていることの気付いた笹垣により、約15年前の事件の真相が少しずつ明らかになる―。

 デーモニッシュな人物が登場するミステリーは多くありますが、これだけ犯人の登場と内面描写を抑え、出来事の状況だけでその魔性を描いた作品というのは少ないのではないでしょうか。宮部みゆきの『火車』('92年/双葉社)を一瞬想起しましたが、『白夜行』の方は、亮司と雪穂という2人を書き分けているからさらにスゴイ。

 亮司と雪穂が直接に接触するシーンはなく、この2人の男女の話が別々に進行していくという字縄(あざなわ)を縫うような展開です。ただし、ミステリーとしての構築力もさることながら(犯人推理、あるいはトリックを見破る類のミステリーではなく、主人公2人の関係そのものが"謎"であると言えますが)、不思議なのは2人の関係が徐々に浮き彫りになるにつれ、読むうちに2人をどこか応援しているような気分になることです。それだけにラストは一方で哀しく、一方でさらに惹かれるような魔性を帯びて見えるのです。

 この小説は、東野作品では今のところ最高傑作の部類に入るのではないかと思いますが、直木賞の選考で、積極的に推したのが田辺聖子氏だけだったというのが不可解。個人的な評価は、田辺聖子氏の選評(「これまた快作、そして怪作であった。」「周到な伏線が張りめぐらされ、読んでいるあいだは、これまた息もつかせず面白かった。しかし読後感のあと味わるさも相当なもの。これは人間の邪気が全篇を掩っているので、それに負けてしまう、ということであろう。」)とほぼ一致するのですが、他の選考委員が、「人間が描けていない」という理由で落としてしまった...(同じく前面に姿を見せない主人公を描いた宮部みゆきの『火車』のときもそうだった)。

 直木賞に選ばれなかった理由を他に推察すれば、主人公たちの救いの無さでというのもあったかも。しかし、まず"善人"であるとは言い難く、しかもなかなか表に出てこない主人公に対し、読んでいて相当にシンパシーを感じるということ自体が、この作品の力を示しているように思います。
 
白夜行 TBS.jpg白夜行(ドラマ).jpg 宮部みゆきの『火車』は、'94年にテレビで2時間ドラマとして放映されていますが、ラストシーン以外は主人公が出てくる場面はほとんどなく、原作の持ち味を生かしていたのに対し、'06年に連続ドラマ化された『白夜行』は、かなり早い段階で亮司と雪穂の関係性を明らかにしてしまっていて、読者の関心は原作とは違う方向へ行かざるを得ず、その段階で原作とはまったく別の物になったように思いました。主演の山田孝之、綾瀬はるかも、亮司、雪穂のイメージとはちょっとずれているような気がしました。
「白夜行」●演出:小林俊一●制作:石丸彰彦●脚本:森下佳子●音楽:河野伸●原作:東野圭吾●出演:山田孝之/綾瀬はるか/渡部篤郎/柏原崇/西田尚美/田中幸太朗/小出恵介/八千草薫/武田鉄矢●放映:2006/01~03(全11回)●放送局:TBS
 
白夜行 映画ポスター.jpg
映画「白夜行」日本版(2011年1月)主演:堀北真希/高良健吾

 【2002年文庫化[集英社文庫]】

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"感動ストーリー"だが、色々考えさせられるという意味で面白かった。

秘密.jpg 映画 秘密.jpg 秘密DVD.jpg 天国から来たチャンピオンL.jpg
秘密』(1998/09 文藝春秋) 1999年映画化(監督:滝田洋二郎、主演:広末涼子/小林薫)「秘密 [DVD]」「天国から来たチャンピオン [DVD]

 1999(平成11)年度・第52回「日本推理作家協会賞」受賞作。 

 愛する妻と11歳の娘に囲まれ満ち足りた生活を送る杉田平介。だがある日、 妻・直子と娘・藻奈美が乗ったスキーバスが崖から転落する。妻は亡くなってしまうが、意識を取り戻した娘の方に妻の意識が宿ってしまい、残された平介は「娘の姿をした妻」と生活することになる―。

 某編集者の結婚披露宴の挨拶で、自らのことを「キャリアは20年だが、14年間売れなかった」と言ったという作者の、そうした状況を脱する契機となったとされる出世作。主人公は、世間に対しては「娘が実は妻であること」は伏せていて、そのことがまずこの物語の第一の「秘密」。そして、第二の「秘密」は―。

天国から来たチャンピオン.jpgゴースト ニューヨークの幻.jpg これ以上は何を書いてもネタバレになってしまいますが、アメリカ映画の「天国から来たチャンピオン」('79年)や「ゴースト/ニューヨークの幻」('90年)などのスピリチュアル・ファンタジーの系譜と同種のプロットかと思って読んでいました。
天国から来たチャンピオン [DVD]」/「ゴースト ニューヨークの幻 [DVD]

 そうしたら「憑依」という言葉が出てきて、この作品では心霊学的な「憑依」ではなく、超心理学的な「憑依現象」(心理学的には「多重人格」)としてのそれが扱われているので、「娘の姿をした妻」は実は「妻の意識を持った娘」であることがはっきりします。

 それでも読者を、「妻の人格」に感情移入させて読ませるところが、著者の力量でしょうか。夫の妻に対する想いを描き、「妻」の夫に対する想いを描きますが、後者は「娘の人格により投射された妻の像」であるはず。娘と妻の関係を直接的には描写せず、更に夫をセンチメンタリズムの中に埋没させ事実を直視させないことで、"科学的"ファンタージーとして成立しているように思えました。

 作者はそれでも不充分だと思ったのか、最後に"指輪"を巡る第二の「秘密」を用意していましたが、それさえも、「霊」を持ち出さなくとも超心理学的には説明できてしまうことだと思います(ただしこの辺りにくると、真実はもうどうでもよくなっているような感じ)。

 亡くなった人の自我や個性が別の人の脳にコピーされた場合、その「別の人」が「亡くなった人」になり、状況的には「亡くなった人」が生きているというのと同じことになるのでしょうか。妻が娘にかけた、自分が死んだときに自動起動する「後催眠暗示」というふうにとれなくもないし、娘がそれを逆手にとって、夫の心の中での妻の座を占めようとしているようにとれなくもないない場面もあるからややこしい。

映画「秘密」1.jpg者は当初、コメディ仕立てでいこうかと考えたとのこと、自分にとっては、色々な見方ができて考えさせられるという意味での"面白さ"がありました。

滝田洋二郎 秘密1.jpg 映画化もされましたが、話が途中から始まっているし、設定も細部において異なっているものの(娘の事故当時の年齢設定が11歳から17歳に引き上げられている)、物語の本筋の部分は生かされていたように思います。 映画「秘密」(1999年・東宝)

 ベテランの役者陣が周りをしっかり固めているということもありましたが、広末涼子の演技も悪くなかったです(う~ん、この演技力でワセダにAO入学したわけか。中退したけれど)。

幽霊紐育を歩く.jpg 因みに、先にあげた「天国か天国から来たチャンピオン23.jpgら来たチャンピオン(Heaven Can Wait)」は、「幽霊紐育を歩く(Here Comes Mr. Jordan)」('41年)のリメイク作品で、前途有望なプロ・フットボール選手(ウォーレン・ベイティ)が交通事故で即死するが、それは天使のミスによるものだったため、困った天界は彼の魂を殺されたばかりの若き実業家の中に送り込み、その結果全く新しい人物となった彼は、再びフットボールの世界に乗り出す―というもの。

天国から来たチャンピオン  ジェット機.jpg ボクシングのチャンピオンだった男を主人公としたオリジナルのリメイク作品だと分かるように、わざわざ邦題に"チャンピオン"と入れたのでしょうか(アメフトで個人を指してチャンピオンとはあまり言わないのでは)。今観ると、天国へ行く人々が乗るジェット機が〈コンコルド〉風だったりして時代を感じさせますが、「感動作」であることには違いなく、"自分とは何か"を考えさせられる部分もありました。

天国から来たチャンピオン2.jpg 一方で個人的に今ひとつノリ切れなかったのは、映像上のウソがあるためで、つまり、死んだウォーレン・ベイティの魂が身体を借りた実業家兼フットボール選手を、やはりウォーレン・ベイティが演じているという点。これは致し方ないことであり、あまりこだわる人もいないのかも知れませんが、このウソを克服しないと映画が楽しめないような気もしました(オリジナル作品では、ボクシング選手の魂が実業家にのり移るのだがそれなりに実業家に見える。その点、ウォーレン・ベイティはどこから見てもウォーレン・ベイティにしか見えない)。                                 

 これに比べると、映画「秘密」は、こうした「お約束」を観る者に強いるほどではない分、その点に関して言えば旨く出来ているようにも思いました(原作がいいということか)。 

秘密ド.jpg映画 秘密31.jpg「秘密」●制作年:1999年●監督:滝田洋二郎●製作:児玉守弘/田上節郎/進藤淳一●脚本:斉藤ひろし●撮影:栢野直樹●音楽:宇崎竜童●原作:東野圭吾●時間:119分●出演:広末涼子/小林薫/岸本加世子/金子賢/石田ゆり子/伊藤英明/大杉漣/山谷初男/篠原ともえ/柴田理恵/斉藤暁/螢雪次朗/國村隼/徳井優/並樹史朗/浅見れいな/柴田秀一●劇場公開:1999/09●配給:東宝 (評価★★★☆)
     
天国から来たチャンピオン チラシ.jpg天国から来たチャンピオン  .jpg「天国から来たチャンピオン」●原題:HEAVEN CAN WAIT●制作年:1978年●制作国:アメリカ●監督:ウォーレン・ベイティ/バック・ヘンリー●製作:ウォーレン・ベイティ●脚本:エレイン・メイ/ウォーレン・ベイティ●撮影:ウィリアム・A・フレイカー●音楽:デーヴ・グルーシン●原作:i-img600x446-1546386106i9p1zj197656.jpgハリー・シーガル●時間:101分●出演:ウォーレン・ベイティ/ジュリー・クリスティ/ジェームズ・メイソン/ジャック・ウォーデン/チャールズ・グローディン/ダイアン・キャノン/R・G・アームストロング/ヴィンセント・ジェームズ・メイソン 天国から来たチャンピオン1.jpgガーディニア●日本公開:1979/01●配給:パラマウント映画●最初に観た場所:新宿パレス(83-02-04)(評価:★★★☆)

ジェームズ・メイソン

ジュリー・クリスティ in「ドクトル・ジバゴ」(1965)/「天国から来たチャンピオン」(1978)
0ジュリー・クリスティ .jpg


東野 圭吾 『秘密』1.jpg東野 圭吾 『秘密』2.jpg 【2001年文庫化[文春文庫]】

文春文庫カバー(旧・新)

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"その後のロミオとジュリエット"。夫婦の関係についての表現と描かれている実態に謎の落差。

『門』 (新潮文庫) 夏目 漱石.jpg 門.jpg  夏目漱石全集〈6〉 (ちくま文庫).jpg  ことのはブック「門」.jpg
門 (新潮文庫)』(カバー:安野光雅)/『夏目漱石全集〈6〉 (ちくま文庫)』(「門」「彼岸花」所収)/アイ文庫オーディオブック「門」

 1910(明治43)年、夏目漱石(1967‐1916)が43歳のときに発表された長編小説。個人的には、前期3部作のうちの読み残していた作品で、今回が初読でしたが、『三四郎』とはもちろんのこと『それから』と比べても暗いし、何よりも地味〜っという感じでした。

門 漱石  .jpg 親友の安井の妻と駆け落ちし結ばれた宗助とその相方・御米との、世間との関わりを極力断ったかのような夫婦生活の日常を淡々と描いています。言わば「ロミオとジュリエット」みたいな出来事があって、その出来事そのものは描かず、その後の2人の地味な市井生活を書いているといった感じでしょうか。

 ロミオとジュリエットのように死んでしまったわけではなく、2人は生きているわけで、しかもその結ばれ方が略奪婚であったために、宗助は親族はもちろん学校、社会からも制裁を受けて神経衰弱に陥り、無気力体質になってしまって、勤め先の役所と平屋の自宅を往復するだけの、誰とも遭遇しない無為な毎日を送る人間になってしまっています。
夏目漱石 『門』春陽堂 1911(明治44)年1月刊

 この小説には、そうした宗助夫婦を形容する表現と、そこに描かれている実態に矛盾というか、謎のような落差がある気がしました。
 確かに2人は和合した夫婦であるに違いなく、2人の関係は「一つの有機体」のようであり、「二人の精神を組み立てる神経系は、最後の繊維に至るまで、互に抱き合って出来上がっていた」と表現されています。
 しかし一方で、宗助は旧友・安井の再登場に一人煩悶し、心の平安を求め妻に内緒で禅寺へ行ったりする、片や御米も、安井の弟のわが家への居候を快く思っていないようだが夫には打ち明けず、また自分に子供が出来ないことに対して個人的な原罪意識を抱いている―。

 谷崎潤一郎や江藤淳は「理想的な夫婦像」としてこの作品を読んだらしいですが、この作品に描かれている"その後のロミオとジュリエット"は、融和し得ない個々の世界を、それぞれに少しずつ膨らませつつあるように感じます。
 何でも互いに話せれば"理想の夫婦"である、ということにもならないでしょうが、やはり2人の関係の微妙な変化を描いているのは事実で、そうなると「一つの有機体」と断定的に表現されているその意味は、自分が当初抱いたイメージよりもっと広く捉えられるべきものなのでしょうか。自分自身が抱いている「理想的な夫婦像」のイメージがあまりに狭すぎるのかもしれませんが、個人的には消化不良気味の作品でした。おそらく、自分の読み方が谷崎潤一郎や江藤淳ほど深くないのだろうなあ。

門 新旧3.jpg 【1948年文庫化・1978改訂[新潮文庫]/1950年再文庫化・1990改訂[岩波文庫]/1951年再文庫化[角川文庫]/1972年再文庫化[講談社文庫]/1988年再文庫化[ちくま文庫]/2011年再文庫化[文春文庫(『それから 門』)]】

新潮文庫『門』(新旧カバー)表紙絵:安藤光雅

《読書MEMO》
●「門」...1910(明治43)年発表

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前期3部作の1つと言うより『猫』『坊ちゃん』に続く作品。青春小説として読めて楽しい。

『三四郎』 (新潮文庫) 夏目 漱石.jpg三四郎 春陽堂.jpg  夏目漱石 「三四郎」角川.jpg 夏目漱石全集〈5〉 (ちくま文庫).jpg 第02回 「三四郎」.jpg
春陽堂(1909年5月)/角川文庫(カバー:わたせせいぞう)/『夏目漱石全集〈5〉 (ちくま文庫)』(「三四郎」「それから」所収)/「文學ト云フ事」(1994年/フジテレビ)出演:大沢健/井出薫/北島道太
三四郎 (新潮文庫)』(カバー:安野光雅

 1908(明治41)年9月から12月にかけて新聞連載された夏目漱石(1967‐1916)の本作品は、漱石の『吾輩は猫である』('05年)、『坊ちゃん』('06年)などに続く初期代表作で、地方の高校を卒業し東京の大学で学ぶために上京してきた小川三四郎が、都会で学友や先輩、若い女性たちと接触して、日露戦争を経た日本の「新しい空気」に触れ、戸惑いながらも成長していく様が描かれています。

 三四郎が、自分が繋がっている世界を、母がいる熊本の古いが安らぎのある「田舎の世界」、世俗と意識的に交渉を絶って生きる野々宮(寺田寅彦がモデル)や広田先生がいる「学問の世界」、上流階級に属する美禰子(平塚雷鳥がモデル)らがいる「華やかな世界」の3つの世界に整理区分しているのがわかり、三四郎は最後の「華やかな世界」にどうしても憧れてしまう...。

 トリックスターのように動き回る学友の与次郎に対し、三四郎は常に受動的で内省的あり(ある意味、知識人(予備軍)の一典型とも言える)、結局、美禰子に翻弄され続けるのですが、果たして、先進的な女性と思われる美禰子が三四郎より自由な世界にいたのかというと、そうでもないという気にさせられます。

 また、三四郎が「学問の世界(学ぶ世界)」を大学(東大ですが)の授業ではなく、学外に見出すのも現代に通じるとことがあるかと思われ、学生の尊敬を集めながらも教授職に就かず「偉大なる暗闇」と呼ばれている広田先生に傾倒するのもわかる気がします。
 「学問の世界」グループの男性は皆独身で、三四郎を除いては美禰子のことをあまり好きでないらしく、警戒気味なのも面白い。

 漱石の女性に対する観察眼の鋭さには驚かされますが、美禰子における「無意識の偽善」というのが以降の作品でもテーマになっており、ではこの作品の主人公は美禰子なのかと言うと、それでは今ひとつしっくりしない気が...。

 この作品は漱石の前期3部作の最初の作品とされていますが、『猫』、『坊ちゃん』に続くものという色合いも感じられ(田舎に行った坊ちゃんと、上京した三四郎とで、方向的には逆ですが)、個人的には、三四郎を主人公にした青春小説として読みました。
 23歳と今の新入学生よりは年齢は若干上ですが、そうした青春小説としての読み方が出来る分、楽しいです。

 当時の東大生は現在の東大生に比べると、エリートとしての"希少価値"は比較にならないぐらい高かったようで(by 石原千秋)、こんなこと言うと当の三四郎に失礼になるかも知れませんが、高橋留美子の『めぞん一刻』を思い出した...(『めぞん一刻』の主人公・五代裕作は三流大学の学生)。

『三四郎』sinnkyuu.jpg 【1948年文庫化・1986改訂[新潮文庫]/1950年再文庫化・1990改訂[岩波文庫]/1951年再文庫化[角川文庫]/1966年再文庫化[旺文社文庫]/1972年再文庫化[講談社文庫]/1986年再文庫化[ちくま文庫]/1991年再文庫化[集英社文庫]/2000年再文庫化[ポプラ社文庫]】

新潮文庫(カバー:安野光雅)新・旧

《読書MEMO》
●「三四郎」...1908(明治41)年9月発表

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「文鳥」の描写力、幻想的な「夢十夜」、臨死体験?「思い出す事など」。

『文鳥・夢十夜』 (新潮文庫) 夏目 漱石.jpg文鳥・夢十夜・永日小品.jpg   夢十夜.jpg   第15回 「夢十夜」.jpg
文鳥・夢十夜』新潮文庫〔旧版/改版版(下)〕/『文鳥・夢十夜・永日小品 (角川文庫クラシックス)』 ['91年]/アイ文庫オーディオブック/「文學ト云フ事」(1994年/フジテレビ)出演:真島啓/宝生舞/後藤久美/「文鳥」挿画:市川禎男(下)
文鳥・夢十夜 (新潮文庫).jpg文鳥 挿画.jpg 新潮文庫版は、「文鳥」「夢十夜」「永日小品」「思い出す事など」「ケーベル先生」「変な音」「手紙」の7編を収録。

 1908(明治41)年6月13日から6月21日まで大阪朝日新聞に9回にわたって毎日連載された「文鳥」はエッセイ風の掌編であり、淡々と描かれる文鳥の描写において(文豪が小鳥と向き合っている図も微笑ましいが)、その細やかな筆致に、観察眼の鋭さで定評がある漱石の「女性描写」の上手さと同種のものを感じました。と思ったら、やっぱり途中で文鳥が女性のメタファーのようになったりして...。この作品の結末には、漱石のやるせなさや孤独感が滲み出ていると思いました。

夏目 漱石 『四編』  春陽堂.jpg 同じ1908年(明治41)年の7月25日から8月5日まで朝日新聞で連載された幻想的な夢記述群「夢十夜」は、「第三夜」の盲目の子を負ぶっていたらと...いう夢が伊藤整の解釈ぐらいでしか知られていなかったのが、近年特に注目の作品となり映像化もされていたりもします。フロイト流に解釈すると、ほぼ全部の夢が「精力減退の不安」に繋がるそうですが、作者が生きていればこれには反論があるのではないでしょうか。

『四篇』明治43年〔1913年〕5月15日発行(文鳥・夢十夜・永日小品・満韓ところどころを収載)

 個人的には、「第一夜」の死んだ女の転生を墓の前で百年待つ話が好きで、これが「時間の圧縮」であれば、「第七夜」の船から海に落ちる話は「時間の拡大」で、「第三夜」はタイムパラドックスか(ビアスの短編集を思い出しました)。「第六夜」の運慶の話を教科書で読んだ記憶がありますが、いまだに結末の意味がわからない(フロイト流に解釈すると、これも「精力減退不安」になるらしいけれど)。

 同録の「永日小品」は漱石の日常が窺えるエッセイと小説の中間的作品群で、「思い出す事など」は連続した1つのエッセイですが、後者は1910(明治43)年8月24日の修善寺「菊屋旅館」での大喀血(所謂「修善寺の大患」)後のもので、修善寺での体験が描かれていて、雰囲気は「死」を意識してやや重くなっています。

 「菊屋旅館」に宿泊したことがありますが、古色蒼然とした、いかにも〈文豪の宿〉という雰囲気で、廊下などは薄暗菊屋旅館.jpg湯回廊 菊屋.pngくて夜は幽霊が出そうな感じでした。しかし、老朽化が進んだためその後全面改装され、「漱石の間」は修善寺の「夏目漱石記念館」に移設されてしまいました(旅館の方は今年['06年]7月、「湯回廊 菊屋」としてリニューアルオープン。廊下なども明るくなったようだ)。
「修善寺の大患」の「菊屋旅館」/'06年7月にリニューアルオープンした「湯回廊 菊屋」

 「思い出す事など」では、吐血時の臨死状態?での「記憶脱落」や、その後の「幽体離脱」体験が書かれていて、ドストエフスキーの極限体験を考察したりしつつも自分の体験と峻別し、むしろプラグマティズムの哲学者ウィリアム・ジェームズの書物に共感する様が見て取れ興味深かったです。

 【1956年文庫化[角川文庫(『文鳥・夢十夜・永日小品』)]・1991年改版[角川文庫クラシックス]/1976年文庫化・2002年改版[新潮文庫]/1986年再文庫化[岩波文庫(『夢十夜 他二篇』)/1992年再文庫化[集英社文庫(『夢十夜・草枕』)]】

《読書MEMO》
●「文鳥」...1908(明治41)年6月発表★★★★
●「夢十夜」...1908(明治41)年7月発表★★★★
●「永日小品」...1909(明治42)年1月発表★★★
●「思い出す事など」...1910(明治43)年10月発表★★★★
その他「ケーベル先生」「変な音」「手紙」収録
(「文鳥」以下、すべて朝日新聞掲載)

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前半部分は「アンチノベル」、後半部分は「教養小説」。

坑夫 (新潮文庫) 文庫.jpg『坑夫』 (新潮文庫) 夏目 漱石.jpg 夏目 漱石 『坑夫』 角川文庫.jpg
坑夫 (1954年) (角川文庫)
坑夫』新潮文庫〔2004年改版版/旧版〕

 自殺を思い立った19歳の若者が出奔し、ポン引きに誘われ坑夫になるために銅山へ行き、そこで今までの書生のような生活とは雲泥の差の"地獄的"体験をする話ですが、結局彼は「坑夫」にもなり切れず、また自殺することをも踏みとどまる―。

夏目 漱石 『坑夫』連載.jpg 1908(明治41)年1月から4月にかけて大阪朝日新聞に連載(全96回)された夏目漱石(1967‐1916)の『坑夫』は、前年、朝日新聞社に専属作家として入社して最初に書いた『虞美人草』に続く連載作品で、次の連載執筆予定者だった島崎藤村の"遅筆"のためのピンチヒッター的登場だったようです。野田九甫がを担当した連載の挿絵は、漱石が切抜きを貼って喜ぶほどの出来栄えでしたが、社内の「あまりに高級だ」という非難に屈して連載半ばで挿絵を中断させられ、春仙が描く題字飾りのみに切り替えられるという仕打ちにあっています。

夏目漱石 草合 初版 明治41年 春陽堂 『坑夫』・『野分』2.jpg 漱石のところへ自分の経験を小説にして欲しいと持ち込んだ青年がいて、その体験談を本人の許諾を得て、急遽書かなければならなくなった連載小説の素材にしたようですが、主人公が出奔した理由は漱石風にアレンジされているようで、「坑夫(堀子)」の生活などの実態部分を主に青年の話から抽出したようです。

 若者が分別をわきまえた中年になって自らの体験を振り返るかたちをとっていますが、前半部分の銅山(足尾)に向かうまでの記述は、リアリティをもって若者の意識の流れを追っていて、逆に小説的な構想や作為をことさら排しているように思えました(読み物としてはやや退屈だった)。

夏目漱石『草合』初版 明治41年 春陽堂 (「坑夫」・「野分」)

 鉱山に着いてからの後半部分も基本スタンスは変わらないものの、極限的な坑夫の生活を若者の眼から描く筆致が良く(読み物としても面白い)、"哲人"乃至は"メンター"のようにも思える先輩坑夫「安さん」の登場で、若者の成長を描いた「教養小説」のような趣を呈しています(しかし、最後に語り手の口を借りて、これは事実を書いたもので小説ではないというようなことを念押し?している)。

 漱石の作品の中でも異色のモチーフのものだと思いますが、前半部分は従来の「小説」の通念を超えようした「アンチノベル」で、後半部分は、朝日新聞の読者に向けた「教養小説」になっているという感じがし、個人的に面白かったのは後半部分ですが、漱石が本当にやりたかったのは前半部分の"実験的"試みではなかったかという気がしました。

 【1954年文庫化・1969年改版[角川文庫]/1976年再文庫化[新潮文庫]/1978年再文庫化[講談社文庫]/1988年再文庫化[ちくま文庫(『夏目漱石全集〈4〉』)]/2014年再文庫化[岩波文庫]】

《読書MEMO》
●「坑夫」...1908(明治41)年1月発表

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「●「日本推理作家協会賞」受賞作」の インデックッスへ

充実したホラー・サスペンス・ミステリー。第3部で評価は分かれるかも。

ガダラの豚.jpg ガダラの豚2.jpg ガダラの豚3.jpg  『ガダラの豚〈1〉 (集英社文庫)』『ガダラの豚〈2〉 (集英社文庫)』『ガダラの豚〈3〉 (集英社文庫)』(全3巻)〔'96年〕

 1994(平成6)年度・第47回「日本推理作家協会賞」受賞作。 

 全体3部構成の本書の第1部は、主人公の民俗学が専門の"タレント教授"(超能力番組のコメンテータをして何とか調査費稼ぎをしている)が、新興宗教にはまった妻を奪回すべく、マジシャンの助けを借りて教祖の超能力と呼ばれるもののトリック破りしていく話で、どこかで見たことあるような状況設定に引き込まれるとともに、読者を一定の「見解」へ導いているように思えました。
 アフリカ呪術の話など民族学とオカルトを組み合わせたような話も多く出てきますが、それが第2部では実際に舞台をアフリカに移し、思わぬ展開になっていく―。

 コメディタッチで随所笑えますが、全体として〈ホラー・サスペンス・ミステリー〉として充実しているのは、民族学やオカルト、超能力トリックについての蘊蓄(うんちく)や、実際に著者が現地に取材したアフリカ・ケニアの街や自然、習俗などの詳細な記述もさることながら、超能力青年、マジシャン、女性精神科医、TVマンなどの多彩な登場人物の描写や会話が生き生きとしていているためだと思います。

中島らも.jpg まったく先が読めないハラハラさせられるストーリー展開ですが、最終章の第3部に至ってスラップスティックの様相を呈しているような感じもして、オカルティックなものに対する好みよりも、この極端な「壊れ感」みたいな部分で評価は割れるかも知れないなあと(個人的にも、第3部は、読後感をやや軽くしてしまった感じがすると思う)。

 とは言え、この作家の"鬱(うつ)気質"から言えば、もっともっとカタストロフ的な結末もあったかも知れないと思ったりもし、また、2段組み600ページ近くを一気に読ませるエンターテインメントに仕上げたストーリーテラーとしての力量は、やはり並々ならぬものであると認めないわけにはいかないと思います。

 【1996年文庫化[集英社文庫(全3巻)]】

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モチーフ選択範囲を人体の部位に限定し、これだけのお話を作るのは大したもの。

中島 らも 『人体模型の夜』.jpg人体模型の夜.jpg 『人体模型の夜』 (1991/11 集英社)

 「邪眼」「セルフィネの血」「はなびえ」「耳飢え」など12篇を収めたアンソロジーで、著者最初の直木賞候補作(その後2度候補になるも受賞に至らず、'04年に転落事故死)。
 人体の構成要素がそれぞれの作品のモチーフになっていることがわかりますが、ラストの"戦慄"に至るストーリーテリングの巧みさはさすがです。

メクラウナギ.jpg 「セルフィネの血」は、「楽園」を求め南の島に夫婦で移り住んで間もない男の話で、その島はどういうわけか住民は男性より女性の方が圧倒的に多いのだけど、平和で暮らしやすく、島の人々も親切で何の憂いも無くのんびり生活しているようで、まさにこの島こそ「楽園」に思えると村の長老に話したところ、思わぬ返事が返ってくる―。エキゾチックな状況設定に作風の幅を感じました(この作品で問題になっている〈メクラウナギ〉って実際いるのですね)。

 「耳飢え」は盗聴魔の話で、新たな盗聴先を求め転居を繰り返す男がいて、ある日巡りあった盗聴相手の隣り部屋の女性が、毎晩夫婦の会話らしきをことしているが、女性の声しか聞こえず、夫がいるらしき気配は無い―。
 作者は、読者が考えそうな結末を先に挙げてしまうので、読者はそれ以外の結末を推察しなければならず、その分ワクワクさせられ、ラストは期待を裏切らない"戦慄"でした。

 「邪眼」は、地理的差異を背景に、日常から非日常へ横に広がっていく感じが個人的にはいいと思いました。
 それに比べると、連載の最初の方で発表された「膝」「ピラミッドのヘソ」なども悪くないけれど、SF的シュールというか縦に突き抜けた感じで、オチは落語の小話のような感じも。
 その辺りの不統一感がやや気になるものの、モチーフの選択範囲を限定したうえで、これだけのお話を作ってみせるのはやはり大したものです。

 【1995年文庫化[集英社文庫]】

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いい味出していて思わず笑わされ、人と組織を見通す理性も感じる。

1ビジネス・ナンセンス事典.jpgビジネス・ナンセンス事典.jpg  ビジネス・ナンセンス事典 (集英社文庫).jpg   中島 らも 2.jpg 中島らも(1952‐2004/享年52)
ビジネス・ナンセンス事典』('93年新装版)イラスト:ひさうちみちお 『ビジネス・ナンセンス事典 (集英社文庫)

 中島らも(1952‐2004)のエッセイ風作品で、最初リクルート版で、今回は講談社版で読みましたが、いい味出ているなあと思います。

 愛、阿諛追従、慰留、陰謀...というように五十音順で出てくる90語のテーマごとに書かれていますが、ある程度「お題」を決めて書いていると思われる点が、コピーライター出身の作者らしいと思いました。

啓蒙かまぼこ新聞.jpg 昔見た「啓蒙かまぼこ新聞」という、黒メガネかけてワルそうな〈てっちゃん〉が出てくる漫画シリーズは、これって企業に対する「悪意」? もしかして「広告」なの?とグッと引きつけるものでしたが(実は「かねてつ食品」の広告だった)、作者のクリエイターとしての非凡さが窺えるものでした(この時の作品群は、そのまま『啓蒙かまぼこ新聞』('87年/ビレッジプレス)という本になっている)。

 でもこの人、灘中→灘高→大阪芸大という学歴もさることながら、広告代理店で企画・制作業務につく前に、印刷会社で「営業」の仕事をしているのですね。本書は、その経験がかなり生かされているようで、特別に特殊な体験が語られているわけではないですが、その辺りが逆に読者に身近な共感を呼ぶのかも。

 1話3ページの話の中にはショートショート風仕立てのものも多く、ベースとしてはエッセイ集であるのに、それぞれの展開やオチを楽しみながら読めます(書く方は大変だろうけれど、そういう意味では大したサービス精神!)。
 僻地の事業所からの営業報告書の形態をとった「左遷」のような話には、今回も思わず笑わされました。

 ダメな会社、部下に好かれない上司というものがどういうものであるかが、会社人間になり切ることの哀しさのようなものとともに伝わってくる面もあり、作者の営業時代のルサンチマンをやや感じますが、今現在頑張っているビジネスパーソンへのやさしい応援歌ともとれます。
 営業経験とか独自の感性とか全部ひっくるめて、作者の人と組織を見通す理性的な力になっている気がしました(ビジネス書としても読めます)。

 【1993新装版[講談社]/1998年文庫化[集英社文庫]】

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罪と罰 1970 ちらし.jpgミステリとしても味わえ、現代に繋がるテーマもふんだんに。

パンフレット.jpgカラマーゾフの兄弟.jpg カラマーゾフの兄弟 中巻.jpg カラマーゾフの兄弟 下巻.jpg
カラマーゾフの兄弟 上 新潮文庫 ト 1-9』『カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)』『カラマーゾフの兄弟 下  新潮文庫 ト 1-11』「罪と罰(1970) [DVD]」 ('70年/ソ連)チラシ

映画「カラマーゾフの兄弟 [DVD]」('68年/ソ連)パンフレット['07年]                                    

Братья Карамазовы.jpg  1880年、ドストエフスキーが59歳の時に完結したこの小説は、ドストエフスキー作品自体が最近の若者に読まれなくなったとよく言われる中、かつて作家の村上春樹 09.jpg村上春樹氏が自らのサイトフォーラムで「全日本『カラマーゾフの兄弟』読了クラブ」(後にバー「スメルジャコフ」と改称)なるものを立ち上げ、読了者に〈会員番号〉を発行しますと宣言すると若い人のレスポンスが結構たくさんあって、そういうのを見ると結構読まれているのかなあという気もします(寄せられた感想が『海辺のカフカ』などの感想文と同じトーンなのがちょっと面白かった)。[右:ロシア語版ペーパーバックス]

 しかし、村上氏自身は結構真面目なのかも。 と言うのは、読者からの、オウム真理教に入るような人達も『カラマーゾフの兄弟』を一度読んでいたらオウムに入らなかったかもという感想に対し、「『カラマーゾフ』を読み通せる人の数は極めて限られている。一度でも読めば確かにオウムに入ろうとする人たちの大部分を阻止することはできるだろうけれど、とにかく『カラマーゾフ』は難しすぎるし長すぎる。自分がいつか成し遂げたいと思っていることは、もっとやさしくて読みやすい現代の『カラマーゾフ』を書くことだ。それは途方もなく難しいのだが」と答えていたから。

電子書籍版(グーテンベルグ21)
karamazov1.jpg 個人的には、ミステリの要素があり、しかも最後は泣ける(?)ので、精神的に構えて読む必要は全然ないのではとも思うのですが、時間的・体力的には準備が必要かもしれません。

 この大長編小説の前半3分の2ぐらいまでが僅か数日の間に起きた出来事であり、それは従来の歴年的文学長編と異なる特徴の1つだと思うのですが、加えて、挿話やカットバックが多く、それらが1つ1つの物語になっています(ほとんど"爆発的"に脇道へ逸れていく)。
 神の不在を問うた「大審問官」もその1つと見ることができますが、同時に主テーマの1つでもあり、また、その中に幼児虐待の問題が出てくるなど、常に現代と繋がる何かがあります。
 '06年からは亀山郁夫氏による新訳の刊行も始まり、まだまだ読まれ続けられるであろう作品だと思います。

 この作品は、作者であるドストエフスキーが時間(締め切り)に追われつつ書いた雑誌連載小説であり、確か、妻アンナ・ドストエフスカヤの回想記に書いてあったのではないかと思いますが、原稿を出版社に渡した後でストーリーが破綻していることに気づいて、慌てて印刷のストップをかけるなどし(間に合わないこともあった)、ドストエフスキーは自らを何度も罵倒したりしていたそうです。

カラマーゾフの兄弟 ロシア版ポスター.jpg 映画や芝居でも観ましたが、イワン・プィリエフ(Ivan Pyryev)監督の「カラマーゾフの兄弟」('68年)は堂々たる本場モノで、4時間近い上映時間の長さを感じさせないものでした。
 リチャード・ブルックス監督のアメリカ版「カラマーゾフの兄弟」('57年)もあり、テレビで一部だけ観ましたが、ユル・ブリンナーがドミートリイ、マリア・シェルがグルーシェニカという異色の取り合わせで、何だか国籍不明映画みたいな感じでした。

 但し、本場物であればいいというものではなく、トルストイの小説の映画化作品である「復活」('61年・ミハイル・シヴァイツェル監督)「アンア・カレーニナ」('67年・アレクサンドル・ザルヒ監督)は、何となくメロドラマみたいになってしまっています(「アンア・カレーニナ」のタチアナ・サモイロワはいい女優なのだが...)。
映画「カラマーゾフの兄弟」輸入版ポスター

THE BRATYA KARAMAZOVY 1968 1.jpg プィリエフの「カラマーゾフ」にもそのキライが無いわけではないですが、「復活」や「アンナ...」と比べると骨太であると思いました。ストーリー的には原作を読んでいないとキツイかもしれませんが、ミステリとしても成立していて、キャスティングも原作のイメージにほぼ沿ったものでした(この映画の撮影中にプィリエフ監督は急死し、ドミトリ役のミハエル・ウリャーノフらが監督の遺志を引き継いで映画を完成させた)。

THE BRATYA KARAMAZOVY 1968 2.jpgカラマーゾフの兄弟  dvd.jpg ただ1つ難を言えば、ドミートリーなどを演じている俳優が若干老けて見えることで、ロシア人が髭などのせいで大体そう見えてしまうのか、それとも、この物語で主役級を演じようとすると、相当に役者としての年季を踏まなければならないということだったのかなどと、色々憶測していますが、それも許容範囲内か。
Directed by: Ivan Pyr'ev, Mikhail Ulyanov, Kirill Lavrov Cast: Mikhail Ulyanov, Kirill Lavrov, Andrei Myagkov Mark Prudkin, Olga Kobeleva, Viktor Kolpakov
カラマーゾフの兄弟 [DVD]」 ['07年]

罪と罰 1970 dvd.jpg 因みに、ドストエフスキー作品を映画化したもの中で原作の雰囲気をよく伝えているものと言えば、個人的にはレフ・クリジャーノフ 脚本・監督のソビエト映画「罪と罰」('70年)ではないかと思います。こちらも3時間40分もの長尺ですが、その分本格的です。倒叙型ミステリとも言え(ドストエフスキーの長編は全て現代に繋がるテーマを孕むとともに、ミステリの形態を模しているとも言われる)、ゲPRESTUPLENIE I NAKAZANIE 1.jpgオルギー・タラトルキン(当時新人)のラスコーリニコもタチアナ・ベドーワのソーニャも良かったように思います(ソーニャはマルメラードフ老人の前妻の子で、家計を助けるために躰を売っているのだが、どう見ても娼婦には見えない。それだけに痛々しさはある)。
罪と罰(1970) [DVD]

 ラスコーリニコフと、老婆殺人事件担当の予審判事ポルフィーリ(インノケンティ・スモクトノフスキー)との神の存在めぐる論戦は、舌鋒鋭い禿頭ポルフィーリが優勢でしょうか。漠然とした神学論争ではなく、ちゃんと事件に被せた議論になっています。ラスコーリニコフの妹PRESTUPLENIE I NAKAZANIE 2.jpgドゥーニャ(ヴィクトリア・フョードロワ)に執拗に迫るスビドリガイロフ(エフィム・コベリヤン)のぎらついた感じも生々しく、最後にドゥーニャが涙を流しながらスビドリガイロフに拳銃を向ける場面はややメロドラマ調ですが(この2人の話のウェイトが2部構成の第2部のかなりを占め、原作より比重が重い)、これもまあヴィクトリア・フョードロワの美しさで許してしまおうかという感じ。
 公開されて暫くのうちに観て、その後ずっと記憶の上ではかなり古い映画だと勘違いしていたのですが、その割にはスローモーションとか使って映像が洗練されていたなあと思ったら、意外と新しい作品でした。この作品の場合、敢えてモノクロで撮っているのが成功しているように思えます。

i「カラマーゾフの兄弟」.jpgTHE BRATYA KARAMAZOVY 1968 iwan.jpg『カラマーゾフの兄弟・完全版』.jpg「カラマーゾフの兄弟」●原題:THE BRATYA KARAMAZOVY●制作年:1968年●制作国:ソ連●監督:イワン・プィリエフ●撮影:セルゲイ・ウルセフスキー●原作:: フェードル・M・ドストエフスキー●時間:227分●出演:ミハエル・ウリャーノフ/リオネラ・プイリエフ/マルク・プルードキン/ワレンチン・ニクーリン/スベトラーナ・コルコーシコ ●日本公開:1969/07●配給:東和●最初に観た場所:池袋文芸坐(79-11-21) (評価★★★★☆)

復活 トルストイ dvd.jpgVoskresenie(復活).jpg「復活」●原題:VOSKRESENIE(Resurrection)●制作年:1961年●制作国:ソ連●監督:ミハイル・シヴァイツェル●撮影:エラ・サベリエフ/セルゲイ・ポルヤノフ●音楽:G・スビリドフ●原作:レフ・トルストイ●時間:208分●出演:タマーラ・ショーミナ/エフゲニー・マトベェフ/パウエル・マッサリスキー/ヴィ・クラコフ●日本公開:1965/03●配給:ATG●最初に観た場所:池袋文芸坐(86-04-20) (評価★★★)●併映:「アンア・カレーニナ」(アレクサンドル・ザルヒ)復活 [DVD]」 ['03年]

アンナ・カレーニナ dvd.jpgアンナ・カレーニナ スチール.jpg「アンナ・カレーニナ」●原題:ANNA KARENINA●制作年:1967年●制作国:ソ連●監督・脚本:アレクサンドル・ザルヒ●撮影:レオニード・カラーシニコフ●音楽:ロジオン・シチェドリン/モスクワ室内オーケストラ●原作:レフ・トルストイ●時間:144分●出演:タチアナ・サモイロワ/ワシリー・ラノボイ/ニコライ・グリツェンコ/アナスタシア・ヴェルチンスカヤ/イヤ・サーヴィナ●日本公開:1968/05●配給:東和●最初に観た場所:池袋文芸坐(86-04-20) (評価★★★)●併映:「復活」(ミハイル・シヴァイツェル)アンナ・カレーニナ [DVD]」 ['04年]

「罪と罰」●原題:ПРЕСТУПЛЕНИЕ и НАКАЗАНИЕ(PRESTUPLENIE I NAKAZANIE)●制作年:1970年●制作国:ソ連●監督:レフ・クリジャーノフ●脚本:レフ・クリジャーノフ/ニコライ・フィグロフスキ罪と罰 tirasi.jpgー●撮影:ヴァチェスラフ・シュムスキー●音楽:ミハイル・ジフ ●原作:フョードル・ドストエフスキー●時間:219分●出演:ゲオル罪と罰 [DVD] 2.jpgギー・タラトルキン/タチアナ・ベドーワ/インノケンティ・スモクトゥノフスキー/ヴィクトリア・フョードロワ/アレクサンドル・パブロフ/エフィム・コベリヤン/エフゲニー・レベチェフ/ウラジミール・バソフ●日本公開:1971/03●配給:東和●最初に観た場所(再見):池袋文芸坐(79-11-11) (評価★★★★)●併映:「貴族の巣」(アンドレ・ミハルコフ=コンチャロフスキー)

罪と罰 [DVD]」 ['98年]

 【1927年文庫化・1957年改版版[岩波文庫(全4巻)(米川正夫:訳)]/1961年再文庫化[新潮文庫(『カラマアゾフの兄弟』(全5冊))(原久一郎:訳)]/1972年再文庫化[講談社文庫(全3冊))(北垣信行:訳)]/1978年再文庫化[新潮文庫(全3冊))(原卓也:訳)]/1978年再文庫化[中公文庫(『カラマゾフの兄弟』(全5冊))(池田健太郎:訳)]/2006年再文庫化[光文社古典新訳文庫(全4分冊)(亀山郁夫:訳)]】 

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屈折した人物像をリアリティをもって描き、自己疎外の1つの典型を示している。

永遠の良人.JPG
永遠の夫 0.png
永遠の夫 (新潮文庫)』新訳版['79年/'06年(新装版)(千種堅:訳)]
永遠の良人 (1955年) (新潮文庫)』旧訳版['55年(米川正夫:訳)]

永遠の夫(岩波文庫).jpg かつて自分の妻を寝取られた中年男トルソーツキイが、妻の死後、その娘(実は彼の妻と不倫相手のヴェリチャーニノフとの間にできた子)を連れて、そのヴェリチャーニノフの住む町を訪れる―。

 1870年、ドストエフスキーが40代後半で発表した小説で、『白痴』と『悪霊』の間に2ヶ月ぐらいで書き上げられた中篇ですが、男女の三角関係をモチーフに、人間の自尊心と情念の絡み合いを描いた"小説らしい小説"に仕上がって、平易な語り口でストーリー性も充分あり、面白く読めます。

永遠の夫 (岩波文庫 赤 615-9)』(神西清:訳)

 物語はヴェリチャーニノフの視点から書かれていて、帽子に喪章をつけて彼をつけまわす男(トルソーツキイ)の存在は不気味ですが、出会ってみると不倫相手の亭主だったということで、にも関わらず、その男が自分に対して友愛の情を示そうとしていることに困惑させられ、かえって疲弊する―。

永遠の良人[角川文庫(米川正夫訳)].jpg 「永遠の"寝取られ亭主"」トルーソツキイがヴェリチャーニノフに抱くはずの復讐の念は、彼自身の自尊心によって無意識に封じ込められ、過去の6年間の妻の不倫の間、彼にとってヴェリチャーニノフは "親友"であったという尊敬の念に近いものに置き換えられています。

 自分のかなわないライバルが現れたとき、自尊心を否定してライバルを尊敬しそれに同一化しようとする行為を無意識にとる、しかし卑屈とも思えるその行為の底には、無理やり蓋を被せられた復讐心が渦巻いている、こうした屈折した心理構造を持つ人物像を、リアリティをもって描いていると思いました。

永遠の良人 (1951年) (角川文庫〈第53〉)』(米川正夫:訳)

 普通に見れば、"寝取られ亭主"という立場を甘受し、妻を寝取った相手を尊敬さえしてしまうトルソーツキイという男は、一種のマゾヒストでしょう。しかし、その心理描写の妙だけでなく、それを通して、生身の人間の孕む自己矛盾を抉ってみせ、自己疎外の1つの典型を端的に示しているところが、巨匠の巨匠たる所以でしょうか。

 トルソーツキイが"復讐"を意識していなくても結果としてヴェリチャーニノフにとっては"復讐"を被っているかたちになっており、また、ヴェリチャーニノフがずるずるとトルソーツキイとの関わりを深めていってしまうところが、この小説の面白いところではないかと思いました。

個人主義の運命.jpg こうした両者の関係については、ルネ・ジラールの読み解きをベースにした社会学者・作田啓一氏の『個人主義の運命―近代小説と社会学』('81年/岩波新書)での解説が(それをどうとるかは個々に委ねられるものとして)非常に分かり易く面白いのでお薦めです。

作田啓一『個人主義の運命―近代小説と社会学 (岩波新書 黄版 171)

永遠のの良人・永遠夫.JPG 【1932年文庫化[岩波文庫(神西清:訳)『永遠の夫』]/1938年再文庫化[新潮文庫(米川正夫:訳)『永遠の夫』]/1951年再文庫化[角川文庫(米川正夫:訳)『永遠の良人』]/1952年再文庫化[岩波文庫(神西清:訳)『永遠の夫』]/1955年再文庫化[新潮文庫(米川正夫:訳)『永遠の良人』]/1979年再文庫化[新潮文庫(千種堅:訳)]】

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ロマンチックで滑稽で切ない「白夜」。ヴィスコンティよりもブレッソンの映画が良かった。

白夜.jpg 白夜 [DVD]PL.jpg 白夜2.jpg 白夜 映画.jpg 白夜 ブレッソン ブルーレイ.jpg
白夜 (角川文庫クラシックス)』/ルキノ・ヴィスコンティ監督「白夜 [DVD]」/ロベール・ブレッソン監督「白夜」チラシ・パンフレット/「ロベール・ブレッソン監督『白夜』Blu-ray」(2016)

「白夜」挿画 (1922年).jpg 1848年、ドストエフスキーが20代後半に発表した初期短篇集で、後の作品群のような重々しいムードは無く、むしろ処女作『貧しき人びと』の系譜を引くヒューマンタッチの作品が主で、内容的にも読みやすいものばかりです。

 表題作の「白夜」も恋愛がテーマで、主人公は美しい恋愛を夢想するインテリ青年で、理想の女性を求め白夜の街を徘徊していたある日、橋の上で泣いている美しい女性に出会い、恋人に捨てられたらしい彼女の話を聞くうちに自分が恋に陥る―というものですが、ロマンチックだけれどもどこかコミカルでもあり、切ないと言うか、但し、ちょっと残酷でもあるお話です。

「白夜」挿画 (1922年)

 人生で絶対的なものなど希求した覚えがないという人でも、若かりし頃は"絶対の恋人"というものを夢見たことがあるのではないか、夢と現実の違いを知ることが大人になるということなのか、などと多少しみじみした気分に...。

 また、この主人公がとる、フィアンセがきっと帰ってくると彼女を勇気づける利他的とも思える行動は、『貧しき人びと』や、後の『永遠の夫』などにも通じるモチーフのように思えます。

 主人公は、愛する人の聞き役、相談役であることに充足していて、いつまでもその状態が続くことを欲しながらも、ライバルから彼女を奪い取ろうとはせず、結果的には彼女を失うための努力をしているような感じになっている...。

白夜4.jpg この作品は、ルキノ・ヴィスコンティ監督がマルチェロ・マストロヤンニ、マリア・シェル主演で映画化('57年/モノクロ)しているほか、「少女ムシェット」のロベール・ブレッソン監督がまったくの素人俳優を使って映画化('71年/カラー)していますが、個人的には後者の方が良かったです。  

白夜 ヴィスコンティ版1シーン.jpg ルキノ・ヴィスコンティ版「白夜」は、ペテルブルクからイタリアの港町に話の舞台を移し、但し、オールセットでこの作品を撮っていて(モノクロ)、主人公の孤独な青年にマルチェロ・マストロヤンニ、恋人に去られた女性に「居酒屋」のマリア・シェル、その恋人にジャン・マレーという錚々たる役者布陣であり、キャスト、スタッフ共に国際的です。

白夜 ルチェロ・マストロヤンニ/マリア・シェル.jpg 「ヴェネツィア高裁映画祭・銀獅子賞」を受賞するなど、国際的にも高い評価を得た作品で、タイトルに象徴される幻想的な雰囲気を伝えてはいるものの、細部において小説から抱いたイメージと食い違い、個人的にはやや入り込めなかったという感じです。

 撮影に膨大な時間をかける傾向にあるヴィスコンティは、短時間、低予算でも映画を作ることができることを証明しようとしてこの作品を撮ったらしいですが、他のヴィスコンティ作品に比べると粗さが目立つ気もしました(ヴィスコンティはヴィスコンティらしく、金と時間をふんだんに使って映画を撮るべきということか。但し、これは個人的な見解であって、この作品に対する一般の評価は高い)。
      
ブレッソン 白夜 2.jpg白夜3.jpg 一方のロベール・ブレッソン版「白夜」は、舞台をパリに移し、青年はポン・ヌフの橋からセーヌ河に身投げしようとしている女性と出会うという地理的設定にしています。(1978年2月に「岩波ホール」で公開されて以来、34年ぶりとなる2012年10月に「渋谷ユーロスペース」にてリバイバル上映され、2016年5月に本邦初ソフト(Blu-ray)が販売された。この映画に惚れ込んだ人物が個人で会社を設立して、配給・ソフト発売にこぎつけたとのこと)。

映画:白夜.jpg 神経質そうでややストーカーっぽいとも思える青年(ギョーム・デ・フォレ)の、それでいて少白夜1シーン.bmpし滑稽で哀しい感じが原作を身近なものにしていて、恋人の名前をテープに吹き込んだりしている点などはオタク的であり、こんな青年は実際いるかもしれないなあと白夜1.jpg―。そうしたギョーム・デ・フォレの鬱屈した中にも飄々としたユーモアを漂わせた青年に加えて、イザベル・ヴェンガルテンの内に秘めた翳のある女性も良かったように思います(ギヨーム・デ・フォレ、イザベル・ヴェンガルテン共にこの作品に出演するまで演技経験が無かったというから、ブレッソンの演出力には舌を巻く)。

白夜 フランス版ポスター.jpgQUATRE NUITS D'UN REVEUR1.bmp 夜のセーヌ河をイルミネーションに飾られた水上観光バス(バトー・ムーシュ)がボサノヴァ調の曲を奏でながらクルージングする様を、橋上から情感たっぷりに撮った映像はため息がでるほど美しく、原作のロマンチシズムを極致の映像美にしたものでした。

 「白夜」という原作タイトルは邦訳の際のもので、ドストエフスキーがこの短編につけたタイトルは「「夢想者の4夜」です(右はブレッソン版ポスター)。

 どちらかと言えば、ヴィスコンティの作品の方を評価する人が多いのかも知れませんが、孤独な青年の繊細さ、情熱、詩情を中心に据えた物語だとすると、ジャン・マレー(元の恋人役)の存在はちょっと重すぎる感じもしました。最後に「元カレ」が現れる場面は共に原作通りですが、そもそも原作には、ヴィスコンティの作品のような離れ離れになる前の男女の遣り取りはなく、もっとシンプルです。いろいろな点で、個人的にはブレッソンの作品の方が勝っていると考えます。

ヴィスコンティ 白夜 .jpg「白夜」(ヴィスコンティ版).jpg「白夜」(ヴィスコンティ版)●原題:QUATER NUITS D'UN REVEUR●制作年:1957年●制作国:イタリア・フランス●監督・脚本:ルキノ・ヴィスコンティ●撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ●音楽:ニーノ・ロータ●原作:ドストエフスキー●時間:107分●出演:マルチェロ・マストロヤンニ/マリア・シェル/ジャン・マレー/クララ・カラマイ/マリア・ザノーリ/エレナ・ファンチェーラ●日本公開:1958/04●配給:イタリフィルム●最初に観た場所:高田馬場東映パラス(86-11-30)(評価★★★)●併映:「世にも怪奇な物語」(ロジェ・バディム/ルイ・マル/フェデリコ・フェリーニ)

QUATRE NUITS D'UN REVEUR 1971.bmp「白夜」(ブレッソン版)●原題:QUATRE NUITS D'UN REVEUR(英:FOUR NIGHTS OF A DREAMER)●制作年:1971年●制作国:フランス●監督・脚本:ロベール・ブレッソン●撮影:ピエール・ロム●音楽:ミシェル・マーニュ●原作:ドストエフスキー●時間:83分●出演:イザベル・ヴェンガルテン/ギョーム・デ・フォレ●日ルイ・マル ブレッソン『白夜 鬼火』半券.jpg本公開:1978/02●配給:フランス映画社●最初に観た場所:池袋文芸坐(78-06-22)●2回目:池袋文芸坐(78-06-23)●3回目:有楽シネマ(80-05-25) (評価★★★★★)●併映(1回目・2回目):「少女ムシェット」(ロベール・ブレッソン)●併映(3回目):「鬼火」(ルイ・マル)

 【1958年文庫化・1979年改訂[角川文庫(小沼文彦:訳)]】

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作家の処女作であり、読みやすいがいろいろな見方ができる問題作。

Белые ночи. Бедные люди.jpg『貧しき人びと』.JPG貧しき人びと.jpg  貧しき人々.jpg
貧しき人びと (新潮文庫)』['69年/木村浩:訳]『貧しき人々 (岩波文庫)』['31年/原久一郎:訳]
"Белые ночи. Бедные люди"

 1846年発表のドストエフスキー(1821‐1881)のデビュー作品。勤め先でも近所でも蔑まれている小心善良な小役人マカールと、出自はお嬢様だけれども今は薄幸の少女ワーレンカの往復書簡の体裁をとっています。ストエフスキーが兄に宛てた書簡によると、作者はこの小説を雑誌に発表する前に、すでに成功を確信していたそうです(実際に雑誌に連載が始まると、雑誌の価格が上がるほどの好評を博した)。

 ドストエフスキー独特の饒舌体であるものの、1組の男女のダイヤローグ・スタイルは読みやすく、貧しさゆえに役所にもボロボロの服で出勤し、将来展望も無く自尊心も地に落ちた中年男マカールが、若いワーレンカに恋焦がれて彼女のことだけが生きがいとなっていく様や、一方ワーレンカの方は、マカールを気遣いつつも自分が貧困から抜け出す現実的選択を模索する、そうした過程の両者の心理状態が手紙文を通して克明に描かれていて、マカールの不幸が、彼の性格という個人的問題と貧困という社会の問題の相互作用としてあることがわかります。

 作者は、時に本当の問題から目をそらし自己欺瞞的とも思えるマカールを、同時に、純粋な美しい人間としても描いていているようで(この辺りがゴーゴリの『外套』などと異なる点)、それではこうした困窮に虐げられ自分の不幸の原因すらわからなくなっている男がいるのは、社会に問題があるからなのかというと、その答えが明示されているわけでもありません。何れにせよ、この場合、マカールにとっての第一義的な不幸、主観的な不幸は、"貧しさ"ではなくワーレンカに去られることなのだろうなあ。マカールはある人の金銭的な施しで急場を救われ、ワーレンカもまた―。何れも"金"によってしか両者の問題は解決されないのですが、マカールにとってはむしろカタストロフィ的な結末と言えるのでは。

 当時の大御所批評家のベリンスキーがこの作品を絶賛したとされていますが、『作家の日記』によると、ベリンスキーはドストエフスキー本人に対しては、「君の書いた哀れな役人は、役所勤めで身も心も擦り切れ、過失を重ねて自分自身を卑しめ、自分は不幸な人間だと考える元気も失っている(中略)これは恐ろしいことだ。悲劇じゃないか」と言ったといいます。こうしたベリンスキイの読み方を小林秀雄などは批判していますが、そういう風にも読めてしまうのがこの作品の微妙な点ではないでしょうか。

貧しき人々 (光文社古典新訳文庫).jpg 【1931年文庫化・1960年改版版[岩波文庫(『貧しき人々』)(原久一郎:訳)]/1951年再文庫化[新潮文庫(『貧しき人々』)(中村白葉:訳)]/1951年再文庫化・1969年改版版[角川文庫(『貧しき人々』)(井上満:訳)]/1969年再文庫化・1993年改版版[新潮文庫(木村浩:訳)]/1970年再文庫化[旺文社文庫(『貧しき人々』)(北垣信行:訳)]//2010年再文庫化[光文社古典新訳文庫(『貧しき人々』)(安岡治子 :訳)]】

貧しき人々 (光文社古典新訳文庫)

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手塚治虫の歴史物の中では最高傑作。「伊武谷万二郎」のモデルは?
陽だまりの樹 (全8巻).jpg
陽だまりの樹.jpg
 陽だまりの樹1.jpg  陽だまりの樹2.jpg 
陽だまりの樹 全巻セット (小学館文庫)』 (全8巻) ['95年]/小学館ビックコミックス(全11巻) ['83年]/日本テレビ系列「陽だまりの樹」['00年]

陽だまりの樹001.jpg 1981(昭和56)年4月から1986(昭和61)年12月まで「ビッグコミック」に掲載の、幕末を舞台に、蘭学医・手塚良仙の息子の良庵と、府中藩士の伊武谷万二郎の2人の生き方を描いた手塚治虫後期の作品で1983(昭和58)年・第29回「小学館漫画賞」(青年一般部門)受賞作。手塚良庵(後の良仙)は実在の人物で作者の曽祖父にあたる人、主人公の伊武谷万二郎は一応架空の人物とされているようです。

伊佐新次郎.jpg 手塚治虫の歴史物の中では最高傑作の1つではないかと思います。しっかりした時代考証の上に生き生きとした創作を織り込むところは、司馬遼太郎の初期作品などを想起させます。

 米国総領事として下田に逗留したハリスと通訳のヒュースケンの周辺は相当詳しく調べたようです。「唐人お吉」は実在の人物ですが、お吉にハリスの侍妾として仕えるよう説得したのが下田奉行頭取の「伊佐新次郎」という人であるようです。

お吉を説得する下田奉行頭取・伊佐新次郎

陽だまりの樹002.jpg 主人公「伊武谷万二郎」はこの実在の人物をモデルにしたのではないかと思われます。「伊佐新次郎」という人は実際に熱血肌の人だったようです。お吉がハリスに仕えたのは僅かの期間ですが、その後の彼女の運命に大きな影響を与えました(個人的にはその辺りの経緯を、下田の観光バスガイドの話で初めて知った)。

 このシリーズを買うならば、講談社の全集のものより小学館文庫の方をお薦めします。小学館叢書として'88年に刊行された四六判 (全7巻)の文庫化ですが、セピア調の写真入りのカバーが良く、第2巻表紙のスフィンクス像の前での武士たちの記念写真なども珍しいものです。

 個人的には、文庫版第3巻の巻末解説で、横内謙介氏が手塚治虫と三島由紀夫を対比して、両者の共通点と相違点を述べているのがたいへん興味深かったです。

陽だまりの樹 dvd.jpgBS時代劇「陽だまりの樹.jpg 尚、この作品は2000年4月から9月まで日本テレビ系で連続アニメドラマとして放送され(全25話)、第4回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門(テレビシリーズ・長編)で優秀賞を受賞していますが、午前1時近くから始まる深夜放映だったためで、どれだけの人の目に触れたか(全編を通して観たわけではないが、安易にストーリーをいじらず、ほぼ原作通りだったのではないか)。(2012年にNHK・BS時代劇「陽だまりの樹」として実写版が4月6日(金)から放送された(全12話)。配役は伊武谷万二郎が市原隼人、手塚良庵が成宮寛貴。)
陽だまりの樹(八) [DVD]

 因みに、手塚治虫は朝日新聞の「朝日賞」は'87年に受賞していますが、文藝春秋の「菊池寛賞」は受賞していません。共に「作品」ではなく「人」を対象にした賞ですが、この『陽だまりの樹』の連載と並行して連載されていた『アドルフに告ぐ』('83-'85年)が「週刊文春」の連載であったため、「菊池寛賞」受賞かと思われましたが、当時の文藝春秋社社長が「漫画なんかに菊池寛賞をやれるものか」と反対したため実現しなかったそうです。以降は、加藤義郎('88年の受賞)、東海林さだお('97年の受賞)のようにコマ漫画で菊池寛賞を受賞している漫画家はいるものの、ストーリー漫画については、手塚治虫が受賞を逃しているということで、受賞のハードルが高くなってしまったようです(今年['06年]12月にいしいひさいち氏の受賞が発表されたが、いしい氏もコマ漫画家である)(2016年に『こちら葛飾区亀有公園前派出所』を40年間一度の休載もなく描き続けてきた秋本治氏が受賞した。ただし『こち亀』も一話完結型のギャグ漫画である)

陽だまりの樹 アニメ.jpg「陽だまりの樹」●監督:杉井ギサブロー●脚本:高屋敷英夫/水上清資/川嶋澄乃/大久保智康●音楽:松居慶子●原作:手塚治虫●出演(声):山寺宏一/宮本充/折笠富美子/永井一郎/松本梨香/納谷六朗/大木民夫/堀越真己/幸田直子/三石琴乃/沢海陽子/根谷美智子/家中宏/関智一/郷里大輔/小形満/有本欽隆/くればやしたくみ/前田剛/志村和幸●ナレーション:中井貴一●放映:2000/04~2000/09(全25回)●放送局:日本テレビ

 【1983年コミックス版(全11巻)・1988年四六判(全7巻)・1999年ワイド判(全6巻)[小学館]/1993年全集[講談社(全11巻]/1995年文庫化[小学館文庫(全8巻)]/2008年ビックコミックスペシャル改装版(全6巻)[小学館]/2012年再文庫化[講談社・手塚治虫文庫全集(全6巻)]】

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"手塚流ブッダ"と見るべき? 物語としてのエンタテインメント性を評価したい。

ブッダ (第1巻).jpgブッダ 第1巻.jpg ブッダ 第2巻.jpg ブッダ 第3巻.jpg ブッダ 第4巻.jpg ブッダ 第5巻.jpg ブッダ 第6巻.jpg ブッダ 第7巻.jpg ブッダ 第8巻.jpg
ブッダ [成人向け:コミックセット]』 潮出版新社(全8巻)['87年]
ブッダ《オリジナル版》復刻大全集 8』 復刊ドットコム (2014/8/15)
ブッダ《オリジナル版》復刻大全集.jpg '72(昭和47)年から'83(昭和58)年にかけて雑誌連載された、ゴータマ・シッダルタの生涯を描いた物語ですが、子どもにも読めるわかりやすさ、大人も満足できる叙事詩性やメッセージ性、そして誰もが引き込まれる展開の面白さ。ブッダを最後まで悩み苦しむ生身の人間として描いているので、ブッダが身近に感じられます。

 動物にのり移る能力を持つパリア(不可触賎民)出身の少年盗賊タッタ、最愛の母親と共に数奇かつ悲劇的運命を辿ることになるスードラ(賎民)の青年チャプラ、放浪のバラモン(僧)ナラダッタなど、冒頭から様々な人物が登場。中盤においても、予知能力があり自分の死期を知る子どもアッサジや、盗賊からブッダの弟子に転じるアナンダなど、魅力的な登場人物は挙げればキリがありません。作者の創作したキャラクターも多いものの、仏典を基にしたストーリーにうまく溶け込んでいます。

ブッダ.jpg 厳密に言えば、基本的には、"手塚治虫が描くところのブッダ"と見るべきなのかもしれません。悟りを開いたブッダに人々が帰依していく様が、超能力対決のようなエンタテインメント性を交えて描かれている一方、仏法の講釈の部分は、輪廻転生など手塚治虫的なものに集約されている気もしました。ナラダッタの贖罪などにも、作者の生命哲学が強く反映されていると思いました。一方で、解脱したはずのブッダが、なおも悩み続け、ブラフマンの導きを乞うている...でも"手塚治虫が描くところのブッダと見れば、これで良いのではと思います。

 完結まで10年を要した本作は、手塚作品の中で繋がった1ストーリーのものでは最長作品ですが、ストーリーテラーとしての作者の本領が遺憾なく発揮されていて、多くの人にお薦めしたいと思います。
 
『ブッダ (全14巻)』.jpg マンガがサブカルチャーとして注目・評価されるずっと以前に、本作や『火の鳥』が既にカルチャー(教養)の側に入っていた時代があったことを思い出しましたが、個人的にはあえて、物語としてのエンタテインメント性を高く評価したいと思います。

 【1974年コミックス版(全14巻)・1979年B5判(全6巻)・1987年四六判(全8巻)[潮出版社]/1983年全集[講談社(全14巻)]/1992年文庫化[潮ビジュアル文庫(全12巻)]/1998年B6判ソフトカバー[潮ライブラリー(全8巻)]/2011年再文庫化[講談社・手塚治虫文庫全集BT(全7巻)]/2011年新装版[潮出版社(全14巻)]/2014年《オリジナル版》復刻大全集[復刊ドットコム(全8巻)]】

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「死と再生」のループ構造と、ロボットへの"人間"の投射の旨さ。

鉄腕アトム アトム誕生.JPG『鉄腕アトム』 朝日ソノラマ.jpg     鉄腕アトム 1956.jpg     osamu_tezuka.jpg
『鉄腕アトム』 朝日ソノラマ〔'75年〕/光文社['56年]手塚治虫 (1928‐1989)

鉄人アトム.jpg鉄腕アトム 少年付録.jpg '51(昭和26)年4月から1年間にわたり雑誌「少年」(光文社)に掲載された「アトム大使」(第15巻)が"アトム"の初出とされていますが、ただしこれはアトムが脇役の話で、アトムを主人公とした連載は、それに続く「気体人間」からスタートしています(因みに、「アトム誕生」(第1巻)は、このサンコミックス版刊行('75(昭和50)年)に合わせた書き下ろしで、アトムの初出から24年を経ている)。

 「ロボットを主人公にした漫画を」というのは、手塚治虫自身の発想ではなく、編集者側からの要請だったとのことで(予告段階でのタイトルは「鉄腕アトム」ではなく「鉄人アトム」だった)、そうしたものが読者に受け入れられるかどうか、作者自身も疑心暗鬼だったようですが、読者の方はわっとこれに飛びついたというのが'52(昭和27)年のこと、以来、「鉄腕アトム」は作者自身も予期していなかった長期連載となります。

「鉄人アトム」予告 S.27 S.34.10「少年」付録

 雑誌連載で人気を博したアトムは、'63(昭和38)年にTVアニメになり、世界各国でも放映されるようになりますが、主たる"買付け国"であった米国のTV局からカラーの新アニメの要求があったため、アトムは核融合阻止装置を抱えて太陽に突っ込むという終わり方で放映を終えてしまいます。
 後番組は「悟空の大冒険」で、その1年前に米国のTV局のカラー版アニメの要求に応えるかたちで「ジャングル大帝」がスタートしています(この作品は、漫画としてのオリジナル版はアトムより古い)。

鉄腕アトム 1963.jpg「鉄腕アトム」●演出(総監督):手塚治虫●制作:岡田晋吉/中根敏雄/酒井知信●脚本:豊田有恒/本間文幸/柴山達雄/鈴木良武/辻真先/能加平/石津嵐/平見修二/鳥海尽三●音楽(主題歌):作詞・谷川俊太郎/作曲・高井達雄/歌・上高田少年合唱団●原作:手塚治虫●出演(声):清水マリ/勝田久/井上真樹夫/矢島正明/田口計/水垣洋子/坂本新兵/田上和枝/武藤礼子/芳川和子/小宮山清/和田文雄/千葉耕市/横森久/長門勇/渡辺篤史●放映:1963/01~1966/12(全210回)●放送局:フジテレビ

アトム今昔物語.jpg 一方、連載漫画の方は'67(昭和42)年1月から「サンケイ新聞」でもスタートしますが(この間に雑誌「少年」は突然の廃刊に)、アニメの続きを受け、太陽に突入し溶けたアトムがイナゴ星人に拾われ修理されて、ワープして20世紀半ば過ぎの地球に戻ってくるというものです。
 ただし、朝日ソノラマのコミックス版は、オリジナルである雑誌漫画に太陽突入シーンが無いので、不時着したイナゴ星人のロケットの爆発に巻き込まれてタイムスリップし、20世紀の東京に現れるという話になっています(第6〜8巻「アトム今昔物語」)。
 そうした部分的な改変はあるものの、後に刊行される講談社のコミック全集の「アトム今昔物語」(全3巻)よりは、「サンケイ新聞」で連載された方の「鉄腕アトム」のストーリー(これが後に「アトム今昔物語」に改題された)に比較的近いと言えるかと思われます。
 サンケイ新聞版は、朝日ソノラマのコミックス版や全集版とは別に『アトム今昔物語』('04年/メディアファクトリー)として復刻されており、「アトム今昔物語」は少なくとも3つあることになります。

鉄腕アトム.JPG 別巻は、「少年」「サンケイ新聞」連載以外の作品を集めていますが、そこには「アトム還る」('72(昭和47)年)などの太陽突入後のアトムの事後譚があったり、アトムが他の手塚漫画のキャラクターと共演する珍品があったりします(本編でも「アトム対ガロン」(第10巻)などがありますが)。

鉄腕アトム DVD.jpg 注目は「アトムの最後」('70(昭和45)年)で、傑作と評するファンも多いのですが、作者自身は、読み直して嫌な気分がするし、これがアトム作品の最後とは思っていないと言っています。
 「アトム今昔物語」でもアトムは途中で死にますが、それは物語が2003年のアトム誕生の年を迎え、アトムが生きていてはアトムが誕生しないというタイムパラドックスのためであり、「死と再生」のループ構造になっているわけです。

『鉄腕アトム (全21巻+別巻)』 (1975-76 朝日ソノラマ・サンコミックス)

 アニメのアトムは、今ではDVDやCS放送などでかなりを見ることができます。また、'80(昭和55)年と'03(平成5)年にカラー版で復活しましたが、"リアルロボット"にハマったガンダム世代には、あまりに"人間的"なロボットたちは子供心にも非現実的で、今ひとつ受けなかった?

鉄腕アトム 史上最大のロボット.JPG地上最大のロボット.bmp 漫画を読んで感じるのは、むしろある程度大人の方が、その辺りを割り切って見ることができる分、ロボットへの"人間的"なものの投射の仕方の旨さを味わえるのかも知れないと...(漫画自体や背後の世相に対する郷愁も大きいと思いますが)。
 手塚賞漫画家の浦沢直樹が「地上最大のロボット」('64(昭和39)年・第3巻)を翻案してみせたのも(『PLUTO』)、その表れの1つではと思います。・

『鉄腕アトム』 手塚治虫 光文社カッパ・コミックス .jpg【1956年単行本(全3巻)・1958年全集(全8巻)・1964年コミックス版(全32巻)〔光文社〕/1968年全集〔小学館(全20巻)〕/1975年コミックス版(全21巻+別巻)・1978年愛蔵版(全3巻)・1980年カラー版(全12巻)〔朝日ソノラマ〕/1979年全集(全18巻+別巻2)・1987年B6版(全7巻)・1992年コミックス版(全15巻)[講談社]/1995年文庫化〔光文社文庫コミックシリーズ(全15巻)〕/1999年コミックス版(全21巻+別巻2)[秋田書店]/2002年文庫化〔講談社漫画文庫(全13巻)〕/2009年再文庫化[講談社(手塚治虫文庫全集BT)]】
『鉄腕アトム』第1卷第1号 「アトム大使の巻・アトラスの巻」光文社カッパ・コミックス 1964(昭和39)年1月1日発行

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ドストエフスキー小説のような深み。科学的な仮説同士の対決というヤマ場が作者らしい。

きりひと讃歌 COM 上巻.jpg きりひと讃歌 COM 下.jpg きりひと讃歌 大都社ハードコミックス 全3巻.jpg きりひと讃歌 上巻.jpg きりひと讃歌下巻.jpg
きりひと讃歌 上下巻セット (COMコミックス増刊)』['72年/虫プロ商事]/『きりひと讃歌 1~最新巻 [マーケットプレイス コミックセット]』['74年/大都社ハードコミックス(上・中・下)]/『きりひと讃歌 (上)』『きりひと讃歌 (下)』['86年/大都社ハードコミックス改訂(上・下)]   "Ode to Kirihito" ペーパーバック版(下右)

ode-to-kirihito1.bmp1きりひと讃歌.jpgきりひと讃歌 54.JPG '70(昭和45)年4月から翌年末にかけて「ビックコミック」('70年4月10日号〜'71年12月25日号)に連載されたかなりシリアスな作品で、白い巨塔、よろめき、万博、レオポンなどの作中の言葉に時代を感じますが、当時としての"現代モノ"です。

 主人公の「桐人(きりひと)」が"モンモウ病"で「犬男」になってしまうところから、当初は「バンパイヤ」の二番煎じではと言われたそうですが、彼が社会から抹殺されかけても「医師」であり続ける点では、2年後に連載開始した「ブラック・ジャック」に近いような気がします(「ブラック・ジャック」よりこちらの方が3年初出が早いが)。

2きりひと讃歌.jpg 医局を追われた桐人の逃避行を助ける「たづ」「麗花」など女性たちが犠牲的存在としてばかり描かれている点や、「万大人」「竜ケ浦」らが同じ病に罹るというややご都合主義的なストーリー展開などが気にならなくもありませんが、桐人の同僚「占部」の原罪的苦悩と贖罪や修道女「ヘレン・フリーズ」の献身などには、ドストエフスキー小説のような深みがあります。

3きりひと讃歌.jpg 波乱万丈の物語の背景に一貫して、医師会の会長選挙を巡る権力抗争の話があり、物語全体の骨格を成していますが、教授会と医師会の違いこそあれ、'66年映画「白い巨塔」の影響を感じます(映画では原作以上に教授選挙に焦点を当てていた)。

 しかし、復讐のため最後の対決が、「正義vs.悪」というパターンを超えて、「ビールス説vs.風土病説」という科学的な「仮説」の真偽を決する対決として表されているところが、科学者らしい発想で作者らしいという気がしました。

 連続した1ストーリーで読み返すのにほどよい長さでありながら、充分な読了感が得られる作品だと思います。
                              
『きりひと讃歌』['74年/大都社ハードコミックス(上・中・下)]
1きりひと讃歌3.jpg 【1972年コミック版[COMコミックス増刊(上・下)]/1974年コミックス版[大都社ハードコミックス(上・中・下)](1986年ハードコミックス改訂[大都社(上・下))]/1977年全集[講談社(全3巻)]/1989年叢書版(上・下)・2000年単行本(全5巻)・2003年単行本(上・中・下)[小学館]/1994年文庫化[小学館文庫(全3巻)]/2008年ビックコミックスペシャル改装版(全2巻)[小学館]/2010年再文庫化[講談社(手塚治虫文庫全集BT)]】

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大人でも解けない問題を子どもの前にシンプルな形で提示している。

2ブラック・ジャック.jpgブラック・ジャック (1) (少年チャンピオン・コミックス) .jpg          ブラック・ジャック.jpg
ブラック・ジャック (1) (少年チャンピオン・コミックス)』['74年] 『ブラック・ジャック 1 [新装版] (1)』秋田書店 〔'04年〕
『ブラック・ジャック (全25巻)』(1974 /秋田書店・少年チャンピオン・コミックス)

 '73(昭和48)年11月から'83(昭和58)年10月まで約10年にわたり「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)に連載された医療漫画の元祖で、今だこれを超える医療漫画はないとされている手塚治虫の代表作。'75(昭和50)年度・第4回「日本漫画家協会賞」の特別優秀賞、'77(昭和52)年度・第1回「講談社漫画賞(少年部門)」を受賞しています。

 この作品を発表する前頃の作者は、少年誌の世界では既に古いタイプの漫画家とされ、'73年に自らが経営していた虫プロ商事が倒産、それに続いて虫プロダクション(既に経営者を退いていた)も倒産し、個人的にも巨額の借金を背負うことになったこともあって、「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)の壁村耐三編集長の「手塚の最期を看取ってやろう」という厚意で始まった連載だったそうですが、この作品で作者は起死回生の大復活を果たすことになります。

ブラック・ジャック2.jpg このマンガがスゴイなあと思うのは、大人でも解けないような問題を、子どもでも読めるシンプルな形で提示しているところで、例えば、第17話の「二度死んだ少年」で、ブラック・ジャックが命を救った少年が結局は死刑になるという話。これを読んだ子どもはどう考えるのでしょうか。「子どもの死刑」など、小説では成り立ちにくい設定かもしれませんが、その点はマンガの利点を活かしていると思います。でも、こうしたテーマに対する答えを出すのは大人にも難しいでしょう。

 テレビアニメ化されましたが、1話当たりが長くなっているため、原作の本筋は変えないものの、"装飾品"が多くなってしまっている感じがします。それと、何だかやたら明るいのです。原作のタッチはもっと暗いし、ストーリーもゲッというようなものもあります(少年チャンピオン・コミックスでも最初のうちは「恐怖コミックス」と銘打っていた)。

瞳の中の訪問者 映画チラシ.jpg瞳の中の訪問者.jpg瞳の中の訪問者 宍戸錠.jpg 後半にいくにつれヒューマンな色合いが強くなりますが、カルト的な楽しみも見出すことも出来ます。例えば第167話の「春一番」は、'77年に脚本・ジェームス三木、監督・大林宣彦で「瞳の中の訪問者」というタイトルで実写版映画化されていて片平なぎさ 新人_.jpg 、'77年に歌手デビューしたばかりのホリプロの"新人"片平なぎさを売り出すためのプロモーション映画ともとれるものでした(「ブラック・ジャック」の実写版は加山雄三と本木雅弘がそれぞれブラック・ジャックを演じたものが知られているが、この作品でブラック・ジャックを演じたのは宍戸錠)。     
瞳の中の訪問者zj.jpg映画チラシ/DVD「瞳の中の訪問者」/サントラLP(廃盤)
瞳の中の訪問者8.gif 劇場公開は1977年11月26日で、同時上映は「昌子・淳子・百恵 涙の卒業式〜出発(たびだち)〜」でしたが、僅か2週間で上映打ち切りになったとのこと。珍品というか、今では一種のカルトムービーのような評価になっているようです。原作と[瞳の中の訪問者.jpgの対比で見ると面白く、結構笑えます(原作の方がずっとマトモ)。3年後に鈴木清純監督の「ツィゴイネルワイゼン」('80年)に出演することになる藤田敏八監督が守衛役で出ていたりして(俳優としては映画初出演)、そうしたカルト的価値を加味すべきか否か、結局自分でも判断がつかず評価不能ということにします(志穂美悦子が意外と可愛い)。

片平なぎさ/藤田敏八/志穂美悦子

「瞳の中の訪問者」図1.jpg「瞳の中の訪問者」●制作年:1977年●監督:大林宣彦●製作:堀威夫/笹井英男●脚本:ジェームス三木●撮影:阪本善尚●音楽:宮崎尚志●原作:手塚治虫 「春一番(「ブラック・ジャック」)」●時間:100分●出演:片平「瞳の中の訪問者」千葉.jpgなぎさ/宍戸錠/山本伸吾/志穂美悦子/峰岸徹/和田浩治/月丘夢路(特別出演)/長門裕之(特別出演)/大林宣彦/(以下、友情出演)千葉真一/壇ふみ/藤田敏八●公開:1977/11●配給:ホリプロ=東宝(評価:★★★?)
0「瞳の中の訪問者」大林1.jpg 大林宣彦(テニス審判)

瞳の中の訪問者81.png   
ピノコ誕生.jpg この新書版(コミックス版全25巻)のほかに、講談社の全集 (全22巻)や秋田文庫(全17巻)などにもありますが、読者クレームなどのため途中で抜いた話もあるようです。ただ、第2巻から登場のピノコも、双子の片割れの「畸形膿腫(きけいのうしゅ)」だったわけで、この話はテレビアニメでも放送開始後1年経ってようやく「ピノコ誕生」というタイトルで放映されましたが...(BJによる"回想"というかたちで)。 

ブラック・ジャックdx.jpg 新書の新装版も刊行中ですが、さらに収録されない作品が出てくるかも。   
講談社 DX版 〔'04年〕

 ピノコについては、この物語を、BJとピノコの恋愛物語(ロリータ愛ということになる)と見る見方もあるようで、ナルホド、ピノコは本当は18歳(18年間、母体内にいた)、だけれども女性というよりは少女、むしろ幼児近い(「人工」の身体という意味では人形にも近い)、こうした女性に成りきらない「女の子」というのは、他の手塚作品でも結構いたことに思い当たります。

ブラック・ジャック 2004 2.jpgブラック・ジャック 2004_.jpg「ブラック・ジャック」●演出:手塚眞●制作:諏訪道彦●音楽:松本晃彦●原作:手塚治虫●出演(声):大塚明夫/水谷優子/富田耕生/川瀬晶子/阪口大助/江川央生/渋谷茂/山田義晴/滝沢ロコ/渡辺美佐/小形満/後藤史彦/佐藤ゆうこ●放映:2004/10~2006/03(全63回)●放送局:読売テレビ

 【1974年コミックス版(全24巻+1巻)・1987年四六判(全17巻)・2001年B6判(全24巻)・2004年新装コミックス版判(全17巻)[秋田書店]/1977年全集・2004年B6判(DX版)[講談社(全22巻)]/1993年文庫化[秋田文庫(全17巻)]/2010年再文庫化[講談社(手塚治虫文庫全集BT)]】

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'60年代作品の短篇集。突き抜けた面白さ、実験的要素もふんだんに。

筒井康隆 自選短篇集〈全6巻セット.jpgカメロイド文部省.jpg  わが愛の税務署.jpg   混乱列島.jpg
『筒井康隆 自選短篇集〈全6巻)』『カメロイド文部省―自選短篇集〈5〉ブラック・ユーモア未来篇 (徳間文庫)』『わが愛の税務署―自選短篇集〈6〉ブラック・ユーモア現代篇 (徳間文庫)』永井豪(原作:筒井康隆)『混乱列島 (1977年) (サンコミックス)

 筒井康隆の自選短編集が'02年から「新潮文庫」と「徳間文庫」でドドッと出ました。「徳間文庫」の方を読みましたが、ドタバタ篇、ショート・ショート篇、パロディ篇、ロマンチック篇、ブラック・ユーモア未来篇、ブラック・ユーモア現代篇の全6冊です。主に'60-'70年代の初期作品が収められていますが、個人的にはこの「ブラック・ユーモア未来篇」が一番楽しめました(その次が「ブラック・ユーモア現代篇」か。「ブラック・ユーモア篇」だけ分冊にしているだけのことはある)。

混乱列島 永井豪  .jpg混乱列島 永井豪_o1.jpg 読心能力者の受難を滑稽に描いた「底流」や、ローマ時代のような階層社会を描いた「下の世界」(これがある意味一番SFチック)、SF名作『冷たい方程式』のパロディ「たぬきの方程式」(永井豪の筒井康隆の作品を漫画化したアンソロジー『混乱列島』で漫画にもなっている。筒井康隆を"永井豪テイスト"で愉しみたい人にはお奨め)のほか、露出狂の女性を描いた「脱ぐ」(仮に今この内容で新作として発表されればフェニミズム団体から猛抗議を喰うのでは)―など、"ブラック・ユーモア"とか"未来"という枠組みを突き抜けた面白さで、実験的要素もふんだんにあります(そのことは『わが愛の税務署-自選短篇集〈6〉ブラック・ユーモア現代篇』にも当てはまる)。

永井 豪 (原作:筒井康隆)『混乱列島 (1977年) (サンコミックス)(初出:1976年「週刊小説」4月26日号-9月13日号)
1. パチンコ必勝原理/2. 池猫/3. 地下鉄の笑い/ 4. 腸はどこへいった/ 5. きつね/ 6. たぬきの方程式/7. 姉弟/8. 超能力/9. 蝶/10. おれに関する噂/11.「私説博物誌」より/12. 自動ピアノ/13. 流行/14. 遠泳/15. 佇むひと

 「新潮文庫」の方は、もう少し後期の作品を中心にとり上げているようですが(ドタバタ傑作集とホラー傑作集が各2冊ずつとグロテスク傑作集の計5冊)、昔の短編がこうして再度世に出る作家というのも、SF・ユーモア作家では少ないのではないでしょうか。作者の作品は、衒学的・思念的なものよりも、個人的には気軽に読めるスラップスティック調のものが結構好きなので、初期作品の再刊・再収録はありがたいことです。

《読書MEMO》
『カメロイド文部省-自選短篇集〈5〉ブラック・ユーモア未来篇』・12作
◆脱ぐ('60年)/◆無限効果('61年)/◆二元論の家('61年)/◆底流('61年)/◆やぶれかぶれのオロ氏('62年)/◆下の世界('63年)/◆うるさがた('65年)/◆たぬきの方程式('70年)/◆マグロマル('66年)/◆カメロイド文部省('66年)/◆最高級有機質肥料('66年)/◆一万二千粒の錠剤('67年) 

『わが愛の税務署-自選短篇集〈6〉ブラック・ユーモア現代篇』・8作
◆融合家族...二組の夫婦の奇妙な同棲生活/◆コレラ/◆旗色不鮮明/◆公共伏魔殿/◆わが愛の税務署/◆地獄図日本海因果(だんまつまさいけのくろしお)...北朝鮮軍の発射したミサイルにより時空が大混乱する/◆普金太郎/◆廃塾令

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筒井、老いたか?ホラーとしてはヌルく、ミステリーとしてはユルい。

恐怖.jpg恐怖』 (2001/01 文藝春秋) 恐怖2.jpg kyoufu tutui.jpg恐怖 (文春文庫)』 〔'04年〕写真:杉山拓也

 作家の「俺」こと村田勘市が住む姥坂市で、ある日、画家の町田美都が殺され、続いて建築評論家の南條郁雄が殺されるという連続殺人事件が起きるが、たまたま町田の他殺死体の第一発見者となった「俺」は、犯人の狙いはどうやら町に住む文化人を皆殺しにすることにあり、次に殺されるのは自分だという強迫観念に囚われ、その恐怖から次第に狂気へと追いつめられていく―。

 恐怖小説かと思って読んでいくと実は、それこそタイトル通り...、という感じなのですが、同時に恐怖小説としても読める。
 そのあたりを面白いと見るか中途半端と見るかで評価が割れるかもしれません。

 個人的にはやはり、往年の作者の少ない紙数でたたみかけ読者を奈落へ突き落とすような迫力を思い起こすと、この小説はホラーとしてはヌルく、ミステリーとしてはユルいという気がします。

 恐怖小説として成功しなければ、"メタ恐怖小説"としても成功しないのではないかと。
 そう言えばかつての筒井作品には、表立って二重構造にしなくとも、"メタ恐怖小説"になっていたものが多かったような...。

 【2004年文庫化[文春文庫]】

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少女と元ヤクザの祖父の交流を描く。ファンタジー(児童文学)の系譜。

わたしのグランパ 単行本.jpgわたしのグランパ.jpg     わたしのグランパL.jpg 0066_l.jpg
わたしのグランパ』['99年/文藝春秋] 『わたしのグランパ (文春文庫)』 〔'02年〕カバーイラスト/福井真一 「わたしのグランパ [DVD]」('03年映画化/'15年ニューリリーズ)監督:東陽一/出演:菅原文太、石原さとみ

 1999(平成11)年度・第51回「読売文学賞」受賞作。

 中学1年生の「わたし」の前に、15年の刑期を終えてある日突然現れた元ヤクザの祖父「グランパ」。2人の関係は最初ぎこちないが、グランパの活躍などを経て徐々に―。よくこなれた文章を通して、今までの筒井康隆にないぬくもりが伝わってきます。

 筒井作品としては、『時をかける少女』以来のジュブナイル小説と言われていますが、その間にも少女を主人公にしたものは幾つかあったはず。むしろ、少女と老人の精神的交流を描くファンタジーではないかと思いました。さらに大きく捉えれば、児童文学とも言えるのではないかと思います。

ぼんぼん1.jpg すると、こうした子どもと老人の交流を描くという系譜は、児童文学にあったような気がします。児童文学作家・今江祥智の、戦時中の母子家族を描いた『ぼんぼん』に出てくる、元ヤクザの〈佐脇老人〉を思い出しました。『ぼんぼん』の主人公は少年ですが、〈佐脇老人〉は陰に日向に少年を助け、少年の成長を支えます。本書の「グランパ」の役回りは、『ぼんぼん』における〈佐脇老人〉のそれによく似ているように思いました。

ぼんぼん (1983年)

わたしのグランパ .jpg 東陽一監督による映画化作品('03年/東映)では、この主人公の祖父「グランパ」を菅原文太(1933-2014)が演じています。どちらかと言うと中学1年生の「わたし」を演じた石原さとみよりも「グランパ」を演じた菅原文太の方が主演になっていて、菅原文太にとっては「やくざわたしのグランパ 01.jpg道入門」('94年/バンダイビジュアル)以来約10年ぶりの映画主演作でしたが、これくらい俳優になると、ブランクとかあまり関係ない?(結果的に菅原文太の最後の映画主演作になった) 東陽一監督自身が後に原作をある種ファンタジーとして捉えて映画を撮ったと述べていたような記憶があり、自分が原作を読んだ時の印象に近いなと思いました。

わたしのグランパ02.jpg 中学1年生の「わたし」を演じた石原さとみは当時16歳で、石神国子(いしがみ・くにこ)名義で既に2本の映画に出ていましたが、石原さとみ名義で初出演したこの作品がデビュー作ということになっているようです。この作品で報知映画賞、日刊スポーツ映画大賞に続き、第25回ヨコハマ映画祭、第46回ブルーリボン賞、第13回日本映画批評家大賞、 そして第27回日本アカデミー賞において新人賞を受賞と「6冠達成」、映画公開年のNHKの連続テレビ小説「てるてる家族」のヒロイン・岩田冬子役にも抜擢されています。この「わたしのグランパ」では、オーディションを勝ち抜いて得た役であり、16歳とは思えない演技を見せているのは確かですが、東陽一監督の演出の巧みさもあったのではないかと思います。

わたしのグランパpre_img.jpg「わたしのグランパ」●制作年:2003年●監督・脚本:東陽一●撮影:小林達比古●音楽:Alpha./タブラトゥーラ●原作:筒井康隆「わたしのグランパ」●時間:113分●出演:菅原文太/石原さとみ/浅野忠信/平田満/宮崎美子/伊武雅刀/波乃久里子●時間:113分●公開:2003/04●配給:東映●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(03-08-30)(評価:★★★☆)

「わたしのグランパ」完成披露試写会(丸の内東映劇場、2003.3.6)舞台挨拶(筒井康隆/石原さとみ/菅原文太/東陽一)

【2002年文庫化[文春文庫]】

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今読んでも面白い!ハチャメチャぶりと虚実皮膜の間。

乱調文学大辞典1972.jpg 『乱調文学大辞典』cover2.jpg 乱調文学大辞典2.jpg 乱調文学大辞典.jpg 
『乱調文学大辞典』〔'72年/講談社〕/『乱調文学大辞典 (講談社文庫)』〔'75年〕/角川文庫〔'86年〕(カバーイラスト:いずれも山藤章二
『乱調文学大辞典』obi.jpg 学校で教わった文学史は忘れても、この本の「太宰治:大宰府を治める人」なんていうのは忘れられません。この突き抜けたようなナンセンス!

 二葉亭四迷というペンネームが父親に言われた言葉かどうか異説があるにしても、「くたばってしめぇ」に由来するというのは事実のようで、そうした虚実皮膜の間もあって、今読んでもたいへん面白いと思います
 島崎藤村が「島崎」という人と「藤村」という人の合作ペンネームであるといった"純粋な冗談"もありますが、雑誌「中央公論」のそもそもの始まりが、禁酒運動の機関誌であったことなどは"事実"です。   
       
『乱調文学大辞典』nakami.jpg 「愛書家」が「フェティシズムの一種」なんてねえ。でも、まったく見当違いでもないような気も。「愛書家」の英訳ビブリオフィリア(ビブロフィリア)は書物崇拝狂などと呼ばれたりもしますから。

 「アウトサイダー:密造の清涼飲料水」とか、文学に一見関係ないような項目もありますが(コリン・ウィルソンが『アウトサイダー』という著書の中で、ヘミングウェイ、サルトル、ドストエフスキー、ゴッホらを指して、社会秩序の内にあることを自らの意思で拒否する者をそう呼んでいるが、読者がどれぐらいそのことを知っているだろうか)、まあ面白ければいいという感じで、読者もそれで満足するのでは。

 「悲喜劇」の項などは、読んだとたんに思わず声を出して笑ってしまいます。
 
 初出は「小説現代」の連載。単行本は'72(昭和47)年に講談社からソフトカバーで出ていましたが、時代がかった博物誌的な挿画に、アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』などに対する意識が窺えます。 
 
『乱調文学大辞典』nakami2.jpg 当時の筒井氏は何度目かの直木賞候補になってはいますが、SF作家としては、星新一、小松左京、光瀬龍といった横綱クラスに比べれば関脇か小結だったでしょう。そのことは付録の「あなたも流行作家になれる」を見てもわかります。

 しかし、この本のハチャメチャなパワーは、その後のSFに限らないジャンルでの活躍を予感させるものでもありました。

 【1975年文庫化[講談社文庫]/1986年再文庫化[角川文庫]】

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作家のある時期のピークであるとともに分岐点的な作品。

脱走と追跡のサンバ 1971.jpg  脱走と追跡のサンバ 角川文庫ド.jpg   脱走と追跡のサンバ2.jpg 脱走と追跡のサンバモノクカバー版.jpg 新潮現代文学 78 脱走と追跡のサンバ おれに関する噂 他_.jpg
早川書房['71年](装幀/杉村 篤)/『脱走と追跡のサンバ (角川文庫)』['74年](カバー・イラスト/杉村 篤)/『脱走と追跡のサンバ (角川文庫―リバイバルコレクション エンタテインメントベスト20)』['96年]/角川文庫モノクロイラストカバー版(カバーイラスト:山藤 章二)/『新潮現代文学 78 脱走と追跡のサンバ おれに関する噂 他』['79年]

筒井 康隆 『脱走と追跡のサンバ』.jpg SF作家となった「おれ」がいる「この世界」は、いつか「正子」と一緒にボートに乗ったときに排水口から流れついた異世界で、情報による呪縛、時間による束縛、空間による圧迫に満ちた世界であり、かつて作家になる前にいた「あの世界」とは異なる時間軸にあるらしい。「おれ」は、「あの世界」へ戻るべく「この世界」からの脱出を図るが、「おれ」を脱出させまいとする「尾行者」と演じる果てしないドタバタ追跡劇の末に行き着く世界もまた「あの世界」ではなく、「おれ」は現実と虚構の境界のゆらぎの間をただひたすら疾走することになる―。

 '70(昭和45)年10月から'71(昭和46)年9月まで「SFマガジン」に連載され、'71年10月に早川書房より出版スラップスティックと言えばそうかなという感じもしますが、「多元宇宙理論」をモチーフに、ボルヘス的なカオスの世界を描いているともとれます。作者のエッセンスが詰まったような作品で、当時の"ニューウェーブSF"の影響はあるかと思いますが、ギャクとユーモアでそうした枠組み自体も笑い飛ばしている感じ。単行本刊行時は「ナンセンス」「奇想天外」「新感覚」というキャッチだったようですが、形容しがたい独自世界だったということではないでしょうか。『世界のSF文学総解説』(自由国民社、最新改版1991、担当執筆者・平岡正明)では「筒井康隆の最高傑作といわれている」と紹介されています。

イノセンス スタンダード版.jpg 今読むと、「パンチ・カード」とか「FORTRAN」などのタームに時代を感じる部分もありますが、女性がデータ化されるところは人々が電脳化された近未来を描いた押井守のアニメ「イノセンス」('04年)さながらであり、主人公が陥っている情報により作られた仮想現実の世界というのは、この小説の中にもある社会事象のワイドショー化や、現在のインターネットの普及などにより、より読者に身近な感覚のものになっているのではないでしょうか、その意味では先駆的だったと思います。

虚航船団.jpgおれに関する噂.jpg家族八景.jpg つげ義春の「ねじ式」などを想起させる部分もある全編に漂うシュールな感じをはじめ、『家族八景』('72年/新潮社)、『おれに関する噂』('74年/新潮社)『虚航船団』('84年/新潮社)など作者の後の作品の萌芽を幾つも見ることもできますが、この作品以降は、〈エンターテインメント〉と〈純文学寄り〉の切り分けがはっきりしていったような印象があり、そうした意味では、作家のある時期のピークであるとともに分岐点的な作品であったのではないかと思います。

 【1974年文庫化[角川文庫]/1996年再文庫化[角川文庫―リバイバルコレクション エンタテインメントベスト20]】

《読書MEMO》
・2010年「菊池寛賞」受賞(作家生活五十年、常に実験的精神を持って、純文学、SF、エンターテインメントに独自の世界を開拓してきた功績)

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擬古文が平安の物語に調和し、まさに達人の領域。

谷崎潤一郎「少将滋幹の母」(毎日新聞社)昭和25年8月5日発行.jpg少将滋幹の母.jpg  少将滋幹の母2.jpg
少将滋幹の母 (新潮文庫)』〔'53年〕 『少将滋幹の母 (中公文庫)』〔'06年〕
『少将滋幹の母』(毎日新聞社) '50(昭和25)年8月5日発行

 1949(昭和24)年11月から翌1950(昭和25)年2月までにかけて「毎日新聞」に連載された谷崎潤一郎(1886‐1965)の63歳の作で(単行本は1950(昭和25)年8月に毎日新聞社より刊行)、「今昔物語」など平安朝の古典に材を得た円熟味のある作品です。

 文庫で150ページ程度とそれほど長くない中に、関連する3つから4つの話が入っているという構成。
 最初が、80歳の大納言が美人の若妻を、プレイボーイである甥の左大臣に奪われる話。
 そして、その後も妻を思う気持ちが絶ち難い老人が極めつけの修行をする話と、自身も若妻に気があったのに左大臣の手引きをした形となった平中(へいじゅう)という名うての色男が、若妻を諦め、その侍従をストーカーのごとく追う話が中盤に入り(後の方の話は、芥川龍之介も小説にしている(『好色』))、最後に若妻の子どもが40年後に母親に再会しようとする、言わば「母子物」の話が来て、この若妻の子(今は中年)が表題の「滋幹(しげもと)」であるということです。

 大納言が若妻を左大臣に奪われたという話は、左大臣の策略に嵌まり酒席で勢いに駆られて自分の妻を甥にくれてやったという感じで、これだけの話だとこの老人はなんら同情に値しない気がしますが、この一見愚かな行動を、翌日に老人自身が振り返えるかたちで展開される、谷崎による老人の心理分析が、妻を奪われることが老人の潜在願望であったというなかなか穿ったもの。
 それでも老人は恋慕と絶望に苦しみ、色欲から解脱するために"修行"に励みますが、悟りきれないところも谷崎の人生観を表象しているなあと。

 擬古文の文調が平安の物語に絶妙に調和していて、まさに達人の領域にあり、読み心地もいいです。
 何れの話も原典が示されていますが、その中に1つだけ、実在しないもの(つまり「鵙屋春琴伝」のような谷崎の創作)があるのも味な趣向だと思いました。

【1953年文庫化[新潮文庫]/2006年再文庫化[中公文庫]】

谷崎 潤一郎 『少将滋幹の母』ドラマタイアップカバー.jpg中公文庫/NHK時代劇スペシャル「母恋ひの記」(黒木瞳・劇団ひとり主演)タイアップ帯(2008) 

《読書MEMO》
●「少将滋幹の母」...1949(昭和24)年発表

  

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大阪の町人文化を背景に、"江戸"情緒を醸す擬古文とノンフィクション作家のような視点。

谷崎潤一郎「春琴抄(黒漆表紙)」初版.jpg春琴抄.jpg   春琴抄 創元社 初版.jpg 谷崎潤一郎「春琴抄」角川文庫.jpg
春琴抄』 新潮文庫/ 創元社 『新版春琴抄』初版 ['34(昭和9)年]/角川文庫 映画タイアップカバー(山口百恵/三浦友和)
『春琴抄』初版 ['33(昭和8)年12月](黒漆表紙)

 1933(昭和8)年発表の谷崎潤一郎(1886‐1965)47歳のときの作で、盲目の三味線師匠春琴と、彼女に仕え後に彼女に師事することになる佐助との、ある種異形の愛を描いたこの作品は、5回も映画化されていることから見ても、谷崎の代表作と言えます(「鍵」「痴人の愛」は、国内に限れば映画化回数は4回)。

 お嬢さん気質の驕慢勝気ぶりで弟子たちに過剰な鞭撻を施す春琴と、完全に受身的にそれに服従する佐助の関係はSMチックな官能を匂わせ、それでいて佐助が自ら盲目の世界へ踏み入ったときに春琴が初めて彼に対して本当に心を開くという完結した純愛物語にもなっています。

 しかし佐助の行為を、官能と美意識の融合ために実態よりもイメージを選んだというふうにとれば、春琴に対する思いやり以上に自分自身の美意識が動機なのではないか、利他的行動というよりもむしろ利己的行為なのではないかという見方も成り立つかも。

 春琴は言わば天才型の三味線奏者ですが、佐助も後にその道で「検校」と敬称される奏者となるわけで、天才型と努力型の違いはありますが、ともに芸術家であるということを念頭に置いて読むべきではないかと思いました。

 関西に移住して10年目の谷崎は、関東大震災後の復興著しい東京よりは大阪の町人文化(の名残り)の方を偏愛し、物語自体の時代背景は明治初期であるにも関わらず、最初から舞台を大阪に設定していたのではないかと思いました。

 読点、改行の無い独特の「擬古文」が醸す"江戸"情緒に酔えますが、一方、語り手の視座は「鵙屋春琴伝」を読み解き、生き残り証人に取材するノンフィクション作家のように設定されていることにも注目すべきでしょう。春琴はこう思った、佐助はこう感じた、などという書き方はどこにもしていないし、春琴の顔を傷つけた犯人も類推されているだけで、断定はされていません。そうした表現方法が読者の想像力を一層かきたて、物語にも深みを増していますが、「鵙屋春琴伝」そのものが谷崎の創作ですから、ホント、「ニクイなあ、谷崎」という感じです。

 この作品は、戦前を含め5回映画化されており、三島由紀夫の「潮騒」の5回と並んで、川端康成の「伊豆の踊子」の6回に次ぐ多さとなっています(2008年に6回目の映画化がされた)

・1935年『春琴抄 お琴と佐助』(制作:松竹蒲田、監督:島津保次郎)春琴:田中絹代/佐助:高田浩吉
・1954年『春琴物語』(制作:大映、監督:伊藤大輔)春琴:京マチ子/佐助:花柳喜章
・1961年『お琴と佐助』(制作:大映、監督:衣笠貞之助)春琴:山本富士子/佐助:本郷功次郎
・1972年『讃歌』(制作:近代映画協会・ATG、監督:新藤兼人)春琴:渡辺督子/佐助:河原崎次郎
・1976年『春琴抄』(配給:東宝、監督:西河克己)春琴:山口百恵/佐助:三浦友和
春琴抄_3.jpg・2008年『春琴抄』(配給:ビデオプランニング 監督:金田敬)春琴:長澤奈央/佐助:斎藤工


 【1951年文庫化[新潮文庫]/1979年再文庫化[旺文社文庫(『刺青・春琴抄』)]/1984年再文庫化[角川文庫(『春琴抄・蘆刈』)]/1986年再文庫化[中公文庫(『春琴抄・吉野葛』)]/1986年再文庫化[岩波文庫(『春琴抄・盲目物語』)]/1991年再文庫化[筑摩文庫(『谷崎潤一郎 (ちくま日本文学全集) 』)]/2016年再文庫化[角川文庫]/2021年再文庫化[文春文庫(『刺青 痴人の愛 麒麟 春琴抄―現代日本文学館』)]】

《読書MEMO》
●「春琴抄」...1933(昭和8)年発表

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契約解除としての離婚と古き良き江戸情緒?小出楢重の挿絵で触れる谷崎のモダン感覚。

蓼喰ふ蟲.jpg蓼喰う虫.gif  小出楢重.jpg 小出 楢重(1887-1931)
蓼喰う虫 (岩波文庫 緑 55-1)
1929(昭和4)年11月刊行 改造社版

蓼喰う虫 (岩波文庫 緑 55-1) .jpg 1928(昭和3)年発表の谷崎潤一郎(1886‐1965)の長編小説(単行本刊行は翌年)で、妻に愛人がいて自身も娼館に通っているという既に破綻した夫婦関係にある男が、なるだけ妻子を傷つけないように離婚するにはどうしたらよいかを考えているというのがモチーフになっています。

 主人公の男が離婚を「契約解除」的に考えようとしているところが、谷崎の実生活と重なる点でもあり、モダンと言えばモダン。しかし一方で、義父(妻の父)の浄瑠璃の趣味に付き合って、人形浄瑠璃を見に淡路島くんだりまで妾帯同の義父にわざわざ付き添うなど、優柔不断と言えば優柔不断。これらの話に統合性が無いような感じもあり、スラスラと書いてはいるけれど内容的には通俗小説の域を出ないのではないかという気もしました。

 関東大震災後に関西に移住した谷崎が、変化の激しい東京よりも関西に古典的情緒の名残を見出したことは知られていますが、夫婦の危機と併せてそれを描くことで、伊藤整なども指摘しているように「主題の分裂」を感じます。

小出楢重と谷崎潤一郎_.jpg 敢えてとりあげたのは、岩波文庫版に新聞連載(83回)時に近いかたちでの小出楢重の挿蓼喰う虫2.jpg絵全83葉が収録されているためで、おかげで人形浄瑠璃の桝席の様子や「封建の世から抜け出してきたようだ」という妾・お久の様子などがわかりやすいのですが、その他生活や風俗などで当時の「モダン」なものも多く描いていて興味深いからです。

「蓼喰う虫」 岩波文庫版 挿絵(小出楢重)


小出楢重と谷崎潤一郎 小説「蓼喰ふ虫」の真相
神戸オリエンタル・ホテル (1910年代/現在)
神戸オリエンタル・ホテル.jpg神戸オリエンタル・ホテル 現.jpg 主人公が"西洋"娼館に行く前に神戸オリエンタル・ホテルで食事したり(そう言えば、『細雪』の主人公一家も特別な時にはこのホテルを使っている設定になっていた)、従弟がマドロスだったり、飼い犬がグレイハウンドだったりと、ハイカラな雰囲気に満ちた小説ですが、その背景が視覚的に堪能できるのがいい。

 主人公が自宅の洋風バスにゆったり浸かっている絵などを見ると、『鍵』('56年)や『瘋癲老人日記』('61年)とあまり時代背景が変らない錯覚に陥りますが、この小説の連載は'28(昭和3)年から翌年にかけてで、それら作品より30年ぐらい前に発表されたものであることに驚かされ、作者のモダンな感覚に改めて触れた思いがします。

 【1932年文庫化[春陽堂文庫]/1939年再文庫化・1951年改版[新潮文庫]/1946年再文庫化[鎌倉文庫]/1948年再文庫化・1970年・1985年改版[岩波文庫]/1952年再文庫化[角川文庫]】

《読書MEMO》
●「蓼喰う虫」...1928(昭和3)年発表

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谷崎自身の願望の虚構化? 平易な文体だが、完成度、高いと言えるのでは。

痴れ人の愛 1925(大正14)年改造社.jpg痴人の愛.jpg 痴人の愛2.jpg   痴人の愛 谷崎潤一郎.jpg 痴人の愛 (中公文庫) _.jpg
痴人の愛 (新潮文庫)』〔新版/旧版〕『痴人の愛 (中公文庫)』(復刻版 1998)『痴人の愛 (中公文庫)』(2006)

痴人の愛』(改造社 1925年7月)

痴人の愛 田中良.jpg 1925(大正14)年刊行の谷崎潤一郎(1886‐1965)の長編耽美小説で(初出:「大阪朝日新聞」1924年3月20日~6月14日)、「一人の少女を友達にして、朝夕彼女の発育のさまを眺めながら(中略)、云わば遊びのような気分で、一軒の家に住む」という主人公の意図は、今で言う「育成ゲーム」を地でいく感じ。しかし、当時15歳のこの少女ナオミが実はとんでもないタマで、彼女を「立派な婦人に仕立ててやろう」という気でいた主人公は、成熟とともに増す彼女の妖婦ぶりに引き摺られ、ずるずると破滅への道を辿る―。

「大阪朝日新聞」連載時挿画(田中 良)

痴人の愛 田中良3.jpg 前半部分は前年に大阪朝日新聞連載されていますが(中公文庫版は新聞連載時の田中良による挿画を一部掲載)、検閲当局からに再三の注意が新聞社にあって、新聞社がこれに従ったため6月14日付の第87回をもって掲載中止となり、続きは4ヵ月後に雑誌「女性」で連載されました。今ならさしずめ渡辺淳一を日経で読むみたいなものでしょうが、当時としてはやはり風紀紊乱の恐れあり、ということにされてしまったのでしょう。また、後の文芸評論家たちは、通俗小説風でありながらも、このナオミに対する主人公の崇拝ぶりには、当時の日本人の西洋文化に対する崇拝が重なられているとも言っています(この作品もまた文明批評なのか?)。

痴人の愛 田中良2.jpg 最初に読んだときは、主人公の隷属ぶりがある種「悲喜劇」的であるように思えましたが、読み手に「こんな女性にかまけたら大変なことになる」という防衛機制的な思いを働かせるような要素があるかもしれません。だから、西洋文明云々言う前に、この小説の主人公を反面教師にし、実人生での教訓的なものを抽出する読者がいても不思議ではないのではないかと。でも、主人公がナオミに馬になってと言われて四つん這いになる場面で改めて思ったのですが、隷属することは同時に主人公の願望でもあったのでしょう。そうした願望は谷崎自身の内にもあって、それを第三者の告白体にすることで巧みに虚構化しているような感じもしました。平易な文体、単純な構成ですが、この作品の場合、かえってそのことで完成度は高いものとなっているように思います。

痴人の愛  .jpg 『現代漫画大観2 文芸名作漫画』(昭和3年発行)より「痴人の愛」

 因みに、この作品は、木村恵吾監督により2度映画化され、最初の「痴人の愛」('49年/大映)では京マチ子がナオミを演じ、2度目の「痴人の愛」('60年/大映)では叶順子がナオミを演じています。更に、増村保造監督によって映画化さ痴人の愛 京マチ子.jpg痴人の愛 叶順子.jpgれた「痴人の愛」('67年/大映)では安田道代(後の大楠道代)がナオミを演じました。この他にも、高林陽一監督の「谷崎潤一郎・原作「痴人の愛」より ナオミ」('80年/東映)のように現代版のピンク映画に翻案されたものが幾つかあります。
「痴人の愛」('49年)京マチ子、宇野重吉/「痴人の愛」('60年)叶順子、船越英二

木村恵吾監督「痴人の愛」('49年/大映)京マチ子(ナオミ)・宇野重吉(河合譲治)
木村恵吾監督「痴人の愛」('60年/大映)叶順子(ナオミ)・船越英二(河合譲治)
増村保造監督「痴人の愛」('67年/大映)安田道代(ナオミ)・小沢昭一(河合譲治)
痴人の愛...京マチ子e.jpg 痴人の愛 叶順子(ナオミ)・船越英二.jpg 痴人の愛 増村保造。安田道代.jpg
「痴人の愛」 (1949/10 大映) ★★★☆

【1947年文庫化・1985年・2003年改版[新潮文庫]/1952年再文庫化[角川文庫]/1985年再文庫化・2006年改版[中公文庫]/2016年再文庫化[宝島社文庫]/2016年再文庫化[角川文庫(アニメ「文豪ストレイドッグス」カバー版)]/2016年再文庫化[海王社文庫]】

《読書MEMO》
●「痴人の愛」...1924(大正13)年発表、1925(大正14)年完結

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「青春小説」であり、純粋さゆえに滅び行く男の痛切な叫びでもある。
人間失格2.gif人間失格.jpg 人間失格3.jpg  太宰治全集〈9〉 (ちくま文庫)斜陽・人間失格.jpg  起雲閣.jpg 熱海・起雲閣  
人間失格 (1948年)』 (筑摩書房刊)『人間失格 (新潮文庫)』 〔旧版/新装版〕 『太宰治全集〈9〉 (ちくま文庫)
新潮文庫2018年・2019年プレミアムカバー
新潮文庫 プレミアムカバー 2018dazai.jpg新潮文庫2019年プレミアムカバー太宰.jpg 1948(昭和23)年の3月から5月にかけて書かれた太宰治(1909‐1948)39歳、最晩年の作品。20代後半の廃人同様の画家が、自分の子ども時代から20歳前後までを振り返る「手記」形式になっていますが、その生い立ちや自殺未遂、女性問題や心中事件、思想事件などに触れた内容は、太宰の体験に即したものであることが容易に推察され、かなり暗く屈折した作者自身の自画像ともとれます。但し、かなり強くデフォルメされている部分もあるようで、例えば、弟子として太宰の身近にいた小山清氏によると、太宰自身はこの作品の主人公の画家のように"男めかけ"のような生活を自分自身がすることは許せないという、そうした点では潔癖なタイプだったらしいです。

熱海・起雲閣.bmp この作品の「第二の手記」までが書かれた熱海の「起雲閣」を訪れてみましたが、大正ロマンの香り高い洋風建築で、広大な庭が気持ちよく、こんな環境抜群の処で「自分は生まれた時からの日陰者」とか書いていたのだなあと。〈生きる気力を失った人間の苦悩と虚無―悲劇的人間像〉をしっかりと「造型」するための環境づくりをした上で、執筆にとりかかったような気がします(当時の彼の体調は最悪だったようで、まず体調と気力の立直しを図ったのかも)。

 鋭い感受性ゆえに人の哀しさや偽善、世間の虚構が見えてしまい、そうした人間観察の結果に感応する自意識をさらに対象化している―その際に自らがもつ恥ずべきイヤらしさまでも晒した(ただし「造型」的要素は大いに入る)、その見せ方においてのみ自負心を発揮しているようにも思え、この人はそれだけ自己愛的だったと言えるのかも。

 文芸評論家の多くは、戦前の太宰作品に比べ晩年のものは完成度で落ちると言っていますが、確かにこれが小説と言えるのか?とも思えるこの作品は、作者の死を経て時代を超えた「青春小説」となり、新潮文庫では最多刷数を数えるに至っているわけです。学生時代にあらゆる堕落を経験する男の話でもあり、人が「世間」(=人)と触れたときに感じる疎外感を如実に示してみせた事例でもあり、純粋さゆえに滅び行く男の痛切な叫びでもある―という感じでしょうか。

人間失格 集英社文庫.jpg人間失格 新カバー.jpg【1952年文庫化・1985年・2006年改版[新潮文庫]/1971年再文庫化[講談社文庫]/1973年再文庫化[旺文社文庫]/1987年再文庫化・1989年改編・2007年改版[角川文庫(『人間失格・桜桃』)]/1988年再文庫化[岩波文庫(『人間失格、グッド・バイ 他一篇 』)]/1989年再文庫化[ちくま文庫(『太宰治全集〈9〉』)]/1990年再文庫化[集英社文庫]/2000年再文庫化[小学館文庫(『人間失格 桜桃 グッド・バイ』)]/2000年再文庫化[文春文庫(『斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇』)]/2009年再文庫化[ぶんか社文庫]】
集英社文庫 (旧カバー/新カバー(イラスト:小畑 健))

2083block_pic.jpg熱海・起雲閣
熱海・起雲閣E5.jpg
《読書MEMO》
●「人間失格」...1948(昭和23)年発表

●新潮文庫2018年プレミアムカバー
新潮文庫 プレミアムカバー 2018.png
  

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単なる自虐小説ではなく、一縷の光明が見られる作品だと思う。

『斜陽』.JPG『斜陽』 新潮文庫.jpg 太宰治全集〈9〉 (ちくま文庫)斜陽・人間失格.jpg 安田屋旅館2.jpg
斜陽』新潮文庫 『太宰治全集〈9〉 (ちくま文庫)』伊豆三津・安田屋旅館

 1947(昭和22)年発表の太宰治(1909‐1948)の晩年の代表作で、主人公のかず子、お母さま、弟の直治、流行作家の上原の4人が主な登場人物ですが、太宰自身の生育歴や思想歴から見て、それぞれが作者・太宰治の一面を反映しているかと思います。
第12回 「斜陽」.jpg とは言え、穿った解釈を挟まずにごく普通に読めば、自身を戯画化した作品ばかり書くようになってしまった「上原」という作家が太宰を直接的に想起させる存在であり(「自身を戯画化した作品ばかり書く作家」を描きことで"自身を戯画化している"という意図的な二重構造ととれる)、かず子の手紙の中での呼ばれ方〈M・C〉が、「マイ・チェホフ」、「マイ・チャイルド」「マイ・コメディアン」と変遷していくところなどは、巧みさと屈折した自虐的ユーモアも感じます。

「文學ト云フ事」(1994年/フジテレビ)出演:緒川たまき/小木茂光/大川栄子/他

太宰 治 『斜陽』.jpg 太宰作品は暗いというイメージがありますが、実際には(こうして屈折してはいるものの)ユーモアを滲ませたものが多くあり、また芥川のようなペダンティックな匂いが無く、同時代の作家と比べても読みやすい、その上に人間疎外という普遍的なテーマを扱っているため、かなりこの先も読まれ続けるような気がします。

 特に「斜陽」は、実在の女性の日記を参照しているとは言え、独自の流麗な文体で"たおやめぶり"を描き、また、主要登場人物のうち3人が、肉体的・精神的・世俗的に滅びていくのに対し("退廃の美学"を描いている点では晩年の他の作品に通じる)、主人公のかず子は世間知らずのお嬢さんでありながら、チェホフの小説の中の強いタイプのヒロインと重なるような前向きな姿勢で、人間的にも成長している点で、単なる自虐小説ではなく、一縷の光明が見られる作品となっていると思います。

『斜陽』(1947年12月/新潮社)

伊豆三津の「安田屋旅館」.bmp伊豆三津・安田屋旅館1.jpg この小説の前半部分は、伊豆三津の「安田屋旅館」で書かれましたが、その旅館に泊まった際に、今も客室として使われている太宰が使った2階の部屋を、掃除の時間の後で見せてもらいました。伊豆三津・安田屋旅館2.png海に面し、壁2面が全面ガラス戸で採光に恵まれた、それでいてゆったりと落ち着く部屋で、「斜陽」の前半部に漂う"気品"や主人公のオプティミスティックな "姿勢"も、こうした執筆環境と関係あるのかなとも思いました。

斜陽.jpg 【1950年文庫化・1990年・2003年改版[新潮文庫]/1950年再文庫化・1979年・1988年改版[角川文庫]/1971年再文庫化[講談社文庫]/1977年再文庫化[旺文社文庫]/1988年再文庫化[岩波文庫(『斜陽 他一篇 』)]/1989年再文庫化[ちくま文庫(『太宰治全集〈9〉』)]/1999年再文庫化[集英社文庫]/2000年再文庫化[文春文庫(『斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇』)]/2009年再文庫化[ぶんか社文庫]】
    
《読書MEMO》
●「斜陽」...1947(昭和22)年発表

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意外とユーモラスに自己対象化、虚構化している「ヴィヨンの妻」「親友交歓」。

ヴィヨンの妻 新潮文庫.jpg viyon.jpg 『ヴィヨンの妻』 新潮文庫

ヴィヨンの妻 初版.jpg 1946(昭和21)年に青森の疎開先から東京・三鷹に戻った太宰治(1909‐1948)が、その自死までの間に発表した短篇作品の中から、「親友交歓」「トカトントン」「父」「母」「ヴィヨンの妻」「おさん」「家屋の幸福」「桜桃」の8編を所収。
『ヴィヨンの妻』初版本(筑摩書房)昭和22年8月5日

 表題作「ヴィヨンの妻」(放浪の詩人バイロンに引っ掛けたタイトル)の、家庭に寄り付かず、女連れで飲み歩いてばかりいる〈詩人〉の描き方は、この作品の直後に書かれた「斜陽」の作中の〈作家〉の描き方と、作者(太宰)と作中人物との関係において似ている感じがしました。

 詩人の妻がこの女性が作品の語り手になっていて、「斜陽」も女性が語り手の作品ですが、「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」というこの妻の"逞しさ"―、女性に希望を託し、男に絶望を反映させている面でも「斜陽」に通じるところがあるなあと思いました。
 また、この妻の言葉は、太宰が常に女性の自分に対する精神的な赦しのようなものにすがっていたことの表れともとれます。

 「親友交歓」は、主人公の〈作家〉が、疎開先で、まったく付き合いがあった覚えの無い地元の"親友"の来訪を受け、さんざんたかられて最後に捨てゼリフまで吐かれる話ですが、「軽薄なる社交家」を演じる〈作家〉の描き方にもまた、太宰独特の自己対象化を見てとれ、「私ってこんな目に遭っているんですよ」みたいなことを読者に哀訴しているような感じもします。

 太宰を読む前までは、彼の作品は暗いというイメージがありましたが、この短篇集を読んで、「なんだ、面白いじゃないか」と思った記憶があります。
 文庫裏表紙の紹介では、「いずれも死の予感に彩られた作品」とあり、改めて読むと確かに厭世感や虚無感は感じられるものの、ユーモラスに自己対象化、虚構化していて、特にこの2作はユーモアが効いていると思いました(「親友交歓」は哲学者の木田元が編集した『太宰治 滑稽小説集』('03年/みすず書房)にも収められている)。

 「読者への語りかけ感」もこの作家独特ですが、ほとんど随筆みたいな小品「家屋の幸福」の最後の「家庭の幸福は諸悪の本(もと)」という言い方にも、何かまだ余裕を感じる―この作品は太宰の死後発表されており、「桜桃」と並んで絶筆短篇のはずだが...。

 【1950年文庫化・1985年改版[新潮文庫]/1957年再文庫化・1987年改版[岩波文庫(『ヴィヨンの妻・桜桃・他八篇』)]/1989年再文庫化[ちくま文庫(『太宰治全集〈8〉』)]/2009再文庫化版[文春文庫(『ヴィヨンの妻・人間失格ほか』)]/2009年再文庫化[ぶんか社文庫]】

《読書MEMO》
●「親友交歓」...1946(昭和21)年発表
●「ヴィヨンの妻」...1947(昭和22)年発表
●「家庭の幸福」...1948(昭和23)年発表

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27歳で最初に世に出した作品集につけたタイトルが「晩年」。

太宰 治 『晩年』 新潮文庫.jpg bann.jpg 『晩年』 新潮文庫  Dazai_Osamu.jpg 太宰 治 (1909‐1948/享年38)

『晩年』(昭和11年 砂子屋書房).jpg1936(昭和11)年刊行の太宰治(1909‐1948)の最初の創作集で、15編の中・短篇から成るものですが、27歳で世に出した作品集に「晩年」などというタイトルをつけたのは、遺稿集のつもりで書いたからとのこと(実際、その後服毒自殺を図っている)。

『晩年』 (1936/06 砂子屋書房)

 所収の作品の中で中篇に近いものが「思い出」「道化の華」「彼は昔の彼ならず」で、自らの心中事件に材を得、自分だけ助かって入院した江ノ島の療養所を舞台に描いた「道化の華」は、作者が途中何度も小説の進行に口出しや弁解を挟むという前衛的なもので(芥川賞の候補作になっている)、悲痛な絶望感や罪悪感が反映されているにもかかわらず滑稽なムードも漂い、すでに太宰文学ここにあり、という感じ。

 賃料を払わない下宿人に悩まされ翻弄される大家を描いた「彼は昔の彼ならず」は、後の「親友交歓」にも通じる面白さがあり、語り口のうまさがその最後の自虐的フレーズと併せて強く印象に残る作品。

 「思い出」は自分の幼年期から少年期を振り返った自伝的小説で、家族との確執や優等生としての厭らしい自意識、子ども特有の狡さのようなものが吐露的に書かれている一方で、津軽の田舎での伸びやかな生活ぶりや未熟な恋が叙情性をもって描かれていて、郷愁が浸透してくるような読後感は悪くなく、この作品集の中で個人的には最も好きな作品です。

 断想集のような「葉」や第1回芥川賞候補作「逆行」なども評価が高いようですが、個人的には「魚服記」「猿ヶ島」「ロマネスク」などの民話や寓話に近い話がたいへん興味深く読めました。
 山間に父と住む少女が滝壺に飛び込んで小鮒になる「魚服記」って、近親相姦がモチーフなのだろうか。
 「猿ヶ島」「ロマネスク」には作家としての自己が投影されているのが窺え、芥川の年少文学などとはまた違った趣を感じます。
 同じ太宰ファンでも、この作品集1冊の中での好きな作品の順番が違ってくるのだろうなあ。

 【1947年文庫化・1985年改版[新潮文庫]/1988年再文庫化[ちくま文庫(『太宰治全集〈1〉』)]/1994年再文庫化[角川文庫]】

《読書MEMO》
●「想い出」「魚服記」...1933(昭和8)年発表
●「葉」「彼は昔の彼ならず」「ロマネスク」...1934(昭和9)年発表
●「猿ヶ島」「道化の華」「逆行」...1935(昭和10)年発表

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社会派の本領が最も発揮された作品。企業小説としても読める。

レディ・ジョーカー1.jpg レディ・ジョーカー2.jpg 映画 レディージョーカー2.jpg レディ・ジョーカー bunnko.jpg
レディ・ジョーカー〈上〉〈下〉』(1997/12 毎日新聞社)/映画「レディ・ジョーカー」['04年/東映]主演:渡哲也/レディ・ジョーカー〈上・中・下〉全3冊完結セット (新潮文庫)』['10年]

 1998(平成10)年度・第52回「毎日出版文化賞」受賞作。1999(平成11)年「このミステリーがすごい!」(国内編)第1位(1998(平成10) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第2位)。 

 グリコ森永事件に想を得ているということははっきりしていますが、それでも一気に読ませます(と言いいつつ、読み通すのに20数時間かかったのだが)。 

 現実の未解決事件をモチーフにしたリアリティがあるだけに、フィクションとしての結末をどこへ導いてこの物語を終わらせようとしているのか読んでいて心配になりましたが、後味の悪くない結末にも充分満足させられました。

 同じく大作で、スパイ小説とも言える『リヴィエラを撃て』('92年/新潮社)が好きな人もいますが、自分としては本作の方が良かったし、刑事物である『マークスの山』('93年/早川書房)、『照柿』('94年/講談社)の流れで新作が出たのは良かったと思いました。

 ミステリーとしての『マークスの山』、ヒューマン・ドラマとしての『照柿』に対して、この作品は企業小説としても読めて、社会派としての著者の本領が最も発揮されていると思います。 
 ミステリーとしては、半田と合田の接点のセッティングがやや偶然すぎる感じがもしますが、犯人グループの動機ややり口には今回はさほど違和感はありませんでした(『マークスの山』は動機の割には手段が凝っているし、『照柿』は、動機無き殺人という観もある)。

レディ・ジョーカー 映画.jpgレディ・ジョーカー.jpg 警察内部の描写に加えて、新聞社内の記者の動きがリアルに描けていて(毎日新聞社とのジョイント効果?「毎日出版文化賞」を受賞している)、そして何よりも、混乱する恐喝されたメーカー企業側の社内で、会社のことよりも自分時自身の利害を真っ先に考える企業幹部らがよく描けています。

 そうした意味では、組織心理学、組織行動学的観点から読んでも、そのリアリティに感服させられますが、一方で、事件とは何か、犯人とは何か、何をもって事件が解決したとするのかを考えさせられる小説でもあります。

映画「レディ・ジョーカー」('04年/東宝)チラシ・ポスター
出演:渡哲也/徳重聡/吉川晃司/國村隼/大杉漣/吹越満/平山秀幸

 【2010年文庫化[新潮文庫(上・中・下)]】

《読書MEMO》
レディ・ジョーカー tv2.jpgレディ・ジョーカー tv.jpg2013年TVドラマ化(WOWOW「連続ドラマW」全7話)
出演:上川隆也/柴田恭兵/豊原功補/山本耕史/矢田亜希子/本仮屋ユイカ

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ミステリとしても人間ドラマとしても充分に堪能できた。

『マークスの山』.jpgマークスの山 (ハヤカワ・ミステリワールド)』 マークスの山 上.jpg マークスの山下.jpgマークスの山(上) 講談社文庫』 『マークスの山(下) 講談社文庫

 1993(平成5)年上半期・第109回「直木賞」受賞作で、1993 (平成5) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。1994 (平成6) 年「このミステリーがすごい!」(国内編)第1位。「日本冒険小説協会大賞」も併せて受賞。

 東京で起きた連続殺人事件。被害者は謎の凶器で惨殺されている。事件の背後に潜む複雑な人間関係を、警視庁捜査第一課の合田刑事らが解き明かしていくうちに、その背景に16年前に南アルプスで起きたある出来事が浮かび上がる―。

 警察の内部組織の捜査上の確執などの描写に圧倒的なリアリティがあり、"警察小説"とも言えるかも知れません。 
 事件の背後関係は複雑を極めていますが、事件の捜査陣が事実を細かく積み上げいくうちに、通常の感覚では理解しがたいモンスターのような犯人像が浮かんでくる―その導き方が巧みで、読み進むにつれてググッと惹き込まれます。 

 "人間の業"のようなものもよく描かれていると感じました。 
 ただしその描かれ方がかなり屈折したものであるため、実際こうした形で怨念のようなものが人から人へ伝播していくものだろうか、という動機に対する疑念も感じました。 
 結局事件を複雑にしているのは、この"凝った"動機の部分ではないかと...。 

 その他にも、ミステリファンにはプロットの瑕疵と映る部分が幾つかあるかもしれません。 
 ただし(本格的ミステリーに固執しない)自分のレベルでは、ミステリとしても人間ドラマとしても、それなりに充分に堪能できました。

 '03年に文庫化されました。かなり手を加えているとのことで(この作者が文庫化の際にオリジナルに手を加えるのは毎度のことで、そのため文庫が出るのが遅くなる)、文庫の方は読んでいませんが、ドロッとした部分がややマイルドになっているとか(これではよくわからないか)。 

映画「マークスの山」.jpg 書店で見たら、文庫の初版本には、登場人物の名前にふりがながなかったような気がしましたが、「林原」は「はやしばら」ではなく、ちゃんと「りんばら」と読ませないと、「MARKS」にならないのではないだろうか。

映画「マークスの山」.jpg

映画「マークスの山」 (1995年・監督:崔洋一/出演:萩原聖人・名取裕子・中井貴一)

 【2003年文庫化[講談社文庫(上・下)]】

 


 
《読書MEMO》
2013年TVドラマ化(WOWOW「連続ドラマW」全5話)
出演:上川隆也/石黒賢/高良健吾/戸田菜穂/小西真奈美
マークスの山 TV1.jpgマークスの山 TV2.jpgマークスの山 TV3.jpgマークスの山 TV4.jpg

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圧倒的な重層構造で迫ってくるものの、結末には消化不良感が残る。

リヴィエラを撃て.jpg リヴィエラを撃て 上巻.jpg リヴィエラを撃て下巻.jpg  「クライング・ゲーム」.jpg
リヴィエラを撃て』(1992/10 新潮社)/新潮文庫(上・下)/「クライング・ゲーム」スティーヴン・レイ

 1993(平成5)年度・第46回「日本推理作家協会賞」受賞作で、「日本冒険小説協会大賞」も併せて受賞。

 首都高速トンネル内で1人の外国人男性の遺体が発見され、その男はジャック・モーガンという元IRAのテロリストだったとわかりますが、彼が〈リヴィエラ〉なる人物に殺されると予め警察通報してきた東洋人女性も、自宅アパートで射殺されており、そのアパートからは世界的ピアニストのノーマン・シンクレアのレコードが多数発見される―。

 警視庁外事1課の刑事・手島は、ジャックが〈リヴィエラ〉を追っていたと推察し(「公安部」の刑事が小説に登場するというのが自分にとっては新鮮だった)、やがて事件の背後にはCIA、MI5までが絡む国際機密問題があるらしいことがわかりますが、肝心の〈リヴィエラ〉とは一体何なのかが掴めないまま、真相は混迷の度を深めていきます。

 硬質の文体で語られるストーリーはかなり複雑で、日本を舞台にしたスパイ小説ということもありイメージが掴みにくい部分もありました(公安というのもデモ行進の際にデモ参加者をチェックしているところぐらいしか見たことないし...)。
 ただし舞台が14年前のアイルランドへと跳ぶと、何だかイメージしやすくなったのは、スパイ物語=洋モノというイメージが自分の中にあるためでしょうか(実は日本ほどスパイが自由に出入りしている"スパイ天国"の国はないと言われてるけど)。

『クライング・ゲーム』(1992)2.jpgTHE CRYING GAME.jpg ニール・ジョーダン監督の「クライング・ゲーム」('92年/英)という元IRA兵士の男を描いた映画を思い出し、スティーヴン・レイ(渋かった!)のイメージが作中の登場人物に重なりました。スティーヴン・レイ演じるIRAのテロリストが、人質のイギリス軍兵士の死に責任を感じながらも、彼の恋人に惹かれていくという話で、ニール・ジョーダンはこの作品でアカデミー賞オリジナル脚本賞を獲っています。
スティーヴン・レイ in「クライング・ゲーム」(1992年・全米映画批評家協会賞 主演男優賞受賞)

「クライング・ゲーム」●原題:THE CRYING GAME●制作年:1992年●制作国:イギリス●監督・脚本:ニール・ジョーダン●音楽:アン・ダッドリー●時間:112分●出演:スティーヴン・レイクライング・ゲーム.jpgミランダ・リチャードソン(ジュード).jpeg/ジェイ・デイヴィッドソン/ミランダ・リチャードソン/フォレスト・ウィテカー/エイドリアン・ダンバー/ジム・ブロードベント●日本公開:1993/06●配給:日本ヘラルド映画 (評価★★★★) 
ミランダ・リチャードソン in「クライング・ゲーム」(1992年・ニューヨーク映画批評家協会賞 助演女優賞受賞)

クライング・ゲーム DTSスペシャル・エディション [DVD]

 高村薫小説らしく、暗い情念を持った男たちが登場し、それでいて最後はヒューマンなドラマに仕上げていますが、ミステリという観点からは、圧倒的な重層構造で迫ってくるものの、結末がやや消化不良気味で欲求不満が残りました。

 【1997年文庫化[新潮文庫(上・下)]】

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利他主義と反骨の精神で権力と戦った税理士の「不撓不屈」を描く。

不撓不屈.jpg 不撓不屈 上巻.jpg 不撓不屈下巻.jpg 1「不撓不屈」dvd.jpg
不撓不屈』['02年/新潮社]/新潮文庫 (上・下)〔'06年〕 映画「不撓不屈 [DVD]

kaichou.jpg 税理士の飯塚は、関与先企業の利益還元「別段賞与」の支出処理を巡る税務当局の誤った法解釈に対し、当局相手に訴訟を起こすが、メンツを潰された当局は、税務調査などあらゆる手を使って飯塚への嫌がらせを始める―。

 '01年から雑誌「プレジデント」で30回にわたって連載されていた、TKC創設者・飯塚毅(1918‐2004)を題材とした小説で、昭和38年に勃発し終結までに7年を要した「飯塚事件」に焦点を当て、職業会計人としてのその理想と足跡が描かれています('06年に映画化された)。

 焦点となっている「別段賞与」とは、利益の一部を臨時賞与として一旦社員に支給し(損金計上)、それ(源泉控除後の金額)を会社が借り入れるもので、現在の法人税法では認められていませんが、「賞与引当金」についての法整備がなされていなかった当時においては、"節税"でこそあれ"脱税"には当たらなかったという、今と当時の法環境の違いを、本書を読む前提として押さえ渡辺美智雄.jpgておいた方がいいかも知れません。

 税務当局のマスコミを使ったりしての卑劣な攻撃は眼に余るものですが、飯塚氏も与野党の政治家に必死で支援を求め、そのため多くの政治家の名前が出てきます。
 その中で一番活躍するのが、税理士出身の当時1年生議員だった自民党の渡辺美智雄(1923‐1995)で、精緻な論証で当局を追い詰めていきます(特定の士業の利益代表という立場もあっただろうが、ホント、この手の問題に強かった)。

 小説の後半がほぼ税制小委員会の議事録で構成されていて、これを "引用"ばかりでつまらないと見るか、"事実"として興味を持って読むかでこの作品に対する評価は違ってくるかと思いますが、個人的には、作為の入りようがない分、ドキュメント小説として緊迫感があり良かったと思います。

 それにしても、貧しい布団職人の家の生まれながら、高校卒業も大学受験も公認会計士試験もすべて首席、英語もドイツ語も独学で完璧にマスターしたという飯塚氏の秀才ぶりはスゴイ(こうした秀才も今の時代だと、官僚や弁護士、監査法人所属の会計士になってしまうのではないか。そうした意味でも不出世の人物かも)。

映画「不撓不屈」.jpg映画「不撓不屈」ド.jpg 宗教(禅)的鍛錬を背景とした利他主義と反骨の精神で、家族の支えのもと遂に権力に勝利する様は、「不撓不屈」と形容するに相応しいと思いました。

 
 
 

0映画「不撓不屈」.jpg映画「不撓不屈」 (2006年/ルートピクチャーズ)
監督:森川時久
出演:滝田栄/松坂慶子/三田村邦彦/田山涼成/中村梅雀/夏八木勲/北村和夫 ほか

 【2006年文庫化[新潮文庫(上・下)]】

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今後ますます注目のワタミ・渡邉美樹社長の創業時代を描く。

青年社長1.jpg 青年社長2.jpg  『青年社長』.jpg 角川文庫(上・下)
青年社長―若き起業家の熱き夢と挑戦〈上〉』『青年社長―若き起業家の熱き夢と挑戦〈下〉』(ダイヤモンド社)

watami.gif '06年に映画化された『燃ゆるとき』は、若々しくて爽快、リーダーシップ溢れる陽性の経営者を主人公にした、著者の'90年代前半の実名型企業小説の代表作で、同タイプの'90年代後半の代表作と言えば、この『青年社長』ではないでしょうか。
 「ワタミ」の渡邉美樹社長の創業時代を中心に描いていますが、「和民」という居酒屋の身近さや、ベンチャーということで、若い人によく読まれているようです。

 本書を読むと、成功するまでに様々な人の助けを得ているのがわかりますが、特に「つぼ八」の石井誠二社長(現在「八百八町」社長)に可愛がられたというのがよくわかり、渡邉氏にとってメンター的存在だったのだなあと。

 「つぼ八」のフランチャイジーとしての直営店舗でスタートし、お好み焼の「唐変木」やお好み焼宅配の「KEI太」が最初は好調だが徐々にうまくいかなくなる、この辺りが詳しく書かれていて、事業撤退というものの判断の難しさが窺えます。
 新タイプの居酒屋「和民」のイメージが掴めず悩んでいるときに、石井社長が「八百八町」を参考にせよとノウハウを伝授、石井氏も太っ腹だなあと。

 佐川急便のSD(セールス・ドライバー)をして事業立上げ資金を稼いだと言う様に、何となく"体育会系"で、旧知の友人を大切にする人情家という印象。
 このあたり、最近のITベンチャーの社長などとは異なるイメージです(どちらかというと、自衛隊出身の折口雅博グッドウィルグループ会長などとイメージがダブります、中身は違うのだろうけれど)。

 NHKの「日本の、これから」という討論番組('05年)で、「人口減少社会」というテーマの際に渡邉社長が出演していました(その前「成果主義」がテーマのときにはライブドアの堀江貴文社長が出ていましたが...)。
 人材、介護などのビジネスに既に参入しており(社名もワタミフードサービスからワタミに変えたし)、今後はビジネスだけでなく社会的発言も併せて注目される人です。

 【2002年文庫化[角川文庫(上・下)]】

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商品券の処理方法を巡ってのちまちました話? 悲喜劇的要素もあるがリアリティもあった。

○ 高杉 良 『人事権』.jpg高杉 良 『人事権』.JPG人事権.jpg
人事権』['92年]/『人事権! (講談社文庫)』 

 この小説の舞台となる中堅の損保会社で決定的な"人事権"を握っているのは、ワンマン会長の石井です。主人公の会長付の秘書・相沢は、絵画が趣味の石井会長に個展を開くよう勧めるが、それは石井の絵が才気溢れたものに思えたからで、石井もまんざらではない気分。○ 高杉 良 『人事権』 -.jpg開かれた個展を見に来たN證券の田端社長に乞われ、石井は、自筆絵画"ベニスの赤い家"を田端に譲るが、その謝礼として田端から石井宛に1千万円の商品券が送られてくる。石井がそれを受け取ろうとするのを見て、相沢はさすがに返すよう石井を諌めるが石井は返さず、相沢自身もつい石井からその一部を受け取ってしまう。しかし相沢は、その自分が受け取った商品券の処理方法を契機に石井の怒りを買うことになり、一方田端は、石井に主幹事の座を要求してくる―。

野村證券.jpg 社長の名前などからも、N證券のモデルは野村證券であることがすぐに思い浮かび、同社をモデルにした証券会社の主幹事争いの話は、『小説 新巨大証券』でも重要なプロットの1つになっていますが、『人事権』の話のスケール自体は著者の他の小説に比べてそれほど大きくはありません。むしろ、ちまちましているのですが、逆にそれだけに人の心理と行動がよく描けていると思います。 

 主人公の相沢も商品券の一部を会長から受け取ってしまったわけで、さらにそれを同僚に配り、同僚がさらに部下に配り、その結果思わぬ事態に...と、何か悲喜劇的要素もあるけれども、リアリティもスゴくありました。 

 主人公にも普通以上の正義感はあるものの、決して清廉潔白な聖人というわけではなく、また専制君主的会長に仕えているために、図らずも黒でも白でもないグレーな立場になってしまうというのは、何か簡単には笑い飛ばせないものがありました。でもこの小説にも、最後は著者らしい救いがあったように思います。

 【1995年文庫化[講談社文庫(『人事権!』)]/2011年再文庫化[徳間文庫(『人事権!』】

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会社更生の手続きがどう行われるかを知るテキストとして読める小説。

会社蘇生 高杉良.jpg  高杉 良 『会社蘇生』.jpg会社蘇生.jpg 『会社蘇生』新潮文庫.jpg高杉 良 『会社蘇生』新潮文庫.jpg
会社蘇生』['87年/講談社]『会社蘇生 (講談社文庫)』['88年] 会社蘇生 (新潮文庫)』['10年]
新装版 会社蘇生 (講談社文庫)』['19年/講談社文庫]
高杉良 『会社蘇生』.jpg 会社更生法の手続きが開始されれば、裁判所が選んだ管財人が会社に来て事業経営にあたり、管財人は通常は弁護士である―。知識として知っていても、弁護士が経営陣と入れ替わるなんて、一般にはちょっとイメージしにくいのではないでしょうか。

 本書は、商社の倒産から再建までを、管財人となった弁護士を主人公に描いた小説ですが、「宝石・カメラ・スポーツ用品を扱う商社」という点から「総額1100億円もの負債を抱え倒産」という点まで、'84年に倒産した大沢商会(後に西武流通グループの支援を受けて再建)と同じです(主人公のモデルは管財人の三宅省三弁護士)。

 会社更生法は'02年に改正され手続きは多少簡便化されましたが、管財人というのが何をやるのかを理解する上では今でも十分テキストとして使える小説かも知れません。

 会社が経営難にあるのを知りながらも入社を希望する学生がいたという話などはいい話だけれども、実録風である分、やや人物の描き方にはパターン化されたものを感じました。しかし、外資系企業との商品ブランドの商権維持をめぐる攻防の様子などは熾烈で、この場合の管財人の仕事は商社のトップマネジメントが日々やっている交渉ごとと同じで、弁護士がこういうことまでやるのだと改めて実感させられました。

 ただし、民事再生法がスターとして、中小企業だけでなく、大会社も「民事再生」を申し立てることが多いようです。会社更生法では旧経営陣は全員クビですが、民事再生法では退任しないことも可能です。こういう小説を読むと、旧経営陣には辞めてもらった方がスッキリするケースもあるのではないかと思ったりして...。

 さらに労働者サイドに立てば、会社更生法では未払い賃金が債権担保されるのに対し、民事再生法では労働債権の確保が難しく、また、本書にあるような労働組合などとの交渉手続きも、「民事再生」の場合には充分に行われないまま整理解雇に踏み切ったりするケースもあるなど、労働者保護の観点が希薄なところも気がかりな点です。

 因みに、この作品は'88年にテレビ朝日系列で「あざやかな逆転 大会社が甦る日」というタイトルで林隆三主演で単発ドラマ化されていますが、個人的には未見です。

【1988年文庫化・2019年新装版[講談社文庫]/2010年再文庫化[新潮文庫]】

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家庭崩壊を描いた小説っぽい小説。カッコいい主人公ではないが...。

管理職降格 bunnko.jpg管理職降格 単行本.jpg管理職降格.jpg 管理職降格 (集英社文庫).jpg 高杉良『管理職降格』.gif 『管理職降格 (新潮文庫)』〔'04年〕/『管理職降格 (集英社文庫)』['89年]/ 『管理職降格 (徳間文庫)』['94年]

『管理職降格』単行本['86年/講談社]
管理職降格 (文春文庫)』['19年/文春文庫]
 本書の主人公は大松屋銀座店という架空のデパート(どうしても松坂屋を想像してしまうが、銀座には松屋もあるし、ここはやはり「架空のデパート」ということなのだろう)の法人外商部の課長ですが、「銀座デパート戦争」の凄まじさを描くとともに、主人公の「家庭の崩壊」をも描いています。 

 それにしても、会社では大口顧客から取引停止を言い渡され、部下は不正を働き、家庭では中学生の娘は万引きで警察に捕まり、妻は不倫に走って「貞淑な妻だと思っていたんですか」と開き直りで、主人公の心中察するに余りあるといった感じ。

 多分、著者の作品の中で最もフィクションの要素が強い部類の作品で、特定できるモデルがいないからこそ、こういった家庭のことまで踏み込んで書けるのでしょう。ほとんど"三重苦"状態と言っていい主人公は、寝ながら小便を漏らすまでに心も体も参っていまいますが、最後は...。
 
 こうした小説っぽい小説を書いてもそれなりの力量は発揮されていますが、ただどうしても"高杉作品"と言えば企業名や実名がすぐに浮かぶモデル小説の方に目がいきがち。 

 でも、カッコいい主人公や巨魁のような登場人物が多い著者の作品の中では、本作は、かなり情けない状況にまで落ち込みながらも再起を図る主人公への、著者の暖かいまなざしが感じられ、"高杉作品"のまた別の一面を見せてくれた小説でした。

 因みに、この作品は'90年にテレビ朝日系列で山崎努主演で単発ドラマ化されていますが、個人的には未見です。

 【1989年文庫化[集英社文庫]/1994年再文庫化[徳間文庫]/2004年再文庫化[新潮文庫]/2019年再文庫化[文春文庫]】

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緻密な取材とテンポ良く読ませる文体。ある意味"戦死者"への鎮魂歌『生命燃ゆ』。

生命燃ゆ.jpg  生命燃ゆ (新潮文庫).jpg いのちの風.jpg 燃ゆるとき 新潮文庫.jpg 燃ゆるとき.jpg 燃ゆるとき 2006 dvd.jpg
生命(いのち)燃ゆ(集英社文庫)』['90年]『生命燃ゆ (新潮文庫)』['93年]『いのちの風-小説・日本生命 (集英社文庫)』['87年] 『燃ゆるとき (新潮文庫)』['93年]『燃ゆるとき (角川文庫)』['05年] 映画「燃ゆるとき [DVD]

 著者の企業小説のうち、理想に燃えて高い指導力を発揮し業務を遂行するタイプの主人公を描いた作品には、『生命燃ゆ』('83年)、『いのちの風』('85年)、『燃ゆるとき』('90年)と何となく似たタイトルのものがあるのですが、順に石油化学、生保、水産加工の各業界が舞台で、それぞれ『生命燃ゆ』が昭和電工の課長、『いのちの風』が日本生命の部長(弘世源太郎、後に常務)、『燃ゆるとき』が東洋水産の社長(森和夫)がモデルとなっています。 

 ただし、『いのちの風』の主人公である日本生命の部長は社長の息子でもあり、純粋に名も無き一ビジネスマンを描いたのは、世界初のコンピュータ制御の石油コンビナート建造に体を張って奮迅し、最後は糖尿病に白血病を併発して亡くなった垣下怜(さとし)という人をモデルにしたこの作品『生命燃ゆ』です。

 著者が石油業界の業界紙の出身ということもあり、緻密な取材の跡が窺えますが、それでいて会話部分が多く、テンポ良く読ませる佳作です。1人の技術者であり中間管理職である男性の、自らの仕事に賭ける情熱にうたれますが、単なるモーレツというのではなく、会社に対して言うべきは言い、自分の手柄を誇ることもなく、自発的な勉強会などで部下を育成するなど、優れた人間性を感じます。高度成長期の話と思われがちですが、オイルショック直後の、必ずしも業界にとって順風が吹いていたとは言えない時期の話です。それでも、ここまで仕事に打ち込めたビジネスマンというのは、仕事と生きがいが一致した幸せなケースではないかとも思えます。

 例えば今日的視点で見れば、視力が衰えるまでに糖尿病が進行しても、「自分がいなければ」という本人の熱意に押されて仕事から外せない会社側の対応に問題はなかったか、という見方もあるし、そもそも価値観や生き方が多様化するなかで、主人公をあまり美化するのはどうかという意見もあるでしょう。そのように考えると、日本産業の発展の下支えとして、かつてはこうした人の活躍と死もあったのだという、"戦死者"に対する鎮魂歌のような意味合いをこの作品に覚えます。

『燃ゆるとき』.jpg 因みに『燃ゆるとき』は、東洋水産の"社長"が主人公の物語ではありますが、これも"創業社長"の話であるため面白く読め、昭和28年、築地市場の片隈の6坪のバラックで水産会社を興した森和夫氏が、机4つ、電話2台、従業員5名というスタートから、大手商社の横暴に耐え、米国進出、特許係争といった多くの難問と格闘しつつ、40年の間に自らの会社を、資本金175億円、従業員2000名の一部上場企業に育て上げるまでが描かれています。

 "特許係争"というのは、日清のカップヌードルとのそれです。ビジネス小説としてはオーソドックスなパターンですが、こうした身近な話題も織り込まれている実名小説であるためシズル感があって、加えて、森氏の大らかな人柄と溢れんばかりのバイタリティは魅力的であり、こちらもお奨めです。映画化もされていますが、続編の会社がアメリカに進出した際の奮闘を描いた『ザ エクセレント カンパニー』を主に原作としていて(会社名は『ザ エクセレント カンパニー』で「東洋水産」→「東邦水産」に改変され、さらに映画では「東輝水産」となっている)、企業小説の映画化作品としてはまずまずですが、脇役陣が手堅い割には主人公の若手営業マンを演じた中井貴一がイマイチで浮いていた感じだったでしょうか。

映画「燃ゆるとき」(2006年)
映画「燃ゆるとき」(2006年)2.jpg燃ゆるとき 映画.jpg「燃ゆるとき THE EXCELLENT COMPANY」制作年:2006年●監督:細野辰興●脚本: 鈴木智●撮影:鈴木達夫●音楽:川崎真弘●原作:高杉良『燃ゆるとき』『ザ エクセレント カンパニー/新・燃ゆるとき』●時間:114分●出演:中井貴一/大塚寧々/長谷川初範/中村育二/津川雅彦/伊武雅刀/鹿賀丈史/木下ほうか/奈良橋陽子/矢島健一●公開:2006/02●配給:東映(評価:★★★)

 『生命燃ゆ』...【1986年文庫化[角川文庫]/1990年再文庫化[集英社文庫]/1993年再文庫化・1998年改訂[新潮文庫]/2010年再文庫化[徳間文庫]】
 『燃ゆるとき』...【1993年文庫化[新潮文庫]/1999年再文庫化[講談社文庫]/2005年再文庫化[角川文庫]】

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弱将・劉邦が名将・項羽をなぜ倒すことができたのかという点に読者を引き込む。

項羽と劉邦 (上).png 項羽と劉邦 中巻.jpg 項羽と劉邦 下.jpg  『項羽と劉邦 (上・中・下)bunko.jpg 
単行本(上・中・下)/『項羽と劉邦 (新潮文庫) 上・中・下3巻セット [文庫] by 司馬 遼太郎
『項羽と劉邦 (上・中・下).png 1977(昭和52)年から79(昭和54)年にかけて「小説新潮」に連載された作品で(連載時のタイトルは「漢の風、楚の雨」)、始皇帝亡き後の乱世中国の覇権を争った2人を、その性格や気性を対比させながら描き、農民出身の田舎武将で戦さは負け続けだった劉邦が、連戦連勝でいち早く名将の名を馳せた項羽をどうして最後倒すことが出来たのかというところへ読者の興味を引き込んで、長篇ですが一気に読ませます。

 要するに項羽というのは何もかも自分でやらないと気がすまないし出来る自信もあった。一方の劉邦は、無頼漢あがりの身の程を自分でもよくわきまえていて、作戦を立てるにしても部下の張良などの方が自分より優れていることを知っていたので、彼らの意見をよく聞いたということです。
 論功行賞に最も配慮した劉邦に対し、項羽は戦さに勝ってもすべて手柄は自分のものにしてしまうので、これでは自ずと人材は劉邦の下に集まる―。

 著者のペンネームの由来である「司馬遷」。その彼が残した「史記」に材をとり、しかも得意とする天下取り物語なので、著者の後期作品の中でもその小説の面白さが存分に発揮されたものだと思いますが、主役の2人に限らず張良など多くの人物像が生き生きと描かれている点もポイントかなと思いました。

 「垓下の戦い」が紀元前202年。「三国志」の時代より400年以上も前の話なのに、こうして1人1人の武将のとった行動や選んだ生き方が歴史として残っているというのはスゴいなあと(日本はまだ前期弥生時代ですから)。

 リーダーシップとは何かを描いた物語としてビジネス小説風にも読めてしまいますが、項羽の悲恋物語も京劇になっていたりするわけで(映画「さらば、わが愛/覇王別姫(はおうべっき)」で劇中劇として使われていた)、項羽という人物も虞姫(いわゆる虞美人)とともに中国人に愛されているのでしょう。

 【1984年文庫化・2005年改定[新潮文庫(上・中・下)]】

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"無能"将軍・乃木希典をなかなか解任できない軍部に見る官僚主義。

坂の上の雲1.jpg 坂の上の雲2.jpg 坂の上の雲3.jpg 坂の上の雲4.jpg 坂の上の雲5.jpg 坂の上の雲6.jpg 二百三高地 dvd.jpg
新装改訂版(全6巻)['04年](カバー画:風間 完) 『坂の上の雲 <新装版> 1』『坂の上の雲 <新装版> 2』『坂の上の雲〈3〉』『坂の上の雲〈4〉』『坂の上の雲 <新装版> 五』『坂の上の雲 <新装版> 六』「二百三高地 [DVD]

映画「二百三高地」(1980東映).jpg 1968(昭和43)年から1972(昭和47)年にかけて「産経新聞」に連された長編大河小説で、経営者に最も読まれている小説といえば、かつては『徳川家康』(山岡荘八)、今はこの『坂の上の雲』ということですが、この『坂の上の雲』は、'69年の単行本刊行以来、文庫も含め1400万部ぐらい売れているとのこと、'04年には単行本の新装版が出ました(読みやすいが、6巻とも文庫本新版の第1巻の表紙絵を流用しているのはなぜ?)。 
 
 松山出身の歌人正岡子規と軍人の秋山好古・真之兄弟の三人を軸に描いた作品というよりも、正岡子規が病死して早いうちに小 説の舞台から去ってしまうことでもわかるように、維新から日露戦争に至るまでの明治日本の人物群像を描いたものと見るべきで、登場人物は1000人を超えるそうで、"情報将校"明石元二郎などはかなり詳しく取り上げられていて、関係する本を読んでみたくなりました。

いずれも映画「二百三高地」(1980/東映)より
「二百三高地」1.jpg 物語のクライマックスは、二〇三高地で有名な旅順大戦と、ロシアのバルチック艦隊に勝利した日本海海戦ですが、間に様々な人物挿話が入り(ロシア側の人物もよく描けている)、バルチック艦隊がアフリカ東岸マダガスカルあたりでいつまでもグダグダしている(スエズ運河を支配していた大英帝国が日英同盟の名の下にロシアにスエズ運河の通過許可を出さなかったためにアフリカ大陸を迂回するハメになった)、その間にも、著者のウンチクは繰り広げられます。
 
「二百三高地」2.jpg これを面白いと見るか、冗長と見るか。著者の初期作品のような快活なテンポはないけれど、先述のスパイ活動をやった明石元二郎の秘話など随所に面白い話がありました。

 全体を振り返ると、やはり旅順攻防の凄惨さが印象的で、旅順陥落での開城の際に、日露の兵が抱き合い、共に酒場に繰り出した兵士もいたというのが、それを物語っています。陥落直前にはすでに両軍の兵に士気は無く、皆自分が生き残れるかを考えるようになっていたわけです。 
 
203.jpg この作品での乃木希典将軍の無能ぶりの描き方は徹底していて、乃木は、日本戦史上、最も多くの部下をむざむざと死地へ追いやった大将ということになるのではないでしょうか。 

 その描き方の賛否はともかく、彼をなかなか解任できないでいる軍中枢部(その間にも多くの将兵がどんどん犬死していく)に、いったんエリートとして位置づけた人物に対し、他の者を犠牲にしてもその人物のキャリアを守ろうとする官僚主義の非合理を見た思いがします。

「二百三高地」3.jpg それにしても、バルチック艦隊の大航海とその疲弊による敗北は、近代戦において最も時間と費用を要するのがロジスティックであることを端的に象徴していると思いました(湾岸戦争もイラク戦争も「輸送」に一番カネがかかっている)。
 
 兵器の能力などを戦争における"戦術"部分だとすれば、ロジスティックは"戦略"部分に当たり、"ランチェスターの2次法則"ではないが、近代戦において強国は"戦略"にふんだんにカネを注ぐ―ただし、その"戦略"そのものが戦局の読み違いのうえに立脚していたのでは相手に勝てないということを、この小説は教えてくれます。

「二百三高地」5.jpg 二〇三高地の攻防戦をメインに描いた舛田利雄監督の映画「二百三高地」('80年/東映)は3時間の大作、時折旅順大戦の戦況図なども画面に出てきて、大戦の模様を正確に描こうとしている姿勢は買えますが、これだけ乃木希典(仲代達矢)が自軍の兵士たちに強いた犠牲の大きさを描きながらも、彼を悲劇の英雄視するような姿勢が窺えて解せませんでした。さだまさしの音楽もとってつけたような感じで、(自分が司馬遼太郎のこの小説に感化された部分もあるかも知れないが)乃木希典の戦術的無能を情緒的な問題にすりかえてしまっている印象を受けました。

7二百三高地 丹波哲郎 dvdジャケット1.jpg「二百三高地」●制作年:1980年●監督:舛田利雄●脚本:笠原和夫●撮影:飯村雅彦●音楽:山本直純●主題曲:さだまさし●時間:181分●出演:仲代達矢/あおい輝彦/新沼謙治/湯原昌幸/佐藤允/永島敏行/長谷川明男/稲葉義男/新克利/矢吹二朗/船戸順/浜田寅彦/近藤宏/伊沢一郎/玉川伊佐男/名和宏/横森久/武藤章生/浜田晃/三南道郎/二百三高地 丹波哲郎.jpg北村晃一/木村四郎/中田博久/南廣/河原崎次郎/市川好朗/山田光一/磯村健治/相馬剛三/高月忠/亀山達也/清水照夫/桐原信介/原田力/久地明/秋山敏/金子吉延/森繁久彌/天知茂/神山繁/平田昭彦/若林豪/野口元夫/土山登士幸/川合伸旺/久遠利三/須藤健/吉原正皓/愛川欽也/夏目雅子/野際陽子/桑山正一/赤木春恵/原田清人/北林早苗/土方弘/小畠絹子/河合絃司/須賀良/石橋雅史/村井国夫/早川純一/尾形伸之介/青木義朗/三船敏郎/松尾嘉代/内藤武敏/丹波哲郎●公開:1980/08●配給:東二百三高地 三船敏郎.jpg二百三高地 丹波哲郎.jpg映●最初に観た場所:飯田橋・佳作座 (81-01-24)(評価:★★)●併映:「将軍 SHOGUN」(ジェリー・ロンドン)
三船敏郎(明治天皇)/丹波哲郎(児玉源太郎)
「二百三高地」森繁.jpg「二百三高地」永島.jpg
森繁久彌(伊藤博文)
永島敏行(乃木希典次男・乃木保典)

 【1969年単行本・1972年改訂・2004年再改訂[文芸春秋(全6巻)]/1978年文庫化・1999年改訂[文春文庫(全8巻)]】

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プロセスにおいて痛快な出世物語。しかし、その結末は...。

功名が辻 新装版 文庫 全4巻 完結セット.jpg功名が辻1.jpg 功名が辻 1.jpg 功名が辻 2.jpg 功名が辻 3.jpg 功名が辻 4.jpg  NHK大河ドラマ 功名が辻.jpg
文春文庫〔旧版〕(全4巻)(旧版表紙絵:村上 豊)/〔新装版〕『功名が辻〈1〉』『功名が辻〈2〉』『功名が辻〈3〉』『功名が辻〈4〉』/2006年NHK大河ドラマ「功名が辻」上川隆也・仲間由紀恵
功名が辻 新装版 文庫 全4巻 完結セット[マーケットプレイス文庫セット] (文春文庫)

 1963(昭和38)年10月から1965(昭和40)年1月にかけて各地方紙に連載された長編小説で、主人公は、戦前は小学校の国定教科書にまでもの載っていたという「山内一豊の妻」であり、司馬遼太郎(1923‐1996)の小説で女性が主人公というのは珍しいようです。

 しかしながら、読んでいて、司馬遼太郎はこの物語で、山内伊右衛門一豊の妻にばかりに評価が集まる世評に対し、信長・秀吉・家康に仕え一国の主となることができた伊右衛門の、一見凡庸だが粘り強く実直な人間性を描こうとしたのだと、最初は思いました。 

 夫を傷つけずに諭す聡明な妻と、彼女に諭される夫の掛け合いや対比を、ユーモアを交え暖かく描き、夫が功名を得てハッピーエンドへ向かう―。

 しかし物語終盤の土佐入城後から、伊右衛門に対する描き方が突き放したようになっていると感じます。そして終章における、土着の反乱者への虐殺命令を下す夫に対する妻の〈成功とはこれであったか〉という虚無感 ―。

 プロセスは痛快な出世物語と読めるこの小説の寂しい結末が、作品の価値を貶めることはないと思いますが(むしろ逆)、そうした議論とは別に、この小説がもとは新聞連載小説であったことを考えると、作者が当初から考えていた結末だろうかと憶測させるものがありました。それぐらい、伊右衛門の描き方が急に変わっていますから...。

功名が辻 ドラマ.jpg '06年にNHKで大河ドラマになっていますが、ドラマでは当然のことながら、原作の最後に見られる夫婦の齟齬などは描かれるはずもなく、2人は永遠のよき夫婦であったということになっています。
  
「功名が辻」●演出:尾崎充信/加藤拓/梛川善郎●制作:大加章雅●脚本:大石静●音楽:小六禮次郎●原作:司馬遼太郎●出演:仲間由紀恵/上川隆也/柄本明/浅野ゆう子/生瀬勝久/田村淳/乙葉/武田鉄矢/前田吟/多岐川裕美/津川雅彦/松本明子/成宮寛貴/筒井道隆/石倉三郎/高山善廣/大地真央/和久井映見/永作博美/勝野洋/苅谷俊介/名高達男/中村橋之助/榎木孝明/山本圭/江守徹/香川照之/長澤まさみ/中村梅雀/近藤正臣/西田敏行/柄本明●放映:2006/01~12(全49回)●放送局:NHK
舘ひろし(織田信長)/西田敏行(徳川家康)/香川照之(六平太)・仲間由紀恵(千代)/津川雅彦(不破市之丞)
功名が辻 信長.jpg 功名が辻 家康(西田敏行).jpg 功名が辻5koumyou.jpg 津川雅彦 功名が辻 不破市之丞.jpg
柄本明(豊臣秀吉)
「功名が辻」柄本.jpg

「功名が辻」出演者.jpg

【1965年単行本・1974年改訂[文芸春秋 (上・下)]/1976年文庫化・2005年改訂[文春文庫 (全4巻)]】
 
《読書MEMO》
●「伊右衛門殿はよき妻女を持たれている」そのうわさほど、山内家の奥行きの深さを印象させるものはない。(中略)千代は、馬などよりも、その「うわさ」を黄金十枚で買ったといっていい。馬は死ぬ。うわさは死なないのである。(著者)

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新選組の"内実"? 一編ごとに引き込まれる。

新選組血風録 (1967年) (ロマン・ブックス).jpg1新選組血風録.png 新選組血風録2.jpg 新選組血風録3.jpg 御法度.jpg
新選組血風録 (1967年) (ロマン・ブックス)』『新選組血風録 (1964年)』(挿画:風間 完)『新選組血風録』角川文庫 〔旧版〕(カバー画:風間 完)『新選組血風録 (角川文庫)』〔新版〕(カバー画:蓬田やすひろ)「御法度 [DVD]」松田龍平

「前髪の惣三郎」.jpg 1962(昭和37)年に『燃えよ剣』を発表した司馬遼太郎が、同年5月から12月にかけて「小説中央公論」に発表した新選組を題材とした15編の短編で、これらの中に新選組の厳しい内部粛清を扱ったものが結構あり、間者(スパイ)同士で斬り合いをさせる話などは、戦争スパイ映画のような緊迫感があります。 

 また、映画と言えば、「前髪の惣三郎」のように、映画化されたものもあります(大島渚監督「御法度」。松田龍平が加納惣三郎を演じて映画デビュー作にして「キネマ旬報 新人男優賞」を受賞)。

新選組血風録 角川文庫.jpg 「燃えよ剣」よりも創作の入る余地は大きいはずですが(加納惣三郎も架空の人物だが、沖田総司の幼名が惣次郎)、鉄の掟に背いた者に待ち受ける粛清、隊士の間に流行した男色といった生々しいテーマを扱っているせいか、新選組の"内実"に触れたようなリアリティがあります。

 もちろんその他のテーマ、例えば近藤勇の愛刀「虎徹」にまつわるユーモアのある話とかもありますが...(アイロニカルに描いているところに、作者の近藤勇に対するシニカルな評価が窺えて興味深い)。

 個人的にはやはり、陰惨と言っていいほどの「内部粛清」にまつわる話が最も印象的で、閉鎖的な思想集団を想起させる面もあり、この作品がが好きになれない人の中には、多分この部分にひっかかりを覚えるためという人がいるのではないかと思うのですが、全体としてハードボイルド風の筆致であるため、各短編とも緊張感のある物語世界を醸し出していて、個人的には大いに引き込まれました。

 司馬遼太郎作品は、史実・想像・創作を織り交ぜて、あたかも作者がその時代、その場に行って見てきたかのように描いているものほど面白い!
 
(カバー画:蓬田やすひろ)

「御法度」1.jpg 映画「御法度」は、大島渚(1932-2013/80歳没)監督の13年ぶりの監督作品でしたが、結局この作品が遺作となりました。加納惣三郎を演じた松田龍平はこの作品が映画デビュー作であり、六番組組長井上源三郎が中心となる「三条蹟乱刃」もストーリーに組み込まれ、原作の国枝大二郎の役回りを加納惣三郎が代わりに務めています。近藤勇に映画監督の崔洋一(1949-2022/73歳没)、土方歳三にビートたけし(土方歳三は美男子ではなかったのか?近藤が二人いる感じ)、沖田総司に武田真治、加納惣三郎と出「御法度」2.jpg来てしまう田代彪蔵に浅野忠信。音楽は坂本龍一(1952-2023/71歳没)、美術は西岡善信(1922-2019/97歳没)、衣装はワダエミ(1937-2021/84歳没)。原作のラスト、惣三郎が田代を討ったのを見届け、土方と沖田が現場を離れる時に、沖田が「用を思い出した」と引き返したのはなぜか、映画では明け透けでない程度にその謎解きにはなっていたように思われ、「○」としました(第42回「ブルーリボン賞 作品賞」、第50回「芸術選奨」(大島渚監督)、第9回「淀川長治賞」、第1回「文化庁優秀映画賞」受賞、キネマ旬報ベスト・テン第3位)。

「御法度」大.jpg「御法度」●制作年:1999年●監督・脚本:大島渚●撮影:栗田豊通●音楽:坂本龍一●原作:司馬遼太郎(「前髪の惣三郎」「三条磧乱刃」)●時間:100分●出演:ビートたけし/松田龍平/武田真治/浅野忠信/崔洋一/坂上二郎/トミーズ雅/的場浩司/伊武雅刀/田口トモロヲ/神田うの/桂ざこば/吉行和子/田中要次/藤原喜明/寺島進/(ナレーター)佐藤慶●公開:1999/12●配給:松竹(評価:★★★☆)
松田龍平(加納惣三郎)/武田真治(沖田総司)・ビートたけし(土方歳三)
「御法度」011.jpg
松田龍平・浅野忠信(田代彪蔵)
「御法度」022「.jpg

 【1969年文庫化・2003年改訂[角川文庫]/1975年再文庫化・1996年改訂[中公文庫]/1999年単行本改訂[中央公論新社]】

《読書MEMO》
●「油小路の決闘」伊藤甲子太郎についた篠原泰之進
●「芹沢鴨の暗殺」
●「長州の間者」間者同士で斬らせる新選組の恐怖
●「池田屋異聞」赤穂浪士脱落者子孫の山崎蒸(すすむ)
●「鴨川銭取橋」武田観柳斎の暗殺(斎藤一)
●「虎徹」近藤勇の愛刀(実は贋作)
●「前髪の忽三郎」加納忽三郎を巡る男色騒動(大島渚映画『御法度』の原作)
●「海仙寺党異聞」中倉主膳を介錯した長坂長十郎
●「弥兵衛奮迅」間者・富山弥兵衛の武士道
●「四斤山砲」大林兵庫というインチキ砲術師の新選組錯乱

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義に生きた男の典型を描いた歴史ロマン小説。この小説で近藤勇と土方歳三の人気が逆転した。

ポケット文春 燃えよ剣.jpg燃えよ剣 上.jpg燃えよ剣 下.jpg 燃えよ剣上.jpg燃えよ剣下.jpg 土方 歳三.jpg 土方歳三 
燃えよ剣 (1964年) (ポケット文春)』(1964)/『燃えよ剣 上』『燃えよ剣 下』['73年]/『燃えよ剣〈上〉 (新潮文庫)』『燃えよ剣〈下〉 (新潮文庫)』['72年/'10年新装版
燃えよ剣』(1998)
燃えよ剣 新書.jpg燃えよ剣 新書2.jpg 1962(昭和37)年11月から1964(昭和39)年3月にかけて「週刊文春」に連載された司馬遼太郎の長編小説で、単行本('64年刊行)は当時としてもベストセラーになり、この小説で、新選組における近藤勇と土方歳三の人気が逆転したと言われていますが、こうまで差をつけて描かれたのでは無理もないか。近藤勇なんて、最後はただ大名になりたかっただけの"勘違い人間"のように描かれています。

I燃えよ剣.jpg 作者はほぼ同時期に『竜馬がゆく』('63-'66年)、『国盗り物語』('65-'66年)などのベストセラー小説を世に送り出しており('66年に第14回「菊池寛賞」を受賞)、最も脂の乗り切っていた時期であるとともに、作品内容の世間に与える影響も大きかったのではないでしょうか。

 複雑かつ急変する時代背景をわかりやすく説き、多士済々の新選組メンバーを生き生きと描き、かつ、剣に生き、新選組副長として生涯を全うしようとする土方歳三という人物にしっかりスポットを当てていると思います。テンポが良くて、映画でも観ているような生き生きとした筆致です。

 新選組の描き方について、「幕府を奉じる時代錯誤」が「士道を貫こうとする男気」に、「非人間的とも思える内部粛清の厳しさ」が「最強軍団を作るための合理的な方法論」に置き換えられているのではないかといった批判もあり、それはそれで1つの見方ではあると思いました。 

『燃えよ剣』00.jpg しかしここからは好みの問題になりますが、この作品は、たとえ滅びゆくともあくまでも"義に生きた"男の典型のような人物を描いた、一種のロマン小説と割り切って読んだ方が、充分に楽しめるのではないでしょうか。

 歳三の愛人・お雪が作者の創作の人物であることなどからしても、史実よりエンターテインメント性を重視していることがみてとれます。

 そうならば、この作品に現代の通常の価値基準を何でもかんでも当てはめるのはどうかとも思った次第です。"没頭させられ度"をふり返って星5つにしました。この小説で近藤勇と土方歳三の人気が逆転したというのが納得です。

 【1964年単行本(ポケット文春)・1973年単行本改訂[文芸春秋(上・下)]/1972年文庫化・2010年新装版[新潮文庫(上・下)]/1998年ソフトカバー単行本[文芸春秋(全1巻)]】

《読書MEMO》
●池田屋の変によって明治維新が1年は遅れたといわれるが、おそらく逆だろう。
  この変によってむしろ明治維新が早くきたとみるのが正しい。(著者)
●「池田屋事件」(1864.6.5)...新撰組が尊攘派浪士を襲う
●「蛤御門の変」(禁門の変)(1864.7.19)...長州藩と幕府側が激突
●「油小路の変」(1867.11.18)...伊藤甲子太郎、新撰組に暗殺される
●「鳥羽伏見の戦い」(戊辰戦争)(1868.1.3)

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「梟の城」に続く忍者モノ活劇エンターテイメント。テンポがいい。

風神の門 (春陽文庫)2.jpg風神の門 司馬遼太郎.png 風神の門 上.jpg 風神の門 下.jpg 風神の門.jpg
風神の門 (上) (新潮文庫)(下)』(表紙絵:村上 豊)『風神の門 (春陽文庫)』〔'96年改版版〕

風神の門 (1962年)
風神の門 (春陽文庫)』(新装版)

 司馬遼太郎(1923‐1996)が『梟の城』に続いて、1961(昭和36)年から翌1962(昭和37)年4月まで「東京タイムズ」に連載発表した長編小説で、『梟の城』と同じく忍者小説ですが、『梟の城』が葛籠重蔵という豊臣秀吉の命を狙う創作上の伊賀忍者が主人公だったのに対し、『風神の城』は伊賀忍者・霧隠才蔵が主人公(ただし、この人も架空の人物らしいが)。

 時代は関が原の合戦後から大阪夏の陣にかけてで、先に真田幸村の郎党となっている甲賀の猿飛佐助から仲間になるよう勧誘されるものの、才蔵は集団に属することを嫌いなかなか応じない。しかし、幸村の人柄に惚れ、やがて佐助とともに徳川家康の暗殺をはかることになります。
               
 『梟』の葛籠重蔵がハードボイルドで"やや重"な雰囲気だったのに対し、『風神』の霧隠才蔵は、同じく伊賀者独特の孤高と哀愁を漂わせながらも、持て余すほどに女性にもてて、風魔忍者との術比べ、宮本武蔵との対決場面などもあれば、陥落する城から女を救い出したりもし、活劇エンターテイメントの要素が強い作品となっています。

 才蔵が人生の目的が定まらず、自分で自分を持て余しているようなところは、今風に言えばモラトリアムでしょうか。結局、才蔵が与することとなった豊臣方は淀君と首脳部の愚昧さのために滅びるのですが、才蔵も佐助もそれに殉じることはしません。 

司馬 遼太郎 『風神の門』3.jpg 才蔵は、忠義、義理、恩義などというものは"手に職のない武士どものうたい念仏"とし、ただ幸村に惚れて行動しただけで、臣下になったわけではありませんでした。だから、豊臣の滅亡に対しても、「徳川が勝ち、豊臣がほろびるのも天命であろう。(中略)腐れきった豊臣家が、もし戦いに勝って天下の主となれば、どのように愚かしい政道が行なわれぬともかぎらぬ。亡びるものは、亡ぶべくしてほろびる。そのことがわかっただけでも、存分に面白かった」といった割り切りよう。現代に置き換えるならば、会社が潰れても自分は自分として動じることのない実力派スペシャリストといったところです。

 『梟の城』に比べて会話が多く、しかもテンポがいいです。作者は、この作品で忍者モノに見切りをつけたかのように以後は幕末に関心を移し、『竜馬がゆく』『燃えよ剣』といった傑作を発表していきますが、この軽快なリズム感はそれらに引き継がれていきます。
『風神の門 (春陽文庫)』〔'96年改版版〕

 【1962年単行本・1967年改訂[新潮社]/1969年文庫化・1987年改訂[新潮文庫(上・下)]/1988年再文庫化・1996年改定[春陽文庫}】

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武士の価値観の対極にある忍者の価値観=スペシャリストの価値観。昭和30年代の忍者ブームの火付けに。

司馬遼太郎「梟の城」春陽文庫.jpg梟の城 司馬遼太郎.jpg 梟の城1.jpg 梟の城.jpg    梟の城2.jpg
梟の城 (1959年)』(帯推薦文:今東光)/『梟の城』 新潮文庫〔'77年・'89年改版版]/春陽文庫〔'96年改訂版〕
梟の城 (1967年) (春陽文庫)
梟の城 (1961年) (ロマン・ブックス)』(カバー2種)『梟の城 (春陽文庫)』(新装版)
梟の城 (1961年) (ロマン・ブックス).jpg梟の城 (1961年) (ロマン・ブックス)2.jpg梟の城 (春陽文庫).jpg  司馬遼太郎(1923‐1996)が最初に発表した長編小説で、1958(昭和33)年4月から翌1959(昭和34)年2月まで今東光(1898-1997)が社長だった宗教新聞「中外日報」に連載されたものです。八尾市の天台院の住職の仕事などのため文壇を離れていた今東光が20年ぶりに筆を執ろうと産経新聞社を訪ねた時、今東光の作品を知っていて一席設けた編集局長に呼ばれその場に同席したのが、文化部の文芸担当だった司馬遼太郎だったとのこと。今東光の弁によれば、「とても無理です。まだ短編しか書いたことないんです、と尻込みする奴を、長編だって短編だって変わりゃしねえよ」といって励ました末に生まれたのがこの作品だったとか。

 1959(昭和34)年下期の第42回「直木賞」受賞作でもあるこの作品は、豊臣秀吉の暗殺を謀る伊賀忍者・葛籠(つづら)重蔵と、彼と同じ師匠のもとで技を磨いた忍者でありながら武士として出世することを渇望する風間五平を描いています。

 司馬遼太郎はデビュー当初は「忍豪作家」と呼ばれ、またこの作品は昭和30年代の忍者ブームの火付けにもなりましたが、初の長編でありながらさすがに高い完成度を持つものの、後にその歴史解釈が「司馬史観」と言われるほどの歴史小説の大作家になることを、この作品のみで予見することは難しかったのではないでしょうか。むしろ、講談本的なエンターテインメント性が強い小説に思えます。    

 登場人物が極めて魅力的。伊賀の慣習に生きる重蔵を通して、武士の価値観の対極にある忍者の価値観がよくわかりますが、それは今風に言えばゼネラリストの価値観に対するスペシャリストのそれではないでしょうか。 
 一方の五平は、功名を上げるために伊賀を裏切り権力者に仕官しますが最後は見捨てられる―このあたりは、組織に消耗されるサラリーマンにも通じるところがあります。 

梟の城 映画 0.jpg梟の城 映画 1.jpg 小萩という神秘的な女性が登場しますが、神秘的でありながら重蔵に恋のアタックをかけてくるし、木さるという女忍者の行動にやや短絡的な面があるのも現代的です。

 こうした先取り感が今もって読まれ、或いは工藤栄一監督、大友柳太朗主演「忍者秘帖 梟の城」('63年/東映)として映画化された後、更に篠田正浩監督、中井貴一主演で「梟の城」('99年/東宝)としてリメイク映画化されている要因ではないかと思います。

梟の城 1999.jpg 映画の方は、篠田正浩監督の「梟の城」観ましたが、重蔵役が中井貴一、五平役が上川隆也でした。SFⅩを使用したミニチュアと、CGと実写映像のデジタル合成が特徴的で、堺の町並みや聚楽第などを再現していました。ただし、映像は綺麗なのですが、ストーリー的にはかなり端折られていて、一方で、重蔵を巡っての小萩(鶴田真由)と木さる(葉月里緒菜)のしのぎ合いのようなものが前面に出ているのは、女性の観客も取り込もうとしたためでしょうか。ただ、役者たちの演技が歌舞伎を意識したのかやや生固く、アクションも少なくて地味な感じでした。
「梟の城」(1999)in 鶴田真由(小萩)/ 葉月里緒菜(木さる)
「梟の城」鶴田真由 .jpg 「梟の城」葉月里緒菜.jpg

新忍びの者.jpg新忍びの者2.jpg 昔の映画で、同じく忍者を扱った、村山知義原作、山本薩夫監督、市川雷蔵主演の「忍びの者」('62年/大映)などの方がずっとダイナミックだったように思います。市川雷蔵が石川五右衛門を演じるこの映画は、シリーズ第3作、森一生監督の「新忍びの者」('63年/大映)において、釜煎りの刑に処されるところを刑場を脱出した五右衛門が、秀吉の暗殺を敢行せんとその寝所に入り込んで...と「梟の城」を意識したみたいな話でした。でも、映画同士で比べると、市川雷蔵版の方がダイナミックな忍者映画だったかように思います。司馬遼太郎の原作も「忍者小説」であるのに、篠田正浩監督はそれを半ば芸術映画のように撮ろうとしてしまったのではないかと感じました。

梟の城 映画es.jpg「梟の城」●制作年:1999年●監督:篠田正浩●製作:角谷優/鯉渕優●脚本:篠田正浩/成瀬活雄●撮影:鈴木達夫●音楽:湯浅譲二●原作:司馬遼太郎 ●時間:138分●出演:中井貴一/鶴田真由/葉月里緒菜/上川隆也/永澤俊矢/根津甚八/山本學/火野正平/小沢昭一/津村鷹志/マコ岩松/筧利夫/花柳錦之輔/田中伸子/中尾彬/馬渕晴子/武部まりん/中村敦夫(ナレーターも)/岩下志麻/若松武史/横山あきお/桜木誠/家辺隆雄/友寄隆徳/笠原秀幸/水谷ケイ●公開:1999/10●配給:東宝(評価:★★★)
火野正平/山本學/中井貴一
マコ岩松(秀吉)/岩下志麻(北政所(秀吉の正室))/[下]鶴田真由(小萩)・中井貴一(葛籠(つづら)重蔵)
「梟の城」マコ.jpg岩下志麻梟の城 .jpg 「梟の城」鶴田真由 2.jpg 

 【1965年文庫化、1977年・1989年・2002年改訂[新潮文庫]/1967年再文庫化・1087年・1996年改訂[春陽文庫]】


《読書MEMO》
●「かれらの多くは、不思議な虚無主義をそなえていた。他国の領主に雇われはしたが、食禄によって抱えられることをしなかった。その雇い主さえ選ばなかった。(中略)かれらは、権力を侮蔑し、その権力に自分の人生と運命を捧げる武士の忠義を軽蔑した。諸国の武士は、伊賀郷士の無節操を卑しんだが、伊賀の者は、逆に武士たちの精神の浅さを嗤う。伊賀郷士にあっては、おのれの習熟した職能に生きることを、人生とすべての道徳の支軸においていた。おのれの職能に生きることが忠義などとはくらべものにならぬほどに凛冽たる気力を要し、いかに清潔な精神を必要とするものであるかを、かれらは知りつくしていた。」(新潮文庫'77年版14p)

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権威に臆することのない批評メスの切れ味は相変わらず。

斎藤 美奈子 『誤読日記』.JPG誤読日記.jpg  『誤読日記』 (2005/07 朝日新聞社)

 著者の『読書は踊る』('98年/マガジンハウス)、『趣味は読書。』('03年/平凡社)に続く書評集ですが、今回は175冊もの本がしっかりジャンル分けされていて、より体系的にアイテム整理されているのではないかと思います。 

 『チーズはどこへ消えた?』、『バカの壁』など、とり上げている本の3分の2以上がベストセラー本です。 
 話題にはなっているが何となくクダラナイあるいは胡散臭いと思っても気にはなる、そんな本の中身をいちいち確かめる暇のない人にとっては実用性(?)が高いと思われます。

 タレント本や"幸せになりたい本" "泣きたい本"、良識ある新聞の書評欄は取り上げないけれどバカ売れだけはしている本を多くとり上げるなど、出版文化批評(多少大袈裟に言えば「文芸社会学」)の様相がますます強くなった感じです。 

 もちろん、芥川・直木各賞受賞作品、丸谷才一、渡辺淳一といった大御所から政治家の書いたものまでも広く網羅し、「誤読」という控えめなタイトルに反し、権威に臆することのない著者の批評メスの切れ味は相変わらずです。

 普通、書評集というのは、読んでいて「あ〜、あれも読んでない。これも読んでない」と少し焦ったりすることがあるのですが、著者のこの一連の書評集は、その逆の気持ち、つまり読んでないことで安心し、読んでいたら「しまった!」みたいに思わせるところがあったりします。 

 とはいえ、全部を全部こき下ろしていたら読む方は結構マンネリを感じるかもしれないけれど、加賀まりこの『とんがって本気』はタレント本だけど貶してはいないし、魚住昭の『野中広務 差別と権力』など高い評価のものもあります。 
 この辺りの配置がいいアクセントになっているかも。

 【2009年文庫化[文春文庫]】

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古今の小説をファッション、フード、ホテル、音楽、車など商品情報をから読み解く。

文学的商品学.jpg 『文学的商品学』 (2004/02 紀伊国屋書店) 文学的商品学2.jpg 文春文庫 ['08年]

 「アパレル泣かせの青春小説」「ファッション音痴の風俗小説」というように文学作品を、ファッション、フード、ホテル、音楽、車などの商品情報をから読み解いてみようという試み。

 紅葉、鴎外、漱石から村上春樹、江國香織、川上弘美まで比較的馴染みの作家の作品が取り上げられていて、どのような商品が描かれているかということより、それをどのように描いているかということに重きが置かれています。
 
 石原慎太郎、大江健三郎、庄司薫など'50年代から'60年代にかけての、もうどんなふうに書かれていたか忘れたような作品も多く顧みられていて、近年の流行作家も含め、風俗などを丹念に描いていそうで実は何も描いてなかったりとか、一見お洒落っぽくて実は通俗だったりとかがわかり、その意外性が面白かったです。 
 こうしてみると、やはり谷崎や三島というのは、細かな描写がしっかりしているなあ(時にクドい感じもするけれど)。

 「野球小説」や「貧乏小説」という括りになると、「商品学」という観点からは外れるような気もしますが、山際淳司の文章への著者の思い入れを感じられたり、「私小説」として描かれる「貧乏小説」と「プロレタリア文学」の違いがわかったりして、この2章が一番面白かったです。 

 著者の『妊娠小説』('94年/筑摩書房)以来10年ぶりの"文芸評論"ということですが、確かにその間著者は、アニメ論や女性史、作家論の方へ傾斜していたかもしれないけれど、それらの中にも"文芸評論"的要素はあったし、今回は作家の表現にこだわったということならば、『文章読本さん江』('02年/筑摩書房)もその類でしょう。

 せっかく「古今」の小説をとりあげて対比しているのに、「単行本」化に5年かかって(文庫化ならまだしも)、「今」の方の作品すら書店から消えかけているのが少しつらかったです。

 【2008年文庫化[文春文庫]】

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現代の男性像を探るうえで好著かも。

実録 男性誌探訪.jpg実録 男性誌探訪』('03年/朝日新聞社) 麗しき男性誌.jpg 文庫改題 『麗しき男性誌』 文春文庫

 雑誌『AERA』に連載していた「Men's magazine walker」に加筆し、再構成して単行本化したもの。
 著者は以前に、『あほらし屋の鐘が鳴る』('99年/朝日新聞社)の中で部分的に「女性誌」批評をしていましたが、今度はそれに対応するようなかたちでの「男性誌」批評になっていて、丸々1冊このテーマで本になってている分、読み応えありました。

 「週刊ポスト」は1冊の中に"知的パパ"と"エロ親父"同居しているとか(確かにネ)、「文藝春秋」の「同級生交歓」は、社会階層の何たるかを如実に教えてくれる企画であるとか、「サライ」(ペルシャ語で「宿」の意味らしい)は、春夏秋冬、飯飯飯、人間最後は食欲であることを教えてくれるとか、「日経おとなのオフ」は「失楽園2名様ご案内」って感じだとか、「エスクァイア」は男性用の「家庭画報」であり、脱亜入欧魂に溢れているとか、「BRIO」は「ヴェリイ」の男性版で世田谷か目黒のコマダムの旦那たち向けであるとか、「LEON」(イメキャラはP・ジローラモ)の読者はモテたいオヤジであるとか―、とにかく笑わせてくれますが、ひやっとさせられる人もいるのではないかと思ったりして...。

 スポーツ誌「ナンバー」の記事の書き方が「従軍記者」風であるという指摘は鋭いと思いましたし、デート・マニュアル誌だった「ホットドッグ・プレス」はいつの間にかファッション誌になっていたのだなあ。
 結局、時代の流れに合わせるのも大事だけれど、切り口のようなものがはっきりしている方が共感を呼ぶのかもしれないという気がします(「ナンバー」は残っているけれど、「ホットドッグ・プレス」は本書刊行の1年後に廃刊!)。
   
 釣り専門誌でも〈バス〉と〈へらぶな〉では全然違うんだなあとか初めて知りましたが、「鉄道ジャーナル」や「丸」などのオタク系の雑誌含めて、読んでいる人たちは、サークルの中にいる人の間では知識や技量の差にこだわるけれども、サークルの外にいる人からどう見られるかということは関係ないんでしょうね。
 ある意味、現代の男性像を探るうえで好著かもしれないと思ったりもしました。

 【2007年文庫化[文春文庫(『麗しき男性誌』)]】

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ベストセラー本を爽快になで斬り。時間の節約になる。

趣味は読書.jpg 『趣味は読書。』(2003/01 平凡社)趣味は読書 文庫.jpg趣味は読書。 (ちくま文庫)

 ベストセラーを追いかけて読む方ではないが、どうせたいした内容ではないだろうと思いつつも、社会現象としては多少気になる部分もある。 
 でも、そんなのいちいち追っかけて読んでいたら、自分の読みたい本を読む時間が無くなってしまう。 
 そんな人には便利な、斎藤美奈子の書評集です。

 「趣味は読書」という人に何を読んでいるか訊ねたら、くだらないベストセラーばかり、という皮肉も込めたタイトル。 
 ベストセラー本を爽快になで斬りという感じですが、その中で『プラトニック・セックス』(飯島愛)に対してだけ、なんとなく甘いような...。 
 いずれにせよ、読むことで時間の節約になる1冊であり、ベストセラーの共通項を通して、世間が求めているものも少し見えてききます。

 【2007年文庫化[ちくま文庫]】

《読書MEMO》
●『大河の一滴』...辻説法
●『日本語練習帳』...ボケ防止
●『光に向かって100の花束』..."死ぬまでラッパを話しませんでした"式の辻説法
●『生きかた上手』...あやかりたいけれどあやかれない本
●『鉄道員』...怪談、死んだ娘だから父に優しい(生きていたらグレてる)
●『朗読者』...男に都合のいい包茎文学
●『白い犬とワルツを』...家長に都合のいい幻想譚
●『蜜の味』(叶恭子)...遠足に吉兆の弁当!女はパトロンに頼るべしの開き直り、援交物語
●『プラトニック・セックス』...◎プチ不良を黙らせる効果
●『永遠の仔』...主人公3人が幼児虐待を受けていたという絵に描いたようなアダチル小説
●『「捨てる!」技術』...○終盤ペースダウンだが「捨てる勇気」を説く
●『話を聞かない男、地図を読めない女』...科学を装った迷信
●『冷静と情熱の間』...浮世離れした女と自意識過剰男
●『金持ち父さん貧乏父さん』『チーズはどこへ消えた?』『ザ・ゴール』...80年代にアメリカではやった寓話スタイル
●『模倣犯』...少女チックでコバルト文庫のノリ
●『海辺のカフカ』...最後まで成長しない
●『五体不満足』...乙武くんは絵になる障害者、くん付けはアイドル系の証拠、障害者は全部頑張ればいいんだで済まされると困る
●『だから、あなたも生きぬいて』...非行少女&極妻時代の記述(16-22歳)が抜け落ちている(児童書として企画されたからというが)「学歴社会逆転本」
●『ハリー・ポッター』シリーズ...現実逃避は構わないが、出るごとに書店の他の本が書店の隅へ押しやられる(書店はハリポタを売っていればそれでいいということに)
●『声に出して読みたい日本語』...ジジババ本は権威主義と紙一重、国語教育の呪縛に囚われている

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「文壇アイドル」の育成に及ぼす文芸評論や出版ジャーナリズムの力も大きいと感じた。

文壇アイドル論.jpg 『文壇アイドル論』 (2002/06 岩波書店) 文壇アイドル論2.jpg 文春文庫 〔'06年〕

 第1章「文学バブルの風景」で村上春樹、俵万智、吉本ばなな、第2章「オンナの時代の選択」で林真理子、上野千鶴子、第3章「知と教養のコンビニ化」で立花隆、村上龍、田中康夫の計8人をとり上げ、彼らが80年代から90年代を中心にいかにしてマスコミの寵児となったか、「アイドルのアイドルたるゆえん」を、読者、ジャーナリズムを含めた視座から探っています。

 村上春樹、俵万智、吉本ばななを共通項で捉え、林真理子と上野千鶴子、立花隆と村上龍はそれぞれ対立項で捉えている感じがしました(林真理子と上野千鶴子は例の「アグネス論争」で対立した)。
 また村上春樹のところでは村上龍との「両村上比較論」についても触れていますが、著者自身はこの比較論がある種のフィクションであるとしていて、本書が「作家論」と言うより《「作家論」論》に近いものであることが最もよく出ている部分です。 
 そして田中康夫について著者はどうかと見ているかというと、それまで取り上げた作家とはちょっと違うようで...。

 「アイドル」たちのデビュー当時の彼らに対する評論がよく整理・分析されています。 
 書き手は読者あってなんぼのものでしょうけれど、「アイドル」の育成に文芸評論の力も大きいと感じました。 
 大御所が気恥ずかしくなるような大仰な"洞察"でヨイショしているのもあれば、思考停止状態のミーハーに過ぎなくなっているものもあります。 
 むしろ彼らはその時、自分で考えているつもりでも意識せず時代のムードに流されていたのかも知れない。 
 一方で著者は、中堅評論家などの、当時それほど注目されなかった冷静な(主に批判的で現在の彼らの作品にも通ずる)指摘も丹念に拾っています。

 まあ、「アイドル」という言葉は本書では揶揄を込めて用いられているのだろうけれど、樋口一葉だって、中間クラスの批評家をすっ飛ばしていきなり森鴎外などの大御所から高い評価を得て文壇デビューしたわけで、大物作家・評論家の評価が「実力派スター」を育てていることも明治以来の変わらぬ事実でないだろうか。
 ただし現況においては、出版ジャーナリズムは、地味な実力派よりは、読者アイドル足りうる書き手を求めているのだろうなあと思った次第。

 【2006年文庫化[文春文庫]】
 
《読書MEMO》
●村上春樹...「ハルキ・クエスト」
●俵万智...「Jポエム」
●吉本ばなな...「コバルト文庫」
●林真理子...「スゴロク=階層移動」
●上野千鶴子...フェニミズムではなくウーマンリブ
●立花隆...テーマは「人間の臨界点」、知のコンビニ化
●村上龍...「人を少しバカにさせる力」
●田中康夫...評価すべき「記録文学」の書き手

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"権威"に追従して自縄自縛に陥ることの危険性を説く。

文章読本さん江.jpg文章読本さん江』['02年/筑摩書房] 文章読本さん江2.jpg文章読本さん江 (ちくま文庫)

 2002(平成14)年度・第1回「小林秀雄賞」受賞作。 

 文章読本の「御三家」に谷崎潤一郎・三島由紀夫・清水幾太郎、「新御三家」に本多勝一・丸谷才一・井上ひさしを挙げ、それぞれの基本的スタンスを分析・解明しています。 
 文章とは特殊な洗練を要するのだとする三島由紀夫の「貴族趣味」や、あるがままに書くなという清水幾太郎の「階級闘争」といった具合に、エッセンスを一言に集約しているのがわかりやすかったです。

 "権威"とされているものに対する批判は爽快で、かつてこれらの文章読本を読んでも少しも文章がうまくならなかったことに対して少し溜飲が下がりました。 
 この"権威"に"おじさん的"と冠すればこの本のわかりやすい読み方になるのかも知れませんが、むしろ著者はよけいな思い込みによって自縄自縛に陥ることの危険性を説いているのだと思い直し(?)ました。 
 本書での作文教育批判や、最近の齋藤孝批判などをからも、そうした"統制"や"権威づけ"がもたらす害悪に対する著者の危機感が読み取れるのでは。

 一定評価を与えている文章読本もいくつか挙がっているので、それらを読んでみるのも面白いかと思いますが、自分が読んだ限りでは、それらは所謂「文章読本」ではなかった。 
 古典的な意味での「文章読本」はもう成り立たないのかも。

《読書MEMO》
●谷崎潤一郎『文章読本』(中公文庫)...文章に実用・芸術の区別はない
●三島由紀夫『文章読本』(中公文庫)...特殊な洗練を要す=「貴族趣味」
●清水幾太郎『論文の書き方』(岩波新書)...あるがままに書くなという「階級闘争」
●本多勝一『日本語の作文技術』(朝日文庫)...話すように書くなという「民主化運動」
●丸谷才一『文章読本』(中公文庫)...思ったとおり書くなという「王政復古」
●井上ひさし『自家製文章読本』(新潮文庫)...透明文章の怪
●《一定評価》...鷲田小弥太『知的生活を楽しむ小論文作法』/山崎浩一『危険な文章読本』/中条省平『文章読本・文豪に学ぶテクニック』/山口憲文『読ませる技術』...ただし彼らの書く他のものほど面白くない
●《番外評価》...佐藤克之『カーツの文章読本』(絶版?)/塔島ひろみ『楽しい「つづり方」教室』/柳川圭子『ちょー日本語講座』(絶版?)/三浦正雄『乙女の教室』

【2007年文庫化[ちくま文庫]】

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「斎藤美奈子」入門としてうってつけ。

あほらし屋の鐘が鳴る.jpg 『あほらし屋の鐘が鳴る』(1999/01 朝日新聞社) あほらし屋の鐘が鳴る2.jpg 文春文庫〔'06年〕

 本書は、著者が'90年代後半に女性誌に掲載した評論やエッセイをまとめたものです。 
 「あほらし屋の鐘が鳴る」とは、著者が上方育ちの友人に教えてもらった言い回しで、受け狙いでふざけたことを言う者に釘を刺す場合の言い回しらしいです。 

 大袈裟な言い方をすれば、タイトルに出版界等に対する著者の危機感(プラス若干の諦め感)が込められているように感じました。 
 女性誌批評が軸ですが、矛先はさらに本や映画、テレビ番組から芸能人にまで向けられています。 
 批判するばかりでなく、お薦め本も数多く紹介しています。

 個人的には、「ハードボイルド小説=男のハーレクイン」説にやや納得。 
 竹内久美子の本は「すべてがオヤジ好みの解釈」だという説に深く納得。 
 小林よしのり『新ゴーニズム宣言スペシャル宣言・戦争論』を〈民族主義的国家観に基づく幼稚な戦争肯定論〉としているのにも賛同。これについて著者は、幻冬舎は英語版・中国語版を出して配布せよ、世界の人がどうとらえるか、と言っています。

 「斎藤美奈子」入門としてうってつけというか、気軽に読める本です。 
 '99年の刊行ですが、なかなか文庫化されず、「わたる世間は鬼ばかり」とか「もののけ姫」(著者に言わせれば、「この作品には"文科系の半端なインテリおじさんを喜ばせるアイテム"がいっぱい仕込まれているそうです、縄文文化論、日本中世民衆史...etc.)とか、それらを批判することが一部ギョーカイでタブー視(?)されているものに対してもズケズケと物申しているためかなと思ったりもしましたが...。

 【2006年文庫化[文春文庫]】

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読者が何となく感じる胡散臭さや危うさの秘密を解き明かしている。

読者は踊る.jpg読者は踊る―タレント本から聖書まで。話題の本253冊の読み方・読まれ方』(マガジンハウス)

 著者の『趣味は読書。』('03年/平凡社)、『誤読日記』('05年/朝日新聞社)に先立つ書評集で、読者目線でタレント本からシロウト科学本、フェニミズム本まで様々なテーマごとに、更には学者本や国語辞典なども含め250冊以上を紹介し、背後にある社会やジャーナリズムの動向とともにそれらを読み解いています。
 読者が何となく感じる胡散臭さや危うさの秘密を解き明かしてみせていて、読書において盲点になりやすい様々な部分を的確に突いてくるという印象を持ちました。

 近年は「ミーハー書評」を自認し、ベストセラーをかなり辛辣(かつ軽妙)に"なで斬り"しているために、一部からは興醒まし感でもって見られているフシもある著者ですが、本書では、売れた本、話題になった本も多く取り上げている一方で、歴史教育関連の本や翻訳聖書などの堅い本も取り上げていて、権威に惑わされず、それらの"どこかおかしい"面への著者のこだわりを見せ、さらに専門文献を精査するなどして、その誤謬や偏向を指摘しています。

 「科学音頭に浮かれて」の章の『そんなバカな!』(竹内久美子著)における遺伝子の擬人化に対する批判には説得力あったし(竹内流の勝手なドーキンス解釈なのに「週刊文春」は相変わらず同著者によるくだらない連載を続けている)、『環境ホルモン入門』(立花隆著)も、考えてみれば、アトピー、アレルギーはいざ知らず、同性愛から少年犯罪まで環境ホルモンのせいだというのは確かにどう見てもおかしい。

 『趣味は読書。』、『誤読日記』に比べ、ジャンルの選び方に著者のこだわりが感じられ、それだけにそのジャンルにおける好著は好著として評価しており、かつ、柔らかい文章で楽しく読めました(この人の"一人突っ込み"もあまり気にならず、自分としては相性がいい文体なのかも)。

 取り上げている本が時間とともにやや古くなっているのは仕方ないですが、個人的には著者の書評に信を置くきっかけとなった本で、駄本を購入しないで済むための良い水先案内人を得た気がしました。

 【2001年文庫化[文春文庫]】

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切り口の斬新さと鋭いテキスト読解で飽きずに読めた『妊娠小説』。

『妊娠小説』.JPG妊娠小説.jpg  紅一点論 単行本.jpg   斎藤美奈子.jpg 斎藤 美奈子 氏
妊娠小説』['94年]『紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像』['98年]
妊娠小説 (ちくま文庫)』['97年]

 著者の言う「妊娠小説」とは「望まない妊娠を登載した小説」とのことですが、そうして見ると名作と言われるものからベストセラーとなった小説まで、それらの中に「妊娠小説」と言えるものが随分あるものだなあと、着眼点に感心しました(巻末に本書でとり上げた約50冊のリストあり)。  

 第1章でとり上げている"典型例"は、森鴎外『舞姫』、石原慎太郎『太陽の季節』、吉行淳之介『闇の中の祝祭』、三田誠広『赤ん坊の生まれない日』、村上春樹『風の歌を聴け』...。

 女が予期せぬ妊娠をすることで男が悩むという共通のプロットを通して、その描き方のベースにある精神的土壌をあぶり出していますが、受胎告知場面が「妊娠小説」としての"識別表示"であるといった切り口の斬新さと、鋭いテキスト読解で飽きずに読めました。

 個人的には、『舞姫』は前からそういう見方をしていました。鴎外という人が大体(この辺のところに関しては)怪しい...。

 吉行淳之介はその発言を含めコテンパですが、『闇の中の祝祭』はこうして見ると秀逸なラストを呈していて、やはり彼にし書けない傑作ではないかと...。
 
 『風の歌を聴け』は、ある物語の時系列を並べ替えて何枚かカード抜きしたものということか...等々、また別な見方ができて楽しかったです。

ジャッカー電撃隊の紅一点.jpg 著者の書き下ろし第2評論集『紅一点論-アニメ・特撮・伝記のヒロイン像』('98年/ビレッジセンター出版局)もなかなか面白かったですが、ストレートにフェミニズム批評的で、その分著者独特の"遊び感"のようなものが今ひとつ感じられなかったのが残念(評価★★★)。

 『紅一点論』を読んで、本書の中にあるフェミニズム批評的なものを再認識した読者もいるかもしれませんが、個人的には批評の切り口や適度な"遊び感"を買いたい評論家で、「フェミニズムの人」というふうにレッテル貼りすることはお勧めしたくないです。

 【1997年文庫化[ちくま文庫]】

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裁判とは何かを問う。執筆中に、主人公と被害者の関係に加えられた「重大修正」。

大岡昇平 「事件」.jpg事件 大岡昇平.png  『事件』.JPG 事件.jpg
単行本〔新潮社/'77年版〕/単行本〔新潮社/'78年版〕/新潮文庫〔旧版〕/『事件』新潮文庫[新版]

 1978(昭和53)年度・第31回「日本推理作家協会賞」受賞作。

 神奈川県の相模川沿いの山林で、若い女性の刺殺死体が発見され、被害者はこの町出身で、厚木市でスナックを営む23歳の女性・坂井ハツ子。数日後警察は、事件の夕刻、現場付近の山道で地主に目撃されていた19歳の工員・上田宏を逮捕するが、彼はその後の調べで、ハツ子の妹・ヨシ子と同棲していたことがわかる―。

 事件発生から少年の殺意の有無をめぐる裁判とその判決に至るまでの過程を、フィクションとは思えないような抑制の効いた筆致と圧倒的なリアリズムで描いています。

 つまりは「殺人」か「傷害致死」かを争うだけの話なので、裁判小説と言ってもそのプロセスでの"意外性"は限定的で、E.S.ガードナーの「ペリー・メイスン」シリーズのようなミステリーとはまったく趣を異にします。

 しかし、一般にはあまり知られていない裁判の進行模様が、菊池弁護士をはじめ個性的な登場人物のおかげもあり面白く読めます。そして最終章でこれほど「う~ん」と唸らされる小説というのも少ないように思いました。その「う~ん」は、ミステリーとしての「う~ん」とはやや別物であり、「事件」とは何かを考えさせられるものです。

フィクションとしての裁判.jpg 一般に殺意を裏付けるものは"動機"と"状況"なのですが、大岡昇平(1909‐1988)とこの小説を執筆した際のアドバイザーの1人だった当事俊英の弁護士・大野正男氏(後に最高裁判事)との対談『フィクションとしての裁判』('79年/朝日出版社)を読み、大岡昇平が執筆の途中で主人公・宏と被害者・ハツ子の関係に「重大な修正」を加えたことを知り、それがラストのウ〜ンにも繋がるのかなと思いました。最初からミエミエなら、ここまで唸らされないかもしれません(それにしても結末を変えるとは...)。

大野正男・大岡昇平『フィクションとしての裁判―臨床法学講義 (1979年)

事件 映画 野村芳太郎.jpg事件(ポスター).jpg事件 映画 野村芳太郎v.jpg 「砂の器」などで知られる野村芳太郎監督により'78年に映画化されていて(菊池弁護士:丹波哲郎、ヨシ子:松坂慶子、ハツ子:大竹しのぶ)、同年にNHKでテレビドラマ化もされているように(菊池弁護士:若山富三郎、ヨシ子:いしだあゆみ、ハツ子:大竹しのぶ)、社会的反響の大きかったベストセラーでした。'93年には、テレビ朝日で再ドラマ化されています(菊池弁護士:北大路欣也、ヨシ子:渡辺梓、ハツ子:松田美由紀)。 

 事件 図1.jpg事件 図252.jpg事件 図3.jpg事件 図4.jpg テレビドラマはNHK版(脚本:中島丈博)を観ました。若山富三郎の演技もさることながら、野村芳太郎をして「天才」と言わしめた大竹しのぶの演技が良かったです、と言うか、うますぎでした。

「事件」●演出:深町幸男/高松良征●制作:小林猛●脚本:中島丈博●音楽:間宮「事件」宮口.jpg芳生●出演:若山富三郎/いしだあゆみ/大竹しのぶ/高沢順子/佐々木すみ江/草野大悟/鈴木光枝/丹波義隆/勝部演之/石橋蓮司/沼田曜一/垂水悟郎/北城真紀子/殿山泰司宮口精二/伊佐山ひろ子/中村玉緒●放映:1978/04(全4回)●放送局:NHK

「事件」キャスト.jpg事件 ドラマ 若山富三郎.jpg事件-全集- [DVD]
                     
 【1980年文庫化[新潮文庫]/1999年再文庫化[双葉文庫]/2017年再文庫化[創元推理文庫]】

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「捉まるまで」(旧版『俘虜記』と俘虜生活の部分は、主題が別の作品と見るべき。

大岡 昇平 『俘虜記』.jpg俘虜記 旧.jpg 大岡 昇平 『俘虜記』新潮文庫.jpg 俘虜記.jpg
『俘虜記 (新潮文庫)』〔'59年〕/『俘虜記 (新潮文庫)』〔'67年〕

俘虜記 (1949年)

 大岡昇平(1909‐1988)は、太平洋戦争末期の1945年1月にフィリピン・ミンドロ島で米軍の捕虜となりましたが、本書は、その「捉まるまで」から俘虜生活及び帰還までの体験をもとに書かれた、ノンフィクションに近い作品です(「私=大岡」で書かれています)。

 当初、冒頭の「捉まるまで」が「俘虜記」('48年2月)として発表され、翌年、短編集『俘虜記』('49年4月/創元社)として刊行され第1回「横光利一文学賞」を受賞、その後『続・俘虜記』('49年)、『新しき俘虜と古き俘虜』('51年)が刊行され、これらがまとめて『俘虜記』('52年/創元社)として刊行されました(その際に最初の「俘虜記」の部分が「捉まるまで」に改題された)。
 
 戦場で敵兵と1対1で遭遇することも、捕虜生活を送ることも希少な体験であり、小説としても読者を充分に惹きつける素材であると思われますが、著者はむしろそれらをドラマチックに描くことを慎重に回避し、その時その時に働いた自己意識を丹念に記述し、また他者の意識を推察するにしても「心理小説家」になることがないように細心の注意を払っているように思えます。
 
 ただし、「捉まるまで」は、若い米兵と対峙した際にどうして自分が相手を撃たなかったのか、その後自殺を試みるがどうしてそれをなし得なかったか、というその時の自らの情念の省察に重点が置かれていています。
 
 一方、俘虜生活の記録は、日本人俘虜たちの意識と行動、例えば米兵に対する阿諛などを通して、自分をも含め人間のエゴイズムをあぶりだし、また前線の1中隊内の階級社会とは違った社会がそこに現出する様を描いています。 
 
 「捉まるまで」での省察が、日本文学であまり見られない端的なテーマを扱っていて有名であるのに対し、俘虜生活の記録は、一見通俗に流れているようにもとれます。しかしある意味「堕落」した人間像を描いた、ストーリー性に乏しいこの部分は(むろん著者はそれを意図的に排除しているのでしょうが)、戦前までの日本人とそれを生み出した社会とは何だったのだろうか、それは戦後どこか変わったと言えるのか、という問いかけをしているように思えました。

 【1966年文庫化[角川文庫]/1967年再文庫化[新潮文庫]/1971年再文庫化[講談社文庫]】

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「●「読売文学賞」受賞作」の インデックッスへ

「戦争文学」であり「実験小説」。極限状況における「私」の意識を克明に描く。

野火 創元社.bmp 野火.jpg 野火(のび) (新潮文庫).jpg 大岡昇平.jpg 大岡 昇平 (1909‐1988/享年79)
野火 (1952年)』 創元社 『野火 (1954年) (新潮文庫)』『野火 (新潮文庫)』〔改版版〕

 1951(昭和26)年・第3回「読売文学賞」受賞作。

 敗色濃厚のフィリピン・レイテ島戦線で、結核に冒された田村一等兵は、野戦病院が食糧を持たない患者は受け入れないため、本隊から若干の芋を受け取り病院周辺にたむろする同じ境遇の兵士たちといるとき、病院から火事が出て、行くあてもなく野火の広がる原野をさまよい歩くが、そこで多くの屍体に遭遇し、飢えた兵士たちや気が狂った将校にも会う。将校は、死の寸前に、「俺が死んだら、ここを喰べていいよ」と自分の腕をさして言うが、実際に多くの兵隊たちが飢えに勝てず、敵味方の屍体に手を伸ばしている状況である。彼はやがて敗残兵と合流し、食料として「猿」の乾燥肉を与えられる―。

莫邦富.jpg 親日派ジャーナりストの莫邦富(モー・パンフ)氏は、出会う日本のメディア関係者にいつも本作を読んだことがあるか聞くそうですが、今まで誰一人として読んだという人はいないそうで(う〜ん、ホントに全員に訊いたのかな?)、「先日、やってきた東大の院生たちにも聞いてみたが、全員、首を横に振った。帰りぎわ、一人は私に確認した。『オーオカショーヘーという人は中国人ですか』」と書いています('06年8/19朝日be版「『野火』を読みましたか」)。これはヒドイ。

 大岡昇平(1909‐1988)は反戦作家だと思うし、初稿が'48年、改稿が'51年に発表されたこの作品は、紛れもなく日本を代表する「戦争文学」だと思いますが、一方で、スタンダール研究家でもあった作者の「実験小説」でもあるような印象を受けました。

 俘虜記』('52年/創元社)の冒頭の「捉まるまで」と本作は執筆時期が重なり、同じ一人称で書かれたものでありながら、過去の回想として書かれている『俘虜記』よりも、本作はより克明に"今"の「私」の意識の流れを追っていて、「私」の意識を作者が作品として対象化しているというより、むしろ"今"の「私」の意識の中に作者が入り込んでいるような感じで、死と対峙する極限状態にありながらも、「私」の意識には、どこか冷静な諦観のようなものがあるような気もしました。

 カニバリズムがモチーフになっている点で武田泰淳の『ひかりごけ』と対比されますが(2人の親交はよく知られている)、本作の主人公は、結局、人肉を食べることをせず、これは、極限状況における人間としての尊厳とも矜持ともとれるし、その前に彼が無辜の民を殺害していることからくる罪の意識の反映ともとれます(殺人よりもカニバリズムの方が"悪"であるというという価値観の序列を表しているのではない)。

 『俘虜記』の「捉まるまで」にも関連するテーマですが、神を持たない日本人も、極限状況において神的なものを見出すことがあるのではないかという問いかけにもなっている気がし、これだけ多重的に深いテーマを示しているだけに、主人公が最後に精神病院に入っていることになっているという設定には、個人的にはやや不満が残ります。

 【1953年文庫化[創元文庫]/1954年再文庫化[新潮文庫]/1955年再文庫化・1970年改版[角川文庫]/1972年再文庫化[講談社文庫]/1985年再文庫化[旺文社文庫]/1988年再文庫化[岩波文庫(『野火・ハムレット日記』)]】

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作家の思考の現況を探るうえでは興味深いものだったが...。

さようなら、私の本よ.jpg  『さようなら、私の本よ!』 (2005/09 講談社)

 「ストックホルムで賞をもらった」ほどの作家である長江古義人が、幼馴染みの国際的建築家・椿繁の、東京の高層ビルで爆弾テロを起こすという計画に荷担を余儀なくされ、北軽井沢の別荘に軟禁される―。
 作者の分身・古義人が主人公の3部作の最後の作品ですが、大江健三郎の新作長編を腰を据えて読むのは久しぶりで、なぜ読む気になったかというと、ストーリーが、前2作に比べてダイナミックな感じがしたからという単純なものでした。

 しかし読み進むにつれ、この小説がアンチ・クライマックス小説であることが明らかになり、作者の目的は、自分が書いてきたこと、書くという行為の総括であるともに、古義人と繁を「老人の愚行」を晒す「おかしな二人組」とすることで、繁もまた作者の分身であることが窺えます。
 「外国文学の影響から小説を書き始めた。(中略)それが現在、じつに日本的な書き方で、家族の生活を書くだけだ」(142p)などといった自身に対する批判に(これを繁に言わせている)、新しい小説を書くことで答えようとしているような部分もあり、それをセリーヌの『夜の果ての旅』になぞらえています(その結果書かれたのが、メタ私小説である本作品ということか?)。

伊丹十三.bmp また、死んだ人たちや過去に決別した人たちとの会話を通して、書くことの意味を問い直しているフシもあり、作中にある自殺した映画監督・塙吾良とは言わずと知れた伊丹十三であり、師匠の六隅は仏文学の渡辺一夫であるほか、「都知事の芦原」(石原慎太郎)、「評論家の迂藤」(江藤淳)などの名前も見えます。
 さらに、爆破計画と平行して「ミシマ問題」として扱われている、三島由紀夫の自衛隊クーデターに対する「本気」度の考察は、そのまま「書くこと」に対する自らの「本気」度を真摯に自問しているように思えました(三島自決事件の作家たちに与えた影響というのは重いなあとも思いました。特にノーベル賞を取った大江にとって)。

 その他にも過去の自身の作品への距離を置いた省察やモチーフの再現が見られ、 "お目出度い"とされる彼の「平和主義」に対する批判に対しては、「核廃絶」の困難さへの絶望感を露わにしつつも何かを希求し続ける様子が見てとれ、作家の思考の現況(心境)を探るうえでは興味深いものでした。
 
 しかし、もう自分だけのために書いているという感じがしたのと、「巨大暴力に拮抗する、個人単位の暴力装置を作る」という繁の考えが一種レトリックにしか思えず、最後まで違和感を覚えざるを得ませんでした。

 【2009年文庫化[講談社文庫]】

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大江健三郎が初めて子供向け(?)に書いたエッセイ集。

自分の木」の下で.jpg  『「自分の木」の下で』 (2001/06 朝日新聞社) 「新しい人」の方へ.jpg  『「新しい人」の方へ』 〔'03年〕 (画:大江ゆかり)

 大江健三郎が初めて子供向けに書いたエッセイ集ということですが、大江ゆかり氏の挿絵との組み合わせでのエッセイは、ノーベル賞受賞直後に出版された『恢復する家族』('95年/講談社)などがあり、著者の暖かく優しい視線や平易な語り口には共に通じるものがあります。

 「なぜ子供は学校に行かねばならないか」といった素朴な疑問に、ノーベル賞作家である65歳の著者は、自らの少年時代の回想を交えながら真摯に答えています。
 その内容は著者独特の世界観や人生観に根ざすもので、例えばタイトルにもある「自分の木」というのは、著者の小説の中にも出てくる独特なイメージ構造であるし(子供の私が「自分の木」の下で会うかもしれない年とった私―について今書いている「年とった私」にとっての子供の私。考えてみたら結構フクザツな思考回路だなあ)、本書の続編である『「新しい人」の方へ』('03年/朝日新聞社)の「「新しい人」についても同様です。

 「なぜ子供は学校に行かねばならないか」についての著者の考え方もそうですが、これらの問いに対する回答としてのメッセージに「普遍性」があるかどうかと言えば、必ずしもあるとは言えないのではないかと思います(「生まれ変わった新しい自分たちが、死んだ子どもたちと同じ言葉をしっかり身につけるために必要なのだ」って言われても...)。

 個人的には、大江氏の文学作品を読む感じで本書を読みました。大人にだって、読み解くのが難しい...。
 ただし、「子供にとって、もう取り返しがつかない、ということない。いつも、なんとか取り返すことができる」(178p)といった今の子供に対する重要かつわかりやすいメッセージも多く含まれているのは事実です。

 書きながら意識した読者年代にバラツキがあることを著者も認めていますが、それだけに大人でも充分に味わえるし、大江文学をよく知る人はより深い読み方ができるエッセイではないかと思います。
 続編の『「新しい人」の方へ』ともどもの爽やかな読後感は、著者の将来世代への真摯な希望からくるものだと思いました。
 
 【2005年文庫化[朝日文庫]】

《読書MEMO》
●「人にはそれぞれ『自分の木』ときめられている樹木が森の高みにある...人の魂は、その「自分の木」の根方から谷間に降りて来て人間としての身体に入る...そして、森のなかに入って、たまたま「自分の木」の下に立っていると、年をとってしまった自分に会うことがある」 (21p)

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「●「新潮社文学賞」受賞作」の インデックッスへ  ○ノーベル文学賞受賞者(大江 健三郎)「●「朝日賞」受賞者作」の インデックッスへ(大江 健三郎) 

それまでの作品と以降の作品の分岐点にある作品。今日性という点では...。

個人的な体験 単行本.jpg 単行本 ['64年] 個人的な体験.jpg 『個人的な体験』新潮文庫

 1965(昭和40)年・第11回「新潮社文学賞」受賞作。

 27歳の予備校講師バードは、アフリカ旅行を夢見る青年だが、生まれた子どもが頭に異常のある障害児だという知らせを受け、将来の可能性が奪われたと絶望し、アルコールと女友達に逃避する日々を送る―。

 この作品は'64年に発表された書き下ろし長編で、頭部に異常のある新生児として生まれてきた息子に触発されて書かれた点では著者自身の経験に根づいていますが、自身も後に述べているように、多分に文学的戦略を含んでいて、いわゆる伝統的な"私小説"ではないと言えます。

 しかし、それまで『性的人間』('63年)などの過激な性的イメージに溢れた作品を発表していた著者が、以降、家族をテーマとした作品を多く発表する転機となった作品でもあり、さらに『万延元年のフットボール』('67年)と併せてノーベル賞の受賞対象となった作品でもあります。

 どちらか1作だけを受賞対象とするには根拠が弱かったのではないかと思われたりもしますが、元来ノーベル文学賞は1つの作品に対して与えられるものではなく、その作家の作品、活動の全体に対して与えられる賞なので、複数の"受賞対象作"があるのがむしろスジです。ただ結果として、この『個人的な体験』が"受賞作"とされることで、著者のノーベル賞受賞には"家族受賞"というイメージがつきまとうことになった?

 そうした転機となった作品であると同時に、それまでの作品の流れを引く観念的な青春小説でもあると思いますが、そのわりには文章がそれまでの作品に比べ読みやすく、入りやすい作品だと思います。

 一方、主人公の予備校講師バードが逃避する女友達の「火見子」との関係には、ある時代(全共闘世代)の男女の友情のパターンのようなものが感じられ、こうした何か"政治的季節が過ぎ去った後"の感じは、今の若い読者にはどう受けとめられるのでしょうか。

 むしろ今日性という点では、出産前の胎児障害の発見・告知がより可能となった医療環境において、障害児が日本という社会で生まれてくることの社会的な難しさに、今に通じるものを感じました(日本人の平均寿命はなぜ高いのか、ということについて同様の観点から養老孟司氏が考察していたのを思い出した)。

 ラストの、2つのアスタリスク(*)の後(エピローグ)の数ページは不要だったのではないかという批評がありますが、個人的にもそう思います。主人公が赤ん坊を生かすための手術を受けさせる決心をしたところで、そのまま終わっておいても良かったように思いました。

個人的な体験9.jpg(●2023年追記:2023年3月に作者が亡くなったのを機に再読した。かつて議論となった「二つのアスタリスク(*)の後(エピローグ)」の数ページは不要だったのではないかという問題に、作者自身が「文庫あとがき」(《かつてあじわったこののない深甚な恐怖感が鳥(バード)をとらえた。》というタイトルになっているが、これは二つのアスタリスクの前にある文章の引用である)で答えていたことを再認識した。つまり、多くの人が「かつてあじわったこののない深甚な恐怖感が鳥(バード)をとらえた」でこの小説を終わらせた方が良く、エピローグは要らなかったと批判したことに対する作者の答えである。

 エピローグの要不要と言うより、この言わば三島由紀夫  2.jpgハッピーエンディング的な結末については三島由紀夫の批判が有名で、三島は「技術的には、『性的人間』や『日常生活の冒険』より格段の上出来であるが、芸術作品としては『性的人間』のあの真実なラストに比べて見劣りがする。もちろん私は、この『個人的体験』のラストでがつかりした読者なのであるが(略)」「暗いシナリオに『明るい結末を与へなくちやいかんよ』と命令する映画会社の重役みたいなものが氏の心に住んでゐるのではあるまいか?」と述べている。

 一方、最近では、『ハンチバック』で障害者のリアルを描いて芥川賞を受賞した市川沙央氏が、雑誌『ユリイカ』の大江特集('23年7月臨時増刊号)に寄稿し、「日本文学における障碍者表象の実績に大江健三郎が負ってきた比重は大きく、そして孤高だった。(中略)私は『個人的な体験』の**語のハッピーエンドを、絶対に支持する」としている。)
 
 【1981年文庫化[新潮文庫]】

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大江健三郎の最も青春小説っぽい作品。村上春樹「風の歌を聴け」と比べると...。

叫び声 (1964年) (ロマン・ブックス).jpg叫び聲.jpg 叫び声6.jpg 『叫び声』講談社文芸文庫.jpg 叫び声.jpg
叫び声 (1963年)』『叫び声 (講談社文庫)』['71年]『叫び声 (講談社文芸文庫)』['90年]
叫び声 (1964年) (ロマン・ブックス)

 二十歳の「僕」、17歳の{虎」、18歳の「呉鷹男」の3人は、偶然アメリカ人の邸に同居することになり、ヨット「レ・ザミ(友人たち)号」での航海を夢見て"黄金の青春の時"を過ごすが、そんな中、呉鷹男が悲劇的な事件を起こし(小松川女子校生殺しの少年がモデルになっている)、彼らの夢は挫折へと向かう―。

 その小説が「難解」の一言で片付けられがちな大江健三郎ですが、彼ぐらい作風が微妙に何度も変化している作家は少ないのでは(学生時代から作家であるわけだから当然かもしれないが)。

 大江健三郎は、初期作品だけでも 『死者の奢り』('58年)などのサルトル哲学っぽいものから、長男誕生を転機とする『個人的な体験』('64年)までの間にさらに、『われらの時代』('59年)、『性的人間』('63年)などの過激な性的イメージに溢れた作品群がありますが、この作品は'62年、大江が27歳で書いた長編(長めの中篇)で、系譜としては「性的人間」や「セヴンティーン」に近いものです。

 以前にこの『叫び声』を読んだとき、途中ユーモラスな部分もあるものの、やがて3人がそれぞれに閉塞状況に追い込まれ、最後はかなり暗いムードが漂う印象を受け、その「暗さ」が案外よかったのかも知れませんが、石原慎太郎の『太陽の季節』などと('55年)比べても、"青春小説"としてはこちらの方が上だと感じました(『太陽の季節』は「明るい」系か。大江健三郎と石原慎太郎は絶対に相容れないなあ)。

 大江の最も"青春小説"っぽい作品だと思っていますが、仏文学の翻訳のような文体(読みやすくはない!)が、後世代の純文学"青春小説"の代表作とされる村上春樹の『風の歌を聴け』('79年)が米国小説の翻訳のような文体であることとの対比で興味深く感じます(村上春樹の読んでいて"心地よい"文体に比べると、大江の方がずっと読みにくいが)。

 その他にも、「僕」と言う1人称主人公や(大江はサルトルの「神の視点は実在しない」という考えを受けて1人称を用いている)、その他登場人物の呼称に「虎」(『叫び声』)とか「鼠」(『風の歌...』)など動物名を用いているなど、大江健三郎と村上春樹のそれぞれの初期作品には、何か不思議に通じる部分があります。

 江藤淳に登場人物のリアリティの無さを批難された大江ですが、作家個人の内面で創出された自己分身的キャラクターと言う風に捉えれば、そこにも村上春樹との共通点が見出せるような気がします。

 【1971年文庫化[講談社文庫]/1990年再文庫化[講談社文芸文庫]】

《読書MEMO》
●「ひとつの恐怖の時代を生きたフランスの哲学者の回想によれば、人間みなが遅すぎる救助をまちこがれている恐怖の時代には、誰かひとり遥かな救いをもとめて叫び声をあげる時、それを聞く者はみな、その叫び声が自分自身の声でなかったかと、わが耳を疑うということだ」 (書き出し文)

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「さらばモスクワ愚連隊」など懐かしい'60年代作品を所収。

五木寛之ブックマガジン〈夏号〉00_.jpg  五木寛之『さらばモスクワ愚連隊』講談社版.jpg さらばモスクワ愚連隊 (講談社文庫) 3.jpgさらばモスクワ愚連隊 (講談社文庫) 0_.jpg  さらばモスクワ愚連隊.jpg
五木寛之ブックマガジン〈夏号〉』〔'05年〕『さらばモスクワ愚連隊 (1967年)』『さらばモスクワ愚連隊 (講談社文庫)』『さらばモスクワ愚連隊 (新潮文庫)』『さらばモスクワ愚連隊 【五木寛之ノベリスク】』 

 '60年代の作品を特集で掲載していて、久しぶりに読み返しましたが、いやぁ、懐かしい。と言っても、過去にそれらを読んだ時点でもリアルタイムではなかったのですが...。

 モスクワでの体験に基づくという「さらばモスクワ愚連隊」('66年4月初出)が、やはり一番いいと思いました。作者自身のカルチャーショックのようなものが、作品の中にまだ余熱として残っている感じがし、その熱っぽさとそれを支えるテンポの良さを感じます。1966(昭和41)年・第6回「小説現代新人賞」受賞作で、直木賞候補にもなりましたが、選考委員会では、作者の初めて候補に上がった作品だったので次作を待とうということだったようです(結局、次回に「蒼ざめた馬を見よ」で受賞しているが、「さらばモスクワ愚連隊」の方が出来が良かったのでは。評価★★★★☆)。 

ソフィアの秋.jpg 「ソフィアの秋」('68年9月初出)は、美術史を学ぶ学生が、古イコン(聖像画)を求めて友人とブルガリアに旅する話で、これも、作者がソフィア、プラハへと旅行し、帰国後まもなく発表した作品。主人公は首都ソフィア近郊の村でイコンを手に入れるが、バルカン山脈を越える際に吹雪に遭い、暖をとるために手に入れたイコンを燃やしてしまうという筋書きですが(雑誌発表時のタイトルは「聖者昇天」 )、イコンについての薀蓄が語られる一方で、結構コミカルな話だったということに気づきました(この"軽さ"も、ある意味、作者の特徴か。評価★★★★)。

ソフィアの秋―五木寛之海外小説集 (1969年)

           
海を見ていたジョニー 単行本.jpg 「海を見ていたジョニー」('67年2月初出)は、黒人少年兵でジャズピアニストでもあるジョニーが、ベトナム戦争で精神を病み、もはや自分にジャズを演奏する資格はないと悩み、最後は海辺で自殺するという短編小説で(評価★★★★)、本誌同録の「GIブルース」('66年9月初出、『さらばモスクワ愚連隊』収録)なども同じようにリアルタイムでのベトナム戦争を感じることができる反戦小説であると言えます(単行本及び文庫本『海を見ていたジョニー』の同録作品は、「素敵な脅迫者の肖像」「盗作狩り」「CM稼業」などだった)。

海を見ていたジョニー (1967年)

 「CM稼業」などと同じく"業界もの"に属する「第三演出室」('68年)には、まるで平成不況の世相を反映したかのような「リストラ部屋」が出てきます。

 今読み返すと、紋切り型の登場人物やご都合主義的なストーリー展開も多い気がしますが、最初からエンターテインメントとして書いいて、その姿勢は今も変わらないと後書きに作者自身が書いています。

 「青春の門〈筑豊編〉」('69年)なども連載第1弾として載せています。鈴木いずみ(作家・'86年縊死)が「内灘夫人」に寄せて書いたものや、色川武大(=阿佐田哲也)が五木寛之氏の雀風について書いたものなどもあり、時の流れを感じます。書き下ろしエッセイもあり、盛りだくさんでワンコイン(500円)はお買い得でした。

五木寛之作品集 (5) ソフィアの秋 (1973年).jpgさらばモスクワ愚連隊』...【1967年単行本[講談社]/1971年五木寛之小説全集〈第1巻〉[講談社]/1975年文庫化[講談社文庫]/1979年再文庫化[角川文庫]/1982年再文庫化[新潮文庫]】


ソフィアの秋』...【1969年単行本[講談社(『ソフィアの秋―五木寛之海外小説集』)]/1972年文庫化[講談社文庫]/1973年五木寛之作品集〈第5巻〉[文藝春秋]/1980年再文庫化[新潮文庫]】
五木寛之作品集 (5) ソフィアの秋 (1973年)


海を見ていたジョニー』...【1967年単行本[講談社]/1973年五木寛之作品集〈第2巻〉[文藝春秋]/1974年文庫化[講談社文庫]/1981年再文庫化[新潮文庫]】

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「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(五木寛之)

「大河の一滴」3部作の中で、最も「自分に近いところ」で書かれている。

運命の足音.jpg 『運命の足音』 (2002/08 幻冬舎)

 著者は、軽妙な雑感集のようなものから文明論・人生論的なものまでいくつかのタイプのエッセイを書き分けているようですが、'94年に『蓮如』(岩波新書)を発表して以来、さらに宗教的な思索を深め、'90年代の終わり頃からそれを平易に表現することに努めているように思えます。

 本書は、『大河の一滴』('98年/幻冬舎)、『人生の目的』('99年/幻冬舎)に続く人生論的エッセイで(著者は本書刊行年の'02年に第50回「菊池寛」賞を受賞)、この3部作の間にも『他力』('98年/講談社)などを発表していますが、これらの作品の中では、本書が最も著者にとって「自分に近いところ」で書かれている気がしました。

 と言うのは、著者が戦後57年間"封印"してきた、朝鮮半島からの引き揚げ時に母親が亡くなったときの話が、本書で初めて書かれているからです。
 ソ連兵が自宅に押し入り、12歳の五木少年の目の前で家族を蹂躙する様は、あまりに悲惨で、読んでいて胸が痛くなります。

 この3部作では『大河の一滴』が先ずどっと売れましたが、何となく説法臭い気がしてしばらく手をつけませんでした。
 本書には前2作に比べ、著者の"無常感"と言うか"諦念"を思わせる雰囲気さえあり、またこの作家が、この時点で尚も強烈な原体験のトラウマと苦闘しているという印象を抱きました。
 そのことは、ソ連兵に自宅を接収された後、母親が亡くなるまでの1ヶ月間のことについては簡単な描写しかなく、「こんな暗い話は、二度と書きたくないと思う」と言っていることにも表れているのでは思います。

 【2003年文庫化[幻冬舎文庫]】

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「●の 野坂 昭如」の インデックッスへ

70歳になったら奥さんに死なせてもらうと言っていた五木さん。

対論 野坂昭如 X 五木寛之s.jpg   対論 (講談社文庫 177).jpg
対論 野坂昭如 X 五木寛之』['71年]『対論 (講談社文庫)』['73年]

  野坂昭如氏と五木寛之氏の対談集ですが、'71(昭和46)年にソフトカバー単行本で刊行されたもので、リアルタイムではないですが単行本で読みました(今は文庫でも書店ではなかなか見かけない)。

 対談時は2人とも40歳前後でしょうか。野坂氏の方が五木氏よりも2歳年上ですが、それぞれ昭和42年とその前年に直木賞を受賞していて、同世代的意識が感じられます。
 互いの語り口によそよそしさが全くなく、世界や文学について語ってたと思ったら、すっと極めて個人的な話に入っていったりします。

 「青春」とか「友情」とかいうテーマで熱く語り合っているところに、'60年代の余熱を感じます。
 今で言えば、村上龍氏と村上春樹氏の対談みたいなものかという気もしますが、"両村上"の対談はこの10年後に実現し『ウォーク・ドント・ラン』('81年/講談社)という本になっています(意外と、この〈野坂X五木〉対談と間があいていないという感じ)。

五木 寛之.jpg 五木寛之氏の奥さんが女医さんで、五木氏は、自分が70歳になったら奥さんに注射してもらって死ぬのだと言っています。
 当時自ら言うところの「顔文一致」で売っていた彼の美意識による発言なのかとも思わせなくもないですが、むしろこの作家は根源的にどこかそうしたものを持っていて、それが後の宗教的傾斜に繋がっていったのでしょう。
 『親鸞』あたりからか。親鸞と「出会って」、「生きていていいんだよ」と言われたような気がしたといったことを、どこかのテレビ番組で言っていたなあ(おそらくEテレ)。

 【1973年文庫化[講談社文庫]】

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新装版は読みやすい。再読して感じた全編を貫くニヒリズム。

風に吹かれて 五木寛之.jpg 『風に吹かれて (1973年)』 読売新聞社 風に吹かれて.jpg 『風に吹かれて』 KKベストセラーズ['02年/単行本新装版]

風に吹かれて・五木寛之.jpg 1932(昭和7)年生まれの著者が、'66年に『さらばモスクワ愚連隊』、『蒼ざめた馬を見よ』を発表した後の処女エッセイ集(『蒼ざめた馬を見よ』は'67年1月に直木賞を受賞)。'67年1月から「週刊読売」に連載され、1年間の連載の後'68年に単行本化、その後、新潮文庫、講談社文庫、角川文庫などにおいて何度も文庫化され、総計400万部以上売れました。

 今読み返してみても、著者のエッセイストとしての筆力を窺わせるとともに、同時期に書いていた青春小説とは異なる味わいをも感じます。

<わが漂流のうた>五木寛之珠玉エッセイをよむ(1973(昭和48)年/中央公論社)

 このエッセイ集の中に、「五木さんの考え方は、ちょっと退廃的だと思います」と、女子学生の一人に言われて、「そうかもしれない。あまりにも自信に満ちた空しい演説が多すぎる時代のような気がしないでもない」(「自分だけの独り言」)とありますが、読み直して感じたのはむしろ、このエッセイを書いていた当時の年齢(35歳)にしては、老成とまでは言いませんが、達観したニヒリズムのようなものが全編を貫いているという印象でした。

 しかし、「遊べば遊ぶほどむなしく、集まれば集まるほど孤独になるのが現代だ、という気がする」と言いつつも、「そんな時代に、孤独から抜け出る道は、こういった共同の行為にしかあるまい」(「二十五メートルの砂漠」)と、何か他者との連帯に充実を見出そうとしていることを感じさせる部分もあります。

 「人間は、ある距離をおいて眺めている時がいちばん面白いようだ」としながらも(これは、現代若者気質にも通じるところだが)、「適当に離れて接する友人ほど長く続いている」(「光ったスカートの娘」)と書いています(因みにこの章で五木寛之がそのひたむきさを懐述している"光ったスカート"の女子高生というのは、デビュー当時の中尾ミエだった)。 

小立野.jpg 金沢という街をに対する愛着も随所に見られますが、「私はやはり基地を失ったジェット機でありたいと思う。港を持たぬヨット、故郷を失った根なし草でありたいと感じる」という言葉が最終回にあり、金沢を離れることを予感させています。

金沢・小立野付近

 '02年5月にKKベストセラーズから刊行された新装版で再読しましたが、装丁も綺麗でたいへん読みやすいものでした。また、巻末の立松和平氏との対談内容も、立松氏がこのエッセイを好きなことを知らなかったこともあり、これもたいへん興味深いものでした(作家というのは一般的には、存命している現代作家のエッセイに対して影響を受けたとかはあまり言わない傾向にあるのではないか)。

風に吹かれて2.jpg【1968年単行本・1973年愛蔵版[読売新聞社]/1972年文庫化[新潮文庫・講談社文庫]/1977年再文庫化[集英社文庫]/1984年再文庫化・1994年改訂[角川文庫]/2002年単行本新装版[KKベストセラーズ]】

風に吹かれて (角川文庫―五木寛之自選文庫 エッセイシリーズ)』 ['94年]

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巨匠の作品でもダメなものはダメ、B級でも面白いも面白い、とする。「乱」はつまらなかった、で意見が一致した。
『最後の映画日記』.jpg最後の映画日記.jpg  乱 デジタル・リマスター版 [DVD].jpg
最後の映画日記』['04年/河出書房新社](表紙イラスト:池波正太郎) 乱 デジタル・リマスター版 [DVD]

  第1部は、'75年から'88年にかけて雑誌等に発表したもので、昔の映画の思い出や、自分の小説の劇化などについて書かれていますが、戦前の映画俳優や役者に対する思い入れが感じられ、また鬼平犯科帳をテレビでやるなら松本幸四郎(当時)でなければ許可しないと言ったなどの話が興味深い(萬屋錦之介ではダメだと)。

 第2部は、'74年から'85年にかけて連載した「映画日記」の単行本未収録分('81年から'82年分)で、60歳になっても芸術作品から娯楽作品まで、この時期公開された映画(リバイバル含む)の試写会を精力的にハシゴしている様子が窺えます。
 大家の作品でもダメなものはダメ、B級に近い作品でも面白いも面白いとし、映画や芝居を見た後でどこで何を食べたかまで全部書いてあるのも、お決まりとはいえ楽しめます。

 第3部はヒチコック、黒澤映画についてのトークと、常盤新平氏との対談など。
 精神分析的要素が入ってたヒチコック分析はさすが。氏は、ヒッチ氏の"気張った巨匠ぶり"がないところが気に入っているようです。
 一方、"巨匠"黒澤明の「乱」を、観客を置き去りにした、ドラマツルギーの無い作品として痛烈に批判していますが、個人的には自分も同じ意見です。海外での評価は高かったようですが、個人的にはイマイチでした。
 

「乱」キャスト1.jpg乱 nakadai.jpg「乱」●制作年:1985年●制作国:日本・フランス●監督:黒澤明●製作:セルジュ・シンベルマン/原正人●脚本:黒澤明/小国英雄/井手雅人●撮影:斎藤孝雄●音楽:武満徹●衣装:ワダエミ●時間:162分●出演:仲代達矢/寺尾聡/根津甚八/隆大介/原田美枝子/宮崎美子/野村武司/井川比佐志/ピーター/油井昌由樹/加藤和夫/松井範雄/伊藤敏八/鈴木平八郎/児玉謙次/渡辺隆/東「乱」井川.jpg郷晴子/南條玲子/神田時枝/古知佐知子/音羽久米子/加藤武/田崎潤/植木等●公開:1985/06●配給:東宝=日本ヘラルド映画(評価:★★☆)

井川比佐志(鉄修理(くろがねしゅり))

《読書MEMO》
●「映画日記」('81年10月から'82年9月)
嵐が丘(ウイリアム・ワイラー監督)、ジズ・イズ・エルビス、007/ユア・アイズ・オンリー、約束の土地(アンジェイ・ワイダ監督)、そして誰もいなくなった、タイム・アフター・タイム、ベリッシマ(ルキノ・ヴィスコンティ監督)、スター・クレージー(シドニー・ポワチエ監督)、秋のソナタ(イングマール・ベルイマン監督)、エクスカリバー、ラブレター(東陽一監督)、皆殺しの天使(ルイス・ブニュエル監督)、イレイザーヘッド(デヴィッド・リンチ監督)、針の眼(ケン・フォレット原作)、愛と哀しみのボレロ(クロード・ルルーシュ監督)、昔みたい(ニール・サイモン脚本・ゴールディ・ホーン主演)、アパッチ砦ブロンクス(ポール・ニューマン主演)、天国の門(マイケル・チミノ監督)、マノン(東陽一監督)、悪霊島(篠田正浩監督)、幸福(市川昆監督・水谷豊主演)、駅(倉本聡脚本・降旗康男監督・高倉健主演)、レイダース(S・スピルバーグ監督)、山猫(ヴィスコンティ監督)、エンドレス・ラブ(フランコ・ゼッフィレッリ監督)、泣かないで(N・サイモン脚本・マーシャ・メイスン主演)、勝利への脱出(S・スタローン主演)、四季(アラン・アルダ監督)、ミスター・アーサー、ジェラシー(ニコラス・ローグ監督)、女の都(フェデリコ・フェリーニ監督)、郵便配達は二度ベルを鳴らす(ジェシカ・ラング主演)、パラダイス・アーミー、告白(ロバート・デ・ニーロ、ロバート・デュバル主演)、マッドマックス2、Uボート、白いドレスの女、ミッドナイトクロス(ブライアン・デ・パルマ監督)、プリンス・オブ・シティ(シドニー・ルメット監督)、ベストフレンズ、アレキサンダー大王(テオ・アンゲロプロス監督)、フランス軍中尉の女、この生命誰のもの、タップス、スクープ(シドニー・ポラック監督・P・ニューマン主演)、終電車(フランソワ・トリュフォー監督)、黄昏(ヘンリー・フォンダ主演)、デュエリスト(リドリー・スコット監督)、鉄の男(A・ワイダ監督)、シャーキーズ・マシーン、フォー・フレンズ、ボーダー(ジャック・ニコルソン主演)、レッズ(ウォーレン・ビーティ主演・脚本・監督)、ザ・アマチュア、人類創世、チャタレイ夫人の恋人、未知への飛行、カリフォルニア・ドールズ、ザ・レイプ(東陽一監督)、さらば愛しき大地、コナン・ザ・グレート、ハンガリアン、キャット・ピープル(ナスターシャ・キンスキー主演)

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文章とのとり合わせで味わい深い、豊富な自筆挿画が楽しめる。

夜明けのブランデー tannkoubon.jpg夜明けの.jpg     夜明けのブランデー 文庫.jpg (表紙イラスト:池波正太郎)
夜明けのブランデー』['85年]        『夜明けのブランデー (文春文庫)』['89年]

 池波正太郎が亡くなったのは'90(平成2)年で67歳でしたが、本書は、'84(昭和59)年から翌年にかけて「週刊文春」に連載した40編のエッセイで、著者61歳から62歳にかけてのものです。

 映画や芝居のこと、食べ物のこと、昔の思い出などが淡々と書かれていて、自身の健康のことや「気学」に凝っている話などもあり、かなり"枯れてきた"感じがしないでもありません。

 この「時代小説」作家が、昔の銀座や下町を愛する一方で、フランスへの強い憧憬を抱いていたこともわかります。

真田太平記 風間完.jpg ショートエッセイ1編につき2点ずつ全部で80の自筆画があって、それらが文章とのとり合わせで、どれも味わい深いものでした。

 『真田太平記』の挿画は風間完画伯によるものでしたが、おせっかいながら、作家本人にこれだけ絵心があると、挿絵画家はやりにくいのではないかという気もしました。

 何れにせよ、一挙に大量の"池波画伯"の絵が楽しめるのが、本書の大きな魅力です。

『真田太平記』(挿画:風間完)

 【1989年文庫化[文春文庫]】

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作者の女性観・仕事観・人生観が滲み出た、最後の「鬼平物」。

乳房1.jpg乳房』('84年/文藝春秋) 乳房.jpg  『乳房 (文春文庫 (い4-86))』 ['08年新装版] (表紙イラスト:池波正太郎)

 問屋女中で19歳のお松は、自分を捨てた男・助蔵の、自分に対する「不作の生大根」という蔑み言葉がトラウマになっていますが、ある日偶然見かけた助蔵の後を追い、部屋に女の気配を見て思わず彼を殺してしまう―。

 本書は「鬼平犯科帳」シリーズ全19巻の「番外篇」としての長編で、作者最後の「鬼平物」ですが(単行本も文庫本も本人による装丁)、中身は逆に、まだ平蔵が盗賊改方になる6年前からの話で、本書前半では平蔵は30代半ばという設定、しかも本作の主人公は明らかに「お松」であると言えます。

 事件は平蔵が盗賊改方になった後に展開していきますが、平行してお松の行く末が気になります―罪の意識によって我欲を捨てることができた女とそうでなかった女、それぞれの結末は...。
 タイトルの「乳房」についての直接的な記述は終盤の1箇所、それとラストの平蔵の言動の内にしかありませんが、何の象徴であるかは、読者それぞれの判断に委ねてよいのではないでしょうか。

 お松が助けられた長次郎の「阿呆鴉」という女衒仕事が単なる女衒ではなく、女性を美人に仕上げる職人であるというのが面白かったですが、作者の願望を反映している気もしました。
 お松が長次郎と再会するところは新国劇みたいで、結果、長次郎の職業的美意識というか、育てた女とは会わないというスタイルの方は崩れるのですが...。

 お松が預けられた倉ヶ谷の旦那というのも粋人で、別の顔をも持ち後半の事件に関わりますが、生き方の美意識のようなものでは貫かれています。
 「狗」(密偵)として生きる岩五郎(おなじみ)も登場し、「いつまで、こうやって生きて行けばいいのだろう...」と呟きながら、後半の事件では肝をすえて危険な任務にあたります。

 長編なので全体にゆったりとした流れで書かれていて、その中に作者の女性観や仕事観、人生観のようなものが、かなり滲み出ている作品という気がしました。

 【1987年文庫化・2008年新装版[文春文庫]】

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さらっと読めてしかも役に立つが、真似だけしてもサマにならないものもある。

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男の作法.jpg
   男の作法 文庫.jpg 『男の作法』新潮文庫
男の作法』(1981/04 ゴマブックス)

 池波正太郎(1920‐1990)が「男を磨く」ということについて50代の終わりに語り下ろしたもので、ゴマブックスの初版は'81(昭和56)年と随分昔ですが、文庫化されロングセラーとなっています。

 書かれていることは、かつては「男の常識」であったことばかりだけれども、"現代"の男たちには実行不可能だろうと、既に新書本の前書きに書いていますが、今でも役立つ部分は多いと思います。ただし、池波正太郎クラスだからそうしたことが自然に出来るのであって、真似しようと思ってもできない、あるいは単に真似だけしても様にならない、というものも多いことは確かです。

soba.bmp 鮨やそばの食べ方、ビールの飲み方など食事のマナーについて書かれた部分が印象に残っていましたが、読み返してみて、スーツ、和服、帽子、時計などの身につけるものにもかなりこだわりがあったのだなあと思いました。どうしてそうすることが良いのかしっかりと理由が書かれていて、かつ全体に押しつけがましさがなく、さらっと読める点がいいです。

 更には、家庭生活や仕事の仕方、男女のことから生き方全般まで、幅広いテーマをとりあげていたことに、改めて気づきました。共通して理解できたことは、他人の気持ちを慮ることができなければダメだということで、マナーもその発露に過ぎないということでした。

 今の世にも、『おとなのOFF』のような中高年向け雑誌を含め、「男を演出する」ためのマニュアル」的雑誌などはありますが、どこまでこうした粋人の精神領域に至っているのか、かなり疑わしいと思われます(あまりその手の雑誌を読まないから分からないのですが)。

【1997年愛蔵版〔ごま書房〕/1984年文庫化[新潮文庫(『男の作法』)]】

《読書MEMO》
●ちゃんとした鮨屋は"通"ぶる客を軽蔑する
●そばは、二口、三口かんでからのどに入れるのが一番うまい
●唐辛子は、そばそのものの上に振っておく
●てんぷらは、親の敵にでも会ったように、揚げるそばからかぶりつく
●わさびは、醤油に溶かさずに、刺身の上に乗せる
●いい肉を使うか、安い肉を使うかで、すきやきの作り方は違ってくる
●肉を四、五枚食べるごとに、割下をかえるのが、ぜいたくなすきやきの食べ方
●おこうで酒を飲みながら、焼き上がりをゆっくり待つのがうなぎのうまい食べ方
●ビールを注ぎ足すのは、具の骨頂
●冷たいビールには、熱い唐揚げのじゃがいもがいい

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粋だけれども枯れてはいないスーパー老人・秋山小兵衛60歳。

辻斬り.jpg 剣客商売(1) 藤田まこと.jpg 池波正太郎.jpg
辻斬り―剣客商売』 新潮文庫〔旧版〕/ドラマ「剣客商売」/池波正太郎(1923‐1990/享年67)

剣客商売辻斬り』['73年]
『剣客商売 辻斬り.jpg 「鬼平犯科帳」や「仕掛人・藤枝梅安」と並ぶ池波正太郎(1920‐1990)の代表作『剣客商売』は、秋山小兵衛(こへい)、大治郎の剣客親子が中心のシリーズものですが、シリーズ全部で1800万部ぐらい売れているというからやはりスゴいことです。

 主人公の秋山小兵衛は60歳で、すでに息子の大治郎に跡を譲り、40歳も年下のおはるを後添えに悠々自適の隠居生活を送りながら、ほとんど暇つぶしと好奇心からいろいろな事件に首を突っ込んでいくというストーリー構成です。

 本書『辻斬り』はシリーズ第2弾で、「鬼熊酒屋」「辻斬り」「老虎」「悪い虫」「三冬の乳房」「妖怪・小雨坊」「不二楼・蘭の間」の7篇を収めていますが、主要登場人物のお披露目も終わってすっかり安定した筆致で、剣豪小説でありながら、江戸下町の情緒(小兵衛は鐘ヶ淵に住み、大治郎は隅田川を挟んで真崎稲荷明神社近くに剣術道場を開いている)や食文化の蘊蓄(当初は肉体労働者しか口にしなかった鰻が、独特の調理法を得て「鰻料理」として流行り始めたのがこの頃だったとか)も楽しめます。

 ガンコ親父の人情を描いた「鬼熊酒屋」、10日で強くしてくれと言う男の話「悪い虫」など、派手な斬り合いの無い話にも味や深みがありますが、「辻斬り」などではしっかり立ち回りしていて、まさに「スーパー老人」ぶり。
 まあ今で言えば"60歳"はまだまだ壮年のうちだが、当江戸時代での60歳と言えばやはり"老人"ということになるでしょう。シリーズ執筆開始時50代前半だった作者の、ある種の理想像なのかも。

「剣客商売 誘拐」.jpg 秋山小兵衛は歌舞伎役者でテレビの「鬼平犯科帳」にも時々出ていた2代目中村又五郎(1914-2009/94歳没)をイメージしたらしいですが、昔のテレビ版の山形勲(1915-1996)の方が最近の藤田まこと(1933-2010/76歳没)よりイメージ的には「粋」の部分で近かったかも(CX系では、加藤剛(1938-2018/80歳没)、山形勲コンビの「剣客商売」(70年代)と藤田まことの「剣客商売」(90年代以降)の間に、加藤剛、中村又五郎コンビの「剣客商売」(80年代)も単発で2度作られており、1つがこの「辻斬り」で('82年12月放映)、もう1つが「誘拐(かどわかし)」('83年3月放映))。

「剣客商売 (かどわかし)」(1983)中村又五郎/加藤剛

剣客商売dvd.jpg ただ、やはり5シーズンに渡って秋山小兵衛を演じた藤田まことのイメージはかなり根強いし、昔のテレビ・シリーズは、加藤剛が演じた息子・大治郎の方が主役になってしまっていますが、原作を読む限り、それはないよ、という感じがします。

 作者はこの『剣客商売』で、「粋」だけれども「枯れ」てはいない老人パワーみたいなものを描きたかったのではないかと思われ、やはり秋山小兵衛をメインに据えるべきだろうと思います(その意味では、藤田まこと版は原作に沿った"正統派"とも言えるか)。
 

「剣客商売」藤田まこと/渡部篤郎
剣客商売第1シリーズ 藤田.jpg剣客商売藤田まこと/渡部篤郎.jpg「剣客商売(1)」●演出:富永卓二/蔵原惟繕/小野田喜幹/酒井信行●制作:河合徹/武田功/佐生哲雄●脚本:古田求/野上龍雄/井手雅人●音楽:篠原敬介●原作:池波正太郎「剣客商売」●出演:藤田まこと/渡部篤郎/大路恵美/三浦浩一/平幹二朗/小林綾子/梶芽衣子/竜雷太●放映:1998/10~12(全10回)●放送局:フジテレビ  ※「剣客商売(2)」1999/12~2003/03(全11回)/「剣客商売(3)」2001/06~07(全5回)/「剣客商売(4)」2003/01~05(全11回)/「剣客商売(5)」2004/02~03(全7回)《全44回》

剣客商売 第1シリーズ《第1・2話収録》 [DVD]

 【1985年文庫化・2002年新装版[新潮文庫]】

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「鬼平犯科張」の記念すべきスタートは平蔵の話よりはむしろ盗賊たちの物語だった。後から付いた「鬼平犯科帳」というタイトル。
池波 正太郎 『鬼平犯科帳』文庫旧.jpg 鬼平犯科帳.jpg 鬼平犯科帳 新装.jpg  「鬼平犯科帳」中村吉右衛門.jpg
『鬼平犯科帳』(文春文庫・旧版) 『鬼平犯科帳〈1〉 (文春文庫)』TVドラマ「鬼平犯科帳」中村吉右衛門
鬼平犯科帳』['68年]
鬼平犯科帳 単行本.jpg池波 正太郎 『鬼平犯科帳』新.jpg 実在した幕府の火付盗賊改方長官・長谷川平蔵(通称「鬼の平蔵」)をモデルにした、池波正太郎(1920‐1990)の代表作「鬼平犯科張」の記念すべき第1巻で、平蔵を始め、お馴染みの主要登場人物の何人かの出自がわかります。

犯科帳 .jpg 平蔵のキャラクターが既にくっきりと描かれてはいるものの、所収の「啞の十三」から「妖盗葵小僧」までの12編はむしろ「盗賊」たちの物語であり、著者自身のあとがきにもあるように、最初は物語の束ね役として平蔵を登場させていたのが、平蔵自身をもっと中心に据えて書こうと思い、単行本化に際して「鬼平犯科張」というタイトルにしたようで、これが長いシリーズの始まりとなったようです(「鬼平犯科帳」というタイトルは、編集者が、岩波新書の『犯科帳-長崎奉行の記録』('62年)から思いついたとのこと)。

 まさか全24巻、文庫本だけで2400万部も売り上げるシリーズ(1冊平均100万部!)になるとは、最初のうちは自分でも思ってなかったようです(ベストセラーと言うよりは、作者の死後もコンスタントに版を重ねているロングセラーですが)。

 盗賊を「盗まれて難儀するものには手を出さず、殺さず、犯さず」を金科玉条とする"盗賊の掟"に適った盗賊と、目的のためには一家皆殺しも厭わない「急ぎ盗(ばたらき)」をする憎むべき盗賊に分けているのが面白かったです。スリにしても、「金持ち以外の人からスリ盗ってはならぬ」などの掟があったとかいうのも何だかいい。

 平蔵は、「小房の粂八」に代表されるように、生来の強盗ではない盗っ人を改心させ、密偵(イヌ)として使うのがうまいのです。この物語での"イヌ"は、裏切り者としての報復の危険に晒されながらも、平蔵に対しての義に奉じ、あるいは"盗賊の掟"を守らない賊に対する義憤にかられ積極的な働きをする、複雑ながらも魅力あるひとつの生き方像になっていると感じます。

松本白鸚 鬼平.jpg この「鬼平犯科帳」は、'69(昭和44)年にCX系列で、長谷川平蔵を八世松本幸四郎(初代松本白鸚)が演じるTVドラマシリーズとしてスタートして好評を博し、第1シーズンだけで64話放映され、'75(昭和50)年の第3シーズンまで120話近く放映されました。さらに、'80年からは、萬屋錦之介(中村錦之助(初代))が2クール(半年)ずつ3シーズンに渡って長谷川平蔵を演じていましたが、'89(平成元)年からは鬼平犯科帳2.jpg「鬼平犯科帳」吉右衛門s1.jpg、二代目中村吉右衛門を主役とするシリーズが始まり、'01(平成13)年まで9シーズンに渡って、レギュラー版だけで130話以上を演じています(実父・松本幸四郎(白鸚)よりも倍近く年数がかかっているが、回数的には父親を超えたことになる)。70年代、80年代、90年代と、それぞれに人気番組であり続けたというのは、やはり、原作の力が大きいとも言えるのではないでしょうか。
鬼平犯科帳 第1シリーズ《第1・2話》 [DVD]
鬼平犯科帳 第1シリーズ.jpg鬼平犯科帳 多岐川.jpg「鬼平犯科帳(1)」●演出鬼平犯科帳 多岐川3.jpg:小野田嘉幹/高瀬昌弘/田中徳三/富永卓二/原田雄一/吉田啓一郎/大洲齋/杉村六郎●制鬼平犯科帳 梶芽衣子.jpg作:能村庸一/桜林甫/佐生哲雄●脚本:小川英/井手雅人/田坂啓/野上龍雄/下飯坂菊馬/安藤日出男/星川清司/櫻井康裕/保利吉紀/安倍鬼平犯科帳 香川照之.jpg徹●音楽:篠原敬介●原作:池波正太郎「鬼平犯科帳」●出演:二代目中村吉右衛門/多岐川裕美/高橋悦史/篠田三郎/尾美としのり/三浦浩一/江戸家猫八/蟹江敬三梶芽衣子/藤巻潤/香川照之/真田健一郎/小野田真之/中村吉三郎/中村吉次/江守徹/沼田爆/長門裕之●放映:1989/07~1990/02(全26回)●放送局:フジテレビ

蟹江敬三(小房の粂八(こぶさのくめはち))/梶芽衣子・中村吉右衛門・多岐川裕美(1998年3月)[スポニチ]
鬼平犯科帳 蟹江敬三.jpg「鬼平犯科帳」3[.jpg「鬼平犯科帳(2)」1990/10~1991/03(全19回)/「鬼平犯科帳(3)」1991/11~1992/05(全19回)/「鬼平犯科帳(4)」1992/12~1993/05(全18回)/「鬼平犯科帳(5)」1994/03~07(全13回)/「鬼平犯科帳(6)」1995/07~11(全10回)/「鬼平犯科帳(7)」1997/04~07(全12回)/「鬼平犯科帳(8)」1998/04~06(全9回)/「鬼平犯科帳(9)」2001/04~05(全5回)(全137話)/「鬼平犯科帳スペシャル」2005~2016(全14回)(通算151話)

鬼平犯科帳スペシャル/山吹屋お勝.jpg鬼平犯科帳スペシャル/山吹屋お勝1.jpg「鬼平犯科帳スペシャル 山吹屋お勝」(2005年2月20日)監督:石原興/出演:(ゲスト俳優) 床嶋佳子/橋爪功/嶋田久作/金田明夫/田中要次/曽我廼家文童/平泉成/吉田栄作

鬼平犯科帳スペシャル/兇賊0.jpg『鬼平犯科帳スペシャル 兇賊』2.jpg「鬼平犯科帳スペシャル 兇賊」(2006年2月17日)監督:井上昭/出演:(ゲスト俳優)小林稔侍/大杉漣/本田博太郎/徳井優/中原果南/伊藤洋三郎/神山繁/若村麻由美 
    
鬼平犯科帳スペシャル/一本眉.jpg鬼平犯科帳スペシャル/一本眉1.jpg「鬼平犯科帳スペシャル 一本眉」(2007年4月6日)監督:小野田嘉幹/出演:蟹江敬三/藤巻潤/梶芽衣子(ゲスト俳優)宇津井健/山田純大/大路恵美/遠藤憲一/火野正平

鬼平犯科帳スペシャル/引き込み女 .jpg鬼平犯科帳スペシャル/引き込み女 2.jpg「鬼平犯科帳スペシャル 引き込み女」(2008年10月17日)監督:酒井信行/出演:(ゲスト俳優)余貴美子/羽場裕一/佐々木すみ江/松金よね子/石倉三郎/七代目市川染五郎
     
 
鬼平犯科帳スペシャル/雨引の文五郎.jpg鬼平犯科帳スペシャル/雨引の文五郎2.jpg「鬼平犯科帳スペシャル 雨引の文五郎」(2009年7月17日)監督:斎藤光正/出演:(ゲスト俳優) 國村隼/賀来千香子/菅田俊/長谷川真弓/上田耕一/田中健/伊東四朗

鬼平犯科帳スペシャル 高萩の捨五郎 .jpg鬼平犯科帳スペシャル 高萩の捨五郎 2.jpg「鬼平犯科帳スペシャル 高萩の捨五郎」(2010年6月18日)監督:斎藤光正/出演:(ゲスト俳優)塩見三省/遠野なぎこ/北原佐和子/若松武史/春田純一/火野正平/津川雅彦

 【1974年文庫化・2000年新装版[文春文庫]】
 

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ユーモアに救われている「河童」。痛々しさがしんどい「歯車」。

1『河童・或阿呆の一生』.jpg『河童・或阿呆の一生』 (新潮文庫) 芥川 龍之介.jpg河童・或阿呆の一生_.jpg Kappa by Akutagawa.jpg
河童・或阿呆の一生』新潮文庫 "Kappa" by Akutagawa

 1925(大正14)年発表の「大道寺信輔の半生」をはじめ、芥川龍之介(1892-1927)の晩年作品を収めた新潮文庫版は、ほかに、「玄鶴山房」、「蜃気楼」、「河童」、「或阿呆の一生」、「歯車」を所収していますが、この4篇は、芥川が亡くなった1927(昭和2)年に発表されたものです。

河童・或阿呆の一生2.jpg この中で最も一般に親しまれているのは、彼の命日を"河童忌"と呼ぶぐらいだから、「河童」でしょう。
 河童の国に行った男の話ですが、その話が精神病者の口を通して語られるという枠組みは、夢野久作の『ドグラ・マグラ』を想起させます。
 穂高山を登山中の男がひょんなことから河童の国に迷い込むという前半のシュールな感じがいい。そして次第に、擬人化された河童の社会を通しての、作者自身が置かれた社会に対する風刺が主となります。そこには、資本主義の足音、国家権力による統制強化の予兆が感じられ、人口統制によって仕事に溢れた河童は食用に屠殺されてしまうなどといった設定は、近未来SFのようでもあります。

新潮文庫 〔初版〕

 「大道寺信輔の半生」を読むと、青年期までの自己の精神史とも言えるこの自伝的作品の中で、西洋世紀末の文芸の感化とは別に、プロレタリア運動の影響も感じられ、それがその2年後に発表した「河童」における資本家や国家権力者の戯画化などにも現れているようです。
 しかし「河童」では、芸術家も同じように揶揄されていて、結局この世のものはみんな(自分も含め)唾棄すべきものばかりという厭世感もあり、そう、これも芥川が自殺した年の作品であることには違いないなあと.。

 それでもまだ、ほのぼのとしたユーモアと、作者の視線が外界に向けられていることに救われている「河童」に比べ、「或阿呆の一生」は、「大道寺」と同じく自伝的ですが、詩的であったり寓意的であったりもする51の断章は、自身の〈漠然とした不安〉を対象化するための切羽詰まった努力ともとれ、「歯車」に至っては、ただもう死ぬことのみを希求する自身の意識の流れを"自己精神病理学"的に綴っている感じもします。

 両作品とも「河童」より研ぎ澄まされていて芸術性も高い、ということになるのかも知れませんが、この「痛々しさ」(特に「歯車」)に寄り沿うのはかなりシンドイ。但し、誰かがビジネスパーソンは「歯車」のような「後ろ向きの作品」は読んではならないとか書いていましたが、それはどうかと思います。

 【1950年文庫化・2003年改版[岩波文庫(『河童 他二篇』)]/1966年再文庫化[旺文社文庫]/1968年再文庫化・1989年改版[新潮文庫]/1969年再文庫化[角川文庫(『或阿呆の一生・侏儒の言葉』)]/1972年再文庫化[講談社文庫(『河童、歯車、或阿保の一生』)]/1992年再文庫化[集英社文庫(『河童』)]】

1927年 河童 芥川龍之介.jpg《読書MEMO》
●「大道寺信輔の半生」...1925(大正14)年発表
●「河童」...1927(昭和2)年発表★★★★☆「どうかKappaと発音して下さい」
●「或阿保の一生」...1927(昭和2)年発表★★★★☆「人生は一行のボオドレエルにも若かない」
●「歯車」...1927(昭和2)年発表★★★★「僕は芸術的良心を始め、どう云う良心も持っていない。僕の持っているのは神経だけである」

新潮文庫(2009)

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「わたしは良心を持っていない。持っているのは神経ばかりである」と。

侏儒の言葉.gif       侏儒の言葉.jpg          侏儒の言葉・西方の人.jpg
侏儒の言葉 (岩波文庫 緑 70-4)』旧版/『侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な (岩波文庫)』改定版/新潮文庫

 1923(大正12)年に創刊された「文藝春秋」の創刊号から連載された芥川龍之介(1892-1927)の箴言集で、新潮文庫版では、3年間続いた連載の打ち切り後に死後発表された部分が〈遺稿〉として区切られています。

侏儒の言葉.bmp 「侏儒の言葉」は、以前読んだときには、芥川の思想が凝結されているような気がして、文学というのは贅肉をそぎ落としていくと最後は思想になっちゃうのかなと思ったりしたのですが、後世の文芸評論家のこの作品に対する評価は今ひとつのようで、「西方の人」と併録されている新潮文庫版の解説では、「西方の人」を買っているわりには「侏儒の言葉」に対しては、「断片的に捕らえられた"人生"とか"神"とかは、結局は言葉の問題に過ぎなくなっており、そこに芥川の晩年の問題が露呈されている」としています(岩波文庫の解説の中村真一郎は、そのことを踏まえながらも高い評価をしている)。

『侏儒の言葉』 (1927(昭和2)年/文藝春秋社)

 「『侏儒の言葉』は必ずしもわたしの思想を伝えるものではない。ただわたしの思想の変化を時々窺わせるのに過ぎぬものである」と〈序〉にもあり、今思えば、断想集に近いものと言ってよかったのかも知れません。
                                  
 「道徳は常に古着である」
 「忍従はロマンティックな卑屈である」
 「人間的な、余りに人間的なものは大抵は確かに動物的である」
 「我我は一体何の為に幼い子供を愛するのか? その理由の一半は少くとも幼い子供にだけは欺かれる心配のない為である」
侏儒の言葉.jpg 「最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである」
 等々、逆説的な社会風刺と遊戯的なレトリックが入り混じった感じですが(有名な「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うには莫迦々々しい。重大に扱わなければ危険である」などもそう)、もっと自分の感性をダイレクトに書いているようなのもあり、
 「モオパスサンは氷に似ている。もっともときには氷砂糖にも似ている」
 なんて言われてもちょっとねえという感じも。

 「わたしは良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである」
 彼が最も信じていたのは自分の「神経」であり、最後にはこの言葉に帰結するのかもと思いましたが、普通の人間でも時としてこういう気分になることがあるかも。

侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な (岩波文庫)

 【1932年文庫化・1950年改版・1968年改版・2003年改版[岩波文庫(『侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な』)]/1968年再文庫化[新潮文庫(『侏儒の言葉・西方の人』)]/1969年再文庫化[角川文庫(『或阿呆の一生・侏儒の言葉』)]/1981年再文庫化[旺文社文庫(『羅生門、鼻、侏儒の言葉 他』)]】

《読書MEMO》
●「侏儒の言葉」...1923(大正12)年〜1927(昭和2)年発表

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「年少文学」と言われる作品群だが、「杜子春」などのラストは秀逸。「蜜柑」も印象に残った。

i蜘蛛の糸・杜子春.jpg蜘蛛の糸・杜子春.jpg    蜘蛛の糸・杜子春2.jpg
蜘蛛の糸・杜子春』 新潮文庫〔旧版〕 新潮文庫〔新版〕(カバー・南伸坊)

 1918(大正7)年に発表された芥川龍之介(1892-1927)のはじめての児童文学作品「蜘蛛の糸」をはじめ、「魔術」「杜子春」「トロッコ」など、所謂 「年少文学」と言われている作品10篇が、発表順に収められています。

蜘蛛の糸  アイ文庫オーディオブック.jpg 「蜘蛛の糸」はあまりに有名なストーリーで、小松左京のショートショート(「蜘蛛の糸」―『鏡の中の世界』('78年/角川文庫)所収)やアクションアドベンチャーゲーム「ゼルダの伝説スカイウォードソード」(2011)にパロディもあるぐらい、一方「杜子春」は、読み直してみて改めてラストの仙人の粋な計らいが良く、少年の好奇心と恐怖体験を描いた「トロッコ」も、白い犬があることをきっかけに"黒い犬"になってしまうことにより経験する不条理を描いた「白」も、テーマは別だけれども同じようにラストがいいです。 何かこう「うまい」だけではなく、ほんわりさせられたり、結構深いものがあったりで、短篇小説はやはりラストが決め手になることが多いなあと。
[オーディオブックCD] 芥川龍之介 著 「蜘蛛の糸」「鼻」「蜜柑」(CD1枚)

魔術 パンローリング.jpg 教科書で読んだ記憶はありますが〈国語〉ではなく〈道徳〉の教科書でだったような気もする魔術などのように、道徳的・倫理的とも言える寓意が込められているものが結構あり、童話の要諦を押えているという感じですが、話のネタ元の豊富さとその加工においても随一でしょう。
[オーディオブックCD] 芥川龍之介 01「魔術」 (<CD>)
 芥川は当初作家ではなく文学者になるつもりだったらしく、西洋文学を完全に自分のものとして消化した最初の作家と言われていますが、それでいて中国や日本の古典からも多くを引いていて、未だどこから持ってきのか、ネタ元がよくわからないものもあるそうです。                  

蜜柑.jpg たった数ページの掌編「蜜柑」は、こうした寓話的作品群のなかで少し異色で、すごく印象に残りました(ラストが決め手という点では、他の作品に通じるものがあるが)。
 偶然、汽車に同乗した薄汚い少女が、汽車がトンネルに差し掛かっているのに必死で窓を開けようとするので、主人公はイラつくが、しかし最後は、その理由がわかり―。
 芥川の実体験らしいですが、プロレタリア文学の影響もあるのでしょうか。ヒューマン・タッチですが、最後に持つ者と持たざる者の立場が逆転しているようにもとれました。

アイ文庫オーディオブック「蜜柑」

 芥川の短篇のいくつかは、現在"オーディオブック"として刊行されているので、通勤途中にiPodなどで聴くのもオツかも。

魔術.jpg 【1968年再文庫化[新潮文庫]/1990年再文庫化[岩波文庫(『蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他十七篇』)]/1997年再文庫化[中公文庫(『羅生門 蜘蛛の糸 杜子春 外十八篇』)]/2005年再文庫化[ポプラポケット文庫(『蜘蛛の糸』)]/2011年再文庫化[280円文庫(ハルキ文庫)(『蜘蛛の糸』)]】

《読書MEMO》
●「蜘蛛の糸」...1918(大正7)年発表
●「犬と笛」「蜜柑」...1919(大正8)年発表
●「魔術」「杜子春」...1920(大正9)年発表
●「トロッコ」「仙人」...1922(大正11)年発表
●「白」...1923(大正12)年発表

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脳の神秘、リハビリの心得、医療への提言、そして感動。

壊れた脳 生存する知.jpg 壊れた脳 生存する知 KCデラックス.jpg  金曜プレステージ『壊れた脳 生存する知』.jpg  壊れた脳 生存する知 bunnko.jpg
壊れた脳 生存する知』〔'04年〕『壊れた脳 生存する知 (KCデラックス)['07年] フジテレビでドラマ化「壊れた脳 生存する知」('07年1月19日放映)主演:大塚寧々『壊れた脳 生存する知 (角川ソフィア文庫)』['09年] 

 「モヤモヤ病」という奇病を学生時代に発症し、3度にわたる脳出血の後遺症として高次脳機能障害を負った女性医師の闘病記。
 高次脳機能障害というのは、病気や事故によって脳に損傷を受けたために、思考、記憶、学習、注意といった人間の脳にしか備わっていない次元の高い機能が失われる症状のことで、この著者の場合だと、今話したことを忘れてしまう、物を立体的に見ることができない、左半身の麻痺、自分の左側の空間に注意を払えない、といった症状が見られています。
但し、知能の低下はなく、日常生活の些細なことを失敗する自分のことは認識できてしまうために、その分辛い障害であると言えます。
 しかし、医師である著者は、そうした認知障害などの心の障害を、自らの"壊れた脳"との対応関係において冷静に分析していて、本書は闘病記であると同時に、脳の神秘を示す貴重な記録にもなっています。

 全編を通して前向きでユーモアに満ちた明るい姿勢が貫かれていて、リハビリに取り組む人には障害へ向き合う姿勢を示唆し、一般読者には元気を与えてくれます。
 一方で、今も老人保健施設で医療に携わる立場から、認知症などに対する社会環境や医療現場、家族やセラピストへの提言も多く含まれています。
 リハビリのためにクルマの運転や速聴速読、百マス計算にまで取り組む著者のバイタリティに感服する一方、脳機能障害は、「ガンバレ」と言われて「ハイ」と頑張れるようなものでもないという難しい面があることも教えられます。

 脳科学に関する本を何冊か読んだ流れで本書を手にし、自らの障害を対象化し科学的に捉えた内容に興味深く読み進みましたが、最後にこの本が出来上がるまでの長い道程を知り、さらに著者が息子に宛てた手紙を読んでジ〜ンときました。

 【2009年文庫化[角川ソフィア文庫]】

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並外れた精神力とジャーナリストとしての強い使命感に感銘。

『「死への準備」日記』 .jpg千葉2.jpg 千葉敦子2.jpg 千葉敦子(1940-1987)
「死への準備」日記』 朝日新聞社 ['87年]  『「死への準備」日記 (文春文庫)

 本書は、ニューヨーク在住のジャーナリストであった著者が、ガンで亡くなる'87年7月の前の年11月から亡くなる3日前までの間の、著者自身による記録です。

 3度目のガン再発で、著者の病状は刻々と悪化していきますが、その状況を客観的に記し、ただし決して希望を捨てず、片や残り少ない時間をいかに一日一日有意義に使うかということについて、まるで"実用書"を書くかのように淡々と綴る裏に、著者の並外れた精神力が感じられます。
 また読む側も、"今"という時間を大切に生きようという思いになります。

『乳ガンなんかに負けられない』.jpg 抗ガン剤の副作用に苦しみながらも、常に在住するアメリカ国内や世界の動向を注視し、少しでも体調が良ければ仕事をし、友人と会食し、映画や演劇を鑑賞する著者の生き方は、現代の日本の終末医療における患者さんたちの状況と比べても大きく差があるのではないかと思います。

 死の3日前の最後の稿にある、「体調が悪化し原稿が書けなくなりました。申し訳ありません」との言葉に、彼女のジャーナリストとしての強い使命感を感じました。

 【1989年文庫化[朝日文庫]/1991年再文庫化[中公文庫]】

《読書MEMO》
●善意の洪水に辟易する(29p)
●私は「死を見つめる」よりも、「死ぬまでにどう生きるか」のほうにずっと関心がある。死について考えろ、とあまり強要しないでほしい。(54p)
●死が遠くないと知ったら、寂しさや悲しさに襲われるはず、と決めてかかる人が多いが、これは迷惑だ。(55p)
●エンド―フィン(129p)

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「●「死」を考える」の インデックッスへ

「対決する文化」と「対決を避ける文化」の違いが現れる終末医療。

よく死ぬことは、よく生きることだ.jpgよく死ぬことは、よく生きることだ』 〔'87年〕 よく死ぬことは、よく生きることだ2.jpg 『よく死ぬことは、よく生きることだ (文春文庫)』 〔'90年〕 

 著者は1981年に乳ガンの手術をし、'83年にニューヨークへ転居、'87年にガンにより亡くなっていますが、その間ジャーナリストとして日米の働く男女の生き方の違いなどを取材し本にする一方で、精力的に自己の闘病の模様を雑誌等に連載し、この本は闘病記としては4冊目ぐらいにあたるのでしょうか、最後に書かれた『「死への準備」日記』('87年/朝日新聞社)の1つ前のもの、と言った方が、書かれた時の状況が把握し易いかも知れません。

 著者が亡くなる'78年7月の前年10月に上智大学に招かれて行った「死への準備」という講演と、3度目のガン再発後の闘病の記録を中心にまとめられ、亡くなる年の4月に出版されていますが、自身の病状や心境についての冷静なルポルタージュとなっています。

 特に前半は、現地のホスピス訪問の記録を中心に纏められていて、まるでO・ヘンリーの小説のような、或いは映画にでもなりそうな感動的なエピソードも盛り込まれていますが、あくまでもジャーナリストとしての視線で書かれているのが良くて、一方で、米国の終末医療全般の状況報告と日本の患者や医療への提言も多く、また、最近言われる「患者力」(何でも"力"をつければいいとは思いませんが)の先駆的な実践の記録としても読めます。

 病状について説明を求めるのはある意味「患者の責任」であり、ホスピスで周囲の人が死んでいくのを見ることは患者にとっての「死への準備」教育となる、という米国の医療のベースにある「対決する文化」と、患者は医師に従順で、医師は告知をためらいがちな「対決を避ける」日本の文化の違いがよくわかり、ジャーナリストとしての姿勢を貫き通した一女性の、稀有なルポルタージュだと思います。

 【1990年文庫化[中公文庫]】

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着眼点はユニークだが、あくまでも著者の推論とみた方がよい部分も。

天才はなぜ生まれるか.jpg 『天才はなぜ生まれるか』 ちくま新書〔'04年〕 ウォルト・ディズニー (1901-1966).jpg ウォルト・ディズニー

 歴史上大きな足跡を残した何人かの人物に注目し、彼らには広義の意味での学習障害(LD)があり、それが彼らの業績と密接な関係があったと―。とり上げられているのは、エジソン(注意欠陥障害)、アインシュタイン(LD)、レオナルド・ダ・ヴィンチ(LD)、アンデルセン(LD)、グラハム・ベル(アスペルガー症候群)、ウォルト・ディズニー(多動症)の6人です。

 昔から天才の病跡学というのはあり、アリストテレスも「天才病理説」を唱えていたように思いますが、本書のユニークな点は、"天才"とは対義的とも思える学習障害に焦点を当て、障害があったからこそ偉業を成し得たとしているところです(LDであることが天才の要件であるとは言えないでしょうけれど)。
 例えばエジソンがそうだったという注意欠陥障害というのは、意識を次々違った対象に移動させるのが困難な障害ですが、いったん注意が向くと人並み外れた集中力を発揮すると。

 彼らは、最初は学校などで落ちこぼれでしたが、やがて頭角を現した―。
 一方で、日本の学校教育の画一主義や社会にまで及ぶ画一性は、こうした異才を見過ごしてしまうのではないかという著者の危惧には頷かされます。

 ただし、過去の人物の様々な仕事や言行の一端だけを拾って障害を推測している部分もあり、これらはあくまでも著者の推論とみた方がよいでしょう。
 突っ込みを入れたくなる記述は多いけれど、突っ込む前に1章が終わってしまう感じで、1人1人の掘り下げはやや浅い気がしました。

ウォルト・ディズニー。.jpg蒸気船ウィリー.jpg それでも、ミッキーマウスの初期のドタバタ・キャラが、ウォルト・ディズニーの多動性がそのまま投影されたものであるとか、パーク内を徘徊してゴミを拾うのがウォルトの性癖だったという話は面白くは読めました。

ウォルト・ディズニー(1901-1966)。
同じ年に4部門でアカデミー賞受賞(最多記録)。
ディズニーは1953年の4作品―「砂漠は生きている」で長編ドキュメンタリー賞、「民族と自然/アラスカのエスキモー」で短編ドキュメンタリー賞、「プカドン交響楽」で短編映画賞、「熊の楽園」で短編二巻賞をそれぞれ受賞。また個人でのノミネート数(59回)と受賞回数(22回)でもそれぞれ最多記録を保持している。

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ADHDをわかりやすく解説。学級崩壊に悩む教師にも読んで欲しい。

のび太・ジャイアン症候群〈2.jpg 『のび太・ジャイアン症候群〈2〉―ADHD これで子どもが変わる』 (1999/02 主婦の友社)

 前著『のび太・ジャイアン症候群』('97年)は、注意欠陥・多動性障害(ADHD=Attention-Deficit Hyperactivity Disorder)のうち注意欠陥が顕著なタイプを「のび太型」(集中力・忍耐力に乏しく、不注意、過敏で傷つきやすい)、多動性が顕著なタイプを「ジャイアン型」(衝動的で、落ち着きがなく、感情の起伏が激しい)とし、教室によくいるいじめっ子といじめられっ子が、実は同根の障害である可能性があることを示唆したものでした。

 そのわかりやすい説明から多くの読者を得た本でしたが、それだけそうした特質を備えた子どもを持ちながらも原因がわからず悩んでいた親が多かったということでしょうか。
 行為障害の子どもが引き起こすイジメは故意であるけれど、ADHDの場合、わざとではなく結果的に人を傷つけてしまうという点が特徴であり、誤解されやすい。
 またADHDの原因は遺伝性の脳機能障害であると考えられていて、原因がわからないままにそれを、家庭でのしつけが悪かったせいなのかと思い込んでいた親も多かったようです。

 本書では、実際に日本の幼稚園や小学校においてそうした子どもがかなりいると考えられることをデータにより示すとともに、治療の実際(カウンセリングなど家族も含めてケアする一方で、薬が有効な場合は積極的に薬を処方するというのが著者の考え)や、前著で触れていた親として、あるいは教師としての対処方法などをさらに詳しく述べるとともに、親の学校に対する対処の仕方などにも触れています。

 著者はもともと実験病理学者で、米国で子育てしているうちに日米の子育てに対する考え方の違いを実感するとともに、自分(!)と自分の子どもが注意欠陥・多動性障害(ADHD)であることを認識し、今はADHD専門のクリニックを開いている医師です。

 このシリーズは、本書以降も、外見的症状の似たアスペルガー症候群について解説したものや、家族のADHD・大人のADHDにウェイトを置いたものなどが出されていますが、本書と『のび太・ジャイアン症候群〈3〉-ADHD子どもが輝く親と教師の接し方』('03年)は、一部の児童が授業中に徘徊することなどが原因で学級全体が落ち着いて授業できる雰囲気にないような、そのようなタイプの学級崩壊で悩んでいる教師に、特に読んで欲しい内容だと感じました。

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絵本のようなスタイルで、子ども向けにLDをわかりやすく解説。

LD(学習障害)の子どもたち.jpgLD(学習障害)の子どもたち (子どものためのバリアフリーブック―障害を知る本)』〔'98年〕 

Tom Cruise and Dustin Hoffman together.jpgTom Cruise.bmp 本書でも紹介されていますが、自閉症者を描いた映画「レインマン」で弟役を演じたトム・クルーズは、自らがLD(学習障害)だったためにこの映画へ是非出たいと申し出たとのこと。
 彼は子ども時代、識字障害のため特殊な学級で学んだ(bとd、pとqの区別がつかず、教科書が読めなかった)とのことですが、あのアインシュタインもエジソンも実はLDで、学校に行かなかったり、大学は無試験のところを選んだりしている―。
 では、LDとは何なのか、それを子ども向けにわかりやすく解説したのが本書です。

 絵本のようなスタイルで40ページに満たない本ですが、LDの意味やその特徴、知的障害や自閉症との違いやそれらとの関係が、図やイラストで要領よく解説されています。

 LD(Learning Disabilities)は「知能」障害ではなく、「認知」機能の一部の障害に起因するもので、「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算する」「推論する」などの、ものごとの学習に必要な基礎的なところで、それらの幾つかにおいて躓きを生じるものであることがわかります。
 脳を知識の整理ダンスだとすると、その引き出しの内、学習に使う一部の引き出しが使いにくくなっているのがLDであるとの説明はわかりやすいものです。

 早期発見のポイントや勉強の教え方などにも触れられており、また、1クラスに1人はいるというLDの子どもとの、友達としての接し方も述べられています。

 米国などではこうした"児童書"が多く出版されていて、以前から学校の図書館などに配置されていますが、日本ではまだまだこうした本は少ないのではと思います。
 最後の方にLDを乗り越えてテニスコーチになった青年の話がありましたが、読む者に勇気を与えるとともに、ああ、やはり米国で障害児教育を受けた人だったのだなあ(仕事も現地でやっている)という思いはありました。

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新書という体裁に沿った、軽度発達障害のわかりよい入門・啓蒙書。

磯部 潮 『発達障害かもしれない』 (2).JPG発達障害かもしれない.jpg
発達障害かもしれない 見た目は普通の、ちょっと変わった子 (光文社新書)』 〔'05年〕 

 本書は、主に高機能自閉症、アスペルガー症候群という軽度発達障害を世の中に広く知ってもらうことを目的とした本ですが、概念の説明、症状、LD(学習障害)やADHD(注意欠陥多動性障害)との違い、それらのケースの紹介と対応する治療をわかりやすく示しています。

 著者自身はLD、ADHDを"発達障害"の定義に含めるべきではない(もちろん、自閉症、高機能自閉症、アスペルガー症候群を指す"自閉症スペクトラム"には含まない)という近年の研究動向に沿った考え方ですが、LD、ADHDも高機能群に重複することがあるために敢えて本書で取り上げていて、それは、もし高機能群であればそれに沿った療育が不可欠で、そのことがまたLD、ADHDにも良い影響を与えると言う考えに基づくものです。

 外から見えない障害である自閉症スペクトラムは、実際にそうした人に関わらないとわかりにくいものだとエピローグで述べていますが、後半部分の高機能自閉症、アスペルガー症候群、LD、ADHDのそれぞれのケーススタディは、年齢的な経過を追って書かれていて、親からはどう見えたか、どういったことで苦労したかなども添えられていてわかりやすく、また、症状が固定的なものでなく適切な対応や療育によって改善されていくことを示しています。

 "社会性の障害"である自閉症スペクトラムへの対応の仕方を丁寧にアドバイスしていて、一方で、いじめや被害妄想が早期療育の効果を損なうこともあるとも指摘しており、自閉症スペクトラムの人たちの障害が早期に認識され、できるだけ早期に療育され、将来健常者に近いかたちで社会参画できることを期待する著者の気持ちが伝わってくる内容です。
 
 同じ光文社新書の前著『人格障害かもしれない』('03年)では、芸術家などの症例への当て込みにやや恣意的ではないかと思われるものを感じましたが、本書は直近の研究成果と著者の臨床経験をベースにしたバランスのとれた内容で、多くの人に触れる機会の多い「新書」という体裁にも沿った、適切なレベルの入門書であり啓蒙書であると思います。

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療育支援の手引きとしても、入門書としても良書。

広汎性発達障害の子どもたち.jpg 『広汎性発達障害の子どもたち―高機能自閉症・アスペルガー症候群を知るために』〔'04年〕

 広汎性発達障害(高機能自閉症・アスペルガー症候群)の子どもの療育と支援について多くの示唆を含んだ本です。

高機能広汎性発達障害 アスペルガー症候群と高機能自閉症.gif この本の5年前に同じ ブレーン出版から出た高機能広汎性発達障害-アスペルガー症候群と高機能自閉症』(杉山登志郎・辻井正次共著)も名著ですが、本書はより平易に書かれていて、かつ、著者ら主催のアスペ・エルデの会の実践活動を通しての成果を含め最新の研究成果が反映されたもの言えます。
 自閉症スペクトラムの4分の3は知的障害が無いというのはある意味驚きであり、「診断」の重要性を感じます。

 軽度発達障害の場合、「普通」の子どもたちの中に置いておけば成長するものではなく、普通学級に入れることで二次障害を重ねる危険性もあるという著者の指摘は、「普通学級」に入れるということが目的化しがちな療育現場において、子どものために本当に大切なことは何かを先々にわたり考えなければならないことを示しています。

 療育支援の手引きとなる本ですが、自閉症の入門書としても読むことができるので、広くお薦めします。

《読書MEMO》
●「普通」の子ども達のなかに置いておけば成長する、ということはない(34p)
●軽度発達障害は普通学級に入ることで二次障害を重ねる危険性も(35p)
●自閉症スペクトラム(社会的不適応のないものを含む)>広汎性発達障害(自閉的傾向を含む)>〔非定型的自閉症・アスペルガー症候群・自閉症(高機能自閉症含む)〕(47p)
●"高機能"はIQ70以上(70以下は人口2.3%、実数はもっと多い、自閉症の半分が70以下、自閉症スペクトラムの3/4は知的障害がない)(48p)
●欠点を克服しなければ...というスタンスではなく、自分はうまくいっているという感覚を育てる。人生を楽しむ、余暇支援は大事(167p)
●有名私立中学・高校や有名大学には多くのアスペルガー症候群の青年がいる(176p)
●大学でトラブルを起こすことが多い。うまくいくのはアニメ同好会や鉄道研究会の中(177p)
●『フォレスト・ガンプ』の例...「僕は兵隊にはまった」→実際には自衛隊にはなかなか入れない(180p)

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知的関心を惹く考察だが、入門書としても一通りは網羅している。

1アスペルガー症候群と学習障害.pngアスペルガー症候群と学習障害.jpgアスペルガー症候群と学習障害―ここまでわかった子どもの心と脳 (講談社プラスアルファ新書)』〔'02年〕

 本書は前半部分で子どもの心の発達や知能の構造について述べ、後半部分で最近一般にもその名が知られ、わが子もそれではないかという親が増加しているアスペルガー症候群と学習障害について解説しています。

 前半部分ではソーシャルスキルの発達を中心に「心の理論」などを解説する一方、最近の認知心理学や脳科学者・澤口俊之氏の仮説を引き、知能の多重構造とワーキングメモリーの関係を説いています。
 この部分が本書の特徴の1つであり、アスペルガー症候群や学習障害はワーキングメモリーや知能モジュールの機能不全ではないかというのが、"発達のムラ"に対する著者の考察です。

 後半部分のアスペルガー症候群、学習障害の解説も丁寧で、やや専門的な部分もありますが、分かりやすい事例もとり上げられていています。
 高級レストランで客を待たせても謝らないボーイに対して「ふーん、さすがに高級レストランだね」と客が言ったのをそのまま真に受ける―とか。

 「気づかれずに増えている」と帯にありましたが、著者の主張では障害そのものが増えているのではなく、ソーシャルスキルを獲得する社会の受皿が減って、今まで気づきにくかった障害が目立つようになったということなので、このキャッチはやや違うのではないかと思いました。

《読書MEMO》
●サリーとアンの課題(55p)
●ウィリアムズ症候群-大部分、精神遅滞があるのに言語遅滞がない。「妖精様顔貌」(77p)
●サバン症候群(89p)/●ワーキングメモリー(91p)/●カナー型(106p)/●クレーン現象(108p)
●神経伝達物質セロトニンの濃度が高い(120p)
●高級レストランで客を待たせても謝らないボーイに対して「ふーん、さすがに高級レストランだね」と客が言ったのを、そのままにとる(132p)

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自分を「この私」として「ここ」に定位することができないという特徴。

『自閉症の子どもたち』.JPG自閉症の子どもたち.jpg
自閉症の子どもたち―心は本当に閉ざされているのか (PHP新書)』〔'01年〕 

 自閉症についての基本的知識が得られる入門書ですが、同時に、著者が多くの臨床経験を通じて得た深い考察に触れることができます。

 自閉症児は絶えず他者からの侵入を恐れていて、その症状は防衛の手段である、とする著者の考えは、R・D・レインの反精神医学を想起させます。
 レインの場合、自閉症ではなく精神分裂病(統合失調症)の患者に特徴的な行動に対する解釈なわけですが...。

 著者は自閉症児の特徴として、自分を「この私」として「ここ」に定位することの困難を指摘し、そのため「身体」、「空間」、「言葉と時間」の感覚に障害を生じているとしています。
 身体感覚の喪失や指さしが出来ない、指示代名詞が使えないなどの特徴は、療育に携わっておられる方なら目の当たりにしたことがあるのではないでしょうか。

 著者の考察は「自己」とは何かというところまで及び、読者の知的好奇心を刺激してやみませんが、そのためだけに書かれた本ではなく、その都度、自説に沿った治療のあり方(適切さ・一貫性・柔軟性)を提示していることからも、自閉症児が人と関わることの快さを感じられるようにしたいという著者の熱い思いが伝わってきます。

《読書MEMO》
●『レインマン』過去の飛行機事故をすべて記憶していて搭乗を嫌がる(29p)
●アスペルガー...IQと言語が正常で、コミュニケーションの質に障害がある(36p)
●自閉症児は絶えず他者から侵入されることを恐れている。自閉症児の示す多様な症状は、自己を他者の侵入から守ろうとする防衛手段である(39p)
●自分の身体が自分でない状況(101p)
●癒着的一体化(104p)クレーン現象など
●自分を「この私」として「ここ」に定位することができない(150p)

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是非多くの人に味わってもらいたい「てる君の連続画」の衝撃。

発達障害の豊かな世界.jpg              杉山登志郎.jpg杉山登志郎・静岡大学教授(児童精神科医)
発達障害の豊かな世界』 ['00年/日本評論社] 

発達障害の豊かな世界12.JPG 本書を読み始めて先ず驚かされるのは、18歳になった自閉者が、幼稚園時代のある1日を千数百枚の連続画として描き続けた「てる君の連続画」です。
 自閉症児の特徴の1つ、タイムスリップ現象の如実な具体例ですが、人生において記憶とは何か、ということを思わざるを得ません。

 著者はこれを「障害を生き抜いてきて証し」と捉えています。
 本書を一般向けでありながらも自らのライフワークと位置づける著者にとって、われわれに人間の持つ未知の可能性を示すことさえある自閉症児の「豊かな世界」の一例として、是非紹介しておきたい事例だったのだと思うし、実際その訴求力は感動的と言ってよいかと思います。

 内容的にも、自閉症、アスペルガー症候群、ダウン症候群、ADHD、トゥーレット症候群など広範囲の発達障害について、それぞれに臨床例を示し、その特徴と治療・対応を述べ、就労の問題についても事例をあげて言及しています。
 入門書として読みやすいうえに、療育に携わる関係者には大いに役立つものと思います。

《読書MEMO》
●てる君の連続画(就職して1年後、10年間にわたり幼稚園での1日を描く)
●時間が横すべりする(普通高校の授業中に、保育園で自分だけに過配保母がついていたことを思い出して泣き出す(24p)
●ADHDに対するリタリンの効用(167p)

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高機能広汎性発達障害の理解と療育・支援のための優れた参考図書。

高機能広汎性発達障害 アスペルガー症候群と高機能自閉症.gif 『高機能広汎性発達障害―アスペルガー症候群と高機能自閉症』 (1999/08 ブレーン出版)

 本書は「高機能広汎性発達障害」の診断、成長段階ごとの発達援助、治療教育などについて扱っていますが、特徴として、
 ◆この障害特有の複雑な臨床像を多岐にわたり具体的に示している、
 ◆乳幼児期から社会生活上の問題を含む青年期までの支援方法が具体的に示されている、
 ◆個別の治癒教育プログラムの必要性を指導事例と併せて説いている、
 といったことがあげられます。

 発達にムラがある障害と言われても一般の人にはわかりにくいと思いますが、本書は、医学・心理学的分析にとどまらず、理解の助けとなる臨床例が豊富です。
 更には支援のためのアイデアなども具体的で、両親が抱える精神面での問題への対処法にも言及しています。

 著者らが主催する「アスペの会」の活動を通しての研究・実践の集大成とも言えるもので、これまで活動に取り組んでこられた方々に敬意を表すとともに、療育・支援に携わる人たちに是非とも役立ててほしい本だと思います。

《読書MEMO》
●自閉症候群は裾野の広い山(自閉症の山=自閉症スペクとラム・広汎性発達障害(59p
●バロン=コーエン「サリーとアンの課題」心の理論(65p)
●ウィングによる3類型-孤立型・受動型・積極奇異型(105p)
●マルオの事例(129-137p)
●IQ75以下の場合...できる教科は普通学級で受けることは当然だが、特殊学級で基本的学習に取り組む必要も。高学年になって「お客さん」しているのはよくない(159p)

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重度自閉症の娘を持つ精神医学者による自閉症のベスト入門書。

自閉症スペクトル14.JPGLorna Wing.png 自閉症スペクトル.jpg The Autistic Spectrum.jpg
Lorna Wing
自閉症スペクトル―親と専門家のためのガイドブック』〔'98年〕
"The Autistic Spectrum: A Guide for Parents and Professionals"

 著者のローナ・ウィング(Lorna Wing、1928-2014)は、精神医学者であるとともに重度自閉症の娘の母親でもあるのですが、重度から高機能までのすべての自閉症を連続体(スペクトル)として捉える立場を本書で提唱しました。そこには、自閉症の子どもを対象としたサービスを、一見すると自閉障害には見えないアスペルガー症候群の子たちも受けられるようにしようという意図があったそうです。

 しかし、彼女の臨床分析自体は、恣意性を排した、科学者としての極めて冷静なものであり、自閉障害の特徴を示す"三つ組"の概念(社会的相互交渉・コミュニケーション・想像力の障害)や、孤立群・受動群・積極奇異群などのタイプ区分は、この本以降に出版された自閉症関係の本の多くで引用されています。

 また本書は、自閉障害を持つ子どもの支援方法にページを多くさいていており、解説も極めて具体的で丁寧なものとなっています。

 多少大部な本かもしれませんが、翻訳もよく吟味されたものなので、自閉症を理解しようとするならば、この本は入門書としてベストに近いものであると思います。

《読書MEMO》
●「自閉症スペクトル」の概念
・カナーの提唱した自閉症に、アスペルガーの提唱したアスペルガー症候群、さらにその周辺の厳密にはどちらの定義をも満たさない一群を含めた比較的広い概念。
※英国では「自閉症スペクトラム(スペクトル)」、米国では「広範性発達障害」という用語の使われ方をすることが多いが、「自閉症スペクトル」の概念の方が「広範性発達障害」より広い(内山登紀夫・篇『高機能自閉症・アスペルガー症候群入門-正しい理解と対応のために』('02年/中央法規出版)
●「自閉症スペクトル」の特徴...「ウィングの3つ組」
 1.社会性、2.コミュニケーション、3.想像力の3領域に障害
●「自閉症スペクトル」の3つのタイプ
 1.孤立群、2.受動群、3.「積極・奇異」群

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認知心理学の視点からみた自閉症入門書。

自閉症からのメッセージ2.jpg 自閉症からのメッセージ.jpg     rain man.jpg Kim Peek/Dustin Hoffman
自閉症からのメッセージ (講談社現代新書)』〔'93年〕 
自閉症からのメッセージ2891.JPG 少し以前に書かれた本ですが、一般向けの自閉症入門書としては読みやすい内容だと思います。映画「レインマン」('88年/米)で、ダスティン・ホフマン演じるところの自閉症者レイモンドが、ばら撒かれたつま楊枝の数を一瞬にして言い当てた場面などを引き(この映画は、キム・ピ-ク氏という実在の自閉症者に取材して作られている)、自閉症の「優れた空間認識や記憶力」に注目していますが、こうした特徴は自閉症のすべてに現れるわけではないのでやや誤解を招く恐れもあります。 

 しかし、その行動・言語・記憶・時間・感情について"謎"を問いかけ、認知心理学の視点から実験結果などを踏まえ考察していく過程は、自閉症を通して「私」とは何かというテーマを浮き彫りにする帰結に至るまで、一般読者の知的関心をひくかと思います。本書出版当時のことを考えると、自閉症に対する認知度を高める効用はあったと思います。

 療育に携わる立場にいる人でも、「オウム返し」や「カレンダー・ボーイ」といった特徴に対し不思議な思いは抱くし、「選択肢が立てられない」「今日学校で何をしたかという問いに答えるのが苦手」「パニックが終わったら意外とケロリとしている」といった特徴について、何故だろうと思うことがあるのではと思います。

 著者の謎解きに全面的に賛同するかはともかく、自閉症をより深く理解し、教育的アプローチの手立てとするのに役立つ本です。

RAIN MAN film.jpgRAIN MAN (1988)s.jpg「レインマン」●原題:RAIN MAN●制作年:1988年●制作国:アメリカ●監督:バリー・レヴィンソン●撮影:ジョン・シール●音楽:ハンス・ジマー●原作・脚本:バリー・モロー●時間:133分●出演:ダスティン・ホフマン/トム・クルーズ/バレリア・ゴリノ/ジェリー・モルデン/ジャック・ マードック/マイケル・D・ロバーツ/ボニー・ハント●日本公開:1989/02●配給:ユナイテッド・アーティスツ●最初に観た場所:新宿グランドヲデオン座(89-04-15) (評価★★★★)


《読書MEMO》
●『レインマン』で自閉症者レイモンドがばら撒かれたつま楊枝の数を一瞬にして言い当てた場面(19p)
●『レインマン』の企画にダスティン・ホフマンが強い挑戦意欲を持ったのは、「自閉症者は火星人のようなものだから理解できるとは思わないほうがいい」と心理学者に言われて(64p)。
●選択肢が立てられない、今日学校で何をしたかという問いに答えるのが苦手(64p)
●パニックが終わると意外とケロリとしている(211p)
●私たちは、時間を一次元的な軸の上を進むものとして解釈している。過去の出来事は時がたてばたつほど遠いセピア色の世界となっていく。だからこそ、自分にとっては時間の果てにあると感じられる誕生日の曜日を、息子にぴったりと当てられた母親は「怖いような」「気持ちの悪いような」気分になるわけである。しかし、自閉症者は、私たちがイメージしているような時間軸というものをはたして意識しているのだろうか。M君とN君は、カレンダーを記憶する方法は少し違っていた。しかし両名とも、カレンダーという二次元空間の上を移動しながら指定された日付の曜日を探しに当てていた、という点では共通している。つまり、彼らは地図を見ていたのであり、二次元的なパターンを操作していたのだということができる。

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解説自体はオーソドックスだが、実在者への当て込みには恣意的。

人格障害かもしれない.jpg  『人格障害かもしれない (光文社新書)』 〔'03年〕

 本書では、米国精神医学会の診断基準DSM-IVに沿って人格障害を10タイプに分け、それぞれの特徴や治療面でのアプローチについて述べています。
 その中でも多い「境界性人格障害」については、見捨てられることへの不安、不安定な対人関係、言動や性格に一貫性がない、衝動性、慢性的な空虚感などの特徴を挙げていますが、そうした不安定な共生依存関係が維持されている間は、他の面ではうまくいっていることが多いという指摘は興味深いものでした。
 それぞれの解説自体はオーソドックスです。

尾崎豊.bmp 人格障害には光と影の部分があるとし、影の部分として宅間守や麻原晃光などの凶悪犯がそれぞれどのタイプの人格障害に当たるかを示していますが、光の部分(創造性発揮につながったケース)として尾崎豊、太宰治、三島由紀夫を挙げています。

 例えば尾崎豊は、境界性人格障害による強度の見捨てられ不安だったと。
yukio mishima2.jpgdazai.bmp ただこの3人の最期を考えると、自分は人格障害かも知れないと思っている人は喜んでいいのかどうか。
 "光の部分"の例としてはどうかという気もするし、こうした実在者への当て込み自体がかなり主観的であると感じました。
 このことは、実際の診断において医師の主観が入ることを示しているとも思いました。

《読書MEMO》
●人格障害の種類... 
・A群...妄想性・分裂病質・分裂病型
・B群...境界性・反社会性・自己愛性・演技性
・C群...回避性・強迫性・依存性
●《境界性人格障害》の特徴=極端で不安定な共生依存関係、そうした不安定な状態にある間、その他の面はうまくいっていることが多い/20代・30代ぐらいの女性に多い母子共生関係
●《境界性人格障害》とは「精神病」と「神経症」の中間?→正常からの逸脱
●《境界性人格障害》のすべてが犯罪を犯すわけではない
●新潟女児監禁事件の《佐藤宣行》...「分裂病型・人格障害」
●池田小学校児童殺傷事件の《宅間 守》...「妄想性・人格障害」
●《麻原彰晃》...「自己愛性・人格障害」
●連続幼女誘拐殺人の宮崎 勤...「多重・人格障害」(今田勇子)
●神戸連続児童殺傷事件の《酒鬼薔薇少年》...「行為障害」、成人ならば「反社会性・人格障害」
●尾崎 豊...境界性人格障害(強度の見捨てられ不安)/●太宰 治...境界性人格障害+自己愛性人格障害/●三島由紀夫...自己愛性人格障害

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映画の分析などに、元アーティストとしての性が感じられる。
みんなの精神科.jpg みんなの精神科.JPG みんなの精神科2.jpg 危険な情事 (扶桑社ミステリー).jpg  レナードの朝 dvd.png
みんなの精神科-心とからだのカウンセリング38』 〔'97年〕『みんなの精神科―心とからだのカウンセリング38 (講談社プラスアルファ文庫)』〔'00年〕 H・B・ギルモア『危険な情事 (扶桑社ミステリー)』(ノベライゼーション) 「レナードの朝 [DVD]

 タイトルからも察せられる通り、趣旨としては、精神科医に対して抱く一般の心理的な垣根を低くし、〈橋渡し機能〉としてもっと活用してもらいたいというものです。

 "一億総精神科受診時代"が来ることで、むしろ自分は正常で他人のことをおかしいとする単純な〈排除〉の論理を排除できるのでは、という考えはわかりますが、全体のトーンとしては文化論、社会論を含むエッセイ風読み物で、本当に書きたかったことが何なのか、今ひとつ見えにくい部分もあります。

 一方、尾崎豊の破綻に至る心理分析や、映画「レインマン」('88年/米)の作り方に対する言及、「危険な情事」('87年/米)に見る隠されたメッセージの解釈には、精神科医としてだけでなく元アーティストとしての性も感じられ、すべてには賛同できないまでも、なかなか面白く読めました。

Fatal Attraction.bmp とりわけ個人的に興味深かったのは、映画「危険な情事」(Fatal Attraction)(邦題が凡庸ではないか? 原題は「死にいたる吸引力」)の主人公のマイケル・ダグラス演じる、軽い気持ちで一夜を共にした女性からのストーカー行為に苦しめられる男性を、彼自身がパラノイア、妄想性人格障害であると見ている点です(これ、知人宅でのビデオパーティで観た)。普通ならば、主人公を執拗にストーキングするグレン・クローズ演じる女性の方を、典型的な境界性人格障害であると見そうな気がしますけれども、精神科医だからこそ、ちょっと視点を変えた見方ができるのでしょうか。
     
危険な情事 dvd.jpgFATAL ATTRACTION.jpg 個人的には、グレン・クローズの鬼気迫る演技に感服!(彼女の演じたアレックスは2003年にAFIによって選ばれた「アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100」で悪役の第7位となっていて、「時計じかけのオレンジ」でマルコム・マクダウェルが演じた主人公アレックス(12位)などより上にきている)、ただし、ペットのウサギを鍋で煮たのは映画とは言え後味が悪く、最後の湯舟からガバッと起き上がるところでこれはあり得ないと思い、この映画に対する評価はあまり高くなかったのですが、そっか、主人公の被害妄想だったのか、ナルホド。
危険な情事 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
    
 穿った見方をすれば、こうした独特の作品分析などが、本当に書きたかったことではないかと...。 但し、「レナードの朝」(Awakenings、'90年/米)に関する記述などは、当時の精神医療の在り方がどのようなものであったかを、専門医の立場からきちんと解説しています。

レナードの朝 PPL-12460 [DVD]」 Oliver Sacks(1933-2015
レナードの朝 dvd.jpgオリバー・サックス.jpg この作品のベースになっているのは、英国の医師で神経学者のオリバー・サックス(ダスティン・ホフマンが「レインマン」('88年/米)で自閉症者を演じることになった際にこの人にアドバイスを求めている)の著作である医療ノンフィクションで、英国で昨年['05年]ノーベル文学賞を受賞したハロルド・ピンターが戯曲化していますが、今度は米国でペニー・マーシャル監督が内容を再構成したフィクションという形で映画化したものです。

 ブロンクスの慢性神経病患者専門の病院に赴任してきたマルコム・セイヤー医師(ロビン・ウィリアムズ)が、30年間眠り続けた患者レナード(ロバート・デ・ニーロ)に対し、未認可のパーキンソン病の新薬を使うことで彼の意識を呼び戻し、レナードが女性に恋をするまでに回復させるが、やがて...。

レナードの朝 0.jpg 著者はここで、精神病の症状の多様性と、多くの医師が異なった精神病観を持っていることを強調したうえで、セイヤー医師の処方を評価しています。一方、ここからまたやや映画ネタになりますが、この作品でアカデミー賞にノミネートされたのがロバート・デ・ニーロだけだったのに対し、ロビン・ウィリアムズの方が演技が上だったという意見が多くあったことを指摘し、実は2人の関係が作品の中で対になっているとしています。これは、医師中心に描いた「逃亡者」や患者中心に描いた「レインマン」など映画が医師・患者のどちらか一方の視点から描いているのが通常でレナードの朝02.jpgあるのに対して珍しく、更に、医師と患者が相互に補完し合って共に治療法を見つけていくという意味で、医師に患者性があること(セイヤー医師はネズミ相手の実験ばかりして他者とのコミュニケーションが苦手な独身男として描かれている)の重要性を説いています(スゴイ見方!)。

レナードの朝 2.jpg 個人的には、女流監督らしいヒューマンなテーマの中で、やはり、障害者を演じるロバート・デ・ニーロの演技のエキセントリックぶりが突出しているという印象を受けました。この作品で、ロバート・デ・ニーロがセイヤー医師の役のオファーがあったのにも関わらずレナードの役を強く希望し、ロビン・ウィリアムズと役を交換したというのは本書にある通りで、著者はそのことも含め「どちらが患者でどちらが医師であってもおかしくない作品」としているのが興味深いです。おそらく著者はセイヤー医師に十二分に肩入れしてこの作品を観たのではないでしょうか(同業者の役柄に感情移入するのはごく普通のことだろう)。その上で、ロビン・ウィリアムズの演技は著者の期待に沿ったものだったのかもしれません(デ・ニーロもさることながら、ロビン・ウィリアムズも名優である)。
   
危険な情事 9.jpg 「危険な情事」●原題:FATAL ATTRACTION●制作年:1987年●制作国:アメリカ●監督:エイドリアン・ライン●製作:スタンリー・R・ジャッフェ/シェリー・ランシング●脚本:ジェームズ・ディアデン ほか●撮影:ハワード・アザートン●音楽:モーリス・ジャール ●原作:●時間:119分●出演:マイケル・ダグラス/グレン・クローズ/アン・アーチャー/スチュアート・パンキン/エレン・ハミルトン・ラッツェン/エレン・フォーリイ/フレッド・グウィン/メグ・マンディ●日本公開:1988/02●配給:パラマウント映画 ●最初に観た場所:有楽町・日劇日劇プラザ・日劇東宝.jpg日劇プラザ   .jpg有楽町マリオン 阪急.jpgプラザ (88-04-10)(評価:★★★)
日劇プラザ 1984年10月6日「有楽町マリオン」有楽町阪急側9階にオープン、2002年~「日劇3」、2006年10月~「TOHOシネマズ日劇3」、2009年3月~「TOHOシネマズ日劇・スクリーン3」2018年2月4日閉館


レナードの朝03.jpg「レナードの朝」●原題:AWAKENINGS●制作年:1990年●制作国:アメリカ●監督:ペニー・マーシャル●製作:ウォルター・F・パークス/ローレンス・ロビン・ウィリアムズ  1.jpgラスカー●脚本:スティーヴン・ザイリアン●撮影:ミロスラフ・オンドリチェク●音楽:ランディ・ニューマン●原作:オリヴァー・サックス●時間:121分●出演:ロバート・デ・ニーロ/ロビン・ウィリアムズ/ジュリー・カブナー/ルー・ネルソン/ジョン・ハード/ペネロープ・アン・ミラー/マックス・フォン・シドー/アリス・ドラモンド/ジュディス・マリナ●日本公開:1991/04●配給:コロムビア・トライスター映画(評価:スレナードの朝 マックスフォンシドー .jpg★★★☆)

Robin Williams (1951-2014(63歳没「自殺」))as Dr. Malcolm Sayer/Max Von Sydow(1929-2020(90歳没))as Dr. Peter Ingham in Awakenings

ロビン・ウィリアムズ[上](マルコム・セイヤー医師...話すことも動くこともできない患者たちに反射神経が残っていることに気づき、訓練によって彼らの生気を取り戻すことに成功する(原作者オリバー・サックス自身がモデル)
マックス・フォン・シドー[右](ピーター・インガム医師...嗜眠性脳炎の患者は考える能力を失ったと考えている)

 【2000年文庫化[講談社+α文庫]】

《読書MEMO》
●『レインマン』に出てくる面白いエピソードは20人の自閉症患者と20年付き合ってやっと得られるもの
●『レナードの朝』で当初デ・ニーロがセイヤー博士をやる予定だったが、彼はレナード役(嗜眠性脳炎の患者)を欲し、ロビン・ウィリアムスが博士役になった
●『危険な情事』=道成寺と同じ、パラノイア・妄想(実は男の方が狂っている)だという解釈

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新しい型の「やさしさ」を通して現代人の価値意識の変化を探る。

やさしさの精神病理.jpg 『やさしさの精神病理 (岩波新書)』 〔95年〕 大平 健.jpg 大平 健 氏 (精神科医/略歴下記)

 精神科医である著者の面接室を訪れた患者の症例を通して、彼らがしばしばこだわる "やさしい関係"とは何かを考察しています。

 彼らが言う"やさしさ"とは、例えば、席を譲らない"やさしさ"であったり、親から小遣いをもらってあげる"やさしさ"であったり、好きでなくても結婚してあげる"やさしさ"であったり、ポケベルを持ち合いながらそれを使わない"やさしさ"であったりします。
 旧来の「やさしさ」が他人と気持ちを共有する連帯志向の言わば"ホット"なそれであったのに対し、彼らの"やさしさ"は、相手の気持ちに立ち入らず、傷つけないように見守る"ウォーム"な「やさしさ」であると著者は言います。

 彼らにとって、一見「やさしそう」な人は「なにかうっとーしく」敬遠したくなるような感じがする人であり、彼らはそうした「無神経な人」を避け、彼らなりの"やさしさ"を理解できる人としか付き合わないが、その関係は必ずしも安定的ではなく、些細なことで関係はこじれる。
 その際に相談相手のいない彼らは、"ホット"なイメージのカウンセラーよりも"クール"な印象を持つ精神科医を訪ねることが多いとのことです。

 「時代の気分」と言われるまでに"やさしさ"が横溢する世の中の背後に、「相手にウザイ思いをさせたくない」という新しいタイプの「やさしさ」があるという。精神科の面接室からそれを考察するという意味では確かにこれは一種の"病理学"なのかもしれません。
 どんなに親しい人の前でも本当の自分は出さないという彼らは、やがて自分とは何かも分からなくなり「自分探し」の旅にはまり込んでいく...。

 こうしたスパイラルに対する解決方法を著者が自ら示しているわけではありません(それは正統的なカウンセリング姿勢とも言える)。
 紹介された事例には、フィクションの要素も入っていると思われます。
 また、軽度のものから完全な分裂症までこの1冊に含まれてしまって、それが良かったのかどうかは疑問です。
 それらを考慮しても、現代人の人間関係における価値意識の変化を探るうえでの示唆を含んだ1冊ではあると思いました。
_________________________________________________
大平 健 (おおひら・けん)精神科医・聖路加国際病院精神科部長
1949年鹿児島県生まれ。1973年東京大学医学部卒業。著書に『豊かさの精神病理』『やさしさの精神病理』『純愛時代』(以上岩波新書)、『診察室にきた赤ずきん』(早川書房)。近著に『ニコマコス恋愛コミュニケーション』(岩波書店)があり、複雑なこころの問題を柔らかな語り口で解き明かしている。

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キャラクター小説のように読め、面白くもあり、危うくもある"作品"。
24人のビリー・ミリガン上.jpg 24人のビリー・ミリガン下.jpg The Minds of Billy Milligan.jpg  24人のビリー・ミリガン〔新版〕上.jpg 24人のビリー・ミリガン〔新版〕下.jpg
24人のビリー・ミリガン―ある多重人格者の記録〈上〉』『24人のビリー・ミリガン―ある多重人格者の記録〈下〉』単行本['92年] "The Minds of Billy Milligan" 24人のビリー・ミリガン〔新版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)』『24人のビリー・ミリガン〔新版〕 下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)』2015年再文庫化〔新版〕
中国語版
24個比利.jpg ベストセラー小説アルジャーノンに花束を』('78年/早川書房)は、面白かったし、しみじみとした気分にもなった本でしたが、本書は同じ著者によって1981年に発表されたノンフィクションで、"多重人格"という言葉を世に広めた本だとされています。本書も『アルジャーノン...』と同様に、世界的ベストセラーになりました。 

 本書では「多重人格性障害」という用語を使っていますが、米国精神医学会はその後、診断基準DSM-IVにおいて「解離性同一性障害」と呼称変更しています。分裂した個々の"人格"は正しい意味での(独立し統合化された)"人格"とは言えないので、"多重人格"という表現は正確さを欠くということでしょう。考えてみれば至極当たり前なことかも。
                      
The Minds of Billy Milligan.jpg でもこの本の著者は、むしろそうした考えとは逆の方向へ行っている気もします。この本自体がキャラクター小説のようにも読めるのです。だから、すごく面白いのですが...。

 話している相手(ビリー)が"今どのキャラなのか"すぐには分からないというのには、かなりスリリングな衝撃を受けました。もちろん1人の青年の脳の中で起きていることだと分かっているのですが、まるで1つの施設のようんなところで共同生活している幼児から青年までの男女が順番に登場してくる舞台劇みたいですし(単行本下巻の表紙絵がそうしたイメージをよく表している)、その中で誰が犯人なのかを追うミステリーのようにも読めます。

 ノンフィクションでありながら、著者の作家性を感じないわけにはいかないし、その分ひきこまれる面白さもあり、危うさもある「作品」だと思います。

"The Minds of Billy Milligan"

 【1999年文庫化[ダニエル・キイス文庫(上・下)]/2015年再文庫化〔新版〕[ハヤカワ・ノンフィクション文庫(上・下)]】

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「●メンタルヘルス」の インデックッスへ  「●講談社現代新書」の インデックッスへ

企業などでメンタルヘルスを担当されている方には参考になると思える。

退却神経症 無気力・無関心・無快楽の克服/笠原嘉1.jpg退却神経症.jpg  笠原 嘉.gif 笠原 嘉(よみし) 氏(略歴下記)
退却神経症―無気力・無関心・無快楽の克服』 講談社現代新書〔'88年〕 

 いるいる、こんな人、これぞまさに著者の言う「退却神経症」ではないかと思い当るフシがありました。
 休みがちなのに、出社したときの仕事ぶりはしっかりしていたりして...。でも結局しばらくするとまた休むようになってしまうのですね(ただし休職届け添付の医師の診断書は「自律神経失調症」とか「うつ病」となっていることが多いのですが)。 

 「退却神経症」とは著者の考えた言葉であり、'70年安保の大学紛争の頃に、学生運動もせずに密かに社会の前線から退却して沈潜する「大学生特有の無気力」現象が見られ、そうした現象が青年期をこえたサラリ-マンの間にも「出勤拒否症」などとして拡がっている事態を意識したのが始まりだということで、これは、最近の社会現象として言われている「ひきこもり」に通じるところがあるかと思えます。 

 著者が関心を持ったのは、例えば「欠勤多発症」の青年は、職場を離れていればまったく元気であったりすることが多いということで、「会社を休むくせに、休日の運動会や小旅行は目立ってハッスルすることがある」といった点などです。 

 こうした人たちは、アブセンティーズム(欠勤症)やアパシー(無気力)状態になる前は、真面目で物事にキッチリした性格だった人が多く、また現在は、自分でもよくわからない漠然とした不安を心の内に抱えていて、それでいて、不眠に陥るでなく(むしろ過眠症だったりする)、他人の助けも求めない(この辺りが、不眠を伴うことが多く、他者に助けを求めることも多い「うつ病」とは異なる)、それでいて突然の失踪や自殺という最悪の結果に至ることがあるということです。 

退却神経症 無気力・無関心・無快楽の克服/笠原嘉2.jpg 著者は、大学生の「スチューデン・アパシー」現象について書かれた海外の論文を見つけたことから、これらが大学紛争の際の一時的現象ではなく、その後も続いている現象であると考え、これを「退却神経症」という新しいタイプのノイローゼと位置づけて、うつ病やパーソナリティ障害との比較をしています。

 学生の「五月病」なども、この「退却神経症」の系譜として捉えると確かにわかりやすいです。 
 さらには、中・高校生の「登校拒否」にも同様のアパシー症候群が見られるとし、こうした症状の治療と予防について、教育制度の問題も含め提案しています。
  
 提言部分についてはそれほど頁を割けないまま終わっている感じがありますが、「ひきこもり」や「登校拒否」の問題に対し、いち早く慧眼を示した本であり、この1冊に偏りすぎるのはどうかと思いますが、企業などでメンタルヘルスを担当されている方には参考になるかと思います。
_________________________________________________
笠原 嘉(かさはら・よみし).名古屋大学名誉教授
1928年 神戸市に生れる。
1952年 京都大学医学部卒業。精神医学専攻。
1972年 名古屋大学教授就任
1992年 名古屋大学教授退官
名古屋大学医学部教授、同付属病院長などを経て、現在、藤田保健衛生大学医学部客員教授。社団法人被害者サポートセンターあいち元会長、現顧問。
中井久夫や木村敏と並んで著名な精神科医。スチューデント・アパシー student apathy や退却神経症などを提唱。

《読書MEMO》
●不安ノイローゼ・強迫ノイローゼ・ヒステリー型ノイローゼ+「退却神経症」(=新しいタイプのノイローゼ)
●うつ病の人は寮にいても苦しい、退却神経症の人は、会社を休むくせに、休日の運動会や小旅行は目立ってハッスルする(28p)
●休みがちなのに、出社したときの仕事ぶりはしっかりしている(28p)
●完全主義。プライドが高く、人に容易に心を開かない(48p)

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ノイローゼの入門書としてオーソドックス。

ノイローゼ2861.JPGノイローゼ.jpg ノイローゼ (1964年) (講談社現代新書0_.jpg 宮城音弥.jpg 宮城音弥
ノイローゼ (講談社現代新書 336)』〔'73年・新訂版〕/『ノイローゼ (1964年) (講談社現代新書)』〔'64年・旧版〕

 1964年刊行の『ノイローゼ』の新訂版。著者の宮城音弥(1908‐2005/享年97)は、ノイローゼを、「心の病気」のうち、脳に目に見える障害がなく、また人格も侵されていないもので、精神的原因でおこるものとしています。本書内のノイローゼと神経病(脳神経の病気)・精神病(人格の病気)・精神病質(性格の病気)との関係図はわかりやすいものでした。

0702003.gif ノイローゼの種類を神経衰弱(疲労蓄積による)・ヒステリー(病気への逃避・性欲抑制など)・精神衰弱(強迫観念・恐怖症・不安神経症など)の3つに区分し(この区分は現在もほぼ変わらないと思いますが)、症例と併せわかりやすく解説しています。 

 著者によれば、ノイローゼの症状はすべての精神病にもあるとのこと、つまり分裂病(統合失調症)やうつ病にも同じ症状があると。そうであるならば、実際の診断場面での難しさを感じないわけにはいきません。

 本書そのものは全体を通して平易に書かれていて、かつ精神病との違いやその療法にまで触れた包括的内容なので、メンタルヘルス等に関心のある方の入門書としては良いかと思います。

《読書MEMO》
●ノイローゼ...「心の病気」の内で、脳に目に見える障害がなく、また、人格が侵されていないもので、精神的原因によっておこってきたもの-神経病(脳神経の病気)・精神病(人格の病気)・精神病質(性格の病気)との関係図参照(30p)
●ノイローゼの種類...
・神経衰弱(疲労蓄積による)
・ヒステリー(病気による逃避など・性欲抑圧)
・精神衰弱(強迫観念・恐怖症・不安神経症)
●ノイローゼの症状は全ての精神病にある(129p)...分裂病>躁うつ病>ノイローゼ

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「異常」の構造を通して「正常」の構造を解き明かす。

異常の構造 木村敏.jpg異常の構造.jpg   木村 敏.jpg 木村 敏 氏(略歴下記)
異常の構造 (講談社現代新書 331)』 〔'73年〕

 本書では、精神分裂病者(統合失調症)の病理や論理構造を通じて「異常」とは何か、それでは「正常」とはいったい何かを考察しています。

 精神異常を「常識」の欠落と捉え、「常識」とは、世間的日常性の公理についての実践的感覚とし、分裂症病者はそれが欠落していると。
 ヴィンスワンガーの患者で精神分裂病者の例として紹介されている話で、 ガンを患って余命いくばくもない娘へのクリスマスプレゼントに、父(分裂病者)は棺おけを贈った、という話は、贈り物というものが贈られた人に役に立つという理屈にはあっているが、贈られた人が喜ぶという意味は欠如していていて、衝撃的であるとともに、「常識の欠落」という症状をわかり易く示していると思いました。

 さらに、「正常人」が自分たちより"自由"な論理構造を持つはずの「異常人」を差別することの「合理性」と、その合理性の枠内にある「正常者の社会」の構造を分析し、なぜ「正常者」がそうした差別構造をつくりあげるのかを、その「合理性」の脆弱性とともに指摘しています。

 分裂病を「治癒」しようとする考えの中に潜む排除と差別の論理を解き明かし、精神病者の責任能力の免除こそは差別であるとするなど、ラディカル(?)な面も感じられます。
 論理的にわかっても、心情的についていくのが...という部分もありましたが、考察のベースになっている精神分裂病を理解するための症例が豊富であるため、「異常」の構造とはどいったものかを知るうえで参考になります。

 こうした「異常」の構造を通して「正常」の構造を解き明かすというかたちでの精神病理学は、'60年代から'70年代にかけて、実存主義哲学の興隆とあわせて盛んで、「病跡学」とかもありましたが、実存主義のブームが去るとともにあまり流行らなくなっているようです。
 精神医学の世界にも、比較的短い年月の間に流行り廃れがあるということでしょうが、分裂病という難しい病をその中心に据えたことにも衰退の原因はあったかも。
 ましてや、実存主義哲学とかが絡んできても、医学部に入る人間が必ずしもそうした哲学的指向をもっているわけではないし...。
 ただし、個人的には、この本、名著だと思います。
_________________________________________________
木村 敏(きむら・びん) 京都大学名誉教授、龍谷大学教授
1931年、旧朝鮮生まれ。精神病理学者。1955年、京都大学医学部卒業。1961年、ミュンヘン大学留学。1969年、ハイデルベルグ大学留学。1974年、名古屋市立大学大学医学部教授。その後、京都大学医学部教授、河合文化教育研究所主任研究員を経て、龍谷大学教授。
精神分裂病、躁鬱病、てんかん、境界例に興味関心を持ち、精神病理の観点から独自の哲学を展開する。
著書に『自覚の精神病理』(紀伊国屋書店)、『人と人の間』(弘文堂)、『分裂病の現象学』(弘文堂)、『自己・あいだ・時間』(弘文堂)、『時間と自己』(中公新書)、『生命のかたち/かたちの生命』(青土社)、『偶然性の精神病理』(岩波書店)、『心の病理を考える』(岩波書店)ほか多数。クラシック愛好家としても知られる。
 
《読書MEMO》
●「周囲の人たちがふつうに自然にやっていることの意味がわからない。皆も自分と同じ人間なんだということが実感としてわからない。―なにもかも、すこし違っているみたいな感じ。なんだか、すべてがさかさまになっているみたいな気がする」(58p)
●「面接のたびに患者から再三再四もち出される「どうしたらいいでしょう」という質問は、私たちが通常ほとんど疑問にも思わず、意識することすらないような、日常生活の基本的ないとなみの全般にわたっていた」(59p)
●「なにかが抜けているんです。でも、それが何かということをいえないんです。何が足りないのか、それの名前がわかりません。いえないんだけど、感じるんです。わからない、どういったらいいのか」(78p)
●「ちなみに、私の印象では子供を分裂病者に育て上げてしまう親のうち、小・中学校の教師、それも教頭とか校長とかいった高い地位にまで昇進するような、教師として有能視されている人の数がめだって多いようである」(102p)
●「実際、分裂病者の大半がこのような恋愛体験をきっかけとして決定的な異常をあらわしてくる、といっても過言ではない。恋愛において自分を相手のうちに見、相手を自分のうちに見るという自他の相互滲透の体験が、分裂病者のように十分に自己を確立していない人にとっていかに大きな危機を招きうるものであるかということが、この事実によく示されている」(103p)
●・「常識的日常性の世界の一つの原理は、それぞれのものが一つしかないということ、すなわち個物の個別性である」(109p)
・ 「常識的日常性の世界を構成する第二の原理としては、個物の同一性ということをあげることができる」(111p)
・「常識的日常性の世界の第三の原理は、世界の単一性ということである」(115p)
●「患者は私たち「正常人」の常識的合理性の論理構造を持ちえないのではない。すくなくとも私たちと共通の言語を用いて自己の体験を言いあらわしているかぎりにおいて、患者は合理的論理性の能力を失っているわけではない。むしろ逆に、私たち「正常人」が患者の側の「論理」を理解しえないのであり、分裂病的(反)論理性の能力を所有していないのである。患者がその能力において私たちより劣っているのではなくて、私たちがむしろ劣っているのかもしれない」(140p)
・「「正常人」とは、たった一つの窮屈な公式に拘束された、おそろしく融通のきかぬ不自由な思考習慣を負わされた、奇形的頭脳の持主だとすらいえるかもしれない」(141p)
●「まず、合理性はいかなる論理でもって非合理を排除するのであるか。次に、合理性の枠内にある「正常者」の社会は、いかなる正当性によって非合理の「異常者」の存在をこばみうるのであるか」(145p)
●「「異常者」は、「正常者」によって構成されている合理的常識性の世界の存立を根本から危うくする非合理を具現しているという理由によってのみ、日常性の世界から排除されなくてはならないのである。そしてこの排除を正当化する根拠は、「正常者」が暗黙のうちに前提している生への意志にほかならない」(157p)
●「分裂病者を育てるような家族のすべてに共通して認められる特徴は、私たちの社会生活や対人関係を円滑なものとしている相互信頼、相互理解の不可能ということだといえるだろう」(174p)
●「アメリカの革新的な精神分析家のトマス・サスは、ふつうの病気がテレビ受像機の故障にたとえられるならば精神病は好ましからざるテレビ番組にたとえられ、ふつうの治療が受像機の修理に相当するとすれば精神病の精神療法は番組の検閲と修正に相当するといっている」(179p)
・「分裂病を「病気」とみなし、これを「治療」しようという発想は、私たちが常識的日常性一般の立場に立つことによってのみ可能となるような発想である」(180p)
●「分裂病とはなにかを問うことは、私たちがなぜ生きているのかを問うことに帰着するのだと思う。私たちが生を生として肯定する立場を捨てることができない以上、私たちは分裂病という事態を「異常」で悲しむべきこととみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないだろうか」(182p)

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知識は得られるが、"ア本"(アキレタ本)指定されても仕方がない面も。

男が学ぶ「女脳」の医学.jpg 男が学ぶ「女脳」の医学 obi.jpg  米山 公啓.bmp
男が学ぶ「女脳」の医学 (ちくま新書)』〔'03年〕 

 斎藤美奈子氏によれば、「ちくま新書」は"ア本"(アキレタ本)の宝庫だそうで、特にそれは男女問題を扱ったものに多く見られるとのこと(大学教授で、準強制わいせつ罪で逮捕された岩月謙司氏の『女は男のどこを見ているか』('02年)などもそう)。もちろん分野ごとに良書も多くあって結構よく手にするのですが、本書は『誤読日記』('05年/朝日新聞社)の中でしっかり"ア本指定"されていました。

 本書は、扁桃体などの役割やドーパミンなど主要脳内物資の名前と機能を知るうえでは、わかりやすい良い本であるかのようにも思えました(多くの読者はそうした目的では読まないのかもしれませんが)。

 しかし読んでいるうちにだんだん不快になるとともに、釈然としない部分が多くなります。振り返ると、著者による脳内物資の働きと日常の行動との関係の説明などには、かなりの恣意的な部分や拡大解釈が見受けられます。タイトルに「医学」とありながら、さほどの根拠も示さず「これは医学的にも証明されている」で片づけていたりするような傾向が見られ、似非科学、トンデモ本の世界に踏み込んでしまっているかも知れません。

 作家でもありながら(作家でもあるからか?)、人間の性格や行動に対する乱暴な二分法を展開している点も問題があるように感じます。「脳科学」と言うより、著者なりの「女性論」とみるべきでしょうか。「科学」と呼ぶにはあまりに「オーバー・ゼネラリゼーション(過度の一般化)」がなされているように思います。その決めつけぶりに加え、文章にあまり品位が無いこともあり、読んでいて自分と同じようにだんだん不快になってくる人もいるのではとも思われるのですが、すべての人がそう感じるとも限らないものなのかも。結構売れたところを見ると、飲み会の話のネタのレベルで一部には受けるのかもしれません。

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海馬や扁桃体の機能を楽しく知ることができる。

海馬/脳は疲れない.jpg海馬/脳は疲れない (ほぼ日ブックス)』['02年/朝日出版社] 池谷 裕二.jpg 池谷 裕二 氏 (大脳生理学者)

hippocampus.jpg 若手脳研究家の池谷裕二氏とコピーライターの糸井重里氏の、頭のよさや脳の使い方などをテーマとした対談。
 脳科学の本を何冊も読んでしまった人には物足りなさもあるかもしれませんが、自分にとっては、海馬や扁桃体の機能を楽しく知ることができる本でした。

 シナプスをうまく作れない神経細胞は死んでいく(アポトーシス)というのが、免疫システムにおける「自己」を識別できないキラーT細胞がアポトーシスにより死ぬのと似ていて面白いと思いました。

 系統立てて対談が進行しているわけでは無いので、断片的なウンチクしか残らないのですが、自分の脳の可能性はともかくとして(諦めてはいけないか!)、脳の不思議さを改めて感じます。

 【2005年文庫化[新潮文庫]】

《読書MEMO》
●脳の中で好き嫌いを扱うのは扁桃体、情報の要不要の判断は海馬(24p)
●区切りのいいところからあと数行書いて休憩をとった方がうまくいく(72p)
●海馬の大きさは小指ぐらい、ネズミの海馬は脳の半分ぐらいを占める(122p)
●海馬が無くなったら新たな記憶を製造できなくなり5分位しか記憶がもたない
●扁桃体の「感情」記憶はより本質的、蛇を怖いと思う→生命を守る(128p)
●海馬は記憶を蓄えるのではなく、情報の要・不要を判断し、他の部位に記憶を蓄える(134p)
●夢は、海馬が行う睡眠中の情報整理(寝ないと1日の記憶ができない)(199p)
●シナプスをうまくつくれない神経細胞は殺される(アポトーシス)(222p)
●モーツァルト「2台のピアノのためのソナタ」聴いたあとIQがあがる(ただし、30分から1時間しか効果は続かない)という研究がある(242p)
●池谷裕二は学部進学のときも大学院進学のときもトップ成績だったが、いまだに九九ができない(261p)-暗記メモリーでなく、経験メモリー

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文学や哲学はいずれ脳科学に吸収されてしまう? 教授自身にまつわる話がかなり面白い。

私の脳科学講義.jpg1私の脳科学講義』.jpg      利根川 進.jpg 利根川 進 博士
私の脳科学講義 (岩波新書)』 〔'01年〕

 ノーベル賞学者(1987年ノーベル生理学・医学賞受賞)であるのに、海外で活躍する期間が長かったゆえに岩波新書にその著作が入っていないのは...ということで、岩波の編集部が口述でもいいからと執筆依頼したかのような印象も受けないではないのですが、本題の脳科学講義もさることながら、利根川教授自身にまつわる話が面白かったです。 

 京都大学では卒業論文を書かなかったとか、バーゼルの研究所で契約切れで解雇されたが居座って研究を続けたとか、英語の同じ単語の発音の間違いを米国育ちの3人の子どもが3歳になるごとに指摘されたとか...。

 今の著者の夢は、自分の研究室からノーベル賞学者を出すこと―。"日本人から"でなく"自分の研究室から"という発想になるわけだ。

 著者の考え方の極めつけは、巻末の池田理代子氏との対談の中の言葉(利根川教授はこの対談の中で、池田氏が40才を過ぎてから音大の声楽科へ入学し(この人、音大に通っている時に、マンションの同じ棟に住んでいたことがあった)、イタリア語を勉強をし始めてモノにしたことを大変に稀なケースだと評価していますが、利根川氏の理論から言うとまんざらお世辞でもないみたい)。
 利根川氏はこの対談の中で次のように述べている―。 

 ―文学や哲学はいずれ脳科学に吸収されてしまう可能性がある、と。

 ほんとにエーッという感じですが、以前、立花隆氏に対しても同じようなことを言っていたなあ(立花氏もちょっと唖然としていた)。
 世界中の脳科学者の中には同じように考えている人が多くいるらしく、一方それととともに、こうした考え方に対する哲学者らなどからの反論もあるようです(知られているところでは2005年に来日した女性哲学者カトリーヌ・マラブーなど)。

《読書MEMO》
●抗体は一種のタンパク質で、B細胞(Bリンパ球)がつくる(26p)/抗体と抗原はいわば鍵と鍵穴の関係(27p)
●バ-ゼル研究所で契約切れで解雇されたが、研究を続けた(30p
●多様性発現とダーウィン進化論の類似(32p)
●カスパロフVS.ディープ・ブルー(54p)
●rice(米)とlice(しらみ)の発音の違いを3歳の子供に指摘される(60p)
●海馬のどの部分に記憶と想起の部位があるかを、ノックアウトマウスで調べた
●夢は自分の研究室からノーベル賞学者を出すこと
●文学や哲学はやがて脳科学に吸収される

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音読・計算ブームの原点となった本だが、他にも読みどころあり。

自分の脳を自分で育てる.jpg 『自分の脳を自分で育てる―たくましい脳をつくり、じょうずに使う (くもん出版)』 〔'01年〕

FMRIscan.jpg '01年に出版されたこの本は、脳の働きを調べるブレーンイメージング研究の成果を通じて、子ども向けに脳の仕組みをわかりやすく伝えようとしたものだったのですが、翌年、『読み・書き・計算が子どもの脳を育てる』('02年/子どもの未来社)が出るや、計算・音読ドリルブームとなりました(料理ドリルまで出た!)。
 結果として、音読や単純計算をしているときは脳が活性化しているということは知られるようになりましたが、他にも興味深いことが結構書いてあります。

 ―右手を開閉させているときは左脳を使っているが、左手を開閉させているときは両脳を使っている。ただし、左利きの人はどちらの場合でも両脳を使っている、
 ―人の顔や風景の記憶は大脳の下部に、動物や植物の名前は脳の後ろのほうにしまわれている、
 といったことなど。脳の不思議を改めて考えさせられる本でもあったのかと。

 しかし、どちらかと言うとこうした点は読み飛ばされ、計算・音読が脳を活性化させる点のみが注目されて、実用的な方向へ大方の関心がいってしまう風潮がやや残念。

《読書MEMO》
●どちらが脳を使う?ゲームと単純計算(内田クレペリン検査)(12p)
●文章を音読すると脳が活発化(30p)
●前頭前野...コンピュータの中のコンピュータ(物事を考えたり覚えたりするときに働く(40p)
●単純計算をする時も左右の前頭前野が活発化(50p)
●ブローカ野...言葉を作り出す働き(58p)ウェルニッケ野...言葉の意味を理解する働き(59p)
●右手の開閉は左脳を使うが、左手は両脳使う→左脳が右脳を助ける(95p)
●左利きの人は常に両脳を使っている(左利きの方が運動に向いてる?)(96p)
●複雑な運動では右利きも両脳使う(98p)
●記憶はどこにしまわれているか→写真を見て知ってる人の顔や風景かどうか答える→どの部分が活性化しているか→顔(側頭葉下部)・風景(側頭葉内面部)・動物・植物(脳の後ろ=視覚野)、記憶を取り出すときに前頭前野が活動、自分自身の記憶(脳の奥深い所(本能に関係するところ)(114-116p)

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人間とは何か。それは脳と遺伝子に尽きる!(養老孟司)

脳+心+遺伝子VSサムシンググレート 2.jpg脳+心+遺伝子.jpg              脳とサムシンググレート 5次元文庫.jpg
脳+心+遺伝子VS.サムシンググレート―ミレニアムサイエンス 人間とは何か』('00年/徳間書店)/『脳とサムシンググレート』 ['09年/5次元文庫(徳間書店)]

 村上和雄(分子生物学)・茂木健一郎(脳科学)・養老孟司(解剖学)の3人の学者の遺伝子・心・脳などについての自説展開と対談をまとめたもので、何だか全員の考えを取り込んだようなタイトル。

 村上氏が遺伝子以外の情報で遺伝子のスイッチがON/OFFとなると言っているのは今や通説です。
 ただ、その遺伝子を支配するものを〈サムシンググレート〉としていることに対して、養老氏は、神を考えたがるのは人間の脳の癖だと冷ややか(?)。
 茂木氏の〈クオリア説〉にも、養老氏は「皆さん、これ納得できる?」みたいな感じです。
 人間を神経系(脳)と遺伝子系という2つの情報系に分けて捉える養老氏の考えが、比較的すっきりしているように思えました。

 随所に興味深い話が多く、公務員であるため上限規制があるという国立大学の学長の給料の話(独立行政法人化され事情は変わった?)なども個人的にはそうだったのですが、話題を拡げすぎて全体にまとまりを欠いた感じもします。

《読書MEMO》
●村上和雄(分子生物学者・筑波大名誉教授)...サムシンググレート(遺伝子を支配している何かがある)。遺伝子以外の情報で遺伝子のスイッチがON/OFに。
●茂木健一郎(脳科学者)...クオリア(脳という物質になぜ感覚が宿るか?)
●養老孟司...人間は神経系(脳)と遺伝子系(免疫系など)の2つの情報系を持つ。当面は2つは違うものとすべき。ヒトゲノムや遺伝子操作の研究は、実は「脳一元論」「脳中心主義」。脳は脳に返せ。
●〔養老〕サムシンググレートは神の類似概念。それを考えるのは「脳のクセ」
●〔村上〕東大や京大の学長の給料なんて知れている。公務員だから(135p)
●〔茂木〕永井均、池田晶子が面白い(242p)
●〔養老〕人間とは何か。それは脳と遺伝子に尽きる(330p)/脳は遺伝子が作ったが、遺伝子から独立しかかっている(338p)

 【2009年文庫化[5次元文庫(『脳とサムシンググレート』)]】

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自己意識=自我、自我=「私」というのは拡大解釈ではないか。

「私」は脳のどこにいるのか.jpg          澤口 俊之.bmp
「私」は脳のどこにいるのか (ちくまプリマーブックス)』 〔'97年〕

 前段の心脳二元論に対する反駁は納得できます。
 本題では、心のシステムにはモデュール性があり、それが脳のどこかの部位と対応していると。"自我モデュール"には「自己制御」と「自己意識」という側面があり、前頭連合野がそれを担っているのではないかと。何故ならば、認知心理学的には、「自己制御」と「自己意識」は、それぞれワーキング・メモリの中枢実行系と情報バッファとして捉えられ、前頭連合野の中心的な働きがワーキング・メモリであるからと。

 ワーキング・メモリを意識の座とする考え方を唱える人は他にもいるかと思いますが、著者は「自己意識」をワーキング・メモリが情報を操作・統合した結果生じるものとし、そのメカニズムを推論しています。このあたりは正直よくわかりませんでした。

 著者の「自己意識とはワーキング・メモリの特殊な状態の一つである」という結論が今ひとつピンとこないのは、一般感覚として「自己意識ってワーキング・メモリの一状態に過ぎないの?」という印象を受けるからです。

 タイトルに著者なりの答えを出している姿勢は買えますが、自己意識=自我、自我=「私」というのは拡大解釈ではないかという気がします。著者なりのア・プリオリな解釈があって、後から理屈がついてくるような感じ。

澤口 俊之 夢をかなえる.jpg 『平然と車内で化粧する脳』('00年/扶桑社)でブレイクし、その後、IQでもEQでもないHQ(=人間性知性、超知性)なる概念を提唱していた著者ですが、'06年勤めていた北大を職員へのセクハラで「辞めさせられ」たりもしています(諭旨免職処分が下る前に自主退職し、本人は無実を主張。但し、'04年にもセクハラで減給処分を受けていた)。今は「脳科学者」と言うより「脳科学評論家」乃至「タレント」?


《読書MEMO》
●「二元論」(脳と心は別)と「一元論」(脳の活動が心)の対立(48p)
●脳の各部位の機能にも階層があり、前頭連合野にこそ
 ◆「自我」(自己意識・自己抑制)の鍵である
  ワーキング・メモリ(中枢実行系[理解・推論・計画...etc.]・音韻グループ・視空間グループ)センター
  がある(134-138p)
 ◆分裂病は、前頭連合野に対するドーパミンの働きの障害が関与する(143p)
  かつては精神分裂病の治療としてロボトミーが行われた

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「●講談社現代新書」の インデックッスへ

前半はわかりやすく、後半のニューロンと遺伝子の関係はやや専門的。

脳と記憶の謎200_.jpg脳と記憶の謎.jpg  山元 大輔.bmp 山元 大輔 ・東北大教授(行動遺伝学)(略歴下記)
脳と記憶の謎―遺伝子は何を明かしたか』 講談社現代新書 〔'97年〕

Illustration by Lydia Kibiuk.jpg 冒頭の、「頭の記憶」(陳述記憶)がダメになるアルツハイマーと、「体の記憶」(手続き記憶)がダメになるピック病との対比で、記憶とは何かを述べるくだりはわかりやすいものでした。扁桃体が情動記憶センターだとすれば、海馬は陳述記憶の集配基地であり長期記憶に関わる-この説明の仕方もわかりやすい。

 さらに、短期記憶にも長期記憶にも前頭前野が深く関わっており、記憶の座とは一点にあるものではないことがわかります。ここまでが前半部分。

 後半はニューロンの情報記憶メカニズムに迫りますが、NMDAレセプターがグルタミン酸に結合し、神経細胞を興奮させるイオンチャンネルとして働く...、NMDAレセプターへの刺激により一酸化炭素が発生し、LTP(長期増強)が起こるが、このとき転写を起こす遺伝子群がある...、といったニューロンによる遺伝子の読み出しという考え(多分これが著者の一番言いたかったこと)に至るプロセスは、分子生物学の初学者である自分には、ちょっと難解に感じられました。
 
 本書の前半と後半の難易度にギャップを感じたのは、自分だけだろうか。

《読書MEMO》
●アルツハイマー型痴呆...「体の記憶」(手続き記憶)はOKだが、「頭の記憶」(陳述記憶)はダメ。ピック病は、その逆(ホッチキスで爪を切る...)(28-29p)
●海馬は陳述記憶、扁桃体は情動記憶。海馬がなくても体が反応、ただし自分では覚えていない。扁桃体がないと、覚えているのに感じない(81p)
●《概要》記憶のシステムは筋肉を動かすシステムと同じ刺激=反応で、ニューロンが未知の刺激には電気反応を起さないのに、過去に経験した刺激につては特徴的反応を示すのは、経験済みの刺激だけ通りやすくなっているため

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山元 大輔(やまもと・だいすけ)
1954年生まれ。東京農工大学大学院修了。米国ノースウエスタン大医学部博士研究員、三菱化学生命科学研究所室長をへて、99年より早稲田大学人間科学部教授、03年より現職。『恋愛遺伝子運命の赤い糸を研究する』(光文社)は、遺伝子の専門知識がない人でも面白く読める本として注目を集めた。そのほかにも『行動を操る遺伝子たち』(岩波書店)など著書多数。

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あくまで一般科学書。フェニミズム論争で引き合いにされるのは不幸。

ここまでわかった!女の脳・男の脳_1.jpgここまでわかった!女の脳・男の脳.jpg 『ここまでわかった!女の脳・男の脳―性差をめぐる最新報告 (ブルーバックス)』〔94年〕

 本書は、男性の脳と女性の脳が医学的に異なることを、アンドロゲン(男性ホルモン)とエストロゲン(女性ホルモン)の作用から考察したものです。著者はこの分野の研究では日本における先駆とも言える人です。 

 ネズミなどの動物実験においても空間認知能力では性差があった(雄ネズミの方が雌より空間認知能力が高い。ただし、アンドロゲンを注入された雌ネズミは、雄に近い方向感覚を持つようになる)という報告や、妊娠中のアカゲザルにアンドロゲンを注射すると、生まれてきたメスザルの遊びの行動パターンがオス型になったとの報告は興味深いものでした。 

 男性の空間認知力は狩猟時代における方向感覚の必要性からきたのではなどの考察から、男らしさ、女らしさや性役割ができあがっていくのにも、生物学的なものが何かかかわっていないのだろうかと問いかけています。

話を聞かない男、地図が読めない女.jpg フェニミズムやジェンダー論争の中で、「ジェンダーフリー教育」などを男女の生得的資質の違いを無視したものだとする保守派論客(例えば林道義・日本ユング研究会会長)らのフェニミズム批判において、本書と『話を聞かない男、地図が読めない女-男脳・女脳が「謎」を解く』('00年/主婦の友社)がよく引き合いに出されます。 

 しかし、『話を聞かない...』は脳科学の専門家の手によるものではなく、フェニミズム批判の意図を込めて書かれた一種の啓蒙書であり、一方本書は、専門家による一般科学書で、ジェンダーについての考察をしているだけで、フェニミズムを直接批判しているわけではありません。
 一緒にフェニミズム批判本として引き合いにされるのは、本書にとっての不幸というか、いい迷惑ではないかと思うのですが。

《読書MEMO》
●男性の空間認知力...狩猟時代における方向感覚の必要性(14p)、ネズミにも同様の性差(ただし、アンドロゲン(男性ホルモン)を注入された雌ネズミは、雄に近い方向感覚を持つようになる(23p)(生後1週間以内での話(59p))
●一卵性双生児の性的志向は似る(同性愛では67%)(104p)
●扁桃体の働きは、前頭連合野に影響する(知性の表現にも男女差)(121p)
●アンドロゲン(男性ホルモン)過剰は、左半球の発達を遅らせ、相対的に右半球が発達することがある

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「●「朝日賞」受賞者作」の インデックッスへ(丸山工作)

分子生物学についてのオーソドックスな一般向け入門書。

新・分子生物学入門.jpg新・分子生物学入門―ここまでわかった遺伝子のはたらき (ブルーバックス)』〔'02年〕丸山 工作.bmp 丸山 工作・元千葉大学学長(1930-2003)(略歴下記)

 同じ著者の『分子生物学入門-誰にでもわかる遺伝子の世界』('85年/ブルーバックス)の新版で、平易に書かれていて、かつ一定の範囲を網羅した、分子生物学についてのオーソドックスな一般向け入門書だと思います。

「受精卵クローン」と「体細胞クローン」.gif ゲノム、DNA、遺伝子などのキーワードの概念整理をするうえでも役立し、タンパク質をつくるとはどういうことかとか、ウイルスと分子生物学の関連、遺伝子工学や免疫機能についても概要は掴めます。
 キーワード整理について個人的に言えば、クローンには、「受精卵クローン」「体細胞クローン」の2種類があることも知らなかったので、参考になりました。
 
 「受精卵クローン」の方が「体細胞クローン」より技術的には簡単なわけですが、「牛」レベルで言えばわが国では'90年代に、「受精卵クローン牛」も「体細胞クローン牛」も誕生させているわけですね(「体細胞クローン牛」は世界初)。

農林水産消費安全技術センターHPより

 では「人間」レベルではどうか。
 著者によれば、「クローン人間」をつくるとして、その成功率は数%だそうです。
 一つの話題として紹介されている話ですが、イタリアの不妊治療医の間には、無精子症男性のクローンづくり計画もあるそうです(大金持ちの希望者がいるんだろうなあ)。
 
 ほとんどの先進国ではヒトクローン実験は禁止されているので、禁止されていない国(そうした法律がない国)か、「公海上の船の上」でやるということだそうで、何だか年老いた大富豪とマッド・サイエンティストが登場する小説か映画みたいな話ですが、案外「先にやったモン勝ち」と考えている学者は現実にいるのではないかと思われました。
                                      
《読書MEMO》
●受精卵クローンと体細胞クローン...受精卵クローンのメカニズムは一卵性双生児と同じ、体細胞クローンは細胞を提供した個体と同じクローンになる(19p)
●DNAのうち97%は情報を持たない。3%(3万個)が遺伝子として機能(35p)
●人とチンパンジーのDNAの配列差はわずか1.2%

_________________________________________________
丸山 工作 (元千葉大学学長)
1930年東京生まれ。53年東京大学理学部動物学科卒業後、同大理学部大学院を経て、56年同大教養学部助手。62年理学部助手。65年教養学部助教授。72年京都大学理学部教授。77年千葉大学理学部教授。94~98年千葉大学学長。99年より大学入試センター所長。加えて、科学技術事業団さきがけ21「形とはたらき」総括として繁忙な生活が続き、自身の伝記執筆の予定がなかなか進まない。日本動物学会賞、朝日賞、紫綬褒章などを受章。

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「免疫」というものが面白いほどよくわかり、よくわかるから面白い。

好きになる免疫学.jpg 『好きになる免疫学』 (2001/11 講談社)

 「わかる」という謳い文句でよくわからない本が相当ありますが、この本は本当に面白いほどよく「わかる」。そして「わかる」から「面白い」。
 しかも、対象としているのが、あの専門用語ばかりで難解な免疫学なのです。

 冒頭の、マクロファージ、B細胞、キラーT細胞、ヘルパーT細胞などの免疫細胞たちが連携しながら大活躍する話から、〈ガン細胞〉は"胎児のまねをして"免疫細胞からの攻撃をかわすという話や、〈エイズ細胞〉は免疫反応の"司令官"であるヘルパーT細胞を直接攻撃するという話まで、マンガイラストとあわせて実に面白く読めました。

Ozzy & Drix.jpg 免疫細胞たちの活躍ぶりの描き方は、まるでスター・ウォーズ調!です。
 アメリカのアニメ番組に、「オジー&ドリックス」という"白血球"を主人公にしたものがあるのを思い出しました(日本でもCS放送で放映)。

Ozzy and Drix

 この本は、読んだ後に誰かにその内容を話したくなるのですが、自分でも驚くぐらいきちんと説明できるのです。
 専門家(著者)が自分の手で説明のマンガを描いているという部分が大きいのかも知れません。  
 マンガ入りといっても、監修しているのは、免疫遺伝学の権威・多田富雄氏です。
 同じ師弟コンビによる『好きになる分子生物学』('02年/講談社)も面白そう。

《読書MEMO》
●マクロファージ→ヘルパーT細胞→キラーT細胞・B細胞
●胸腺(胸腺でキラーT細胞は選別を受ける)
●細胞内で遺伝子組み換えが行われている(利根川 進教授)
●ガン細胞はキラーT細胞から身を隠す(胎児の仕組みと同じ)
●エイズウィルスはヘルパーT細胞を破壊する

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「●多田 富雄」の インデックッスへ

「免疫の意味論」「生命の意味論」との併読をお薦め。

免疫学個人授業.jpg 『免疫学個人授業』 (1997/11 新潮社)  免疫学個人授業2.jpg 新潮文庫 ['00年]

 南伸坊氏が免疫学者・多田富雄氏から受けた講義を通して、免疫学の基本や多田氏の「スーパーシステム」の概念をわかりやすく説いている本です。

 免疫学の専門用語などが段階を追ってマスターできるので、読み終えたらせっかくですから、多田氏の『免疫の意味論』('93年/青土社)、 『生命の意味論』('97年/新潮社)に読み進まれることをお勧めします。 

 免疫システムを無目的に複雑化するシステム(スーパーシステム)と捉え、言語や都市、官僚システムにも同じ性質があるという類推は、『生命の意味論』などでも著者が展開した独自の考察ですが、たいへん面白いと思い、また本書ではより噛み砕いて述べられています。

 多田氏が新種のT細胞を発見したときの秘話や、実験台に使った自分の背中の写真なども興味深いものでした。
 歴史的発見にいたるまでの気の遠くなるような努力と科学者としての探求心のスゴさを感じますが、そうしたことを淡々と語る人柄にも惹かれます。

 【2000年文庫化[新潮文庫]】

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「●多田 富雄」の インデックッスへ ○レトロゲーム(シムシティ(SFC))

「免疫の意味論」の"発展形"の本。興味深く読めて、示唆に富む。

生命の意味論.jpg  『生命の意味論』 (1997/02 新潮社)

 『免疫の意味論』('93年/青土社)に続く本書では、免疫学者・多田富雄氏の生命観や「スーパーシステム」(それ自体に直接の目的はなく、システム自体が自己目的化して増殖し発展していくという動き)の概念がよりわかりやすく書かれています。『免疫の意味論』の"姉妹本"というよりも、「生命」や「社会」のシステムにまで考察が及ぶ点では"発展形"の本であると言えます。「自己」とは何かを考察して大きな反響を呼んだ『免疫の意味論』をさらに発展させ、「スーパーシステム」の概念が言語や社会、都市、官僚機構などにまで当て嵌まるのではないかとしています。

 免疫機能や遺伝子に関するテーマにも引き続き触れていて、人間はウイルスと共存していたのに、なぜエイズウルスのようなものが現れたのか?とか、オタマジャクシが蛙になるときに尾が失われるのもアポトーシスによるとか、男脳・女脳の違いは視床下部にある神経核の大きさの違いだとか、鶏にウズラの脳を移植するとウズラ行動をとるが、やがて免疫反応で死ぬ、といった興味深い話も満載です。

 「免疫」とは「非自己に対して行う自己の行動様式」。そこには「自己」という「存在」があるのではなく、「自己」という「行為」があるのみ―。この部分を読み、今まで免疫における「自己」を擬人化して捉えていた自分の勘違いに気づかされました(「免疫」とはあくまで「行動様式」として捉えるべきであることを再認識させられた)。

 「免疫」システムだけでなく、「生命」や「社会」のシステムについて考える上で、多くの示唆を与えてくれる本です。都市の中でも、スーパーシステムを持っている都市と、あらかじめ青写真が出来てから作られた都市(その場合の都市はスーパーシステムを持たない)があるという下りなどは、興味深いです。

「シムシティ」のゲーム画面(PC版1989年/1991年ファミコン版・スーパーファミコン版)
シムシティ.jpgシムシティ fc.jpgシムシティ 1991.jpg 1989年に第1作が発売された「シムシティ」というシミュレーションゲームを思い出しました。このゲーム、操作しなくても勝手に都市が増殖していく場合があるのですが、だからと言って長時間放置していると、いつの間にか怪獣ゴジラが現れ、あちこち歩き回って街を破壊していたりしていました。


《読書MEMO》
●サトカイン...様々な細胞を作り出すホルモン様分子群(14p)
●造血幹細胞...サトカインが働くと赤血球、血小板、T細胞、B細胞などを作る-骨髄移植etc(受精卵から様々な組織ができる「発生」の仕組みとと類似)(28p)
●「スーバーシステム」...単一なものが、まず自分と同じものを複製、ついで多様化することにより自己組織化。そして充足した閉鎖構造を作ると同時に、外部情報を取り込み自己言及的に拡大していく。(56p)
●動物はウィルスと共存。人間のウィルスが豚や鳥に感染すると、2種類のウィルスがゲノム内の遺伝子の一部を交換し、凄みのある変身を遂げる。住血吸虫(タニシ)同様、エイズ(猿)等の原因は自然界への人間の侵入(76-78p)
●アポトーシス...オタマジャクシが蛙になるとき、尾が失われる仕組み(84p)
脳神経系が形成される時、必要以上に神経細胞や神経線維が発生しする(90p)
●胸腺では「自己」見本によりT細胞をチェック、95%が自殺してしまう(95-96p)
●男脳・女脳は視床下部の神経核の大きさの違い(エイズ患者より)(112p)
●ミトコンドリアは卵子にはあるが、精子にはない(124p)
●鶏にウズラの脳を移植すると、ウズラ行動をとるがやがて免疫で死ぬ(144p)
●「免疫」とは、「非自己」に対して行う「自己」の行動様式。そこには自己という「存在」があるのではなく「自己」という「行為」:があるだけ(147p)
●寿命を決めるのは、テロメテア(DNAの一部で、細胞分裂の毎に短くなる)(124p)でなく、胸腺ではないか(181p)

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「●た 立花 隆」の インデックッスへ ○日本人ノーベル賞受賞者(サイエンス系)の著書(利根川 進)

分子生物学から免疫学に"乱入"してノーベル賞、そして脳科学へ。立花氏を唖然とさせる発言も。

立花 隆 『精神と物質』.jpg精神と物質.jpg        利根川 進.jpg 利根川 進 氏
精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか』(1990/06 文芸春秋)

 1991(平成3)年・第4回「新潮学芸賞」受賞作。 

 個体の中に進化と同じシステムがあって、それにより免疫抗体の多様性が生み出される―。この本を読む前は、言葉で理解していてもその実よくわからなかったようなことが、読んだ後にはよくわかりました。

 進化でいうところの〈突然変異〉が、免疫細胞における遺伝子組み換えというかたちで恒常的におこなわれている―。
 つまり、個体を構成する細胞の遺伝子はすべて同一であるという生物学の"常識"概念を、利根川教授が見事に覆してみせたわけです(こういうパラダイム転換をもたらすものがノーベル賞の対象になりやすいのだろうなあ。そうでなければ、多方面の技術の進展や実生活に直接・間接に寄与したものとか)。

 利根川氏、分子生物学から免疫学へ乱入(?)してノーベル賞を、続いては脳科学の世界へ。すごいに尽きます。
 ただし、免疫学の研究においては分子生物学で培った技術が大いに役立ったとのこと。逆に、長く同じ分野で研究を続けている人は、新しい方法を思いつきにくいという傾向も、一面ではあるのかもしれないと思ったりしました。

 生物はもともと無生物からできているので、物理学や化学の方法論で解明できる。人間は非常に複雑な機械に過ぎないーとおっしゃる利根川氏。
 頭でわかっても、凡人には今ひとつピンと来ず、利根川ご指名の単独インタヴュアーである立花隆氏も、この発言には少し唖然としている様子ですが、脳科学の世界ではこれが主流の考えなのでしょうか。

 【1993年文庫化[中公文庫]】

《読書MEMO》
●人間は60兆個の細胞からできていて、その1つ1つに長さ1.8mのDNAがあり、30億個分の遺伝情報が蓄積されているが、読み出される情報はごく一部(文庫46p)
●個体の中に進化と同じシステムがあって、それで免疫抗体の多様性が生み出されている→突然変異=遺伝子組み替え、ただし頻度が異なる(文庫252p)
●生物はもともと無生物からできているので、そうであれば物理学や化学の方法論で解明できる。要するに生物は非常に複雑な機械にすぎない(文庫322p)

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今どきの図鑑の刊行スタイル。大人をも充分満足させる。

大むかしの生物 小学館の図鑑NEO.jpg大むかしの生物 (小学館の図鑑NEO)』 〔'04年〕 カンブリア紀の怪物たち.jpg サイモン・コンウェイ・モリス 『カンブリア紀の怪物たち―進化はなぜ大爆発したか シリーズ「生命の歴史」〈1〉 (講談社現代新書)』 〔'97年〕

『大むかしの生物 小学館の図鑑NEO』.jpg 「小学館の図鑑NEOシリ-ズ」は、動物、植物、昆虫といったオーソドックスなテーマでの刊行が先ずあって、その後「カブトムシ・クワガタムシ」('06年)といった細かいジャンルでのより詳しい内容のものを刊行していて、この「大むかしの生物」にしても、既にシリーズの中に「恐竜」('02年)というテーマで1冊出ている上での刊行です。

 同様の傾向は、ライバルの「ニューワイド学研の図鑑」にも見られ、新入学シーズンなどには、両社のシリーズ新刊・既刊分が書店に"平積み"されますが、これが今どきの図鑑の刊行形態なのだなあと、改めて思わされます。

 セット刊行・セット販売されたものを丸ごとセット買いするというのが旧いパターンになりつつあるのは、インターネットの普及なども関係しているのかも。

 それにしても先カンブリア時代から古生代、中生代、新生代までの生物の変遷を追った本書の充実ぶりにはちょっと驚かされ、古代生物の多様性というものを痛感します(しかし、よくここまで化石からわかるなあ。色は想像でしょうけれど)。

 『カンブリア紀の怪物たち』('97年/講談社現代新書)という本が出て、NHKスペシャルなどでも一時、先カンブリア時代からカンブリア紀(古生代前期)の生物に注目していましたが(その姿がCGにしやすかった?)、最近では少し後のデボン紀とか石炭紀の、恐竜全盛時代(中生代)に入る前の生物を扱っているように、この"陸(おか)に上がったばっかり"の頃の時代の生き物が結構面白い。

Megalodon.jpg それと、ずっと後の、恐竜時代後の「新生代」の生き物も、現存の動物をサイズだけ大きくしたようなものもあり、メガロドンというのはホオジロザメに似てますが、全長16mで、殆ど"ジョーズ"を超えるような世界、他にも7mのコモドオオトカゲとか8mの海牛(カイギュウ)とか、それらの方が恐竜などよりも何か新鮮なインパクトが感じられたりもします。

Megalodon

 子どもに見せるつもりで買って、つい自分の書棚に置いてしまいそうになる1冊です。

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「●は 長谷川 真理子」の インデックッスへ 「●集英社新書」の インデックッスへ

生き物の謎に対する多面的アプローチをわかりやすく示す良書。

生き物をめぐる4つの「なぜ」.gif生き物をめぐる4つの「なぜ」 (集英社新書)』〔'02年〕hasegawa.jpg 長谷川真理子氏(略歴下記)

 章題に「雄と雌」、「鳥のさえずり」、「鳥の渡り」、「光る動物」、「親による子の世話」などとあり、その謎を解き明かしていくのが本書の目的であるかと思って読み始めましたが、それらの答えが本書で完全に示されているわけではありません。
 「詳細はよくわかっていません」という記述が随所にあります。

 序章にありますが、表題の4つの「なぜ」というのは、ティンバーゲンという動物学者が、『本能の研究』('51年)の序論において,「動物はなぜそのように行動するのか?」という問いに対して、それが、
 1.どのような仕組みであり(至近要因)、
 2.どんな機能をもっていて(究極要因)、
 3.生物の成長に従いどのように獲得され(発達要因)、
 4.どんな進化を経てきたのか(系統進化要因)
 の4つの視点からアプローチすべきであると説いたのを受けています。

 しかし、学校教育における「生物」は、生物の不思議な特徴を、仕組み・目的・発達・進化の4つの要因から読み解くこうした多面的アプローチがなされていない(至近要因=仕組みしか教えていない)ために単なる暗記科目になり、多くの人は高校生の間に「生物」嫌いになってしまうというのが著者の指摘です。

 "多面的アプローチ"というと何か難しそうに聞こえますが、本書では実際にその考察手法により、生き物の様々な面白い面、不思議な面が見えてくることを、事例で示すことで、読者の関心を引きながら実証しています。
 全体を通して一般向けにわかりやすく書かれており、良書だと思います。
_________________________________________________
長谷川 真理子 (早稲田大学政治経済学部 教授)
1976年 東京大学理学部生物学科卒業
1983年 東京大学大学院理学系研究科博士課程単位取得退学、理学博士
東京大学理学部助手、専修大学法学部助教授、教授、イェール大学人類学部客員準教授を経て現在、早稲田大学政治経済学部教授。
専門は行動生態学、進化生物学。日本動物学会会長、日本進化学会評議員。著書に、「科学の目 科学のこころ」(岩波新書)、「進化とはなんだろうか」(岩波ジュニア新書)、「生き物をめぐる4つのなぜ」(集英社新書)、「進化と人間行動」(長谷川寿一と共著、東京大学出版会)など

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大人が読み物として気軽に読める恐竜学の入門書。

恐竜を掘りにいく.jpg 『恐竜を掘りにいく―謎だらけの生態を解き明かす最新恐竜学』 プレイブックス・インテリジェンス 〔'02年〕

大恐竜を掘りにいく.jpg 「恐竜」は子どもだけでなく大人のロマンも誘います。本書は、地球科学、恐竜学研究の第一人者で福井県立恐竜博物館館長でもあり、児童向けの恐竜本などの監修も多く手がけている濱田隆士東大名誉教授の監修によるもので、大人が読み物として気軽に読める恐竜学の入門書になっています。
 地球の歴史は地質年代上、
 ◆「先カンブリア紀」(46〜5.4億年前)、
 ◆「古生代」(5.4〜2.45億年前)、
 ◆「中生代」(2.45億年前〜6500万年前)、
 ◆「新生代」(6500万年前〜現代)
 に分けられ、生物は35億年前、多細胞生物は6億年前に地球に登場しますが、恐竜の時代といわれるのは「中生代」であり、恐竜が地球にいたのは1.5億年の間で、これは〈地球の歴史〉の33分の1に過ぎないけれど、〈人類の歴史〉の80倍にあたるとのこと。

 「中生代」はさらに、
 ◆「三畳紀」(2.45〜2.08億年前)、
 ◆「ジュラ紀」(2.08〜1.45億年前)、
 ◆「白亜紀」(1.45億年前〜6500万年前)
 に分かれます。
 例えばティラノサウルス(Tレックス)が出てくるのは白亜紀後期になります。

ブロントザウルス.jpg こうした基本事項をしっかり押さえた上で、よく挿絵や映画であるような、 ジュラ紀の巨大恐竜が鎌首を白鳥のように持ち上げているのは嘘であるとか、一般の思い込みを覆す指摘も多く、興味深く読めます。

 一般にも関心が高いと思われる「恐竜絶滅」に関しては、有力説から俗説まであげて説明しています。
 やはり、「巨大隕石衝突説」と「大規模火山活動説」が有力みたいです。
 近年の研究では「隕石説」が一歩リードのようですが、最近のNHKスペシャル「地球大進化 46億年・人類への旅」('04年)では「火山活動説」を結構推していたような気がします。
 サイエンス・ファンには目が離せない論点の1つだと思います。

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着眼点そのものはユニークだが、根拠は今ひとつ不明確。

『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学』.jpgゾウの時間 ネズミの時間.jpg  絵ときゾウの時間とネズミの時間.jpg
ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)』 〔'92年〕 『絵ときゾウの時間とネズミの時間 (たくさんのふしぎ傑作集)』 〔'94年〕

第76刷新カバー['17年]

 1993(平成5)年・第9回「講談社出版文化賞」(科学出版賞)受賞作。

ゾウimages.jpg 生き物のサイズと時間について考えたことがある人は案外多いのではないでしょうか。本書によれば、哺乳類はどんな動物でも、一生の間に打つ心臓の鼓動は約20億回、一生の間にする呼吸は約5億回ということだそうです。

 ネズミはゾウよりもずっと短命ですがこういう結果になるのは、拍動や呼吸のピッチが全然違うためだということ。こうした時間を計り、体重との関係を考えてみると、動物は体重が重くなるにつれ、その時間はだいたいその4分の1乗に比例して長くなるとのこと。

 スッキリした「答え」の示し方が、本書がベストセラーになった要因の1つではないでしょうか。科学的好奇心を満たすだけでなく、同じ1秒でもネズミの1秒とゾウの1秒ではその意味が違うのだという感慨のようなものがあります。数式など用いて部分においては専門的なことに触れながらも、全体を通してこなれた文章で読者の関心を掴んで離さず、中高生向けの科学推薦図書として挙げられることが多いばかりでなく、しばしば国語の入試問題などの出典元にもなったようです。

 ただし、その後に繰り広げられる著者の論説は、エネルギー消費量は体重の4分の1乗に反比例するというといった点まではわかるものの、「大きいということは、それだけ環境に左右されにくく、自立性を保っていられるという利点がある。この安定性があだとなり、新しいものを生み出しにくい。ひとたび克服出来ないような大きな環境の変化に出会うと、新しい変異種を生み出すことも出来ずに絶滅してしまう」といった動物進化に対する考え方は、1つの仮説に過ぎないという気もします。いったんそうした目で本書を見ると、本書はすべてが著者の仮説・推論で構成されているような気がしてくるのです。着眼点そのものはユニークなのですが、根拠は今ひとつ明確に示されていないのではないかと...。

 それと少し気になるのは、最近著者は一生の間に打つ心臓の鼓動を「20億回」から「15億回」と修正していることです。そうすると、人間の寿命は長すぎるということに...(計算上は26.3年に)。そこで最近は、「縄文人の寿命は31歳ぐらいだった」とし、「生物学的寿命とは別の"おまけの人生"を我々は送っているのだ」ということを言っているけれども、なんだか人生論みたいになっていきます。

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興味深い話が満載。「子殺し」の話はショックであり謎である。

立花 隆 『サル学の現在』.jpgサル学の現在.jpg サル学の現在 上.jpg サル学の現在下.jpg  立花 隆 2.jpg 立花 隆 氏
サル学の現在』 単行本 〔'91年〕/文春文庫 (上・下)

 ジャーナリストである著者が、内外のサルに関する研究者に対するインタービューをまとめたもの。「サル学」に関心を持っている人がどれだけいるかという気もしましたが、著者のネームバリューもあってか、結構売れたようです。

 現在の日本の「サル学」研究は、世界のトップクラスであるとのこと。「現在」といっても'91年の出版で、内容は多少古くなってるかもしれませんが、扱っているサルの種類が広汎で(チンパンジー、ゴリラ、オランウータンなど類人猿から、ニホンザル、ヒヒ、ハヌマンラングール、その他)、視点も、社会学的考察から、遺伝子工学による分子生物学的分類まで幅広いものです。

 しかも、ニホンザルにボスザルはいないとか(動物園で見られるサル山は人工的に作られた社会とのこと)、ゴリラには同性愛があるとか、ピグミーチンパンジーは挨拶代わりに性行為をするとか、読者の興味を引く話が満載です。

ハヌマンラングール.jpg 結果として、体系的な知識が得られるという本にはなっていない気もしますが、サル学者になるわけではないから、まあいいか。

 むしろこれだけブ厚い本を楽しく最後まで読ませ、振り返って人間とは何かを否応無く考えさせる力量は、やはり著者ならでのものでしょう。

「子殺し」をするハヌマンラングール

 一番印象に残った話は、やはりサルの「子殺し」でしょうか。

 ハヌマンラングール(南アジア に棲息する中型のオナガザルの1種)の新しく群れのリーダーになったオスが、前のボスの子である生まれたばかりの赤ちゃんザルを殺すということを発見したのは日本人です。

 '62年、京大の大学院生だった杉山幸丸氏(現・京都大名誉教授)が、インド・デカン高原西部のダルワール近郊で、ハヌマンラングールの群れを追っていた際に、ドンタロウと名づけたオスが率いる「ドンカラ群」を7匹のオスグループが襲い、ドンタロウは群れを追われ、襲撃派のなかのエルノスケが群れを乗っ取るという"事件"が起こります。

 しかし、杉山氏にとって本当に衝撃的な"事件"は、その後2ヵ月の間に起こり、それは、エルノスケがその間に、大人のメスが連れていた赤ちゃんザル5匹と1歳の子どものメス1匹を次々に殺しく光景に出くわしたというもので、杉山氏ら京都大の霊長類研究グループは、ニホンザル研究で培った個体識別と長期観察の手法で「子殺し」の詳細を明らかにしていった結果、「群れの中でメスと交尾できるのは大人のオスだけで、外のオスが群れを乗っ取り、交尾を望んでも、子育て中のメスは発情しないため、子どもをいなくして発情させようとした」のだという結論に達します。

 別の群れで大人のオスを除去したら、近くの群れからきたオスが子殺しをしたことが観察され、研究グループは、これは特殊な出来事ではないとの確信を深めますが、国際シンポジウムでこの「子殺し」を発表した際の世界中の学者たちの反応は冷たく、単なる「異常行動」とされて議論にもならなかったそうです。

 しかし、その後、ゴリラやチンパンジーなどの霊長類のほか、ライオンでも子殺しが見つかり、70年代になると、欧米の研究者らもハヌマンラングールの子殺しを相次いで報告し、杉山氏らの研究は追認され、世界に受け入れられていきます(日本はサル学先進国なのだ!)。

 子育て中のメスザルは発情しないが、子が死ねばまた発情する―というのがポイントだと思いますが、こうした子殺しが、チンパンジーやゴリラでも行われていて、しかも彼らは、殺した子ザルの肉を食うというのにはビックリ。

 ゴリラの場合はハーレムを形成するけれど、チンパンジーは乱交なので、自分の子を食べている可能性もあるわけです。しかも生きたままで...。
 何だか、ショックと謎がいっぺんに来たような感じがしました。

 【1996年文庫化[中公文庫(上・下)]】

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「ドリトル先生」に夢中だった少女が進化生物学の第一人者になるまで。

進化生物学への道.jpg 『進化生物学への道―ドリトル先生から利己的遺伝子へ (グーテンベルクの森)』 〔'06年〕

 進化心理学や行動生態学の権威である著者が、自らの半生を綴ったエッセイで、研究の歩みを振り返るとともに、「人生の軌跡において重要な役割を果たした本」を紹介した「読書案内」にもなっています。

 子どもの頃は「図鑑」の愛読者で、小学4年生で『ドリトル先生航海日誌』に夢中になり、そのときの好奇心や探究心を保ったまま学究の徒となり、紆余曲折、様々なフィールドワークや世界的な学者との交流を経て、進化生物学のフロントランナーとしての今に至るまでが、飾り気の無い語り口で書かれています。

 前半では『ドリトル先生』の他に、ローレンツの『ソロモンの指環』、ジェイン・グドールの『森の隣人』などが紹介されていて、その後、ドーキンスの『利己的な遺伝子』に出会い、ダーウィンに回帰し、進化心理学、しいては総合人間科学を自らのテーマとする―そうした過程を振り返りながらも、生態学、進化学の現時点的視座から、先人たちの研究や著作を冷静に検証していています。
 
 2年半にわたるアフリカでの野生チンパンジーの観察の話や、「ハンディキャップ理論」(著者の本『クジャクの雄はなぜ美しい?』('92年出版・'05年改定版/紀伊國屋書店)に集約されている)、「ミーム論」に関する話などがわかりやすく盛り込まれていて、知的エッセンスに溢れる仕上がりになっています。

 「群淘汰の誤り」というパラダイム変換が世界の学会に起きていたのに、東大の研究グループの中ではそんなことは知らずにいた著者が、たまたま来日した学者に『利己的な遺伝子』を読むことを勧められ、目からウロコの思いをしたという話は印象的でした。
 しかし、この流行語にもなった「利己的遺伝子」の概念が、俗流の「トンデモ本」によって歪められ、多くの日本人は結局のところ、未だに「種の保存」論を信じていることを著者は指摘しています。

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「●講談社現代新書」の インデックッスへ

進化論を使った知的冒険。進化論の歴史もわかりやすく解説されている。

進化論という考えかた3.JPG進化論という考えかた.jpg進化論という考えかた2.jpg 進化論の挑戦.jpg 佐倉 統.jpg 佐倉統 氏(略歴下記)
進化論という考えかた (講談社現代新書)』〔'02年〕『進化論の挑戦 (角川選書)』〔'97年〕 

 「進化論をおもしろく紹介するよりも、進化論を使って知的冒険を展開してみたかった」と後書きにあるように、人間がほかの動物から進化してきたという事実から「人間性」も進化したと考えるべきではないかとし、進化論の方法をキーに、人間の心(倫理観など)や行動、文化の生成の謎に迫ることができるのではという考えを示しています。

『進化論の挑戦』['97年/角川選書 '03年/角川ソフィア文庫]
『進化論の挑戦』('97年/角川選書.jpg進化論の挑戦2.jpg 著者は以前に、『進化論の挑戦』('97年/角川選書・'03年/角川ソフィア文庫)の中で、進化論の失敗を含めた歴史的背景を振り返り(例えば進化論が「優生思想」に形を歪められ、ヒトラーらの政治手段として利用されたようなケース)、既存の倫理観、宗教観、フェミニズム、心理学などの学問領域を進化論的側面から再検証した上で、新たな思想の足場となる生物学的な人間観を提示しようとしました。

 個人的には、人間の文化は、遺伝子には刻まれない情報ではあるが、集団的に受け継がれていくものであるという「ミーム論」的なニュアンスを感じましたが(著者は遺伝学的決定論には批判的である)、話の結論としては、哲学、心理学、社会学など個別の領域で行われてきた研究は、進化論の考え方を導入することで統合され飛躍的に発展するだろうということになっている印象を受けました。ただし、あまりに多くのことに触れている分、各分野については浅く(学術書ではなく啓蒙書であるからそれでいいのかも知れないが)、大枠では著者の主張はわかならいでもないまでも、もやっとした不透明感が残りました。
    
進化論という考えかた2897.JPG そうした著者の言説をわかりやすく噛み砕いたもの(元々そうした趣旨において書かれたもの)が本書『進化論という考えかた』('02年/講談社現代新書)であるとも言えますが、ただし、本書において具体的にそうした学問領域の間隙を埋める作業に入っているのではなく、むしろそうした作業をする場合に著者が自らに課す"心構え"のようなものを「センス・オブ・ワンダー」(自然への畏敬の念)という概念基準で示しています(この言葉はレイチェル・カーソンの著作名からとっているが、著者なりの言葉の使い方とみた方がよいのでは)。そして、この基準を満たさないものとして、竹内久美子氏の"俗流"進化生物学や澤口俊之氏の『平然と車内で化粧する脳』('00年/扶桑社)などを挙げて批判しています。

 本書の第1章では、進化論の歴史がわかりやすく解説されていて、入門書としても読めます。ここが、本書の最もお薦めのポイントで、後はどれだけ著者の「知的冒険」に付き合えるかで、本書に対する読者個々の相性や評価が決まってくるのではないでしょうか。

 進化学の手法が万能であるような楽観的すぎる印象も受けましたが、〈ミーム論〉は現時点では学問と言える体系を成していないとするなど、冷静な現状認識も見られ、今後注目してみたい学者の一人ではあると思えました。 
_________________________________________________
佐倉 統
1960年生まれ。著書に 『現代思想としての環境問題』(中公新書)『進化論の挑戦』(角川書店)『生命の見方』(法藏館)など。専攻は進化生物学だが、科学史から先端科学技術論まで幅広く研究テーマを展開。横浜国立大学経営学部助教授。

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「●は 長谷川 真理子」の インデックッスへ 「●岩波ジュニア新書」の インデックッスへ

生物の多様性を示す面白い事例が豊富に紹介されている。

進化とはなんだろうか.jpg 『進化とはなんだろうか』 岩波ジュニア新書 〔'99年〕 生き物をめぐる4つの「なぜ」.gif 『生き物をめぐる4つの「なぜ」 (集英社新書)

クジャクの雄はなぜ美しい?.jpg 進化についての中高生向けの入門書なので、自分のような素人にもわかりやすかったです。有名な「赤の女王仮説」もこの本で知りました。

 著者の長谷川真理子氏は動物学者で、『クジャクの雄はなぜ美しい?』('92年出版・'05年改定版/紀伊國屋書店)など性差学の著作も多く、旦那さんも動物学者で、『進化と人間行動』('00年/東京大学出版会)など進化動物学に関する共著もあります。

 本書は動物学者の著者らしく、生物の多様性とその仕組みを説明するための事例が豊富で、それらには驚くべきものが多かったです。

 例えば6pにいきなり出てくる、母親の体内で卵からかえり、兄弟姉妹同士で交尾し、雌だけが母親を食べて体外へ出てきて、精子を姉妹に渡した雄は死んでしまうというダニの話など、ショッキングとまではいかなくとも結構不思議な気がして、生命とは何か、種とは何を目的としているのかを考えさせられる事例です。
 面白くてどんどん読み進んでしまいます。

 この著者の『生き物をめぐる4つの「なぜ」』('02年/集英社新書)もオススメです。

《読書MEMO》
●ダニの一種で、母親の体内で卵からかえり、母親を食べて体外へ出てくる、しかも体内で兄弟姉妹同士で交尾し、雌だけが出てくるものがある(精子を姉妹に渡した雄はもう生きていく必要が無く、出る前に死ぬ)(6p)
●人の血液型は、ABO型どれであっても適応度に差がないため、ABOそれぞれを作る遺伝子が残った(64p)
●「赤の女王」(鏡の国のアリス」)仮説...有性生殖の目的は、遺伝子組み換えによる寄生者(ウィルスなど)への対抗戦略(171p)
●雄のクジャクの羽が美しいのは、厳しい環境の中でそれだけのものを維持しているとういう生存力の指標(183p)

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構造進化論そのものはよくわからなかったのだが、話題が広くて面白く読めた。

さよならダーウィニズム.jpg 『さよならダーウィニズム―構造主義進化論講義 (講談社選書メチエ)』 〔'97年〕

 ダーウィニズム批判の話の過程で、免疫と寄生虫のアナロジーやミトコンドリア・イブの話、超弦理論の話、俗流社会生物学(竹内久美子?)批判まで出てきて、話題は広く楽しく読めます。

 しかしカル遺伝子の話から導かれる、情報(DNA)と解釈系の関係で形質が決まるという構造主義生物学の話は、その前のソシュールの言語論の話あたりから自分とっては難解なものでした。
 しかも最後に「今のところ単なるお話にすぎない」とやられたのでは...(担当編集者たちに2日間集中講義を行い、その"語り下ろし"をもとに成った本だそうですが、編集者たちは本当に構造主義生物学というものを理解したのだろうか)。

 自分自身は本書の内容をどこまで"構造的"に理解できたかよくわかりませんが、それでも、「ビックバン直後の宇宙は5センチぐらいの球だったから、150億光年先で起きている、今地球で観測される出来事は、150億年前に5センチ先で起きた」といったような語り口が楽しく、随所に読む者の好奇心をかきたてるトピックスがある本ではありました。

《読書MEMO》
●多田富雄の話...免疫学から見ると寄生虫は自己(アニサキスは痛いが日本住血吸虫は何も感じない(免疫擬態)、擬態できないアニサキスは排除される(16p)
●ミトコンドリア・イブ...20万年前アフリカに(ホモ・サピエンスとは限らない(24p)
●超弦理論...場の統一理論に発するが、場の統一には10次元なければならない(宇宙はもともと10次元あったものが、対称性が崩れ4次元だけ顕在化?)(63p)
●俗流社会生物学...男が浮気するのは、浮気する男の方が子をたくさん残すから、3世代、4世代たつと浮気男の子供ばかり増える。100世代もたつと浮気遺伝子を持った男ばかりになり、浮気しない遺伝子はほとんど無くなる。
子供を生まないホモが淘汰されないのは、ホモに男の兄弟がいるとすると、自分の兄弟以外の男をホモ達にするから、兄弟のライバルが減る。-どうにでも恣意的に解釈してしまう。それではホモの近親相姦はどう説明する?(133p)
●構造主義生物学...カル遺伝子は性腺を作るが、マウスにはこの遺伝子がないのに性腺はある。Pax6遺伝子は情報が同じでも違う形を作り(解釈系が同じなら同じ器官を作る)、カル遺伝子は情報が違っても同じ形をつくる情報と解釈系の対応恣意性)(294p)構造主義生物学は今のところ単なるお話に過ぎない(213p)
●ビッグバン直後は宇宙は5センチぐらいの球だった。だから150億光年先で起きている、今地球で観測される出来事は、150億年前に5センチ先でおきた(220p)

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「●講談社学術文庫」の インデックッスへ 「●「朝日賞」受賞者作」の インデックッスへ(今西錦司)

読み手に知的興奮を与えるとともに、自分で考えることを迫る本。

進化とはなにか.jpg  『進化とはなにか (講談社学術文庫 1)』  今西錦司.jpg 今西錦司 (1902‐1992/享年90)

 〈突然変異・自然淘汰〉を中心とする「ダーウィン進化論」を今西は否定しているのですが、首が長くなる過程のキリンの化石が見つからないではないか、という具合に言われると、なるほど、今西先生の言う通りだと思いました。
 自然淘汰説が正しいならば、自然淘汰の過程で、中くらいの首の長さのキリンがいた時代もあったはずだから...。
 そこで今西は、「種」レベルで、あるときに一斉に進化する(首が長くなる)要素がそこに内在したのではないかと考えるわけです。

 「講談社学術文庫」の創刊第1冊であり、最初読んだときには今西進化論の「種」レベルの進化の考え方の方が、正統派進化論の「個」レベルの進化よりしっくりきました。
 しかし、現在の進化学では今西進化論はマイナーです。今西が英語の論文を書かなかったこともあり、欧米では最初から存在すら認められていない?

 確かに、今西の言う「種」の主体性は、その根拠が希薄ではないかと言えば希薄です。
 第三大臼歯の生えない人に自然淘汰の上で何か「利点」はあるかという彼の問いは、〈自然淘汰〉説の否定論としても使えますが、何か「ハンディ」はあるかというふうに考えれば肯定論にもなります。

 しかし、今でも自分には〈共存原理〉の方が〈自然淘汰〉説より感覚的にはしっくりきてしまう。
 〈自然淘汰〉という言葉をもっと柔軟に捉えるべきか...。そうすると、今西論と変わらなくなる気もするし...。

 あまり思想論争みたいになるのは好みではありませんが、ダーウィン進化論はある意味で誰でも参加できる科学テーマであり、本書は読み手に知的興奮を与えるとともに、自分で考えることを迫る本でもあると思います。

《読書MEMO》
●ダーウィン進化論(突然変と異自然淘汰)を否定(首が長くなる過程のキリンの化石が見つからない)、正統派進化論は個体レベル、今西進化論は「種」レベル
●第三大臼歯の生えない人に、自然淘汰のうえで何か利点はあるか(142p)
●ラマルクの獲得形質遺伝説-今西は「主体性」を評価

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「●の 野本 陽代」の インデックッスへ 「●岩波新書」の インデックッスへ

望遠鏡の修理打ち切り? 本当にこれらの写真は"ハッブルの遺産"になってしまうのか。

カラー版 ハッブル望遠鏡の宇宙遺産.jpgカラー版 ハッブル望遠鏡の宇宙遺産 (岩波新書)swap.gif

 岩波新書の「カラー版ハッブル望遠鏡が見た宇宙」シリーズの3冊目ですが、美しい天体写真の数々には、ついにここまできたかと思わせられる一方、この宇宙望遠鏡が使えなくなるかも知れないというのは本当に残念に思います。

 「ハッブル・ヘリテッジ」は"地球遺産"に対する"宇宙遺産"という意味合いでのNASAのネーミングですが、著者の指摘のように、この宇宙望遠鏡が使えなくなれば、これらの写真は"ハッブルの遺産"になるという意味にもとれます。

 なぜハッブル望遠鏡が存亡の危機にあるのかは、本書の4章にこの望遠鏡の歴史と併せて述べられています。
 つまり、宇宙望遠鏡の軌道と国際宇宙ステーションの軌道が一致していないため、望遠鏡の修理保全がたいへんであるとのこと。
 今までこの望遠鏡を守るために何人もの宇宙飛行士が命を賭けてきたことに感動するとともに、長期間に及び、その間に不測の事態がまま起こる宇宙計画の難しさというものを知りました。
 
 ただし、本書出版後しばらくして('04年12月)、全米科学アカデミーは、老朽化が進むハッブル宇宙望遠鏡の改修をめぐり、「スペースシャトルで飛行士を送って改修するのがベスト」という報告書をまとめています。 
 ロボットによる改修構想もあったようですが、「技術面で確実性に欠ける」とし、「ハッブル望遠鏡の価値を考えると、有人飛行による改修はリスクを負うに値する」と結論づけています。

 全米科学アカデミーはNASAに勧告する立場にあり、ハッブル望遠鏡の部品を交換しないと望遠鏡は3,4年後に使えなくなるとしていますが、その補修のためには国際宇宙ステーション向けとは別にスペースシャトルを打ち上げなければならないというのは、本書の内容とも符号するところで、こうなると人命問題だけだなく、費用問題、政治問題など色々絡んでくるなあ(素人目にもハッブル望遠鏡は国際宇宙ステーションよりは軍事的効果はないように思えるし)。

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2人の物理学者の興味深い考察が随所に。

宇宙はすべてを教えてくれる.jpg 『宇宙はすべてを教えてくれる―未知なる「知」への探求 タイムマシーンから地球外生命体まで』 〔'03年〕

 佐治晴夫(理論物理学)、佐藤勝彦(宇宙物理学)両氏の対談形式ですが、宇宙論から始まって、教育論、進化論、知性の意味、時間論と話題は駆けめぐり、最後にまた宇宙へ。自らの専門に固執しない自由な対談は、「知」への探究意欲を感じます。

 と言っても、佐藤氏の「インフレーション理論」や佐治氏の「f分に1ゆらぎ理論」の話に多少の説明を要しているぐらいで、メガネ屋でどうして鏡に映った逆向きの顔を見て納得しているのか? 快晴の空はなぜ気持ちがいいのか?といった素朴かつ身近な切り口から、認知論や進化心理学などを語っています。

 時間が循環しているとしたら人間の自由意志はどうなるかとか、ETと遭遇しないのは高度な知的生命体は短い期間に滅びるからではないかとか(何となく納得)、興味深い考察やうんちくが随所に。

 宇宙について知ることは、単に知識として知ることでなく、鳥瞰的に自分の位置づけを知ることだという両者の考えに共鳴しました。

《読書MEMO》
●【佐治】眼鏡屋にいって鏡に映る顔は、他人が見る顔ではない-顔をデジカメで撮ってパソコン上でフレームわかける合成画像方式の店がある(25p)
●【佐治】鳥の目【佐藤】宇宙について知ることは、単に知識として知ることではない(28p)
●「ミトコンドリア・イブ」...10万年前のアフリカに(44p)
●【佐藤】量子論ではタイムマシンは可能、親殺しのパラドックスは、その時点で別の宇宙が分離いしていくと考える(別の宇宙へ行って別のお母さんを殺しただけ)(55p)
●【佐藤】インフレーション理論...空間自体の真空のエネルギーでミクロの極小宇宙が急激に膨張、インフレーションが終わると真空エネルギーが熱エネルギーに変わり、火の玉宇宙、ビッグバンへ(64p)
●【佐治】ドーキンスによると戦争の原因は集団帰属意識【佐藤】長谷川訳書によると殺人原因の最多は酒場の口論(雄の虚勢←メスの獲得)(102ー104p)
●【佐藤】快晴の青空がいい訳を進化心理学で説明(144p)
●【佐治】f分の1ゆらぎ...半分は予測できて半分は予測できない変化の度合い(153p)
●【佐藤】因果のループ...時間が循環しているとする場合、人間の自由意思はどう説明?(自由意思と思っているものも何かに決められている、または時間が枝別れする(165p)
●【佐治】本川達雄の動物の時間論(179p)
●【佐藤】カミオカンデ゙の目的は陽子崩壊の確認(187p)
●【佐藤】高度な知的生命体は100か〜1000年程度で滅びる?(201p)

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「●科学一般・科学者」の インデックッスへ 「●岩波ジュニア新書」の インデックッスへ

"天才"物理者が淡々と語る自らの少年時代や研究と交友の歩み。

宇宙物理への道.jpg 『宇宙物理への道―宇宙線・ブラックホール・ビッグバン』  岩波ジュニア新書 〔'02年〕 佐藤 文隆.jpg

 日本を代表する宇宙物理学者であり、一般相対性理論の研究者としても知られる著者が、自らの半生を振り返ったもの。

 山形の片田舎に生まれ、小学校卒の両親のもとで普通に少年らしく暮らし、湯川秀樹のノーベル賞受賞に刺激されて、学校で勉強しているのだから家で勉強しなくてもいいと親に言われながらも勉学に励んだ―、 
 たまたま人の勧めで京大を受験してあっさり合格し、そのつもりはなかったが大学院に進み、自らの関心に沿って宇宙線やブラックホールの研究を続け、やがてアインシュタインの重力方程式の新たな解を発見する―という、"痛快"とでも言うか、こういう人には何か資質的な"天才"を感じないわけにはいきません。

 しかし中高生向けに書かれた本書には、自らの才能を誇示する風も、科学者としての尖がった感じも、はたまた聖人君主めいた感じもまったくなく、淡々と語る研究の歩みや仲間との交流の話、科学の将来展望と若い人へ寄せる期待などは、著者の人柄を感じさせるものです。

 宇宙物理学の歩みが、ホーキング博士や多くのノーベル賞科学者の業績とともに紹介されていて、彼らの多くと著者が交流や繋がりがあるのがスゴイ。
 
 また、解があるかないかも分からないような問題に取り組む際のカン処の話や、ノーベル賞を受賞した小柴昌俊教授のカミオカンデの成果がある種の幸運によるものであったように、偶然から次の展開が見えてくることもあるという話など、科学者の研究の裏側も少し覗けたような気持ちになりました。

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「●た 立花 隆」の インデックッスへ

宇宙の生成の「インフレーション」理論がわかりやすく解説されている。

立花 隆 『脳とビッグバン.jpg脳とビッグバン.jpg 『脳とビッグバン―生命の謎・宇宙の謎』 (2000/06 朝日新聞社)

 科学の最前線で活躍する科学者とその「現場」を立花隆氏が取材するという科学誌『サイアス』の連載をまとめたもので、本書はシリーズ3冊目。
 ビッグバン研究の最前線からの報告をはじめとする宇宙編と、脳や生命活動についての新発見を紹介する生命編の2部構成になっています。

 第1部のビッグバン研究の最前線は、東大の佐藤勝彦教授の研究室を取材していますが、佐藤教授の宇宙の生成における「インフレーション」理論が、立花氏によってわかりやすく、かつ興味深く紹介されています。
 このあたりの一般人の驚きを喚起するような氏の伝達技術はうまい。
 宇宙の謎を解く研究をしている現場ってどんなのだろうという素人の興味にも応えていると思います(これがまた意外と質素・貧弱で雑然としている研究室なのです)。

 第2部の「生命の謎を探る」では、子どもの脳にしかないと思われていた神経幹細胞が成人の脳にもあったことを発見した慶応大学医学部の岡野栄之研究室の「現場」などを取材していますが、科学誌に連載されたものであるためか、やや専門的です。

 こうして単行本になったとき、この2つのテーマの双方に関心を持ち、その内容を理解する読者がどのくらいいるのかとも思いましたが、しっかり文庫化されているのは「立花本」ゆえでしょうか。

 【2004年文庫化[朝日文庫]】

《読書MEMO》
【宇宙の生成過程】
宇宙は生まれたとき、素粒子より小さかった
●1.インフレーション以前...宇宙誕生後10の-44乗秒後にインフレーションが始まった
●2.インフレーション期...1秒の1/1兆の1/1兆の1/10億の間に、10兆倍の10兆倍の1億倍の大きさに(10の-33乗秒後に1センチぐらいの大きさに)
●3.火の玉宇宙期(ビッグバン期)(誕生から30万年まで)
●4.ポスト火の玉期(〜現在)
※ここでいう宇宙は光の到達範囲内(=観測的宇宙=100億光年内)。宇宙自体の膨張は、光速が最速といういうアインシュタインの理論の制限を受けない。

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「●の 野本 陽代」の インデックッスへ

美しい写真とわかりやすい解説。ヒトは星から出来ているのだ。

見えてきた宇宙の神秘.jpg見えてきた宇宙の神秘 Eye of Hubble

 ハッブル望遠鏡によるものを含む天体カラー写真と、太陽系や銀河系、宇宙についての解説で構成されています。
 写真が美しい。カラフルで立体感があるのです。写真で毛や米粒や煙柱にしか見えないようなものが、長さ何千光年とか、この中に銀河がいくつもあるとか、気の遠くなるような話。

 野本陽代さんの解説も一通り天体物理学の基本を押さえて、かつわかりやすい。「すべての星の一生は重力との戦い」とか「太陽の八倍以上の質量を持つ星の一生は駆け足」とか、なるほどという感じ。

 もしこの世に超新星というものが無ければ、新元素も誕生していなっかたので、われわれは生まれてこなかったとも。
 ヒトは星から出来ているのだ。

(本書より)
らせん星雲.jpg 馬頭星雲.jpg

《読書MEMO》
●すべての星の一生は重力との戦いである(自らの重みと水素を燃やすことによる内部圧力とのバランス)。中心部が燃え尽きると、星は太る(赤色巨星)。あるところまで膨らむと、太陽のような小さな星の場合、外部のガスを放出して(惑星状星雲)中心部がむき出しになる(白色矮星)(172p)
●太陽の八倍以上の質量を持つ星の一生は駆け足。赤色巨星となった後、大爆発を起こす(超新星・「客星」)。カニ星雲は超新星の名残り(179p)
●1987年、大マゼラン星雲に超新星が出現した(182p)400年ぶりの超新星爆発
●もしこの世に超新星が存在しなければ、そもそも私たちが生まれてくることはなかっただろう(新元素を作った)(187p)
●謎の天体クエーサーは、大きさは太陽系程度で明るさは銀河系の100〜1000倍。何がクエーサーのエネルギー源になっているのか。ブラックホールである(214p)

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世界中の科学者を丹念に取材。宇宙はまだわからない課題が多い。

宇宙の果てにせまる.jpg 『宇宙の果てにせまる』 岩波新書 〔'98年〕

 同じ岩波新書の「カラー版ハッブル望遠鏡が見た宇宙」シリーズの著者である科学ジャーナリスト野本陽代さんが、シリーズ1冊目の後に書いたもの。

 宇宙論の現況とこれまでの展開、そしてハッブル宇宙望遠鏡の登場などによる新発見、新理論と、新たな謎に迫る科学者たちの活躍を書いています。

ngc3370.jpg どうして宇宙の年齢や星までの距離、絶対光度がわかるのかといったことから、最新の宇宙論に至るまでをわかりやすく解説するとともに、現在活躍中の世界中の宇宙物理学者を数多く丹念に取材し、彼らの考え方を、その人となりと併せて生の声で伝えています。

 宇宙に関する研究成果が多くの科学者の洞察と努力や工夫によるものであり、そこには様々な競争や運があったということ、宇宙にはまだわからない課題が多くあるということがわかる1冊です。

多数のセファイド型変光星が観測されたしし座の銀河NGC3370 (NASA)

《読書MEMO》
●セファイド型変光星(56p)...変光の周期によって絶対光度がわかる
●余分な運動...宇宙は膨張しているが、個々の天体は特異運動の影響を受ける(86p)
●銀河系・アンドロメダを含む銀河群はおとめ座銀河団の方へ
●光速の70%で遠ざかるクエーサーから2つの光が届く(重力レンズ)(110p)
●1987年カミオカンデが大マゼラン雲の超新星からのニュートリノ検出(140p)
●ビックバン(1/1)から最初の天体形成(1/20)までの間のことがわかっていない(160p)

「●相対性理論・量子論」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1243】 志村 史夫 『アインシュタイン丸かじり

読みやすいが、内容的には、一般向け入門書としてはかなり詳しい方。

100歳になった相対性理論.jpg  『100歳になった相対性理論ーアインシュタインの宇宙遺産』 (2005/01 講談社)

 サイエンスライターである著者の本は、『SFを科学する』('87年/ブルーバックス)から読んでいますが、'05年出版の本書は、相対性理論や宇宙論に関する今までの著作の総まとめ的性格でありながらも、そのタイトルや内容構成は、この年の出版でなければ使えなかったものかも知れないと思われます(ちょうど100年前の1905年が、アインシュタインが特殊相対性理論を発表した年です)。

 第1章、第2章でそれぞれ、アインシュタインの特殊相対性理論、一般相対性理論とその実証について扱っていますが、以降、第3章から第7章まで、ビッグバン宇宙論、ブラックホール宇宙像、クェーサー、観測的宇宙論(インフレーション宇宙論)、タイムトラベル理論について、それらの中核となった学者がその理論を発表した年を「相対性理論○○歳」というように追いながら、各内容を解説しています。

 「中核となった学者」とは、宇宙膨張論を発見したハッブル('29年)、ブラックホールを予言したオッペンハマー('39年)、クェーサーを発見したマーチン・シュミット('63年)などで、佐藤勝彦・東大教授の「インフレーション理論」も、同じ時期('81年)に同じ理論を発表した米国のグースと併せて1章を割いて理論紹介されています。
 ただし欧米では、「インフレーション理論」の提唱者としてグースの名前しか出てこないことが多いというのは、ちょっと残念な気もします。

 イラストや写真が適宜挿入されていて文章も読みやすいですが、内容的には一般向け入門書としては、かなり詳しく書かれている方ではないでしょうか。
 忘れかけていたことの復習用にも読めるし、最新動向を知る上でも役に立ちます。

 最後の第8章で、2005年(相対性理論100歳)時点での相対性理論の今後を展望していますが、相対性理論を観測実証しようという様々な動きがあることがわかり、興味深かったです(すでに部分的には、"重力レンズ"現象や飛行機とセシウム時計を使った実験などで観測・実証されていて、GPSなどに応用されているわけですが)。

「●相対性理論・量子論」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【350】 福江 純 『100歳になった相対性理論

中学生でも読める「相対性理論」についてのバランスよい解説。

『「相対性理論」の世界へようこそ』.JPG「相対性理論」の世界へようこそ.jpg    「相対性理論」を楽しむ本2.bmp
「相対性理論」の世界へようこそ―ブラックホールからタイムマシンまで』PHP文庫〔'04年〕/『「相対性理論」を楽しむ本―よくわかるアインシュタインの不思議な世界 (PHP文庫)』PHP文庫〔'98年〕

 本書は中学生でも読めることを意図し、わかりやすく書かれていて、相対性理論について、定番ですが、光時計、ミューオンの時間の遅れといった思考実験や観測、ウラシマ効果、双子のパラドックスの話などで平易に説明した上で、副題にもある通り、ブラックホールやタイムマシンへと話は拡がっていき、佐藤教授の初期宇宙論(インフレーション理論)にも触れています。

 姉妹本の『「相対性理論」を楽しむ本』('98年/PHP文庫)の方は、特殊相対性理論を中心に構成されていますが(ただし宇宙論などにも触れてはいますが)、本書でも特殊相対性理論には触れていて、その部分では焼き直しの感じもあります。

 しかし「相対性理論」というテーマから見れば、全体的にはこちらの方が構成にバランスがとれていて、「特殊相対性理論(=等速直線運動のみに使える)」→「一般相対性理論(=加速度運動にも使える)」という流れの中で読み進むことができます。
 文章もより練れているので、どちらかを読むならばこちらの方をお薦めします。

 加速度=重力、重力は時間を遅らせる...だから電車に乗って会社に着いたら、自分だけ時間が遅れているということになるのか...でも他の人も電車に乗ってきているわけだから...とか、あまり実生活に役立たないことを考えるのは何となく楽しいものです。

《読書MEMO》
●《特殊相対性理論》(等速直線運動のみに使える)
・光の速さはどんな速度で動く人からみても一定/・運動するものは時間が遅れる(時間はお互いに遅れる)/・動くものは質量が増える/・E=mc2
●《一般相対性理論》(加速度運動にも使える)
・重力によって時間が遅れる/・ウラシマ効果/・双子のパラドックス(等速直線運動ではお互いの過去を見ている。兄弟が出会うためにUターンしたとき、加速運動を行う必要が生じて、特殊相対性理論ではなく、一般相対性理論になる

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サイエンスライターとしての著者の経歴が生きた好著。
アインシュタインの宿題.jpg   『アインシュタインの宿題』.JPG アインシュタインの宿題2.jpg 知恵の森文庫 〔'03年〕
アインシュタインの宿題』('00年/大和書房)

 著者は宇宙物理学者ですが、サイエンスライターとしての経歴も長く、本書はそうした著者の特質が生かされた相対性理論の入門書であり、一般人の考え方を前提にしたうえでの著者の解説の仕方は、各章にあるコミックや図版と併せ、理解の大きな助けとなります。

 ミンコフスキーダイアグラムなど、普通の一般書ではあまり出てこない話なども平易に説く一方で、「新世紀エヴァンゲリオン」のポジトロンライフル(陽電子砲)の話をアインシュタインの式の説明の枕に持ってくるなどはニクイ。
 まあ、名作SFを物理学的に解析した『SFを科学する』('87年/ブルーバックス)を書いたのが30歳そこそこですから。
 その本の共著者である石原藤大氏が考えたらしい「ウラシマ効果」という言葉が、世界中で使われている「双子のパラドッス」という表現より優れているという著者の説に納得しました。
 〈特殊相対性理論〉と〈一般相対性理論〉の違いがスッと頭に入る部分でもあります。

 各章の冒頭にアインシュタインの言葉を配しています。
 例えば「神はサイコロ遊びをしない」とは、彼が量子力学を批判したものですが、いまだに相対性理論と量子力学の融合はなされていない。
 アインシュタインのアカンベーした顔が目に浮かびます。

 【2003年文庫化[知恵の森文庫]】

《読書MEMO》
●1987年大マゼラン星雲で超新星爆発、but、爆発したのは16万年前(文庫106p)
●播磨科学公園都市のSPring-8(放射光施設)...素粒子の加速実験(文庫122p)
●ウラシマ効果...地球出発(帰還)時の加速(減速)で慣性系でなくなる(文庫124p)
●1kgの質量は、ビキニ型水爆並みのエネルギーを持つ(文庫134p)
●星の終末...
 タイプ1....白色矮星
 タイプ2....赤色巨星→白色矮星
 タイプ3....赤色巨星→惑星状星雲→白色矮星
 タイプ4....赤色巨星→超新星爆発
 タイプ5....赤色巨星→超新星爆発→中性子星orブラックホール

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科学者の思考と一般の人のイメージの違いが面白い。

1僕がアインシュタインになる日.png僕がアインシュタインになる日.jpg 『僕がアインシュタインになる日―相対性理論講義』 朝日レクチャーブックス 〔'81年〕

佐藤 文隆/光瀬 龍.jpg 「朝日レクチャーブックス」(朝日出版社)の1冊で、SF作家の光瀬 龍 (1928-1999/享年71)が日本を代表する一般相対性理論の研究者である宇宙物理学者・佐藤文隆(1938-)に相対性理論や宇宙論について話を聞くスタイル。1981年刊。

 要するに、対談形式を通しての相対性理論・宇宙論の入門書であるのですが、個人的にはすごく面白かった1冊です。光瀬龍の質問は簡潔ですが、言葉で理解できてもイメージとして理解できないところは(それは一般読者とほぼ一致するはず)何度でも突っ込んで聞いています。この姿勢が実にいいです。

 宇宙論に入ると、ますます物理学者の考え方と一般人のそれとの違いが浮き彫りになります。
 膨張宇宙論において、「では宇宙の外側には何があるのか」と聞く光瀬龍に、佐藤先生は「外側はない」、今見えている領域を "宇宙"と規定しているのであって、まだ光が届いていないその先は論じないと。

 "素粒子崩壊"のイメージなどについても、光瀬は粘り強く聞いて、ここも本書の"読みどころ"となっています。
 今は亡き光瀬龍の、"素人"としての疑問に飽くまでもこだわり、簡単には納得しない姿勢のお陰で、本書は興味深く読めました。

宇宙との対話.jpg 尚、本書はSF作家が宇宙物理学者に話を訊くというスタイルをとっているわけですが、同じ朝日レクチャーブックスの中には、同じくSF作家(半村良(1933‐2002/享年78))が、天体物理学者(小尾信彌(1925‐))に話を訊くという『宇宙との対話-現代宇宙論講義』('79年/朝日出版社)というのもあり、こちらもお奨めです。

宇宙との対話―現代宇宙論講義 (1979年) (Lecture books)

《読書MEMO》
●《特殊相対性理論》 光の速さは一定である(光速度一定の仮定)=光を光の速さで追いかけても、光の速さで逃げていく(40-43p)
●運動していると時計がゆっくり進むー飛行機の時間(飛行機に積んだ原子時計の遅れで確認済み)(93-98p)
●コップ1個の内臓している物質エネルギーは広島型原爆ぐらい
●宇宙が1センチより小さかったときがあった

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「●算数」の インデックッスへ

こういう具合に教えてくれていれば算数嫌いにならなかったと思うかも。

入門 算数学.jpg 『入門 算数学』(2003/07 日本評論社)算数のできる子どもを育てる.jpg 木幡 寛 『算数のできる子どもを育てる

 数学者であり長年数学教育の研究に携わってきた著者による小中学校レベルの算数・数学の入門書。

 算数の背景にある数学的思考を、算数を学ぶ際に前面に押し出すという考えのもとに書かれていて、素人目にはかえって難しくなるのではと思いがちだけれども、読んでみると目からウロコが落ちるようによくわかります。
 本書を読んで、「ああ、学校でこういう具合に教えてくれていれば算数嫌いにならずに済んだのに」と思った人も多いとか。

 例えば、足し算・引き算を教える前に、数の概念をキッチリ解説しています。
 数には「集合数」「順序数」があり、「集合数」の性質には、1対1対応での不変性などがある...と言葉にすると難しく聞こえますが、図説でわかりやすく解説されていて、「1〜9までと10との明確な違い」とか今まであまり考えたこともなかった話や、古今東西の数の数え方(位取り)といった面白い話もあります。

 以前、「自由の森学園」の校長だった木幡寛氏の『算数のできる子どもを育てる』('00年/講談社現代新書)を読んで、「鯨8頭とサンダル2足は足すことができるか」といった問いから子どもに数の概念を理解させるやり方があり、実にユニークでわかりよいけれど、こんなふうに教えている余裕が学校教育にあるかなと思いました(実際、氏は退職後にフリースクールにおいてこのやり方で教えている)。
 本書を読んで、そうした考え方(教え方)が、ユニークというよりもむしろ"スジ論"的考え方であることが、体系的な説明を通してわかりました。

 ただし、本書にあるような考え方に基づく指導方法は「学習指導要領」にはなく、こうした教え方は教師の自主的な研究・努力と、現場でそうした時間を作る工夫に懸かっているということなのでしょう。

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「三十数年の歳月を経ても、内容は古くなっておらず」と著者自身が言った通りに新鮮。

パズル・物理入門_0231.JPGパズル・物理入門_0.jpgパズル・物理入門.jpg新装版 パズル・物理入門―楽しみながら学ぶために』〔'02年〕  

旧版〔'68年〕

 ブルーバックスに多くの著作がある都築卓司(1928-2002)の物理学入門シリーズのうちの1冊の新装版で、83問から成るパズル形式のものですが、中学生ぐらいから充分理解できる内容で、それでいて奥が深いです。

 オリジナルの初版が'68年で(56刷34万部売れたとか)、40年近く経て1問もいじらずにそのまま"新装版"として出版し、今読んでもそれなりに新鮮で、かつ面白いというのは、文学作品ならともかく、「物理」の入門書としては何か意外な気もしますし、やはりスゴイことではないかと思います。

パズル・物理入門_0232.JPGパズル・物理入門_0233.JPG 本書の続編『新・パズル物理入門』のほか、『四次元の世界』『マックスウェルの悪魔』『不確定性原理』『タイムマシンの話』なども、みんな新装版になりました。

 本書の「新装版刊行にあたって」という著者の小文の執筆年月が、'02年7月になっていますが、著者が亡くなった月です。亡くなったことは残念な気もしますが、「三十数年の歳月を経ても、内容はけっして古くなっておらず、物理パズルの醍醐味を味わっていただけると思う」と結語した著者には、それなりの自負と確かな充実感、満足感があったのではと思われます。

《読書MEMO》
●ブルーバックス創刊50年の通算ランキング ベスト20(2013年)
1 1998『子どもにウケる科学手品77』 後藤道夫
2 1975『ブラックホール』 ジョン・テイラー
3 1966『相対性理論の世界』 ジェームズ・A.コールマン
4 1968『四次元の世界』 都筑卓司
5 1967『パズル・物理学入門』 都筑卓司
6 1965『量子力学の世界』 片山泰久
7 1970『マックスウェルの悪魔』 都筑卓司
8 1965『計画の科学』 加藤昭吉
9 1968『統計でウソをつく法』 ダレル・ハフ
10 1969『電気に強くなる』 橋本尚
11 1971『タイムマシンの話』 都筑卓司
12 1978『相対論はいかにしてつくられたか』 リンカーン・バーネット
13 1974『相対論的宇宙論』 佐藤文隆/松田卓也
14 1972『新・パズル物理入門 都筑卓司
15 1970『不確定性原理』 都筑卓司
16 1968『確率の世界』 ダレル・ハフ
17 2001『記憶力を強くする』 池谷裕二(21世紀のランキング1位)
18 1968『推計学のすすめ』 佐藤 信
19 1964『こんなことがまだわからない』 相島敏夫/丹羽小彌太
20 1977『マイ・コンピュータ入門』 安田寿明

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"文系人間"のための物理入門書。"物質と反物質の対生成"などの説明が詳しい。

宇宙の始まりの小さな卵.jpg  『宇宙の始まりの小さな卵―ビッグバンからDNAへの旅』 (2002/03 文春ネスコ )

 帯に「数式なしでも宇宙はわかる!」とあるように、"文系人間"のための物理入門書で、話は原子物理学から熱力学、宇宙学、生命学にまで及んでいますが、語りかけるような口調でやさしく書かれています。

 タイトルにも繋がる宇宙の原初における"物質と反物質の対生成"などはかなり詳しく書かれていますが、しかしそこでも、宇宙空間の真空をゴルフボールが敷きつめられたグリーンに喩え、
 「何もない空間ではなく、実は、隙間なく粒子がつまっているようなものなのです。そこから電子をはぎとると、穴があきます。その穴は、ちょうど電子の反対の性質をもった粒子としてふるまいます」
 といった感じの説明の仕方で、わかりやすいです。

 今から何十億年後に太陽が現在より大きくなったときに、「小惑星」を地球のそばを通過させ地球の軌道を太陽から離す―そんな人類延命策を今から考えている人がいるなんて、ちょっと面白い。

 著者は芥川賞作家ですが、相対性理論や仏教の入門書を書いていたり、『パパは塾長さん』('88年/河出書房新社)などという中学受験本も書いていて、「芥川賞作家って何」と言いたくなったりもしますが、小説もちゃんと書いています(本書の中に、著者の小説を想起させるような文体や言い回しがところどころ見られるのが面白い)。

 ジャーナリスト的素養もある人と見るべきか。あるときはサイエンス・ライターで、あるときは受験ジャーナリストになる...。

《読書MEMO》
●地球は、ウランが発する熱が鉄流動を起こし、磁気を発生させている(144p)
●宇宙背景放射により晴れ上がり(ビッグバン後50万年)が観測できる(166p)
●ゼロ時間から0.01秒の間に何が起きたか=陽子・中性子の生成前(166p)
●電子と陽電子が真空から対生成した、というのが宇宙の始まり。電子と陽電子は宇宙のゆらぎで消滅、そこにクオーク・反クオークの対生成が起き、陽電子はクオーク・反クオークに囲まれてⅩ粒子を経て陽子になった...(189p)

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身近に問題を"出しっこ"できる相手がいれば楽しいと思う。

算数パズル「出しっこ問題」傑作選.jpg  『算数パズル「出しっこ問題」傑作選―解けて興奮、出して快感! (ブルーバックス)』 〔'01年〕

 問題の数は60問で、難易度は、ブルーバックスにあるこの手の本の中では高い方ではないと思いますが、古典的な傑作問題が多く含まれています。

 例えば「うそつき村と正直村」の問題。
 たどり着いた村がうそつき村か正直村かを、住人に1つだけ質問して言い当てるにはどんな質問をすればいいのか。

 それから「神様と悪魔と人間」の問題。
 Aは「私は神様ではない」と言い、Bは「私は悪魔ではない」と言い、Cは「私は人間ではない」と言う。神様はホントのことを言い、悪魔は嘘しか言わないが、人間は嘘をついたりホントのことを言ったりする。ならば、ABCはそれぞれ何者か。

 さらには、「白い帽子と赤い帽子」の問題。
 赤い帽子が3個、白い帽子が2個あって、ABCの順に前向きに並んだ3人に自分の帽子の色がわからないように被せ、自分の帽子の色を訊ねたところ、Cは「自分の帽子の色がわからない」と言い、Bも「わからない」と。それを聞いたAは「わかった!」と。Aの帽子は何色か。

 簡単に暗記できる内容なので、身近に問題を"出しっこ"できる相手がいれば楽しいと思います。
 著者自身は以前からが学校の算数・数学教育に提言をしている人で、一方で、『お父さんのための算数と数学の本』('79年/日本実業出版社)などといった著作もあります(...とすると、出す相手は自分の子どもということになるのか)。
 ブルーバックスには本書の姉妹編として 『論理パズル「出しっこ問題」傑作選-論理思考のトレーニング』(小野田博一著/'02年)という結構売れた本もありますが、本書より問題がやや難しい気がしました。
 
 ちなみに、上記3問の答えは、
 「あなたはこの村に住んでいますか」
 「A人間・B悪魔・C神様」
 「赤」
 ですが、答えが合った合わないよりも、発想と考え方のプロセスが大切なのでしょう。

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アイデアがいい科学絵本。最後に辿り着いた一番小さなものは「宇宙」。

小さな小さなせかい.jpg 『小さな小さなせかい―ヒトから原子・クォーク・量子宇宙まで』 (1996/03 偕成社)

 1996(平成8)年3月に刊行された科学絵本ですが、1ページめくるごとに10分の1ずつに小さい世界になり、微生物、DNAの世界を経て、分子、原子、素粒子の世界へ入っていくというアイデアがいいです。
 小学生向けの本ということですが、例えば〈中性子〉〈中間子〉〈ニュートリノ〉を大きい順に並べよと言われて、わかる大人はどれぐらいの割合でいるでしょうか。

 最後に辿り着いた一番小さなものが(原始の)「宇宙」だったという〈逆説〉も、ロマンがあっていいです。
 10の-34乗m の"量子宇宙"こそ最小のものだというのは、宇宙発生論において〈事実〉とされていることでもありますが。

大きな大きなせかい.jpg 本書は『大きな大きなせかい-ヒトから惑星・銀河・宇宙まで』('96年/偕成社)と対になっていて、こちらも楽しく学べます。

 著者の加古里子(かこさとし)氏は、『だるまちゃんとてんぐちゃん』('67年/福音館書店)に代表される「だるまちゃん」シリーズや、『からすのパンやさん』('73年/偕成社)、『どろぼうがっこう』('73年/偕成社)などで知られる絵本作家で(『からすのパンやさん』や『どろぼうがっこう』は幼稚園や保育園の発表会の演目としてよく採用されている)、1975年に『遊びの四季』で第23回「日本エッセイスト・クラブ賞」を受賞、2008年には第56回「菊池寛」賞を受賞するなどしていますが、もともとは東京大学工学部応用化学科に学んだ工学博士でもあり、こうした科学絵本も多く手がけています。

《読書MEMO》
●原子>原子核>陽子、中性子
●重粒子(パリオン)→陽子、中性子、ラムダ粒子、シグマ粒子ほか
●>中間子→(陽子と中性子を結びつける)π中間子、ケーオンほか
●ハロドン(重粒子と中間子)>クォーク→重粒子(陽子・中性子等)、中間子を構成する)(反クォークもある)
●>軽粒子(レプトン)→電子、ミューオン(宇宙線が空気に衝突してπ中間子ができ、それが壊れてできる)、ニュートリノ(中性子が陽子に壊れるとき電子とともにできる)など(反レプトンもある)

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「松井選手を監督にするのが日本型処遇」だと批判。過激だが示唆に富む。

大好きなことを「仕事」にしよう.jpg大好きなことを「仕事」にしよう』〔'04年〕 成果を生み出す非常識な仕事術.jpg成果を生み出す非常識な仕事術

 青色発光ダイオードの開発者・中村修二氏の本で、たまたま図書館でみかけて借りてみたら結構面白かったです。

 本書刊行後ですが、'04年の長者番付で外資系投資顧問会社に勤めるサラリーマンがトップになったという報道がありました。
 中村氏は本書で、「アメリカの評価基準はお金である」と断言しています。
 彼に言わせれば、例えばメジャーリーグで松井秀樹選手が活躍すれば年俸を上げる。
 ビジネスの世界も同じであると。
 ところが日本では、いい仕事をしたら役職を上げる。
 これは松井選手をコーチや監督にするようなものだと言っています。
 この本は一応、小学校高学年向けになっていますが、ビジネスパーソン向けかと思ってしまいます。

 青色発光ダイオード開発の裏話も興味深いのですが、日亜化学工業を辞めてアメリカへ渡ったのが46歳のとき。
 意外と遅かったのだなあという感じで、アメリカで著者が「20年同じ会社に勤めていた」と言うと、アメリカ人から「そんなにいたら飽きてしまうのではないか」と驚かれたという話が『成果を生み出す非常識な仕事術』('04年/メディアファクトリー)に紹介されていますが、このあたりにも、渡米してアメリカナイズされた彼にとっての、元いた会社に対するルサンチマン(怨念)の源があるのかもと思ったりもします。

 「一般教養なんて無理に教える必要はまったく無い」とか、個々の主張は過激で賛否両論あるかと思いますが、氏が自身の歩んできた道を率直に振り返って、後に続く世代には出来るだけ後悔しない生き方をして欲しいという気持ちは伝わってきました。

 単に、「特許裁判前のアジテーション活動としてこの類の本を書きまくっているのだ」という先入観で、この人の一般向けの著作を切り捨ててしまう人がいるのはモッタイナイ感じがします(この裁判は、'04年1月に東京地裁が日亜化学に対して中村氏に200億円を支払うよう命じたものの、'05年1月に東京高裁において日亜化学側が約8億4千万円を中村氏に支払うということで和解が成立した)。

 子ども向けに書かれたものですが、主張がはっきりしていて、毒にもクスリにもならないような本よりはよほど示唆に富んでいると思いました。

《読書MEMO》
中村修二 氏 - コピー.jpg中村修二 ノーベル賞2.jpg中村 修二 氏 2014年(平成26年)世界に先駆けて実用に供するレベルの高輝度青色発光ダイオードや青紫色半導体レーザーの製造方法を発明・開発した功績により赤崎勇氏、天野浩氏らと共にノーベル物理学賞受賞。

  
   
   


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科学トピックスを平易に解説し、「科学」の虚妄を突いたエッセイ。

やぶにらみ科学論.jpg 『やぶにらみ科学論 (ちくま新書)』 〔'03年〕 池田 清彦.jpg  池田 清彦 氏 (略歴下記)

 最近の科学的トピックスをわかりやすく解説するとともに、著者なりの見解を、時にユーモアや皮肉を交えつつ綴った、気軽に読める科学エッセイです。
 狂牛病、バイオテクノロジー、ゲノム解析といった、著者の専門である生物学に近い話から、喫煙問題やノーベル賞の話まで、幅広いテーマを取りあげていますが、全体としてはかなり平易に書かれていると思います。

 その幅広さもさることながら、「科学がよしとするものに従う義務はない」(「あとがき」)とあるように、1つ1つのテーマに対する著者なりの覚めた見方があり、「禁煙運動」や「自然保護運動」の背後のある原理主義を批判し、「地球温暖化論」のいかがわしさを検証し、「クローン人間作ってなぜ悪い?」と言い切っています。
 この辺りが「やぶにらみ」たる所以でしょうけれど、ただ単に多数意見に抗っているわけでなく、読めばそれなりの筋は通っていて、著者の個々の論旨にすべて賛同できるかどうかは別として、いろいろと新たな視点を提供してくれます。

 原理主義的なものに対する嫌悪や、現代人はみな「生老病死を隠蔽する装置の中で生きている」という見方、「人はなぜオカルトを信じるのか」の項で用いられている「脳のクセ」という表現などには、"虫人間"仲間?の養老孟司氏と通じるものを感じました(ときどき"ボヤキ節"みたくなるところも)。

 確かに「○○するのはバカだ」、「よけいなお世話だ」というような粗っぽい言い回しも多いものの、若者の理科離れを嘆き、医療におけるセカンド・オピニオンの重要性を説くなど、基本的にはマジメという感じ(これらは著者にとって、より身近な問題なのかも知れないけれど)。

 「反ダーウィニズム」「構造主義生物学」の考え方に触れている部分もありますが、連載がベースになっているので、1テーマあたりのページ数が少ない物足りなさがあり、むしろ、「科学」につきまとう虚飾や迷妄を見極めなさいといのが本書の趣旨でしょう。
 教育問題、環境問題、「外来種撲滅キャンペーン」に対する批判なども、この著者にはそれぞれ単独テーマとして扱った著作があり、場当たり的にそれらを取り上げているのではないということがわかります。
_________________________________________________
池田 清彦
1947年東京に生まれる。東京教育大学理学部生物学科卒業。東京都立大学大学院で生物学を専攻。山梨大学教育人間科学部教授。多元的な価値観に基づく構造主義生物学を提唱して、注目を集めている。主な著書は「構造主義生物学とは何か」「構造主義と進化論」「昆虫のパンセ」「思考するクワガタ」「科学は錯覚である」など。

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「●化学」の インデックッスへ ○日本人ノーベル賞受賞者(サイエンス系)の著書(田中 耕一)

タイトルだけ見ると運良く成功したみたいだが、やはり違った。中村修二氏と比べると...。

生涯最高の失敗.jpg 『生涯最高の失敗 (朝日選書)』〔'03年〕 田中 耕一 記者会見.bmp 田中耕一氏[写真:共同通信]

 '02年10月に、先ず東大名誉教授・小柴昌俊氏のノーベル物理学賞受賞の報道があり、その翌日に島津製作所の田中耕一氏の化学賞受賞が伝えられましたが、一般社会に与えたニュースとしての影響の大きさは、圧倒的に田中氏受賞の方が上だったのではないでしょうか。

 本書は、その科学者・田中氏の半自叙伝風の文章に、本人による研究内容の解説(化学専攻の人には面白く読めるかもしれないが、一般向けとしてはかなり難しい)を加えたもので、タイトルだけ見ると運良く成功したみたいですが、読んでみるとやはり違った―。元来の気質的なものもあるのでしょうけれども、並ではない粘り強さを感じました。

 田中氏の個人史的な話もあり、淡々と綴られたものながら、それだけに氏らしさが感じられて面白く読めました。
 それほど詳しくは述べられていないけれども、自分が養子だと知ったときは、ショックだったんだろうなあと。

成果を生み出す非常識な仕事術.jpg この本のどこにもその名は出てこないのですが、青色発光ダイオードの開発者・中村修二氏と比較したくなりました(この人もノーベル賞の有力候補→2014年にノーベル物理学賞受賞)。 

 勝手に注目した「共通点は」―、
 ◆共に技術者であり、博士号は持っていなかった点(田中氏は大学卒業後、院に行かず就職しているので修士号さえ持っていない)、
 ◆自分が開発した商品の営業を自分もやった点(田中氏のノーベル賞ものの機械は、国内では1台しか売れなかった)、
 ◆ユニークな技術に加えて「海外論文」と「特許登録」が成功または評価の決め手となった点、などです。 

 一方「相違点」は―、
 ◆海外志向であるか、特にそうしたこだわりはないかということ(アメリカで活躍する中村氏は、日本は"社会主義"だと言っている)、
 ◆自分がいる(いた)会社に対する思いや会社との関係(田中氏は島津製作所のフェロー待遇となりましたが、中村氏は日亜化学と発明報酬をめぐる裁判を繰り広げる関係になってしまいました)、といったところでしょうか。

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養老氏と第一線で活躍する若手研究者らとの"学際的"対談。

養老孟司 ガクモンの壁.jpg 『養老孟司 ガクモンの壁 (日経ビジネス人文庫)』 〔'03年〕 養老孟司・学問の格闘.jpg 『養老孟司・学問の挌闘―「人間」をめぐる14人の俊英との論戦』 〔'99年〕

 「日経サイエンス」に'97年から'99年にかけて連載された養老氏と第一線で活躍する若手研究者らとの対談をまとめた『養老孟司・学問の格闘』('99年)の文庫化。
 『バカの壁』('03年/新潮新書)がヒットしたのでこんなタイトルにしたのだろうけれど、考古学、文化人類学、行動遺伝学、心理学など人文科学系のテーマを含む14編が収められていて、確かに"学際的"です。

 「人はなぜ超常現象を信じるのか」とか、色んなことを研究している人がいるなあと思いました。
 でも、詰まるところ「心と脳」の話に収斂されているのではという感じもします。
 『平然と車内で化粧する脳』('00年/扶桑社)澤口俊之氏や『ケータイを持ったサル』('03年/中公新書)正高信男氏など、後にベストセラーを出すことになる研究者との対談もあります。 

 本書は脳科学など自然科学・医学系の研究の紹介が主となっていますが、その中ではやや異色な冒頭の2つ、ネアンデルタール人の研究をしている奈良貴史氏との対談と、古代アンデス文明の研究をしている関雄二氏との対談が、それぞれにとてもロマンがあって、個人的には良かったです。
 
 ネアンデルタール人が現代人とある期間共存していたというのは面白い、それも何万年ものかなり長い期間。 
 これが今や主流の学説とのことです。しかも、争いなく暮らしていたらしい?
 
 アンデスの標高2200メートルにある〈クントゥル・ワシ遺跡〉というのも本当に不思議です。
 アンデスで神殿が造られたのは紀元前2500年頃だというから、その後のアンデス文明の停滞ぶりなどに照らしても(自らの文明の歴史を記すための"文字"すら見つかっていない)、宇宙人飛来説が出てくるのも無理ないかもと思ったし、もしかして本当に...?。
 
 何れの対談もよくまとまっていて密度が高いけれど、自分が関心あるテーマについては、紙数上やや物足りない感じもしました。

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○日本人ノーベル賞受賞者(サイエンス系)の著書(中村 修二)「●「朝日賞」受賞者作」の インデックッスへ(西澤潤一・中村修二)

信号機がLEDに切り替わるのを見るにつけ、西澤・中村両氏のことを思い浮かべる。

赤の発見 青の発見.jpg  『赤の発見 青の発見』 ['01年] 西澤潤一.jpg 西澤 潤一 氏 (首都大学東京 学長)

 西澤潤一氏は、東北大総長、岩手県立大学長を経て'05年より首都大学東京の学長になっていて、今でこそ科学技術だけでなく教育(民間教育臨調の会長にもなった)・社会・文化に対して幅広くゼネラルな視点で発言していてますが、もともとは半導体レーザー、光ファイバーで世界最初の特許をとったバリバリのスペシャリストです。

led.jpg 本書のタイトルは、LEDの分野では、光の3原色のうち「赤」と「緑」を西澤氏が、「青」を中村修二氏が開発したことからきています。
 近所の信号機が次々とLEDに切り替わるのを見るにつけ、この2人を思い出しますが、そう言えば東京ディズニーリゾートなども夜の照明がいつの間にかほとんどLEDになっていました。
 現在は、西澤氏が関与したスタンレー電気などのLDEは、大きく分けると赤色、橙色、黄色、緑色、純緑色、青色、白色の7つの発光色があり、本書によれば、LEDの開発が今後の我々の生活にもたらすものは、信号機や携帯電話のランプ程度のものではないらしく、住宅の照明や車のライトもLEDに切り替わり、そうすると車などはそのデザイン設計の自由度がグッと増すようです。

 ノーベル賞の同時受賞があっても不思議ではない2人。むしろ西澤教授はもう貰っていてもおかしくないほどの人で、創造力を発揮させる条件や日本のあるべき姿にまで触れたこの対談に通して、中村修二氏のメンターのような存在であることが窺えます。
 ただし、ノーベル賞に関して言えば、特許を含め色々な要素が絡むことが、2人の話からよくわかります。

 中村氏の、彼が日亜化学に在籍していた際に、お前は特許を申請するなと上司に言われ、新入社員にパテントのコピーを取らせて申請させたのが今や日亜化学の膨大な特許財産になっているという話は、やや"恨み節"のきらいもありますが、発見に至る2人の開発秘話には引き込まれ、現代の研究や教育に対する批判も示唆に富むものが多いと思います。
 
 西澤氏は、東北大出身ですが、ノーベル賞科学者・田中耕一氏も東北大出身で、理系分野でのノーベル賞クラスの研究者は、東大よりも京大や東北大など方が"輩出率"がいいかも。

《読書MEMO》
中村修二 氏 - コピー.jpg中村修二 ノーベル賞2.jpg中村 修二 氏 2014年(平成26年)世界に先駆けて実用に供するレベルの高輝度青色発光ダイオードや青紫色半導体レーザーの製造方法を発明・開発した功績により赤崎勇氏、天野浩氏らと共にノーベル物理学賞受賞。

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先端科学からオウム真理教まで。さらっと読める「科学」とその現況。

脳が語る科学.jpg脳が語る科学―養老孟司対談集』 脳が語る身体.jpg脳が語る身体―養老孟司対談集

 '99年に同時出版された対談集『脳が語る身体』と対になっています。両方とも対談相手は学者が多いのですが、さらっと読め、かつ先端科学からオウム真理教やもののけ姫まで、広汎な話題で楽しませてくれます。

 鼎談も一部あり、佐藤文雄氏(物理学)が地震は予知できないと言えば、中村雄二郎氏(哲学)がアメリカではそれが常識である、と。ではなぜ日本人はできると思っているのかといったところから、「科学する」ということと「科学」の置かれている現況に踏み込んでいきます。

 確かに、地震予知が高い精度で可能ならば、今度はその結果に対する対応とかが大変なのでしょう。大地震発生後の地震予知連絡会の会見は、結局自分たちにも先のことはわからないと言っているようにも聞こえるし、日本でも予め、地震予知の困難さを暗示しているようにも思えますが...(アメリカの場合は、そんな分からないことに使う予算があるのならば、その分、竜巻の予報(予知ではない)の方に回すのだろう)。

 安西祐一郎氏(認知科学)がロボットに苦手なことは何かを通して語る人工知能の話、多田富雄氏(免疫学)の人間観、個とは行動様式であるという話と、養老氏の「現実」とはバーチャルであるという話は面白かったです。

 「尊師が水中に1時間いるので立ち会ってください」と医学生(たぶん東大生)に言われた養老氏の話には、学校で教える「科学」って何なの?と考えさせられます。

 姉妹版『脳が語る身体』もお薦めです。

《読書MEMO》
●佐藤文隆...地震予知が不可能なことは皆知っている。わかったら後が大変。
●中村雄二郎...アメリカでは地震予知は不可能と言いきっている。
●安西祐一郎...ロボットにとって難しいことは「推論」(コップを取って来いの例)
●養老...麻原が水の中に1時間いるのに立ち会って下さいと医学生に言われた
●多田富雄...「独座観念型」と「キーボード拡散型」
●養老...人間の考えている現実はすべてバーチャル・リアリティ(東京に住んでいれば自然はどこにもない、脳をいじれば現実は変わる)
●養老...高齢化問題は田舎では以前から起きている

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